訳しました~
研究所からの漏出理論ねえ。確かに社会的構築物であるというのを専門家以外が聞くと虚構でできたハリボテみたいに捉えちゃうかもしれないし、実際そう思い込んでる「活動家」がゴロゴロしてるよねえ
>パーソンズの目的は、「病気」がそうした身体状態よりもはるかに多くの構成要素を持つと示すことだった。身体状態が重要なのは、それが病人役割を引き受ける際に得られる資格の基盤となるからだ。
"(「ポストモダン」哲学と結び付けられがちなタイプの社会構築主義は社会構築主義を貶めている、というのも)「全ては社会的構築物である」というのは、「社会的に構築されたものなどない」と言うのとほとんど同じ"
岡本太郎「芸術は爆発だ!」
「セックスはヴィクトリア朝時代の発明だ」を読んで、田中亜以子が「女性は受動的、男性は能動的とする性別観は20世紀初頭の西欧の発明」と書いてたのを思い出した。なるほどあれはフーコーかぶれなのか
病気は自然科学的な現象なんだけどそれをどう認識しているか・社会的にどのように置かれてるかは別問題なんだけど混同するのは良くない。のと社会学者自身が混同しているように思われてるのは良くない。という話か。
パーソンズの後の秩序問題はそこにある、と言うガーフィンケルのエスノメソドロジーはこの問題の社会が思ったより小さいことを示している。そしてまたフーコーはポストモダンではないし、フーコーは自己の実存文字数
セックス・ジェンダーアイデンティティで近年評判の悪い社会構築主義の有用性と限界は、病気のアナロジーを用いれば分かりやすくなると言う話。
病気が社会のせい?ボクは飼い主さんの愛情不足で病んでるにゃ!…って、違うかにゃ?
“何かが社会的に構築されているという事実だけでは、それが変化可能であるとか、容易に変化させられるということを必ずしも含意しない”←ここが左派的なそれであるか否かの分水嶺では?
「学術文献で繰り返し繰り返し指摘されてきた論点、すなわち、社会構築主義には内在的に左翼的であったり進歩的であったりする点はない、ということ」←構築主義は必然的に左派と思い込んでる連中は左右問わず存在
文化は作られるものであり、普遍的なものではない……というのは古典を学べばわかる(考え方はもちろん、そもそも古典の文章や文字が勉強しないと現代人には読めない) ただそれを身体性に当てはめるのは違うわな
頭良すぎると風邪ひとつひくのにもいちいち大変だなw
勝手に補足しておくとフーコーの主張は「古代世界に男と性交渉する男はいなかった」という意味ではなく「古代の男はみな両性愛的な感受性を持っていたので同性愛者か異性愛者かという区別が無かった」という意味です
「「セックス」が社会的構築物であることを示そうとするバトラーの議論は、「花崗岩」が社会的構築物である(「採石場で割り当てられた」ラベルに過ぎない)ことを示すのにも同じ」「議論のトリック」
社会学者って奴は滑稽極まりないよw
病理そのものの問題、構造化による問題、どう脱・再構築するかという問題をどれか一つだけ抜き出してもね
特に精神疾患に顕著かと思う。最近ではADHDなんかもそう。
社会構築論は馬鹿しか引っかからない寝言なので、相手にするだけ無駄。要するに先天後天の二元論を言い換えただけなので、前提から間違っている
"こうした含意が本当に導かれるのか、信念バイアスに陥ってしまっているのではないか、を突き止めるには、異なる感情を引き出しやすそうな別の例で考えてみるのが有益だ。例えば「ジェンダー」を「病気」に置き換え"
社会的構築物であるということは、それがハリボテであるとか、変えるべきといった主張の根拠にはならない。|「病気は遺伝的構築物である」。社会とは、それを構成する生物のもつ遺伝子の延長された表現型なので。
https://kozakashiku.hatenablog.com/entry/2025/08/31/165218
してみるとマルクスガブリエルが批判している社会構築主義はポストモダン化されたtrivialなやつなんだな。
タイトルはやや皮肉を込めて付けている感じなので(割とトリッキーな全体の構成と呼応している)、原文にはない副題?で、社会構築論の病気への言及をそのまま説明してしまうのは、文脈としてちょっと変なような。
最初は論点がよく分からなかったが「社会的構築物だから偽物だウソだ」みたいなことを言ってる人がいるとは思わなかったぜ。
ジョセフ・ヒース「病気は社会的構築物である」(2025年7月26日)
訳しました~
研究所からの漏出理論ねえ。確かに社会的構築物であるというのを専門家以外が聞くと虚構でできたハリボテみたいに捉えちゃうかもしれないし、実際そう思い込んでる「活動家」がゴロゴロしてるよねえ
>パーソンズの目的は、「病気」がそうした身体状態よりもはるかに多くの構成要素を持つと示すことだった。身体状態が重要なのは、それが病人役割を引き受ける際に得られる資格の基盤となるからだ。
"(「ポストモダン」哲学と結び付けられがちなタイプの社会構築主義は社会構築主義を貶めている、というのも)「全ては社会的構築物である」というのは、「社会的に構築されたものなどない」と言うのとほとんど同じ"
岡本太郎「芸術は爆発だ!」
「セックスはヴィクトリア朝時代の発明だ」を読んで、田中亜以子が「女性は受動的、男性は能動的とする性別観は20世紀初頭の西欧の発明」と書いてたのを思い出した。なるほどあれはフーコーかぶれなのか
病気は自然科学的な現象なんだけどそれをどう認識しているか・社会的にどのように置かれてるかは別問題なんだけど混同するのは良くない。のと社会学者自身が混同しているように思われてるのは良くない。という話か。
パーソンズの後の秩序問題はそこにある、と言うガーフィンケルのエスノメソドロジーはこの問題の社会が思ったより小さいことを示している。そしてまたフーコーはポストモダンではないし、フーコーは自己の実存文字数
セックス・ジェンダーアイデンティティで近年評判の悪い社会構築主義の有用性と限界は、病気のアナロジーを用いれば分かりやすくなると言う話。
病気が社会のせい?ボクは飼い主さんの愛情不足で病んでるにゃ!…って、違うかにゃ?
“何かが社会的に構築されているという事実だけでは、それが変化可能であるとか、容易に変化させられるということを必ずしも含意しない”←ここが左派的なそれであるか否かの分水嶺では?
「学術文献で繰り返し繰り返し指摘されてきた論点、すなわち、社会構築主義には内在的に左翼的であったり進歩的であったりする点はない、ということ」←構築主義は必然的に左派と思い込んでる連中は左右問わず存在
文化は作られるものであり、普遍的なものではない……というのは古典を学べばわかる(考え方はもちろん、そもそも古典の文章や文字が勉強しないと現代人には読めない) ただそれを身体性に当てはめるのは違うわな
頭良すぎると風邪ひとつひくのにもいちいち大変だなw
勝手に補足しておくとフーコーの主張は「古代世界に男と性交渉する男はいなかった」という意味ではなく「古代の男はみな両性愛的な感受性を持っていたので同性愛者か異性愛者かという区別が無かった」という意味です
「「セックス」が社会的構築物であることを示そうとするバトラーの議論は、「花崗岩」が社会的構築物である(「採石場で割り当てられた」ラベルに過ぎない)ことを示すのにも同じ」「議論のトリック」
社会学者って奴は滑稽極まりないよw
病理そのものの問題、構造化による問題、どう脱・再構築するかという問題をどれか一つだけ抜き出してもね
特に精神疾患に顕著かと思う。最近ではADHDなんかもそう。
社会構築論は馬鹿しか引っかからない寝言なので、相手にするだけ無駄。要するに先天後天の二元論を言い換えただけなので、前提から間違っている
"こうした含意が本当に導かれるのか、信念バイアスに陥ってしまっているのではないか、を突き止めるには、異なる感情を引き出しやすそうな別の例で考えてみるのが有益だ。例えば「ジェンダー」を「病気」に置き換え"
社会的構築物であるということは、それがハリボテであるとか、変えるべきといった主張の根拠にはならない。|「病気は遺伝的構築物である」。社会とは、それを構成する生物のもつ遺伝子の延長された表現型なので。
https://kozakashiku.hatenablog.com/entry/2025/08/31/165218
してみるとマルクスガブリエルが批判している社会構築主義はポストモダン化されたtrivialなやつなんだな。
タイトルはやや皮肉を込めて付けている感じなので(割とトリッキーな全体の構成と呼応している)、原文にはない副題?で、社会構築論の病気への言及をそのまま説明してしまうのは、文脈としてちょっと変なような。
最初は論点がよく分からなかったが「社会的構築物だから偽物だウソだ」みたいなことを言ってる人がいるとは思わなかったぜ。