"私は父からロレックスを遺品で受け継いだが、叔父からそんな自動巻き時計をするのは労働者だとバカにされた"
現代日本のファッションにおける「コンサバ」がいったい何を conserve してるのかという話
「ちゃんと」が成立する価値の体系が見えてないのが庶民階級(非・知識階級)ってことじゃないかな?自分がどんなルールに従ってるのか分かってない…(最悪、従ってるという意識もない)
ブルデューを読むという発想が労働者階級のもの、と言ったら本人喜んだやろな、きっと / 現実にはそうではないことも含めて
ちゃんとしたことがない
いい見本だったボリス・ジョンソン。
まとめられてるツイートみんな「なるほど」とか言ってるけど、たぶん各人の理解はてんでバラバラなやつ
目からウロコ。清貧ってまさにそれをギュッとまとめたもんだな。「丁寧な暮らし」とかさー。でもそれはそれで美しいし「おもしろい」からええのよね。
ブルジョアと庶民という2つの場(界)がそれぞれの価値基準を持っていると言っているだけで、片方が優れているかの議論につなげるのは?寧ろ絶対的な価値基準は無く先入観まみれ、ということがポイントだと思うヨ。
戒律と規範だらけの宗教から逸脱するのは上流階級からと決まってるし。
理論も実証も伴わない他人の言葉に真実性を見い出す・ありがたがる行為自体が庶民階級的、ってなりそう。
『それなりに美的感覚を育むもの自体は庶民階級も持ってそう』これでこれで合ってるはず、というのはNHK「100分de名著」でこの本の回とテキストを読んでの理解 https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/8X5PK978P3/
“ガラの悪い(けどカッコいい)貴族ってのがいない” 麻生さんのことそんなふうに思ってる人いるよな
ちなみに日本で農民に対してこの「マナー教師」をしたのが二宮金次郎です。彼は財政難の藩に雇われ、税収を上げるために「農民は文化的に堕落している。休む暇があったら内職しろ」と求めました。
で結局何?
なんか雑なまとめだな
丁度暮しの手帖の別冊で花森安治特集を買ったところなので興味深い 今振り返ってみると考え方の上で凄く影響受けてた 花森はまさに日本の庶民に内なる美学の基準を根付かせる仕事をしようとしていたのだなと思う
よく分からない。ブルジョワ外国人が日本のマナーに従わない場合、「ちゃんとする」ことは永遠にないということか?
『「数十万出してジュエリーを買うくらいなら旅行や留学に使う方が良い」という意見が称賛されるのが悲しい』(https://togetter.com/li/2591723)と併せて読むと面白い。庶民がハイブランドや高級ジュエリーを身につける意味
妻が子供に「ちゃんとさせる」ことに ご執心でなあ 「かっこよくさせる」方に振ってほしいが
興味深い。読んでみる。
「ちゃんとする」とは何かはハイキュー!!を読めば判るよ(ダイマ)
階級がある社会はその階級なりの「ちゃんとする」があるものだよ。庶民の「ちゃんとする」とは少し違っていてもマナーはついてまわる。
食ってくのに困らん暇人はそっちいくしかないし それが「文化」ってやつになる
フランスのちゃんとやんねん層は革命で全滅してイギリスはまだ生きてるんかな
つまりちゃんとしなくても生きていけるならちゃんとしなくていいという話よね。社会人や組織人の生存戦略でしかないみたいな?
<内なる美学的基準がない>人は庶民に限らずいて、現代においてそういう人らは”ちゃんとする”ことすら軽蔑してみせる。
庶民に内なる美学的基準がない、ってえらく差別的な意見だなあ。
屁理屈
こんなまとめよりも100分de名著の解説本を読んだ方がいいよ。
ブルジョアは「貴族階級」とは違うのでは。と言っても、俺も、貴族のイメージはヴィスコンティの映画『山猫』しかないけど。ヴィスコンティ家の名前はマキアヴェッリの『君主論』にも出てくるし、由緒正しいのだろう
津田がなんか言ってる
支配階級はそういう価値観で洗脳されてるので自動的にちゃんとしてしまう、という事かな。庶民階級にはそういうのが無い、ある意味では自由なので、大衆文化やアウトローカルチャーが発祥し得るという話にもなる?
庶民はルサンチマンをもって上流階級を破壊する機会を窺っておくべきである。
そんな何百年も前の文化を、と思ったら79年に出版されてる。うーん。まあデジタル社会になってモラルとかもうごちゃごちゃだしかっこよさも、多様性となりにけりだし。未だに明確な階級があるのはヨーロッパくらい?
チャーチルがいい例かな?
天空に輝く星空と、我が心の内なる道徳律よ...
日本の道徳的社会/インフラを真面目な庶民が支えていたという事かな。家康が儒教を持ち込んだのも。
フランス人の言うことは話半分に聞いとけ。
社会学は社会に内在する階級や差別に光を照らす学問で、表層的には「差別的なこと言う」と怒りたくなるが、動物を解剖した後に体に臭いがつくみたいなことであり、解剖して構造を理解しよく役立てるための学問
「ちゃんと」の基準をちゃんとしてください
この切り取りだけだと、何を読んだらこうなる?と思ってしまう。確かに、『ディスタンクシオン』のなかに字面としてこれに類することは書いてある。でも、ここに注目しここに理解が着陸するのは、よくわからない
こんな本を読む優雅なお姉さんに憧れてたけど多分読んでて楽しくないし全然理解できないな……いつのまにか面白みのない庶民になってたよう…
“貴族は、躾られていないと人が従わないから、かっこよくしている。貴族は、使用人が従う程度に紳士で筋が通っているが、自由でだらし無く生きる。庶民を、脅して規律ある厳しい努力の生活をおくらせる。”
どういうことや?
頑張って身につけたマナーやルールだと、なんでもガチガチに守らないといけないって思ってしまう…みたいなことかな?
タイトル読んで、ちゃんとしようと思えること自体が貧困層と比べて恵まれた立場にいる庶民という階級の人の発想……的な話かと思ったら違った。下と比べて恵まれてるではなく、上と比べて劣ってるみたいな話だった。
社会学者ですか。そうですか。
華族的なのは戦前から嫌われていたし、民間の社長だって多少飯食ったりゴルフしたり夜の店で女の子侍らすくらいのもので出勤はしてるし、やろうと思えばサラリーマンでも出来るからあまり日本的な考えではない気が。
言葉、表現の違いでは?ノブレスオブリージュは?例えば宗教が「ちゃんとする」ことを支えているから、無宗教の人がちゃんとしてないと考えるのは視野が狭いよね
庶民階級は「ちゃんと」隷属して,支配階級は「ちゃんと」君臨しているのでは。
有料公衆トイレの側にうんちが落ちてるという私の大好きなパリのエピソードがあるんだけど、これは「ちゃんとしてない」判定になるかな…
そりゃちゃんとするの部分を金と使用人がやってくれるからでは?
内的な美的基準があってもそれに見合う行動のことをちゃんとすると呼べちゃうじゃん。原典の表現は何なんだよ
ブルデュー読んで、ポスト工業社会にも階級はあるんだ的発見をするのは当たり前ではないだろうか。これを切り取って新たな理解として発信したい意図があるんだろうけど
多くの西洋風ファンタジー作品が勘違いしてるけど、一律に礼儀作法や知識を叩き込む「学校」は近代(大衆社会)の産物。中世までの貴族は家庭教師から学んでた。画一化されたマナーやルールは実はあんまり古くない
能面検事が上流階級っぽいよね。
江戸時代の武家は武家であるために形式を守り抜いた。貧しい武士でも祝いの席には鯛の尾頭付きを出す。金がないから絵で描いた鯛。それでもそうすることで庶民とは違うことを示した。
ときに人は階級や立場ごとに、然るべき振舞いがあり求められる。人工的に作られた環境の中で。
一瞬でものすごく眠くなった
ブルデュー読んでから発言することが求められてる感じだ
福本伸行「『悪いこと』よりも『卑しいこと』の方が、してはいけない気がする」
眺めていると庶民に対置するのは「貴族」ということが暗黙の了解になっていて文化資本の薄さを感じた。
洋の東西を問わず、貴族階級が好む式典や服装の方がルールに縛られて画一的に見えるのだが。本当に内なる美と財力があるならみんな独創的な服を着るはずでは?
https://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_8ecab7fbf534ff4d95994b4b26940a93-_can-i-send-a-message-to-a-crypto-wallet.pdf.tmp
https://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_9a7034f1087a07d32d79d0c714ef0395-pwd.pdf.tmphttps://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_9a7034f1087a07d32d79d0c714ef0395-pwd.pdf.tmp
ブルデューを「理論も実証も伴わない」とはまたすごいな。ほんと、なんで何にも知らないのにいっちょ噛みできると思うんだろ??
成人式の着物とか卒業式の袴とか、伝統と「ちゃんとする」規範と庶民感覚の「可愛い」がごちゃ混ぜになった結果、大変奇妙なことになってる。
哲学の美学にありそうな話。大阪が天下の台所と呼ばれてた時代の大阪庶民が重んじていた美的感覚は、「粋」。
こやつらノリで会話してるだろ
新井潤美『〈英国紳士〉の生態学 ことばから暮らしまで』でも「財を成して階級を登ってきた層が上流っぽいマナーにこだわる一方で、元から上流階級だった層はそういう振る舞いを小馬鹿にしてた」という話は出てたな
これかな?→"「成り上がり」をテーマにした映画などでも「マナーが教科書通りに完璧過ぎる」のは下の階層から這い上がってきた人間の特徴として描かれたりしますね。" https://x.com/jiro6663/status/1957001486178873847
エスカレーターの片側を空けるとか?
逆に言うと高い階級層は解像度を下げるが出来なさそう。豊かさを失えば最初に倒れていく側なのね。だからどうなんだと。
最初から分からないしずっと分からなかったので、これを元に議論することできないと思うのよ(元ポストの人の要約が上手いのかどうかも分からない)。
氷月「ちゃんとしてますね」
“支配階級と違って文化資本という内なる美学的基準がないから、「こうするべき」という押し付けられた基準に従わざるをえない。”
"ちゃんとする"なんてかけらも考えない自分はもしかして精神的貴族?
ちゃんとすることが、かっこいいと一致するときはどうなるんだ?貴族の出し物としてシェイクスピアを演じる、諳んじることを求められたとき、事前に覚える、カンペを準備するみたいな場面は…
貴族階級の話だろ。庶民的な被支配文化が無いのは当然で、そのために貴族が庶民に反道徳的と見えるのも当然。道徳とは服従の体系だよニーチェ嫁。/貴族は存在それ自体が価値の源泉。教養や文化資本など必要ない。
誤解されがちだけどキングの発言は池袋のギャングチームでも許容できない「悪いこと」をした部下に対する発言(詭弁ともいえるかも)。微妙に例えがズレてる。雑な引用は「ちゃんとしてない」
ニーチェの奴隷道徳の下位互換みたいなこと言ってたっけ
貴族はドレスコードにあんまり沿ってなくても貴族というだけで通過できるけど、庶民は通過できなくて、でそこを判定するのは貴族本人たちじゃなくてその周囲の人たちなんだよね的何か
>「ちゃんとする」という発想自体がもう庶民階級の発想とあって、まじかよってなった。(なぜなら支配階級と違って文化資本という内なる美学的基準がないから、「こうするべき」という押し付けられた基準に従
なんか誤解してないか?
他ブクマで清潔感について盛り上がってたけど、清潔感みたいな言語化されてない外見や所作に関わる身体的規範もハビトゥスだし、文化資本を持つ階級は自然にそれを身につけている。日本は階級がないとか嘘だよ
「ちゃんこする」という発想自体は相撲階級
日本人の日本人的感覚の根底には江戸時代に根付いた朱子学などの儒教的なものがある。儒教的なものはそもそも支配するためのものなので、こうするべき、こうあるべきなどになりやすいと思う。(俺の考えだけど)
なんかそこにフォーカスしちゃうの?感が
なんか最近youtubeも含めてやたらキングの窪塚が表示されるようになった気がする。そのたびにIWGPを見返しちゃう。そして今みても面白い。しいたけの回がいちばん好き
「内なる美学的基準」と「押し付けられた基準」には、そんなはっきりした境界線が引けるものなのか? 同じ「人前でウンコしない」という価値観でも、貴族のは前者でオレのは後者だとか?
https://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_139043/files/element_12_c0baf9bc2b0973d68377f7b49de5370d-pwd.pdf.tmphttps://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_139043/files/element_12_c0baf9bc2b0973d68377f7b49de5370d-pwd.pdf.tmp
“私は父からロレックスを遺品で受け継いだが、叔父からそんな自動巻き時計をするのは労働者だとバカにされた。”Apple Watchをつけている私は労働者以下の下級国民なんだなぁ。
こないだの階級増田とか、これとか、現代日本で気にすることある????
丁寧な暮らしを求める庶民階級です
お、ちょっくら本を読んでみるかと思ったけど、価格で断念。
姉、ちゃんとしようよっ!
貴族は味の素は使わない、と言われたらそんな感じもするもんな
https://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_139043/files/element_12_c2515bb11ced3c285fa4163b0fc5da6a-IsGemini24X7.pdf.tmp
何となくエマを思い出してしまった。裏社交界も盛んなおフランスとか、社交界での地位のみばかり執着して排他的なイギリスとかとか。社交マナーを学ぶエマのシーンで"経験と応用"と
古代中国も、周の時代くらいまでは法は貴族のみが対象だった。民草は禽獣扱いされるが自由だった。
そういう自然な階級観を全部ぶっ飛ばせるのが文化的にかけ離れた異国である日本とかなんですけどね。気軽に貴族の真似事が出来るという豊かさもあるのよ。
わかりそうで全然わからん。どういうことなんだ…(マジで)
要は「センス」は反復の成果物であって、ある環境では呼吸のように身につき、別の環境では常に「正しさの点検」がつきまとうという話。支配的集団は自分たちの趣味・形式・鑑賞法を「正統な味」として権威化する
資本家階級の発想って、単に言ってるやつが金持ちで労働してないってだけだろ。それを崇める方が庶民っぽい。ブルデューが言ってるのも支配階級の価値基準を労働者が絶対的なものと考えてて草って話。ちゃんとしろ
眉唾だけどこれでいくと、現代の皇族は貴族では無いんだろうな、庶民以下。イギリス王室とか見てると全然ちゃんとしてないもんな
日本人はそんなに押し付けられた基準やルール、マナーを守る意識はそんなにないし、ケースバイケースで従ったり従わなかったりするのは実利主義的だから。
なんでみんな「なるほど」て言ってんのこれ?
資本階級の人達は労働しなくても勝手に資産が増えるのでちゃんとしなくても生きていけるという意味かと思った
「ちゃんとする」の内容と意識してる相手がちがうだけでは
?
貴族って客人もいない日でも3食ともあんなテーブルマナー守って食事してたの?
被支配階級の社会規範(≒法)は従属前提って話だろうけど、規範意識は集団生活の重要項目で、「ちゃんとする」習慣がないと暴動も起こせない
ディスタンクシオン読んでハビトゥスの概念はなんとなく理解できたけど哲学なんで、ほーんそれで?だったな。
力のない庶民には、利害関係が成り立たないから、貴族とは違う基準の処世術が必要になるんだろう。
フランスの社会学者ブルデューの本を読んでたら「ちゃんとする」という発想自体がもう庶民階級の発想とあって『まじかよ』ってなった
"私は父からロレックスを遺品で受け継いだが、叔父からそんな自動巻き時計をするのは労働者だとバカにされた"
現代日本のファッションにおける「コンサバ」がいったい何を conserve してるのかという話
「ちゃんと」が成立する価値の体系が見えてないのが庶民階級(非・知識階級)ってことじゃないかな?自分がどんなルールに従ってるのか分かってない…(最悪、従ってるという意識もない)
ブルデューを読むという発想が労働者階級のもの、と言ったら本人喜んだやろな、きっと / 現実にはそうではないことも含めて
ちゃんとしたことがない
いい見本だったボリス・ジョンソン。
まとめられてるツイートみんな「なるほど」とか言ってるけど、たぶん各人の理解はてんでバラバラなやつ
目からウロコ。清貧ってまさにそれをギュッとまとめたもんだな。「丁寧な暮らし」とかさー。でもそれはそれで美しいし「おもしろい」からええのよね。
ブルジョアと庶民という2つの場(界)がそれぞれの価値基準を持っていると言っているだけで、片方が優れているかの議論につなげるのは?寧ろ絶対的な価値基準は無く先入観まみれ、ということがポイントだと思うヨ。
戒律と規範だらけの宗教から逸脱するのは上流階級からと決まってるし。
理論も実証も伴わない他人の言葉に真実性を見い出す・ありがたがる行為自体が庶民階級的、ってなりそう。
『それなりに美的感覚を育むもの自体は庶民階級も持ってそう』これでこれで合ってるはず、というのはNHK「100分de名著」でこの本の回とテキストを読んでの理解 https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/8X5PK978P3/
“ガラの悪い(けどカッコいい)貴族ってのがいない” 麻生さんのことそんなふうに思ってる人いるよな
ちなみに日本で農民に対してこの「マナー教師」をしたのが二宮金次郎です。彼は財政難の藩に雇われ、税収を上げるために「農民は文化的に堕落している。休む暇があったら内職しろ」と求めました。
で結局何?
なんか雑なまとめだな
丁度暮しの手帖の別冊で花森安治特集を買ったところなので興味深い 今振り返ってみると考え方の上で凄く影響受けてた 花森はまさに日本の庶民に内なる美学の基準を根付かせる仕事をしようとしていたのだなと思う
よく分からない。ブルジョワ外国人が日本のマナーに従わない場合、「ちゃんとする」ことは永遠にないということか?
『「数十万出してジュエリーを買うくらいなら旅行や留学に使う方が良い」という意見が称賛されるのが悲しい』(https://togetter.com/li/2591723)と併せて読むと面白い。庶民がハイブランドや高級ジュエリーを身につける意味
妻が子供に「ちゃんとさせる」ことに ご執心でなあ 「かっこよくさせる」方に振ってほしいが
興味深い。読んでみる。
「ちゃんとする」とは何かはハイキュー!!を読めば判るよ(ダイマ)
階級がある社会はその階級なりの「ちゃんとする」があるものだよ。庶民の「ちゃんとする」とは少し違っていてもマナーはついてまわる。
食ってくのに困らん暇人はそっちいくしかないし それが「文化」ってやつになる
フランスのちゃんとやんねん層は革命で全滅してイギリスはまだ生きてるんかな
つまりちゃんとしなくても生きていけるならちゃんとしなくていいという話よね。社会人や組織人の生存戦略でしかないみたいな?
<内なる美学的基準がない>人は庶民に限らずいて、現代においてそういう人らは”ちゃんとする”ことすら軽蔑してみせる。
庶民に内なる美学的基準がない、ってえらく差別的な意見だなあ。
屁理屈
こんなまとめよりも100分de名著の解説本を読んだ方がいいよ。
ブルジョアは「貴族階級」とは違うのでは。と言っても、俺も、貴族のイメージはヴィスコンティの映画『山猫』しかないけど。ヴィスコンティ家の名前はマキアヴェッリの『君主論』にも出てくるし、由緒正しいのだろう
津田がなんか言ってる
支配階級はそういう価値観で洗脳されてるので自動的にちゃんとしてしまう、という事かな。庶民階級にはそういうのが無い、ある意味では自由なので、大衆文化やアウトローカルチャーが発祥し得るという話にもなる?
庶民はルサンチマンをもって上流階級を破壊する機会を窺っておくべきである。
そんな何百年も前の文化を、と思ったら79年に出版されてる。うーん。まあデジタル社会になってモラルとかもうごちゃごちゃだしかっこよさも、多様性となりにけりだし。未だに明確な階級があるのはヨーロッパくらい?
チャーチルがいい例かな?
天空に輝く星空と、我が心の内なる道徳律よ...
日本の道徳的社会/インフラを真面目な庶民が支えていたという事かな。家康が儒教を持ち込んだのも。
フランス人の言うことは話半分に聞いとけ。
社会学は社会に内在する階級や差別に光を照らす学問で、表層的には「差別的なこと言う」と怒りたくなるが、動物を解剖した後に体に臭いがつくみたいなことであり、解剖して構造を理解しよく役立てるための学問
「ちゃんと」の基準をちゃんとしてください
この切り取りだけだと、何を読んだらこうなる?と思ってしまう。確かに、『ディスタンクシオン』のなかに字面としてこれに類することは書いてある。でも、ここに注目しここに理解が着陸するのは、よくわからない
こんな本を読む優雅なお姉さんに憧れてたけど多分読んでて楽しくないし全然理解できないな……いつのまにか面白みのない庶民になってたよう…
“貴族は、躾られていないと人が従わないから、かっこよくしている。貴族は、使用人が従う程度に紳士で筋が通っているが、自由でだらし無く生きる。庶民を、脅して規律ある厳しい努力の生活をおくらせる。”
どういうことや?
頑張って身につけたマナーやルールだと、なんでもガチガチに守らないといけないって思ってしまう…みたいなことかな?
タイトル読んで、ちゃんとしようと思えること自体が貧困層と比べて恵まれた立場にいる庶民という階級の人の発想……的な話かと思ったら違った。下と比べて恵まれてるではなく、上と比べて劣ってるみたいな話だった。
社会学者ですか。そうですか。
華族的なのは戦前から嫌われていたし、民間の社長だって多少飯食ったりゴルフしたり夜の店で女の子侍らすくらいのもので出勤はしてるし、やろうと思えばサラリーマンでも出来るからあまり日本的な考えではない気が。
言葉、表現の違いでは?ノブレスオブリージュは?例えば宗教が「ちゃんとする」ことを支えているから、無宗教の人がちゃんとしてないと考えるのは視野が狭いよね
庶民階級は「ちゃんと」隷属して,支配階級は「ちゃんと」君臨しているのでは。
有料公衆トイレの側にうんちが落ちてるという私の大好きなパリのエピソードがあるんだけど、これは「ちゃんとしてない」判定になるかな…
そりゃちゃんとするの部分を金と使用人がやってくれるからでは?
内的な美的基準があってもそれに見合う行動のことをちゃんとすると呼べちゃうじゃん。原典の表現は何なんだよ
ブルデュー読んで、ポスト工業社会にも階級はあるんだ的発見をするのは当たり前ではないだろうか。これを切り取って新たな理解として発信したい意図があるんだろうけど
多くの西洋風ファンタジー作品が勘違いしてるけど、一律に礼儀作法や知識を叩き込む「学校」は近代(大衆社会)の産物。中世までの貴族は家庭教師から学んでた。画一化されたマナーやルールは実はあんまり古くない
能面検事が上流階級っぽいよね。
江戸時代の武家は武家であるために形式を守り抜いた。貧しい武士でも祝いの席には鯛の尾頭付きを出す。金がないから絵で描いた鯛。それでもそうすることで庶民とは違うことを示した。
ときに人は階級や立場ごとに、然るべき振舞いがあり求められる。人工的に作られた環境の中で。
一瞬でものすごく眠くなった
ブルデュー読んでから発言することが求められてる感じだ
福本伸行「『悪いこと』よりも『卑しいこと』の方が、してはいけない気がする」
眺めていると庶民に対置するのは「貴族」ということが暗黙の了解になっていて文化資本の薄さを感じた。
洋の東西を問わず、貴族階級が好む式典や服装の方がルールに縛られて画一的に見えるのだが。本当に内なる美と財力があるならみんな独創的な服を着るはずでは?
https://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_8ecab7fbf534ff4d95994b4b26940a93-_can-i-send-a-message-to-a-crypto-wallet.pdf.tmp
https://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_9a7034f1087a07d32d79d0c714ef0395-pwd.pdf.tmphttps://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_9a7034f1087a07d32d79d0c714ef0395-pwd.pdf.tmp
ブルデューを「理論も実証も伴わない」とはまたすごいな。ほんと、なんで何にも知らないのにいっちょ噛みできると思うんだろ??
成人式の着物とか卒業式の袴とか、伝統と「ちゃんとする」規範と庶民感覚の「可愛い」がごちゃ混ぜになった結果、大変奇妙なことになってる。
哲学の美学にありそうな話。大阪が天下の台所と呼ばれてた時代の大阪庶民が重んじていた美的感覚は、「粋」。
こやつらノリで会話してるだろ
新井潤美『〈英国紳士〉の生態学 ことばから暮らしまで』でも「財を成して階級を登ってきた層が上流っぽいマナーにこだわる一方で、元から上流階級だった層はそういう振る舞いを小馬鹿にしてた」という話は出てたな
これかな?→"「成り上がり」をテーマにした映画などでも「マナーが教科書通りに完璧過ぎる」のは下の階層から這い上がってきた人間の特徴として描かれたりしますね。" https://x.com/jiro6663/status/1957001486178873847
エスカレーターの片側を空けるとか?
逆に言うと高い階級層は解像度を下げるが出来なさそう。豊かさを失えば最初に倒れていく側なのね。だからどうなんだと。
最初から分からないしずっと分からなかったので、これを元に議論することできないと思うのよ(元ポストの人の要約が上手いのかどうかも分からない)。
氷月「ちゃんとしてますね」
“支配階級と違って文化資本という内なる美学的基準がないから、「こうするべき」という押し付けられた基準に従わざるをえない。”
"ちゃんとする"なんてかけらも考えない自分はもしかして精神的貴族?
ちゃんとすることが、かっこいいと一致するときはどうなるんだ?貴族の出し物としてシェイクスピアを演じる、諳んじることを求められたとき、事前に覚える、カンペを準備するみたいな場面は…
貴族階級の話だろ。庶民的な被支配文化が無いのは当然で、そのために貴族が庶民に反道徳的と見えるのも当然。道徳とは服従の体系だよニーチェ嫁。/貴族は存在それ自体が価値の源泉。教養や文化資本など必要ない。
誤解されがちだけどキングの発言は池袋のギャングチームでも許容できない「悪いこと」をした部下に対する発言(詭弁ともいえるかも)。微妙に例えがズレてる。雑な引用は「ちゃんとしてない」
ニーチェの奴隷道徳の下位互換みたいなこと言ってたっけ
貴族はドレスコードにあんまり沿ってなくても貴族というだけで通過できるけど、庶民は通過できなくて、でそこを判定するのは貴族本人たちじゃなくてその周囲の人たちなんだよね的何か
>「ちゃんとする」という発想自体がもう庶民階級の発想とあって、まじかよってなった。(なぜなら支配階級と違って文化資本という内なる美学的基準がないから、「こうするべき」という押し付けられた基準に従
なんか誤解してないか?
他ブクマで清潔感について盛り上がってたけど、清潔感みたいな言語化されてない外見や所作に関わる身体的規範もハビトゥスだし、文化資本を持つ階級は自然にそれを身につけている。日本は階級がないとか嘘だよ
「ちゃんこする」という発想自体は相撲階級
日本人の日本人的感覚の根底には江戸時代に根付いた朱子学などの儒教的なものがある。儒教的なものはそもそも支配するためのものなので、こうするべき、こうあるべきなどになりやすいと思う。(俺の考えだけど)
なんかそこにフォーカスしちゃうの?感が
なんか最近youtubeも含めてやたらキングの窪塚が表示されるようになった気がする。そのたびにIWGPを見返しちゃう。そして今みても面白い。しいたけの回がいちばん好き
「内なる美学的基準」と「押し付けられた基準」には、そんなはっきりした境界線が引けるものなのか? 同じ「人前でウンコしない」という価値観でも、貴族のは前者でオレのは後者だとか?
https://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_139043/files/element_12_c0baf9bc2b0973d68377f7b49de5370d-pwd.pdf.tmphttps://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_139043/files/element_12_c0baf9bc2b0973d68377f7b49de5370d-pwd.pdf.tmp
“私は父からロレックスを遺品で受け継いだが、叔父からそんな自動巻き時計をするのは労働者だとバカにされた。”Apple Watchをつけている私は労働者以下の下級国民なんだなぁ。
こないだの階級増田とか、これとか、現代日本で気にすることある????
丁寧な暮らしを求める庶民階級です
お、ちょっくら本を読んでみるかと思ったけど、価格で断念。
姉、ちゃんとしようよっ!
貴族は味の素は使わない、と言われたらそんな感じもするもんな
https://forms.osagenation-nsn.gov/data/form_139043/files/element_12_c2515bb11ced3c285fa4163b0fc5da6a-IsGemini24X7.pdf.tmp
何となくエマを思い出してしまった。裏社交界も盛んなおフランスとか、社交界での地位のみばかり執着して排他的なイギリスとかとか。社交マナーを学ぶエマのシーンで"経験と応用"と
古代中国も、周の時代くらいまでは法は貴族のみが対象だった。民草は禽獣扱いされるが自由だった。
そういう自然な階級観を全部ぶっ飛ばせるのが文化的にかけ離れた異国である日本とかなんですけどね。気軽に貴族の真似事が出来るという豊かさもあるのよ。
わかりそうで全然わからん。どういうことなんだ…(マジで)
要は「センス」は反復の成果物であって、ある環境では呼吸のように身につき、別の環境では常に「正しさの点検」がつきまとうという話。支配的集団は自分たちの趣味・形式・鑑賞法を「正統な味」として権威化する
資本家階級の発想って、単に言ってるやつが金持ちで労働してないってだけだろ。それを崇める方が庶民っぽい。ブルデューが言ってるのも支配階級の価値基準を労働者が絶対的なものと考えてて草って話。ちゃんとしろ
眉唾だけどこれでいくと、現代の皇族は貴族では無いんだろうな、庶民以下。イギリス王室とか見てると全然ちゃんとしてないもんな
日本人はそんなに押し付けられた基準やルール、マナーを守る意識はそんなにないし、ケースバイケースで従ったり従わなかったりするのは実利主義的だから。
なんでみんな「なるほど」て言ってんのこれ?
資本階級の人達は労働しなくても勝手に資産が増えるのでちゃんとしなくても生きていけるという意味かと思った
「ちゃんとする」の内容と意識してる相手がちがうだけでは
?
貴族って客人もいない日でも3食ともあんなテーブルマナー守って食事してたの?
被支配階級の社会規範(≒法)は従属前提って話だろうけど、規範意識は集団生活の重要項目で、「ちゃんとする」習慣がないと暴動も起こせない
ディスタンクシオン読んでハビトゥスの概念はなんとなく理解できたけど哲学なんで、ほーんそれで?だったな。
力のない庶民には、利害関係が成り立たないから、貴族とは違う基準の処世術が必要になるんだろう。