南部藩なんか財政真っ赤っ赤なこともあって真っ先に藩差し出してるからな(藩札とかの金絡み歴史で「とんでもないことになった藩もある」ってぼかして言われているのはたいてい南部藩のこと)。
「明治維新から太平洋戦争の敗戦までの期間と、敗戦から現在までの期間がほぼ一緒」=80年? 「黒船来航に右往左往してから、対馬沖でロシア帝国バルチック艦隊を激闘の末に撃破するまで僅か52年」
”当時は1と6のつく日を休業とする習わしがあり、そのほかの休みを入れると年間4割が休みだった” https://x.com/you_trickster/status/1952734734070468801
大体「何をすればいいか」は何となく分かってても、レジームチェンジしないと断行出来ないレベルの改革ってのはあって、明治維新と敗戦後の占領政策は大体その勢いに任せてやっちゃったという感じではある
なんで上手くいったのか?って、どの大名も借金チャラにしたかったんでは。明治維新計画倒産説。
明治前は4勤1休だったのが6勤1休になったわけか。その後土曜休みが当たり前になったの1990年代から。長かったな。一応土曜は「半ドン(=午後休み)」だったけど
呼吸するようなタイミングで社会システムが移り変わっていく。
裏にいたのが誰でどうしてこうなった(したか)を理解すればうっすらわかるが日本人側の柔軟性と基礎能力の高さだろう 徳川が抑えてた枷がなくなったら自然にこうなる部分(主に新技術導入)は大きいのではないか
最近の歴史学界では「明治維新が革命扱いされなかったのは、革命の原義である「王朝交代」を否定したかった右翼と、マルクス主義の革命定義に固執した左翼の利害が一致したから」という説が出てきてるようで
大政奉還から王政復古の時点でえげつない アヘン戦争見てたら近代国家に急いで作り替えようと必死にキャッチアップもする
暴力的な連中が即座に廃藩置県を遂行したことに、福沢諭吉など開明派は新政府誕生以上に衝撃を受けていたとか。
『維新って言ったって、東京都 VS 鹿児島県+山口県だろ。他の県が全部立ち上げれば潰せたじゃん』とさっきまで思っていたが、借金が多くて鎌倉時代から続く封建制に厭きていたのかね。
その国の王権(天皇)を倒してないから革命じゃない、という理屈らしいが、ほぼ徳川将軍を倒した革命だよなあ
西洋的な革命ではないけど、易姓革命的な面はあると思う。
幕末期諸藩財政は複雑なんだよな。見かけ上の借金銀は総じて莫大でも、幕末50年で対米価9分の1までインフレしてて、年貢米収入があれば見かけほど火の車ではないという指摘があったりする。 https://htn.to/iKN7sW6xpw
そういう激動の時代を描いた意味でも大河ドラマ『青天を衝け』は面白かった。人一人の人生なのに序盤と終盤で時代が全く違う
廃藩置県に関しては、それぞれの藩の運営が限界だったのが大きそう。どこも借金まみれだし。軍隊を組織するのにひたすら金がかかるし…
完全にボトムアップの民衆(被支配階級)によるものではなく、藩単位でその領主や中間支配者層が中心になっていたのが大きいのかなという気がする。人材総入れ替えではないので残すところと改めるとこのバランスが。
別の所で書いたが、江戸時代は割と近代国家で大名(知事みたいなもん)にも開国派がいて、徳川一門でも佐幕に非協力的なのがいっぱいで幕府の主力が会津と桑名とかだからね。今でも政府と考え方が違う知事いるでしょ?
明治維新は無血革命という理解だったが…
当時のエネルギーの元は庶民の攘夷感情だったけど、今の排外主義は文明開花みたいなポジティブな方向に行くとは思えないな
イギリスだったかの教科書には「(明治維新は)下級貴族によるクーデター」といった記載がされていると聞いて、言われてみれば確かにそうだなと苦笑したことある
ベトナムで今年行政区画の大編成があったのだが、発表されたと思ったら実施されていて、妻の実家の省も市も消滅して明治維新みたいだと思っていたところ。
支配階級内の武力闘争だし、確立された社会は実に封建的だし、その運動は人権理念には基づいていないので、市民革命ではなくクーデタ。庶民から見ると、支配者が「仁政」理念のほぼ皆無な連中に交代したに過ぎない。
版籍奉還して段階的に行ったのと、天皇という宗教に逆らわなかったという点で反発が少なかったんだろう。あと鬼畜な欧米の脅威という名の外圧
“ほとんどが幕府がやろうとしてたことだったのに、幕府の政策に反対して潰した連中が手のひら返ししてやっちゃった”
上手くいったのは、幕府の政策に反対して潰した連中が掌返しで、江戸幕府の幕臣を政府中枢に取り込んだからでは?明治の経済界の重鎮だった万札の人だって幕臣だし。
”明治政府に実務能力と行動力のあるエリート(大久保・木戸・伊藤など)が揃っていた”、”維新の内戦(戊辰戦争)で反対勢力の多くを排除済みだった”
革命とは社会階層の大幅な変動のこと、進めたのは下級武士でも最終的にそれまで支配階層であった武士階級が丸ごと消滅したんだから明治維新は革命以外の何物でもない
その昔、東京が焼け野原になった30年後にコミックマーケットが開催されたらしい
無茶をしたので九州で離反が起こったわけだろう…
封建体制を倒すために派閥が集まるけど、その中の派閥ひとつがトップに立つんじゃなくてなんか残されてた元王家を担ぎ出す、とかいう意味の分からんムーブしてるからね、何がしたいんだこいつらって思うよねw
すごい変化だよね!共産党!10年もあれば日本共産党化できるかもよ!もう爺婆しかいないから無理か
年間休日125日と有給20日使い切ったら同様に4割休みになるよね
末端人員は再雇用なのよね。そのあとゆるやかに士族を廃止するまで80年くらいかかったの忘れてねえか?
この時期に大飢饉が起きなかったのも大きいのじゃないかな。食い物の恨みだけはえげつない日本人のあり様を見るとそう思えてしまう。
王政復古も戊辰戦争、明治政府、廃藩置県、版籍奉還、軍制改革までまさに「大久保の革命」といえる属人性の強い歴史状況だからねえ。坂本龍馬の功績度は大体15位。大久保は日本のナポレオン、ビスマルクともいえる
そりゃあ武士階級による王政復活だし王権を打倒したり支配階級が逆転する革命とは真逆のものでしょ >ブコメ
功罪あると思うけどね、この時の性急な改革自体がそのまんま日清日露から昭和初期の軍国主義に直結するわけだし。
そもそも徳川(に限らず)幕府は武士の取りまとめでしかなくて、幕府に廃藩置県は絶対できなかった。武士同士の主導権の取り合いでしかなかったが、天皇の統治になって中央集権化できたのはとても重要だった。
幕末期には商人台頭貨幣経済の発達で士籍による封建制に限界が来てたので黒船無くても幕藩体制崩壊は免れなかった。スムーズな権力移行ができたのは天皇制と藩を動かしてた実働若手藩士によるうまい制度設計が大きい
廃藩置県ときいて若狭が滋賀に編入されてた時の地図を思い出した。借金以外にも旧勢力の力削ぐために早く実現する必要があったんだろうね。新政府はまだ弱々だったので。
久光は戊辰戦争に勝って天皇の下で有力諸侯として活躍するつもりだったのに気づいたら所領がなくなり知藩事の職もなくなり県も分割され西郷大久保に騙された長州の裏切りだ陰謀だって一生怒ってたらしいけど
事実上、支配階級内での話で、大半の庶民は訳もわからずって状況だと思うので、「革命」ってイメージと違うんだよね。
意外と黒船来航から時間かかってるし主要役人は結局幕府から人材出してるからでは?二十一世紀も価値観の大転換起こってるぞ
経験よりもスピードとパワーよな
この感想は当然なんだが、庶民レベルで見ると地域によって差はあれど割とスムーズだった説。お上と庶民をつなぐ世話人が農工商において完全に機能していた。大戦後もそうだけど日本に革命がない理由でもある。
再現性は多分ないだろうとは思う
後から見れば上知令等で幕府権力の弱体化の兆しは見えていたが、阿部正弘が若くして死ぬまで盤石やったのが大きい。清やオスマン、ロシアフランスのそれまでの支離滅裂ぶりをみると
明治維新は革命だろ普通に
明治新政府できてから3年で廃藩置県かまして5年で地租改正キメてるの何回見ても怖すぎる やっぱこれ革命だろ→割と弊害も出てる
南部藩なんか財政真っ赤っ赤なこともあって真っ先に藩差し出してるからな(藩札とかの金絡み歴史で「とんでもないことになった藩もある」ってぼかして言われているのはたいてい南部藩のこと)。
「明治維新から太平洋戦争の敗戦までの期間と、敗戦から現在までの期間がほぼ一緒」=80年? 「黒船来航に右往左往してから、対馬沖でロシア帝国バルチック艦隊を激闘の末に撃破するまで僅か52年」
”当時は1と6のつく日を休業とする習わしがあり、そのほかの休みを入れると年間4割が休みだった” https://x.com/you_trickster/status/1952734734070468801
大体「何をすればいいか」は何となく分かってても、レジームチェンジしないと断行出来ないレベルの改革ってのはあって、明治維新と敗戦後の占領政策は大体その勢いに任せてやっちゃったという感じではある
なんで上手くいったのか?って、どの大名も借金チャラにしたかったんでは。明治維新計画倒産説。
明治前は4勤1休だったのが6勤1休になったわけか。その後土曜休みが当たり前になったの1990年代から。長かったな。一応土曜は「半ドン(=午後休み)」だったけど
呼吸するようなタイミングで社会システムが移り変わっていく。
裏にいたのが誰でどうしてこうなった(したか)を理解すればうっすらわかるが日本人側の柔軟性と基礎能力の高さだろう 徳川が抑えてた枷がなくなったら自然にこうなる部分(主に新技術導入)は大きいのではないか
最近の歴史学界では「明治維新が革命扱いされなかったのは、革命の原義である「王朝交代」を否定したかった右翼と、マルクス主義の革命定義に固執した左翼の利害が一致したから」という説が出てきてるようで
大政奉還から王政復古の時点でえげつない アヘン戦争見てたら近代国家に急いで作り替えようと必死にキャッチアップもする
暴力的な連中が即座に廃藩置県を遂行したことに、福沢諭吉など開明派は新政府誕生以上に衝撃を受けていたとか。
『維新って言ったって、東京都 VS 鹿児島県+山口県だろ。他の県が全部立ち上げれば潰せたじゃん』とさっきまで思っていたが、借金が多くて鎌倉時代から続く封建制に厭きていたのかね。
その国の王権(天皇)を倒してないから革命じゃない、という理屈らしいが、ほぼ徳川将軍を倒した革命だよなあ
西洋的な革命ではないけど、易姓革命的な面はあると思う。
幕末期諸藩財政は複雑なんだよな。見かけ上の借金銀は総じて莫大でも、幕末50年で対米価9分の1までインフレしてて、年貢米収入があれば見かけほど火の車ではないという指摘があったりする。 https://htn.to/iKN7sW6xpw
そういう激動の時代を描いた意味でも大河ドラマ『青天を衝け』は面白かった。人一人の人生なのに序盤と終盤で時代が全く違う
廃藩置県に関しては、それぞれの藩の運営が限界だったのが大きそう。どこも借金まみれだし。軍隊を組織するのにひたすら金がかかるし…
完全にボトムアップの民衆(被支配階級)によるものではなく、藩単位でその領主や中間支配者層が中心になっていたのが大きいのかなという気がする。人材総入れ替えではないので残すところと改めるとこのバランスが。
別の所で書いたが、江戸時代は割と近代国家で大名(知事みたいなもん)にも開国派がいて、徳川一門でも佐幕に非協力的なのがいっぱいで幕府の主力が会津と桑名とかだからね。今でも政府と考え方が違う知事いるでしょ?
明治維新は無血革命という理解だったが…
当時のエネルギーの元は庶民の攘夷感情だったけど、今の排外主義は文明開花みたいなポジティブな方向に行くとは思えないな
イギリスだったかの教科書には「(明治維新は)下級貴族によるクーデター」といった記載がされていると聞いて、言われてみれば確かにそうだなと苦笑したことある
ベトナムで今年行政区画の大編成があったのだが、発表されたと思ったら実施されていて、妻の実家の省も市も消滅して明治維新みたいだと思っていたところ。
支配階級内の武力闘争だし、確立された社会は実に封建的だし、その運動は人権理念には基づいていないので、市民革命ではなくクーデタ。庶民から見ると、支配者が「仁政」理念のほぼ皆無な連中に交代したに過ぎない。
版籍奉還して段階的に行ったのと、天皇という宗教に逆らわなかったという点で反発が少なかったんだろう。あと鬼畜な欧米の脅威という名の外圧
“ほとんどが幕府がやろうとしてたことだったのに、幕府の政策に反対して潰した連中が手のひら返ししてやっちゃった”
上手くいったのは、幕府の政策に反対して潰した連中が掌返しで、江戸幕府の幕臣を政府中枢に取り込んだからでは?明治の経済界の重鎮だった万札の人だって幕臣だし。
”明治政府に実務能力と行動力のあるエリート(大久保・木戸・伊藤など)が揃っていた”、”維新の内戦(戊辰戦争)で反対勢力の多くを排除済みだった”
革命とは社会階層の大幅な変動のこと、進めたのは下級武士でも最終的にそれまで支配階層であった武士階級が丸ごと消滅したんだから明治維新は革命以外の何物でもない
その昔、東京が焼け野原になった30年後にコミックマーケットが開催されたらしい
無茶をしたので九州で離反が起こったわけだろう…
封建体制を倒すために派閥が集まるけど、その中の派閥ひとつがトップに立つんじゃなくてなんか残されてた元王家を担ぎ出す、とかいう意味の分からんムーブしてるからね、何がしたいんだこいつらって思うよねw
すごい変化だよね!共産党!10年もあれば日本共産党化できるかもよ!もう爺婆しかいないから無理か
年間休日125日と有給20日使い切ったら同様に4割休みになるよね
末端人員は再雇用なのよね。そのあとゆるやかに士族を廃止するまで80年くらいかかったの忘れてねえか?
この時期に大飢饉が起きなかったのも大きいのじゃないかな。食い物の恨みだけはえげつない日本人のあり様を見るとそう思えてしまう。
王政復古も戊辰戦争、明治政府、廃藩置県、版籍奉還、軍制改革までまさに「大久保の革命」といえる属人性の強い歴史状況だからねえ。坂本龍馬の功績度は大体15位。大久保は日本のナポレオン、ビスマルクともいえる
そりゃあ武士階級による王政復活だし王権を打倒したり支配階級が逆転する革命とは真逆のものでしょ >ブコメ
功罪あると思うけどね、この時の性急な改革自体がそのまんま日清日露から昭和初期の軍国主義に直結するわけだし。
そもそも徳川(に限らず)幕府は武士の取りまとめでしかなくて、幕府に廃藩置県は絶対できなかった。武士同士の主導権の取り合いでしかなかったが、天皇の統治になって中央集権化できたのはとても重要だった。
幕末期には商人台頭貨幣経済の発達で士籍による封建制に限界が来てたので黒船無くても幕藩体制崩壊は免れなかった。スムーズな権力移行ができたのは天皇制と藩を動かしてた実働若手藩士によるうまい制度設計が大きい
廃藩置県ときいて若狭が滋賀に編入されてた時の地図を思い出した。借金以外にも旧勢力の力削ぐために早く実現する必要があったんだろうね。新政府はまだ弱々だったので。
久光は戊辰戦争に勝って天皇の下で有力諸侯として活躍するつもりだったのに気づいたら所領がなくなり知藩事の職もなくなり県も分割され西郷大久保に騙された長州の裏切りだ陰謀だって一生怒ってたらしいけど
事実上、支配階級内での話で、大半の庶民は訳もわからずって状況だと思うので、「革命」ってイメージと違うんだよね。
意外と黒船来航から時間かかってるし主要役人は結局幕府から人材出してるからでは?二十一世紀も価値観の大転換起こってるぞ
経験よりもスピードとパワーよな
この感想は当然なんだが、庶民レベルで見ると地域によって差はあれど割とスムーズだった説。お上と庶民をつなぐ世話人が農工商において完全に機能していた。大戦後もそうだけど日本に革命がない理由でもある。
再現性は多分ないだろうとは思う
後から見れば上知令等で幕府権力の弱体化の兆しは見えていたが、阿部正弘が若くして死ぬまで盤石やったのが大きい。清やオスマン、ロシアフランスのそれまでの支離滅裂ぶりをみると
明治維新は革命だろ普通に