嘲笑うわけじゃないが余りにも一般的な言葉ですら語彙が乏しくて「難しい言葉使うなよ~」みたいな態度の人には難儀したな。なんで入社出来たんだろ。
お里が知れるという言葉のお里が知れる感は異常
これについてではく、陰謀論者フォロワーや某政党支持者の「間違った知識が世の中を振り回す」現象について考えたりした。このキツさはどうしたら良いのだろうね。知らないことで生きてけるなら別に良くね。とは思う
知識がないことを嘲笑って正しさを振りかざして自分は教養のある者だと思い込んでる人達ってよく見かける
今日もまた「教養とは…」みたいなことが語られている。一生やり続けるのかな
そうなんだけどさ。世の中「知識がないことを理由に何らかの権利を主張する人間」が結構居て,そういう人たちには思うところがある。
現実問題能力がない人に背伸びはできないから、能力がある側が屈んでやれというのはある種の真理だとは思う。/ただその場合、屈んであげた側が何らかの形で報われて欲しいなとも。無償の奉仕を要求されるのは辛い。
最近の話題を見てると、知識がないことを嘲笑ってる人はほとんどいないように見えるけど。話題になってるのは知識が無いのに調べようとすらしない人でしょ
義務教育レベルならその場で教えればよいが、高度概念は説明するのも時間がかかる
知識のある人には尊敬を、知識のない人には誠意を。世の中の全てを理解しうることが無理である以上、教養、知性というのは終わりでなく継続的な状態。ここら辺の感覚が分からん人とは接するのがしんどいなーと感じる
イッパイアッテナかなあ。私も忘れられないんだけど、ついやってしまうこともあって反省してる。
文字では読めないだろうから嘲り、会話では通じないので冷笑する通常運転ができないのは、検索で答えを導けるのにきれいさっぱり忘れるインスタント知識人じゃないかしら。
ルドルフにはルドルフの、ブッチーにはブッチーのよさがあるから。
知らない/身に付かないのは恥ではないが開き直るのは恥(金で解決すれば良いという考え方は除く)。
「無言の帰宅」も「ベビーカステラ」も言われた方は嘲笑ってはいないよね。開き直ってる人をどうするかはさておき。
・・・みたいな教訓に徐々に縛られながらて生きているのが愚か者。俯瞰すればTPOで色々なふるまいがありうるのにw
「知らない」自体は許せるのだが(自分も大いにあり得る)、「間違いをドヤ顔で力説される」はさすがにちょっとなあ…
無知を嘲笑うのは品がないが、無知を開き直るのはプライドなさすぎない?となる
知識というものは指向性、方向性があり、あなたが無知だと思っている人でも、あなたが知らない事をたくさん知っている事がある。知識はあなただけのものではない。
そういう金言がイッパイアッテナ
「無知を嗤うのは無教養な振る舞い」と考えると「無知の知」みたいなもんか? 一方で知識を身につけようと頑張ってきた人にそれを言うのは残酷? どんな表現も誰かを傷つける? 常識は人の数だけある?
自分が属する社会で、常識と位置づけられる知識を持つと、自他共に生きやすい。しかしそれが、正しい知識とは限らない。この世界について不可知な事の方が多い中で、少しでも真理に近付こうとする力が教養だと思う。
開き直るのはまだ理解できる。でも反知性主義者とは相容れないわ。
知らないことは恥ではないが、知ろうとしないのは恥
正しさを「ふりかざす」のは確かに優しさではないんじゃないの/ 知らない事を「開き直る」というのも内心がそうなのかは分からないので、恥知らずだとか批評するのもどうかと思う。ただその件について期待はしなくな
自分は教養がある側の人間ですマウンティングタワーが建っていくの大好き!って俯瞰で見てるアピールタワーも負けじと建てていくぞ!意識の視座をタワーの高みに持っていけ!
日本のリベラルとか、割とそういうところがあるよね。「軍事を知らないからこそ平和を主張できる」「軍事に詳しい人は戦争が好きな人だ」と決めつけてかかるリベラル様や平和主義者様は多い。
経験則第一主義(人生で接したことのないものは初めから存在していないのとおなじ)の人も世の中にはいる、ということで
自分には正しい知識があり特定の政党支持者は間違った知識を持っていると断定できるのはすごいな。具体的にどういう知識なんだろうか。
お客様は神様です的な何か。
それな。
知識がないよりも文脈が読めないという感じ。これは学者レベルでも陥ってるので。点の情報で勝手な妄想しすぎなのよ、特に政治クラスタ。酷えもんだよ。
知らないって単なる一つの情報だとしか思えないんだけど知ってる方も知らない方もものすごく重大なことのように捉える人多い気がする
無知を恥とも思わない、というか自分が間違ってると認めたくなくて相手に怒る人、います。あと無知を恥と思う教養もそもそもない、とか。どっちにしろ他人がその考えを矯正するのさ不可能だから距離を取るしかない
最近は聞かないけど一時期、安倍・麻生が言い間違いとかした時に野党界隈が鬼の首を取ったかのように大騒ぎしていたことがあったな。
恥ずかしさを他人に強要するみたいなのも大概な訳ですよ。「恥ずかしくないの?」とか恥を知れ」とかもね。困ったもんでありますね。
無言の帰宅とかの話なら知らないと当事者にかける言葉として適切じゃなくなったりするから指摘すること自体はいいんじゃない? ちょい前の人たちは新聞読んでたしテレビ見てた 語彙が違ってくるのはしゃーない
大学生ぐらいの人が一緒に食事をしていた左利きの人になにふざけてるの?って言い出すのを動画か何かで見た。
人を嘲笑うと恨みや対立が生まれて、悪い関係が巻き起こってしまう。その人なりの立場や苦しみを知って尊重することこそ知性だと思うんだけどね。
「知識がないことを嘲笑うのは教養あるもののすることじゃない」と綴られた本が忘れられない話、優しさや品性は大切だが、知らないと言って開き直る人たちには思うところがある
嘲笑うわけじゃないが余りにも一般的な言葉ですら語彙が乏しくて「難しい言葉使うなよ~」みたいな態度の人には難儀したな。なんで入社出来たんだろ。
お里が知れるという言葉のお里が知れる感は異常
これについてではく、陰謀論者フォロワーや某政党支持者の「間違った知識が世の中を振り回す」現象について考えたりした。このキツさはどうしたら良いのだろうね。知らないことで生きてけるなら別に良くね。とは思う
知識がないことを嘲笑って正しさを振りかざして自分は教養のある者だと思い込んでる人達ってよく見かける
今日もまた「教養とは…」みたいなことが語られている。一生やり続けるのかな
そうなんだけどさ。世の中「知識がないことを理由に何らかの権利を主張する人間」が結構居て,そういう人たちには思うところがある。
現実問題能力がない人に背伸びはできないから、能力がある側が屈んでやれというのはある種の真理だとは思う。/ただその場合、屈んであげた側が何らかの形で報われて欲しいなとも。無償の奉仕を要求されるのは辛い。
最近の話題を見てると、知識がないことを嘲笑ってる人はほとんどいないように見えるけど。話題になってるのは知識が無いのに調べようとすらしない人でしょ
義務教育レベルならその場で教えればよいが、高度概念は説明するのも時間がかかる
知識のある人には尊敬を、知識のない人には誠意を。世の中の全てを理解しうることが無理である以上、教養、知性というのは終わりでなく継続的な状態。ここら辺の感覚が分からん人とは接するのがしんどいなーと感じる
イッパイアッテナかなあ。私も忘れられないんだけど、ついやってしまうこともあって反省してる。
文字では読めないだろうから嘲り、会話では通じないので冷笑する通常運転ができないのは、検索で答えを導けるのにきれいさっぱり忘れるインスタント知識人じゃないかしら。
ルドルフにはルドルフの、ブッチーにはブッチーのよさがあるから。
知らない/身に付かないのは恥ではないが開き直るのは恥(金で解決すれば良いという考え方は除く)。
「無言の帰宅」も「ベビーカステラ」も言われた方は嘲笑ってはいないよね。開き直ってる人をどうするかはさておき。
・・・みたいな教訓に徐々に縛られながらて生きているのが愚か者。俯瞰すればTPOで色々なふるまいがありうるのにw
「知らない」自体は許せるのだが(自分も大いにあり得る)、「間違いをドヤ顔で力説される」はさすがにちょっとなあ…
無知を嘲笑うのは品がないが、無知を開き直るのはプライドなさすぎない?となる
知識というものは指向性、方向性があり、あなたが無知だと思っている人でも、あなたが知らない事をたくさん知っている事がある。知識はあなただけのものではない。
そういう金言がイッパイアッテナ
「無知を嗤うのは無教養な振る舞い」と考えると「無知の知」みたいなもんか? 一方で知識を身につけようと頑張ってきた人にそれを言うのは残酷? どんな表現も誰かを傷つける? 常識は人の数だけある?
自分が属する社会で、常識と位置づけられる知識を持つと、自他共に生きやすい。しかしそれが、正しい知識とは限らない。この世界について不可知な事の方が多い中で、少しでも真理に近付こうとする力が教養だと思う。
開き直るのはまだ理解できる。でも反知性主義者とは相容れないわ。
知らないことは恥ではないが、知ろうとしないのは恥
正しさを「ふりかざす」のは確かに優しさではないんじゃないの/ 知らない事を「開き直る」というのも内心がそうなのかは分からないので、恥知らずだとか批評するのもどうかと思う。ただその件について期待はしなくな
自分は教養がある側の人間ですマウンティングタワーが建っていくの大好き!って俯瞰で見てるアピールタワーも負けじと建てていくぞ!意識の視座をタワーの高みに持っていけ!
日本のリベラルとか、割とそういうところがあるよね。「軍事を知らないからこそ平和を主張できる」「軍事に詳しい人は戦争が好きな人だ」と決めつけてかかるリベラル様や平和主義者様は多い。
経験則第一主義(人生で接したことのないものは初めから存在していないのとおなじ)の人も世の中にはいる、ということで
自分には正しい知識があり特定の政党支持者は間違った知識を持っていると断定できるのはすごいな。具体的にどういう知識なんだろうか。
お客様は神様です的な何か。
それな。
知識がないよりも文脈が読めないという感じ。これは学者レベルでも陥ってるので。点の情報で勝手な妄想しすぎなのよ、特に政治クラスタ。酷えもんだよ。
知らないって単なる一つの情報だとしか思えないんだけど知ってる方も知らない方もものすごく重大なことのように捉える人多い気がする
無知を恥とも思わない、というか自分が間違ってると認めたくなくて相手に怒る人、います。あと無知を恥と思う教養もそもそもない、とか。どっちにしろ他人がその考えを矯正するのさ不可能だから距離を取るしかない
最近は聞かないけど一時期、安倍・麻生が言い間違いとかした時に野党界隈が鬼の首を取ったかのように大騒ぎしていたことがあったな。
恥ずかしさを他人に強要するみたいなのも大概な訳ですよ。「恥ずかしくないの?」とか恥を知れ」とかもね。困ったもんでありますね。
無言の帰宅とかの話なら知らないと当事者にかける言葉として適切じゃなくなったりするから指摘すること自体はいいんじゃない? ちょい前の人たちは新聞読んでたしテレビ見てた 語彙が違ってくるのはしゃーない
大学生ぐらいの人が一緒に食事をしていた左利きの人になにふざけてるの?って言い出すのを動画か何かで見た。
人を嘲笑うと恨みや対立が生まれて、悪い関係が巻き起こってしまう。その人なりの立場や苦しみを知って尊重することこそ知性だと思うんだけどね。