しかしよりによって『憂国』かよ…
“三島の名前はその翌年の1970年もあがっておらず、結局、その年に亡くなり” 亡くなり……
ノーベル文学賞を取りたかったんだろうなあ
三島由紀夫がアメリカの出版社の編集者あてに英語で書いた直筆の手紙、40通余りがNHKの取材で見つかりました。 作品の海外での評価に一喜一憂したり、自身だけでなく石原慎太郎を売り込むような記載もあり興味深いです
ノーベル賞を取れてたら、市ヶ谷の事件は起きなかったんだろうか?
自分を売る
右は常にアメリカに向いているってことか
今なら承認欲求モンスター扱いされてたのだろうなあ。生まれるのが100年遅かった
川端康成も自殺。この頃の人の死生観は今とは違うのだろう
村上春樹も自分で話しているがアメリカの出版社に地道に売り込みをかけていた。大江健三郎はどちらかと言うと海外の文学者、研究者との交流のなかで広がったようだ。ゴッホは死後に弟嫁が巧みに売り込んだ。
晩年には候補にならなくなっていたのは、作家としての生命力も衰えていたということなのかな。
日本に来ている欧米人と話するとだいたい三島を読んでいたりするので、売り方次第で受け入れられる素地はあったんだろうな。
死んだとき45歳だろ? ノーベル賞諦めるには早すぎるだろ
作家にも営業力が必要なんだなー
なんか、ノーベル平和賞を取れないトランプが暴れまわっているのと同じ匂いがする。
芸術家って自分を評価しない世界への恨みが無限に高まるよね。自分だって知らない画家なんて死ぬほどいるのに。認知の歪み怖い。
川端康成は手が見送ってなかったよね?
47通もみつかった。
太宰の芥川賞を認めなかった川端が、後にノーベル文学賞を受賞。その陰で三島は受賞を意識し続け、川端受賞に落胆する。賞と承認をめぐる文学史の因縁を感じる。
「芥川賞をとり東京の文壇で認められること」をめぐる太宰治の醜態を三島が嫌ったのは「ノーベル賞をとり欧米の文壇で認められること」をめぐる三島自身の醜態と似ていたから。どちらにも川端が関与していたのは因果
お亡くなりになるときの演説中も皆ざわざわ私語しまくりで聴けやとキレてたし何だか哀れだな
最後までもがいて足掻いてたんだなぁ。何がそうさせたのか、コンプレックスか、美意識か、理解の無い世界への怒りか。
“今回見つかった三島由紀夫の手紙は、アメリカ・ニューヨークの出版社で当時、三島を担当していた編集者、ロバート・マクレガー氏にあてられたもので、合わせて47通にのぼります。 ”
太宰が芥川賞は自分にと選考委員の佐藤春夫や川端康成に懇願する手紙を送ってたが三島はノーベル賞か。東大全共闘との討論とか見ると硬派で理性的だったし太宰は嫌いだったそうだけどタイプは真逆だが実は同属嫌悪?
ノーベル文学賞に未練があったらしいことは周知の事実。受賞者川端康成への複雑な心境など。
三島由紀夫 米出版社にあてた手紙多数発見 自身の作品売り込む | NHKニュース
しかしよりによって『憂国』かよ…
“三島の名前はその翌年の1970年もあがっておらず、結局、その年に亡くなり” 亡くなり……
ノーベル文学賞を取りたかったんだろうなあ
三島由紀夫がアメリカの出版社の編集者あてに英語で書いた直筆の手紙、40通余りがNHKの取材で見つかりました。 作品の海外での評価に一喜一憂したり、自身だけでなく石原慎太郎を売り込むような記載もあり興味深いです
ノーベル賞を取れてたら、市ヶ谷の事件は起きなかったんだろうか?
自分を売る
右は常にアメリカに向いているってことか
今なら承認欲求モンスター扱いされてたのだろうなあ。生まれるのが100年遅かった
川端康成も自殺。この頃の人の死生観は今とは違うのだろう
村上春樹も自分で話しているがアメリカの出版社に地道に売り込みをかけていた。大江健三郎はどちらかと言うと海外の文学者、研究者との交流のなかで広がったようだ。ゴッホは死後に弟嫁が巧みに売り込んだ。
晩年には候補にならなくなっていたのは、作家としての生命力も衰えていたということなのかな。
日本に来ている欧米人と話するとだいたい三島を読んでいたりするので、売り方次第で受け入れられる素地はあったんだろうな。
死んだとき45歳だろ? ノーベル賞諦めるには早すぎるだろ
作家にも営業力が必要なんだなー
なんか、ノーベル平和賞を取れないトランプが暴れまわっているのと同じ匂いがする。
芸術家って自分を評価しない世界への恨みが無限に高まるよね。自分だって知らない画家なんて死ぬほどいるのに。認知の歪み怖い。
川端康成は手が見送ってなかったよね?
47通もみつかった。
太宰の芥川賞を認めなかった川端が、後にノーベル文学賞を受賞。その陰で三島は受賞を意識し続け、川端受賞に落胆する。賞と承認をめぐる文学史の因縁を感じる。
「芥川賞をとり東京の文壇で認められること」をめぐる太宰治の醜態を三島が嫌ったのは「ノーベル賞をとり欧米の文壇で認められること」をめぐる三島自身の醜態と似ていたから。どちらにも川端が関与していたのは因果
お亡くなりになるときの演説中も皆ざわざわ私語しまくりで聴けやとキレてたし何だか哀れだな
最後までもがいて足掻いてたんだなぁ。何がそうさせたのか、コンプレックスか、美意識か、理解の無い世界への怒りか。
“今回見つかった三島由紀夫の手紙は、アメリカ・ニューヨークの出版社で当時、三島を担当していた編集者、ロバート・マクレガー氏にあてられたもので、合わせて47通にのぼります。 ”
太宰が芥川賞は自分にと選考委員の佐藤春夫や川端康成に懇願する手紙を送ってたが三島はノーベル賞か。東大全共闘との討論とか見ると硬派で理性的だったし太宰は嫌いだったそうだけどタイプは真逆だが実は同属嫌悪?
ノーベル文学賞に未練があったらしいことは周知の事実。受賞者川端康成への複雑な心境など。