私みたいな太字ばかり読んでいる人に対する批判かな?でも色んな人の色んな考えに触れるのも大事。時間は限られているから、むしろ「1人の考えにどっぷり浸かりすぎる」のもそれはそれでよくない気がする。
「賢い」とは、知識が豊富(確証バイアスのリスク有)、頭の回転が速い(地頭はこのパターン)、現象に振り回されず抽象的な構造が見える、自分の認知をメタ認知できる等々いろんな要素の相互作用で成り立っている
多いだけのバカでサーセンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
消化及び昇華できないのに、たくさん読み過ぎるから。以上。
“自分の知力を磨くことを目的に読書に励む人も多いはず” そんな人多いんかね?しんどそう
おぎやはぎの小木さんは引かれるほどドラマや映画をみてるそうだけど観終えた先から内容を忘れるから仕事に結びつけられないとは言ってたな。読書量増やさないと負債ばかりで死ぬなあと思いつつずっと思考停止中。
読みが浅いか、バカな本しか読んでいないかだと思うよ。
正しい情報を読んでいるのに間違った知識を吸収する人がいる。網羅的に情報を摂取している人は断片情報のつながりを理解できるが、偏っている人は間違って情報をつないでしまうので、おかしな知識ばかり増える。
YouTubeばっかり見てるのに賢い人がいるのはなぜか?と同様、読書や動画から学びを得ているか娯楽として消費しているかの違いだろう
単純に「自分は賢い」と思ってるからよ
読書は気づきを与えるためのもので、気づきは書を捨てて街に出ることで熟成される。逆に、読書で目覚めてしまう人は、鵜呑みしてしまうくらい頭の中が空っぽだったバカ。
知識と知性は別のものだから
馬鹿は何をやっても…あ、ごめん
2200年前に孔子が答え出してくれてるんですよねこの問題。学びて思わざれば則ち罔し、読書しても自分の頭で考えないなら何もわかったことにならないぞと。そして逆に、思いて学ばざれば則ち殆しって続きもあり
本の中に見つけた気づきを抽象化して自分の中に取り込めるかどうかだろうな。抽象化することで別のケースにも応用できる。呪術廻戦の夏油のようなイメージ。別に本でなくてもよくて、路傍の石からも学べる。
読書をしていろんな考え方に触れているはずなのに、傲慢な人がいるのはなぜか?
近年は電子書籍派の人も増えて一見読書してるのかどうかわからない人も多くて、紙本しかなかった時代より読書量を判断するの難しそう。その人が口で言ってるのを信じるしかないというか、データとして信用に足るか?
バカな零戦礼賛小説みたいなのをいくら読んでも、バカはバカです。
「學びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し」
陰謀論者の本棚に陰謀論の本ばっかり何十冊もあって「俺はこんなに勉強してる!舐めるんじゃねぇ!」とか言い出すやつは昔からあるよね。
娯楽だよ娯楽
頭空っぽの方が詰め込める~♪
「ほんをよむとあたまがよくなる」と思ったまま大人になる人がいると知って少し驚いている
ヘブンズドア
知らんけど読めば読むほど自分が馬鹿に思われてならん。
う! すみません...ムーとかばかり読むのやめます...
そもそも現代の人間様の思考方法が『言語』と『ルール(数学や自然科学系)』に基づいてるんだから、『言語の鍛錬』で思考の土台づくりしてるだけでしょ?いくら土台があっても仕事ができない人もいるというだけの話
別に読書する人は賢いわけじゃないのよ
知識や情報は得られるかもしれないけど知性は無理でしょ
マンガはいっぱい読んでるよ?
何かの本で、「単に読むだけだと著者の思考の轍に沿って考えているだけで、それでは本当の考える力は身に付かない」とあったな。批判的に本を読めという趣旨だった。
本を読んでる私は真っ当な知性を持っているという自惚れこそ警戒すべき
アタシは専門書以外は殆ど読まないけど、別に事足りるわ
身になってないから以外の答えある?長時間勉強してるのにバカとか、東洋経済「なぜ~は~なのか」みたいな記事を多産してる作者がバカとかは平凡な現象で、量から質を生む十分条件を挙げてないなら何も発見がない。
読書は文字が読めれば誰にでもできます。なにも特別なことではないのです。
というよりそういう人は読書量が少なかったらもっとバカだったのではないだろうか?/「読書量が増えたのにも関わらず前よりバカになる人がいるのがなぜか?」という問いの方がよかったのではないか?
ブコメも、型にハマった頭ごなしの反論みたいなのはバカっぽく見えるもんな。
一日に一定以上の量の文字を読んでると頭が回転してる状態をキープできる感覚はある。本から何かを得るってのもあるけど、まあそれはあったりなかったりじゃないかなあ。
自分の頭で考えたり自分の体験だけで判断したりでバカな結論に到達する人も多いので、必ずしもそれがいいわけではない。その一方で他人からの情報を鵜呑みにするのもバカなので、大事なことは簡単に結論付けないこと
“知性を身に付けるには読書をすると良い、ということがよく言われる。” 本読まない人が言いそう。
馬鹿と読書家は独立事象だからだが。読書すると頭が良くなるなら学校は全部読書になってるだろ。教員の人件費も減らせるんだからよ。
長時間読書することが必ずしも知性につながるわけじゃないが、統計を取れば読書量との相関はあるかもしれない。その程度の話
本て娯楽じゃないの?好きなもの好きなとこだけ読むよ。
最も難儀なのは「自分がバカでは無い側」と思ってる人じゃないかしら。
ギャル曽根さんはいわゆる特異体質だけど、別に食ったもん全部をエネルギーにできてるということはなくて大部分がただウンコになるだけなんだよな。
「読書量」と「バカ」の定義を確認したほうが良さそ。人によって違うレベルの話をしてそう
読書は娯楽なので知識を得るとか知力とか言われると「何言ってるんだ?????」ってなる。
ビジネス書ばっかり読んでたら アホになるよ 小説をよもう!
薄っぺらい内容の本をいくら読んでも賢くはならないだろうよと
バカにも好奇心はあるから。根本的には国民皆教育のおかげさまでは。バカに字を教えたばっかりに。
受け売りで止まるか、自分ごとにして考えるかの違いか。物語の場合はどうだろう。どう解釈できるか。その幅の広さを知性というのかもしれない。
朝夕の通勤時間の暇潰しだけどね。
読書に限らずスポーツの練習でも漫然とやるだけでは身に付かない、上達し難いのと同じで、多読家が読んだ本の数ばかり誇るような手段の目的化にならないよう、自分で考えた上で理解、納得を心がけないといけないよ。
専門書とかつまみ食いするしかない本は沢山ある。中身が詰まりすぎた本はほとんどの人には通読できない。速読にしても大筋の流れを把握する技術がちゃんとあるかどうかの問題ではないか
読書してもバカだが、読書しないともっとバカになるという恐怖で、今日も読書してる。
人間に不可能なほどの読書を極めたLLMでもある程度までしか賢くはなれない。でもまあそこらの人よりは賢いけど。
“「読書をすれば頭が良くなる」とは一概に言えない可能性がある。” 可能性もなにも、当たり前にそれが答えなのでは?
地頭と呼ばれる奴も、業界とか分野におけるパターン思考の速度を指していて、別の分野においては速度が下がるケースもあるよね。
「あまり知性がないように見える人」とはどんな人なのだろうか。飲み会でタワマンと子どもの話しかしない人だろうか。それは知性がないわけではないと思う
うるせーばーかばーか
本を読むと頭が良くなると前提がよくわからない。映画とかゲームと同じエンタメだと思うんだけど。
文字列上の論理を得ても、概念を獲得できてないのでは。
「読書をする俺かっこいい」になってるとあかんよね。
読んでなかったらもっとバカだったのが少しマシになった可能性
たぶん、目から入った情報が脳を経由せずにいろんな穴から漏れ出しているからだと思いますよ。
読書量と知性は意外と相関はないと思う… 何を「知性」と呼ぶかによるけど、知識だけ増えても洞察力が鍛えられていないと「バカ」に見えると思う。
読書は間違いなく見識を広めるという意味で頭が良くなることに寄与すると思うけどな。たくさん読んでも変わらないという人は中身のない似たような本を読んでいたり斜め読みで読み飛ばしすぎなだけなんじゃないか?
魚を食べるといいよ
本ってそもそもただの娯楽でもあるでしょうに
『「持論の補強」ばかりが進んでしまい、かえって考えが偏ってしまう』
ちょうど先日図書館で、日猶同祖論っぽいタイトルの本と高市早苗の本を持ったオッサンが受付の人に怒鳴りっぱなしなところに、その後ろに並んだので「本は読めばいいわけじゃない」はよく知ってる。
読書は娯楽で楽しんでいる最中に偶発的に自分が知らなかった知見に出会えるのがいいんじゃないかな。最初から結果だけ求めても意味ないんだぜ。
情報は咀嚼しないと身につかないので、ただ接種してそのままうんこで出てきたら栄養にならないのは当たり前である
インプットとアウトプットが比例していないから。
知識を付けて「俺は詳しい。無知や誤解をしてるバカ多すぎ」という思考パターンで攻撃してくる人がいて鬱陶しい。でもそういう人に限って、自分と意見が違うことと、無知や誤解の区別がついていない。
「量」より「質」が肝心ということだね。数をこなして自慢するより、古典や名著と言われる類の本を繰り返し読み込み、自分の頭で考え抜き、自分が理解した自分らしい考えを体得できれば、類稀な人になれるかもね…。
何をもってバカとするのか 例えば東出昌大はかなりの読書家 たまに書く文章も見事 しかし世間からは不倫するバカとされている 自分はそうは思わないけど
原因になる要因は色々あるけれど、単純に読むのが好きなだけだからというのがシンプルかと。 思想が捻くれてるとか、記憶力が著しく悪いとか、入れた物を活用できないなんてのは、そもそも目的としてないからだと思
単純に読書量と知性に相関関係がないだけでは?
読んだ本の量で人にマウントとってもねぇ
ここで言う「読書」ってビジネス書でしょ?一冊も読んだこと無い
この書きっぷりからすると、小説やノンフィクションというより、既に指摘があるようにビジネス書の類いが念頭にある気がする。確かに、ビジネス書や啓発書は、基本自説を開陳するものなので、うわっ。って本が多い笑
本屋を見ると立ち寄らずに居られず必ず何か買ってしまい家に自然科学系の本や技術書が入ったダンボールが何箱もありますが低IQです。典型的な読書量の多いバカです。
読書をどうとらえているかで回答が変わる話。趣味で文章読んでるんなら別に何でもええやん
頭をよくするためにする読書。つまらなくないか。
「スマホをよく使うのにバカ」に通ずる
電車でちらっとのぞき見するとみんな意外な本読んでておもしろいんだよね
どんな本読むかにもよるんじゃねえか
読書量が多いのに人をバカにするバカが減らないのはなぜか
「ビジネス書()はバカが読むもの」だからなぁ。ある意味でバカ炙り出しのリトマス試験紙みたいなものではあるよね。
バカとバカではないの違いが一冊の本をどこまで読むかという物差しというこの方の考えはバカなのか、バカではないのか、人によるだろうね。
自分は教養主義者なので、良書の精読が知的鍛錬であると信仰している(ふりをしている)が、単なる読書量と知性とは殆ど無関係だとも思ってる。読書は音楽鑑賞やスポーツと同じ単なる趣味娯楽(以下老害の無駄話2万字略
読書って、難しいよ。自分で70%程度は、理解構築できる内容でなければ、ほぼ読めないのでは。最近は、わからない事象はすぐにAIに聞いて、読書してる。
意識高い系界隈のビジネスワード知らないと馬鹿にされるからちょっと知っておこうというムーブのことかな?
「読書量が多いのにバカ」な人がいるのはなぜか?|やひろ
私みたいな太字ばかり読んでいる人に対する批判かな?でも色んな人の色んな考えに触れるのも大事。時間は限られているから、むしろ「1人の考えにどっぷり浸かりすぎる」のもそれはそれでよくない気がする。
「賢い」とは、知識が豊富(確証バイアスのリスク有)、頭の回転が速い(地頭はこのパターン)、現象に振り回されず抽象的な構造が見える、自分の認知をメタ認知できる等々いろんな要素の相互作用で成り立っている
多いだけのバカでサーセンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
消化及び昇華できないのに、たくさん読み過ぎるから。以上。
“自分の知力を磨くことを目的に読書に励む人も多いはず” そんな人多いんかね?しんどそう
おぎやはぎの小木さんは引かれるほどドラマや映画をみてるそうだけど観終えた先から内容を忘れるから仕事に結びつけられないとは言ってたな。読書量増やさないと負債ばかりで死ぬなあと思いつつずっと思考停止中。
読みが浅いか、バカな本しか読んでいないかだと思うよ。
正しい情報を読んでいるのに間違った知識を吸収する人がいる。網羅的に情報を摂取している人は断片情報のつながりを理解できるが、偏っている人は間違って情報をつないでしまうので、おかしな知識ばかり増える。
YouTubeばっかり見てるのに賢い人がいるのはなぜか?と同様、読書や動画から学びを得ているか娯楽として消費しているかの違いだろう
単純に「自分は賢い」と思ってるからよ
読書は気づきを与えるためのもので、気づきは書を捨てて街に出ることで熟成される。逆に、読書で目覚めてしまう人は、鵜呑みしてしまうくらい頭の中が空っぽだったバカ。
知識と知性は別のものだから
馬鹿は何をやっても…あ、ごめん
2200年前に孔子が答え出してくれてるんですよねこの問題。学びて思わざれば則ち罔し、読書しても自分の頭で考えないなら何もわかったことにならないぞと。そして逆に、思いて学ばざれば則ち殆しって続きもあり
本の中に見つけた気づきを抽象化して自分の中に取り込めるかどうかだろうな。抽象化することで別のケースにも応用できる。呪術廻戦の夏油のようなイメージ。別に本でなくてもよくて、路傍の石からも学べる。
読書をしていろんな考え方に触れているはずなのに、傲慢な人がいるのはなぜか?
近年は電子書籍派の人も増えて一見読書してるのかどうかわからない人も多くて、紙本しかなかった時代より読書量を判断するの難しそう。その人が口で言ってるのを信じるしかないというか、データとして信用に足るか?
バカな零戦礼賛小説みたいなのをいくら読んでも、バカはバカです。
「學びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し」
陰謀論者の本棚に陰謀論の本ばっかり何十冊もあって「俺はこんなに勉強してる!舐めるんじゃねぇ!」とか言い出すやつは昔からあるよね。
娯楽だよ娯楽
頭空っぽの方が詰め込める~♪
「ほんをよむとあたまがよくなる」と思ったまま大人になる人がいると知って少し驚いている
ヘブンズドア
知らんけど読めば読むほど自分が馬鹿に思われてならん。
う! すみません...ムーとかばかり読むのやめます...
そもそも現代の人間様の思考方法が『言語』と『ルール(数学や自然科学系)』に基づいてるんだから、『言語の鍛錬』で思考の土台づくりしてるだけでしょ?いくら土台があっても仕事ができない人もいるというだけの話
別に読書する人は賢いわけじゃないのよ
知識や情報は得られるかもしれないけど知性は無理でしょ
マンガはいっぱい読んでるよ?
何かの本で、「単に読むだけだと著者の思考の轍に沿って考えているだけで、それでは本当の考える力は身に付かない」とあったな。批判的に本を読めという趣旨だった。
本を読んでる私は真っ当な知性を持っているという自惚れこそ警戒すべき
アタシは専門書以外は殆ど読まないけど、別に事足りるわ
身になってないから以外の答えある?長時間勉強してるのにバカとか、東洋経済「なぜ~は~なのか」みたいな記事を多産してる作者がバカとかは平凡な現象で、量から質を生む十分条件を挙げてないなら何も発見がない。
読書は文字が読めれば誰にでもできます。なにも特別なことではないのです。
というよりそういう人は読書量が少なかったらもっとバカだったのではないだろうか?/「読書量が増えたのにも関わらず前よりバカになる人がいるのがなぜか?」という問いの方がよかったのではないか?
ブコメも、型にハマった頭ごなしの反論みたいなのはバカっぽく見えるもんな。
一日に一定以上の量の文字を読んでると頭が回転してる状態をキープできる感覚はある。本から何かを得るってのもあるけど、まあそれはあったりなかったりじゃないかなあ。
自分の頭で考えたり自分の体験だけで判断したりでバカな結論に到達する人も多いので、必ずしもそれがいいわけではない。その一方で他人からの情報を鵜呑みにするのもバカなので、大事なことは簡単に結論付けないこと
“知性を身に付けるには読書をすると良い、ということがよく言われる。” 本読まない人が言いそう。
馬鹿と読書家は独立事象だからだが。読書すると頭が良くなるなら学校は全部読書になってるだろ。教員の人件費も減らせるんだからよ。
長時間読書することが必ずしも知性につながるわけじゃないが、統計を取れば読書量との相関はあるかもしれない。その程度の話
本て娯楽じゃないの?好きなもの好きなとこだけ読むよ。
最も難儀なのは「自分がバカでは無い側」と思ってる人じゃないかしら。
ギャル曽根さんはいわゆる特異体質だけど、別に食ったもん全部をエネルギーにできてるということはなくて大部分がただウンコになるだけなんだよな。
「読書量」と「バカ」の定義を確認したほうが良さそ。人によって違うレベルの話をしてそう
読書は娯楽なので知識を得るとか知力とか言われると「何言ってるんだ?????」ってなる。
ビジネス書ばっかり読んでたら アホになるよ 小説をよもう!
薄っぺらい内容の本をいくら読んでも賢くはならないだろうよと
バカにも好奇心はあるから。根本的には国民皆教育のおかげさまでは。バカに字を教えたばっかりに。
受け売りで止まるか、自分ごとにして考えるかの違いか。物語の場合はどうだろう。どう解釈できるか。その幅の広さを知性というのかもしれない。
朝夕の通勤時間の暇潰しだけどね。
読書に限らずスポーツの練習でも漫然とやるだけでは身に付かない、上達し難いのと同じで、多読家が読んだ本の数ばかり誇るような手段の目的化にならないよう、自分で考えた上で理解、納得を心がけないといけないよ。
専門書とかつまみ食いするしかない本は沢山ある。中身が詰まりすぎた本はほとんどの人には通読できない。速読にしても大筋の流れを把握する技術がちゃんとあるかどうかの問題ではないか
読書してもバカだが、読書しないともっとバカになるという恐怖で、今日も読書してる。
人間に不可能なほどの読書を極めたLLMでもある程度までしか賢くはなれない。でもまあそこらの人よりは賢いけど。
“「読書をすれば頭が良くなる」とは一概に言えない可能性がある。” 可能性もなにも、当たり前にそれが答えなのでは?
地頭と呼ばれる奴も、業界とか分野におけるパターン思考の速度を指していて、別の分野においては速度が下がるケースもあるよね。
「あまり知性がないように見える人」とはどんな人なのだろうか。飲み会でタワマンと子どもの話しかしない人だろうか。それは知性がないわけではないと思う
うるせーばーかばーか
本を読むと頭が良くなると前提がよくわからない。映画とかゲームと同じエンタメだと思うんだけど。
文字列上の論理を得ても、概念を獲得できてないのでは。
「読書をする俺かっこいい」になってるとあかんよね。
読んでなかったらもっとバカだったのが少しマシになった可能性
たぶん、目から入った情報が脳を経由せずにいろんな穴から漏れ出しているからだと思いますよ。
読書量と知性は意外と相関はないと思う… 何を「知性」と呼ぶかによるけど、知識だけ増えても洞察力が鍛えられていないと「バカ」に見えると思う。
読書は間違いなく見識を広めるという意味で頭が良くなることに寄与すると思うけどな。たくさん読んでも変わらないという人は中身のない似たような本を読んでいたり斜め読みで読み飛ばしすぎなだけなんじゃないか?
魚を食べるといいよ
本ってそもそもただの娯楽でもあるでしょうに
『「持論の補強」ばかりが進んでしまい、かえって考えが偏ってしまう』
ちょうど先日図書館で、日猶同祖論っぽいタイトルの本と高市早苗の本を持ったオッサンが受付の人に怒鳴りっぱなしなところに、その後ろに並んだので「本は読めばいいわけじゃない」はよく知ってる。
読書は娯楽で楽しんでいる最中に偶発的に自分が知らなかった知見に出会えるのがいいんじゃないかな。最初から結果だけ求めても意味ないんだぜ。
情報は咀嚼しないと身につかないので、ただ接種してそのままうんこで出てきたら栄養にならないのは当たり前である
インプットとアウトプットが比例していないから。
知識を付けて「俺は詳しい。無知や誤解をしてるバカ多すぎ」という思考パターンで攻撃してくる人がいて鬱陶しい。でもそういう人に限って、自分と意見が違うことと、無知や誤解の区別がついていない。
「量」より「質」が肝心ということだね。数をこなして自慢するより、古典や名著と言われる類の本を繰り返し読み込み、自分の頭で考え抜き、自分が理解した自分らしい考えを体得できれば、類稀な人になれるかもね…。
何をもってバカとするのか 例えば東出昌大はかなりの読書家 たまに書く文章も見事 しかし世間からは不倫するバカとされている 自分はそうは思わないけど
原因になる要因は色々あるけれど、単純に読むのが好きなだけだからというのがシンプルかと。 思想が捻くれてるとか、記憶力が著しく悪いとか、入れた物を活用できないなんてのは、そもそも目的としてないからだと思
単純に読書量と知性に相関関係がないだけでは?
読んだ本の量で人にマウントとってもねぇ
ここで言う「読書」ってビジネス書でしょ?一冊も読んだこと無い
この書きっぷりからすると、小説やノンフィクションというより、既に指摘があるようにビジネス書の類いが念頭にある気がする。確かに、ビジネス書や啓発書は、基本自説を開陳するものなので、うわっ。って本が多い笑
本屋を見ると立ち寄らずに居られず必ず何か買ってしまい家に自然科学系の本や技術書が入ったダンボールが何箱もありますが低IQです。典型的な読書量の多いバカです。
読書をどうとらえているかで回答が変わる話。趣味で文章読んでるんなら別に何でもええやん
頭をよくするためにする読書。つまらなくないか。
「スマホをよく使うのにバカ」に通ずる
電車でちらっとのぞき見するとみんな意外な本読んでておもしろいんだよね
どんな本読むかにもよるんじゃねえか
読書量が多いのに人をバカにするバカが減らないのはなぜか
「ビジネス書()はバカが読むもの」だからなぁ。ある意味でバカ炙り出しのリトマス試験紙みたいなものではあるよね。
バカとバカではないの違いが一冊の本をどこまで読むかという物差しというこの方の考えはバカなのか、バカではないのか、人によるだろうね。
自分は教養主義者なので、良書の精読が知的鍛錬であると信仰している(ふりをしている)が、単なる読書量と知性とは殆ど無関係だとも思ってる。読書は音楽鑑賞やスポーツと同じ単なる趣味娯楽(以下老害の無駄話2万字略
読書って、難しいよ。自分で70%程度は、理解構築できる内容でなければ、ほぼ読めないのでは。最近は、わからない事象はすぐにAIに聞いて、読書してる。
意識高い系界隈のビジネスワード知らないと馬鹿にされるからちょっと知っておこうというムーブのことかな?