“進歩を支持しているはずの進歩派が、進歩的アイデアを定式化することに関して、いかなる進歩も成し遂げることができないのは、なぜなのだろう? なぜ、新しい、もっとマシな考え方を受け入れず、ダメな考え方…”
訳しました〜
マトモな哲学史、マルクス研究、エコロジー思想の流れを知ってたら絶対にこういう風になるんだが、結局タイトルがキャッチ―だから過大に評価されてる感じ。パンピーが乗っかるなら兎も角学者が評価するのはヤバい。
「過去1世紀の間に左派にまとわりついてきたあらゆるバカげた考えのほぼ全てのカタログ」「この新たな繰り返しを前にして、私は永劫回帰を受け入れるための運命愛(amor fati)をどうにも呼び起こせずにいる」ワロタ
現実的な難しいことを考えるのをやめて幻想に浸って生きたいというのは、人間の根源的な欲求のひとつとしてあるのかもしれない。思想的に右でも左でもそういう人ってたくさんいるよね。
何年間か、日本語母語者が読解にアドバンテージがあった筈の本だが、このレベルの書評が日本語で既になかったとするなら、日本語で行われてる知的議論全体の質劣化を示すようで残念。追記 日本語あった!ありがとう
そういえば疎いせいか斎藤の主張に関するまともな(?)議論というのはあんまり聞いたことがなかった
”抽象的に示されれば、深遠な知恵と誤解されてしまう類の世界観である” あーはいはいその手のやつねってなった。
「じゅうぶん豊かで、貧しい社会」と問題意識は重なるが、「じゅうぶん豊かで、貧しい社会」は貪欲の否定を解としていた。実際のところマルクスは資本主義がどう終わるかを説明していないらしいよ。
元の本を読んでいないので恐縮なのだが、悪質なテクノリバタリアンが跋扈する昨今、屈託なくスタートレックを引用するあたり結構なブーメランでは。そして山形浩生が嬉々として拡散するだろう
“この本は、過去1世紀の間に左派にまとわりついてきたあらゆるバカげた考えのほぼ全てのカタログとなっているだけでなく、1970年代~私が触れていたような「エコトピア」幻想を~そのまま繰り返している”…辛辣ぅ。
資本主義の熾烈な競争が産む安価なエネルギーやサービス、先進的な技術開発をポスト資本主義社会で維持するのは難しいと思うのだよな。/清貧や生活の質の低下を説かない脱資本主義論は個人的には信じない。
この本、何年か前に買ったまま積ん読になっているのに、読む気が失せちゃったじゃないですか。どうしてくれるんですか…
正確でない用語の使い方・曖昧な論点、具体性のない提言というのは本を読んでて感じるし首肯するところがあるが反面、斎藤氏が問題提起してる資本主義における成長の持続不可能性は無視できない.
この本、「〜じゃない」「〜じゃない」と延々否定が繰り返されて一向に本題に入っていかないのが不快で積読してた。読むのを再開するモチベーションになったかもしれない。ならなかったかもしれない。
斎藤幸平はマルクスの個人偶像崇拝の預言者だからね。論文にもならなかったメモや感想文を「マルクス」主義の結論とし意味のある文章として「信仰」を強いる、単なるカルト宗教教祖、統一協会と同じレベルの金儲け
ピケティ的な手法のほうが正解に近づくと思うがなぁ。「脱成長の支持者の中でも、『我慢しろ、みんなで中世の農民のように暮らすしかないんだ』などと言おうとする者はほとんどいない。そのため、言葉遊びに走る」
脱資本主義・脱成長し人々が協力し合うユートピアを目指せという、現実味もなく失敗もした理想論を説くゴミ本がヒットし、この目新しさのない空論にまた反論しないとならないのか、と進歩のなさに辟易してる感じ。
市場と分業をなくしてどうする気だ?というのは紙屋研究所さんも言ってたなあ。 https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2021/02/02/100000 ガチの共産党員なら当然批判するだろうけど、共産党シンパくらいの層には受けるから困る。
ここまで辛辣には書けないが、斎藤が協同組合に期待をかけすぎており今の利潤追求の企業体と市場経済をどうするつもりなのかはぼくなりに疑問を呈してきた。 https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2021/02/02/100000
“斎藤幸平の近著『人新世の「資本論」』(日本で大ベストセラーとなった本で、最近“Slow Down”という題で英訳が出た)を読んで、私が大変な絶望を感じた理由を説明する” 翻訳は小説と漫画と断捨離本だけにしようよ
ビットコインもそうだけど価値の創造は分割してるんだけどな。ムーアの法則も野菜が大きくなった訳ではないけど。
「成長の持続不可能性は無視できない」とのブコメに全く同感だが、それは既に誰もが感じている危機感であり、問題は「じゃあどうすんの」だ。それについて斎藤の提案は、もう既に全部聞いたことがあるお花畑の開陳
“この本は、過去1世紀の間に左派にまとわりついてきたあらゆるバカげた考えのほぼ全てのカタログとなっている”
日本での学術研究の環境は、やはり批判する力を弱まってしまうかもしれません。(こんなことを書ける環境はちょっと羨ましい)
石破茂は愛読書に斎藤幸平を挙げているhttps://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2025/08/07/102211 …これに対して「だから信用できる!」って界隈もある、という /マクラのスタートレック話、「そのパターンもあるの?」と驚く。
ジョセフ・ヒース「混乱の濁流:斎藤幸平『人新世の「資本論」』についてのコメント」(2025年9月28日)
“進歩を支持しているはずの進歩派が、進歩的アイデアを定式化することに関して、いかなる進歩も成し遂げることができないのは、なぜなのだろう? なぜ、新しい、もっとマシな考え方を受け入れず、ダメな考え方…”
訳しました〜
マトモな哲学史、マルクス研究、エコロジー思想の流れを知ってたら絶対にこういう風になるんだが、結局タイトルがキャッチ―だから過大に評価されてる感じ。パンピーが乗っかるなら兎も角学者が評価するのはヤバい。
「過去1世紀の間に左派にまとわりついてきたあらゆるバカげた考えのほぼ全てのカタログ」「この新たな繰り返しを前にして、私は永劫回帰を受け入れるための運命愛(amor fati)をどうにも呼び起こせずにいる」ワロタ
現実的な難しいことを考えるのをやめて幻想に浸って生きたいというのは、人間の根源的な欲求のひとつとしてあるのかもしれない。思想的に右でも左でもそういう人ってたくさんいるよね。
何年間か、日本語母語者が読解にアドバンテージがあった筈の本だが、このレベルの書評が日本語で既になかったとするなら、日本語で行われてる知的議論全体の質劣化を示すようで残念。追記 日本語あった!ありがとう
そういえば疎いせいか斎藤の主張に関するまともな(?)議論というのはあんまり聞いたことがなかった
”抽象的に示されれば、深遠な知恵と誤解されてしまう類の世界観である” あーはいはいその手のやつねってなった。
「じゅうぶん豊かで、貧しい社会」と問題意識は重なるが、「じゅうぶん豊かで、貧しい社会」は貪欲の否定を解としていた。実際のところマルクスは資本主義がどう終わるかを説明していないらしいよ。
元の本を読んでいないので恐縮なのだが、悪質なテクノリバタリアンが跋扈する昨今、屈託なくスタートレックを引用するあたり結構なブーメランでは。そして山形浩生が嬉々として拡散するだろう
“この本は、過去1世紀の間に左派にまとわりついてきたあらゆるバカげた考えのほぼ全てのカタログとなっているだけでなく、1970年代~私が触れていたような「エコトピア」幻想を~そのまま繰り返している”…辛辣ぅ。
資本主義の熾烈な競争が産む安価なエネルギーやサービス、先進的な技術開発をポスト資本主義社会で維持するのは難しいと思うのだよな。/清貧や生活の質の低下を説かない脱資本主義論は個人的には信じない。
この本、何年か前に買ったまま積ん読になっているのに、読む気が失せちゃったじゃないですか。どうしてくれるんですか…
正確でない用語の使い方・曖昧な論点、具体性のない提言というのは本を読んでて感じるし首肯するところがあるが反面、斎藤氏が問題提起してる資本主義における成長の持続不可能性は無視できない.
この本、「〜じゃない」「〜じゃない」と延々否定が繰り返されて一向に本題に入っていかないのが不快で積読してた。読むのを再開するモチベーションになったかもしれない。ならなかったかもしれない。
斎藤幸平はマルクスの個人偶像崇拝の預言者だからね。論文にもならなかったメモや感想文を「マルクス」主義の結論とし意味のある文章として「信仰」を強いる、単なるカルト宗教教祖、統一協会と同じレベルの金儲け
ピケティ的な手法のほうが正解に近づくと思うがなぁ。「脱成長の支持者の中でも、『我慢しろ、みんなで中世の農民のように暮らすしかないんだ』などと言おうとする者はほとんどいない。そのため、言葉遊びに走る」
脱資本主義・脱成長し人々が協力し合うユートピアを目指せという、現実味もなく失敗もした理想論を説くゴミ本がヒットし、この目新しさのない空論にまた反論しないとならないのか、と進歩のなさに辟易してる感じ。
市場と分業をなくしてどうする気だ?というのは紙屋研究所さんも言ってたなあ。 https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2021/02/02/100000 ガチの共産党員なら当然批判するだろうけど、共産党シンパくらいの層には受けるから困る。
ここまで辛辣には書けないが、斎藤が協同組合に期待をかけすぎており今の利潤追求の企業体と市場経済をどうするつもりなのかはぼくなりに疑問を呈してきた。 https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2021/02/02/100000
“斎藤幸平の近著『人新世の「資本論」』(日本で大ベストセラーとなった本で、最近“Slow Down”という題で英訳が出た)を読んで、私が大変な絶望を感じた理由を説明する” 翻訳は小説と漫画と断捨離本だけにしようよ
ビットコインもそうだけど価値の創造は分割してるんだけどな。ムーアの法則も野菜が大きくなった訳ではないけど。
「成長の持続不可能性は無視できない」とのブコメに全く同感だが、それは既に誰もが感じている危機感であり、問題は「じゃあどうすんの」だ。それについて斎藤の提案は、もう既に全部聞いたことがあるお花畑の開陳
“この本は、過去1世紀の間に左派にまとわりついてきたあらゆるバカげた考えのほぼ全てのカタログとなっている”
日本での学術研究の環境は、やはり批判する力を弱まってしまうかもしれません。(こんなことを書ける環境はちょっと羨ましい)
石破茂は愛読書に斎藤幸平を挙げているhttps://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2025/08/07/102211 …これに対して「だから信用できる!」って界隈もある、という /マクラのスタートレック話、「そのパターンもあるの?」と驚く。