いや、本当に衝撃的な話でした。/あの荒俣宏の蔵書ですら半分は買い手すらつかない、というなら、自分の蔵書などゴミ以下だよ、というあきらめもついたが(笑) 追記 https://gendai.media/articles/-/158888 で公開
衝撃的すぎる。古書店や図書館ではなくファン相手のオークションなら・・というのは素人考えなんだろうな
全然衝撃でない。ゴミを捨てただけ。本人にとって500冊以外は不要のもの。KADOKAWAだって1万冊の一部しかいらんでしょ。道義的に生きている間は捨てないだろうけど
でも1万冊はKADOKAWAが引き取ったんだから全然いいな。全部が価値がある本でもないだろうし
本は遺すけど土地は遺さないからな。土地も本も遺す人が居れば「蔵書散逸」とかそういう話にはならないのでは。難しいとは思うが、空き家など有効活用できないか?
アリャマタ・コリャマタ先生!そんなことに/全部なくなるよりマシと考えるべきだろうな。終活大事
↓いや国会図書館は他人からの寄贈も受け付けてるはずだよ。(雑誌類は除くみたいだが) 先に目録を作って送る必要があるみたいだけど、それこそ相談する所だろうし。
“日本で一冊、みたいな本も図書館は寄贈を断る”(国会図書館は発行者寄贈のみ)/大宅壮一/(松岡正剛氏も泉下のヒトに。荒俣氏、『基本読書』『読書猿』『わたしの知らないスゴ本』。初詣で健康を祈っとくわ。🙏
またセルフブックマークに騙されました
作家の書斎を記念館に,アーティストのアトリエを美術館にみたいに公益法人を作って自宅の一角を図書館にするといった方法も考えられなくはないが。維持費を稼ぐの大変かもだが。
ショギョウムッジョ◇ ISBNついてる本は全て処分可、薄い本だけが略
そうだねぇ。今この手の古本の引き取り手の話もそうなんだけど、古本の買手が少なくなっているのもまた本当で、それは稀覯本レベルですらそうらしい。
まぁでも残す500冊のなかに入れなかった一冊なんで…
処分に手間を掛けられるのなら如何様にもできると思う。一気に片付けるとなるとこの顛末になるしかない。
荒俣宏さんが蔵書の処分を行ったという話、なかなか衝撃的。
↓『本人にとって500冊以外は不要のもの』▼要約の中に「トラックを見贈り心が張り裂けそうに」と書かれてるのに不要なもの扱いゴミ扱いと判断するのですか 他人が
コレクターの死 "自分はつてがあり「角川ミュージアム」などで引き受けてくれて半分の1万冊にめどがついた。だが残り半分は「産廃」!!!おそらく日本で一冊、みたいな本も図書館は寄贈を断る。"
ムツゴロウさんを彷彿とさせるな。死は等しく奪ってゆくのだなあ。
京極夏彦辺りに欲しい本ないか聞いてみてから処分したのかな?
作家の手書き原稿すらゴミになる時代、物理的な本には価値よりも負の面が大きすぎる。太古の木簡や石板のように少量残るだけかもしれない。技術が進歩して3Dプリンタと印刷機で復元できるといいのだけど。
「オタクとは 本の置き場に 困る人」という川柳がありましたが、今どきのオタク事情は違うのかもしれないな
衝撃過ぎて吐きそう。日本に一冊しかない本でも買い取りも寄贈も断られるって何がどうなってるの……
国会図書館という選択肢がなかったのは実は「国会図書館の目録にはある」のかなあ
立花隆のネコビルの末路も衝撃だったが、荒俣宏の話もほんとうに衝撃的だ。平凡社が引き取るとかも無理なのだな
これ、せめて将来の荒俣宏研究のために蔵書目録だけでも残して公開してくれればなあと思うのに。おそらく再入手不可なものが多いとは思うがそれでも可能性ゼロではないし書名が分かってるだけでも違うはずなので
図書館が引き取ってくれないのはかなり前から聞いていた。15年前のオヤジの没後、哲学専門の古書店に来てもらったけど「古い洋書は動かないから引き取れない。新しい小説とかは動くから引き取れる」だったなあ。
古い貴重な本ほど優先的にデジタル化が進んでるのでモノはなくてもいいという話になりがちではある。蔵書のラインナップそのものに資料的価値が出る人はごくごく一部
仮に電子図書化して圧倒的にスリム化しても「そのデータを責任もって管理したり、後進に共有したり、コストを負担するのは誰?」という根本的な課題はそのままで、結局は処分の決断の先送りでしか無かったりするよな
みんないるかというと場所が…とか言うんでしょう
本に書かれた情報ではなく物体としての本に拘るのはよくわからん
例えばだけどファンミーティングで「散逸」して欲しかった。が、どう考えても残った本どうすんだとか先生のご負担とか有償だとて旗振り役がいない限りそんな謎イベントできねえだろとか思うので、ただの空想だなぁ。
あと30年もするとガノタのコア層が次々に鬼籍に入るから、積みプラの処分に困ってガンプラの中古市場が暴落するんだろうなーとは予想している。
ユダヤの教えを守る人なら暴動起こしかねない。
だいぶ前から神保町の古書店で荒俣宏の蔵書コーナー作って売ってるので、何冊か買ってる。角川ミュージアムでも荒俣宏の書き込みや付箋つきの本がたくさんあって自由に読めるので興味あれば行くと楽しいよ。
知人友人業者に、欲しい本上げるんで勝手に持ってってやれば良かったのでは。1ヶ月ほどやって、それでも残った本は、処分される運命だと諦めも付く。今時の図書館じゃ選別されてない古書は迷惑でしかないだろうし。
これはクラウドファンディングとか立ち上げて、巨大な寄贈本ストックと再活用の仕組みが必要かもしれない
まあ本の保存はカネ食うからな。。。。今カネ持ってるのはそんなものの価値など皆目理解できない連中だろうし、しょうがないな。
ジモティーに無料で出せば持ってく人がいくらでもいたんじゃないか? 直接有効利用はされなくても、ちょっとでもお金に変えようと最終的には欲しい人の手元に渡ったと思う。
本の本当の価値は分からないものである。
現物の尊さも理解するが、その維持保管の難しさも理解できる。身を切られる思いだったとしてもご自身で処分されたのはさすがだなと思う。そうして失われていくのもその物の運命よ。
正解はSNSで「庭に積んでおくからご自由にお取りください」と呼びかけることだったかも。元来、物書きは資料を大量に仕入れる都合上、本はストックではなくフローであって、常に高額本を大量に捨てる宿命
父が同い年。考えたくない
PASSAGEで荒俣蔵書展をやっていたが、それもこれも一環か
井上靖記念館には蔵書と目録が遺されているが、それは極めて稀な事例なんだろうな(冊数がそこまで多くないというのもあるか・展示されているのは3,000冊くらい)。荒俣宏記念館はいずれつくられると思うけれども…。
図書館も人手がいないしね。知識の蓄積とオーガナイズのシステム整備なあ。100万ぐらいでダーッとスキャンしてくれるシステムでもあればねえ。
私も3000冊くらいは溜め込んでいるのだが、徐々に処分していったほうがいいんだろうな。もはやアイデンティティの一部なので、70代の後半で一気にこれがなくなるのは考えただけでつらい
これって散逸させるより一手に引き受けたほうがよく、散逸するなら処分したほうがマシって考え方もある。植草甚一のレコードコレクションをタモリが全て引き受けた話は有名だが、二人はさほど面識が無かったらしい
荒俣宏記念館があっても不思議でないけどな…世知辛いね
うう、どうしても勿体なく感じてしまうなあ…責任取れないから何も言えないけども。
立花隆の本棚はどうしたんだっけ
骨董扱いで個人に分散保存させるような感じでは如何だろう。
あのちゃんめ…
ああ、なんと勿体ない・・・荒俣氏の資産なんて日本の宝に相当するだろう。クラファン、じゃなくても直で話が来たらグロス100万円投資ならマジでした。青空文庫っぽい荒俣文庫するねんの目的で。
周りの人間もあるていど引き取った上で…なんだろうなあ
明倫館で古い本を買うと蔵書印付きの比率が多い。中には著者校正のある本とか公共団体や企業資料室の払下げ本とかいろいろある
大宅文庫みたいなの作れなかったか/まぁ荒俣さんもそうやって誰かの散逸した蔵書を揃えていた訳で新陳代謝だと思うしその中でこぼれて捨てられてしまうのも残念だがそんなもん。古書市場は尊い。立花隆は売ってた
本の処分、サービスになる?
図書館等に打診したということは、当然知人や古書店などにも打診しているのだろう。それで引き取り手がいなかったというのはそういうことなのでは。
かといってタダ同然でメルカリに出しても誰も引き取らんやろ
稀覯本すらって…欲しい人は必ずいるハズなのに廃棄はないぞ
立花隆氏も猫ビルの蔵書は処分されたというし、鮮やかな引き際ともいえばよいのだろうか。
日本で一冊なら国会図書館が受け入れてくれそうだけど博物学の洋書とかだったのかな。俺も40代後半、値打ちはともかく老後を見据えて持ち物の整理を考えてかなきゃなあ。
国会図書館だけではなくて「全国の図書館の一つの館に、一冊でもいいから蔵書があれば無理に引き取る必要は無い(蔵の空きにも限界があるので)」なのでは。今の日本の図書館データベース化凄いから検索簡単よ。
この知名度でタダで良ければもっと処分出来たはずなので、個人にタダで渡したくなかったか期限を決めてたかじゃないのかな
俺も薄い本が2〜3万冊あるんだがどうすれば。友人が引っ越しのときダンボール30箱くらい処分したくて大手特殊古本屋に打診したら拒否されたしなあ
『図書館ですら寄贈を断られた』おそらく我々の想像以上に時間をかけて本の行き先を考え、手を尽くした上で泣く泣く廃棄処分という選択だったのだろう。学術的な機関以外には譲りたくなかった気持ちもあるのだろう。
こちらで人を雇って目録作りするところまでやるから寄付したい、くらいまで言うと出身地とか縁のある土地の図書館なら可能性はあるのかな。
(T_T)
日本に一冊レベルの本だったら国立国会図書館が引き受けてくれそうだけど、処分ってことは断られたのかな。さすがに確認してるよね。
これは誰かに頼んで引き取り手をなんなら公募した方が良かったと思うけど、その気力がなかったのだと思う。うちも亡くなった母の蔵書をどうするかわりと悩んでる。
1万冊が神保町に流れてるってことなのかな? /夫の祖父が技術者でそれ関係の洋書をバンバン買ってたらしいのだが、引き取り手がなくて(義父談)昨年手放したなあ… 勿体無いけれど、昔の技術書はどうしようもな
書き込みや付箋があるなら厳しそう。荒俣宏の研究者はほしいかもしれないけど。/がんの診断受けた父も終活してるけど、まだ本とか書類はいっぱいある。私の本も沢山ある。末代なので、処分をがんばらないとならない
皆こないだ「貴重な資料がネットで見れるようになった」て喜んでたのに今驚いてるのが驚き/ では希望者に100冊ずつお持ち帰りいただきます、で手が上がるか。鹿島茂氏は日本ではまず場所が要る(無い)と。
神保町や角川ミュージアムにある程度は流れたけど、残りが処分されたんですね。オークションなどは手間を考えると面倒なのですよね。
“蔵書一代”まぁ現実はそうよな。年取ったら私設図書館みたいなの作ってーみたいなぼんやりした願望があったけど、現実は厳しい…。
生前に整理したから欲しい人に目星がついて、一万冊も行き先が見つかった。荒俣先生が死んでからだったら2万冊全部廃棄です。身を切る思いをしての英断
1万冊廃棄とはいうけど、ブコメ情報から察するに、処分場の前に神保町のフィルターにかけられたようなので、良かったのではないかしら? 角川ミュージアムにも行ってみたい。
図書館で電子データにしたら保管してくれるとかは無理かなあ。今は図書館自身が電子化したものじゃないとダメだったはずなら図書館が電子化受入を決めて、専門業者が図書館から請け負う形で、費用は寄附で賄うとか
荒俣宏研究だと狭すぎるので別名目の有意義そうな理由で電子化してどっかの片隅にぶち込めなかったのかな。もう手遅れなのはそう。電子化したら意味ない書籍があるのもそう。
こういうのを引き取る方法が有ればなあ。
「あの」「あの」って書きたくなるのよくわかる。何とも言えない気持ちだ。
神田の古書店に寄付するとか
BOOKOFF経由でも欲しい人に渡ったら幸せだったかも…
Anthropicあたりに引き取らせてAI学習の肥やしにしたほうが有意義だったまであるな…
うわー自分も本を処分しないとなあ…年取ってからやるより今のうちにやっておきたくなった
荒俣さんの蔵書だと、雑本的なものも多いのだろうか
電子媒体として残せなかったのか?友人知人に配るとか?古本屋に引き取ってもらったり。ヤフオクかメルカリで売るにしても、分量が多いから無理なのかな。図書館って近場のしか相談してないよな。
バラでも古本市場に流れてくれればよいな。
現実的には国会図書館に予算を付けて、非蔵図書の受入れと、全蔵書の電子化を進めるのが良さそうな気がする。紙のままでの保存は容量や紙の劣化等を考えると何百年も続けられないだろうし。
あの博学が…あの書痴が…。合理的な判断としては正しい気がするが、そういう意味では正しくあって欲しくなかった。
稀覯本の買い手、引取りできる人がどんどん減っている話は聞く
在庫ってただじゃないのいい加減広まってほしい。当の本人が決めたことだし外野は黙ろうぜ。譲るにしても胡散臭いの増えすぎてな〜
図書館や博物館はどこもパンパンで置き場が無い状態。寄付はお断りが普通ですよ。古本は市場そのものが激減している。
メルカリも古書は買い手いないしなあ
国力の衰退を実感させられる
2万冊を一度に処分してしまおうとすればそうなってしまうのも仕方がない。引き取り手が見つからない本が数百冊くらいならなんとかしようと足掻いたかもしれないが、1万冊もあるからこそ諦めがついたのかもしれない。
胸が張り裂けそう。あの荒俣氏が本を処分したというのも、その本の多くを廃棄せざるを得ないというのも。氏のコレクションはそのまま残してほしかった。角川ミュージアム頼りにならん…。
その1/100くらいだろうけど、私も終活せんといかん…
やはり地価最高点徒歩4分内、乗り物0 /pdf化
ミニマリストやこんまりが色や高さで揃えてインテリアとして扱え捨てろと言ってた時点で「価値」の決着はついてたのかもね 本を称揚する本を読みつけてる本好きな人の方が圧倒的にマイノリティなんだろうな
いや、荒俣宏の蔵書はさ、そうだったのかもしれないし、それは俺も残念だと思うけど、ウチのは違うから。最終的には全部売れば宇都宮に自社ビル建つくらいにはなるし、今はまだその途中だから。
似た例で例えば全く同じ稀覯本を2冊持ってたとしてうち1冊を躊躇いなくゴミ箱に棄てたら手元に残った1冊の価値が上がる(最大で2倍)と冷徹に判断できる人でないと「コレクター(収集家」とは呼べないので(当たり前の話
地方だけでも大きな家持てる税制にして書籍なり置けるようにならないもんなのか
情報パッケージとしての書籍の終わり。価値ある情報は電子化され共有されるのが理想だがそうはならなかったんだよ…
何が衝撃なのかわからん
目端のきく業者なら転売するだろう、と思ったら現トップコメからするに一部かもしれないけどやっぱり市場に出てるのか?引き取り手はなかったのかな?京極堂とか。
ブクマカ自ら金を出して買い取るといったコメント無し。
国で管理してもらってもいいレベルやない?
だから図書館とか大学とかの予算って大事なんだよなあ。
奇観本が産廃に、と聞けば勿体無い話だが、例えば大勢で何冊かずつ引き取ったとしても、それはそれで散逸の一つの形なんだよなとも思う。
デジタルだったらこんなことにはならない、エジプトのパピルスだってデジタル保存なんだから。紙の本はうぬぼれるな
ブクマカでもPASSAGEの名前までは出てこないのか。araikacang氏のいう「荒俣宏の蔵書コーナー」はたぶんここだよ。さあ、買い漁れ!https://passage.allreviews.jp/store/342PVPLSW22I6ETYU6OEWP6X
言い値で一括引き取りしてくれる古書店探せばありそうな気もするけど、2万冊もあったらもう大変だろうしな。。
帝都物語で好意的に描かれた渋沢家が何かしてくれてもいいのに
この先、500冊からまた数千冊へと増えていかないんだろうか?
どこかの体育館にどさっと広げて、「ご自由にお持ち帰りください」、とやればファンや好きモノや転売ヤーがどっさり持っていってかなり減りそうだけどな。
こういうときこそ転売ヤーを活用して、ただで譲り渡す代わりに1冊ずつ出品させる契約を結んだらどうだろう。売れ残りの破棄は禁止(回収してこちらで破棄するスキーム)にして。
うわー
送りつけていい古本買い取りにでも出せばよかったのに
書評家・日下三蔵の「断捨離血風録: 3年で蔵書2万5千冊を減らす方法」も読んだけど。古本コレクターの終活は大変だな…
スキャンしてくれ。装丁は大事だが中身はもっと大事
僕も税金で買った本の138話目が脳裏に浮かんだ
図書館って寄贈本を受け取るだけ受け取って一度も書架(閉架も含めて)に並べずに一定の期間が来たら廃棄、とか普通にやるからね。あそこは本を読むところで飾る場所じゃないから、希少価値なんてどうでもいいし。
スキャンしてocrでPDF化でも、手間が馬鹿にならない(字の誤検出チェックが必要)ので、電子化も大変・・・これもAIが進化すれば多少楽になるのか?後は田舎のただ同然の土地に保管庫を建てて保管だけど、維持費が・・
>500冊 ←参考にしよ
じゃあ、わたし(お前)達でかうしかないという
自分が厳選して溜め込んできた漫画も二束三文でした (´・ω・`)
本の価値自体が下がっているのか。分野ごと廃れて、研究者や興味を持つ人が減れば、買い手も減り、価値は下落する。価値観の激変が静かに既に進んでいたのかも。なんとなく過去に興味を失った時代の気がする
読んでしばらく無言になってしまった。まあ1万冊も引き取られたのは幸いだったか。
https://mems.metu.edu.tr/sites/mems.metu.edu.tr/files/webform/cpu/does-coinbase-email-customers.pdf
角川で全部引き取ればいいのに。サクラタウンの潰れたうどん屋カラオケ屋とか空きスペースは沢山あるだろうに。角川ミュージアムの新館長に何故か池上彰が就任したが、荒俣がやればいいのになあ
今まさに親と自分の本を整理中なんで、哀しいけど無理もない。古本屋は売れそうな本だけ抜いていった。一冊50円前後で。国会図書館も条件付きで受け入れるんで該当のものは送る予定。
財産の整理って難しいんだな
“加藤保憲が平将門の霊を呼び戻しても、ここまで巨大な破壊はむずかしかったろうて・・・・・”
「紙くず」が産業廃棄物になるには排出事業者の業種が限定されているんだけど、それは近いものでも出版業の場合で、執筆活動によって排出された紙くずたる廃棄物が一般廃棄物でなくて産業廃棄物というのは信じがたい
処分?荒俣宏図書館とかできなかったのかなぁ… 貴重な本がこの世から消えたのならば惜しいけど潔さは荒俣先生らしいのかな?
自分が荒俣氏だったとして「あの荒俣ですけど本当にいいんですか?」とは聞けないだろうし、どういう問い合わせ方をしたのか気になるところではある
後世に引き継がれていく代表みたいな紙媒体の物がこんな感じで廃棄されて幻と化するのデストピア感ある
全部デジタル化しておけば知の喪失もないだろうし。もう紙の本は買ってないから、Kindleばかり。私が死ぬまでKindleだけはサービスを継続してほしい。
半分は助かったのか。角川いい仕事したじゃん。捨てられた残りは比較的手に入りやすいものだったんだろうと思いたい。
おれも最近引っ越しに伴って本をだいぶ処分したんだが、今の自分を作り上げてきたものが削り取られる気がして苦しかった。
まあ図書館にせよ古書店にせよ、経営状態を考えると(置き場含めて)ただでも引き取れないということだろうけど、世の中の金持ちインフルエンサー勢が気前良く引き取ってあげなよノブリスオブリージュでさー、、、
角川に渡すという話、8年前には出ているようだが… https://x.com/kituneobi/status/890211203741392896
日本に一冊しかないのに国会図書館もだめなん? そもそも選別する作業する手間暇が無理?
本を神聖視してる人は嫌ね。半分は古本屋でも引取拒否され金払って廃棄だそうだが、悲しいのは本人ばかりって事よね。記事の本質は病気で死の淵を覗くと価値観が変わるという教訓だろう。豪邸も本も急に負債になった
そういえば立花隆氏の蔵書もどうなったんですかね。
日本人口のボリューム層が爺となり生前や死後に放出されていってる。若者は金はないし過去の本には興味ない。中古ゲームみたいな世界的な価値もないからな
生涯をかけて収集した蔵書。2万冊のうち1万冊が産廃にしかならない……
図書館予算を拡充を訴えたほうがマシなのでは
オリンピックがらみの件がなければ、全部引き取ってた可能性があるんだろうな>角川ミュージアム
どんな知識人の蔵書でも最低でも半分ぐらいはゴミになるのはまぁそんなもんかな。普遍的な価値がある本しか読んでないというのもバランス悪いし。
こういうのって有志で委員会作って蔵書さばきコーナーできないのかね?
処分する前にAIに簡単に学習させれるようになればね…概念化されたベクトルデータとしてAIの記憶の片隅にほんのり残るかもしれない
半年もせずポックリ逝くのでは?うちの2000冊ですら、これまで生きてきた意味、意義がゴミにしかならないと言うのは堪えて死にかけた。そう、断捨離は死に至る行為
まじかー。すごいショックだ。
個人美術館とかやれそうなのにと思ったけど、どれくらいそういう記念館みたいなのに足を運んでいるかと言えば…やっぱ処分になるのか。もったいない気がしてしまう
生の儚さ。時は人を待たず
あのーあんまり悲しいこと書きたくないけど、図書館に寄贈しても、2000年より前の本は、書庫に直行だと思われます。図書館の書庫ってどのくらい広いかわがんあいけど。1980年の経済の本すら、書庫で眠る。
ご本人が意を決したおかげで半分の1万冊は捨てられずに済んだのを僥倖と考えるべきか。他の人が書いているように、死後だと全部が廃棄物処理になりかねないし。
いっぺんにということなので分類が手間なんだろうな。せどらーに任せたら捌けそうではあるけど(終活買い取りせどらーとかおるんやろか)
荒俣宏って希少本の蔵書も豊富だけどそれ以上に値段のつかない普通の人から見ればゴミみたいな本をたくさん持ってる人というイメージだった
日展などに度々出品しているような人の作品に関しても、相当高名な人を除いてはどこも引き取ってはくれない。/遺族が保管場所に困れば、残念ながらゴミとして廃棄される。
我々が生きている間の出版物で、今から1000年後に残ってる物ってなんだろうなぁ。
本が産廃扱いとは大ショックです
終活かー。1番やりたくないことなんだけどなあ。マンガどうしよ。2万冊はないとはおもうけど、半分が産廃とか聞くとますますやる気がなくなる。
引き取るにしても物理スペースが必要なのと、本のメンテ作業という継続経費がかかるものな。文化資産を残すには世の中に余裕が溢れてないと出来ない
京極夏彦先生が怒りそう。。。
「荒俣宏が~蔵書を整理する~」とつい歌ってしまった(川口浩探検隊のメロディー)
稀覯本もそれを欲しいと思う人が極めて少ないならただの珍しい本であって価値はないということか。
ショックだ。荒俣さんのコレクションなんて、世界の中でも貴重なコレクションだと思うんだけどなぁ…。どなたかも言ってるけど目録だけでもあればなぁ…。私も本持ちなので身につまされる気持ち
荒俣宏の蔵書ですら散逸するのか。というか70代になるとやっぱマンションみたいなところでミニマムな暮らしをせざるを得なくなるのかなあ……
すでに指摘あるが、生前に整理してくれてよかった。没後に価値判定出来ない親族が担うのはしんどすぎる。
日の丸国旗とクルアーンを置換可能とかいうバカhttps://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2025/08/10/121411が大げさに嘆いて見せるのは知識の価値を理解していないが蔵書という財産が気になるだけだからだろうね
「あの」ちゃんが何か関係しているのかと一瞬(違います)
むしろその500冊
本の整理は目録を作る必要もあるから大変なこと。1万冊が助かっただけでも良しとするしかない。。
マンションに引越したあとに自宅開放して好きな本ご自由に持って行ってくださいというイベントやれば全ての蔵書捌けたのでは・・・?
「妻が困る」ってのがリアル。家の蔵書は質・量とも荒俣先生と比ぶべくもないが子が困るだろうと思って転勤のたびに少しずつ処分してってる。まだ実家に残してる本もあるし……
知らん人にとってはただのゴミだからな。しょうがない。
荒俣宏なら貴重な蔵書を必要とする人、団体との繋がりもありそうなものだから、それでも譲渡しきれなかった世界に一冊の本ってそうとうニッチだろ
メルカリで売る業者もいないのかね
以前 古本屋で、共産党関係の書籍を買ったら、取引が成立した後、「実は立花隆氏の蔵書でした」と言われた。生前の本人の希望で、読んでくれる人間の手に渡るようにしたという事らしいけれども…
たった50年がたった20世代でもう1000年だからな。それで残ったのはあのくらいの量なわけで。歴史的にも「よくあること」なのかもしれないし,それで良いのかもしれない。過去に囚われすぎるのも良くない
500冊しか持ってない荒俣宏というのがイメージしづらい
作家なんだし知人に一声かければ引き取り手はいくらでも出ただろう。自分の名と共に残せないなら自分の人生の道連れにしたい。寄贈ならいいけどタダでもっていかれるぐらいなら処分したいタイプは大体これ。
嘘だろ、「あの」荒俣宏氏が「あの」蔵書2万冊を処分だなんて…
若い頃に饅頭で空腹をしのいで本代に注ぎ込んだとか聞いたから、身体的には良くないだろうなぁ /せめて背表紙だけでも撮影してあれば後からリストに出来るのだがリストはもうあるのかなないのかな
荒俣宏は以前から何度も蔵書を整理していて今回が最終処分のようなので一番貴重なものは人手に渡ってるんじゃないかな……と思いたい。荒俣宏の全蔵書がたった二万冊なわけない。
私設図書館でも平凡社が作ってあげればよかったのにね
最近、山崎正和が蔵書とか全部アーカイブ化されてたなと思い出した、バーチャル書棚で見られる。なかなか出来ることではないが…https://archive.yamazaki-masakazu.jp/
絶縁していた父親の後添いが父親の死後連絡してきたのが、本の扱いに困ってやむなくって感じだったな 即弁護士に連絡してサヨナラしたけど 本の価値のわからん人でも躊躇があるのに荒俣さんの辛さ想像に余りある
知の巨人(狂人?)である。もっとも、昔のように大量の書籍を自宅と自分の脳内にため込むより、素人がネットで検索できる量の方が圧倒的に多い時代でもあり。
絵もそうだよね。超有名画家以外はどこも引き取ってくれないから、遺族が処分することになる。悲しい
荒俣先生の本が産廃に!?ボクのお宝も危ういにゃ!終活怖いけど、猫缶は別腹にゃ!
悲しいな。パッセージでの荒俣蔵書がより貴重に感じられる。邪推でしかないけど、元CAの妻の理解もなさそうだなと思ってしまった
あのちゃんと荒俣宏が交互に頭に浮かんでくるタイトルで草
ネットのアマチュア識者が古本界隈について荒俣宏より詳しいとは思えないのでこれが現実・限界なんだろうな。荒俣宏でさえこれなんだから知らん老人の蔵書なんてゴミよ
えええ個人で引き取ってくれる人はいたんでないの?????
78歳か。「一戸建てを売却しマンションに移った」「引っ越し先に持参した本は500冊のみ。家の蔵書2万冊の処分に困った」/うちで、えぐいペースで増えるアニメグッズを処分するのも、そう遠くない将来か……(←オイ)
電書で解決できる、明確な紙本のデメリット。貴重な本の価値が高いとは限らんし、自炊も大変だな。
どんな本が残ったのか解らないが、古い小説や、民俗学の資料になりそうなものだったら、割と本気で、2~3000冊位なら引き取ったのに。事前に明るみにしてくれていたらなと残念におもう。
荒俣宏氏の蔵書も売れないのか。ショック。たしか故立花隆氏の蔵書もほとんど売って猫ビルも売りに出してしるのかな。蔵書って売れないのかな?規模は小さいが私も先日本をかなり二束三文で売ったり資源ごみに出した
自分はコレクションすることから完全に興味を失ってしまったからなあ。大変惜しいこととは思うが共感することはできない。
持参した500冊って、自著だけでそれくらいいくのでは
これはもうしょうがないんだろうな。希少ではあっても貴重ではない、と見なされるものは今後もたくさん出てくるだろう。
本を裁断するのは酷いみたいなのあったけど、結局、後世に役立てたいならスキャンしてOCRかけてデジタル化した方が良いんだろな。HD1つなら誰か引き取ってくれるだろうし。管理コスト要らんもん
定年退職して研究室を引き払う先生の蔵書も困るんよな。/今はデジコレあるから物理の古本はますます売れなくなるはず/一回だけ立花隆の猫ビル入ったことあるけどすごかったなぁ
残した500冊のリストが欲しい/廃棄されるのはどうにかデジタル化できんもんかね
電子書籍は逆に資産にしたい時にできないのが一長一短ですわな
そもそもの話が、日本に一冊しかない本だろうが、引き取られないということはその本はその程度の価値しかない。それを損失かのように語る人達。流行曲より現代音楽の方が高尚で歴史に残すべきとか思ってそう。
日本が当てにならないなら、せめてGoogleが引き取ってくれたりせんのかな。本に書き込まれたメモも含め自動でデータにして、AIに食わせれば価値が温存される気がする。
ちゅ、多蔵書
角川ミュージアムが半分を引き取ってくれたのはさすが荒俣氏のツテというか。ゲームなら海外のマニアがカネ出してでも捕獲しに来るけど、本は言語の壁もあるし、稀覯本でも「欲しい人」がいないこと多いんだろうな
2008年くらいから1,2年かけて全ての紙の本を裁断してPDFにしてそれ以来紙の本を買ってない。数台のローカルとサーバーにrsyncしてる。生きてるうちは消えないが死んだら手間なく消えるようにしてる。
父の遺品整理でどう調べても価値がある美術書100冊程を見積もりに出したら『全部で1万円です』って返事が殆どで、結局何十万と値段をつけてくれた場所に売ったけどそれも一店舗だけだった。自分の本も手放した。
荒俣先生のこのニュース仕方がないとはいえなんとも寂しい。
違法です。産業廃棄物として処分したなら。
国会図書館のデジタルコレクション見てると、利用者に荒らされた本って結構あるんだよな。それを補完・補正する気は国会図書館にないだろうし、電子記録として残っても、不備のある本が後世に伝わることになる
退職する大学教授ですら大学図書館に寄贈を打診してもまず断られるらしいので。僕の知っている蔵書家で言うと、京極夏彦なども数十年後にはこうなるのだろうか。
荒俣先生の知名度なら、100名位の暇な転売ヤー呼び集めて200冊ずつ押し付ければ、とか思ったがまあ難しいか。希少本は価値がないのではなく、必要とする人に繋がりにくいのが問題。欲しい人が現れた時には既に本は無く
https://x.com/hon_no_zasshi/status/1978342296404779484 本の雑誌が「声掛けてもらえればっ」って悔やんでた
燃やされて空気中にばらまかれることは、脱炭素の流れにも反する。
あなたが欲しくないものは他人も欲しくないってことだよ
保管はなんとかなるだろうに、価値あるものも産廃になってしまうんだな。図書館もタコツボだな。
丁度、岡田斗司夫アーカイブで「僕の(プラモやグッズの)コレクションなんて、ハブである僕にとってだけ意味があるんであって、僕が死んだら何の価値もないんですよ」という話を聞いたところ。
溜め込んだところで価値がない、もしくは正しく価値判断されるとは限らないので手元に置くことにあまり重きを置かなくなった。
逆に、これまで人類が失なってきた文書がどれだけのものか。その一端でしか無いんだろうな。
勿体ねえ。荒俣宏氏が所有していた本ってだけでお金出す層もそれなりにいそうなもんだが。
角川ミュージアムの蔵書とても良かったです。もし通年パスがあるのならば購入して通って読みたいぐらい。まさかこんな背景だったとは知りませんでした。
人生の終活。「蔵書」や「コレクション」の分野からは一足先に「引退」していく人が多い
えええーっ(白目)!!!
日本が1番豊かだったときに蒐集した蔵書を、子供ですら贅沢品の人たちが保存して受け継ぐなんてできるはずがない。
子供の頃は本は宝探しや一期一会の感覚があったからとても貴重だったが、今や青空文庫やAmazonやKindleで簡単に手に入れられる時代になった。絶版になるような希少本は僕には縁がない。
終活。状態が良くて価値のある数冊、数十冊くらいまでなら欲しがる人や買ってくれる古書店も多いと思うけど、それでも大量に残るからなー。私設図書館を作って維持する基金とかが無ければ、廃棄するしかないよね。
吐くくらいなら引き取ればいいのに
ブックオフの出番はなかったの?SNSで告知したら喜んで引き取りに来る古本業者とかいそうだけど……いくらなんでも多すぎか
でも引取先探すために晩年の貴重な時間をたっぷり使えとは口が裂けても言えない
荒俣蔵書でもこんな扱いなんだから、庶民の本棚はほぼ無価値。うちの老母も終活で1万冊以上捨てたけど、紐で括って捨てるのに何年もかかってた。本棚の思い出あって切ないけど引き受けられない…
PASSAGEの売立てリスト見ても「稀覯本」は皆無なので、良い物はちゃんと仕分けられたのだな、と。
『残り半分は「産廃」!!!おそらく日本で一冊、みたいな本も図書館は寄贈を断る。』⇒ここ、どうしてなんだろ?
なるほど。池上彰が角川ミュージアムの館長に抜擢されるはずだわ。荒俣先生、そんな状況になっていたのか・・・
うちも専門書が1万冊はあるんだよな。残したいけど、残せるだろうか。
もう本当に衝撃…「あの」荒俣宏氏が「あの」蔵書2万冊を処分。半分は『産業廃棄物』扱い…一戸建てからマンションに。もちろん「終活」【記録する者たち】 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
いや、本当に衝撃的な話でした。/あの荒俣宏の蔵書ですら半分は買い手すらつかない、というなら、自分の蔵書などゴミ以下だよ、というあきらめもついたが(笑) 追記 https://gendai.media/articles/-/158888 で公開
衝撃的すぎる。古書店や図書館ではなくファン相手のオークションなら・・というのは素人考えなんだろうな
全然衝撃でない。ゴミを捨てただけ。本人にとって500冊以外は不要のもの。KADOKAWAだって1万冊の一部しかいらんでしょ。道義的に生きている間は捨てないだろうけど
でも1万冊はKADOKAWAが引き取ったんだから全然いいな。全部が価値がある本でもないだろうし
本は遺すけど土地は遺さないからな。土地も本も遺す人が居れば「蔵書散逸」とかそういう話にはならないのでは。難しいとは思うが、空き家など有効活用できないか?
アリャマタ・コリャマタ先生!そんなことに/全部なくなるよりマシと考えるべきだろうな。終活大事
↓いや国会図書館は他人からの寄贈も受け付けてるはずだよ。(雑誌類は除くみたいだが) 先に目録を作って送る必要があるみたいだけど、それこそ相談する所だろうし。
“日本で一冊、みたいな本も図書館は寄贈を断る”(国会図書館は発行者寄贈のみ)/大宅壮一/(松岡正剛氏も泉下のヒトに。荒俣氏、『基本読書』『読書猿』『わたしの知らないスゴ本』。初詣で健康を祈っとくわ。🙏
またセルフブックマークに騙されました
作家の書斎を記念館に,アーティストのアトリエを美術館にみたいに公益法人を作って自宅の一角を図書館にするといった方法も考えられなくはないが。維持費を稼ぐの大変かもだが。
ショギョウムッジョ◇ ISBNついてる本は全て処分可、薄い本だけが略
そうだねぇ。今この手の古本の引き取り手の話もそうなんだけど、古本の買手が少なくなっているのもまた本当で、それは稀覯本レベルですらそうらしい。
まぁでも残す500冊のなかに入れなかった一冊なんで…
処分に手間を掛けられるのなら如何様にもできると思う。一気に片付けるとなるとこの顛末になるしかない。
荒俣宏さんが蔵書の処分を行ったという話、なかなか衝撃的。
↓『本人にとって500冊以外は不要のもの』▼要約の中に「トラックを見贈り心が張り裂けそうに」と書かれてるのに不要なもの扱いゴミ扱いと判断するのですか 他人が
コレクターの死 "自分はつてがあり「角川ミュージアム」などで引き受けてくれて半分の1万冊にめどがついた。だが残り半分は「産廃」!!!おそらく日本で一冊、みたいな本も図書館は寄贈を断る。"
ムツゴロウさんを彷彿とさせるな。死は等しく奪ってゆくのだなあ。
京極夏彦辺りに欲しい本ないか聞いてみてから処分したのかな?
作家の手書き原稿すらゴミになる時代、物理的な本には価値よりも負の面が大きすぎる。太古の木簡や石板のように少量残るだけかもしれない。技術が進歩して3Dプリンタと印刷機で復元できるといいのだけど。
「オタクとは 本の置き場に 困る人」という川柳がありましたが、今どきのオタク事情は違うのかもしれないな
衝撃過ぎて吐きそう。日本に一冊しかない本でも買い取りも寄贈も断られるって何がどうなってるの……
国会図書館という選択肢がなかったのは実は「国会図書館の目録にはある」のかなあ
立花隆のネコビルの末路も衝撃だったが、荒俣宏の話もほんとうに衝撃的だ。平凡社が引き取るとかも無理なのだな
これ、せめて将来の荒俣宏研究のために蔵書目録だけでも残して公開してくれればなあと思うのに。おそらく再入手不可なものが多いとは思うがそれでも可能性ゼロではないし書名が分かってるだけでも違うはずなので
図書館が引き取ってくれないのはかなり前から聞いていた。15年前のオヤジの没後、哲学専門の古書店に来てもらったけど「古い洋書は動かないから引き取れない。新しい小説とかは動くから引き取れる」だったなあ。
古い貴重な本ほど優先的にデジタル化が進んでるのでモノはなくてもいいという話になりがちではある。蔵書のラインナップそのものに資料的価値が出る人はごくごく一部
仮に電子図書化して圧倒的にスリム化しても「そのデータを責任もって管理したり、後進に共有したり、コストを負担するのは誰?」という根本的な課題はそのままで、結局は処分の決断の先送りでしか無かったりするよな
みんないるかというと場所が…とか言うんでしょう
本に書かれた情報ではなく物体としての本に拘るのはよくわからん
例えばだけどファンミーティングで「散逸」して欲しかった。が、どう考えても残った本どうすんだとか先生のご負担とか有償だとて旗振り役がいない限りそんな謎イベントできねえだろとか思うので、ただの空想だなぁ。
あと30年もするとガノタのコア層が次々に鬼籍に入るから、積みプラの処分に困ってガンプラの中古市場が暴落するんだろうなーとは予想している。
ユダヤの教えを守る人なら暴動起こしかねない。
だいぶ前から神保町の古書店で荒俣宏の蔵書コーナー作って売ってるので、何冊か買ってる。角川ミュージアムでも荒俣宏の書き込みや付箋つきの本がたくさんあって自由に読めるので興味あれば行くと楽しいよ。
知人友人業者に、欲しい本上げるんで勝手に持ってってやれば良かったのでは。1ヶ月ほどやって、それでも残った本は、処分される運命だと諦めも付く。今時の図書館じゃ選別されてない古書は迷惑でしかないだろうし。
これはクラウドファンディングとか立ち上げて、巨大な寄贈本ストックと再活用の仕組みが必要かもしれない
まあ本の保存はカネ食うからな。。。。今カネ持ってるのはそんなものの価値など皆目理解できない連中だろうし、しょうがないな。
ジモティーに無料で出せば持ってく人がいくらでもいたんじゃないか? 直接有効利用はされなくても、ちょっとでもお金に変えようと最終的には欲しい人の手元に渡ったと思う。
本の本当の価値は分からないものである。
現物の尊さも理解するが、その維持保管の難しさも理解できる。身を切られる思いだったとしてもご自身で処分されたのはさすがだなと思う。そうして失われていくのもその物の運命よ。
正解はSNSで「庭に積んでおくからご自由にお取りください」と呼びかけることだったかも。元来、物書きは資料を大量に仕入れる都合上、本はストックではなくフローであって、常に高額本を大量に捨てる宿命
父が同い年。考えたくない
PASSAGEで荒俣蔵書展をやっていたが、それもこれも一環か
井上靖記念館には蔵書と目録が遺されているが、それは極めて稀な事例なんだろうな(冊数がそこまで多くないというのもあるか・展示されているのは3,000冊くらい)。荒俣宏記念館はいずれつくられると思うけれども…。
図書館も人手がいないしね。知識の蓄積とオーガナイズのシステム整備なあ。100万ぐらいでダーッとスキャンしてくれるシステムでもあればねえ。
私も3000冊くらいは溜め込んでいるのだが、徐々に処分していったほうがいいんだろうな。もはやアイデンティティの一部なので、70代の後半で一気にこれがなくなるのは考えただけでつらい
これって散逸させるより一手に引き受けたほうがよく、散逸するなら処分したほうがマシって考え方もある。植草甚一のレコードコレクションをタモリが全て引き受けた話は有名だが、二人はさほど面識が無かったらしい
荒俣宏記念館があっても不思議でないけどな…世知辛いね
うう、どうしても勿体なく感じてしまうなあ…責任取れないから何も言えないけども。
立花隆の本棚はどうしたんだっけ
骨董扱いで個人に分散保存させるような感じでは如何だろう。
あのちゃんめ…
ああ、なんと勿体ない・・・荒俣氏の資産なんて日本の宝に相当するだろう。クラファン、じゃなくても直で話が来たらグロス100万円投資ならマジでした。青空文庫っぽい荒俣文庫するねんの目的で。
周りの人間もあるていど引き取った上で…なんだろうなあ
明倫館で古い本を買うと蔵書印付きの比率が多い。中には著者校正のある本とか公共団体や企業資料室の払下げ本とかいろいろある
大宅文庫みたいなの作れなかったか/まぁ荒俣さんもそうやって誰かの散逸した蔵書を揃えていた訳で新陳代謝だと思うしその中でこぼれて捨てられてしまうのも残念だがそんなもん。古書市場は尊い。立花隆は売ってた
本の処分、サービスになる?
図書館等に打診したということは、当然知人や古書店などにも打診しているのだろう。それで引き取り手がいなかったというのはそういうことなのでは。
かといってタダ同然でメルカリに出しても誰も引き取らんやろ
稀覯本すらって…欲しい人は必ずいるハズなのに廃棄はないぞ
立花隆氏も猫ビルの蔵書は処分されたというし、鮮やかな引き際ともいえばよいのだろうか。
日本で一冊なら国会図書館が受け入れてくれそうだけど博物学の洋書とかだったのかな。俺も40代後半、値打ちはともかく老後を見据えて持ち物の整理を考えてかなきゃなあ。
国会図書館だけではなくて「全国の図書館の一つの館に、一冊でもいいから蔵書があれば無理に引き取る必要は無い(蔵の空きにも限界があるので)」なのでは。今の日本の図書館データベース化凄いから検索簡単よ。
この知名度でタダで良ければもっと処分出来たはずなので、個人にタダで渡したくなかったか期限を決めてたかじゃないのかな
俺も薄い本が2〜3万冊あるんだがどうすれば。友人が引っ越しのときダンボール30箱くらい処分したくて大手特殊古本屋に打診したら拒否されたしなあ
『図書館ですら寄贈を断られた』おそらく我々の想像以上に時間をかけて本の行き先を考え、手を尽くした上で泣く泣く廃棄処分という選択だったのだろう。学術的な機関以外には譲りたくなかった気持ちもあるのだろう。
こちらで人を雇って目録作りするところまでやるから寄付したい、くらいまで言うと出身地とか縁のある土地の図書館なら可能性はあるのかな。
(T_T)
日本に一冊レベルの本だったら国立国会図書館が引き受けてくれそうだけど、処分ってことは断られたのかな。さすがに確認してるよね。
これは誰かに頼んで引き取り手をなんなら公募した方が良かったと思うけど、その気力がなかったのだと思う。うちも亡くなった母の蔵書をどうするかわりと悩んでる。
1万冊が神保町に流れてるってことなのかな? /夫の祖父が技術者でそれ関係の洋書をバンバン買ってたらしいのだが、引き取り手がなくて(義父談)昨年手放したなあ… 勿体無いけれど、昔の技術書はどうしようもな
書き込みや付箋があるなら厳しそう。荒俣宏の研究者はほしいかもしれないけど。/がんの診断受けた父も終活してるけど、まだ本とか書類はいっぱいある。私の本も沢山ある。末代なので、処分をがんばらないとならない
皆こないだ「貴重な資料がネットで見れるようになった」て喜んでたのに今驚いてるのが驚き/ では希望者に100冊ずつお持ち帰りいただきます、で手が上がるか。鹿島茂氏は日本ではまず場所が要る(無い)と。
神保町や角川ミュージアムにある程度は流れたけど、残りが処分されたんですね。オークションなどは手間を考えると面倒なのですよね。
“蔵書一代”まぁ現実はそうよな。年取ったら私設図書館みたいなの作ってーみたいなぼんやりした願望があったけど、現実は厳しい…。
生前に整理したから欲しい人に目星がついて、一万冊も行き先が見つかった。荒俣先生が死んでからだったら2万冊全部廃棄です。身を切る思いをしての英断
1万冊廃棄とはいうけど、ブコメ情報から察するに、処分場の前に神保町のフィルターにかけられたようなので、良かったのではないかしら? 角川ミュージアムにも行ってみたい。
図書館で電子データにしたら保管してくれるとかは無理かなあ。今は図書館自身が電子化したものじゃないとダメだったはずなら図書館が電子化受入を決めて、専門業者が図書館から請け負う形で、費用は寄附で賄うとか
荒俣宏研究だと狭すぎるので別名目の有意義そうな理由で電子化してどっかの片隅にぶち込めなかったのかな。もう手遅れなのはそう。電子化したら意味ない書籍があるのもそう。
こういうのを引き取る方法が有ればなあ。
「あの」「あの」って書きたくなるのよくわかる。何とも言えない気持ちだ。
神田の古書店に寄付するとか
BOOKOFF経由でも欲しい人に渡ったら幸せだったかも…
Anthropicあたりに引き取らせてAI学習の肥やしにしたほうが有意義だったまであるな…
うわー自分も本を処分しないとなあ…年取ってからやるより今のうちにやっておきたくなった
荒俣さんの蔵書だと、雑本的なものも多いのだろうか
電子媒体として残せなかったのか?友人知人に配るとか?古本屋に引き取ってもらったり。ヤフオクかメルカリで売るにしても、分量が多いから無理なのかな。図書館って近場のしか相談してないよな。
バラでも古本市場に流れてくれればよいな。
現実的には国会図書館に予算を付けて、非蔵図書の受入れと、全蔵書の電子化を進めるのが良さそうな気がする。紙のままでの保存は容量や紙の劣化等を考えると何百年も続けられないだろうし。
あの博学が…あの書痴が…。合理的な判断としては正しい気がするが、そういう意味では正しくあって欲しくなかった。
稀覯本の買い手、引取りできる人がどんどん減っている話は聞く
在庫ってただじゃないのいい加減広まってほしい。当の本人が決めたことだし外野は黙ろうぜ。譲るにしても胡散臭いの増えすぎてな〜
図書館や博物館はどこもパンパンで置き場が無い状態。寄付はお断りが普通ですよ。古本は市場そのものが激減している。
メルカリも古書は買い手いないしなあ
国力の衰退を実感させられる
2万冊を一度に処分してしまおうとすればそうなってしまうのも仕方がない。引き取り手が見つからない本が数百冊くらいならなんとかしようと足掻いたかもしれないが、1万冊もあるからこそ諦めがついたのかもしれない。
胸が張り裂けそう。あの荒俣氏が本を処分したというのも、その本の多くを廃棄せざるを得ないというのも。氏のコレクションはそのまま残してほしかった。角川ミュージアム頼りにならん…。
その1/100くらいだろうけど、私も終活せんといかん…
やはり地価最高点徒歩4分内、乗り物0 /pdf化
ミニマリストやこんまりが色や高さで揃えてインテリアとして扱え捨てろと言ってた時点で「価値」の決着はついてたのかもね 本を称揚する本を読みつけてる本好きな人の方が圧倒的にマイノリティなんだろうな
いや、荒俣宏の蔵書はさ、そうだったのかもしれないし、それは俺も残念だと思うけど、ウチのは違うから。最終的には全部売れば宇都宮に自社ビル建つくらいにはなるし、今はまだその途中だから。
似た例で例えば全く同じ稀覯本を2冊持ってたとしてうち1冊を躊躇いなくゴミ箱に棄てたら手元に残った1冊の価値が上がる(最大で2倍)と冷徹に判断できる人でないと「コレクター(収集家」とは呼べないので(当たり前の話
地方だけでも大きな家持てる税制にして書籍なり置けるようにならないもんなのか
情報パッケージとしての書籍の終わり。価値ある情報は電子化され共有されるのが理想だがそうはならなかったんだよ…
何が衝撃なのかわからん
目端のきく業者なら転売するだろう、と思ったら現トップコメからするに一部かもしれないけどやっぱり市場に出てるのか?引き取り手はなかったのかな?京極堂とか。
ブクマカ自ら金を出して買い取るといったコメント無し。
国で管理してもらってもいいレベルやない?
だから図書館とか大学とかの予算って大事なんだよなあ。
奇観本が産廃に、と聞けば勿体無い話だが、例えば大勢で何冊かずつ引き取ったとしても、それはそれで散逸の一つの形なんだよなとも思う。
デジタルだったらこんなことにはならない、エジプトのパピルスだってデジタル保存なんだから。紙の本はうぬぼれるな
ブクマカでもPASSAGEの名前までは出てこないのか。araikacang氏のいう「荒俣宏の蔵書コーナー」はたぶんここだよ。さあ、買い漁れ!https://passage.allreviews.jp/store/342PVPLSW22I6ETYU6OEWP6X
言い値で一括引き取りしてくれる古書店探せばありそうな気もするけど、2万冊もあったらもう大変だろうしな。。
帝都物語で好意的に描かれた渋沢家が何かしてくれてもいいのに
この先、500冊からまた数千冊へと増えていかないんだろうか?
どこかの体育館にどさっと広げて、「ご自由にお持ち帰りください」、とやればファンや好きモノや転売ヤーがどっさり持っていってかなり減りそうだけどな。
こういうときこそ転売ヤーを活用して、ただで譲り渡す代わりに1冊ずつ出品させる契約を結んだらどうだろう。売れ残りの破棄は禁止(回収してこちらで破棄するスキーム)にして。
うわー
送りつけていい古本買い取りにでも出せばよかったのに
書評家・日下三蔵の「断捨離血風録: 3年で蔵書2万5千冊を減らす方法」も読んだけど。古本コレクターの終活は大変だな…
スキャンしてくれ。装丁は大事だが中身はもっと大事
僕も税金で買った本の138話目が脳裏に浮かんだ
図書館って寄贈本を受け取るだけ受け取って一度も書架(閉架も含めて)に並べずに一定の期間が来たら廃棄、とか普通にやるからね。あそこは本を読むところで飾る場所じゃないから、希少価値なんてどうでもいいし。
スキャンしてocrでPDF化でも、手間が馬鹿にならない(字の誤検出チェックが必要)ので、電子化も大変・・・これもAIが進化すれば多少楽になるのか?後は田舎のただ同然の土地に保管庫を建てて保管だけど、維持費が・・
>500冊 ←参考にしよ
じゃあ、わたし(お前)達でかうしかないという
自分が厳選して溜め込んできた漫画も二束三文でした (´・ω・`)
本の価値自体が下がっているのか。分野ごと廃れて、研究者や興味を持つ人が減れば、買い手も減り、価値は下落する。価値観の激変が静かに既に進んでいたのかも。なんとなく過去に興味を失った時代の気がする
読んでしばらく無言になってしまった。まあ1万冊も引き取られたのは幸いだったか。
https://mems.metu.edu.tr/sites/mems.metu.edu.tr/files/webform/cpu/does-coinbase-email-customers.pdf
https://mems.metu.edu.tr/sites/mems.metu.edu.tr/files/webform/cpu/does-coinbase-email-customers.pdf
角川で全部引き取ればいいのに。サクラタウンの潰れたうどん屋カラオケ屋とか空きスペースは沢山あるだろうに。角川ミュージアムの新館長に何故か池上彰が就任したが、荒俣がやればいいのになあ
https://mems.metu.edu.tr/sites/mems.metu.edu.tr/files/webform/cpu/does-coinbase-email-customers.pdf
今まさに親と自分の本を整理中なんで、哀しいけど無理もない。古本屋は売れそうな本だけ抜いていった。一冊50円前後で。国会図書館も条件付きで受け入れるんで該当のものは送る予定。
財産の整理って難しいんだな
https://mems.metu.edu.tr/sites/mems.metu.edu.tr/files/webform/cpu/does-coinbase-email-customers.pdf
“加藤保憲が平将門の霊を呼び戻しても、ここまで巨大な破壊はむずかしかったろうて・・・・・”
https://mems.metu.edu.tr/sites/mems.metu.edu.tr/files/webform/cpu/does-coinbase-email-customers.pdf
「紙くず」が産業廃棄物になるには排出事業者の業種が限定されているんだけど、それは近いものでも出版業の場合で、執筆活動によって排出された紙くずたる廃棄物が一般廃棄物でなくて産業廃棄物というのは信じがたい
処分?荒俣宏図書館とかできなかったのかなぁ… 貴重な本がこの世から消えたのならば惜しいけど潔さは荒俣先生らしいのかな?
自分が荒俣氏だったとして「あの荒俣ですけど本当にいいんですか?」とは聞けないだろうし、どういう問い合わせ方をしたのか気になるところではある
後世に引き継がれていく代表みたいな紙媒体の物がこんな感じで廃棄されて幻と化するのデストピア感ある
https://mems.metu.edu.tr/sites/mems.metu.edu.tr/files/webform/cpu/does-coinbase-email-customers.pdf
https://mems.metu.edu.tr/sites/mems.metu.edu.tr/files/webform/cpu/does-coinbase-email-customers.pdf
全部デジタル化しておけば知の喪失もないだろうし。もう紙の本は買ってないから、Kindleばかり。私が死ぬまでKindleだけはサービスを継続してほしい。
https://mems.metu.edu.tr/sites/mems.metu.edu.tr/files/webform/cpu/does-coinbase-email-customers.pdf
https://mems.metu.edu.tr/sites/mems.metu.edu.tr/files/webform/cpu/does-coinbase-email-customers.pdf
半分は助かったのか。角川いい仕事したじゃん。捨てられた残りは比較的手に入りやすいものだったんだろうと思いたい。
おれも最近引っ越しに伴って本をだいぶ処分したんだが、今の自分を作り上げてきたものが削り取られる気がして苦しかった。
まあ図書館にせよ古書店にせよ、経営状態を考えると(置き場含めて)ただでも引き取れないということだろうけど、世の中の金持ちインフルエンサー勢が気前良く引き取ってあげなよノブリスオブリージュでさー、、、
角川に渡すという話、8年前には出ているようだが… https://x.com/kituneobi/status/890211203741392896
日本に一冊しかないのに国会図書館もだめなん? そもそも選別する作業する手間暇が無理?
本を神聖視してる人は嫌ね。半分は古本屋でも引取拒否され金払って廃棄だそうだが、悲しいのは本人ばかりって事よね。記事の本質は病気で死の淵を覗くと価値観が変わるという教訓だろう。豪邸も本も急に負債になった
そういえば立花隆氏の蔵書もどうなったんですかね。
日本人口のボリューム層が爺となり生前や死後に放出されていってる。若者は金はないし過去の本には興味ない。中古ゲームみたいな世界的な価値もないからな
生涯をかけて収集した蔵書。2万冊のうち1万冊が産廃にしかならない……
図書館予算を拡充を訴えたほうがマシなのでは
オリンピックがらみの件がなければ、全部引き取ってた可能性があるんだろうな>角川ミュージアム
どんな知識人の蔵書でも最低でも半分ぐらいはゴミになるのはまぁそんなもんかな。普遍的な価値がある本しか読んでないというのもバランス悪いし。
こういうのって有志で委員会作って蔵書さばきコーナーできないのかね?
処分する前にAIに簡単に学習させれるようになればね…概念化されたベクトルデータとしてAIの記憶の片隅にほんのり残るかもしれない
半年もせずポックリ逝くのでは?うちの2000冊ですら、これまで生きてきた意味、意義がゴミにしかならないと言うのは堪えて死にかけた。そう、断捨離は死に至る行為
まじかー。すごいショックだ。
個人美術館とかやれそうなのにと思ったけど、どれくらいそういう記念館みたいなのに足を運んでいるかと言えば…やっぱ処分になるのか。もったいない気がしてしまう
生の儚さ。時は人を待たず
あのーあんまり悲しいこと書きたくないけど、図書館に寄贈しても、2000年より前の本は、書庫に直行だと思われます。図書館の書庫ってどのくらい広いかわがんあいけど。1980年の経済の本すら、書庫で眠る。
ご本人が意を決したおかげで半分の1万冊は捨てられずに済んだのを僥倖と考えるべきか。他の人が書いているように、死後だと全部が廃棄物処理になりかねないし。
いっぺんにということなので分類が手間なんだろうな。せどらーに任せたら捌けそうではあるけど(終活買い取りせどらーとかおるんやろか)
荒俣宏って希少本の蔵書も豊富だけどそれ以上に値段のつかない普通の人から見ればゴミみたいな本をたくさん持ってる人というイメージだった
日展などに度々出品しているような人の作品に関しても、相当高名な人を除いてはどこも引き取ってはくれない。/遺族が保管場所に困れば、残念ながらゴミとして廃棄される。
我々が生きている間の出版物で、今から1000年後に残ってる物ってなんだろうなぁ。
本が産廃扱いとは大ショックです
終活かー。1番やりたくないことなんだけどなあ。マンガどうしよ。2万冊はないとはおもうけど、半分が産廃とか聞くとますますやる気がなくなる。
引き取るにしても物理スペースが必要なのと、本のメンテ作業という継続経費がかかるものな。文化資産を残すには世の中に余裕が溢れてないと出来ない
京極夏彦先生が怒りそう。。。
「荒俣宏が~蔵書を整理する~」とつい歌ってしまった(川口浩探検隊のメロディー)
稀覯本もそれを欲しいと思う人が極めて少ないならただの珍しい本であって価値はないということか。
ショックだ。荒俣さんのコレクションなんて、世界の中でも貴重なコレクションだと思うんだけどなぁ…。どなたかも言ってるけど目録だけでもあればなぁ…。私も本持ちなので身につまされる気持ち
荒俣宏の蔵書ですら散逸するのか。というか70代になるとやっぱマンションみたいなところでミニマムな暮らしをせざるを得なくなるのかなあ……
すでに指摘あるが、生前に整理してくれてよかった。没後に価値判定出来ない親族が担うのはしんどすぎる。
日の丸国旗とクルアーンを置換可能とかいうバカhttps://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2025/08/10/121411が大げさに嘆いて見せるのは知識の価値を理解していないが蔵書という財産が気になるだけだからだろうね
「あの」ちゃんが何か関係しているのかと一瞬(違います)
むしろその500冊
本の整理は目録を作る必要もあるから大変なこと。1万冊が助かっただけでも良しとするしかない。。
マンションに引越したあとに自宅開放して好きな本ご自由に持って行ってくださいというイベントやれば全ての蔵書捌けたのでは・・・?
「妻が困る」ってのがリアル。家の蔵書は質・量とも荒俣先生と比ぶべくもないが子が困るだろうと思って転勤のたびに少しずつ処分してってる。まだ実家に残してる本もあるし……
知らん人にとってはただのゴミだからな。しょうがない。
荒俣宏なら貴重な蔵書を必要とする人、団体との繋がりもありそうなものだから、それでも譲渡しきれなかった世界に一冊の本ってそうとうニッチだろ
メルカリで売る業者もいないのかね
以前 古本屋で、共産党関係の書籍を買ったら、取引が成立した後、「実は立花隆氏の蔵書でした」と言われた。生前の本人の希望で、読んでくれる人間の手に渡るようにしたという事らしいけれども…
たった50年がたった20世代でもう1000年だからな。それで残ったのはあのくらいの量なわけで。歴史的にも「よくあること」なのかもしれないし,それで良いのかもしれない。過去に囚われすぎるのも良くない
500冊しか持ってない荒俣宏というのがイメージしづらい
作家なんだし知人に一声かければ引き取り手はいくらでも出ただろう。自分の名と共に残せないなら自分の人生の道連れにしたい。寄贈ならいいけどタダでもっていかれるぐらいなら処分したいタイプは大体これ。
嘘だろ、「あの」荒俣宏氏が「あの」蔵書2万冊を処分だなんて…
若い頃に饅頭で空腹をしのいで本代に注ぎ込んだとか聞いたから、身体的には良くないだろうなぁ /せめて背表紙だけでも撮影してあれば後からリストに出来るのだがリストはもうあるのかなないのかな
荒俣宏は以前から何度も蔵書を整理していて今回が最終処分のようなので一番貴重なものは人手に渡ってるんじゃないかな……と思いたい。荒俣宏の全蔵書がたった二万冊なわけない。
私設図書館でも平凡社が作ってあげればよかったのにね
最近、山崎正和が蔵書とか全部アーカイブ化されてたなと思い出した、バーチャル書棚で見られる。なかなか出来ることではないが…https://archive.yamazaki-masakazu.jp/
絶縁していた父親の後添いが父親の死後連絡してきたのが、本の扱いに困ってやむなくって感じだったな 即弁護士に連絡してサヨナラしたけど 本の価値のわからん人でも躊躇があるのに荒俣さんの辛さ想像に余りある
知の巨人(狂人?)である。もっとも、昔のように大量の書籍を自宅と自分の脳内にため込むより、素人がネットで検索できる量の方が圧倒的に多い時代でもあり。
絵もそうだよね。超有名画家以外はどこも引き取ってくれないから、遺族が処分することになる。悲しい
荒俣先生の本が産廃に!?ボクのお宝も危ういにゃ!終活怖いけど、猫缶は別腹にゃ!
悲しいな。パッセージでの荒俣蔵書がより貴重に感じられる。邪推でしかないけど、元CAの妻の理解もなさそうだなと思ってしまった
あのちゃんと荒俣宏が交互に頭に浮かんでくるタイトルで草
ネットのアマチュア識者が古本界隈について荒俣宏より詳しいとは思えないのでこれが現実・限界なんだろうな。荒俣宏でさえこれなんだから知らん老人の蔵書なんてゴミよ
えええ個人で引き取ってくれる人はいたんでないの?????
78歳か。「一戸建てを売却しマンションに移った」「引っ越し先に持参した本は500冊のみ。家の蔵書2万冊の処分に困った」/うちで、えぐいペースで増えるアニメグッズを処分するのも、そう遠くない将来か……(←オイ)
電書で解決できる、明確な紙本のデメリット。貴重な本の価値が高いとは限らんし、自炊も大変だな。
どんな本が残ったのか解らないが、古い小説や、民俗学の資料になりそうなものだったら、割と本気で、2~3000冊位なら引き取ったのに。事前に明るみにしてくれていたらなと残念におもう。
荒俣宏氏の蔵書も売れないのか。ショック。たしか故立花隆氏の蔵書もほとんど売って猫ビルも売りに出してしるのかな。蔵書って売れないのかな?規模は小さいが私も先日本をかなり二束三文で売ったり資源ごみに出した
自分はコレクションすることから完全に興味を失ってしまったからなあ。大変惜しいこととは思うが共感することはできない。
持参した500冊って、自著だけでそれくらいいくのでは
これはもうしょうがないんだろうな。希少ではあっても貴重ではない、と見なされるものは今後もたくさん出てくるだろう。
本を裁断するのは酷いみたいなのあったけど、結局、後世に役立てたいならスキャンしてOCRかけてデジタル化した方が良いんだろな。HD1つなら誰か引き取ってくれるだろうし。管理コスト要らんもん
定年退職して研究室を引き払う先生の蔵書も困るんよな。/今はデジコレあるから物理の古本はますます売れなくなるはず/一回だけ立花隆の猫ビル入ったことあるけどすごかったなぁ
残した500冊のリストが欲しい/廃棄されるのはどうにかデジタル化できんもんかね
電子書籍は逆に資産にしたい時にできないのが一長一短ですわな
そもそもの話が、日本に一冊しかない本だろうが、引き取られないということはその本はその程度の価値しかない。それを損失かのように語る人達。流行曲より現代音楽の方が高尚で歴史に残すべきとか思ってそう。
日本が当てにならないなら、せめてGoogleが引き取ってくれたりせんのかな。本に書き込まれたメモも含め自動でデータにして、AIに食わせれば価値が温存される気がする。
ちゅ、多蔵書
角川ミュージアムが半分を引き取ってくれたのはさすが荒俣氏のツテというか。ゲームなら海外のマニアがカネ出してでも捕獲しに来るけど、本は言語の壁もあるし、稀覯本でも「欲しい人」がいないこと多いんだろうな
2008年くらいから1,2年かけて全ての紙の本を裁断してPDFにしてそれ以来紙の本を買ってない。数台のローカルとサーバーにrsyncしてる。生きてるうちは消えないが死んだら手間なく消えるようにしてる。
父の遺品整理でどう調べても価値がある美術書100冊程を見積もりに出したら『全部で1万円です』って返事が殆どで、結局何十万と値段をつけてくれた場所に売ったけどそれも一店舗だけだった。自分の本も手放した。
荒俣先生のこのニュース仕方がないとはいえなんとも寂しい。
違法です。産業廃棄物として処分したなら。
国会図書館のデジタルコレクション見てると、利用者に荒らされた本って結構あるんだよな。それを補完・補正する気は国会図書館にないだろうし、電子記録として残っても、不備のある本が後世に伝わることになる
退職する大学教授ですら大学図書館に寄贈を打診してもまず断られるらしいので。僕の知っている蔵書家で言うと、京極夏彦なども数十年後にはこうなるのだろうか。
荒俣先生の知名度なら、100名位の暇な転売ヤー呼び集めて200冊ずつ押し付ければ、とか思ったがまあ難しいか。希少本は価値がないのではなく、必要とする人に繋がりにくいのが問題。欲しい人が現れた時には既に本は無く
https://x.com/hon_no_zasshi/status/1978342296404779484 本の雑誌が「声掛けてもらえればっ」って悔やんでた
燃やされて空気中にばらまかれることは、脱炭素の流れにも反する。
あなたが欲しくないものは他人も欲しくないってことだよ
保管はなんとかなるだろうに、価値あるものも産廃になってしまうんだな。図書館もタコツボだな。
丁度、岡田斗司夫アーカイブで「僕の(プラモやグッズの)コレクションなんて、ハブである僕にとってだけ意味があるんであって、僕が死んだら何の価値もないんですよ」という話を聞いたところ。
溜め込んだところで価値がない、もしくは正しく価値判断されるとは限らないので手元に置くことにあまり重きを置かなくなった。
逆に、これまで人類が失なってきた文書がどれだけのものか。その一端でしか無いんだろうな。
勿体ねえ。荒俣宏氏が所有していた本ってだけでお金出す層もそれなりにいそうなもんだが。
角川ミュージアムの蔵書とても良かったです。もし通年パスがあるのならば購入して通って読みたいぐらい。まさかこんな背景だったとは知りませんでした。
人生の終活。「蔵書」や「コレクション」の分野からは一足先に「引退」していく人が多い
えええーっ(白目)!!!
日本が1番豊かだったときに蒐集した蔵書を、子供ですら贅沢品の人たちが保存して受け継ぐなんてできるはずがない。
子供の頃は本は宝探しや一期一会の感覚があったからとても貴重だったが、今や青空文庫やAmazonやKindleで簡単に手に入れられる時代になった。絶版になるような希少本は僕には縁がない。
終活。状態が良くて価値のある数冊、数十冊くらいまでなら欲しがる人や買ってくれる古書店も多いと思うけど、それでも大量に残るからなー。私設図書館を作って維持する基金とかが無ければ、廃棄するしかないよね。
吐くくらいなら引き取ればいいのに
ブックオフの出番はなかったの?SNSで告知したら喜んで引き取りに来る古本業者とかいそうだけど……いくらなんでも多すぎか
でも引取先探すために晩年の貴重な時間をたっぷり使えとは口が裂けても言えない
荒俣蔵書でもこんな扱いなんだから、庶民の本棚はほぼ無価値。うちの老母も終活で1万冊以上捨てたけど、紐で括って捨てるのに何年もかかってた。本棚の思い出あって切ないけど引き受けられない…
PASSAGEの売立てリスト見ても「稀覯本」は皆無なので、良い物はちゃんと仕分けられたのだな、と。
『残り半分は「産廃」!!!おそらく日本で一冊、みたいな本も図書館は寄贈を断る。』⇒ここ、どうしてなんだろ?
なるほど。池上彰が角川ミュージアムの館長に抜擢されるはずだわ。荒俣先生、そんな状況になっていたのか・・・
うちも専門書が1万冊はあるんだよな。残したいけど、残せるだろうか。