「そういうの考えると」から一気に飛躍して論理が無だけど、原始仏教と日本仏教が別物なのはそう。
原理主義的な仏教徒は実際に「骸は野辺に捨てておけ」等と言うわけだが、そこで見落とされがちなのが「葬儀とは死んだ本人のために行うものではなく、遺族や地域社会のための儀式である」という視点だろう。
日本仏教は仏教ではないなにかだからな。なんでも方便って言ってれば全てが通るガバガバ教なのよ
原始仏教からするとメチャクチャなので、遠い親戚の別宗教と割り切るしかないし、大多数の人は悟ってないので葬儀が必要だという事実を噛み締めるしかない。
何で増田は死んだ人間に縋りついているの?
輪廻天性が仏教の教えにはなかったはずなので。。。
「遺族のため」とかいうセールストークを間に受けるかどうかはさておき、アビリーンのパラドックス的な状況になってるかもね(死者も遺族もどちらも欲してないのに「相手が葬式したがってる」と思ってる)
坊さんの権威に金払うのは進まないので戒名は理解しがたいけど、葬式は残された人のためなので、残された人が戒名で納得するなら良いのでは
大乗仏教が「浄土」を想定することについての論争は、2000年にわたって繰り広げられていることなのだそうです。
ぼくのかんがえた仏きょう
キリスト教だってイエスの教えからだいぶ離れてるし、宗教なんてそんなものでしょ
祖霊信仰が篤い中国で仏教が浸透するにあたって「先祖の祀りどうすんだ!」という不安の声に応えてでっち上げたのが仏式の葬式。日本には中国経由で仏教が伝来したので本来不要なものまでついてきちゃったんだね。
日本仏教は神道ができなかった「死者の封印」をやるために輸入された宗教。葬式(初七日、49日などの死者を着実にあの世送る儀式)は当然やる。
ウパニシャッド哲学と仏教を混同しているように思える。自分で悟りを開くのも手だが仏様や菩薩さまがよってたかって悟ったことにしてくれるみたいな側面もあるんだだから修行するんじゃなくて菩薩や仏にすがるんだぞ
神道的な死生観に仏教のフォーマットを被せたのがよく見る葬式の形という理解。
葬式を「ふだん会えない人と会って酒を飲む機会」と捉えてるウチの兄貴みたいな人にとっては、仏教的に要らんことでも自分的には要るんやろ。土葬の頃は、儀式めいたものでもないとやってられんというのはあったはず
仏教の教義と葬祭儀礼は別物 / とはいえ寺院経営的には葬祭で稼ぐ必要がある (ようだ)。/ 他の宗教に改宗するか無宗教の人になればいい。海外でも無宗教の立場の人は増えているらしい。
葬式必要か不要かにこだわらない事が仏教的
その価値観においても、住むトコ変わるんだから送別会くらいはしてもいいんじゃね?いや戒名に金出させるのはカルト仕草だと思うけど
輪廻が機能するには生き方をジャッジして生まれ変わりや解脱を決める存在が必要なんだけど、そんな絶対的な価値観を提供する存在は理屈の上では神しかいないので、神なしの仏教での輪廻の存在って論理破綻だよね
とはいえ人間の死を扱えないとまともな宗教として根付かないという話はある。新宗教が世代を超えて定着するには葬儀を司れることが重要
毒ガス撒くなよー('A`)
一番信者が多い浄土真宗は、往生即成仏なので死者のために祈る必要はないはず(増田の言う逆の意味で)。うちの坊さんは「死者の思い出を語らう場」とか言ってた。墓とか盆とかも要らないハズなんだが。
生きてた時の不義理を詫びると口で言いながら葬式に出たことで重荷を下ろしたとばかりに生き生きする人を見ると「生きてるうちになんで来なかった」的な感想も。つまり生者のための儀式だなと。
せやで
葬式をきっかけに親族が集まる機会というのは必要だとは思うが、儀式としてはもう終わりに近いかもね。
日本仏教でもそもそも葬儀はなかった。仏教が葬儀をするようになったのは、社会からの要請があったからで、仏教が望んだのではない。社会が必要としなくなればなくなるでしょう。ちなみに浄土真宗は戒名はないです。
仏教の本質だけを厳密に追求すれば、悟った人にとって形式的な葬儀は不要。親族や関係者全員が「悟りを開いた人」ならな。
戒名はなくとも法名はありますから
完全に正しい。葬式は人のためにやるもの。つまりはビジネス。
人類の歴史、これまで死んだ人の数を考えると、葬式してる人よりしてない人のほうが圧倒的に多いんじゃないかな。で、この先未来永劫その差は埋まらないと思う
唯物論のソ連においても葬式はあったので、仏教において必要ないと言うか、むしろ葬式こそが人間にとって必要みたいだ
仏式の葬式は平安時代から鎌倉時代にかけて既にあったようなのでわりと歴史があるんだよな。
葬式は「この方が亡くなりました」のお知らせ会だと思っている。結婚式は「結婚しました」のお知らせ会。戒名いらないは同意
仏教ってそもそも論だと先祖崇拝とかもなかったはずで、現代日本の仏教儀式とされてるものは原始仏教から見ると違くね?となってるだろうなと。
その通り。特に戒名なんて執着以外の何物でもない
まあ、いらんわな。遺族の受容段階としての行事なら分かるが、それなら葬式である必要はない。遺体処理で良いはずだね。
エンジョイ勢的にはいるんやからしゃーない
どういう論理なのかわからんし、素人が考えることは既に考え尽くされてる
大乗仏教は、ほぼほぼヒンドゥー教。民衆にウケている部分をまるっと仏教に取り込んだ。悟りで輪廻から逃れるのもヒンドゥー教。仏教は悟り不要で現世の苦しみから脱する法を説いたがウケなかった。
寺院建築とか町の小さい寺でもある御荘厳とかが維持できなくなってくると、日本衰退が目に見えて、やーな感じになってくるので、お布施はしましょうよ、皆さん。もちろんこれも仏教的には妄執。ぎゃーていぎゃーて…
葬式は仏教というより中国の道教由来
現世利益、現世利益。死んだ人よりは残された人の納得のためなんかな。個人的には不要。高いし。
天人五衰を味わいにいこうや
仏教の葬式で祈ってることは天国に行くことではなくて解脱して浄土に行くこと(菩提)だし、その修行のために僧の弟子にしてもらってる(戒名)ので矛盾はない認識
葬式いらんだろ仏教的に
「そういうの考えると」から一気に飛躍して論理が無だけど、原始仏教と日本仏教が別物なのはそう。
原理主義的な仏教徒は実際に「骸は野辺に捨てておけ」等と言うわけだが、そこで見落とされがちなのが「葬儀とは死んだ本人のために行うものではなく、遺族や地域社会のための儀式である」という視点だろう。
日本仏教は仏教ではないなにかだからな。なんでも方便って言ってれば全てが通るガバガバ教なのよ
原始仏教からするとメチャクチャなので、遠い親戚の別宗教と割り切るしかないし、大多数の人は悟ってないので葬儀が必要だという事実を噛み締めるしかない。
何で増田は死んだ人間に縋りついているの?
輪廻天性が仏教の教えにはなかったはずなので。。。
「遺族のため」とかいうセールストークを間に受けるかどうかはさておき、アビリーンのパラドックス的な状況になってるかもね(死者も遺族もどちらも欲してないのに「相手が葬式したがってる」と思ってる)
坊さんの権威に金払うのは進まないので戒名は理解しがたいけど、葬式は残された人のためなので、残された人が戒名で納得するなら良いのでは
大乗仏教が「浄土」を想定することについての論争は、2000年にわたって繰り広げられていることなのだそうです。
ぼくのかんがえた仏きょう
キリスト教だってイエスの教えからだいぶ離れてるし、宗教なんてそんなものでしょ
祖霊信仰が篤い中国で仏教が浸透するにあたって「先祖の祀りどうすんだ!」という不安の声に応えてでっち上げたのが仏式の葬式。日本には中国経由で仏教が伝来したので本来不要なものまでついてきちゃったんだね。
日本仏教は神道ができなかった「死者の封印」をやるために輸入された宗教。葬式(初七日、49日などの死者を着実にあの世送る儀式)は当然やる。
ウパニシャッド哲学と仏教を混同しているように思える。自分で悟りを開くのも手だが仏様や菩薩さまがよってたかって悟ったことにしてくれるみたいな側面もあるんだだから修行するんじゃなくて菩薩や仏にすがるんだぞ
神道的な死生観に仏教のフォーマットを被せたのがよく見る葬式の形という理解。
葬式を「ふだん会えない人と会って酒を飲む機会」と捉えてるウチの兄貴みたいな人にとっては、仏教的に要らんことでも自分的には要るんやろ。土葬の頃は、儀式めいたものでもないとやってられんというのはあったはず
仏教の教義と葬祭儀礼は別物 / とはいえ寺院経営的には葬祭で稼ぐ必要がある (ようだ)。/ 他の宗教に改宗するか無宗教の人になればいい。海外でも無宗教の立場の人は増えているらしい。
葬式必要か不要かにこだわらない事が仏教的
その価値観においても、住むトコ変わるんだから送別会くらいはしてもいいんじゃね?いや戒名に金出させるのはカルト仕草だと思うけど
輪廻が機能するには生き方をジャッジして生まれ変わりや解脱を決める存在が必要なんだけど、そんな絶対的な価値観を提供する存在は理屈の上では神しかいないので、神なしの仏教での輪廻の存在って論理破綻だよね
とはいえ人間の死を扱えないとまともな宗教として根付かないという話はある。新宗教が世代を超えて定着するには葬儀を司れることが重要
毒ガス撒くなよー('A`)
一番信者が多い浄土真宗は、往生即成仏なので死者のために祈る必要はないはず(増田の言う逆の意味で)。うちの坊さんは「死者の思い出を語らう場」とか言ってた。墓とか盆とかも要らないハズなんだが。
生きてた時の不義理を詫びると口で言いながら葬式に出たことで重荷を下ろしたとばかりに生き生きする人を見ると「生きてるうちになんで来なかった」的な感想も。つまり生者のための儀式だなと。
せやで
葬式をきっかけに親族が集まる機会というのは必要だとは思うが、儀式としてはもう終わりに近いかもね。
日本仏教でもそもそも葬儀はなかった。仏教が葬儀をするようになったのは、社会からの要請があったからで、仏教が望んだのではない。社会が必要としなくなればなくなるでしょう。ちなみに浄土真宗は戒名はないです。
仏教の本質だけを厳密に追求すれば、悟った人にとって形式的な葬儀は不要。親族や関係者全員が「悟りを開いた人」ならな。
戒名はなくとも法名はありますから
完全に正しい。葬式は人のためにやるもの。つまりはビジネス。
人類の歴史、これまで死んだ人の数を考えると、葬式してる人よりしてない人のほうが圧倒的に多いんじゃないかな。で、この先未来永劫その差は埋まらないと思う
唯物論のソ連においても葬式はあったので、仏教において必要ないと言うか、むしろ葬式こそが人間にとって必要みたいだ
仏式の葬式は平安時代から鎌倉時代にかけて既にあったようなのでわりと歴史があるんだよな。
葬式は「この方が亡くなりました」のお知らせ会だと思っている。結婚式は「結婚しました」のお知らせ会。戒名いらないは同意
仏教ってそもそも論だと先祖崇拝とかもなかったはずで、現代日本の仏教儀式とされてるものは原始仏教から見ると違くね?となってるだろうなと。
その通り。特に戒名なんて執着以外の何物でもない
まあ、いらんわな。遺族の受容段階としての行事なら分かるが、それなら葬式である必要はない。遺体処理で良いはずだね。
エンジョイ勢的にはいるんやからしゃーない
どういう論理なのかわからんし、素人が考えることは既に考え尽くされてる
大乗仏教は、ほぼほぼヒンドゥー教。民衆にウケている部分をまるっと仏教に取り込んだ。悟りで輪廻から逃れるのもヒンドゥー教。仏教は悟り不要で現世の苦しみから脱する法を説いたがウケなかった。
寺院建築とか町の小さい寺でもある御荘厳とかが維持できなくなってくると、日本衰退が目に見えて、やーな感じになってくるので、お布施はしましょうよ、皆さん。もちろんこれも仏教的には妄執。ぎゃーていぎゃーて…
葬式は仏教というより中国の道教由来
現世利益、現世利益。死んだ人よりは残された人の納得のためなんかな。個人的には不要。高いし。
天人五衰を味わいにいこうや
仏教の葬式で祈ってることは天国に行くことではなくて解脱して浄土に行くこと(菩提)だし、その修行のために僧の弟子にしてもらってる(戒名)ので矛盾はない認識