学び

貧しい農民が作ったとされる「万治の石仏」を岡本太郎が民衆芸術だと大絶賛していたが民俗学者から「都会的で傲慢な考え方だ」という批判もあった

1: frothmouth 2025/08/16 08:20

''「頼みたかった筈で」というのも推測に過ぎず答えは彫った本人の心にしか無いのだけれど、でもこの視点は凄く大事'' /他者の心を分かったつもりになるのも傲慢。都会人が田舎を上から目線で評価するのも傲慢

2: Arturo_Ui 2025/08/16 09:41

祀る/飾る目的なら「なるべく良いもの」にしたい、というのが人間の本性で、腕の良い者に頼めるなら当然そうしただろう。土偶や埴輪でも「流行」があったようだ、という指摘もあるくらいなので。

3: mutinomuti 2025/08/16 09:45

荒削りでダイナミックさが仏師にはないから、ご指摘には当たらない(´・_・`)そもそも職業仏師が徒弟制度や学校制度みたいな感覚って学者だよなっていう。掘り続けた結果としれて仏師になった庶民の実例は多い

4: WildWideWeb 2025/08/16 09:55

その良さを見出し評価する特権的な地位に就けるのはいったい誰か問題、本気で火をつけたいのかな? まあ面白い(から見てみたい気もする)けど。

5: mouseion 2025/08/16 10:04

石川啄木のぐう畜エピソードみたい。一握の砂から凄い苦労してそうなのに実際は嫁の結納金持ち逃げして散財しまくった話とか子供が出来た途端働き行くつって数年遊び歩いてたとか出版社から前借りして豪遊したとか。

6: gm91 2025/08/16 10:11

スペインのスーパー修復師ばーちゃん

7: ustar 2025/08/16 10:11

そもそも岡本太郎は逆張り大王やんけ

8: aathen 2025/08/16 10:12

背景を勝手に類推し妄想に心を動かされてどうこう発言してるのは無よね。

9: thirty206 2025/08/16 10:16

wiki読んだら首が伸びててちょっと笑ったw良い仏さんだね。

10: Caerleon0327 2025/08/16 10:19

五来 重(ごらい しげる、1908年〈明治41年〉3月7日 - 1993年〈平成5年〉12月11日)は、日本の民俗学者。専門は日本仏教史、仏教民俗学。

11: mawhata 2025/08/16 10:26

おお、ネットで五来重の名前を見るとは。

12: dobonkai 2025/08/16 10:28

どっちの言い分が正しいんじゃなくて、どちらも両立するんだよ。美に正解なんて無くてそれを見た人の感想は自由だしそこから何を感じ取ったとしても全部正しい。こういう風に観賞しろって方がよほど傲慢。

13: makou 2025/08/16 10:42

自分の見方を普遍的とするのが何より傲慢。

14: quh 2025/08/16 10:42

”頼みたかった筈” もしもそうだったらその後の金があるタイミングでいくらでも更新できたはずだが今も石仏が残り続けてるのをあまり説明できていない

15: yarumato 2025/08/16 10:48

“何故日本中に稲荷神社や八幡神社とかがあるのか。中央の神様に来てもらいたいからだ。仏教寺院だって日本中にネットワークが作られる。信仰にもブランドがあって欲しがる人は大昔からいる。”

16: nowa_s 2025/08/16 11:00

他のまとめにもある「オリエンタリズム的視点」ってやつかね。鄙びた風景や粗朴な表現を異なものとして、上から評価してしまう。美以前に、現地の人の生活の場だったり、当時の人の信仰心の表れだったりするんだけど

17: khatsalano 2025/08/16 11:05

この,鼻の大きい大日如来の石仏は筑波あたりに点在する。筑波は寛永で,若干早い。で,鬼怒川沿いの佐貫にある磨崖仏の大日も鼻が広くて大きかったのをいま思い出した。少なくとも中世まで溯る。民衆? 農民?

18: nobujirou 2025/08/16 11:23

万治の石仏を見た後は、岡本太郎がおかわりしたというザッハトルテをフレール洋菓子店で食べるのが下諏訪の定番コース。下諏訪に行った記憶がほとんど消えてるから、霊的な何かが強い土地じゃないかな。

19: politru 2025/08/16 11:42

自分は、こういう議論が発生するものが芸術たる、むしろ語られる事が、芸術なんだろうなぁ。と思ってる。議論込み。

20: by-king 2025/08/16 11:51

アウトサイダーアート(またはアール・ブリュット)を持ち上げる声に対してもこれに近い批判があったのを憶えている

21: yamaimo_san 2025/08/16 11:51

お金さえあればプロ飯をUber出来たのに貧民手作り飯を美味いと賞賛するのは(以下略

22: q-Anomaly 2025/08/16 11:53

プロの作品にしか思えないのだけれども・・貧しい農民が作ったというのはそもそも本当なのか。Wikipediaを見ると偉いお坊さんが彫ったみたいだけれど???

23: yamuchagold 2025/08/16 12:02

こういうのが田舎の芸術・美術なのかね。

24: kazoo_keeper2 2025/08/16 12:09

ネット以前(又はポップカルチャーが天下取る以前)は、エスタブリッシュメントが価値を認めたものしか歴史に残らなかった…。アンチ・インテリ界隈の脳内にいる「インテリ」は、その頃の知の権威としてのインテリ

25: circled 2025/08/16 12:10

イエスが「エルサレムの神殿とかゲリジム山とか、そういう聖地以外で神を讃えて良い時代が来るんだよ」といって人間の身体こそが神を讃える神殿になったのが2000年も前の話で、いつまで偶像崇拝してんの?みたいな

26: anigoka 2025/08/16 12:17

コンテキストなきif脳内忖度で語る民俗学者も大概では?|これが傲慢というならアウトサイダーアートというカテゴリも傲慢だろ…(あ

27: ad2217 2025/08/16 12:21

仏像って金を払って彫ってもらうの? 精神修業のためにただで彫るんじゃないの?

28: red_kawa5373 2025/08/16 12:29

id:circled その偶像崇拝を禁止した先進的な宗教が、世界中で大量虐殺と先住民の奴隷化を引き起こしたのに、未だに「偶像崇拝禁止は偉いんだ」って脳内宗教ランキングを嬉々として開陳できるのって凄いよね。

29: Janssen 2025/08/16 12:34

先日諏訪大社4社巡りのついでに石仏にもお詣りしてきたけど、解説には浄土宗の仏師が勧進して制作したとあった。農民がこんな定印結んだ仏様作るの無理だよ。素朴でも何でもないかなり正確な作法の仏像。

30: Shinwiki 2025/08/16 12:38

ズレてる

31: minboo 2025/08/16 12:44

五来重の指摘は「左翼が嫌われる理由」の本質を突いてると思う

32: manatus 2025/08/16 12:58

このクソみてーな文脈解釈談義に嫌気がさしてまだ試されてないパターンが山ほどあるアニメに人が流れてる説ある(ない

33: HanPanna 2025/08/16 13:13

下諏訪の人、駅に万治の石仏のハリボテ作ってマスクさせるほどに万治の石仏好きだけど、それは岡本太郎のおかげでもあると思うよ。

34: kaloranka 2025/08/16 13:14

たとえ依頼するお金がなかったのだとしても、それで「じゃあ自ら作ろう」となるところには、色々感じるものはある

35: yunotanoro 2025/08/16 13:22

無名の農民が拙いなりに作ることに芸術的価値があるのだよ。批判した民俗学者は制作者にリスペクトが無いからそんな事言える。

36: shinobue679fbea 2025/08/16 13:28

民藝がそう言った側面があったことは否定しないが、民藝に現代でも通用する普遍的美があるのも事実だろう

37: hiront_at_nagoya 2025/08/16 13:41

仏様の姿を批評するとは、烏滸がましいにもほどがある。

38: colonoe 2025/08/16 13:52

AI絵師の「AIは私に障害者らしさを求めてこない」というがあるけど、これも「貧しい農民だから貧しい農民らしい仏像を作るべき」って言ってるような感じがする

39: RXRHsZcJ6xnGXZR8TEZA6hAxzRd3mkD 2025/08/16 14:09

美そのものでない美「術」なんて生活に余裕の溢れ階層や都市部の産物じゃろ?傲慢かどうかはそのプロセスを観察した第三者の主観

41: muttowoooo11 2025/08/16 14:14

万治の石仏の伝承と全然違うけど何の話してんの?

42: rs-mt 2025/08/16 14:16

オリエンタリズム的視点は誰にでもあるが、その強弱は人それぞれ、て所かと。なので、どちらの側に立つにしろ、傲慢にならなければ良いのでは、と思う。

43: sirokuro 2025/08/16 14:17

民藝運動もそういう批判されてたけど、傲慢だろうが誰かが持ち上げないとあっという間に消えてなくなる技術やモノも多いから…下手物を復興させるにはハッタリも必要

44: nobiox 2025/08/16 14:35

一方が他方を批判してるんだから「どちらも両立するんだよ」はないでしょ。ステレオタイプという点ではオリエンタリズムもオリエンタリズム批判も互角。人の好みを正義感で腐す後者の方がオレには傲慢に思える

47: debabocho 2025/08/16 14:55

柳宗悦の民芸運動をオリエンタリズム的とする批判はずっとあるよね。近代美術館でやってた民芸展も、解説はちゃんとそこに気づかせてた。一方で、誰かが美を発見せねば、誰にも気づかれないというのもあるわけで。

48: togetter 2025/08/16 15:10

こういった形で話題になるっていうところに価値を見出すこともできそう。

49: restroom 2025/08/16 15:22

“この石仏を作った貧しい農民もお金があれば自分たちで見様見真似に彫ったりなどせず正式な仏師に頼みたかった筈で”、そうなんですか?それになんか論点ずらしのような。

50: nainy 2025/08/16 15:24

普通に自分で仏像彫って奉納するのは現代でもあるし、僧侶の修行としてあるようだから、昔の信仰心を思うと自分達で彫る方が自然なような

51: gryphon 2025/08/16 15:35

落語「はてなの茶碗」 後でリンク張っとくか

52: hiruhikoando 2025/08/16 15:41

ピカソやアポリネールあたりがアンリ・ルソーを持ち上げてたエピソードにも似た違和感というか。岡本太郎の同世代人ならその両親もよく知っているんで彼の捉え方が今の我々とは全く違うのも頭に置くべく。

53: inks 2025/08/16 16:11

これ、ホンモノ見たけど、結構サイズがデカくて驚いた。自然に出来た雰囲気でなかったから偶像崇拝の偶像で無く、芸術と言われても不思議な感は無い。

54: seachel 2025/08/16 16:21

“この石仏を作った貧しい農民もお金があれば自分たちで見様見真似に彫ったりなどせず正式な仏師に頼みたかった筈で、それを田舎の奇抜なセンスなどと言って珍重するのは都会的で傲慢な考え方だ”

56: aga_aga 2025/08/16 16:40

だから地方に美術はねーんだよ。あるかないかの二元論な話でもねーんだよ。

57: sippo_des 2025/08/16 16:43

まあ私も裕福な子の持つチート並みの100色色鉛筆に、24本で勝てる気がしねえなと思いましたし、金色とか、、青空、、、クッ

59: HDPE 2025/08/16 16:58

例のスペインの片田舎の教会でキリストのフレスコ画修復に失敗した話に通ずるものがある。プロが精密に修復していたら話の種にもならなかっただろう

60: izumiya1948 2025/08/16 17:29

円空仏なんかもそういう(正式な仏師に頼みたかった筈)のに当てはまるのかな?

61: alivekanade 2025/08/16 17:38

岡本太郎って『芸術はもっと身近であるべき』っていう考えの人だからなぁ。美術ってよりも民俗学の人だからな。/円空なんかを素朴っていうのも私はあんま好きじゃない。

62: thongirl 2025/08/16 17:49

欧米からの「説教」に日々傷つけられてるはてな民こそ文化相対主義を学び直す必要があると思う

63: atoh 2025/08/16 18:02

双方、伝承を無視してんのはどゆこと?伝承が嘘っぱちだって確証あるんかね?

64: aaasukaaa 2025/08/16 18:07

昔の人って一元的な視点でしか評価できないよな。年寄りを豊島美術館に連れてった時困惑してたわ。どう感じるかは自由でいいのに。長年捨ててきた人は自律的に美を見出せない

65: differential 2025/08/16 18:27

文化の盗用論にも通じる話ではある。普遍的な芸術としての価値を見る目と、歴史文化的な側面から見る目で、それぞれ違うラベルがつくことは割とあり、要するに視座の違い。正しいor間違いではない

66: yamadi99 2025/08/16 19:16

岡本太郎が「岡本太郎」で仏教民俗学の大家である五来重が「民俗学者」とくくられていることにSNS的で傲慢な考え方を感じるよ。

67: exciteB 2025/08/16 19:32

都会人「田舎の美術は素朴で素晴らしい」地方人「イライラ」 /オリエンタリズムってやつかな。岡本はガチで縄文土器推しだし悪気はない。

68: y_noz 2025/08/16 19:55

むしろその金持ちのボンボンであることがコンプレックスでオリンピックで反近代を象徴するような太陽の塔なんてものを作ったんじゃ無いかね

69: gaikichi 2025/08/16 20:06

民衆が自分で作ったことに意義があるのではないか?万葉集に載ってる名もない庶民による和歌も、彼らが貧しくさえなければ代理の貴族に頼んで詠んでもらったのか

70: take1117 2025/08/16 20:19

「この映像をCGなしで!すげー」使えれば使っている案件、

71: otoan52 2025/08/16 20:51

「この石仏は良いものだ」から出発するか「拙い代物だ」から出発するかの違いのような。金がなくて自分で作ったかも知れないけど「意外と味があって可愛いじゃん」と考えていたとすれば失礼なのはどちらか、と。

72: newforms 2025/08/16 21:00

別に芸術性を見出したっていいと思うけどな。それ否定してもつまらないだけじゃない?

73: zsehnuy_cohriy 2025/08/16 21:15

DIY精神ヨシッ!!

74: jyib1302 2025/08/16 21:33

評価者に対する嫌悪は、評価者がなぜか権威側にいることに由来していると思う。太郎も有名でなければ、ただのおっさんの戯言ぐらいで済まされたろうに。

75: System 2025/08/16 23:47

芸術の縁起を見るようではある。