“「おしゃれだけど使いづらい売れなさそうなデザイン」をクライアントは嫌がります。 デザイン好きに「かっこいいだけじゃダメだ」理解は難しい。デザインがそこまで好きじゃない人は、感覚が非デザイナーなので”
デザイン好きだった側で、デザイン修正が苦痛では無くなった時にデザイン続けてもつまらんな辞めようとなった。情熱とセンスを持ち続けられる人はタフだなぁ
めっちゃ分かるな
分かるわ…。デザインは言語化云々と言ってるのと真逆。感性の蓄積なんす。
"センスとは言語化できていない(もしくはしきれないほど膨大な)知識のこと"
異質ではない。他の職能も好きな人だけが相手ではないので。“「そこまで好きじゃない」がいつか大きな武器となり扱えるようになることを忘れないでください。数ある職能の中で異質だと思います。”
デザインが好きな後輩に出会い、そうだよな~本来他人に言われんでも、良いもの作らんとゆるされへん人がつくべき職業だったと思い出した。どこまで伸びるか楽しみ
言語化できない人にデザインなんかできるわけないよ、説明できないんだから。
言語化できなくてもデザインできるけど仕事では言語化求められるから…お客様相手もそうだけど部下がついたら端から端まで言語化しないといけない
祖父江慎に憧れてるデザイナーって納期守らないって噂を耳にしました。
仕事は全て暗黙知と形式知に分けられて、どちらも必要ですね。そして世の中で求められるのは大抵<暗黙2-3:形式7-8>ぐらいなので、形式知部分を伸ばせる人が有利かなと。
こだわりがない方が変な個性出さずにクライアントの指示に添える人になりやすそう。
理不尽なクライアントの要求をこなすには、自分の大好きなデザインの型を持ってると辛い時はあるよね。大人になるにつれて段々と折り合いつけられるようになるけど、若い頃は動悸に耐えながら修正してた。
わかった風の言語化でさらっと丸め込まれるクライアントはいっぱいいるよね。
冒頭からデザイナーとクリエイター(アーティスト)がごっちゃになってるよ・・・
デザイン得意じゃないけど惰性でWebデザイナーを続けてきたので共感した。 辛かったけど結局は「続けたもん勝ち」だということが10年経ったら分かった。
自分もデザインがそこまで好きでもないデザイナーだけど、このタイプは小物は作れても大物は作れないんよ。妄執にも近い揺るぎない美学の持ち主だけが至れる領域は確実にあるよ。その手前までは強いというのは分かる
本当にデザインが好きで生業としている人は、クライアントに合わせた落とし所まで考えてデザインしてるよ。「何となく」という曖昧なレベルじゃなくてね
エンジニアでもあるよね。この技術を使ってみたい!みたいなのが時として邪魔になるみたいな。
何となく雰囲気でやっている デザイナーの中では舌がよく回る方なので何とかなってるところある
デザインなんて興味ないけど絵描きは潰しが効かないからと渋々学んで会社でデザインやってから今は漫画家。請負や所属仕事としてやるデザインはロジックだけで十分。その後存分にリテイク聞く方が大事という処世。
“「おしゃれだけど使いづらいWebサイト」や、「かっこいいけど読めないロゴ」や「洗練されているけど売れなさそうなパッケージデザイン」”はちゃんとしたデザイナーは作らない/好きが邪魔をする事があるには同意
デザインという言葉に色々含まれすぎていて謎だけどネットで言うデザイナーはWEB含む平面しか意味しないよねって思う。もっとデザインて広い世界じゃないか?プロダクトも空間も、アレやこれや。ま、いっか。
この方の言っているデザイナーは、もしかしてアーティストやアートディレクターなのでは?
そこまで好きじゃないならせめてちゃんと専門教育受けて、ある程度まともな会社に正社員で入らないといけないんだよなぁ。
デザイナーはプロとして知識と技術を携え表現の高みを目指しながらも、片足はずっとスタート地点に留めておく必要があり、 デザインがそこまで好きじゃない人は、感覚が非デザイナーなので、それが得意
“味覚がほとんどないコックが、「この肉はこの温度でこれくらいの時間熱すれば、みんなが美味しいと言うぞ」みたいな知識だけで料理しているようなものです。”
そこそこ強いのは認めるけど、想像を上回るデザインをあげてくれなさそうなので無難なデザインの依頼しかできないな。
みんな厳しいな。わかりみあるけどな。
トップコメに感銘を受けた。「妄執にも近い揺るぎない美学の持ち主だけが至れる領域は確実にある」本当にその通り。天才は崇高な使命感でモノ作ってるので、誰にどんだけ迷惑かけようが売れなかろうが気にしない
デザインの話の筈なのに意匠のことしか書かれとらんよーな(´・ω・`)
「デザインがそこまで好きじゃない人は、感覚が非デザイナーなので、片足をスタート地点に留めるのが得意」 「このアドバンテージが活きるのは、5年くらいやって「かっこいいものが作れるようになってから」」
まさにそれで25年やってきた
私もこっち。まあ今はデザインメインじゃないけど。
好きでもないことを仕事にした罰だな。ここで言うデザイナーとはWebデザイナーのことのようなので、業界のレベルを下げるのだけはやめて欲しい。
好きなわけではないけど褒めてもらえるデザインやイラストを仕事にし始めた頃は好きで学んできたひとに情熱や心構えで敵わないな〜と思うことも多々ありましたがすぐにひとそれぞれでしかないと気づき(諦め?)ました
デザインに限った話じゃない気はする。
デザインってのはわかりやすさ・使いやすさ・効率を最大まで高めて見た目を整えることだと思うのだが、そう考えないやつが多くて困る。使いにくいものが客に選ばれるわけないのに。
プロとして働きながら初心というか、素人の感覚を持ち続けるのって相当難しいことだと思うので、すごい、普通にしてたらわからなくなる。「感覚が非デザイナーなので、片足をスタート地点に留めるのが得意です。」
デザインの好き嫌いではなく、クライアントとデザイン依頼の案件がほとんど「ゴミ」ばっかりだという事に気づくまで10年はかかる。依頼内容はだいたいデザインではどうしようも無い問題を抱えている。つまりゴミ。
デザインは好きだしデザインを作るのもまぁ好きなんだけど理詰めギチギチで想定した通りユーザーが受け取る時に快楽を覚えるタイプなので効果のない存在理由を満たせないデザインは美しくしてもクソですの気持ちある
まあ言いたいことはわかるし共感もできるけど、デザインが好きで要件や機能もカバーできる人もざらにいるし、「強い」は結論ありきすぎる。あと「俺デザイン好きじゃないんだよね〜笑」とかADが言ってたら嫌すぎる
偽善的であれる人の方が純粋な善人より善行ができるという問題を連想する(勝手に俺が問題化してるだけだが)。結局世の中は多元的に出来てるので純粋価値をメタ的に統制してる人の方が実行力は高くなる
デザインはロジックで、アートはセンスと理解してるので、この文章のデザインとはなんなのか迷子になりまくってた
同じタイプの若手を励ます為に飲み屋で語るには良いけど、ブログに書くとだいぶ恥ずかしいやつ。
本当の職人というものは好きか嫌いかで仕事をしないものだ、と俺は思ってる。作り手の好き嫌いなんざどうだっていい。ただ、お客様のために能力を行使することだけを使命として存在する。そういう職人が俺の理想。
好きで極めてゆく人って一般人のどうでもいい人とどんどん乖離してゆくんだよな。極めるベクトルがどうでもいい人がユーザーの大半なのでは。芸術に迷いこまないで、商業にとどまることが肝要なほうが多いかもね。
「自分はセンスが無い」と言い訳する人がいるけど、単に手数が足りて無い、ってことがほとんど。> “センスとは言語化できていない(もしくはしきれないほど膨大な)知識のことを言っているだけ”
n=1(自分)
まぁ好きだからいいものを作れるはイコールではないしなぁ。芸術家ならともかく商業デザインならクライアントが望むものを造るのが仕事だしそこに寄り添いやすいのは強みだと思うよーん
よくわかってない人に説明できる、という話ならデザインに限らずよいな
ITも近いところはあって拘りを持たず言われた事だけサクっと仕上げる人は重宝される。うちの社長がそのタイプで指示されるとすごい能力を発揮するのに自由にやっていいと言われると逆にどうすればいいですかってなる
この記事ひとつとっても、出てくる"デザイン"がそれぞれ意味が異なるまである。お気持ちで文章書きすぎだろうよ。
いわゆる制作会社のレイアウトだけする「デザイナー」ならそうかもしれないけどアートディレクターとかになると話は変わってくる話
デザインがそこまで好きじゃないデザイナーは強い|やまぐち
“「おしゃれだけど使いづらい売れなさそうなデザイン」をクライアントは嫌がります。 デザイン好きに「かっこいいだけじゃダメだ」理解は難しい。デザインがそこまで好きじゃない人は、感覚が非デザイナーなので”
デザイン好きだった側で、デザイン修正が苦痛では無くなった時にデザイン続けてもつまらんな辞めようとなった。情熱とセンスを持ち続けられる人はタフだなぁ
めっちゃ分かるな
分かるわ…。デザインは言語化云々と言ってるのと真逆。感性の蓄積なんす。
"センスとは言語化できていない(もしくはしきれないほど膨大な)知識のこと"
異質ではない。他の職能も好きな人だけが相手ではないので。“「そこまで好きじゃない」がいつか大きな武器となり扱えるようになることを忘れないでください。数ある職能の中で異質だと思います。”
デザインが好きな後輩に出会い、そうだよな~本来他人に言われんでも、良いもの作らんとゆるされへん人がつくべき職業だったと思い出した。どこまで伸びるか楽しみ
言語化できない人にデザインなんかできるわけないよ、説明できないんだから。
言語化できなくてもデザインできるけど仕事では言語化求められるから…お客様相手もそうだけど部下がついたら端から端まで言語化しないといけない
祖父江慎に憧れてるデザイナーって納期守らないって噂を耳にしました。
仕事は全て暗黙知と形式知に分けられて、どちらも必要ですね。そして世の中で求められるのは大抵<暗黙2-3:形式7-8>ぐらいなので、形式知部分を伸ばせる人が有利かなと。
こだわりがない方が変な個性出さずにクライアントの指示に添える人になりやすそう。
理不尽なクライアントの要求をこなすには、自分の大好きなデザインの型を持ってると辛い時はあるよね。大人になるにつれて段々と折り合いつけられるようになるけど、若い頃は動悸に耐えながら修正してた。
わかった風の言語化でさらっと丸め込まれるクライアントはいっぱいいるよね。
冒頭からデザイナーとクリエイター(アーティスト)がごっちゃになってるよ・・・
デザイン得意じゃないけど惰性でWebデザイナーを続けてきたので共感した。 辛かったけど結局は「続けたもん勝ち」だということが10年経ったら分かった。
自分もデザインがそこまで好きでもないデザイナーだけど、このタイプは小物は作れても大物は作れないんよ。妄執にも近い揺るぎない美学の持ち主だけが至れる領域は確実にあるよ。その手前までは強いというのは分かる
本当にデザインが好きで生業としている人は、クライアントに合わせた落とし所まで考えてデザインしてるよ。「何となく」という曖昧なレベルじゃなくてね
エンジニアでもあるよね。この技術を使ってみたい!みたいなのが時として邪魔になるみたいな。
何となく雰囲気でやっている デザイナーの中では舌がよく回る方なので何とかなってるところある
デザインなんて興味ないけど絵描きは潰しが効かないからと渋々学んで会社でデザインやってから今は漫画家。請負や所属仕事としてやるデザインはロジックだけで十分。その後存分にリテイク聞く方が大事という処世。
“「おしゃれだけど使いづらいWebサイト」や、「かっこいいけど読めないロゴ」や「洗練されているけど売れなさそうなパッケージデザイン」”はちゃんとしたデザイナーは作らない/好きが邪魔をする事があるには同意
デザインという言葉に色々含まれすぎていて謎だけどネットで言うデザイナーはWEB含む平面しか意味しないよねって思う。もっとデザインて広い世界じゃないか?プロダクトも空間も、アレやこれや。ま、いっか。
この方の言っているデザイナーは、もしかしてアーティストやアートディレクターなのでは?
そこまで好きじゃないならせめてちゃんと専門教育受けて、ある程度まともな会社に正社員で入らないといけないんだよなぁ。
デザイナーはプロとして知識と技術を携え表現の高みを目指しながらも、片足はずっとスタート地点に留めておく必要があり、 デザインがそこまで好きじゃない人は、感覚が非デザイナーなので、それが得意
“味覚がほとんどないコックが、「この肉はこの温度でこれくらいの時間熱すれば、みんなが美味しいと言うぞ」みたいな知識だけで料理しているようなものです。”
そこそこ強いのは認めるけど、想像を上回るデザインをあげてくれなさそうなので無難なデザインの依頼しかできないな。
みんな厳しいな。わかりみあるけどな。
トップコメに感銘を受けた。「妄執にも近い揺るぎない美学の持ち主だけが至れる領域は確実にある」本当にその通り。天才は崇高な使命感でモノ作ってるので、誰にどんだけ迷惑かけようが売れなかろうが気にしない
デザインの話の筈なのに意匠のことしか書かれとらんよーな(´・ω・`)
「デザインがそこまで好きじゃない人は、感覚が非デザイナーなので、片足をスタート地点に留めるのが得意」 「このアドバンテージが活きるのは、5年くらいやって「かっこいいものが作れるようになってから」」
まさにそれで25年やってきた
私もこっち。まあ今はデザインメインじゃないけど。
好きでもないことを仕事にした罰だな。ここで言うデザイナーとはWebデザイナーのことのようなので、業界のレベルを下げるのだけはやめて欲しい。
好きなわけではないけど褒めてもらえるデザインやイラストを仕事にし始めた頃は好きで学んできたひとに情熱や心構えで敵わないな〜と思うことも多々ありましたがすぐにひとそれぞれでしかないと気づき(諦め?)ました
デザインに限った話じゃない気はする。
デザインってのはわかりやすさ・使いやすさ・効率を最大まで高めて見た目を整えることだと思うのだが、そう考えないやつが多くて困る。使いにくいものが客に選ばれるわけないのに。
プロとして働きながら初心というか、素人の感覚を持ち続けるのって相当難しいことだと思うので、すごい、普通にしてたらわからなくなる。「感覚が非デザイナーなので、片足をスタート地点に留めるのが得意です。」
デザインの好き嫌いではなく、クライアントとデザイン依頼の案件がほとんど「ゴミ」ばっかりだという事に気づくまで10年はかかる。依頼内容はだいたいデザインではどうしようも無い問題を抱えている。つまりゴミ。
デザインは好きだしデザインを作るのもまぁ好きなんだけど理詰めギチギチで想定した通りユーザーが受け取る時に快楽を覚えるタイプなので効果のない存在理由を満たせないデザインは美しくしてもクソですの気持ちある
まあ言いたいことはわかるし共感もできるけど、デザインが好きで要件や機能もカバーできる人もざらにいるし、「強い」は結論ありきすぎる。あと「俺デザイン好きじゃないんだよね〜笑」とかADが言ってたら嫌すぎる
偽善的であれる人の方が純粋な善人より善行ができるという問題を連想する(勝手に俺が問題化してるだけだが)。結局世の中は多元的に出来てるので純粋価値をメタ的に統制してる人の方が実行力は高くなる
デザインはロジックで、アートはセンスと理解してるので、この文章のデザインとはなんなのか迷子になりまくってた
同じタイプの若手を励ます為に飲み屋で語るには良いけど、ブログに書くとだいぶ恥ずかしいやつ。
本当の職人というものは好きか嫌いかで仕事をしないものだ、と俺は思ってる。作り手の好き嫌いなんざどうだっていい。ただ、お客様のために能力を行使することだけを使命として存在する。そういう職人が俺の理想。
好きで極めてゆく人って一般人のどうでもいい人とどんどん乖離してゆくんだよな。極めるベクトルがどうでもいい人がユーザーの大半なのでは。芸術に迷いこまないで、商業にとどまることが肝要なほうが多いかもね。
「自分はセンスが無い」と言い訳する人がいるけど、単に手数が足りて無い、ってことがほとんど。> “センスとは言語化できていない(もしくはしきれないほど膨大な)知識のことを言っているだけ”
n=1(自分)
まぁ好きだからいいものを作れるはイコールではないしなぁ。芸術家ならともかく商業デザインならクライアントが望むものを造るのが仕事だしそこに寄り添いやすいのは強みだと思うよーん
よくわかってない人に説明できる、という話ならデザインに限らずよいな
ITも近いところはあって拘りを持たず言われた事だけサクっと仕上げる人は重宝される。うちの社長がそのタイプで指示されるとすごい能力を発揮するのに自由にやっていいと言われると逆にどうすればいいですかってなる
この記事ひとつとっても、出てくる"デザイン"がそれぞれ意味が異なるまである。お気持ちで文章書きすぎだろうよ。
いわゆる制作会社のレイアウトだけする「デザイナー」ならそうかもしれないけどアートディレクターとかになると話は変わってくる話