幻の4ニ角。これは異例中の異例だが、勝敗のみではないからこそ、大内の「勝ってやらなきゃならんかったな」の言葉が重い。これに升田幸三賞が行く界隈は、勝利至上主義とは程遠い
わかるわかる かわいさとか美しさを求めてもいいよね /はてのさん(お気に入られ1033)は気に入れられが極めて多いから, 合計383の3人からの☆計3つより,はてのさんの☆1つの方が注目commentにする力が強いのかな
そう思う女性が多いから競技人口が伸びない
一番至高なのは記録への挑戦(陸上等)、その次に団体競技(球技など)、相対して価値がないのは格闘技などの1対1、最後がそもそも勝敗を争わない競技・・・あるのか?
議論が不利になるたびに話題を変な方に転換していくやついるよな
相手がミスって勝ったら不機嫌になる羽生先生は多分勝ち負けが一番じゃなさそう。藤井くんもそんな感じする。知らんけど。
美味しそうな昼食を頼んだ方が勝ちみたいになってるしな。
「元々特別なオンリーワンだから」って言いながら、花屋の店先に並んでそうな増田
ダサいかはともかく勝利に強い執念を燃やす女性は男性より割合低そうではある
勝ち負けという共通言語を介したコミュニケーションなんだよ
男女にIQ差はなくても男性の方が分散が大きいのでプロ棋士のように全将棋人口の上位1%以下を抽出すると大きく男性に偏る(同様に下位1%も男性に偏る)。結果的にだけど「プロ」のようなシステムは男性有利ではある。
女が働いて男は遊んでる(家事労働とかもしない)母系部族って結構ある印象だけど、男がこういう勝負事にハマるのって、将棋に限らず遊びの延長線なんだろうな。
“将棋やスポーツも、本当は勝敗が全てじゃないんじゃないか?” 勝敗を抽象化するために役割やルールを定めてきたのにそれがわからないなんて踏み込みが甘いですよ
自分が花屋の店先に並んで売れ残った花のような人間だから増田もそうだと思うの本当に哀れなブクマカだな
何か競争なり白黒つける、という行為とオス的な性質は親和性が高いとは思ってる。現代社会のあらゆるエートスとかそういういものにも言えるけど。合議のありかたとか含め
ボクシングなんかも話し合いで解決するべきだよね
勝負事に興味ないっての別に珍しくなく、理解はできる
勝敗以上に「神の一手」を目指すヒカルの碁でも読んどけば?
詳しくない・興味関心がない人には勝敗とか賞とかしか見えない、見てないってだけだと思う。将棋でも野球でも、小説とか映画でもなんでもそう。本質的な価値や面白さは自分から近づかないと見えないよ。
将棋に限らないが、女子に下駄を履かせて競技人口なり理系学部の女子比率がどの程度ふえるの?というと疑問だよな…増田みたいな女性は多そう(この考え自体はありだが勝負に向かない)
それのファンが大勢いるのに、そうした人たちが感じているであろう良さを想像することをまったくせず、ただ自分個人の狭い感覚だけで一切を判断できるという態度の方が遥かにダサい。
ちゃんとナンバーワンを目指したやつがたどり着いたオンリーワンだから美しいんだよな。オンリーワンを目指したオンリーワンは炎上系みたいなしょうもないのに落ち着く可能性が高い。
詰将棋はどうだろう
勝敗だけではなく、人生は美と驚きの競技ですのよ。星の舞もお忘れなく。
様々な国で開催されている自転車長距離走イベントのブルベは女性参加者も多く、勝敗や順位を競ったり争ったりするものでもない。ああいうのも良いものだ。
例えに漫画やアニメや映画を出してくる意味がわからない。なんで勝ち負けゲームの比較にただの表現活動を出してきた。
将棋のルールが更新されない方がわかんない。あれって現実の戦争に生かされなきゃ意味ないんじゃないのか?と。
今どきこんな直球の中二病にはなかなかお目にかかれないぞ。
「誰かが決めたルールの中で一番を目指す、って本当に意味が分からない」興味がないならともかくわからないとはなぁ。自分でルール作って競技人口1人でやってればええんちゃうの。
“みんな結果のみ、勝敗のみで全てを語ってて” そんな界隈ある?
興行収入は副産物とはいえ、ファンの間ではめちゃくちゃマウント取るのに使うよね。
将棋って遊戯が単純に面白いし、将棋が強い人って滅茶苦茶カッコよく見えるんだなーって最近ヒストリエを読んで思った。
“勝敗じゃないところに美しさが何か存在していそうな気配はする” 詰将棋が向いてそうな増田。あの世界のトップ級は芸術作品。駒の動き方知ってるなら覗いてみ。将棋図巧とか、これが江戸時代の作品か!と震える
ド左翼臭がする。君には新たなるソビエトが建国できそうだ。
勝敗があるからこそ勝敗以外の部分が見えるんだよ。こだわった上でその先の風景がある。スポーツもそうだし、世の中勝負ごと的側面は多いでしょ。わたしも得意じゃないけど重要性は認めるよ。
運動会の徒競走でお手々繋いでみんな同時にゴールするのを良しとする人?
そりゃ勝敗だけで言ったらソフトに勝てる人間はいないわけで・・・。
花屋の店先で並んでる花は負け組だから。刈り取られてるじゃんか
雑
草でも生存競争やってるぞ
真剣勝負の世界が面白いんじゃないの?
社会成長には勝敗という計測が必要。経営ゲームで女性3人のチームは過度に保守的でリスクを取らないから大きくスコアを落としたそうな。ちなみに男3人はリスク取りすぎて、一番スコアが高かったのは男2:女1のチーム。
まあでも女が勝てないのはそういうとこなんじゃない?ホルモンの都合上闘争心少ない設計になってるからドーピングしないと勝てなさそう
個人的には努力して勝利を掴みとることに徒労感しか覚えないからスポーツ興味ないし対人ゲーも一切やらないので気持ちは分からんでもないけど、じゃあ将棋界も勝敗にこだわるのはやめない?ってのは違う気がする…
世の中、勝敗や優劣の作為的なゲームにみちていて、その勝利者だけが偉いと思われる社会がかたちづくられている。この勝ち負けから脱退して、否定のみに囚われずに、人生の大事なものをみつけられるか。
将棋でも勝敗じゃないところも美しいのですよ。でもそれは勝敗にこだわって真剣に取り組んでいるからこそ。
そんなことは、多くの人が既に気がついていて、それが最も美しく現れるのが1番を競い合う中で起こるということなんだよ。
ゲームってね、決められたルールで勝敗を競うために発明されたものなんだよ!
2000年代のオンリー・ワンブームって単なる逃げだったのよ。オンリー・ワンは目指すものではなく自然になるものだとよくわかってない人が向上心もなくただサボるだけで、あれで文化も経済も停滞してしまった
勝敗を争うのがダサいと思う人には詰将棋がおすすめ。長手数、初期局面や最急局面が文字の形になっているもの、詰み筋が独特のものなど芸術性が高い作品も多い。優れた作品には看寿賞も授与される。一度並べてみて。
順位は基準だから優劣ちゃうよ 基準を使って一定のラインに引くのが優劣 勝敗で順位を決めるのは定規の1から10の単位を刻むやつ なかったら定規のメモリが一本で1センチみたいなことになるで
いや女ほど優劣つけたがる生き物はいないぜ…なぜなら女こそ比べられるもんだから。百合営業に見えても内心マウント合戦だし。ハイブラは武装。この時期は汗をかかないために脇ボトを打つ。
漫画も競技もプロデビューしてお金が稼げるのが入口であるなら、漫画はかなり間口が広いと言える。 しかし競技そんなに間口は広くない、勝敗以外に見所が欲しいならVTuberの麻雀大会とかが良いんじゃないか?
将棋に関しては、勝ち方のマナーや負け方の美学みたいなものがあったり、解説や終わった後の感想戦なども楽しめるコンテンツなので、単純に勝ち負けだけを争うものではないと思ってる。
ゲームは勝敗が全てだよ、バカめ。そうしないと何が楽しいんだ、前向きになる要素は、ハラスだけされて俺は嫌な思いしていないからっていう輩をどうやって防ぐ?
スケートボードやブレイキンのようなアーバンスポーツには勝敗よりも自分のスタイルを貫く方が格好良いみたいな美学がある。高難易度の技に挑んで失敗した選手を皆で称えていたのには心うたれた。
(青臭い話に乗っかるとして)そもそも1種類のゲームが強いだけなのに社会的な評価や地位が高すぎではないか。
競争せずに勝ち負けをせずに生きていけたら楽だね
まず明確な勝敗ありきなのがいいんじゃないか。そのうえで負けても新しい戦法の可能性を示したり終盤ギリギリまでどちらが勝つか判らない戦いをみせるとかで評価される面もあるわけで。
なんでもそうだけど圧倒的に「勝てる•勝つ」人が言わないとダサいんよ(というか誰も相手にしてくれないんよ)、その言説
うーん、気持ちは分からんでもないけど、やっぱり何らかの区切りが無いとガチ感は出ないと思うんだよねぇ。自分はゲームのランキング制度のおかげで本気のプレイができたと感じている
だったら将棋はダサい。美しさは勝利にしかない気がする。
分かる。世の中のゲームにそれ以外の側面はたくさんあるし自分もやったりするけど、本当にトップを目指す目的のスポーツ系漫画とかに全然興味を持てない
「勝ち負けだけならジャンケンでいい」誰よりも勝ってきた人の言葉
勝負ごとを結果だけで語るのがダサい。野球や相撲は結果しか見ないでいいのか。
夏休みだなぁ。
漫画やアニメ、ゲームも1番は競っていないかもしれないが、商業では限られた連載枠、スポンサーからの予算を獲得するのに競っている。我々が観ているのはそれを勝ち抜けた一部の作品。
「将棋」だとピンと来ないけど、「甲子園」だとよくわかる気がする不思議。
ダサいとは思わんが、わかる。勝敗を伴う競技にあまり興味を持てぬ。心理的にしんどい。子どもの時に将棋に興味を持ったが、負けは悔しいし勝ちも(相手を負かした)後味が悪い。競る緊張感はただストレス。
「良い将棋」「良くない将棋」があって、勝敗は副産物なのだとしたら?
勝敗だけならAI出てきた時点で人間一番になれないね、で終わりだったんだけど、やっぱ全力を出そうとする人間の魅力ってのが否応なしに出てくるんだよね。単に勝敗だけ見てるファンは魅力の一割も見えてないと思う。
花屋に並べられてる時点で選別されてる定期。芸術性とやらでも結局は勝敗も順位もつけてるじゃねえか定期。
ゲームレギュレーションの帰結を探り合うのであって、安易に「勝負」と呼んでも盤上の出来事は捉えられない。感想戦があるんだよ?単純な勝ち負けとは違う世界
( 勝利をめざす過程でうまれる美てあるからな。君は勝負を目指さない美を愛すればよい。多様性だよ多様性 〔いいかげん〕 )
パパ活して整形してブランド物買ってSNSに毎日アップしてそう
熱気バサラかな。
将棋の神様がいたら一局お願いしたいと言った現最強棋士。勝敗を争うのは否定しないけど、ただただより良い将棋を指す、探究の面もあると思う
羽生さんが昔言ってたよ、勝敗だけならじゃんけんで決めればいいって。
小学生から将棋を触ってたが「全力を出したときに相手がシラケけず受け止めて貰える環境」が大きいと感じていた。そういった同好の環境でないと全力を出すほど相手に引かれる。TVゲームと違い年配にも理解があった
このタイミングで意外な方角からクソデカ主語の大斧が飛んできた感
今流行りの「国宝」見るといいよ
物理的な闘争をすべて知力勝負に置き換えたゲームの登場に「これなら平和だしみんなOKでしょ」で(参加しない人含めて)大昔の人はみんな満足したんだろう。今は参加資格の偏りが(参加しない人を中心に)争点化したと。
そもそも将棋なんて実戦では役に立たない、本物の戦で決着をつけるべきでは?
はてブは「👍や❤️や★を集め易いコメントで承認欲求を満たすなんて馬鹿げている」って考え方がかなり多いと思うけど、それでも★獲得ランキングや★工作が出て来る程度には、原始的な欲求として強いよね。勝敗。
将棋とか男女差とか以前にそもそも勝敗を争ってるのがダサい
幻の4ニ角。これは異例中の異例だが、勝敗のみではないからこそ、大内の「勝ってやらなきゃならんかったな」の言葉が重い。これに升田幸三賞が行く界隈は、勝利至上主義とは程遠い
わかるわかる かわいさとか美しさを求めてもいいよね /はてのさん(お気に入られ1033)は気に入れられが極めて多いから, 合計383の3人からの☆計3つより,はてのさんの☆1つの方が注目commentにする力が強いのかな
そう思う女性が多いから競技人口が伸びない
一番至高なのは記録への挑戦(陸上等)、その次に団体競技(球技など)、相対して価値がないのは格闘技などの1対1、最後がそもそも勝敗を争わない競技・・・あるのか?
議論が不利になるたびに話題を変な方に転換していくやついるよな
相手がミスって勝ったら不機嫌になる羽生先生は多分勝ち負けが一番じゃなさそう。藤井くんもそんな感じする。知らんけど。
美味しそうな昼食を頼んだ方が勝ちみたいになってるしな。
「元々特別なオンリーワンだから」って言いながら、花屋の店先に並んでそうな増田
ダサいかはともかく勝利に強い執念を燃やす女性は男性より割合低そうではある
勝ち負けという共通言語を介したコミュニケーションなんだよ
男女にIQ差はなくても男性の方が分散が大きいのでプロ棋士のように全将棋人口の上位1%以下を抽出すると大きく男性に偏る(同様に下位1%も男性に偏る)。結果的にだけど「プロ」のようなシステムは男性有利ではある。
女が働いて男は遊んでる(家事労働とかもしない)母系部族って結構ある印象だけど、男がこういう勝負事にハマるのって、将棋に限らず遊びの延長線なんだろうな。
“将棋やスポーツも、本当は勝敗が全てじゃないんじゃないか?” 勝敗を抽象化するために役割やルールを定めてきたのにそれがわからないなんて踏み込みが甘いですよ
自分が花屋の店先に並んで売れ残った花のような人間だから増田もそうだと思うの本当に哀れなブクマカだな
何か競争なり白黒つける、という行為とオス的な性質は親和性が高いとは思ってる。現代社会のあらゆるエートスとかそういういものにも言えるけど。合議のありかたとか含め
ボクシングなんかも話し合いで解決するべきだよね
勝負事に興味ないっての別に珍しくなく、理解はできる
勝敗以上に「神の一手」を目指すヒカルの碁でも読んどけば?
詳しくない・興味関心がない人には勝敗とか賞とかしか見えない、見てないってだけだと思う。将棋でも野球でも、小説とか映画でもなんでもそう。本質的な価値や面白さは自分から近づかないと見えないよ。
将棋に限らないが、女子に下駄を履かせて競技人口なり理系学部の女子比率がどの程度ふえるの?というと疑問だよな…増田みたいな女性は多そう(この考え自体はありだが勝負に向かない)
それのファンが大勢いるのに、そうした人たちが感じているであろう良さを想像することをまったくせず、ただ自分個人の狭い感覚だけで一切を判断できるという態度の方が遥かにダサい。
ちゃんとナンバーワンを目指したやつがたどり着いたオンリーワンだから美しいんだよな。オンリーワンを目指したオンリーワンは炎上系みたいなしょうもないのに落ち着く可能性が高い。
詰将棋はどうだろう
勝敗だけではなく、人生は美と驚きの競技ですのよ。星の舞もお忘れなく。
様々な国で開催されている自転車長距離走イベントのブルベは女性参加者も多く、勝敗や順位を競ったり争ったりするものでもない。ああいうのも良いものだ。
例えに漫画やアニメや映画を出してくる意味がわからない。なんで勝ち負けゲームの比較にただの表現活動を出してきた。
将棋のルールが更新されない方がわかんない。あれって現実の戦争に生かされなきゃ意味ないんじゃないのか?と。
今どきこんな直球の中二病にはなかなかお目にかかれないぞ。
「誰かが決めたルールの中で一番を目指す、って本当に意味が分からない」興味がないならともかくわからないとはなぁ。自分でルール作って競技人口1人でやってればええんちゃうの。
“みんな結果のみ、勝敗のみで全てを語ってて” そんな界隈ある?
興行収入は副産物とはいえ、ファンの間ではめちゃくちゃマウント取るのに使うよね。
将棋って遊戯が単純に面白いし、将棋が強い人って滅茶苦茶カッコよく見えるんだなーって最近ヒストリエを読んで思った。
“勝敗じゃないところに美しさが何か存在していそうな気配はする” 詰将棋が向いてそうな増田。あの世界のトップ級は芸術作品。駒の動き方知ってるなら覗いてみ。将棋図巧とか、これが江戸時代の作品か!と震える
ド左翼臭がする。君には新たなるソビエトが建国できそうだ。
勝敗があるからこそ勝敗以外の部分が見えるんだよ。こだわった上でその先の風景がある。スポーツもそうだし、世の中勝負ごと的側面は多いでしょ。わたしも得意じゃないけど重要性は認めるよ。
運動会の徒競走でお手々繋いでみんな同時にゴールするのを良しとする人?
そりゃ勝敗だけで言ったらソフトに勝てる人間はいないわけで・・・。
花屋の店先で並んでる花は負け組だから。刈り取られてるじゃんか
雑
草でも生存競争やってるぞ
真剣勝負の世界が面白いんじゃないの?
社会成長には勝敗という計測が必要。経営ゲームで女性3人のチームは過度に保守的でリスクを取らないから大きくスコアを落としたそうな。ちなみに男3人はリスク取りすぎて、一番スコアが高かったのは男2:女1のチーム。
まあでも女が勝てないのはそういうとこなんじゃない?ホルモンの都合上闘争心少ない設計になってるからドーピングしないと勝てなさそう
個人的には努力して勝利を掴みとることに徒労感しか覚えないからスポーツ興味ないし対人ゲーも一切やらないので気持ちは分からんでもないけど、じゃあ将棋界も勝敗にこだわるのはやめない?ってのは違う気がする…
世の中、勝敗や優劣の作為的なゲームにみちていて、その勝利者だけが偉いと思われる社会がかたちづくられている。この勝ち負けから脱退して、否定のみに囚われずに、人生の大事なものをみつけられるか。
将棋でも勝敗じゃないところも美しいのですよ。でもそれは勝敗にこだわって真剣に取り組んでいるからこそ。
そんなことは、多くの人が既に気がついていて、それが最も美しく現れるのが1番を競い合う中で起こるということなんだよ。
ゲームってね、決められたルールで勝敗を競うために発明されたものなんだよ!
2000年代のオンリー・ワンブームって単なる逃げだったのよ。オンリー・ワンは目指すものではなく自然になるものだとよくわかってない人が向上心もなくただサボるだけで、あれで文化も経済も停滞してしまった
勝敗を争うのがダサいと思う人には詰将棋がおすすめ。長手数、初期局面や最急局面が文字の形になっているもの、詰み筋が独特のものなど芸術性が高い作品も多い。優れた作品には看寿賞も授与される。一度並べてみて。
順位は基準だから優劣ちゃうよ 基準を使って一定のラインに引くのが優劣 勝敗で順位を決めるのは定規の1から10の単位を刻むやつ なかったら定規のメモリが一本で1センチみたいなことになるで
いや女ほど優劣つけたがる生き物はいないぜ…なぜなら女こそ比べられるもんだから。百合営業に見えても内心マウント合戦だし。ハイブラは武装。この時期は汗をかかないために脇ボトを打つ。
漫画も競技もプロデビューしてお金が稼げるのが入口であるなら、漫画はかなり間口が広いと言える。 しかし競技そんなに間口は広くない、勝敗以外に見所が欲しいならVTuberの麻雀大会とかが良いんじゃないか?
将棋に関しては、勝ち方のマナーや負け方の美学みたいなものがあったり、解説や終わった後の感想戦なども楽しめるコンテンツなので、単純に勝ち負けだけを争うものではないと思ってる。
ゲームは勝敗が全てだよ、バカめ。そうしないと何が楽しいんだ、前向きになる要素は、ハラスだけされて俺は嫌な思いしていないからっていう輩をどうやって防ぐ?
スケートボードやブレイキンのようなアーバンスポーツには勝敗よりも自分のスタイルを貫く方が格好良いみたいな美学がある。高難易度の技に挑んで失敗した選手を皆で称えていたのには心うたれた。
(青臭い話に乗っかるとして)そもそも1種類のゲームが強いだけなのに社会的な評価や地位が高すぎではないか。
競争せずに勝ち負けをせずに生きていけたら楽だね
まず明確な勝敗ありきなのがいいんじゃないか。そのうえで負けても新しい戦法の可能性を示したり終盤ギリギリまでどちらが勝つか判らない戦いをみせるとかで評価される面もあるわけで。
なんでもそうだけど圧倒的に「勝てる•勝つ」人が言わないとダサいんよ(というか誰も相手にしてくれないんよ)、その言説
うーん、気持ちは分からんでもないけど、やっぱり何らかの区切りが無いとガチ感は出ないと思うんだよねぇ。自分はゲームのランキング制度のおかげで本気のプレイができたと感じている
だったら将棋はダサい。美しさは勝利にしかない気がする。
分かる。世の中のゲームにそれ以外の側面はたくさんあるし自分もやったりするけど、本当にトップを目指す目的のスポーツ系漫画とかに全然興味を持てない
「勝ち負けだけならジャンケンでいい」誰よりも勝ってきた人の言葉
勝負ごとを結果だけで語るのがダサい。野球や相撲は結果しか見ないでいいのか。
夏休みだなぁ。
漫画やアニメ、ゲームも1番は競っていないかもしれないが、商業では限られた連載枠、スポンサーからの予算を獲得するのに競っている。我々が観ているのはそれを勝ち抜けた一部の作品。
「将棋」だとピンと来ないけど、「甲子園」だとよくわかる気がする不思議。
ダサいとは思わんが、わかる。勝敗を伴う競技にあまり興味を持てぬ。心理的にしんどい。子どもの時に将棋に興味を持ったが、負けは悔しいし勝ちも(相手を負かした)後味が悪い。競る緊張感はただストレス。
「良い将棋」「良くない将棋」があって、勝敗は副産物なのだとしたら?
勝敗だけならAI出てきた時点で人間一番になれないね、で終わりだったんだけど、やっぱ全力を出そうとする人間の魅力ってのが否応なしに出てくるんだよね。単に勝敗だけ見てるファンは魅力の一割も見えてないと思う。
花屋に並べられてる時点で選別されてる定期。芸術性とやらでも結局は勝敗も順位もつけてるじゃねえか定期。
ゲームレギュレーションの帰結を探り合うのであって、安易に「勝負」と呼んでも盤上の出来事は捉えられない。感想戦があるんだよ?単純な勝ち負けとは違う世界
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将棋の神様がいたら一局お願いしたいと言った現最強棋士。勝敗を争うのは否定しないけど、ただただより良い将棋を指す、探究の面もあると思う
羽生さんが昔言ってたよ、勝敗だけならじゃんけんで決めればいいって。
小学生から将棋を触ってたが「全力を出したときに相手がシラケけず受け止めて貰える環境」が大きいと感じていた。そういった同好の環境でないと全力を出すほど相手に引かれる。TVゲームと違い年配にも理解があった
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そもそも将棋なんて実戦では役に立たない、本物の戦で決着をつけるべきでは?
はてブは「👍や❤️や★を集め易いコメントで承認欲求を満たすなんて馬鹿げている」って考え方がかなり多いと思うけど、それでも★獲得ランキングや★工作が出て来る程度には、原始的な欲求として強いよね。勝敗。