これをその場のノリで言えちゃうのが宗教が科学からは程遠いところで庶民に宗教が受け入れられたところ
>科学が「なぜそうなるのか」(略)仏教も「どうすれば苦しみを越えられるのか」(略)方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。 上手い説法、立場が異なるものを双方納得させるような話だな、と
弥勒菩薩はミトラ神が元なので仏教ではないでしょ
認知できないものを扱うのが宗教或いは呪術。主観的には認知できるが客観的には認知できないものは哲学、主観でも客観でも認知できるものを科学、が扱うという認識。
仏教はともかく、インド哲学は理論と体系があるんじゃないか
“「果てしない時間をかけても、人間の心は必ず成長し、悟りに至る」という象徴的なメッセージなんです。”Xでよくいる驚き屋がこの時代にもいたわけですね
自然現象など当時の人類に理解できなかったものの原因を求めるところから始まったと考えれば、十分科学的探究であったと言える。
自分をとりまく宇宙について主観と客観という裏表の関係だよね
枝分かれが進んだだけで、昔は神学があったくらいだからな~。
仏教と他の宗教は全く違うよ。
坊さんはその場の力学に敏感なのでめちゃくちゃ非科学的なこと言い出したり仏教じゃねーじゃんみたいなこと言い出したりする
語りうるものと語りえぬもの。
お坊さんお話上手だよね
科学とかけて宗教と解きます。その心は、どちらもシンリを扱うでしょう…みたいな話?(適当)
「色即是空、空即是色」には「物質とエネルギー」に対しての非常に深い洞察が秘められているように思う。
いや対極だと思うが…。客観性、再現性を厳密な方法で証明している科学と、客観性も再現性も根拠も乏しい宗教が、真理を求める探究心は同じだから似ているなんて宗教を良く言い過ぎ。宗教と科学は交わらないよ
大長編ドラえもんで出木杉君が医術や科学が元は錬金術や魔術だったと話してたなあ
何言ってるのか全然わからなかったけど、歴史的には「宗教→哲学→科学」じゃないの? 宗教を反証的に思考したのが哲学、哲学による思考を実証したのが科学、では? つまり、現代において宗教はクソカス。
囚人のジレンマと輪廻転生が繋がっているのではという指摘が面白くて気に入ってる https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2022/11/post-100074_2.php 昔、宗教の効果をそのうち科学が説明すると話された時はなるほどと思った
弥勒菩薩の扱いが経典で違う(法華経では釈迦から叱られてる)からねえ。初期仏教だと哲学に近いかもね
弥勒信仰はミトラ教由来で釈迦が生きてた頃の原始仏教にはない考え方なのよ。だからといって現代日本で主流の大乗仏教・密教の流れを否定しないけれど。仏教は科学というより科学者の倫理リテラシーに近いと思う。
むしろ大学の教授のほうがそのへんのことを真剣に考えてるから、笑って聞いててくれそう
ハラリみたいな話だよね
土台が公理なのが数学、実証実験なのが科学、神様がそう言ってましたーなのが宗教で、その後理詰めで組み立てるのは一緒
かつて今より観測事実が少ないなりに世界の成り立ちを説明しようとした仮説がいまの宗教になっている。現在の科学的事実の一部も数百年後には宗教のくくりに入れられていそう。
対極とも思わないけど
科学と宗教が交差する時、物語は始まる
最近読んだ若い読者のための哲学史割と良かったよ
説法の目的を理解してる方は話がうまいよね、やっぱり 戦争の口実作るためのアブラハムの宗教とは、始点が全く違う
弥勒菩薩の話はむしろ「ほぼ永遠に救われない」感もある。
科学のこと何にも分かってなさそう。科学の構成要件というか、何が科学で何が科学でないか、科学的とは何かを全く考えていない。『何故』があったり根源解明しようとしてたら全て科学だと思っているのか?
キリスト教とかいう科学に真っ向から対立して弾圧と異端審問で屍積み上げてきた宗教が幅利かせてるせいで、本来の宗教(とくに仏教)はそういうもんだよね。
話術として面白い。
浄土真宗なんかは祈っている自分を疑うみたいな話もあるけど、総じて宗教は教義から逸脱することを許さない時点で新しい発見を取り入れる科学とはちがうと思うね
話が上手いお坊さんだ。でも実際、経を読む上手さは素人には分からないので、話が上手い方がコアコンピタンスなのは間違いない。(親戚の葬式に来たお坊さんは話が下手すぎて墓じまいを検討するレベルだった)
nullより先に空という概念を残した宗教は言うことが違うなあ
科学と対極といわれると、宗教ではなく神学だと思う。宗教は信仰なので。
対極というか別のもの。共存しうるけど、対立もしうる。
未だ果てが見えぬもの(宇宙とか)に比べれば我々の生来の悩みなど塵芥より些細なことにすぎないみたいな観点は共通してるかもね。
科学も宗教の一種です
宗教は戒律や説法を発祥地や定着地と照らし合わせるとかするとちゃんと科学になるじゃん
弘法大師が溜池作る土木工事やってたりするので、科学的知見や生産手段、衛生概念の世代間継承の仕組としてとらえると、(既存の)宗教はうまく作られてると思うぞ。
これほどの法話ができる和尚はなかなかいない。これもちゃんと金かけた証拠だな。
まず対象が形而上的なものか形而下的なものかというところで線が引けて(それは何か/それはどう振る舞うのか)、前者をさらにその手法から宗教と哲学に分けることができ、後者がそれぞれ諸科学に分類される
アートマン(魂)を否定したブッダの思想は科学的態度なのでは。
科学は方法が9割
曼荼羅と電子顕微鏡で見た原子とか、空即是色 色即是空とか。弥勒菩薩の話も太陽系の寿命と近くって思い悩む必要が無い時って意味でリアル過ぎる。
ちょっとかじるだけでも分かるが、仏教はかなり理屈っぽく、四諦・八正道など4や8が好きで理系脳との親和性も高い。これははたして宗教なのか悩むくらい。修行や戒律が有ると、やっとああ一応宗教なんだなと思えるが
観察に基づく論理的帰結
科学が「なぜそうなるのか」を追い求めるように、 仏教も「なぜ人は苦しむのか」「どうすれば苦しみを越えられるのか」を問い続けてきました。 方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。
量子力学を突き詰めてくと色即是空空即是色みたいな概念が出てくる奴
そもそも日本の仏教の僧侶は国家公務員で、外国語は当然として土木工学科などに精通してた。今の妻子持ちの世襲制で何の苦労なく冷暖房完備の立派な家を建て、庶民の苦労など気にもしないゴルフ三昧の外道とは違う。
アインシュタインも「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である」と言ってるし、科学と宗教は両輪なのよね。科学の力で長生きはできるが、正しい生き方までは示してくれない。
陛下、私には神という仮説は不要なのです。
科学者でも宗教家でもこれを言い出したら、だいたい何かに行き詰って他分野に助けを求めている状態だと思う。そして、他分野ではただの素人なのに、なぜか専門分野と同ランクだと思い込む。
科学は哲学から分かれたもので、だから博士号は「Ph.D.(Doctor of Philosophy)」と言うのだ
科学とは検証、再現性のある実験結果の集合体であって宗教と重なるところなどないと思うが…。まあ坊さんなんか宗教を検証しようとしないから、仕方ないだろうが…
大乗仏教はヒンドゥー教の庶民ウケする要素を移植した宗教で、本来の仏教から遠く離れている。その象徴が弥勒菩薩と言える。そも仏教自体が方便という嘘で本来の姿が分からなくなったもので科学とは対極にある。
方便でしょや
坐禅(瞑想)なんかもそもそも試行錯誤と実験の産物だし、後追いで科(化)学的にも裏付けられた好例だろう。流行前からやってて人にも勧めてたんだが、当時はオカルト扱いでダルシム呼ばわりされた。
自然を解明するのが科学なのではなく、解明するためにどのような手法をとるかの枠組みが科学。解明したいという人間の根源的な欲求に対して、宗教と科学は異なるアプローチと枠組みで寄与している。
ダンブラウンの天使と悪魔が、ここらへんの話に触れていたよ
理想的な宗教がそれを目指しているとしても、現実の宗教は盲信と不寛容の元になってしまっているのではないかな。
宗教に経験則によるルールを強制するにあたり必要な納得を引き出すための手軽な旗印としての側面があるのは事実で、その経験則にしばしば科学的な整合性があるのも事実では。科学の極致こそ神の業とも言える訳で。
厳しい環境で生き残るための宗教と、とりあえず死なない環境で哲学から発展したような宗教は区別したほうが良い
量子学の人は宗教に目覚めるとか嘘松思い出した
仏教から方便とか密教を排除してからにしてください。
対極ではないのよね。同床異夢というかなぜなにに対しての解決のアプローチが違うだけで。科学が宗教にも影響を与えるし宗教の疑問が科学によって解決する場合もある。
映画「コンタクト」を観ましょう >方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。
科学的探究心を育てたのはキリスト教といえる。仏教はどちらかというと自身の内面に光を当てている。キリスト教は科学とぶつかり合ってその後取り込むが、仏教はぶつかることなく、科学が入る余地を残していた。
宗教と科学が対極と思われがちって、まあそりゃ学生までなら…と思ったけどトップに「いや対極だ」が来ててア~これか~ってなった。id:todays_mitsui氏、id:kudoku氏に同意。
個人的には対極とは思わないんだよね。昔は宗教の世界観が科学の"仮説"として機能してたわけだし。漫画「チ。」をみてもそう思う。
とは言っても科学が進めば神は退がる。「神は継続的に後退中」そして隙間の神
仏教の場合は、特に神を重視する訳じゃないしね。キリスト教、イスラム教なんかとはだいぶ違うよ。
数字が入ってるからそれっぽく聞こえるだけで科学的手法も発想もどこにもない。対極とか、対立構造に持っていかなくても宗教の意義や役割は十分説明できると思う。個人的には要約のせいか、いい説法とは思えなかった
科学と宗教を対立的概念だと考えるのはあまりにもウブな現代人的発想、もしくはそういうマンガを鵜呑みにしすぎ。実際は印刷技術の発展に伴うゆるやかでグラデーション的な変化だ。
哲学から出発した科学と、哲学要素の強い仏教がアプローチ近いと言うのはそうだと思う。ただ、科学は人間の幸福をゴールとしないけど、宗教は人間の幸福がゴールなので向かう先は違うんよね。
地球人が別の星に移住してたら、約50億年後に弥勒菩薩様に会えるのか
カントが科学を定義した意味が理解できてないようですね
なんか仏教ってアンチサイエンスを口走る印象ないんだが買いかぶり過ぎだろか
地動説を発見したコペルニクス:カトリックの司祭。ビッグバン理論を発見した一人のジョルジュ・ルメートル:カトリックの司祭。という人類の宇宙のパラダイムを2度も変えた二人がカトリックの司祭っていう現実よな
AI研究の黎明期には仏教理論の影響が多々あって、ミンスキーの心の多層レイヤー構造は唯識の影響が指摘されている。「釈迦は偉大な心理学者だ」とも言ってる。その程度のことも知らない人が対極だとか言ってるのよ。
全然違うよ。ポパーの反証可能性の有無が、決定的に両者が異なっていることを示している。
「イスラム教徒が豚を食べないのは、中東の衛生状態の中で食の安全を担保するため」みたいな話が仏教にもあるのかなと思ったら違った。
原始仏教は認知科学に近いですよ。要するに「この世界が辛いのはあなたがこの世界が辛いと認識してしまうから。そう認識しないような方法(真理)を知った状態(涅槃)になれば救われる(解脱)」という教えなので。
仏教はもともと学問でしょ。衆生救済はまたちょっと違うけども。だからこそ修行不足で薄っぺらい法話をされるとものすごく腹が立つ。
宗教擁護する反科学界隈ヤバすぎて草
まあ人文科学であって自然科学じゃないってだけだよね
本来的に、坊さんというのは当代随一の学者(なお地域の)の立ち位置でもあるので、このくらいの説話はできないといかんのだよな
イスラム法学者にも聞いて欲しい。コーランと法の両方をやるの、さぞかし大変だと思う。
そもそも科学自体、「この世界は神が作り給うたものだから、森羅万象すべてに完璧で美しい法則があるに違いない」という信念のもと発展してきたところがある
探求するのはいいけど、じゃあ壺買って幸せになる実証がされたのか?実証せずに能書きたれてるだけじゃん
科学的事実を「確かなこと」としているのもある種の信仰だろう
ちょっと何言ってるのかわからない。科学的な要素は特にないし、坊さんの話はありがたく聞く習慣があるのだな以外に、感想もない。
人類の未来って確定してるんだよね。そこに安心と確信はあるじゃないか。プッチ神父は何を心配していたんだろう。
宗教が科学のようになればID論みたいなことなるし、科学っぽさが宗教のようになれば偽科学になる。科学と宗教は別であって、またどちらも必要なものだ(無宗教は一種の宗教である)。真実と事実はちがうのだから。
確かに探求心があるという点では似ているけど、「宗教も科学」だとか、「科学も宗教」だとか言い出すのは危険。科学には再現性が必要という決定的な違いがある。
“科学が「なぜそうなるのか」を追い求めるように、 仏教も「なぜ人は苦しむのか」「どうすれば苦しみを越えられるのか」を問い続けてきました。 方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。 ”
少し話は違うが、現代日本でも「自業自得」みたいな宗教概念が無自覚に使われているように思う/非専門家にとって方法論はどうでも良くて結果だけ享受することは共通点かも
物語に熱心な人というのがかなりの割合で存在してるので、物語に乗せて本質的な戒律を普及させるための手段だったのが昔の宗教。物語に乗せて金回収手段になってるのが最近の宗教。
というより仏教というのが一神教とはまた違って哲学的なのよね。
喪に服すのは感染症の蔓延を防ぐ効果があったとか。/そも「宇宙」からして仏教用語でございまして
学問という意味では近いがこの話のどこに科学要素が?
宗教も哲学も科学も政治も信仰の名の下の探求として行われていたものが、少しずつ神様から分離して今の形になってる。宗教からの離脱は科学のテーゼの一つだけど、かと言って人類の探求の歴史を軽んじるものではない
仏教は基本的に学問だからな。現代では哲学的な要素が多いが、それは哲学以外の学問が仏教から独立していったせいで、基本的に学問やるなら仏僧になるのが王道ルートだった時代の方が長い
経験則や慣習は、法律や倫理の基礎になってたりするからなあ(プロセスが解明されて後世に不合理になる事もあるが)。儒教の後継者争いが壮絶になるくらいなら多少無能でも長男が継げも当時の処世術だし
科学と宗教、たびたび並べて論じられることが多いけれど、まったく違う分野なので無意味な気がする。とくに、科学を宗教的に、宗教を科学的に解き明かそうとするのは意味不明だし、詐欺的。
ジョルダーノ・ブルーノ、ガリレオ、ジェンナー、中世に薬草や民間医療の知識を持ち魔女と呼ばれて弾圧・虐殺された女性たち:「そうですね科学と宗教は対極ではないですねー(棒読み)」
今さらこんな事言ってみた所で、葬式宗教でしかない仏教はこの国では廃れるだけ。で、それに取って代わるのは、科学ではなく国家だの民族だのの物語という
科学と魔術が交差するとき、物語は始まる
弥勒菩薩が”56億7千万年後に現れ、人々に仏の教えを説き、人々を救済する”科学的根拠を示すことが出来るかどうか。
人間の作ったものはみな人間向けに都合よくちょうど良くなってますよね。
西洋科学はルネッサンス期のキリスト教ベースの、数学や天体運動の中に神秘が宿ってるはずって情熱で馬鹿みたいに発達したので、仏教よりもキリスト教やな
同じ宗教でも仏教とアブラハムの宗教じゃぜんぜん違うしな。信じることよりも考えることに重きを置いてる点で上座部仏教と哲学(広義の科学)は似ているかもしれないけど、大乗仏教はと言うと……。
“方法は違っても、根底には真理への探究心が共通”
仏教は元々宗教じゃなくて哲学だから。哲学は科学の一部をなす分野だから。
禅問答などは究極の主観を大乗的に360度大転換して客観に接続するというようなことをやっとるわけで、真逆というのはあまりに雑でつまんねーよ
庶民の四苦は飢渇暑寒、これを解決するのが科学。飽食した宗教家の四苦は生老病死、これに救済を与えるのが宗教。
対でありどちらも大事、でも対極であるが故に交わらない、で良いじゃない/もちろん境界もあり、多世界解釈とかはスレスレと思う人もいそう。けど当該分野の研究者が仮説を無謬だと思ってないのは大きな違いだと思う
21世紀にもなって宗教信じてるのは「親の職業を継いだだけ」か「それを利用する事で金儲けしてる」か「マジで宗教信じてる狂信者」のどれかなので、こういう説法に共感してる人は大分ヤバいので気をつけようね。
再現性、反論可能性がないので科学とは対極です。考え続けることの苦しみから逃げるために生み出されたのが仏教(解脱の思想)です。考えるだけなら文学も競馬の予想も同じです。
まあ信仰を持っている科学者や学者だってなんぼでもいるしなあ。
まあそういう大雑把な括り方をすると宗教や科学だけじゃなくいろんなものがそうだから・・・。立法・司法・行政とか経営とか。なんなら趣味の分野でも同じことが言える。
仏教は「人は自分で自由になるものは何もない」という事実を説いているだけなので十分科学的です。大乗仏教は知らない
優れた数学者は優れた哲学者でもある って感じのことを何かで読んだ。
宗教は医術を切り離した時点で科学とは袂を分かってるから、今更擦り寄ってこないでくれます?という感がある
科学は技術で、仏教は教え(考え方)で人を救おうとしているですね
究極まで科学が発展すると死んだ人間を生き返らせることも可能となる、といった希望的観測が含まれているとおもわれる
説法、説教は聞く側のメンタルやマインド、知識、その他で受け取り方が変わってくる。そういう意味で科学とは異なるだろうが背反の存在ではない。
むしろそもそも科学自体が一種の宗教だと思ってる
科学史の本は 1 冊も読んでないし、NHK 教育あたりでやってる大人の学び直し番組すら見たことないんだな…という事はわかった
宗教側が自分の教えの対極にある科学を否定しまくってるから対立が生まれるわけで
当時の最先端の社会科学というだけでは
科学に主観は求めないし、宗教に客観も求めないので棲み分けはされていると感じる。ハイブリッド型は警戒しちゃう。
摂理を追求している、という点では仏教もインド哲学体系も、科学も一神教もそうだと思うけれども、近世以後の科学的手法、特に自然科学の方法論と違っている部分があるのも、また否めない。
歴史的には土木・科学なんかの技術や文化・法律をエサにやってる感がある。お釈迦様はともかく中国との遣唐使とかはね。まぁ成功すれば宗教のおかげ、失敗すれば信心が足りないって便利な魔法よ。
こういう弁舌嫌いなのよね。思弁的活動は大半がみんなそうやろっていう。その中で科学とは何かって、方法論とか様々研究されてきたものであって解像度がちょっとね / 「根底には真理への探究心が共通しています」
どっちもリストラされた人の気持ちも、復帰方法も提示しないし、救われないわ
「世界の仕組みを説明したい・して欲しい」から始まったのは理解する。でも根拠を神様に置いちゃったから変えられなくなっちゃったんだよね。
哲学から神学と科学が分かれたんだからそりゃあね。
説法 仏教
科学と宗教が同じとか思ってるのは、科学の基礎である数学と論理学を理解出来ない文系のアホだけでしょ。数学⊃論理学なので、数学から逃げた文系に科学は理解出来ないんだよね
前提が間違っているものに後付でいくら理屈付けしたって糞は糞。詐欺師と変わらん。
仏教は神を語っていないしどちらかというと哲学に近い。哲学と数学は切り離せない。西洋の科学は世界を形成する神のルールを明らかにしようとしてスタートしている。ゆえにキリスト教と化学もまた近い存在なのだ。
力を持つとすぐに堕落し、時に政治の道具となり、差別や戦争を肯定してきた宗教が「良き生き方を教えてくれる」とは到底思えない。神は死んだ、超人にならねば…
初期仏教の無我や無常という考え方は、神経科学と繋がる部分が多いのでそういう話かと思ったら違ったでござる。葬式仏教を始めとする多くの宗教は、死への恐怖を金(と少しの道徳)で薄めようとする集まりですよ
実家にお経をあげに来てくれるお坊さんは元情報科学系の大学教授で、うちにあるラズパイ見て反応してくれたりしたな
近年話題になっている仏教と量子力学の話かと思ったら違った。
曼荼羅が宇宙っぽいのとか、庶民には分からん自然事象の科学っぽい話を分かるように説明しようとしてたら、宗教として伝わったとか解釈されてしまったみたいなのはあると思う。
宗教と科学は対極だが、それを取り持つ学問が哲学なのかも。
そもそも実証性、再現性を科学としたときに、それが現代でも100とは考えがたい。だから宗教と区別できるはずもない
お理工さんてこういうことか、とトップコメ見て納得するなど/仏教が「根拠を神様においてる」わけがない……てかほんと何でまったく何も知らない分野を知らないままばかにするんだろ。理系だとそうなっちゃうの?
クソ葬式仏教しかない日本の糞坊主が偉そうなこと抜かすな…と言ってみたりwまー、単なる気休めのクソ仏教と間違えたら最悪死ぬ科学と一緒にすんな、とは言える。本物の仏教の神髄を知りたきゃ『中論』を学べ。
日本では仏教を輸入した当時「学問」であったことは間違いない。
特に仏教は例えば「なぜ人生はこんなに苦しいのか」という問いから四苦八苦という分析があり、どうあるべきかに至るとか、思考の流れは近いものある。原始仏教は勿論、日本の仏教の歴史も理由を掘り下げると面白いよ
お坊さん、話すのが商売みたいなものだから結構面白い人たくさんいるのよね。(例外もいるけど)
この「ないし」は、「または」の意味で使われてるよね。どーもこの意味での使い方にはまだ違和感がある。お坊さんがそんな使い方するのかなぁ
思てたんと違った。イスラム教の肉食うなとか、左手は不浄で右手は清浄だから左手で飯食ったり握手したりしないとか、感染症を避ける為に生まれたような教義や習慣のことかと
科学と宗教、ウチら姉妹! たまにケンカするけど!
宗教と科学については似てるとこ探すよりも違うとこに注目した方が両方にとって実りがあると思うよ。対極ではないけど大きな違いがあり、その違いにこそ未開を拓く力がある。エセ宗教、エセ科学、おめーらは害悪だ
研究者と坊主どちらも口八丁うまいこといっていれば食っていけるってこと?
仏教って宗教じゃなくてライフハックだよね、とは思ってる。あれを宗教にした奴はみんなエセだろと。それが必要だった時代もあるかもだが。
宗教とは突き詰めれば社会の秩序であり科学とはそもそも評価軸が違う物なのでかならずしも対立するわけではない。
宗教も科学も、対極にあるのは矛盾
客観性のある研究と同じくらい主観性の研究も必要なんじゃない?人間には
人間の心の苦しみを科学するのが宗教ってことか
お金を集める手段として利用する人がいる点も共通しているね
お坊さんのお話、なんだか難しいにゃ。未来よりも今が大事って、ボクと一緒だにゃ!だって今すぐ撫でてほしいんだもん!ゴロゴロ喉を鳴らしちゃうにゃ。
医者と呪術師を同類と考えられるなら、科学と宗教も同類と言えるのかも。前者は病を治す、後者は幸福の追求と広い意味で目的が重なっている。
科学的手法が成立するまで科学は存在しなかった、になっちゃうからな…
どこがいい話なのか全くわからなかった。探究心はいいけど、宗教は反証可能性とか考えないしょ?その弥勒菩薩がいい例。
#宗教 #科学 #哲学 「インチキに宗教も科学もない~神即自然~個々の人間の幸福など考えてくれず」仏教(禅問答/公案/神道)ある種哲学(文系)否定されないのに自然哲学≒科学(理系)話盛り始めるからスピスピ詐欺を警戒する。
まず、仏教は宗教じゃないから
何かを理解しようとするための理論体系って考えれば、宗教も科学の一部だった。権力者に魔改造されて誤りを認められなくなるまではね
大穢土に対する写し鏡なんでしょうか。メンタル的に黎明期のネットもそうだったような。今は煩悩にあふれー
どちらも世界を知る方法くらいの認識、対極と思うなら何か間違った思い込みがありそう
坊さんショートトークなんてその場の耳障りがいいか、以外に価値はない。後から妥当性を議論するなんてナンセンス。
対極か否かはどんな要素で比較するかによる。単一の視点しかないコメントが上位にあるのはこわいな。
「仏教ないし宗教というのは、科学と対極にあると思われがちですが、実はそうでなかったりもするのです」お世話になった教授の1周忌のときの坊さんの話がちょっと面白かった
これをその場のノリで言えちゃうのが宗教が科学からは程遠いところで庶民に宗教が受け入れられたところ
>科学が「なぜそうなるのか」(略)仏教も「どうすれば苦しみを越えられるのか」(略)方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。 上手い説法、立場が異なるものを双方納得させるような話だな、と
弥勒菩薩はミトラ神が元なので仏教ではないでしょ
認知できないものを扱うのが宗教或いは呪術。主観的には認知できるが客観的には認知できないものは哲学、主観でも客観でも認知できるものを科学、が扱うという認識。
仏教はともかく、インド哲学は理論と体系があるんじゃないか
“「果てしない時間をかけても、人間の心は必ず成長し、悟りに至る」という象徴的なメッセージなんです。”Xでよくいる驚き屋がこの時代にもいたわけですね
自然現象など当時の人類に理解できなかったものの原因を求めるところから始まったと考えれば、十分科学的探究であったと言える。
自分をとりまく宇宙について主観と客観という裏表の関係だよね
枝分かれが進んだだけで、昔は神学があったくらいだからな~。
仏教と他の宗教は全く違うよ。
坊さんはその場の力学に敏感なのでめちゃくちゃ非科学的なこと言い出したり仏教じゃねーじゃんみたいなこと言い出したりする
語りうるものと語りえぬもの。
お坊さんお話上手だよね
科学とかけて宗教と解きます。その心は、どちらもシンリを扱うでしょう…みたいな話?(適当)
「色即是空、空即是色」には「物質とエネルギー」に対しての非常に深い洞察が秘められているように思う。
いや対極だと思うが…。客観性、再現性を厳密な方法で証明している科学と、客観性も再現性も根拠も乏しい宗教が、真理を求める探究心は同じだから似ているなんて宗教を良く言い過ぎ。宗教と科学は交わらないよ
大長編ドラえもんで出木杉君が医術や科学が元は錬金術や魔術だったと話してたなあ
何言ってるのか全然わからなかったけど、歴史的には「宗教→哲学→科学」じゃないの? 宗教を反証的に思考したのが哲学、哲学による思考を実証したのが科学、では? つまり、現代において宗教はクソカス。
囚人のジレンマと輪廻転生が繋がっているのではという指摘が面白くて気に入ってる https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2022/11/post-100074_2.php 昔、宗教の効果をそのうち科学が説明すると話された時はなるほどと思った
弥勒菩薩の扱いが経典で違う(法華経では釈迦から叱られてる)からねえ。初期仏教だと哲学に近いかもね
弥勒信仰はミトラ教由来で釈迦が生きてた頃の原始仏教にはない考え方なのよ。だからといって現代日本で主流の大乗仏教・密教の流れを否定しないけれど。仏教は科学というより科学者の倫理リテラシーに近いと思う。
むしろ大学の教授のほうがそのへんのことを真剣に考えてるから、笑って聞いててくれそう
ハラリみたいな話だよね
土台が公理なのが数学、実証実験なのが科学、神様がそう言ってましたーなのが宗教で、その後理詰めで組み立てるのは一緒
かつて今より観測事実が少ないなりに世界の成り立ちを説明しようとした仮説がいまの宗教になっている。現在の科学的事実の一部も数百年後には宗教のくくりに入れられていそう。
対極とも思わないけど
科学と宗教が交差する時、物語は始まる
最近読んだ若い読者のための哲学史割と良かったよ
説法の目的を理解してる方は話がうまいよね、やっぱり 戦争の口実作るためのアブラハムの宗教とは、始点が全く違う
弥勒菩薩の話はむしろ「ほぼ永遠に救われない」感もある。
科学のこと何にも分かってなさそう。科学の構成要件というか、何が科学で何が科学でないか、科学的とは何かを全く考えていない。『何故』があったり根源解明しようとしてたら全て科学だと思っているのか?
キリスト教とかいう科学に真っ向から対立して弾圧と異端審問で屍積み上げてきた宗教が幅利かせてるせいで、本来の宗教(とくに仏教)はそういうもんだよね。
話術として面白い。
浄土真宗なんかは祈っている自分を疑うみたいな話もあるけど、総じて宗教は教義から逸脱することを許さない時点で新しい発見を取り入れる科学とはちがうと思うね
話が上手いお坊さんだ。でも実際、経を読む上手さは素人には分からないので、話が上手い方がコアコンピタンスなのは間違いない。(親戚の葬式に来たお坊さんは話が下手すぎて墓じまいを検討するレベルだった)
nullより先に空という概念を残した宗教は言うことが違うなあ
科学と対極といわれると、宗教ではなく神学だと思う。宗教は信仰なので。
対極というか別のもの。共存しうるけど、対立もしうる。
未だ果てが見えぬもの(宇宙とか)に比べれば我々の生来の悩みなど塵芥より些細なことにすぎないみたいな観点は共通してるかもね。
科学も宗教の一種です
宗教は戒律や説法を発祥地や定着地と照らし合わせるとかするとちゃんと科学になるじゃん
弘法大師が溜池作る土木工事やってたりするので、科学的知見や生産手段、衛生概念の世代間継承の仕組としてとらえると、(既存の)宗教はうまく作られてると思うぞ。
これほどの法話ができる和尚はなかなかいない。これもちゃんと金かけた証拠だな。
まず対象が形而上的なものか形而下的なものかというところで線が引けて(それは何か/それはどう振る舞うのか)、前者をさらにその手法から宗教と哲学に分けることができ、後者がそれぞれ諸科学に分類される
アートマン(魂)を否定したブッダの思想は科学的態度なのでは。
科学は方法が9割
曼荼羅と電子顕微鏡で見た原子とか、空即是色 色即是空とか。弥勒菩薩の話も太陽系の寿命と近くって思い悩む必要が無い時って意味でリアル過ぎる。
ちょっとかじるだけでも分かるが、仏教はかなり理屈っぽく、四諦・八正道など4や8が好きで理系脳との親和性も高い。これははたして宗教なのか悩むくらい。修行や戒律が有ると、やっとああ一応宗教なんだなと思えるが
観察に基づく論理的帰結
科学が「なぜそうなるのか」を追い求めるように、 仏教も「なぜ人は苦しむのか」「どうすれば苦しみを越えられるのか」を問い続けてきました。 方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。
量子力学を突き詰めてくと色即是空空即是色みたいな概念が出てくる奴
そもそも日本の仏教の僧侶は国家公務員で、外国語は当然として土木工学科などに精通してた。今の妻子持ちの世襲制で何の苦労なく冷暖房完備の立派な家を建て、庶民の苦労など気にもしないゴルフ三昧の外道とは違う。
アインシュタインも「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である」と言ってるし、科学と宗教は両輪なのよね。科学の力で長生きはできるが、正しい生き方までは示してくれない。
陛下、私には神という仮説は不要なのです。
科学者でも宗教家でもこれを言い出したら、だいたい何かに行き詰って他分野に助けを求めている状態だと思う。そして、他分野ではただの素人なのに、なぜか専門分野と同ランクだと思い込む。
科学は哲学から分かれたもので、だから博士号は「Ph.D.(Doctor of Philosophy)」と言うのだ
科学とは検証、再現性のある実験結果の集合体であって宗教と重なるところなどないと思うが…。まあ坊さんなんか宗教を検証しようとしないから、仕方ないだろうが…
大乗仏教はヒンドゥー教の庶民ウケする要素を移植した宗教で、本来の仏教から遠く離れている。その象徴が弥勒菩薩と言える。そも仏教自体が方便という嘘で本来の姿が分からなくなったもので科学とは対極にある。
方便でしょや
坐禅(瞑想)なんかもそもそも試行錯誤と実験の産物だし、後追いで科(化)学的にも裏付けられた好例だろう。流行前からやってて人にも勧めてたんだが、当時はオカルト扱いでダルシム呼ばわりされた。
自然を解明するのが科学なのではなく、解明するためにどのような手法をとるかの枠組みが科学。解明したいという人間の根源的な欲求に対して、宗教と科学は異なるアプローチと枠組みで寄与している。
ダンブラウンの天使と悪魔が、ここらへんの話に触れていたよ
理想的な宗教がそれを目指しているとしても、現実の宗教は盲信と不寛容の元になってしまっているのではないかな。
宗教に経験則によるルールを強制するにあたり必要な納得を引き出すための手軽な旗印としての側面があるのは事実で、その経験則にしばしば科学的な整合性があるのも事実では。科学の極致こそ神の業とも言える訳で。
厳しい環境で生き残るための宗教と、とりあえず死なない環境で哲学から発展したような宗教は区別したほうが良い
量子学の人は宗教に目覚めるとか嘘松思い出した
仏教から方便とか密教を排除してからにしてください。
対極ではないのよね。同床異夢というかなぜなにに対しての解決のアプローチが違うだけで。科学が宗教にも影響を与えるし宗教の疑問が科学によって解決する場合もある。
映画「コンタクト」を観ましょう >方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。
科学的探究心を育てたのはキリスト教といえる。仏教はどちらかというと自身の内面に光を当てている。キリスト教は科学とぶつかり合ってその後取り込むが、仏教はぶつかることなく、科学が入る余地を残していた。
宗教と科学が対極と思われがちって、まあそりゃ学生までなら…と思ったけどトップに「いや対極だ」が来ててア~これか~ってなった。id:todays_mitsui氏、id:kudoku氏に同意。
個人的には対極とは思わないんだよね。昔は宗教の世界観が科学の"仮説"として機能してたわけだし。漫画「チ。」をみてもそう思う。
とは言っても科学が進めば神は退がる。「神は継続的に後退中」そして隙間の神
仏教の場合は、特に神を重視する訳じゃないしね。キリスト教、イスラム教なんかとはだいぶ違うよ。
数字が入ってるからそれっぽく聞こえるだけで科学的手法も発想もどこにもない。対極とか、対立構造に持っていかなくても宗教の意義や役割は十分説明できると思う。個人的には要約のせいか、いい説法とは思えなかった
科学と宗教を対立的概念だと考えるのはあまりにもウブな現代人的発想、もしくはそういうマンガを鵜呑みにしすぎ。実際は印刷技術の発展に伴うゆるやかでグラデーション的な変化だ。
哲学から出発した科学と、哲学要素の強い仏教がアプローチ近いと言うのはそうだと思う。ただ、科学は人間の幸福をゴールとしないけど、宗教は人間の幸福がゴールなので向かう先は違うんよね。
地球人が別の星に移住してたら、約50億年後に弥勒菩薩様に会えるのか
カントが科学を定義した意味が理解できてないようですね
なんか仏教ってアンチサイエンスを口走る印象ないんだが買いかぶり過ぎだろか
地動説を発見したコペルニクス:カトリックの司祭。ビッグバン理論を発見した一人のジョルジュ・ルメートル:カトリックの司祭。という人類の宇宙のパラダイムを2度も変えた二人がカトリックの司祭っていう現実よな
AI研究の黎明期には仏教理論の影響が多々あって、ミンスキーの心の多層レイヤー構造は唯識の影響が指摘されている。「釈迦は偉大な心理学者だ」とも言ってる。その程度のことも知らない人が対極だとか言ってるのよ。
全然違うよ。ポパーの反証可能性の有無が、決定的に両者が異なっていることを示している。
「イスラム教徒が豚を食べないのは、中東の衛生状態の中で食の安全を担保するため」みたいな話が仏教にもあるのかなと思ったら違った。
原始仏教は認知科学に近いですよ。要するに「この世界が辛いのはあなたがこの世界が辛いと認識してしまうから。そう認識しないような方法(真理)を知った状態(涅槃)になれば救われる(解脱)」という教えなので。
仏教はもともと学問でしょ。衆生救済はまたちょっと違うけども。だからこそ修行不足で薄っぺらい法話をされるとものすごく腹が立つ。
宗教擁護する反科学界隈ヤバすぎて草
まあ人文科学であって自然科学じゃないってだけだよね
本来的に、坊さんというのは当代随一の学者(なお地域の)の立ち位置でもあるので、このくらいの説話はできないといかんのだよな
イスラム法学者にも聞いて欲しい。コーランと法の両方をやるの、さぞかし大変だと思う。
そもそも科学自体、「この世界は神が作り給うたものだから、森羅万象すべてに完璧で美しい法則があるに違いない」という信念のもと発展してきたところがある
探求するのはいいけど、じゃあ壺買って幸せになる実証がされたのか?実証せずに能書きたれてるだけじゃん
科学的事実を「確かなこと」としているのもある種の信仰だろう
ちょっと何言ってるのかわからない。科学的な要素は特にないし、坊さんの話はありがたく聞く習慣があるのだな以外に、感想もない。
人類の未来って確定してるんだよね。そこに安心と確信はあるじゃないか。プッチ神父は何を心配していたんだろう。
宗教が科学のようになればID論みたいなことなるし、科学っぽさが宗教のようになれば偽科学になる。科学と宗教は別であって、またどちらも必要なものだ(無宗教は一種の宗教である)。真実と事実はちがうのだから。
確かに探求心があるという点では似ているけど、「宗教も科学」だとか、「科学も宗教」だとか言い出すのは危険。科学には再現性が必要という決定的な違いがある。
“科学が「なぜそうなるのか」を追い求めるように、 仏教も「なぜ人は苦しむのか」「どうすれば苦しみを越えられるのか」を問い続けてきました。 方法は違っても、根底には真理への探究心が共通しています。 ”
少し話は違うが、現代日本でも「自業自得」みたいな宗教概念が無自覚に使われているように思う/非専門家にとって方法論はどうでも良くて結果だけ享受することは共通点かも
物語に熱心な人というのがかなりの割合で存在してるので、物語に乗せて本質的な戒律を普及させるための手段だったのが昔の宗教。物語に乗せて金回収手段になってるのが最近の宗教。
というより仏教というのが一神教とはまた違って哲学的なのよね。
喪に服すのは感染症の蔓延を防ぐ効果があったとか。/そも「宇宙」からして仏教用語でございまして
学問という意味では近いがこの話のどこに科学要素が?
宗教も哲学も科学も政治も信仰の名の下の探求として行われていたものが、少しずつ神様から分離して今の形になってる。宗教からの離脱は科学のテーゼの一つだけど、かと言って人類の探求の歴史を軽んじるものではない
仏教は基本的に学問だからな。現代では哲学的な要素が多いが、それは哲学以外の学問が仏教から独立していったせいで、基本的に学問やるなら仏僧になるのが王道ルートだった時代の方が長い
経験則や慣習は、法律や倫理の基礎になってたりするからなあ(プロセスが解明されて後世に不合理になる事もあるが)。儒教の後継者争いが壮絶になるくらいなら多少無能でも長男が継げも当時の処世術だし
科学と宗教、たびたび並べて論じられることが多いけれど、まったく違う分野なので無意味な気がする。とくに、科学を宗教的に、宗教を科学的に解き明かそうとするのは意味不明だし、詐欺的。
ジョルダーノ・ブルーノ、ガリレオ、ジェンナー、中世に薬草や民間医療の知識を持ち魔女と呼ばれて弾圧・虐殺された女性たち:「そうですね科学と宗教は対極ではないですねー(棒読み)」
今さらこんな事言ってみた所で、葬式宗教でしかない仏教はこの国では廃れるだけ。で、それに取って代わるのは、科学ではなく国家だの民族だのの物語という
科学と魔術が交差するとき、物語は始まる
弥勒菩薩が”56億7千万年後に現れ、人々に仏の教えを説き、人々を救済する”科学的根拠を示すことが出来るかどうか。
人間の作ったものはみな人間向けに都合よくちょうど良くなってますよね。
西洋科学はルネッサンス期のキリスト教ベースの、数学や天体運動の中に神秘が宿ってるはずって情熱で馬鹿みたいに発達したので、仏教よりもキリスト教やな
同じ宗教でも仏教とアブラハムの宗教じゃぜんぜん違うしな。信じることよりも考えることに重きを置いてる点で上座部仏教と哲学(広義の科学)は似ているかもしれないけど、大乗仏教はと言うと……。
“方法は違っても、根底には真理への探究心が共通”
仏教は元々宗教じゃなくて哲学だから。哲学は科学の一部をなす分野だから。
禅問答などは究極の主観を大乗的に360度大転換して客観に接続するというようなことをやっとるわけで、真逆というのはあまりに雑でつまんねーよ
庶民の四苦は飢渇暑寒、これを解決するのが科学。飽食した宗教家の四苦は生老病死、これに救済を与えるのが宗教。
対でありどちらも大事、でも対極であるが故に交わらない、で良いじゃない/もちろん境界もあり、多世界解釈とかはスレスレと思う人もいそう。けど当該分野の研究者が仮説を無謬だと思ってないのは大きな違いだと思う
21世紀にもなって宗教信じてるのは「親の職業を継いだだけ」か「それを利用する事で金儲けしてる」か「マジで宗教信じてる狂信者」のどれかなので、こういう説法に共感してる人は大分ヤバいので気をつけようね。
再現性、反論可能性がないので科学とは対極です。考え続けることの苦しみから逃げるために生み出されたのが仏教(解脱の思想)です。考えるだけなら文学も競馬の予想も同じです。
まあ信仰を持っている科学者や学者だってなんぼでもいるしなあ。
まあそういう大雑把な括り方をすると宗教や科学だけじゃなくいろんなものがそうだから・・・。立法・司法・行政とか経営とか。なんなら趣味の分野でも同じことが言える。
仏教は「人は自分で自由になるものは何もない」という事実を説いているだけなので十分科学的です。大乗仏教は知らない
優れた数学者は優れた哲学者でもある って感じのことを何かで読んだ。
宗教は医術を切り離した時点で科学とは袂を分かってるから、今更擦り寄ってこないでくれます?という感がある
科学は技術で、仏教は教え(考え方)で人を救おうとしているですね
究極まで科学が発展すると死んだ人間を生き返らせることも可能となる、といった希望的観測が含まれているとおもわれる
説法、説教は聞く側のメンタルやマインド、知識、その他で受け取り方が変わってくる。そういう意味で科学とは異なるだろうが背反の存在ではない。
むしろそもそも科学自体が一種の宗教だと思ってる
科学史の本は 1 冊も読んでないし、NHK 教育あたりでやってる大人の学び直し番組すら見たことないんだな…という事はわかった
宗教側が自分の教えの対極にある科学を否定しまくってるから対立が生まれるわけで
当時の最先端の社会科学というだけでは
科学に主観は求めないし、宗教に客観も求めないので棲み分けはされていると感じる。ハイブリッド型は警戒しちゃう。
摂理を追求している、という点では仏教もインド哲学体系も、科学も一神教もそうだと思うけれども、近世以後の科学的手法、特に自然科学の方法論と違っている部分があるのも、また否めない。
歴史的には土木・科学なんかの技術や文化・法律をエサにやってる感がある。お釈迦様はともかく中国との遣唐使とかはね。まぁ成功すれば宗教のおかげ、失敗すれば信心が足りないって便利な魔法よ。
こういう弁舌嫌いなのよね。思弁的活動は大半がみんなそうやろっていう。その中で科学とは何かって、方法論とか様々研究されてきたものであって解像度がちょっとね / 「根底には真理への探究心が共通しています」
どっちもリストラされた人の気持ちも、復帰方法も提示しないし、救われないわ
「世界の仕組みを説明したい・して欲しい」から始まったのは理解する。でも根拠を神様に置いちゃったから変えられなくなっちゃったんだよね。
哲学から神学と科学が分かれたんだからそりゃあね。
説法 仏教
科学と宗教が同じとか思ってるのは、科学の基礎である数学と論理学を理解出来ない文系のアホだけでしょ。数学⊃論理学なので、数学から逃げた文系に科学は理解出来ないんだよね
前提が間違っているものに後付でいくら理屈付けしたって糞は糞。詐欺師と変わらん。
仏教は神を語っていないしどちらかというと哲学に近い。哲学と数学は切り離せない。西洋の科学は世界を形成する神のルールを明らかにしようとしてスタートしている。ゆえにキリスト教と化学もまた近い存在なのだ。
力を持つとすぐに堕落し、時に政治の道具となり、差別や戦争を肯定してきた宗教が「良き生き方を教えてくれる」とは到底思えない。神は死んだ、超人にならねば…
初期仏教の無我や無常という考え方は、神経科学と繋がる部分が多いのでそういう話かと思ったら違ったでござる。葬式仏教を始めとする多くの宗教は、死への恐怖を金(と少しの道徳)で薄めようとする集まりですよ
実家にお経をあげに来てくれるお坊さんは元情報科学系の大学教授で、うちにあるラズパイ見て反応してくれたりしたな
近年話題になっている仏教と量子力学の話かと思ったら違った。
曼荼羅が宇宙っぽいのとか、庶民には分からん自然事象の科学っぽい話を分かるように説明しようとしてたら、宗教として伝わったとか解釈されてしまったみたいなのはあると思う。
宗教と科学は対極だが、それを取り持つ学問が哲学なのかも。
そもそも実証性、再現性を科学としたときに、それが現代でも100とは考えがたい。だから宗教と区別できるはずもない
お理工さんてこういうことか、とトップコメ見て納得するなど/仏教が「根拠を神様においてる」わけがない……てかほんと何でまったく何も知らない分野を知らないままばかにするんだろ。理系だとそうなっちゃうの?
クソ葬式仏教しかない日本の糞坊主が偉そうなこと抜かすな…と言ってみたりwまー、単なる気休めのクソ仏教と間違えたら最悪死ぬ科学と一緒にすんな、とは言える。本物の仏教の神髄を知りたきゃ『中論』を学べ。
日本では仏教を輸入した当時「学問」であったことは間違いない。
特に仏教は例えば「なぜ人生はこんなに苦しいのか」という問いから四苦八苦という分析があり、どうあるべきかに至るとか、思考の流れは近いものある。原始仏教は勿論、日本の仏教の歴史も理由を掘り下げると面白いよ
お坊さん、話すのが商売みたいなものだから結構面白い人たくさんいるのよね。(例外もいるけど)
この「ないし」は、「または」の意味で使われてるよね。どーもこの意味での使い方にはまだ違和感がある。お坊さんがそんな使い方するのかなぁ
思てたんと違った。イスラム教の肉食うなとか、左手は不浄で右手は清浄だから左手で飯食ったり握手したりしないとか、感染症を避ける為に生まれたような教義や習慣のことかと
科学と宗教、ウチら姉妹! たまにケンカするけど!
宗教と科学については似てるとこ探すよりも違うとこに注目した方が両方にとって実りがあると思うよ。対極ではないけど大きな違いがあり、その違いにこそ未開を拓く力がある。エセ宗教、エセ科学、おめーらは害悪だ
研究者と坊主どちらも口八丁うまいこといっていれば食っていけるってこと?
仏教って宗教じゃなくてライフハックだよね、とは思ってる。あれを宗教にした奴はみんなエセだろと。それが必要だった時代もあるかもだが。
宗教とは突き詰めれば社会の秩序であり科学とはそもそも評価軸が違う物なのでかならずしも対立するわけではない。
宗教も科学も、対極にあるのは矛盾
客観性のある研究と同じくらい主観性の研究も必要なんじゃない?人間には
人間の心の苦しみを科学するのが宗教ってことか
お金を集める手段として利用する人がいる点も共通しているね
お坊さんのお話、なんだか難しいにゃ。未来よりも今が大事って、ボクと一緒だにゃ!だって今すぐ撫でてほしいんだもん!ゴロゴロ喉を鳴らしちゃうにゃ。
医者と呪術師を同類と考えられるなら、科学と宗教も同類と言えるのかも。前者は病を治す、後者は幸福の追求と広い意味で目的が重なっている。
科学的手法が成立するまで科学は存在しなかった、になっちゃうからな…
どこがいい話なのか全くわからなかった。探究心はいいけど、宗教は反証可能性とか考えないしょ?その弥勒菩薩がいい例。
#宗教 #科学 #哲学 「インチキに宗教も科学もない~神即自然~個々の人間の幸福など考えてくれず」仏教(禅問答/公案/神道)ある種哲学(文系)否定されないのに自然哲学≒科学(理系)話盛り始めるからスピスピ詐欺を警戒する。
まず、仏教は宗教じゃないから
何かを理解しようとするための理論体系って考えれば、宗教も科学の一部だった。権力者に魔改造されて誤りを認められなくなるまではね
大穢土に対する写し鏡なんでしょうか。メンタル的に黎明期のネットもそうだったような。今は煩悩にあふれー
どちらも世界を知る方法くらいの認識、対極と思うなら何か間違った思い込みがありそう
坊さんショートトークなんてその場の耳障りがいいか、以外に価値はない。後から妥当性を議論するなんてナンセンス。
対極か否かはどんな要素で比較するかによる。単一の視点しかないコメントが上位にあるのはこわいな。