死を直接言うことが一種のタブーであると同時に、「死」を頭は理解してても、心が受け入れたくない、認めたくない気持ちがあって、直接的表現を避けたがるという心理があるんだと思うんだよな、こういうのって。
まだこのネタで引っ張るんだ。
おっ、今日もマウント取って良いのか?
非言語な前提条件によって意味が真逆になる言葉。小さい子には酷だね
全然関係ないけど「無言の帰宅」というタイトルのゾンビ漫画があったら面白そう
最後に仏壇に帰ってその後もずっと一緒にご飯食べるもんな
タッチで原田の「試合がおわってからで、いいのか?」というセリフが重かった。
間に合わなかったと思わさないように配慮してるのもあると思う.
(おっ?無事に回復できたのかな?)「おめでとうございます!!」← これを期待してるの?
最後に会えなくて残念でしたね。祖母の臨終にも新幹線でも駆けつける孫、偉いです。昨今はその意識は希薄な感じはするが、まだ有るんですね。
先に話題にあった無言の帰宅は、行方不明という現状でその死を客対視できた一種の冷静さがあったが、この場合は危篤という差し迫った状況へ赴く者に身内が掛ける言葉として、こういう他ないかな。
頭パニック状態だったから、そんな洒落た言い回しなんて思いつきもしなかった / 「もう慌てなくていいから」 と言った記憶はある。
恐らく、「死」を表す婉曲表現は、その婉曲を理解出来ないクラスタによって、廃れていくのかと。
「無言の帰宅」知ってるってだけでこれだけドヤれるの本当幸せものだな。余程教養が無いから、普段こういう機会が珍しいんだろうな。
俺は新幹線じゃないけど「もう今日は来なくていいよ」といわれた
なんか、ほんまにアホになっていってんやな。
一足先に自由になった兵士のために
遺体が家に戻ってくるには葬儀屋さんの手配、さらにその先の手配とかで時間がかかるんで、もっと早く、ばあちゃんが帰り着く前に連絡してあげなよと。「帰ってくることになったで」やったんかなとか想像もしつつ。
私は台風の中向かってたら、「もう、急がなくていいから」って電話かかってきた。
「すごい回復力ですね!」
こういう別れの瞬間の話、いつかは経験するものだと思うけど見聞きするたび胸がキュッとする。
「よく読まずに「良かったですね」とか言っちゃうのがThreads」
ばあちゃんが 裏返ったァッッ!!!で自力で帰ってきた可能性もワンチャン…(バキ脳の弊害|でもま実際、危篤の人が急に元気になって2,3日後にパタンと亡くなるケースもあるからなぁ
事実の伝達が必須な場面で暗喩を使用する人はホントにめんどくさい。今どきは性交渉の合意すら明確でないとまずいんだぜ(追記)暗喩じゃなくて婉曲表現だな^^;
みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる(茂吉)
いうほど婉曲か?婉曲って「もう急がなくていいよ」って感じの奴では?
万が一に元気になったんだと勘違いしても病院じゃなく実家に立ち寄るんだからまあよくね?
「そういえば…」なんだ
再来週にはもう誰も無言の帰宅の話してないんだろうな〜
「もう大丈夫」という言い方は意外と新しいかも。
なんでもコンテンツとして消費し過ぎではないかと心配になるブコメ。
危篤から急激に回復する例もあるので暗喩にならない
プラットフォームの問題ではなく人の問題だが、プラットフォームでマウントをとる人の精神状態が心配。
単に「口頭のやり取りだと含められるニュアンス」が、文章化するといかに失われてしまうのか、という話でしかない。
Twitter民のThreadsへの見下し笑う。本当に「国語力に自信ニキ」なら、Twitterはリテラシー高い層が集まってるなんて思わねえよな
俺は親父もおふくろも亡くなったとき、そういう言い回しなかったなあ
自分は「危篤だったはずなのに自力で帰ってこれるくらいに回復してよかったね!」って思ってしまった…
病院(大病院)が徒歩圏内(10分)なら勿論間に合ってたのでやはり徒歩圏内 /実際,高松(都雇圏79万人)は赤十字徒歩10分,県立15分(夜間救急診療所は17分で車生活者寄り) 都雇圏70~80万人の中心だとどこもそれ程で有ると思ってたが
俺はこういうのに勘が悪いので、え?帰ってきたのー?って普通に聞き返してしまいそう。
そもそも、現代日本は人の死に「直接」向き合う機会が激減し、そこで使われる表現を手に入れることも難しくなったんだろう。その結果、まるで教養の差のように見えたりするんだと思う。
家庭によるからなあウチの場合は「おじいちゃん今死んだわ」とストレートに伝えてくるし
少し話は逸れるしうろ覚えだけど、三島由紀夫が自決した時の警察無線での報告が「頭部と胴体の距離、1メートル」だったとか佐々淳行の本に書いてあった
暗喩や婉曲表現が許せない!解らない!と吹き上がる人間は、基本的に発達障害だと思った方が良いです。遠回しな言い方を理解できない、は典型的な症状だから/まあコメにもいるよね
両親ともに病院から危ないですの連絡から動き遅くて、死に目に会ってない喪主だったんですが、それをあまり反省してない俺鬼畜なのかなぁ
.
このパターンは文字だけだとわかりにくい。危篤が勘違いだったのかと一瞬思ってしまった。実際の電話なら声のトーンで分かるだろうけど
え、奇跡の復活!?って思っちゃったわ。その可能性はなくもない。
字面だけだと家で看取りすることにしたって感じちゃう
無言の帰宅がゲシュタルト崩壊
直接表現を使わないことが遺された者へのある意味でのケアになるという話。/友人からメールで「これから緩和病棟になります」と書かれたとき、ぼうぜんとしたな。返信したけど未だにこれがいいのか分からない。
そんなにラノベでイキっている死体を蹴りたいのか…(´・ω・`) いいぞもっとやれ(´・ω・`)
悲しい事の中で何とか良い事を見つけて言葉にするのはとても人間らしい。ただちょっとわかりにくい表現なので理解されなくても非難する必要はないと思う
サイボーグになって延命できる現在だからこその言葉。プーチンや習近平だって150歳まで生きれる目処が立ったから安心してウクライナを侵略している
“美味しくなって新登場) @tchan65534 @02Curry ??”
以前もどこかに書いたが入って日の浅いircチャンネルで「おばあちゃんがオープンリーチで……」と話された時は一瞬わかんなくて不適切な反応しちゃったことある
どんだけ引っ張るんだ。そんなに一言いわないとすまないぐらい誰かにとっては重い話だったのか。よくわかんないな。
水を差して悪いが、日本語って素敵って人チラホラいるけど海外にも婉曲表現くらいあるやろHe is goneとか
その例では前後の状況からある程度連絡の内容を予想しているのと、電話の声のテンションなどを併せて判断することで、誤解することは少ないと思うが、メッセージアプリやメールでその文面だと勘違いも生じるかも。
言葉の婉曲は言葉の軽さに対して言い回しで深みを与えるための手段。東北民の言葉がストレートなのは裏表のない平伏を表現しているのだろう。どちらの言い回しにも寛容的であるべきだと思う。
こういう感情が揺さぶられる状況で婉曲表現使えるのは、家柄とか教養の差だろうなぁて思った。
亡くなってから家にかえるまで、普通何時間もあると思うけど
急に時間が飛んでお盆になったのかと思った。
この短い文章の中で東海道新幹線に乗って西に向かってるのか東に向かってるのか言ってないのにパッとわかるというのもまた言語の奥深さだなあ。
「人間は機械じゃないもんな」と思ったが、よくよく考えると人間よりも機械であるAIの方が婉曲表現に強そうだ
こういう流れの中でのコミュニケーションと慣用的な表現を知っているかは別問題なんだよなぁ…
これは意図した婉曲表現ではなく、本当に「家に帰ってきた」感覚だったんだろうな、と想像した。
危篤になる前の状況などを共有している家族(の文脈)だからこそ分かる言葉だがまとめのタイトルというものへの偏見がまとめを読もうとする俺には入るのでどういう笑いオチなのかと思いながら開いた
帰らぬ人になったと思ったら無言で帰宅したりで忙しいな。
出張先で危篤の報をもらってバタバタ準備してたらくだらない忘れ物思い出してまごついてる間に新幹線をタッチの差で逃し、1時間後のやつで帰ったら間に合わなかった経験あって、その時の「ゆっくり帰っておいで」が
うちのばあちゃんも入院してすぐ家に帰ってきたなぁ・・・普通に生きてたが
電話のトーンで判断できそうだけど、文章だけだともしかして...?って思っちゃうかも。
これでいくと「木綿のハンカチーフ」って奥深い歌詞やなと思うわ
思うんだけど、急に容態が良くなって普通に帰宅した場合とどう区別するんだろ?
「大変なことになったから帰ってきて」て言われて急げばいいのかそんなに急がなくてもいいのか良くわからなかった思い出
新幹線の移動時間内に家に帰ってくるやつは元気になって帰ってくるやつの方が確率高くね?
父親が亡くなったと呼ばれて喪服も用意して無言の帰宅を待ってたら、当の父親が車から降りてきたので「どういうことだよ」って真顔で聞いたことならある でも良かったので皆で焼肉食べに行ったのはいい思い出🥲
帰省で飛行機を降りて自宅移動中に入院中の祖母が危篤になり病院で死に目に会えた
マッマ「あれ!?あんたいつの間に帰ってきてたの!?」
日本語ってのはいつも大事な情報が「文脈」のなかに隠されてる。明示的な情報は、むしろ文脈を形成するために存在するといってもいいくらい…
日本は言霊信仰があるから、縁起の悪いことは言わないんだよな。しょうがない。
この日本人の回りくどい言い回しが少し好きじゃない。超回復したのかと思ったら死んでた絶望だもん。
危篤から息を吹きかえして元気になるケースも稀にあるけど、亡くなってたら声のトーンでなんとなく察するよね。入院長いと亡くなっても帰りたかった家に帰れたら、やっと帰れたねって故人の思いの慮りも混ざるよね。
このエピソードが示すとおりに文脈ありきで理解する言葉であって、無言の帰宅云々も事情を知ってるかどうかで知らない言葉でも解釈に差が出るってことでは
「身近な人の死」という人への思いやりや配慮が最も大切な時でも「婉曲表現を使う人はメンドくさい」と言う人がいることが驚く。本当にそこまで空気がわからないのなら、婉曲表現を使わずに言うと発達障害だと思う
最近だと病院で死んだ人を家に帰らせずそのまま葬儀場などへ送ることが多いみたいだから「帰宅」だと回復したのかと思う人は多いかもしれない。介護施設で暮らしていたら施設にも実家にも戻さないだろうし。
おばあちゃま、どうか元気になってにゃ!帰ってきたでって、なんだかあったかくて泣けちゃうにゃ。ボクもいつか、そんな風に言われたいにゃ~。
曲の歌詞って暗喩の塊みたいものだけど、これだけ暗喩を理解できないみたいな話を聞くと、ちゃんと曲の歌詞を理解されてるか怪しいな
俺の記憶ではEXILEが流行り出してから「好き」「会いたい」などの「直接的な表現」が主流になった。最もな例は「湘南の風」。反対にミスチルなどが「わかりにくい」と不人気になった。
子供時代の「大喜び→絶望」エピ読むと心が痛む。婉曲表現が通じる相手かどうか、悲しみの中で考える余裕が無くなるのなら、最初から使わない方が良いのではとすら思う。
TVとかSNSとか他人に伝えるときに婉曲な表現を選ぶのはわからんでもないが、このパターンだと「危篤」→「死亡」→「自宅へ(だから病院にはもう行かなくていいよ)」のうち2番目を伝えそびれただけのようにも。
祖母が危篤状態だからと急遽新幹線で帰っている時、まだ向かう道中の車内で電話がかかってきて『ばあちゃん、家に帰ってきたで』とだけ伝えられた
死を直接言うことが一種のタブーであると同時に、「死」を頭は理解してても、心が受け入れたくない、認めたくない気持ちがあって、直接的表現を避けたがるという心理があるんだと思うんだよな、こういうのって。
まだこのネタで引っ張るんだ。
おっ、今日もマウント取って良いのか?
非言語な前提条件によって意味が真逆になる言葉。小さい子には酷だね
全然関係ないけど「無言の帰宅」というタイトルのゾンビ漫画があったら面白そう
最後に仏壇に帰ってその後もずっと一緒にご飯食べるもんな
タッチで原田の「試合がおわってからで、いいのか?」というセリフが重かった。
間に合わなかったと思わさないように配慮してるのもあると思う.
(おっ?無事に回復できたのかな?)「おめでとうございます!!」← これを期待してるの?
最後に会えなくて残念でしたね。祖母の臨終にも新幹線でも駆けつける孫、偉いです。昨今はその意識は希薄な感じはするが、まだ有るんですね。
先に話題にあった無言の帰宅は、行方不明という現状でその死を客対視できた一種の冷静さがあったが、この場合は危篤という差し迫った状況へ赴く者に身内が掛ける言葉として、こういう他ないかな。
頭パニック状態だったから、そんな洒落た言い回しなんて思いつきもしなかった / 「もう慌てなくていいから」 と言った記憶はある。
恐らく、「死」を表す婉曲表現は、その婉曲を理解出来ないクラスタによって、廃れていくのかと。
「無言の帰宅」知ってるってだけでこれだけドヤれるの本当幸せものだな。余程教養が無いから、普段こういう機会が珍しいんだろうな。
俺は新幹線じゃないけど「もう今日は来なくていいよ」といわれた
なんか、ほんまにアホになっていってんやな。
一足先に自由になった兵士のために
遺体が家に戻ってくるには葬儀屋さんの手配、さらにその先の手配とかで時間がかかるんで、もっと早く、ばあちゃんが帰り着く前に連絡してあげなよと。「帰ってくることになったで」やったんかなとか想像もしつつ。
私は台風の中向かってたら、「もう、急がなくていいから」って電話かかってきた。
「すごい回復力ですね!」
こういう別れの瞬間の話、いつかは経験するものだと思うけど見聞きするたび胸がキュッとする。
「よく読まずに「良かったですね」とか言っちゃうのがThreads」
ばあちゃんが 裏返ったァッッ!!!で自力で帰ってきた可能性もワンチャン…(バキ脳の弊害|でもま実際、危篤の人が急に元気になって2,3日後にパタンと亡くなるケースもあるからなぁ
事実の伝達が必須な場面で暗喩を使用する人はホントにめんどくさい。今どきは性交渉の合意すら明確でないとまずいんだぜ(追記)暗喩じゃなくて婉曲表現だな^^;
みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる(茂吉)
いうほど婉曲か?婉曲って「もう急がなくていいよ」って感じの奴では?
万が一に元気になったんだと勘違いしても病院じゃなく実家に立ち寄るんだからまあよくね?
「そういえば…」なんだ
再来週にはもう誰も無言の帰宅の話してないんだろうな〜
「もう大丈夫」という言い方は意外と新しいかも。
なんでもコンテンツとして消費し過ぎではないかと心配になるブコメ。
危篤から急激に回復する例もあるので暗喩にならない
プラットフォームの問題ではなく人の問題だが、プラットフォームでマウントをとる人の精神状態が心配。
単に「口頭のやり取りだと含められるニュアンス」が、文章化するといかに失われてしまうのか、という話でしかない。
Twitter民のThreadsへの見下し笑う。本当に「国語力に自信ニキ」なら、Twitterはリテラシー高い層が集まってるなんて思わねえよな
俺は親父もおふくろも亡くなったとき、そういう言い回しなかったなあ
自分は「危篤だったはずなのに自力で帰ってこれるくらいに回復してよかったね!」って思ってしまった…
病院(大病院)が徒歩圏内(10分)なら勿論間に合ってたのでやはり徒歩圏内 /実際,高松(都雇圏79万人)は赤十字徒歩10分,県立15分(夜間救急診療所は17分で車生活者寄り) 都雇圏70~80万人の中心だとどこもそれ程で有ると思ってたが
俺はこういうのに勘が悪いので、え?帰ってきたのー?って普通に聞き返してしまいそう。
そもそも、現代日本は人の死に「直接」向き合う機会が激減し、そこで使われる表現を手に入れることも難しくなったんだろう。その結果、まるで教養の差のように見えたりするんだと思う。
家庭によるからなあウチの場合は「おじいちゃん今死んだわ」とストレートに伝えてくるし
少し話は逸れるしうろ覚えだけど、三島由紀夫が自決した時の警察無線での報告が「頭部と胴体の距離、1メートル」だったとか佐々淳行の本に書いてあった
暗喩や婉曲表現が許せない!解らない!と吹き上がる人間は、基本的に発達障害だと思った方が良いです。遠回しな言い方を理解できない、は典型的な症状だから/まあコメにもいるよね
両親ともに病院から危ないですの連絡から動き遅くて、死に目に会ってない喪主だったんですが、それをあまり反省してない俺鬼畜なのかなぁ
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このパターンは文字だけだとわかりにくい。危篤が勘違いだったのかと一瞬思ってしまった。実際の電話なら声のトーンで分かるだろうけど
え、奇跡の復活!?って思っちゃったわ。その可能性はなくもない。
字面だけだと家で看取りすることにしたって感じちゃう
無言の帰宅がゲシュタルト崩壊
直接表現を使わないことが遺された者へのある意味でのケアになるという話。/友人からメールで「これから緩和病棟になります」と書かれたとき、ぼうぜんとしたな。返信したけど未だにこれがいいのか分からない。
そんなにラノベでイキっている死体を蹴りたいのか…(´・ω・`) いいぞもっとやれ(´・ω・`)
悲しい事の中で何とか良い事を見つけて言葉にするのはとても人間らしい。ただちょっとわかりにくい表現なので理解されなくても非難する必要はないと思う
サイボーグになって延命できる現在だからこその言葉。プーチンや習近平だって150歳まで生きれる目処が立ったから安心してウクライナを侵略している
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以前もどこかに書いたが入って日の浅いircチャンネルで「おばあちゃんがオープンリーチで……」と話された時は一瞬わかんなくて不適切な反応しちゃったことある
どんだけ引っ張るんだ。そんなに一言いわないとすまないぐらい誰かにとっては重い話だったのか。よくわかんないな。
水を差して悪いが、日本語って素敵って人チラホラいるけど海外にも婉曲表現くらいあるやろHe is goneとか
その例では前後の状況からある程度連絡の内容を予想しているのと、電話の声のテンションなどを併せて判断することで、誤解することは少ないと思うが、メッセージアプリやメールでその文面だと勘違いも生じるかも。
言葉の婉曲は言葉の軽さに対して言い回しで深みを与えるための手段。東北民の言葉がストレートなのは裏表のない平伏を表現しているのだろう。どちらの言い回しにも寛容的であるべきだと思う。
こういう感情が揺さぶられる状況で婉曲表現使えるのは、家柄とか教養の差だろうなぁて思った。
亡くなってから家にかえるまで、普通何時間もあると思うけど
急に時間が飛んでお盆になったのかと思った。
この短い文章の中で東海道新幹線に乗って西に向かってるのか東に向かってるのか言ってないのにパッとわかるというのもまた言語の奥深さだなあ。
「人間は機械じゃないもんな」と思ったが、よくよく考えると人間よりも機械であるAIの方が婉曲表現に強そうだ
こういう流れの中でのコミュニケーションと慣用的な表現を知っているかは別問題なんだよなぁ…
これは意図した婉曲表現ではなく、本当に「家に帰ってきた」感覚だったんだろうな、と想像した。
危篤になる前の状況などを共有している家族(の文脈)だからこそ分かる言葉だがまとめのタイトルというものへの偏見がまとめを読もうとする俺には入るのでどういう笑いオチなのかと思いながら開いた
帰らぬ人になったと思ったら無言で帰宅したりで忙しいな。
出張先で危篤の報をもらってバタバタ準備してたらくだらない忘れ物思い出してまごついてる間に新幹線をタッチの差で逃し、1時間後のやつで帰ったら間に合わなかった経験あって、その時の「ゆっくり帰っておいで」が
うちのばあちゃんも入院してすぐ家に帰ってきたなぁ・・・普通に生きてたが
電話のトーンで判断できそうだけど、文章だけだともしかして...?って思っちゃうかも。
これでいくと「木綿のハンカチーフ」って奥深い歌詞やなと思うわ
思うんだけど、急に容態が良くなって普通に帰宅した場合とどう区別するんだろ?
「大変なことになったから帰ってきて」て言われて急げばいいのかそんなに急がなくてもいいのか良くわからなかった思い出
新幹線の移動時間内に家に帰ってくるやつは元気になって帰ってくるやつの方が確率高くね?
父親が亡くなったと呼ばれて喪服も用意して無言の帰宅を待ってたら、当の父親が車から降りてきたので「どういうことだよ」って真顔で聞いたことならある でも良かったので皆で焼肉食べに行ったのはいい思い出🥲
帰省で飛行機を降りて自宅移動中に入院中の祖母が危篤になり病院で死に目に会えた
マッマ「あれ!?あんたいつの間に帰ってきてたの!?」
日本語ってのはいつも大事な情報が「文脈」のなかに隠されてる。明示的な情報は、むしろ文脈を形成するために存在するといってもいいくらい…
日本は言霊信仰があるから、縁起の悪いことは言わないんだよな。しょうがない。
この日本人の回りくどい言い回しが少し好きじゃない。超回復したのかと思ったら死んでた絶望だもん。
危篤から息を吹きかえして元気になるケースも稀にあるけど、亡くなってたら声のトーンでなんとなく察するよね。入院長いと亡くなっても帰りたかった家に帰れたら、やっと帰れたねって故人の思いの慮りも混ざるよね。
このエピソードが示すとおりに文脈ありきで理解する言葉であって、無言の帰宅云々も事情を知ってるかどうかで知らない言葉でも解釈に差が出るってことでは
「身近な人の死」という人への思いやりや配慮が最も大切な時でも「婉曲表現を使う人はメンドくさい」と言う人がいることが驚く。本当にそこまで空気がわからないのなら、婉曲表現を使わずに言うと発達障害だと思う
最近だと病院で死んだ人を家に帰らせずそのまま葬儀場などへ送ることが多いみたいだから「帰宅」だと回復したのかと思う人は多いかもしれない。介護施設で暮らしていたら施設にも実家にも戻さないだろうし。
おばあちゃま、どうか元気になってにゃ!帰ってきたでって、なんだかあったかくて泣けちゃうにゃ。ボクもいつか、そんな風に言われたいにゃ~。
曲の歌詞って暗喩の塊みたいものだけど、これだけ暗喩を理解できないみたいな話を聞くと、ちゃんと曲の歌詞を理解されてるか怪しいな
俺の記憶ではEXILEが流行り出してから「好き」「会いたい」などの「直接的な表現」が主流になった。最もな例は「湘南の風」。反対にミスチルなどが「わかりにくい」と不人気になった。
子供時代の「大喜び→絶望」エピ読むと心が痛む。婉曲表現が通じる相手かどうか、悲しみの中で考える余裕が無くなるのなら、最初から使わない方が良いのではとすら思う。
TVとかSNSとか他人に伝えるときに婉曲な表現を選ぶのはわからんでもないが、このパターンだと「危篤」→「死亡」→「自宅へ(だから病院にはもう行かなくていいよ)」のうち2番目を伝えそびれただけのようにも。