パチンコ店・景品交換所・景品問屋
三位一体はニケア会議でその時の幹部が話し合って三位一体と決定しただけ。聖書にはキリストが天父に祈る描写がある。三位一体なら自分で自分に祈ったことになる。
宗教的情熱を共有しないものにとってはなんでこいつらこんなことにものすごいパワー使って議論してるのってなる。読み物としては面白いけど、当事者たちの本気度の高さは理解しがたい。
ユダヤ教と「救世主は誰か?」という論争になって、シーア派スンニ派みたいな本家争いに落ち着いちゃうんだよ。そして父・子・聖霊がいたら多神教の世界を認めることになる。後付けの解釈として運用してるのは面白い
神学は語り得ぬものが相手だけど、史学が入って人が相手になると面白くなるよね。
ただ、人の形をした神という発想は割と色んな宗教であるし、他宗教に取り入れられた。現在神道と呼んでるものは、かなりキリスト教を取り込んでる。
そら矛盾する教義と聖典の記述をまとめるために弥縫的な理屈をこね回した結果なので、外部から見りゃ「馬鹿なの?」以外の感想は無い。原罪理論もそうだけど、真面目に相手するだけ無駄
この擦り合わせを厳密に行うのが神学だね。一度くらいはそのロジックをちゃんと勉強した方がいいんだろうなぁ
後付けの理屈なのは間違いないし後の時代からケチを付けるのは簡単だけど当代最高の知識人たちが長年議論を続けて理屈を付けたから複雑になるのは仕方ない。普通に考えると異端にされた側のが筋は通ってるけどね
三位一体は、神の形而上性に関する演繹と帰納の対立構造から導出される側面がある。帰納的アプローチは神の形而上性を毀損し異端とされた。神の経験的理解を退けることは教会のポリティクスが要請したものと見倣せる
“「二正面作戦」”、翻訳、アリストテレス、
麺太郎・汁二郎・具三郎…って書いてて「確かにラーメンは神で、麺も神であり汁も神であり具も神だけど、どれか1つだけを取り出してラーメンを語ることはできないなぁ」と思ったりした
「教父たちはこうした一見合理的な説を異端として退けました。残ったのは「神は三つでありながら一つ」という、最も非論理的な考え方。それをあえて「正統」として選び取った」おかしいのは百も承知ってことか
同じ仲間だったものを異端認定とか、愛の宗教が聞いて呆れるよね。
なぜ大人しく「理解不能なほうが箔が付くから」と言えないのか。
“「二正面作戦」が展開されたのですね。ユダヤ教徒に対しては父なる神とは異なる「子なる神」の実在を、多神教徒に対しては「一なる神」を主張する必要があった” おもろい
「神よなぜお見捨てになったのですか」と無神論的絶望と共に死んだ弱く無知なイエスは全知全能の神だったのだ(=復活)がキリスト教の原体験でありかつ矛盾の源泉。聖霊はむしろその不可解な部分を埋めるための媒介項
日本の本地垂迹説とどこが同じでどこが違うのか?がわかれば、日本人にとって西洋近代とは何か?を考えるヒントになりそう。ローカル宗教(ユダヤ教・神道)と世界宗教(キリスト教・仏教)の融合という部分は同じ…
一神教特有の現象かもしれない。志向しない人にはもちろん理解しがたいが、それは「自分で買ったおにぎり踏み潰す動画に文句言う意味がわからない」という感覚と似ているのかもしれない。
“が自分たちに跳ね返ってきたとき、どう整理すべきかが大問題になりました。父・子・聖霊は一体なのか、三つの神なのか。教父たちはこの問いに直面し、頭を悩ませることになったのです。 ”
神学、アリストテレス論理は「同じものの話をしなければ話にならない」。これは数式の恒等式(左=右)と同じ。で、三位一体にしないと「神でなければキリストは何者か?」という謎が生まれてしまう。聖霊は↑に。
いくぞ!さんみいったい!
俺の中ではキリスト教徒でもキリストの伝説が全て嘘でも信仰は変わらないって言う時点で、部外者としてはこんな屁理屈どうでも良い。論点は全く違う所に移っつてる。
卑近な(?)ことをいうと受肉をうまいこと理論づけないとほかの啓典の民と差異化できないので。同じならイスラム教に改宗しませんかっていう話になる
realsoundの記事だと……!?
作者の人そこまで考えてないと思うよ
全然趣旨の違う連想をしたんだけど、キリスト教だと神=父で男が上位なのな。日本は天照大神からして女性なので、もしかして根本的な部分ですれ違っているから日本でキリスト教が広まらないのかな?
無謬の存在としての神と神の言葉である聖書を前提とすれば、明らかに矛盾する聖書の記述を合理的に解釈するためには“理解し得ない”神の意志を持ってこないと論理破綻が不可避だということなのかね。
世界の外側に(人の摂理の外側に)存在する神、世界の内側に人の子として生まれたイエス、ここまではわかるつもりなのだが、「聖霊」のことがいまいちわからない。
まえがき https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/127120.html / アウグスティヌスの太陽の例え 「太陽そのもの(父)」「太陽の光(子)」「太陽の熱(聖霊)」
もともと母がいたのを意図的に間引いて書き換えたからバグってるだけでは
論理的には誤り。論理学を適用しているが、その方針が成立するのは対象が物である場合に限られる。キリストは物だが、神は物ではない。神は、存在するとか数えるとかの対象外だ。普遍的なもの。神は論理の対象外だ。
"聖書には「神秘」や「秘密」といった、人間には解き明かせないものが数多く書かれています。[…]語り得ないものをどうにか語ろうとする宿命をキリスト教は背負った。イエス・キリストという存在は、その象徴でした"
その時々の政治的争いで異端派を排除しまくって、残ったものが正統的な三位一体。時代も人物も違うから言ってることが違って矛盾しまくってる。キリスト者以外にはどうでもいい話。普通の信者もほとんどは判ってない
ちょっと違うんだけど、マーケティングで「顧客のエンゲージメントが上がった」とか言うじゃん、あれが10年経ってもいまいち理解できない。数値化できる何かではなく顧客の心内のありようみたいな文脈で語られる。
数千年前は娯楽が少なかったから特定のコンテンツが注目されただけで、本質的には現代のオタクが、オリジナルと2次創作が混じり合った世界に考察合戦しているようなものなんだろうな。
ある意味で歴史解釈か。キリスト教の神を「ユダヤ教」「多神教」に対し理論的に説明しようとする中で成立した解釈。そして翻訳の過程で三位一体(三にして一)がorthodoxyとなった。
矛盾だらけの設定を自分たちででっち上げておきながら、それを人間が理解できないのは人智を超えた神の領域だからとウルトラCの権威づけを試みるの好き。
帝国再統一期にコンスタンティヌス帝の権力強化に利用され、1600年かけて論理を後付けしたからスパゲッティコードなんよ。皇帝はミラノ勅令で公認、12年後公会議で「イエス=被造物」とする当時本流アリウス派を破門。
三位一体?ボクには3時のおやつの方が大問題にゃ!哲学は難しいにゃ〜、眠くなっちゃうにゃ🐾
処女懐胎で生まれた男が後に殺された後で生き返った、という話を信じている人達にどんな理屈も通じないだろうし、必要なのは信心で理解ではないとは思ってはいるが、この本は面白そう。
キリスト教そのものに否定的感情はないけど、三位一体については後付けの屁理屈だと思う。
神は全能だ、弱くなることもできる
ただの人間の教祖を最高神の分身として扱う「幸福の科学」とかでもやってる手法の原点かも。
javascript で分かる三位一体
たぶん後付けの設定だからでは?
三位一体かもしれないし、そうでないかもしれないし、としといたほうが泊がついたんじゃないの?? 理解不能なのがよいのなら。ていうか会議で話し合って決めるとか笑えるww
針の上で天使は何人踊れるか
カーネルの変更ができなくなったOSのサービスリリースの最大のものであり、盛大なバグ持ちのまま多数の人間が使っているもの、と認識している。旧約の神と分かつべきなんだけど切り切れてない。
"神が人間になる「受肉」が可能であるなら、人間が神に向かう通路も開かれるはずです。" 確かにそうなる。 保守的な辻褄合わせがラディカル思想に転じるの、良い。
三位一体は理屈としては間違ってるが、そういう解釈する人達も多数派なのか?
三位一体
出たよ「神は人間の理解を超える存在」。色んな理不尽や不条理、不正義を正当化してきた伝家の宝刀
一神教を名乗るためのこじつけだから
土俵と力士と行司みたいなものでしょう
その場しのぎでめちゃくちゃに出来るのが長生きできる宗教のコツなんで
全体的に主観中心で簡単に言うと「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」というやつで、ヨハネの福音書(死後60-70年後なので創作)の裁判でのイエスのセリフが印象的。三位一体は後付けの神学的解釈。
現代社会ならISOの標準化活動のようなもの?EUがルールメイキングが上手いと言われるのも、武器化して反発されるのも、長い神学の伝統に由来するのかな?と感じた。
キリストの腰布を剥いでみろ、そこにはユダヤ人の証拠があるってやつね
三位一体ではなく「三つの体格が三つの本質を表わし、お互い関係している」だったほうが現在の多様性の尊重する風潮に合ってて、他の多神教の文化とも接点を作りやすかったろうなあ。古代教会では異端な考えらしいが
なぜ三位なのか、なぜ三身ではないのか
父と子はわかった。精霊はどこから出てきたん?
"ヘブライ語の「在る」は「成る」と同じ動詞で、流動的な意味を持ちます。ryギリシア語ではry「在る」にはry必ず「もの」のイメージが伴います。結果として、ヘブライ人の中では融通無碍なイメージだった"
しがみつく相手は虚構。
ルーブル辺りで宗教画セクション見てると三位一体モチーフのが多いんだよな。
パチンコ店・景品交換所・公安委員会
「イエスの人、そこまで考えてないと思うよ」「真顔でなんてこと言うのヨハネちゃん!」|結局、勢力拡大途中で信徒と異教徒とで使い分けてた教義の矛盾を無理くり繕った結果だろ 信仰に値しない駄義
三位一体のあとの非カルケドン派が生まれるきっかけになった単性論もよくわからないし、フィリオクェ問題(ex Patre Filioque procedit)で大シスマが起きるほどのことなのかもわからない
聖霊の息吹がこの世界に溢れますように。
硝酸塩という物理的な存在がいるので、割と「三位一体」というのは科学(化学)的にも理解可能なのである(なお要教養)
論理破綻した妄想を「存在してるから」といって無理矢理屁理屈で擁護するのは「知的な人」に起こりがちなバグだと思う
聖書に書いてあるわけでもないし、キリストが言った言葉でもないのだから、後世の解釈のひとつにすぎないのではないかな。
後付けで作ったモノを理解不能でもしょうがないと... 思う...
三位一体をそういうものとしてまるっと受け入れられるかどうかが信仰であり(文化的)洗脳である。信仰の内側からと外側からでは三位一体は全く違うものに見えるだろう。無我と梵我一如もそういうもの。
“宗教というものの根本には、人々の素朴な祈りがあるという視点は欠かせない”この一言があって救われた。途中まで読んで「宗教というこんないいものを愚劣な衆生がめちゃくちゃにしやがって」って思いかけてたから
またエホバの証人が「キリストは被造物!キャッキャッ」ってはじめるんだろ
キリスト教における最大の謎「三位一体」はなぜ理解不能なのか? 哲学者・土橋茂樹に聞く「言葉の宗教」の複雑な歴史
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三位一体はニケア会議でその時の幹部が話し合って三位一体と決定しただけ。聖書にはキリストが天父に祈る描写がある。三位一体なら自分で自分に祈ったことになる。
宗教的情熱を共有しないものにとってはなんでこいつらこんなことにものすごいパワー使って議論してるのってなる。読み物としては面白いけど、当事者たちの本気度の高さは理解しがたい。
ユダヤ教と「救世主は誰か?」という論争になって、シーア派スンニ派みたいな本家争いに落ち着いちゃうんだよ。そして父・子・聖霊がいたら多神教の世界を認めることになる。後付けの解釈として運用してるのは面白い
神学は語り得ぬものが相手だけど、史学が入って人が相手になると面白くなるよね。
ただ、人の形をした神という発想は割と色んな宗教であるし、他宗教に取り入れられた。現在神道と呼んでるものは、かなりキリスト教を取り込んでる。
そら矛盾する教義と聖典の記述をまとめるために弥縫的な理屈をこね回した結果なので、外部から見りゃ「馬鹿なの?」以外の感想は無い。原罪理論もそうだけど、真面目に相手するだけ無駄
この擦り合わせを厳密に行うのが神学だね。一度くらいはそのロジックをちゃんと勉強した方がいいんだろうなぁ
後付けの理屈なのは間違いないし後の時代からケチを付けるのは簡単だけど当代最高の知識人たちが長年議論を続けて理屈を付けたから複雑になるのは仕方ない。普通に考えると異端にされた側のが筋は通ってるけどね
三位一体は、神の形而上性に関する演繹と帰納の対立構造から導出される側面がある。帰納的アプローチは神の形而上性を毀損し異端とされた。神の経験的理解を退けることは教会のポリティクスが要請したものと見倣せる
“「二正面作戦」”、翻訳、アリストテレス、
麺太郎・汁二郎・具三郎…って書いてて「確かにラーメンは神で、麺も神であり汁も神であり具も神だけど、どれか1つだけを取り出してラーメンを語ることはできないなぁ」と思ったりした
「教父たちはこうした一見合理的な説を異端として退けました。残ったのは「神は三つでありながら一つ」という、最も非論理的な考え方。それをあえて「正統」として選び取った」おかしいのは百も承知ってことか
同じ仲間だったものを異端認定とか、愛の宗教が聞いて呆れるよね。
なぜ大人しく「理解不能なほうが箔が付くから」と言えないのか。
“「二正面作戦」が展開されたのですね。ユダヤ教徒に対しては父なる神とは異なる「子なる神」の実在を、多神教徒に対しては「一なる神」を主張する必要があった” おもろい
「神よなぜお見捨てになったのですか」と無神論的絶望と共に死んだ弱く無知なイエスは全知全能の神だったのだ(=復活)がキリスト教の原体験でありかつ矛盾の源泉。聖霊はむしろその不可解な部分を埋めるための媒介項
日本の本地垂迹説とどこが同じでどこが違うのか?がわかれば、日本人にとって西洋近代とは何か?を考えるヒントになりそう。ローカル宗教(ユダヤ教・神道)と世界宗教(キリスト教・仏教)の融合という部分は同じ…
一神教特有の現象かもしれない。志向しない人にはもちろん理解しがたいが、それは「自分で買ったおにぎり踏み潰す動画に文句言う意味がわからない」という感覚と似ているのかもしれない。
“が自分たちに跳ね返ってきたとき、どう整理すべきかが大問題になりました。父・子・聖霊は一体なのか、三つの神なのか。教父たちはこの問いに直面し、頭を悩ませることになったのです。 ”
神学、アリストテレス論理は「同じものの話をしなければ話にならない」。これは数式の恒等式(左=右)と同じ。で、三位一体にしないと「神でなければキリストは何者か?」という謎が生まれてしまう。聖霊は↑に。
いくぞ!さんみいったい!
俺の中ではキリスト教徒でもキリストの伝説が全て嘘でも信仰は変わらないって言う時点で、部外者としてはこんな屁理屈どうでも良い。論点は全く違う所に移っつてる。
卑近な(?)ことをいうと受肉をうまいこと理論づけないとほかの啓典の民と差異化できないので。同じならイスラム教に改宗しませんかっていう話になる
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作者の人そこまで考えてないと思うよ
全然趣旨の違う連想をしたんだけど、キリスト教だと神=父で男が上位なのな。日本は天照大神からして女性なので、もしかして根本的な部分ですれ違っているから日本でキリスト教が広まらないのかな?
無謬の存在としての神と神の言葉である聖書を前提とすれば、明らかに矛盾する聖書の記述を合理的に解釈するためには“理解し得ない”神の意志を持ってこないと論理破綻が不可避だということなのかね。
世界の外側に(人の摂理の外側に)存在する神、世界の内側に人の子として生まれたイエス、ここまではわかるつもりなのだが、「聖霊」のことがいまいちわからない。
まえがき https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/127120.html / アウグスティヌスの太陽の例え 「太陽そのもの(父)」「太陽の光(子)」「太陽の熱(聖霊)」
もともと母がいたのを意図的に間引いて書き換えたからバグってるだけでは
論理的には誤り。論理学を適用しているが、その方針が成立するのは対象が物である場合に限られる。キリストは物だが、神は物ではない。神は、存在するとか数えるとかの対象外だ。普遍的なもの。神は論理の対象外だ。
"聖書には「神秘」や「秘密」といった、人間には解き明かせないものが数多く書かれています。[…]語り得ないものをどうにか語ろうとする宿命をキリスト教は背負った。イエス・キリストという存在は、その象徴でした"
その時々の政治的争いで異端派を排除しまくって、残ったものが正統的な三位一体。時代も人物も違うから言ってることが違って矛盾しまくってる。キリスト者以外にはどうでもいい話。普通の信者もほとんどは判ってない
ちょっと違うんだけど、マーケティングで「顧客のエンゲージメントが上がった」とか言うじゃん、あれが10年経ってもいまいち理解できない。数値化できる何かではなく顧客の心内のありようみたいな文脈で語られる。
数千年前は娯楽が少なかったから特定のコンテンツが注目されただけで、本質的には現代のオタクが、オリジナルと2次創作が混じり合った世界に考察合戦しているようなものなんだろうな。
ある意味で歴史解釈か。キリスト教の神を「ユダヤ教」「多神教」に対し理論的に説明しようとする中で成立した解釈。そして翻訳の過程で三位一体(三にして一)がorthodoxyとなった。
矛盾だらけの設定を自分たちででっち上げておきながら、それを人間が理解できないのは人智を超えた神の領域だからとウルトラCの権威づけを試みるの好き。
帝国再統一期にコンスタンティヌス帝の権力強化に利用され、1600年かけて論理を後付けしたからスパゲッティコードなんよ。皇帝はミラノ勅令で公認、12年後公会議で「イエス=被造物」とする当時本流アリウス派を破門。
三位一体?ボクには3時のおやつの方が大問題にゃ!哲学は難しいにゃ〜、眠くなっちゃうにゃ🐾
処女懐胎で生まれた男が後に殺された後で生き返った、という話を信じている人達にどんな理屈も通じないだろうし、必要なのは信心で理解ではないとは思ってはいるが、この本は面白そう。
キリスト教そのものに否定的感情はないけど、三位一体については後付けの屁理屈だと思う。
神は全能だ、弱くなることもできる
ただの人間の教祖を最高神の分身として扱う「幸福の科学」とかでもやってる手法の原点かも。
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たぶん後付けの設定だからでは?
三位一体かもしれないし、そうでないかもしれないし、としといたほうが泊がついたんじゃないの?? 理解不能なのがよいのなら。ていうか会議で話し合って決めるとか笑えるww
針の上で天使は何人踊れるか
カーネルの変更ができなくなったOSのサービスリリースの最大のものであり、盛大なバグ持ちのまま多数の人間が使っているもの、と認識している。旧約の神と分かつべきなんだけど切り切れてない。
"神が人間になる「受肉」が可能であるなら、人間が神に向かう通路も開かれるはずです。" 確かにそうなる。 保守的な辻褄合わせがラディカル思想に転じるの、良い。
三位一体は理屈としては間違ってるが、そういう解釈する人達も多数派なのか?
三位一体
出たよ「神は人間の理解を超える存在」。色んな理不尽や不条理、不正義を正当化してきた伝家の宝刀
一神教を名乗るためのこじつけだから
土俵と力士と行司みたいなものでしょう
その場しのぎでめちゃくちゃに出来るのが長生きできる宗教のコツなんで
全体的に主観中心で簡単に言うと「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」というやつで、ヨハネの福音書(死後60-70年後なので創作)の裁判でのイエスのセリフが印象的。三位一体は後付けの神学的解釈。
現代社会ならISOの標準化活動のようなもの?EUがルールメイキングが上手いと言われるのも、武器化して反発されるのも、長い神学の伝統に由来するのかな?と感じた。
キリストの腰布を剥いでみろ、そこにはユダヤ人の証拠があるってやつね
三位一体ではなく「三つの体格が三つの本質を表わし、お互い関係している」だったほうが現在の多様性の尊重する風潮に合ってて、他の多神教の文化とも接点を作りやすかったろうなあ。古代教会では異端な考えらしいが
なぜ三位なのか、なぜ三身ではないのか
父と子はわかった。精霊はどこから出てきたん?
"ヘブライ語の「在る」は「成る」と同じ動詞で、流動的な意味を持ちます。ryギリシア語ではry「在る」にはry必ず「もの」のイメージが伴います。結果として、ヘブライ人の中では融通無碍なイメージだった"
しがみつく相手は虚構。
ルーブル辺りで宗教画セクション見てると三位一体モチーフのが多いんだよな。
パチンコ店・景品交換所・公安委員会
「イエスの人、そこまで考えてないと思うよ」「真顔でなんてこと言うのヨハネちゃん!」|結局、勢力拡大途中で信徒と異教徒とで使い分けてた教義の矛盾を無理くり繕った結果だろ 信仰に値しない駄義
三位一体のあとの非カルケドン派が生まれるきっかけになった単性論もよくわからないし、フィリオクェ問題(ex Patre Filioque procedit)で大シスマが起きるほどのことなのかもわからない
聖霊の息吹がこの世界に溢れますように。
硝酸塩という物理的な存在がいるので、割と「三位一体」というのは科学(化学)的にも理解可能なのである(なお要教養)
論理破綻した妄想を「存在してるから」といって無理矢理屁理屈で擁護するのは「知的な人」に起こりがちなバグだと思う
聖書に書いてあるわけでもないし、キリストが言った言葉でもないのだから、後世の解釈のひとつにすぎないのではないかな。
後付けで作ったモノを理解不能でもしょうがないと... 思う...
三位一体をそういうものとしてまるっと受け入れられるかどうかが信仰であり(文化的)洗脳である。信仰の内側からと外側からでは三位一体は全く違うものに見えるだろう。無我と梵我一如もそういうもの。
“宗教というものの根本には、人々の素朴な祈りがあるという視点は欠かせない”この一言があって救われた。途中まで読んで「宗教というこんないいものを愚劣な衆生がめちゃくちゃにしやがって」って思いかけてたから
またエホバの証人が「キリストは被造物!キャッキャッ」ってはじめるんだろ