世界キャンセルされるべき人ランキングで上位のアドルフヒトラーの著作「我が闘争」は戦後ドイツでは長らくキャンセルされていたが、2016年にはドイツ語で復刊されたという。しかし開戦と虐殺がキャンセル対象なら
このブクマ達はいったいどこからやってくるの?
「バカに見つかった」話。何でもそうよね。そして教養があり趣味がいい人の悪趣味だと思っていたら最初からただのバカだったと露呈することも多々。
この連載、ここまで毎回読んでます。
ちょうど小山田圭吾が根本敬に影響された“悪い悪趣味”世代なんだよな。
“香山は80年代以来、バルチュスの絵画に魅せられてきたが、2014年、未成熟な少女の絵を芸術扱いでよいのか一抹の不安。2017年、ニューヨークの美術館でバルチュスをキャンセル(抗議)する署名活動。ポリコレの波”
文中の香山本、ぼくが読んだ感想 【自身の過去の”鬼畜系”コラムを「やや不謹慎」で済ませるの、メンタルつえーな、と思った(香山リカ氏の著書から) - - https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2021/05/02/022607】
その年代が参照した戦前戦中戦後からバブルまでに生きた人間、社会、表現を糧に展開された醜悪を陽の元に晒すが「理解と修正勢」と「教条糾弾勢」に分化していった感。
氷河期の青春時代も否定されちゃうのかw
本旨とは関係ないがバルテュスの件はもとから美術史に残る大家みたいな位置付けではなかった気はする(が一般世間があれこれいい始めた話はだいたいその通り)。個人的には好きでロシニエールにも行ったが
面白い。
難しくてすぐ一律の答えが出る問題じゃないけど、悪趣味なものは悪趣味と言われて眉を顰められる存在ってのを忘れちゃイカンと思うね。常識がないと悪趣味も楽しめないんだ
“趣味がいい人じゃないと、悪趣味ってわからないからね。”先鋭化過激化はどの界隈も避けられない。先鋭化した人達からは「趣味がいい人」はスノッブで鼻持ちならない人としてウザがられブレーキが効かなくなる
90年代をキャンセル?ボクの可愛い時代にゃ!思い出は永遠に不滅にゃ!
ちょうど蛭子能収氏からはじまって高杉弾氏青山正明氏根本敬氏あたりのwikiを読み耽ってたところなので興味深い。おれもコーネリアス氏同様モロ影響を受けてたなあ。ネットが2000年代をその流れのトドメにして止めた。
まあ"挑戦"自体は必要だったろうよ…
歴史に排除の論理はありませんよ。
「それはあなたの90年代であって、オレの90年代ではない」と思うこと多い。
”90年代の悪趣味ブームを支えていた人たちっていうのは教養があって知的な人が多かったし、読んでいる方も「行間を読む」術は自ずと持っていたと思う" そんな初期の2chはマナーがあったみたいなクソ話されても
時代を経ても「新たな意義」が提示され続ける作品を古典とか名作と呼ぶわけだが、一方で「キャンセル」されてしまう作品があるのも当然だろう。「キャンセル」に抗うつもりなら、「新たな意義」を提示するほかない。
香山の名前が出てきた時点でお腹いっぱいで本文読んでないんだけど、また安易な氷河期世代叩きやってんじゃないだろうな。現代の価値観で過去をキャンセルできるなら、昭和なんて丸ごと無かった事にしても良いわ。
興味深くて面白かった。今の視点で「昔の価値観」を批判するのは進化する上で必要だけど、その時代の空気の中で作られた作品を叩くのはまた別だと思う。空気やお約束が忘れ去られて悪用されるのはいつも同じか…
“「教養や知性」、あるいは「世の中がちゃんとしていてくれないと」という社会の側の条件が必要” あれ?トランプや参政党の話してる?独占されていたマスに対するメディアが、マスに対して解放された点かなあ
キャンセルされた文化がさらにキャンセルされただけ。サブカルチャーのアイデンティティはキャンセルそのものだ。サブカルチャーが受け入れられだような気でいることがおかしい。
『源氏物語』の倫理のなさを、今風の道徳観で無理やり解釈したり、批判したりするのを、本居宣長は大いに批判していた
「ガロ」の休刊が1997年。「ガロ」は好んで読んでたけど、あの頃の悪趣味本は好きじゃなかったな。
メタ・昔の価値観的な話。昔の価値観から見た更に昔の価値観、遠い昔の価値観から見た現代寄りの過去の価値観、と言った構造にワクワクてしまう。仏語の大過去や条件法過去への書き換え問題が好きだったせいかな。
これは読んでみたくなりました。
“『夢見るテレーズ” https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/9741
90年代は「キャンセル」されるべきなのか?|佐々木敦『90年代論』第9回|光文社新書
世界キャンセルされるべき人ランキングで上位のアドルフヒトラーの著作「我が闘争」は戦後ドイツでは長らくキャンセルされていたが、2016年にはドイツ語で復刊されたという。しかし開戦と虐殺がキャンセル対象なら
このブクマ達はいったいどこからやってくるの?
「バカに見つかった」話。何でもそうよね。そして教養があり趣味がいい人の悪趣味だと思っていたら最初からただのバカだったと露呈することも多々。
この連載、ここまで毎回読んでます。
ちょうど小山田圭吾が根本敬に影響された“悪い悪趣味”世代なんだよな。
“香山は80年代以来、バルチュスの絵画に魅せられてきたが、2014年、未成熟な少女の絵を芸術扱いでよいのか一抹の不安。2017年、ニューヨークの美術館でバルチュスをキャンセル(抗議)する署名活動。ポリコレの波”
文中の香山本、ぼくが読んだ感想 【自身の過去の”鬼畜系”コラムを「やや不謹慎」で済ませるの、メンタルつえーな、と思った(香山リカ氏の著書から) - - https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2021/05/02/022607】
その年代が参照した戦前戦中戦後からバブルまでに生きた人間、社会、表現を糧に展開された醜悪を陽の元に晒すが「理解と修正勢」と「教条糾弾勢」に分化していった感。
氷河期の青春時代も否定されちゃうのかw
本旨とは関係ないがバルテュスの件はもとから美術史に残る大家みたいな位置付けではなかった気はする(が一般世間があれこれいい始めた話はだいたいその通り)。個人的には好きでロシニエールにも行ったが
面白い。
難しくてすぐ一律の答えが出る問題じゃないけど、悪趣味なものは悪趣味と言われて眉を顰められる存在ってのを忘れちゃイカンと思うね。常識がないと悪趣味も楽しめないんだ
“趣味がいい人じゃないと、悪趣味ってわからないからね。”先鋭化過激化はどの界隈も避けられない。先鋭化した人達からは「趣味がいい人」はスノッブで鼻持ちならない人としてウザがられブレーキが効かなくなる
90年代をキャンセル?ボクの可愛い時代にゃ!思い出は永遠に不滅にゃ!
ちょうど蛭子能収氏からはじまって高杉弾氏青山正明氏根本敬氏あたりのwikiを読み耽ってたところなので興味深い。おれもコーネリアス氏同様モロ影響を受けてたなあ。ネットが2000年代をその流れのトドメにして止めた。
まあ"挑戦"自体は必要だったろうよ…
歴史に排除の論理はありませんよ。
「それはあなたの90年代であって、オレの90年代ではない」と思うこと多い。
”90年代の悪趣味ブームを支えていた人たちっていうのは教養があって知的な人が多かったし、読んでいる方も「行間を読む」術は自ずと持っていたと思う" そんな初期の2chはマナーがあったみたいなクソ話されても
時代を経ても「新たな意義」が提示され続ける作品を古典とか名作と呼ぶわけだが、一方で「キャンセル」されてしまう作品があるのも当然だろう。「キャンセル」に抗うつもりなら、「新たな意義」を提示するほかない。
香山の名前が出てきた時点でお腹いっぱいで本文読んでないんだけど、また安易な氷河期世代叩きやってんじゃないだろうな。現代の価値観で過去をキャンセルできるなら、昭和なんて丸ごと無かった事にしても良いわ。
興味深くて面白かった。今の視点で「昔の価値観」を批判するのは進化する上で必要だけど、その時代の空気の中で作られた作品を叩くのはまた別だと思う。空気やお約束が忘れ去られて悪用されるのはいつも同じか…
“「教養や知性」、あるいは「世の中がちゃんとしていてくれないと」という社会の側の条件が必要” あれ?トランプや参政党の話してる?独占されていたマスに対するメディアが、マスに対して解放された点かなあ
キャンセルされた文化がさらにキャンセルされただけ。サブカルチャーのアイデンティティはキャンセルそのものだ。サブカルチャーが受け入れられだような気でいることがおかしい。
『源氏物語』の倫理のなさを、今風の道徳観で無理やり解釈したり、批判したりするのを、本居宣長は大いに批判していた
「ガロ」の休刊が1997年。「ガロ」は好んで読んでたけど、あの頃の悪趣味本は好きじゃなかったな。
メタ・昔の価値観的な話。昔の価値観から見た更に昔の価値観、遠い昔の価値観から見た現代寄りの過去の価値観、と言った構造にワクワクてしまう。仏語の大過去や条件法過去への書き換え問題が好きだったせいかな。
これは読んでみたくなりました。
“『夢見るテレーズ” https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/9741