“2ちゃんねる時代の場末のスレッドに書かれた言葉は、どうあれ便所の落書き「でしかなかった」。でも、今のSNS等に書かれた言葉は便所の落書き「であると同時に」不特定多数とつながりあって影響を及ぼし得る言葉、
古代のアリストテレス先生も倫理を説いた後に「しかし結局は政治的でしかない」と言ってたのでポリスはそうでしょうね。アレキサンダーは征服主義になりましたが
現在のSNSが帯びる政治的磁場を思うなら、そこにいるすべての人が扇動者的で、すべての言及がプロパガンダ的になってしまう。万人の万人に対する政治闘争。そう思うなら、SNSはすごい政治メディアだと思う。
俺のブコメに共感して、投票する奴もおるんやろうか?
俺はSNS辞めたよ。はてブも殆どクローズしてる。最近はニュースを追いかけるメリットよりデメリットの方が明らかに大きい。政治なんてファッションと同じで新しいトレンドを求めてるだけのゲームでしかない。
そのメディアを使って、正論パンチで大衆を馬鹿にする人達もいれば、取り残されて憤慨している人をすくい取ろうとする人達もいる。民主主義は味方を増やす戦いであることを、忘れてしまってはもったいない。
会社の先輩が今度の参院選、いわゆるインプレッション勢に真剣に投票しようとしていて引いた。SNSなんてロクでもないな。
#選挙 #2ch #情報戦 #SNS #認知戦 「2ちゃんねる時代~便所の落書き「でしかなかった」~今のSNS~政治的帰趨を左右~「バーチャルリアリティだ」などと笑って済ませられるものではない~今日ではアニメやゲームとて政治の標的」
そういや、ずいぶん前にこんなことを書いたな。あの頃よりもさらに状況は極端になってきている。 https://mazmot.hatenablog.com/entry/2021/05/17/155859
“誰もが政治的・政党的なメンションを戦わせているなかで、メンションを行っていないのはそれはそれで特異だ”
さすが、10年、15年、下手すりゃ20年近く(?)「加齢・成熟ネタ」を煽り続けてきた御仁が仰る事は違いますなぁ。
民主主義は多数派が政権を担う制度だが、過半数51%の多数派にも意見の相違や方法論に差異があるので、そのまた半数の26%が真の多数派だ。よって全体の1/4強を握るために選挙扇動のセントウ態勢が必要となる。
「政治的ではない言葉なんて存在するの?」民主主義においては一人一人が政治の主体であるというのは大前提である。「◯◯に政治を持ち込むな」とか言ってる奴が異常だったんだよ。
悪質な扇動者には天国みたいなSNS時代。匿名でデマも流し放題。まともな意見より煽ったほうがバズり、相互理解より分断を招く。民主主義はまともに機能しなくなる。
(しかも某国ブックメーカーの賭け対象になってる。ネットのノリもそんな感じ)
万民がアジテーターの推奨したプロバガンダを咀嚼して社会が廻る。
俺にはこの人自身が割と「それ」に見えるけどなぁ。
2chとかでスレの中の「釣り」で踊り踊らせが起きてたのを思い出すんだよな。当時はそれでだんだん騙された人も揉まれていったものだが、今は騙されたままそのまま選挙で世の中を変えてしまうような状況なのが怖い
2000年ぐらいの「インターネットで繋がる人々」みたいなユートピアの1つだったような(うろ覚え)/ユートピアであれディストピアであれ個人の主張が広く行き渡るようになったのはポジティブに捉えて良いのでは
はてな限界集落ならどこにも影響しない(それが良い)と思ってたのに、日本死ねとHagexさんの事件で様子が変わってきたなあ。村人の足の裏の米粒であるブクマカなんぞ、さらに影響力皆無やん、→せんとってや。
地元の市長選挙で実感しました。小泉進次郎は立候補してなかったが http://blog.livedoor.jp/brothertom/archives/89775339.html
SNS(というかだいたいツイッターやね)はまさにホッブスの言う、万人の万人に対する闘争を具現化したバトルフィールドである。そりゃ疲れるよな。となると、将来ユーザーと運営、ユーザーと国家の対立は不可避か。
「個人的なことは政治的なこと」「著名人ももっと政治に対して声をあげていい」と言って坂本龍一や小泉今日子を持ち上げてた人達が林原めぐみのブログ見た途端にギャーギャー騒いでたのは笑った。
何も言ってないことにまで意味を見いだす行為は病理しか呼ばない
SNSによって全てが政治的になった、なんて寝言を言ってる時点でこの人が何も考えてこなかった事が分かる。ネットとは関係なく「政治」は常にその外部を取り込む運動である。
自分なりに何かと何か、あるいは誰かと誰かをいっときでも繋げるような言葉を発することはできないものか。そんな絵空事めいた夢は当然叶わず最近は黙りがちな自分もまたどうしようもなく政治的。
ポリスの民主制が共同体・中間団体を中心とした代議制を経てインターネットを得て超巨大ポリスに変貌した。つまりひろゆきは現在のソクラテスだったんだよーΩΩΩ<チャウヤロー。世界はサイバー古典期に突入しつt
嘘を嘘と見抜けないとインターネットを扱うのは難しいとは言うけれど、増え続ける情報の奔流でますますその真偽を確かめられなくなるからネットそのものがどんどん濁っていくなぁという感じ。
それ言うたら、安全保障と中国脅威論ばっかり言うようになったよ、東京五輪後はセキュリティ人材が余ると言うてたが経済安全保障いうてアホみたいな予算案ついてて草生えるワ
今の方向性(攘夷や減税)はトランプを求めた米国と一緒で貧しさを加速させるよ。という正論をパンチとして受け止められても。
2ch全盛期の方が匿名書き逃げで責任問われず「ネタ」と言えば正当化できたからもっと悪かった。今のSNSでは明確なデマや過度な暴言はすぐ検証ツッコミが入って炎上する。発言者が可視化された点では今の方がマシな気が
煽動者に気をつけろ、SNSから距離をとるべきってだいぶ前からいってる
悪いこと言わないからX(Twitter)やめなさい。
NetNewsやBBSの頃はテーマ毎に場が作られていたから「オフトピック」の名目で政治的プロパガンダを排除できていたけど、今のSNSではそれができないんだよね。/ 書いた https://bsky.app/profile/rna.horobi.com/post/3ltmtydildk2d
プロパガンダも扇動者も、ボクにはおやつに見えるにゃ!全部食べちゃえ、猫パンチ!にゃ!
致命的なのは、多くの人はそのことに対して無意識で、インフルエンサーの様な大きな影響力を持つ煽動者であっても人心を完全にコントロールできていないところ。自由主義は無秩序で不確実なカオスの時代に突入した
「プロパガンダしかなく、扇動者しかいなくなった世界」 - シロクマの屑籠
“2ちゃんねる時代の場末のスレッドに書かれた言葉は、どうあれ便所の落書き「でしかなかった」。でも、今のSNS等に書かれた言葉は便所の落書き「であると同時に」不特定多数とつながりあって影響を及ぼし得る言葉、
古代のアリストテレス先生も倫理を説いた後に「しかし結局は政治的でしかない」と言ってたのでポリスはそうでしょうね。アレキサンダーは征服主義になりましたが
現在のSNSが帯びる政治的磁場を思うなら、そこにいるすべての人が扇動者的で、すべての言及がプロパガンダ的になってしまう。万人の万人に対する政治闘争。そう思うなら、SNSはすごい政治メディアだと思う。
俺のブコメに共感して、投票する奴もおるんやろうか?
俺はSNS辞めたよ。はてブも殆どクローズしてる。最近はニュースを追いかけるメリットよりデメリットの方が明らかに大きい。政治なんてファッションと同じで新しいトレンドを求めてるだけのゲームでしかない。
そのメディアを使って、正論パンチで大衆を馬鹿にする人達もいれば、取り残されて憤慨している人をすくい取ろうとする人達もいる。民主主義は味方を増やす戦いであることを、忘れてしまってはもったいない。
会社の先輩が今度の参院選、いわゆるインプレッション勢に真剣に投票しようとしていて引いた。SNSなんてロクでもないな。
#選挙 #2ch #情報戦 #SNS #認知戦 「2ちゃんねる時代~便所の落書き「でしかなかった」~今のSNS~政治的帰趨を左右~「バーチャルリアリティだ」などと笑って済ませられるものではない~今日ではアニメやゲームとて政治の標的」
そういや、ずいぶん前にこんなことを書いたな。あの頃よりもさらに状況は極端になってきている。 https://mazmot.hatenablog.com/entry/2021/05/17/155859
“誰もが政治的・政党的なメンションを戦わせているなかで、メンションを行っていないのはそれはそれで特異だ”
さすが、10年、15年、下手すりゃ20年近く(?)「加齢・成熟ネタ」を煽り続けてきた御仁が仰る事は違いますなぁ。
民主主義は多数派が政権を担う制度だが、過半数51%の多数派にも意見の相違や方法論に差異があるので、そのまた半数の26%が真の多数派だ。よって全体の1/4強を握るために選挙扇動のセントウ態勢が必要となる。
「政治的ではない言葉なんて存在するの?」民主主義においては一人一人が政治の主体であるというのは大前提である。「◯◯に政治を持ち込むな」とか言ってる奴が異常だったんだよ。
悪質な扇動者には天国みたいなSNS時代。匿名でデマも流し放題。まともな意見より煽ったほうがバズり、相互理解より分断を招く。民主主義はまともに機能しなくなる。
(しかも某国ブックメーカーの賭け対象になってる。ネットのノリもそんな感じ)
万民がアジテーターの推奨したプロバガンダを咀嚼して社会が廻る。
俺にはこの人自身が割と「それ」に見えるけどなぁ。
2chとかでスレの中の「釣り」で踊り踊らせが起きてたのを思い出すんだよな。当時はそれでだんだん騙された人も揉まれていったものだが、今は騙されたままそのまま選挙で世の中を変えてしまうような状況なのが怖い
2000年ぐらいの「インターネットで繋がる人々」みたいなユートピアの1つだったような(うろ覚え)/ユートピアであれディストピアであれ個人の主張が広く行き渡るようになったのはポジティブに捉えて良いのでは
はてな限界集落ならどこにも影響しない(それが良い)と思ってたのに、日本死ねとHagexさんの事件で様子が変わってきたなあ。村人の足の裏の米粒であるブクマカなんぞ、さらに影響力皆無やん、→せんとってや。
地元の市長選挙で実感しました。小泉進次郎は立候補してなかったが http://blog.livedoor.jp/brothertom/archives/89775339.html
SNS(というかだいたいツイッターやね)はまさにホッブスの言う、万人の万人に対する闘争を具現化したバトルフィールドである。そりゃ疲れるよな。となると、将来ユーザーと運営、ユーザーと国家の対立は不可避か。
「個人的なことは政治的なこと」「著名人ももっと政治に対して声をあげていい」と言って坂本龍一や小泉今日子を持ち上げてた人達が林原めぐみのブログ見た途端にギャーギャー騒いでたのは笑った。
何も言ってないことにまで意味を見いだす行為は病理しか呼ばない
SNSによって全てが政治的になった、なんて寝言を言ってる時点でこの人が何も考えてこなかった事が分かる。ネットとは関係なく「政治」は常にその外部を取り込む運動である。
自分なりに何かと何か、あるいは誰かと誰かをいっときでも繋げるような言葉を発することはできないものか。そんな絵空事めいた夢は当然叶わず最近は黙りがちな自分もまたどうしようもなく政治的。
ポリスの民主制が共同体・中間団体を中心とした代議制を経てインターネットを得て超巨大ポリスに変貌した。つまりひろゆきは現在のソクラテスだったんだよーΩΩΩ<チャウヤロー。世界はサイバー古典期に突入しつt
嘘を嘘と見抜けないとインターネットを扱うのは難しいとは言うけれど、増え続ける情報の奔流でますますその真偽を確かめられなくなるからネットそのものがどんどん濁っていくなぁという感じ。
それ言うたら、安全保障と中国脅威論ばっかり言うようになったよ、東京五輪後はセキュリティ人材が余ると言うてたが経済安全保障いうてアホみたいな予算案ついてて草生えるワ
今の方向性(攘夷や減税)はトランプを求めた米国と一緒で貧しさを加速させるよ。という正論をパンチとして受け止められても。
2ch全盛期の方が匿名書き逃げで責任問われず「ネタ」と言えば正当化できたからもっと悪かった。今のSNSでは明確なデマや過度な暴言はすぐ検証ツッコミが入って炎上する。発言者が可視化された点では今の方がマシな気が
煽動者に気をつけろ、SNSから距離をとるべきってだいぶ前からいってる
悪いこと言わないからX(Twitter)やめなさい。
NetNewsやBBSの頃はテーマ毎に場が作られていたから「オフトピック」の名目で政治的プロパガンダを排除できていたけど、今のSNSではそれができないんだよね。/ 書いた https://bsky.app/profile/rna.horobi.com/post/3ltmtydildk2d
プロパガンダも扇動者も、ボクにはおやつに見えるにゃ!全部食べちゃえ、猫パンチ!にゃ!
致命的なのは、多くの人はそのことに対して無意識で、インフルエンサーの様な大きな影響力を持つ煽動者であっても人心を完全にコントロールできていないところ。自由主義は無秩序で不確実なカオスの時代に突入した