“ 篠田節子さんの小説『青の純度』の書評を執筆しました。共同通信より全国各紙に配信中です。”
ひでえ話だ。
どっかのメディアで素知らぬ顔で原田さんと篠田さんの対談を組んでみたらいかがだろうか
こわ。よっぽどサスペンスじゃん。
うーん、ラッセンをモデルにするのは面白いのに、なんでちゃんと参考文献としてあげないのかなぁ。。。/ラッセンの作品の評価と売り方は個別に考えるべきなのに、まさにそれと類似な事をしてしまっている。
そのまま受け取れば「元ネタ」と言っていいくらいのレベルだが。篠田節子、とても好きな作品がいくつかあるだけにショックが大きい
これは書評をアサインした共同通信が good job かな
公式ではラッセンのモデル小説って言ってない。別に隠してる訳ではないと思うけど、自分はラッセンをモデルにして小説書きましたって言われた方が読みたくなる。 https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-771898-
この手の話はアカデミックな世界でもときどき聞くなあ。
小説の場合、参考文献明示の義務的なルールとかは無いと思われるのだけど、挙げている文献がある一方で重要と思われるものがそっくり抜けてたりするのは、ちょっと引っかかるよね。
篠田節子は明らかに元ネタがあるものを論文のような小説に仕上げるのが上手い人。『弥勒』はポル・ポト、『讃歌』はフジコ・ヘミング。しかしここまで依拠しておいて参考文献にも挙げないのはさすがにどうか。
ルポルタージュを元に小説書くこと自体は普通だけど、献辞くらいはあって欲しいよね。
これは確かに資料として見ないわけがないと思える。
「ラッセンにまつわるリサーチは、ぼくが10数年の年月をかけて、ハワイへの自費での渡航も経ながら行ってきたものです。取材のために費やした時間もコストも莫大なものでした。」
それ以前に「ラッセンがフツーに好き!」現代美術史研究のコンテクストにおいて(いかにポストポップだからといって)どれだけの価値があると思ってやってるのか知りたい(人新世と同じネタ本扱いだとばかり思ってたので
篠田節子は日本でもトップクラスに好きな小説家なので、これが本当なら残念だな。サブエピソードをそのまま持ってきているのなら、その作品の根幹にも関わる部分である
https://seidoku.shueisha.co.jp/2507/read05.html 作者のインタビューではラッセンの絵に触発されたと言ってるな。
キャパのあれみたい
何の法律に違反してるのか?
これが本当なのだとしたら法には抵触していないかもしれないが、ルポタージュ側への仁義やリスペクトもなく、作品の内容以外の情報で作品が損をするよなあ
剽窃じゃなければ、リスペクトもなくて良い、って、わけにはいかないよなあ。
おお…これは…
剽窃
最近、剽窃と創作の議論が成熟し過ぎて「何故参考文献として挙げないの?」みたいな論調多い。いや単に創作はアイデア重視だからそれが他者に依るのか参照があるのか全然違うので動機は明確やんか。挙げるわけない。
News – Yuki Harada
“ 篠田節子さんの小説『青の純度』の書評を執筆しました。共同通信より全国各紙に配信中です。”
ひでえ話だ。
どっかのメディアで素知らぬ顔で原田さんと篠田さんの対談を組んでみたらいかがだろうか
こわ。よっぽどサスペンスじゃん。
うーん、ラッセンをモデルにするのは面白いのに、なんでちゃんと参考文献としてあげないのかなぁ。。。/ラッセンの作品の評価と売り方は個別に考えるべきなのに、まさにそれと類似な事をしてしまっている。
そのまま受け取れば「元ネタ」と言っていいくらいのレベルだが。篠田節子、とても好きな作品がいくつかあるだけにショックが大きい
これは書評をアサインした共同通信が good job かな
公式ではラッセンのモデル小説って言ってない。別に隠してる訳ではないと思うけど、自分はラッセンをモデルにして小説書きましたって言われた方が読みたくなる。 https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-771898-
この手の話はアカデミックな世界でもときどき聞くなあ。
小説の場合、参考文献明示の義務的なルールとかは無いと思われるのだけど、挙げている文献がある一方で重要と思われるものがそっくり抜けてたりするのは、ちょっと引っかかるよね。
篠田節子は明らかに元ネタがあるものを論文のような小説に仕上げるのが上手い人。『弥勒』はポル・ポト、『讃歌』はフジコ・ヘミング。しかしここまで依拠しておいて参考文献にも挙げないのはさすがにどうか。
ルポルタージュを元に小説書くこと自体は普通だけど、献辞くらいはあって欲しいよね。
これは確かに資料として見ないわけがないと思える。
「ラッセンにまつわるリサーチは、ぼくが10数年の年月をかけて、ハワイへの自費での渡航も経ながら行ってきたものです。取材のために費やした時間もコストも莫大なものでした。」
それ以前に「ラッセンがフツーに好き!」現代美術史研究のコンテクストにおいて(いかにポストポップだからといって)どれだけの価値があると思ってやってるのか知りたい(人新世と同じネタ本扱いだとばかり思ってたので
篠田節子は日本でもトップクラスに好きな小説家なので、これが本当なら残念だな。サブエピソードをそのまま持ってきているのなら、その作品の根幹にも関わる部分である
https://seidoku.shueisha.co.jp/2507/read05.html 作者のインタビューではラッセンの絵に触発されたと言ってるな。
キャパのあれみたい
何の法律に違反してるのか?
これが本当なのだとしたら法には抵触していないかもしれないが、ルポタージュ側への仁義やリスペクトもなく、作品の内容以外の情報で作品が損をするよなあ
剽窃じゃなければ、リスペクトもなくて良い、って、わけにはいかないよなあ。
おお…これは…
剽窃
最近、剽窃と創作の議論が成熟し過ぎて「何故参考文献として挙げないの?」みたいな論調多い。いや単に創作はアイデア重視だからそれが他者に依るのか参照があるのか全然違うので動機は明確やんか。挙げるわけない。