「ドーナツを回転させたとき、その穴も一緒に回転しているのか?」という問いも面白い
穴は空間なのに移動するのかって話か。 トイレットペーパーの芯を持って移動したら、トイレットペーパーの芯の穴を構成する要素は全部移動してるのかって話やな。物理学とか学問によって答えが違いそう。
こういう思考ができない人に理論物理学は難しい。
「影は移動するのか」と似たようなことかな
こういう哲学的な問いに対して反知性的なコメントつけるような人間にはなりたくないんだけど、それを考えることに何の意味があるのか、自分の言葉で説明できないので何も言えない。何が分からないのか分からない。
電流を、+電荷が正極から負極に流れると捉えるみたいな発想
全く関係ないけどびっくりしたのは技術の発展は「人命の値段と関係ある」。一例は水のジェット噴射は炭鉱で期待された技術だけど、開発費が人命の値段に比するまで開発が進まなかったとのこと。他には鉄鋼の安全性
このような問いは「知能とは何か」という本質を定義し、社会判断の倫理的基準を与えるために役立っている。形而上学が概念の枠組みを整理し、哲学が正しい判断倫理を導くことで、安全で高度なAIも生まれる。
分からなすぎてなぜかちょっとキレてる人いるの面白いな
本題とはずれるけど、鼻の穴って意外と粘膜やら毛やらで密集していて「無」の空間って感じはない
鼻の穴というものはない
ゼロの再発明やろ インド人に著作権の使用料払えよ
"最近だと「世界には親のいない子が大勢いるのに、その子たちを差し置いて自分の子を産み育てることは倫理的に正当化できるか」です。"←これは考えたなー。まぁ、妻の意志を優先する、と決めたが(保守派の意見です)
何言ってんだくだらねえ。
度肝を抜かれるような話か?しょうもない。
定義がシステムを決める。定義による
こういう思考大好きだったのにな。なんで学問の道やめたのかもう思い出せない。
鼻の穴も哲学の深淵に飛び込むとは、さすがは人間の知恵ですわね。思考の冒険、楽しみですの!
最近、鼻毛カッターを買った。便利すぎて、もっと早く買えばよかった。
こういう問いに対して、意味がないとか税金の無駄って切り捨ててよいと決めつけてしまえる感覚は非常に危うい。
鼻の穴限定の議論ではないと思うが、鼻の穴にこだわってしまう人は当然に多いだろな
「移動する」は常識なのだから、それより「鼻の穴が移動しない」とはどういうことなのかを考えるべき。
「ない物なのに名前がついているもの」の事かな。土踏まずも置いていかれるかな。
ゲージ粒子の話?
哲学の入り口は早めに叩いた方がいいと思う。思考の深さが変わる。触れるのが遅くなるほど心の振れ幅が小さくなる。できればその前に!
”大学でやる必要があるか”については議論の余地ありと思う。なんでも許容するわけではないはずだからね
加地大介 「穴と境界」がこういう話ですよ
こういうのやってる人たちは学費4倍とかにしていいと思う →このコメントをした思考どうなってんだろう?
意味があるものと意味がないものを分かつものって何なんだろ。これに意味があって職場の飲み会は意味がないとしたとき、反対の意見の人もいて、それが主観に依るものなら、相手を無知と罵るのはどちらもできなくね
大学の教養でちょっと哲学に触れたけど、こういう哲学的な問いを考えるというより過去の哲学者が言ってた内容の意図を文献の内容から考察するのが主な内容でなんか思ってたのとちがうってなった
定義を疑う習慣を身につけよと言ってるに過ぎないのでは?
でこぼこフレンズのアナグマは衝撃的だったな。穴を持ち歩くことができるんだから。
哲学は考える力を育むと思う
大学の授業で聞いて一番度肝を抜かれた問いは、「人が移動するとき、その人の鼻の穴も移動するのか」だった→日常の当たり前を根本から疑う視点が面白い「形而上学では?」
「ドーナツを回転させたとき、その穴も一緒に回転しているのか?」という問いも面白い
穴は空間なのに移動するのかって話か。 トイレットペーパーの芯を持って移動したら、トイレットペーパーの芯の穴を構成する要素は全部移動してるのかって話やな。物理学とか学問によって答えが違いそう。
こういう思考ができない人に理論物理学は難しい。
「影は移動するのか」と似たようなことかな
こういう哲学的な問いに対して反知性的なコメントつけるような人間にはなりたくないんだけど、それを考えることに何の意味があるのか、自分の言葉で説明できないので何も言えない。何が分からないのか分からない。
電流を、+電荷が正極から負極に流れると捉えるみたいな発想
全く関係ないけどびっくりしたのは技術の発展は「人命の値段と関係ある」。一例は水のジェット噴射は炭鉱で期待された技術だけど、開発費が人命の値段に比するまで開発が進まなかったとのこと。他には鉄鋼の安全性
このような問いは「知能とは何か」という本質を定義し、社会判断の倫理的基準を与えるために役立っている。形而上学が概念の枠組みを整理し、哲学が正しい判断倫理を導くことで、安全で高度なAIも生まれる。
分からなすぎてなぜかちょっとキレてる人いるの面白いな
本題とはずれるけど、鼻の穴って意外と粘膜やら毛やらで密集していて「無」の空間って感じはない
鼻の穴というものはない
ゼロの再発明やろ インド人に著作権の使用料払えよ
"最近だと「世界には親のいない子が大勢いるのに、その子たちを差し置いて自分の子を産み育てることは倫理的に正当化できるか」です。"←これは考えたなー。まぁ、妻の意志を優先する、と決めたが(保守派の意見です)
何言ってんだくだらねえ。
度肝を抜かれるような話か?しょうもない。
定義がシステムを決める。定義による
こういう思考大好きだったのにな。なんで学問の道やめたのかもう思い出せない。
鼻の穴も哲学の深淵に飛び込むとは、さすがは人間の知恵ですわね。思考の冒険、楽しみですの!
最近、鼻毛カッターを買った。便利すぎて、もっと早く買えばよかった。
こういう問いに対して、意味がないとか税金の無駄って切り捨ててよいと決めつけてしまえる感覚は非常に危うい。
鼻の穴限定の議論ではないと思うが、鼻の穴にこだわってしまう人は当然に多いだろな
「移動する」は常識なのだから、それより「鼻の穴が移動しない」とはどういうことなのかを考えるべき。
「ない物なのに名前がついているもの」の事かな。土踏まずも置いていかれるかな。
ゲージ粒子の話?
哲学の入り口は早めに叩いた方がいいと思う。思考の深さが変わる。触れるのが遅くなるほど心の振れ幅が小さくなる。できればその前に!
”大学でやる必要があるか”については議論の余地ありと思う。なんでも許容するわけではないはずだからね
加地大介 「穴と境界」がこういう話ですよ
こういうのやってる人たちは学費4倍とかにしていいと思う →このコメントをした思考どうなってんだろう?
意味があるものと意味がないものを分かつものって何なんだろ。これに意味があって職場の飲み会は意味がないとしたとき、反対の意見の人もいて、それが主観に依るものなら、相手を無知と罵るのはどちらもできなくね
大学の教養でちょっと哲学に触れたけど、こういう哲学的な問いを考えるというより過去の哲学者が言ってた内容の意図を文献の内容から考察するのが主な内容でなんか思ってたのとちがうってなった
定義を疑う習慣を身につけよと言ってるに過ぎないのでは?
でこぼこフレンズのアナグマは衝撃的だったな。穴を持ち歩くことができるんだから。
哲学は考える力を育むと思う