“篠田節子『青の純度』の書評を執筆しました。共同通信より全国各紙に配信中です。 本書にはラッセンをモデルとする「マリンアートの巨匠」が登場し、ぼくがラッセン本の中で述べてきた内容が繰り返し登場します。
ラッセン氏に聞きにゆくチャーンス! 明記してなくても訴訟されそうじゃん こんなところで日本語でうだうだやってる場合じゃない
2年以上前、ラッセンが「木彫りの象」(a wooden elephant statue)で隣人の車の窓を破壊する等して、逮捕され保護観察処分を受けたというニュースに接したことを覚えてるが、最近はどうしてるんだろう
大御所による、(パク)力作
なんかこの件、ラッセンがモデルかどうかみたいな話に矮小化しそうで気をつけたいところ。文春や新潮あたりに取り上げてほしいが、大人気作家すぎて無理かしら?
ここで吠えてるより、とっとと抗議文なり訴訟なりすれば良い。ネットで自己の周辺をトーンポリシングして、けしかけるやり方も邪道だと心得よ
インタビューhttps://www.bungei.shueisha.co.jp/interview/ao_jundo/ で「ラッセンをモデルにしたのではない」と言ってるのね。まとめを見た限り、それで通るとも思えないけど。
篠田さんなのか。該当作は未読なのでなんともいえないが…
昔『〈盗作〉の文学史』って本を読んだけど、評論・ノンフィクション・学術文献からの盗作は裁判で認められにくいらしい。「事実だから一致しただけ」って抗弁が可能だから。
ラッセン号令雷!
夢枕獏「神々の山嶺」の羽生丈二について、モデルとなった登山家の森田勝の評伝からそのまま拝借してる部分が多い、という話があったなと
ゴッホよりふつうにラッセンが・好・き!
今年70歳になる作家が、こういう形で晩節を汚すとは。
『ラッセンとは何だったのか』という真面目な本の寄稿者に永野がいたら振り幅の大きさに慄いて買ってたかもしれない。
結局モデルにしたくらいのことしか言えなさそう
これは結構酷い。偶然というには意図的に対処している節が随所にみられるので、何なら出版社や編集者も知った上で助言して対処したのではないかとすら思える。作家の悪意という以上の問題なのではないか。結構やばい
これは酷い話だなと。テーマが同じで個人の体験までも拝借したのならせめて参考文献には入れないと…自身の盗用を題材にして書いた方が良いのでは/参考文献を一切挙げてないのなら"小説だから"で良いけどね?
何らかの権利あると思うんなら訴えなさいな、はてな〜大好き仁義案件だよ。/小説はフィクションなのに研究成果が搾取されるとういうのは何なんだろうね。
人間は元から生成AIみたいな事してたんやなって。
晩節を汚しすぎ
「近年になり復活した外国人画家」なので、原田氏は既に作中世界に含まれている(適当)
どっちの本も真っ青でワロタ。
どこまでが、どこからが剽窃かって難しい問題だよね。素人が読んだ時と有識者が読んだ時でも感覚が違うだろうし。
剽窃かどうかはさておき、参考文献を挙げながらあの本に触れていないのなら題材的に無理がある。作家のオリジナリティを強調したかったのかな。きちんと連絡しておけばコメントや対談などのPR協力もあり得たのに
小説の方はサスペンス部分がメインなのね。とはいえ設定や背景の詳細を他所から簡単に引っ張ってきて良いわけではないが。https://www.haradayuki.com/news/aonojundo-bookreview/
まとめの中にもあるけど、小説のモデルをラッセンって認めたくないから参考文献として「ラッセン」のワードが入ってる文献を意図的に排除してる可能性が高いんだと思う。訴えられないようにしてるんだろうけど姑息。
ラッセンをモデルにしたのではないというためにあらゆるラッセン本を参考文献から除外したのだろうか
ラッセン本懐かしい。ちょうど大野さんのアートヒステリーと併読してたのを思い出す
夢枕獏「神々の山嶺」も二人の実在の登山家のエピソード丸パクリだったな。パクられた登山家の自伝読んだらそのままやんけと驚いた記憶がある。
仮想儀礼も教祖誕生だったしこの人ネタの引き出しがないのか浅いのか
ソースなし
怪しいんだろうけど「私はそう思います」で燃やされるのもたまんねーよなとは思う。そして論考ってそこまで小説の参考文献になるか?という気もする。
この手の剽窃の訴訟は、どこまで似ているかが判断材料のような気がするので何とも言えない
本の帯は永野に書かせるべき。
出版社は訴訟リスクには相当気を使うはずなんだが…ましてや集英社だろ。普通に考えたら上にあげたとき通らねえとおもうんだけどよくわからんな。
独自の取材や様々な文献を下地にして作家の創作性が発揮されてれば倫理的にも問題ないといえるが、その創作性に疑義があるということかな。
ラッセンからの訴訟リスクを避けるためということなら、ラッセンがしんで文庫化するときに参考文献に入れます、と事前に裏で手を打っておけばよかったのにね。
AI使ってると、論文から引っ張ってきて、文章まるまる被ることありそう
著作権切れの葛飾北斎、モネやゴッホなら何でもありなのに
林真理子の『アッコちゃんの時代』とか『奇跡』なんかよく尾崎家や片岡家から訴訟にならないなとは思っていたのでこれだとまだまだな印象。コロナ禍の真っ只中『夏の災厄』が話題になってたし力のある方だけどなあ
えー!マリンアートの巨匠をモデルにした小説?ボクの本が使われてるのに、参考文献にないなんてヒドイにゃ!これは猫パンチ案件かにゃ?でも、作者さんも色々考えたのかにゃ?うーん、難しい問題にゃ。
ラッセンをモデルにした直木賞作家による小説の内容について、ラッセン研究を重ねるアーティストが自著との類似を指摘…「小説家による物語の収奪では」「訴えられるリスクを考えてか」などの声
“篠田節子『青の純度』の書評を執筆しました。共同通信より全国各紙に配信中です。 本書にはラッセンをモデルとする「マリンアートの巨匠」が登場し、ぼくがラッセン本の中で述べてきた内容が繰り返し登場します。
ラッセン氏に聞きにゆくチャーンス! 明記してなくても訴訟されそうじゃん こんなところで日本語でうだうだやってる場合じゃない
2年以上前、ラッセンが「木彫りの象」(a wooden elephant statue)で隣人の車の窓を破壊する等して、逮捕され保護観察処分を受けたというニュースに接したことを覚えてるが、最近はどうしてるんだろう
大御所による、(パク)力作
なんかこの件、ラッセンがモデルかどうかみたいな話に矮小化しそうで気をつけたいところ。文春や新潮あたりに取り上げてほしいが、大人気作家すぎて無理かしら?
ここで吠えてるより、とっとと抗議文なり訴訟なりすれば良い。ネットで自己の周辺をトーンポリシングして、けしかけるやり方も邪道だと心得よ
インタビューhttps://www.bungei.shueisha.co.jp/interview/ao_jundo/ で「ラッセンをモデルにしたのではない」と言ってるのね。まとめを見た限り、それで通るとも思えないけど。
篠田さんなのか。該当作は未読なのでなんともいえないが…
昔『〈盗作〉の文学史』って本を読んだけど、評論・ノンフィクション・学術文献からの盗作は裁判で認められにくいらしい。「事実だから一致しただけ」って抗弁が可能だから。
ラッセン号令雷!
夢枕獏「神々の山嶺」の羽生丈二について、モデルとなった登山家の森田勝の評伝からそのまま拝借してる部分が多い、という話があったなと
ゴッホよりふつうにラッセンが・好・き!
今年70歳になる作家が、こういう形で晩節を汚すとは。
『ラッセンとは何だったのか』という真面目な本の寄稿者に永野がいたら振り幅の大きさに慄いて買ってたかもしれない。
結局モデルにしたくらいのことしか言えなさそう
これは結構酷い。偶然というには意図的に対処している節が随所にみられるので、何なら出版社や編集者も知った上で助言して対処したのではないかとすら思える。作家の悪意という以上の問題なのではないか。結構やばい
これは酷い話だなと。テーマが同じで個人の体験までも拝借したのならせめて参考文献には入れないと…自身の盗用を題材にして書いた方が良いのでは/参考文献を一切挙げてないのなら"小説だから"で良いけどね?
何らかの権利あると思うんなら訴えなさいな、はてな〜大好き仁義案件だよ。/小説はフィクションなのに研究成果が搾取されるとういうのは何なんだろうね。
人間は元から生成AIみたいな事してたんやなって。
晩節を汚しすぎ
「近年になり復活した外国人画家」なので、原田氏は既に作中世界に含まれている(適当)
どっちの本も真っ青でワロタ。
どこまでが、どこからが剽窃かって難しい問題だよね。素人が読んだ時と有識者が読んだ時でも感覚が違うだろうし。
剽窃かどうかはさておき、参考文献を挙げながらあの本に触れていないのなら題材的に無理がある。作家のオリジナリティを強調したかったのかな。きちんと連絡しておけばコメントや対談などのPR協力もあり得たのに
小説の方はサスペンス部分がメインなのね。とはいえ設定や背景の詳細を他所から簡単に引っ張ってきて良いわけではないが。https://www.haradayuki.com/news/aonojundo-bookreview/
まとめの中にもあるけど、小説のモデルをラッセンって認めたくないから参考文献として「ラッセン」のワードが入ってる文献を意図的に排除してる可能性が高いんだと思う。訴えられないようにしてるんだろうけど姑息。
ラッセンをモデルにしたのではないというためにあらゆるラッセン本を参考文献から除外したのだろうか
ラッセン本懐かしい。ちょうど大野さんのアートヒステリーと併読してたのを思い出す
夢枕獏「神々の山嶺」も二人の実在の登山家のエピソード丸パクリだったな。パクられた登山家の自伝読んだらそのままやんけと驚いた記憶がある。
仮想儀礼も教祖誕生だったしこの人ネタの引き出しがないのか浅いのか
ソースなし
怪しいんだろうけど「私はそう思います」で燃やされるのもたまんねーよなとは思う。そして論考ってそこまで小説の参考文献になるか?という気もする。
この手の剽窃の訴訟は、どこまで似ているかが判断材料のような気がするので何とも言えない
本の帯は永野に書かせるべき。
出版社は訴訟リスクには相当気を使うはずなんだが…ましてや集英社だろ。普通に考えたら上にあげたとき通らねえとおもうんだけどよくわからんな。
独自の取材や様々な文献を下地にして作家の創作性が発揮されてれば倫理的にも問題ないといえるが、その創作性に疑義があるということかな。
ラッセンからの訴訟リスクを避けるためということなら、ラッセンがしんで文庫化するときに参考文献に入れます、と事前に裏で手を打っておけばよかったのにね。
AI使ってると、論文から引っ張ってきて、文章まるまる被ることありそう
著作権切れの葛飾北斎、モネやゴッホなら何でもありなのに
林真理子の『アッコちゃんの時代』とか『奇跡』なんかよく尾崎家や片岡家から訴訟にならないなとは思っていたのでこれだとまだまだな印象。コロナ禍の真っ只中『夏の災厄』が話題になってたし力のある方だけどなあ
えー!マリンアートの巨匠をモデルにした小説?ボクの本が使われてるのに、参考文献にないなんてヒドイにゃ!これは猫パンチ案件かにゃ?でも、作者さんも色々考えたのかにゃ?うーん、難しい問題にゃ。