"「この人には問題を共有するに足る」と思われるようでありたい + そうなるためには他人ばかり見てたらいけない / 博士課程: 「自分の問題を見つけて、それに取り組む」というのにふさわしい時期"
”「私はこれに興味がある」「これが問題だと思う」と宣言するのはとても難しいことです。自分の問題意識に向き合って、それを口に出すのって恥ずかしいし勇気がいること”
"私は拙くても自分の言葉で自分の興味・関心・問題意識を述べる人と仕事がしたい" 私は仕事相手を選べる立場にはないけど、好きなのは、自分の言葉と問題意識を持ってる人だ。でもそれを身に付けるのが難しいんだろね
同じ考え。
“他人の問題・問題意識にフリーライド”こういう事する奴は例外なく敵だと思ってる。怒りも、抱えてる困難も、敵も、悲しみも、本人のもので、無関係なクラスタの困る権利や怒る権利をフリーライドしてはいけない
自分探し教はいつぐらいからか自分の問い探し教になってったね。自分は自分の問いを持って生きてるがそれが良きことだとは全く思えんのでこの手の改宗説法がわからない。人のニーズで博士号が取れるって最高じゃん
自分の問題意識と深く向き合って考察したことが無い人が他人の問題なら解けるなんてことは無いよね。時間がある内にその経験を積んでおくのは大事だと思う。
コンサル叩きもAI叩きもこの手の大学教員ってみな同じようなこと言ってるのになぜか独自性あるように持ち出してくるの、よほど何も見てないんだろう
そういう体験せずに育った人間にはどうしていいかわかんないのよ。自分の問題意識を意識させるだけでも大変。
ソフトウェアエンジニアベースの何でも屋だがこれは本当にそうで、何のためにお客さんと近しくて信頼できるポジションを取りに行くのかという話ではある。とはいえこれは営業の仕事という人もいそうではある
「⚪︎⚪︎(何らかの問題意識を持って活動している人)はこれも批判しろ」みたいな言説を見ると非常に腹が立つのはこれか! 他人の問題意識にフリーライドしてるからか! ずっと抱えていた疑問が解消した!
タイトルが面白そうだったんだけど、ふわっとした校長先生の話みたいな内容だった...
自己中心になろうってのは同意できないまでも、言わんとすることはとても理解できる。意思や意見を持たないで相乗りするのは楽だよな。相容れないことを恐れすぎるのは辛い。
自分の中の問題意識。それを考え込むの大事
“いずれ多くの人は社会で誰かのために仕事をするのだから、大学のトレーニングはそれとは違う価値観を提供したらいいし、そうしなければいけない”
まぁ俺に1億円くれればいいと思うよ
学生のお前らいつまでもクレクレ厨やってるんじゃねーよ。問題ぐらい自分で探してこい!そんな他人のフンドシ野郎に限って、偉らそーにウンチク語るんだよ。って事が言いたいんですね。少しお下劣でしたね。
ダサいおさむかぁ。 よっしゃスキなテーマやろーっと
「とりたてていうほどの問題意識は持ち合わせていない」のがふつう。ありもしない問題意識を無理やり持たせようとすれば、借り物になるのは必然。そこでフリーライド禁止といって逃げ道をふさぐのは理不尽だ。
つまり自分の問題に向き合っていない人間は他人の問題に首を突っ込む資格はないと
“それは世の中に共有された、他人に否定されづらい社会課題だからです。” / 記事に乗っかってブコメで批判している自分がまさにこれ
タイトルがとてもいい。
これでふわっとした話に思える人は、この記事の射程に入っている人だね
「(前略)、と考えてる社会は斜陽(ダサいおさむ)です。」…不覚にも「ふふっ」ってなった。
なんとなく、博士課程の学生ぐらいに向けた言葉のように感じるので、大多数の人にはよく分からずぽかーんとなってしまうかもね。
いい文章だと思った。自分の興味という軸がなければ、何かを深掘りできない。自分軸がなければ「流行ってるらしいから」「ウケが良さそうだから」みたいな軽佻浮薄な選び方になってしまうから。
タイトルが悪い。いったい何をすべきかが主題なのだからそれを書いた方が分かりやすい。
むずかしいお言葉にゃ… ボクにゃよく分からんけど、自分の好きなことしたらいいにゃ! 先生、もっと優しくしてにゃ〜♡
なるほど、特に実績もなく中身もよく分かってないくせに大言壮語的に自身の興味を話す人が、地道で現実的な問題に興味を持つ人を見下すのは、さも問題意識の大小で偉さが決まるかのように考えてるからか。くだらねー
本当に解くに値する問題を定義するほうが解くより何倍も難しい
ペルソナに30代女性というような属性を設定するな、何故ならそのような個人は存在しないから、と似たようなものに感じた。特定の、解決しないといけない困りごとを発見しないといけない
この手のズルしたい願望を「フリーライド」と断罪する教員よりは、巧妙に「自分ごと」として組み替えてお返ししてくれる教員のほうが今の世は評価の対象になると思う。現実はこんな生徒は無視されて終わるんだろうが
「自分の問題意識」が社会のなかでどうあるかどんな形を取り得るかということに触れてあらためて「自分の問題意識」と出会い直したみたいな話はすごくたくさんあり「目の前のことをやる」と「全部やる」両方の一生。
大学生なら「とりたてていうほどの問題意識は持ち合わせていない」のはマズいんでは?なんの興味もない分野の勉強をしてるわけじゃないんだから。自分自身の興味なり問題意識なり掘り下げることはできると思うけど。
世の中にはそんなに独自の問題意識があるわけでもなく。自分の問題見つけて取り組むより、いかに自分の問題にするかの当事者意識植えたほうがええんちゃうか。というあたりでわかり会えない世界の人に思えるw
今どきは最低限度の学生生活までの問題なんて先代で解決されまくってて、初めて行う「問題探し」に周りの大人を尋ねてみるという不器用なアプローチもするだろう。それをフリーライドを揶揄するのはどうなのか。
PBLとかおそらく米国MBAスゴイと思い込んだ人々が押し付けてくる教育に閉口している。なんの専門性も持たない奴が一体なんのコンサルするんだよ。バカじゃないの。
自分が今何を感じ何を思い何を考えるのか、そりゃやった方がいい。他人から求められることばかりやってきた結果、自分が本当は何をやりたいのかわからない大人で溢れてるのだから。大人も余白つくってやるべし。
大学受験まで与えられた問題を解く訓練しか受けていないのにいきなり「問題設定をしろ」と言われても無理でしょ。問題設定自体が1つの技術なのでちゃんと教育課程化した方がいい。
他人の問題を解決するだけでなく、自分で問題を考え出す力持とうね。フリーライドって言葉をあえて選んでる意味が分からん。フリーライドって言葉を使う方が問題だと思う
これすごい共感したけど、そうでもない人の方が多いんだね。なんだろなセンスの磨き方の話な気がするな。
フリーライドってのが合ってるのか分からないけど、そういうのは練習みたいなもんで、博士課程と言わず大学出る頃には小さくてもいいから独自の視点なり課題なり持てるようになって欲しい。
筆者の意見には賛同するものの、学生のうちはそういう勘違いも含めて失敗するもんだから、それはそれでいいんではと思う。
前提が間違っているのでその後も間違っている文章。コンサルは本人が気付かない課題を指摘してくれる、いくら自分で向き合っても出ない課題を教えてくれるのが利点。社内に分析部署がある大企業ならわかるはず
ロスなしでブイブイいわせてる勝組が目の前にぶら下がっているのを無視できるほど強い心があればそりゃそうかもしらんが、それが難しいから病んだりしがち
これは超共感したんだけどな。結局アプリとかサービスも他人の問題ばかり解決しようとするから、当たり障りのない誰でも思いつくような物ばっかりなんじゃねーの。
確かに、責任ある立場の人が自分の問題意識で物事を語らないのは、ダメだと思う。
自分のオリジナリティのために捻り出された問題意識に社会が付き合わされる。なお、コンサルのそれも「自分」の図体が大きいだけで同じことかもしれない。
“私は他人の問題を解けるほど賢くはありませんが、「この人には問題を共有するに足る」と思われるようでありたい。逆説的ですが、そうなるためには他人ばかり見てたらいけないのではないでしょうか”
フリーライドという単語は「ただ乗り」、つまり本来ならばコストのかかる事柄を対象とした言葉なので、「問題意識にフリーライドする」という一見奇妙な表現を掘り下げて解説してくれると思ったらそうでもなかった
借り物の問題意識ばかりの世間だと思うけどね。他者への共感性なんて薄っぺらで、自分と他人の区別が出来なかったり、正義を勘違いすると革新左派テロリストや9条守るソングでハイになる集団に仲間入りの羽目に
最後に博士課程の話と分かって納得。そもそも問題意識自体、本質は潜在的で言語化されていないケースが多い。現場で打ち解けた際の雑談で、あれ不便とかそれなくて困るという意見が出てくるもの。アンケートは微妙。
その結果、博士号が取れるのかっていうのは現実的な問題だわな
たし蟹と思うがこれを言うとブコメが書けないんである
タイトルからつまらなそうな話だと思ったら、なかなかおもしろい話だった。タイトルで損してる。
リスクのない学生の間に、有識者の問題意識を聞いて、どうやってそれを持つに至るのかを学ぶのは有意義では?教鞭をとるなら、応えた上で、ではあなたは?みたいに返せると訓練になるんでは。
この主張するうえでコンサルへの言及要る?それ以外は同意。
自分のために作る事業は顧客に聞かなくても分かるから割とうまくいくことが多かったけど自分の問題がほぼ解決してしまってからはそういう視点がなくなってしまったなあ
“だけで社会に戻れなくなるほど、社会の懐は狭くないはずです。私はそういうことを大学”
2割すか、厳しいですね。
その点で言うとトランプは自分の問題意識を持ってる。コンサル気取りでいくら正しいことを言ってもああいう手合いには勝てない
博士課程の話なら分かる、そもそも独自の問題意識がないと学位とれんし。一方、世の中の多数の仕事は問題意識を共有する事によって動いてるわけで、それを"フリーライド"みたいな言葉で貶める事には明確に反対。
問題意識にもオリジナリティが求められる時代か。。
学生の聞き方も悪いわな。いまご関心のあることを教えてくださいくらいのスタンスならまあ。そういう質問に答えることは教育の義務か?という内省のプロセスとして読んだ。
自分の「want to」(≒内発的動機、探求心)を見つけた時に、人は自己中になれて、自分の問題を発見できる。社会に出る前の自由な時期にそれを発見し、深めるべきで、社会性なんぞは社会に出てから付ければ良いよね。
東大生の多くがコンサルを目指すことにガッカリしちゃう理由が明文化されていた。本当の問題意識が無いからなんだな
線引きが難しい。社会課題と言われるものなんかは、大体がすでに世の中で課題と言われているものであって、そこに共感して課題感もつのはNGなのか?あくまで0から課題発見しろと言われたら、相当難易度高い。
フリーライドヤということばを使わないでおくれ
俺は他人の問題意識にフリーライドしないのでこの記事は問題だと思わない、皆フリーライドするべき
まあでもそこまで自分を持ってる奴なんて一流大学でも全然いないから、大多数はパクりになるのも止むなしだろ。
同意しかない
“周りの年齢を重ねた大人を見て下さい。今まで何もそんなことをやってこなかったのに、「教育に興味がある」「人材育成に興味がある」「SDGs に興味がある」と言い出す人も多いです。”泣いた
刺さった。自分の問題を扱った時、「それが何の役に立つの?」と言われる恐怖と常に戦わなきゃいけない。それを許してくれる場所であると、認識してくれる人が増えたらいい。
“「マーケットのニーズを理解しよう」というような考え方に疑問があると私が考えているわけではなく、リソースを付けてもらってるのに価値観の差別化もできずに同じことを言ってたらいかんでしょう”
問題意識が小さい人間だと思われるのは恥ずかしいんです→そんなこと思ったことなかったな
おおむね賛同できるけど、苦労せずに生きて生きた人に「自分の問題を見つけろ」なんていっても、問題が無いんだからしょうがないよね。
世の中の8割がた大嫌いで問題意識しかないような俺は射程範囲外? 好きなもんですら何かがおかしいと感じている。とりたてて問題意識がない命なんて信じられない。そんなのまだ意識が生まれてないとしか思えない。
いいこと言っとる
苦労も無く生きてきた学生が問題を発見するのは難しいだろうし、例えばホームレスを助けた事によって貧困に問題意識を持ったとしても、学生自身は家があるのだから他人の問題だ。当事者以外が問題にできないわけか
「あなたのお困りごとは何ですか」という質問は、暗黙裡に「私が解決できる範囲で」と限定しているわけで、相手に甘えているのは確かです。普通は「人種差別に苦しんでいます」といった返答は想定されないですよね。
自分にとっての好き嫌いって大事よね。
自分の問題意識か他人の問題意識の二項対立になりがちなのは本当にそう。ただ、近代社会は個人主義であり、放っておくと自分のやりたいことしか捉えなくなるので学部生時代に他人側に振り切るのも悪くないと思う。
なるほど。ビジネスの場合は、お金儲けが根底にあるけど、大学はそうじゃないしな。薄っぺらいマーケットニーズなんてものではなく、自分が真剣に向き合える何かを見つけられるというのは大事だよな。
自分の問題を見つけるという点であれば例えば、大学受験小論文や英検風大学受験自由英作文で「訊かれているのは作文能力であり内容ではない」と借り物の問題意識をでっち上げる練習ばかりさせるの、あれよくない
要は何をかけるか 大学院の数年を投げ出すならばならば自分の問題でなければ耐えられない
“と言い出す人も多いです。それは世の中に共有された、他人に否定されづらい社会課題だからです。”
無能で無責任で中途半端な人間がどうしてこれほどいるのかと思っていたが、これがベースラインなのか。考えたこともなかった
耳が痛い話だね。私はすでに余生を考えるような年齢になって、自分が何をしたいなんて意識はすっかり薄くなってしまった。
他人の問題意識にフリーライドするのは短期間で結果を出せるからで、まあ実施者からしたらクエスト攻略するみたいなもんよ。だから「過程」も採点基準に組み込まない限り解決しないよ。
「なんか書くなら/語るなら主語を ”私は” にして書け/喋れ」というのは「ネットでどう書こうか」といろいろ試行錯誤したときの結論すね。
"学部生が授業の一環で「あなたのニーズとか今抱えてる問題を教えてくれ」のようなメールを送ってきます" 教員側はこんなの普通に引くのでは。必要なら既に公開してるだろうし。
行き過ぎた自己責任論もあるのかな。目にした問題はそれによって消化されるから外的問題は存在しなくなり、当事者の内的問題へと移される。結果的に視界から問題は消えてしまい、他者への助言だけが残る。
これはいい視点。インターネットは他人の問題意識にフリーライドしすぎる。自分で問題を深堀りすることは自分で物を考えることの第一歩だし、世の中の解像度を深めていくための大事な訓練なのに、手放す人が多すぎる
『他人のニーズを満たす方がお金が儲かる』はまさに仕事であり社会に出てから幾らでも出来る。というか嫌でもやらないといけない。大学が学問の場であるからこそ大学生のうちに『自分の問題意識を持つ』ことの重要さ
博士課程では知識が増えるほどよく分からなくなり、問題意識を探しきれずめちゃめちゃ苦しんだ。その後も研究を続けてようやく生まれた問題意識は自分にとっては結構大事なもので、誰かに簡単に渡したくはない。
「あなたのニーズとか今抱えてる問題を教えてくれ」とか言ってくる人、多分他人のことばかり見てもいないと思う。見てたら聞きに行かなくてもその人が抱えてる課題に気づける。実際ワイの卒論はそうやって作っただよ
自分が周りから浮いてたのは、自分の問題意識でのみドライブしてたからなんだな。みんな、そんなに問題意識や興味を発露するの恥ずかしいもんなんだね。知らんかったわ。
ふわっとしてるのは「自分の興味・関心・問題意識」の範囲だね。そこを限定しないと一般的な話しか出来ない、個人的な話も出来ない。
学問の話ではないが/やらなくてもいいけど、敬意だけは捨てないでほしい。自分の仕事じゃないからと冷笑する人間まで手助けをする義理はない
博士課程の学生に言いたいことなら、最初からそう書けば良いのに。学部生、と書くとわからないじゃないか。(学士ぐらいまでは、他人の問題意識を共有するのは問題ないと考える立場)
人類は一刻も早くメイドロボを実装しなければいけない。これは人類の存亡に関わる大問題だから自由にフリーライドしてくれ
「リソースを付けてもらってるのに価値観の差別化もできずに同じことを言ってたらいかんでしょう」ここも太字を付けたい
Xにも言えて、わざわざ他人の問題意識を拾いに行かなくてええのよね(商売は別として)
問題意識というより価値関数の設定だわね。論文のイントロでも医学工学系は健康と財産という共有済みの価値で語るから楽。サイエンスは大変。
学部生のメールの時点で??となった そんな丸投げみたいな課題ある? 課題探しを丸投げされるん?? 「課題解決」がテーマの総合学習しすぎて、この世代、もうわからんなってるのもある。sdgsやらされすぎ世代
私が博士課程行くの無理だなーと思ったのはこういう「自分の課題」と熱意がないから。だからこそそっちに進む人は凄いなと思うし、大学院はそれを突き詰められる環境であって欲しいなと思う。
知的エリートを育成する上での心構えとしては素晴らしいと思います。とはいえ世の中の99%は他人に問題を与えてもらって生計を立てているわけで、外にどう響くか想像できないのは象牙の塔過ぎるかな。
昔は博士課程というのはこういうものだったが、近年は、修士論文を査読論文にしてM1前半で2本目を出すという計画を立てないと学振がとれないので、悩まずサクサクやることがキャリアにとって合理的なんだよな
情報が整理されて車輪の再発明が起きづらくなったからかも。大抵の問題はネットで検索したら答えが書いてある。
“斜陽(ダサいおさむ)”←……。
博士課程ならこの考え方は賛同できる。修士なら実学があまりに少な過ぎる上、アカデミックにもなり切れてない実情があるから賛同できない。
難しい問題だなあ。途中で言われてるけど、自分自身の問題意識を大事にしてたら社長になるか無職になるかしかないもんなあ。エリート層に向けた話としては確かにそうかもしれない。
問題意識を極私的な方向に先鋭化させるほどに、かえって他者の問題意識にぶっ刺さりがちというパラドックスもあるように思える。極私的な問題意識を社会に広めるのがパイオニアだとも言えるかもしれない。
要約:佐藤可士和になれ
学生に教える立場としては良いこと言ってるようなんだが、ほとんどの人間はそんなに考えて生きてないから誰かの肩に乗るもんだし「象牙の塔の外にはバカしかいない」って、クソコンサルと言い方が似てるんだよなー
フリーライドは「横取り」とか「盗用」みたいな意味合いが強い。筆者に少なからず悪意があるからそういう言葉を選択する。
『学生の間ぐらいは~』も、まさに学生の若さに仮託して「フリーライド」してんじゃないの?とは思っちゃうけどな
子供の夏休みの自由研究とか本当に難しいもの。それを放置してたら、フリーライドする精神が宿るのかも。日頃から言葉や疑問のキャッチボール必要かも。
“他人が求めることを解いてあげるというポジションを取った方が心穏やかに生きられます。自分の凡庸さ、至らなさに向き合わなくても済みますし、自分の価値感を守る必要がないからです”
"その重みをわかっていない人に、その答えが共有されることはありません。"これな。最も重要で厄介な問題は、機密保持契約すら結べない、授業の課題程度の用途で出すことはない。
まさに大学教員的な、ズレを感じる
凡人には難しいことを言いよる。大半の人間は、自分が、何のために生まれて、何をして生きるのかわからないまま終わる
なる。まあ、ちゃんと自分の問題として整理できていればヨシ
しかし、人間の問題とは他者の問題ではないだろうか?…という妄言はさておき、立場と能力が(解決可能性のある)問題を見出すのであって、まだ武器のない学部生と博士課程の話が混ざっているから表題の強さが気になる
プログラム書くのは好きだけど自分が解決したい問題はあまり思い付かないので職業プログラマとして生きてるので耳が痛い。とは言え自分の問題に取り組むと視野が狭くなりがちで第三者目線は有効ではある。
本質を突いている。使い古された言葉だが、いかに自分ごと化できるか、当事者意識があるか。みんながみんな他人事になった今の社会では独裁者が生まれやすい。
全部読んでないがプロデューサーという人でこういう人種がたまにいる。
これは大学教育の中限定の話だと言ってるのだと思う。「ふつう取り立てて持ってない問題意識を自分の中で探る訓練を大学教育中にしましょう、社会に出れば他人の問題で仕事するけど」と読んだ。
“他人が求めることを解いてあげるというポジションを取った方が心穏やかに生きられます。自分の凡庸さ、至らなさに向き合わなくても済みますし、自分の価値感を守る必要がないから”
よくわからないが、大学では自分なりに問題設定する経験を積ませたいが難しいって話なんすかね。そうだとすれば意識の持ち方に加えて教員側のセッティングがどうなのって問うことも重要になってくると思うけども
まあ、SNSやはてブみたいな一億総ツッコミ社会がそれを阻害してる。みんな「責任とらずに他人にツッコミ」したいし「自分の顔と名前出して自己責任で自己主張」はしたくない。
“「この人には問題を共有するに足る」と思われるようでありたい。逆説的ですが、そうなるためには他人ばかり見てたらいけないのではないでしょうか。”
何々すべきという言い回しを自分が嫌いな理由と近い話だ
良記事
“「私はこれに興味がある」「これが問題だと思う」と宣言するのは難しい。勇気がいる。他人に批評されたり、問題意識が小さいと思われる。 他人の問題を解決するポジションの方が心穏やか。他人に説明しやすい”
学部生に対する愚痴みたいな話から始まって最後は博士課程の話に。前の記事から読まないとよくわからんかも
学部生の話かと思ったら博士課程なの?
『「お前の問題を教えてくれ」「あなたのお困りごとは何ですか」など言い方はいろいろありますが、そのような質問は非常に重い質問です。その重みをわかっていない人に、その答えが共有されることはありません』
他人の問題意識にフリーライドするどころか、「顧客が問題がないと思ってるなら問題を掘り起こせ!仕事を創り出すために!それが一流だ!」ってのまであるもんな。そういう奴でも自分の問題は指摘されたくない。
新規性ってそういうものかもね/タイトルがキャッチーだわ
他人が求めることを解いてあげるポジションが心穏やか。自分の凡庸さ、至らなさに向き合わなくても済み、自分の価値感を守る必要がない。とはいえ東大生の半分がコンサルになりたい、と考えてる社会は斜陽/
フリーライドという問題意識に(しかも、自分の都合に合わせ微妙に形を変えて)フリーライドするなよ。このように煽りながら、僕は煽ってないですよ?って顔、コンサルや週刊誌は好むよな。
うちの会社の駄目なとこは…みたいなのも同じ構造だと思う。経営者や上司の問題について安易に愚痴ってる。
ここで語られてないこと:他人の問題を解く以前に「自分の問題を他人に解かせて、解いてもらったとすら思ってない」すっとぼけ型のフリーライダーも社会にいること。90分人を説得できる職種と1分の機会が稀な職種。
学生がデザイン思考の一環で、インサイトではなくニーズを捉えに行くのか。なんか不思議な感じだ。
共感する。タイトルがキャッチーで良い。
そもそも「自分の問題を可視化、言語化するのが難しく、できたとしても自分だけでは解決できない」故にコンサル業が成立するのでそれをフリーライドっていう?っていう
こういうこと言ってくれる人に大学院で出会いたかった。
大事だねぇ。「社会のためになること」、「自分のためになること(利己的な)ことがきちんと区別できるのは大事だと思う。
それ以前に「自分の考えと他人の意見を曖昧に取り扱わない」すらできんのが多くてな/ 「これも批判しろ」の話なんて誰もしてないのに誤読ですっきりする、フリーライドすら成立させられないブコメ……
良い
他者の問題意識に対する解を考える作業を繰り返すことで、独自の問題意識を持つ能力が身に付くと考える。そして最初の段階は既知の解が有るものからはじめるのが適切と考える。
でも東大生になる能力があるような子ほど、義務教育の頃から他人の世話を見させられるのが日本の教育だよね。東大に女子がいないは女子の優等生を世話役で使い潰す所為もあると思う。
とても面白く読んだ。ただ学部生の話で始まったのに博士課程の話で締めているのはどういう意味だろう。博士課程なら自分で考えろに同意だけど、学部生はまぁ勘弁してあげたら?
凄く良い教授なんだろうなぁ。大変そうだけど
この人の好みの部分も混ざってるので、これに乗っかってそうだそうだ!されると大分しんどい物がある。
問題意識を持つ事が難しいことだというのは知らなかった。俺にとっては常に何か疑問があって、それについて考えているのが日常だから。よく「馬鹿な考え休みに似たり」的な嫌味を親に言われて育った。
枝葉の部分になるし、本題とは違うのだが、どうもコンサルタントの解像度が低いのが気になる。日本のコンサルタントの大半は、PM。SEやPGの仕事の進捗を監視し、偽装派遣社員の投入数を増やすための、営業職よ?
刺さる
自分の問いを追い求める旅路では、自分の問いに対する答えにはなかなか辿り着かず求不得苦を経験し、副産物として知識やスキルを得る。
各自、解決される「問題」側にならないように頑張ってください。
“今まで何もそんなことをやってこなかったのに、「教育に興味がある」「人材育成に興味がある」「SDGs に興味がある」と言い出す人も多いです。それは世の中に共有された、他人に否定されづらい社会課題だからです。
他人の問題意識にフリーライドしない|66mh
"「この人には問題を共有するに足る」と思われるようでありたい + そうなるためには他人ばかり見てたらいけない / 博士課程: 「自分の問題を見つけて、それに取り組む」というのにふさわしい時期"
”「私はこれに興味がある」「これが問題だと思う」と宣言するのはとても難しいことです。自分の問題意識に向き合って、それを口に出すのって恥ずかしいし勇気がいること”
"私は拙くても自分の言葉で自分の興味・関心・問題意識を述べる人と仕事がしたい" 私は仕事相手を選べる立場にはないけど、好きなのは、自分の言葉と問題意識を持ってる人だ。でもそれを身に付けるのが難しいんだろね
同じ考え。
“他人の問題・問題意識にフリーライド”こういう事する奴は例外なく敵だと思ってる。怒りも、抱えてる困難も、敵も、悲しみも、本人のもので、無関係なクラスタの困る権利や怒る権利をフリーライドしてはいけない
自分探し教はいつぐらいからか自分の問い探し教になってったね。自分は自分の問いを持って生きてるがそれが良きことだとは全く思えんのでこの手の改宗説法がわからない。人のニーズで博士号が取れるって最高じゃん
自分の問題意識と深く向き合って考察したことが無い人が他人の問題なら解けるなんてことは無いよね。時間がある内にその経験を積んでおくのは大事だと思う。
コンサル叩きもAI叩きもこの手の大学教員ってみな同じようなこと言ってるのになぜか独自性あるように持ち出してくるの、よほど何も見てないんだろう
そういう体験せずに育った人間にはどうしていいかわかんないのよ。自分の問題意識を意識させるだけでも大変。
ソフトウェアエンジニアベースの何でも屋だがこれは本当にそうで、何のためにお客さんと近しくて信頼できるポジションを取りに行くのかという話ではある。とはいえこれは営業の仕事という人もいそうではある
「⚪︎⚪︎(何らかの問題意識を持って活動している人)はこれも批判しろ」みたいな言説を見ると非常に腹が立つのはこれか! 他人の問題意識にフリーライドしてるからか! ずっと抱えていた疑問が解消した!
タイトルが面白そうだったんだけど、ふわっとした校長先生の話みたいな内容だった...
自己中心になろうってのは同意できないまでも、言わんとすることはとても理解できる。意思や意見を持たないで相乗りするのは楽だよな。相容れないことを恐れすぎるのは辛い。
自分の中の問題意識。それを考え込むの大事
“いずれ多くの人は社会で誰かのために仕事をするのだから、大学のトレーニングはそれとは違う価値観を提供したらいいし、そうしなければいけない”
まぁ俺に1億円くれればいいと思うよ
学生のお前らいつまでもクレクレ厨やってるんじゃねーよ。問題ぐらい自分で探してこい!そんな他人のフンドシ野郎に限って、偉らそーにウンチク語るんだよ。って事が言いたいんですね。少しお下劣でしたね。
ダサいおさむかぁ。 よっしゃスキなテーマやろーっと
「とりたてていうほどの問題意識は持ち合わせていない」のがふつう。ありもしない問題意識を無理やり持たせようとすれば、借り物になるのは必然。そこでフリーライド禁止といって逃げ道をふさぐのは理不尽だ。
つまり自分の問題に向き合っていない人間は他人の問題に首を突っ込む資格はないと
“それは世の中に共有された、他人に否定されづらい社会課題だからです。” / 記事に乗っかってブコメで批判している自分がまさにこれ
タイトルがとてもいい。
これでふわっとした話に思える人は、この記事の射程に入っている人だね
「(前略)、と考えてる社会は斜陽(ダサいおさむ)です。」…不覚にも「ふふっ」ってなった。
なんとなく、博士課程の学生ぐらいに向けた言葉のように感じるので、大多数の人にはよく分からずぽかーんとなってしまうかもね。
いい文章だと思った。自分の興味という軸がなければ、何かを深掘りできない。自分軸がなければ「流行ってるらしいから」「ウケが良さそうだから」みたいな軽佻浮薄な選び方になってしまうから。
タイトルが悪い。いったい何をすべきかが主題なのだからそれを書いた方が分かりやすい。
むずかしいお言葉にゃ… ボクにゃよく分からんけど、自分の好きなことしたらいいにゃ! 先生、もっと優しくしてにゃ〜♡
なるほど、特に実績もなく中身もよく分かってないくせに大言壮語的に自身の興味を話す人が、地道で現実的な問題に興味を持つ人を見下すのは、さも問題意識の大小で偉さが決まるかのように考えてるからか。くだらねー
本当に解くに値する問題を定義するほうが解くより何倍も難しい
ペルソナに30代女性というような属性を設定するな、何故ならそのような個人は存在しないから、と似たようなものに感じた。特定の、解決しないといけない困りごとを発見しないといけない
この手のズルしたい願望を「フリーライド」と断罪する教員よりは、巧妙に「自分ごと」として組み替えてお返ししてくれる教員のほうが今の世は評価の対象になると思う。現実はこんな生徒は無視されて終わるんだろうが
「自分の問題意識」が社会のなかでどうあるかどんな形を取り得るかということに触れてあらためて「自分の問題意識」と出会い直したみたいな話はすごくたくさんあり「目の前のことをやる」と「全部やる」両方の一生。
大学生なら「とりたてていうほどの問題意識は持ち合わせていない」のはマズいんでは?なんの興味もない分野の勉強をしてるわけじゃないんだから。自分自身の興味なり問題意識なり掘り下げることはできると思うけど。
世の中にはそんなに独自の問題意識があるわけでもなく。自分の問題見つけて取り組むより、いかに自分の問題にするかの当事者意識植えたほうがええんちゃうか。というあたりでわかり会えない世界の人に思えるw
今どきは最低限度の学生生活までの問題なんて先代で解決されまくってて、初めて行う「問題探し」に周りの大人を尋ねてみるという不器用なアプローチもするだろう。それをフリーライドを揶揄するのはどうなのか。
PBLとかおそらく米国MBAスゴイと思い込んだ人々が押し付けてくる教育に閉口している。なんの専門性も持たない奴が一体なんのコンサルするんだよ。バカじゃないの。
自分が今何を感じ何を思い何を考えるのか、そりゃやった方がいい。他人から求められることばかりやってきた結果、自分が本当は何をやりたいのかわからない大人で溢れてるのだから。大人も余白つくってやるべし。
大学受験まで与えられた問題を解く訓練しか受けていないのにいきなり「問題設定をしろ」と言われても無理でしょ。問題設定自体が1つの技術なのでちゃんと教育課程化した方がいい。
他人の問題を解決するだけでなく、自分で問題を考え出す力持とうね。フリーライドって言葉をあえて選んでる意味が分からん。フリーライドって言葉を使う方が問題だと思う
これすごい共感したけど、そうでもない人の方が多いんだね。なんだろなセンスの磨き方の話な気がするな。
フリーライドってのが合ってるのか分からないけど、そういうのは練習みたいなもんで、博士課程と言わず大学出る頃には小さくてもいいから独自の視点なり課題なり持てるようになって欲しい。
筆者の意見には賛同するものの、学生のうちはそういう勘違いも含めて失敗するもんだから、それはそれでいいんではと思う。
前提が間違っているのでその後も間違っている文章。コンサルは本人が気付かない課題を指摘してくれる、いくら自分で向き合っても出ない課題を教えてくれるのが利点。社内に分析部署がある大企業ならわかるはず
ロスなしでブイブイいわせてる勝組が目の前にぶら下がっているのを無視できるほど強い心があればそりゃそうかもしらんが、それが難しいから病んだりしがち
これは超共感したんだけどな。結局アプリとかサービスも他人の問題ばかり解決しようとするから、当たり障りのない誰でも思いつくような物ばっかりなんじゃねーの。
確かに、責任ある立場の人が自分の問題意識で物事を語らないのは、ダメだと思う。
自分のオリジナリティのために捻り出された問題意識に社会が付き合わされる。なお、コンサルのそれも「自分」の図体が大きいだけで同じことかもしれない。
“私は他人の問題を解けるほど賢くはありませんが、「この人には問題を共有するに足る」と思われるようでありたい。逆説的ですが、そうなるためには他人ばかり見てたらいけないのではないでしょうか”
フリーライドという単語は「ただ乗り」、つまり本来ならばコストのかかる事柄を対象とした言葉なので、「問題意識にフリーライドする」という一見奇妙な表現を掘り下げて解説してくれると思ったらそうでもなかった
借り物の問題意識ばかりの世間だと思うけどね。他者への共感性なんて薄っぺらで、自分と他人の区別が出来なかったり、正義を勘違いすると革新左派テロリストや9条守るソングでハイになる集団に仲間入りの羽目に
最後に博士課程の話と分かって納得。そもそも問題意識自体、本質は潜在的で言語化されていないケースが多い。現場で打ち解けた際の雑談で、あれ不便とかそれなくて困るという意見が出てくるもの。アンケートは微妙。
その結果、博士号が取れるのかっていうのは現実的な問題だわな
たし蟹と思うがこれを言うとブコメが書けないんである
タイトルからつまらなそうな話だと思ったら、なかなかおもしろい話だった。タイトルで損してる。
リスクのない学生の間に、有識者の問題意識を聞いて、どうやってそれを持つに至るのかを学ぶのは有意義では?教鞭をとるなら、応えた上で、ではあなたは?みたいに返せると訓練になるんでは。
この主張するうえでコンサルへの言及要る?それ以外は同意。
自分のために作る事業は顧客に聞かなくても分かるから割とうまくいくことが多かったけど自分の問題がほぼ解決してしまってからはそういう視点がなくなってしまったなあ
“だけで社会に戻れなくなるほど、社会の懐は狭くないはずです。私はそういうことを大学”
2割すか、厳しいですね。
その点で言うとトランプは自分の問題意識を持ってる。コンサル気取りでいくら正しいことを言ってもああいう手合いには勝てない
博士課程の話なら分かる、そもそも独自の問題意識がないと学位とれんし。一方、世の中の多数の仕事は問題意識を共有する事によって動いてるわけで、それを"フリーライド"みたいな言葉で貶める事には明確に反対。
問題意識にもオリジナリティが求められる時代か。。
学生の聞き方も悪いわな。いまご関心のあることを教えてくださいくらいのスタンスならまあ。そういう質問に答えることは教育の義務か?という内省のプロセスとして読んだ。
自分の「want to」(≒内発的動機、探求心)を見つけた時に、人は自己中になれて、自分の問題を発見できる。社会に出る前の自由な時期にそれを発見し、深めるべきで、社会性なんぞは社会に出てから付ければ良いよね。
東大生の多くがコンサルを目指すことにガッカリしちゃう理由が明文化されていた。本当の問題意識が無いからなんだな
線引きが難しい。社会課題と言われるものなんかは、大体がすでに世の中で課題と言われているものであって、そこに共感して課題感もつのはNGなのか?あくまで0から課題発見しろと言われたら、相当難易度高い。
フリーライドヤということばを使わないでおくれ
俺は他人の問題意識にフリーライドしないのでこの記事は問題だと思わない、皆フリーライドするべき
まあでもそこまで自分を持ってる奴なんて一流大学でも全然いないから、大多数はパクりになるのも止むなしだろ。
同意しかない
“周りの年齢を重ねた大人を見て下さい。今まで何もそんなことをやってこなかったのに、「教育に興味がある」「人材育成に興味がある」「SDGs に興味がある」と言い出す人も多いです。”泣いた
刺さった。自分の問題を扱った時、「それが何の役に立つの?」と言われる恐怖と常に戦わなきゃいけない。それを許してくれる場所であると、認識してくれる人が増えたらいい。
“「マーケットのニーズを理解しよう」というような考え方に疑問があると私が考えているわけではなく、リソースを付けてもらってるのに価値観の差別化もできずに同じことを言ってたらいかんでしょう”
問題意識が小さい人間だと思われるのは恥ずかしいんです→そんなこと思ったことなかったな
おおむね賛同できるけど、苦労せずに生きて生きた人に「自分の問題を見つけろ」なんていっても、問題が無いんだからしょうがないよね。
世の中の8割がた大嫌いで問題意識しかないような俺は射程範囲外? 好きなもんですら何かがおかしいと感じている。とりたてて問題意識がない命なんて信じられない。そんなのまだ意識が生まれてないとしか思えない。
いいこと言っとる
苦労も無く生きてきた学生が問題を発見するのは難しいだろうし、例えばホームレスを助けた事によって貧困に問題意識を持ったとしても、学生自身は家があるのだから他人の問題だ。当事者以外が問題にできないわけか
「あなたのお困りごとは何ですか」という質問は、暗黙裡に「私が解決できる範囲で」と限定しているわけで、相手に甘えているのは確かです。普通は「人種差別に苦しんでいます」といった返答は想定されないですよね。
自分にとっての好き嫌いって大事よね。
自分の問題意識か他人の問題意識の二項対立になりがちなのは本当にそう。ただ、近代社会は個人主義であり、放っておくと自分のやりたいことしか捉えなくなるので学部生時代に他人側に振り切るのも悪くないと思う。
なるほど。ビジネスの場合は、お金儲けが根底にあるけど、大学はそうじゃないしな。薄っぺらいマーケットニーズなんてものではなく、自分が真剣に向き合える何かを見つけられるというのは大事だよな。
自分の問題を見つけるという点であれば例えば、大学受験小論文や英検風大学受験自由英作文で「訊かれているのは作文能力であり内容ではない」と借り物の問題意識をでっち上げる練習ばかりさせるの、あれよくない
要は何をかけるか 大学院の数年を投げ出すならばならば自分の問題でなければ耐えられない
“と言い出す人も多いです。それは世の中に共有された、他人に否定されづらい社会課題だからです。”
無能で無責任で中途半端な人間がどうしてこれほどいるのかと思っていたが、これがベースラインなのか。考えたこともなかった
耳が痛い話だね。私はすでに余生を考えるような年齢になって、自分が何をしたいなんて意識はすっかり薄くなってしまった。
他人の問題意識にフリーライドするのは短期間で結果を出せるからで、まあ実施者からしたらクエスト攻略するみたいなもんよ。だから「過程」も採点基準に組み込まない限り解決しないよ。
「なんか書くなら/語るなら主語を ”私は” にして書け/喋れ」というのは「ネットでどう書こうか」といろいろ試行錯誤したときの結論すね。
"学部生が授業の一環で「あなたのニーズとか今抱えてる問題を教えてくれ」のようなメールを送ってきます" 教員側はこんなの普通に引くのでは。必要なら既に公開してるだろうし。
行き過ぎた自己責任論もあるのかな。目にした問題はそれによって消化されるから外的問題は存在しなくなり、当事者の内的問題へと移される。結果的に視界から問題は消えてしまい、他者への助言だけが残る。
これはいい視点。インターネットは他人の問題意識にフリーライドしすぎる。自分で問題を深堀りすることは自分で物を考えることの第一歩だし、世の中の解像度を深めていくための大事な訓練なのに、手放す人が多すぎる
『他人のニーズを満たす方がお金が儲かる』はまさに仕事であり社会に出てから幾らでも出来る。というか嫌でもやらないといけない。大学が学問の場であるからこそ大学生のうちに『自分の問題意識を持つ』ことの重要さ
博士課程では知識が増えるほどよく分からなくなり、問題意識を探しきれずめちゃめちゃ苦しんだ。その後も研究を続けてようやく生まれた問題意識は自分にとっては結構大事なもので、誰かに簡単に渡したくはない。
「あなたのニーズとか今抱えてる問題を教えてくれ」とか言ってくる人、多分他人のことばかり見てもいないと思う。見てたら聞きに行かなくてもその人が抱えてる課題に気づける。実際ワイの卒論はそうやって作っただよ
自分が周りから浮いてたのは、自分の問題意識でのみドライブしてたからなんだな。みんな、そんなに問題意識や興味を発露するの恥ずかしいもんなんだね。知らんかったわ。
ふわっとしてるのは「自分の興味・関心・問題意識」の範囲だね。そこを限定しないと一般的な話しか出来ない、個人的な話も出来ない。
学問の話ではないが/やらなくてもいいけど、敬意だけは捨てないでほしい。自分の仕事じゃないからと冷笑する人間まで手助けをする義理はない
博士課程の学生に言いたいことなら、最初からそう書けば良いのに。学部生、と書くとわからないじゃないか。(学士ぐらいまでは、他人の問題意識を共有するのは問題ないと考える立場)
人類は一刻も早くメイドロボを実装しなければいけない。これは人類の存亡に関わる大問題だから自由にフリーライドしてくれ
「リソースを付けてもらってるのに価値観の差別化もできずに同じことを言ってたらいかんでしょう」ここも太字を付けたい
Xにも言えて、わざわざ他人の問題意識を拾いに行かなくてええのよね(商売は別として)
問題意識というより価値関数の設定だわね。論文のイントロでも医学工学系は健康と財産という共有済みの価値で語るから楽。サイエンスは大変。
学部生のメールの時点で??となった そんな丸投げみたいな課題ある? 課題探しを丸投げされるん?? 「課題解決」がテーマの総合学習しすぎて、この世代、もうわからんなってるのもある。sdgsやらされすぎ世代
私が博士課程行くの無理だなーと思ったのはこういう「自分の課題」と熱意がないから。だからこそそっちに進む人は凄いなと思うし、大学院はそれを突き詰められる環境であって欲しいなと思う。
知的エリートを育成する上での心構えとしては素晴らしいと思います。とはいえ世の中の99%は他人に問題を与えてもらって生計を立てているわけで、外にどう響くか想像できないのは象牙の塔過ぎるかな。
昔は博士課程というのはこういうものだったが、近年は、修士論文を査読論文にしてM1前半で2本目を出すという計画を立てないと学振がとれないので、悩まずサクサクやることがキャリアにとって合理的なんだよな
情報が整理されて車輪の再発明が起きづらくなったからかも。大抵の問題はネットで検索したら答えが書いてある。
“斜陽(ダサいおさむ)”←……。
博士課程ならこの考え方は賛同できる。修士なら実学があまりに少な過ぎる上、アカデミックにもなり切れてない実情があるから賛同できない。
難しい問題だなあ。途中で言われてるけど、自分自身の問題意識を大事にしてたら社長になるか無職になるかしかないもんなあ。エリート層に向けた話としては確かにそうかもしれない。
問題意識を極私的な方向に先鋭化させるほどに、かえって他者の問題意識にぶっ刺さりがちというパラドックスもあるように思える。極私的な問題意識を社会に広めるのがパイオニアだとも言えるかもしれない。
要約:佐藤可士和になれ
学生に教える立場としては良いこと言ってるようなんだが、ほとんどの人間はそんなに考えて生きてないから誰かの肩に乗るもんだし「象牙の塔の外にはバカしかいない」って、クソコンサルと言い方が似てるんだよなー
フリーライドは「横取り」とか「盗用」みたいな意味合いが強い。筆者に少なからず悪意があるからそういう言葉を選択する。
『学生の間ぐらいは~』も、まさに学生の若さに仮託して「フリーライド」してんじゃないの?とは思っちゃうけどな
子供の夏休みの自由研究とか本当に難しいもの。それを放置してたら、フリーライドする精神が宿るのかも。日頃から言葉や疑問のキャッチボール必要かも。
“他人が求めることを解いてあげるというポジションを取った方が心穏やかに生きられます。自分の凡庸さ、至らなさに向き合わなくても済みますし、自分の価値感を守る必要がないからです”
"その重みをわかっていない人に、その答えが共有されることはありません。"これな。最も重要で厄介な問題は、機密保持契約すら結べない、授業の課題程度の用途で出すことはない。
まさに大学教員的な、ズレを感じる
凡人には難しいことを言いよる。大半の人間は、自分が、何のために生まれて、何をして生きるのかわからないまま終わる
なる。まあ、ちゃんと自分の問題として整理できていればヨシ
しかし、人間の問題とは他者の問題ではないだろうか?…という妄言はさておき、立場と能力が(解決可能性のある)問題を見出すのであって、まだ武器のない学部生と博士課程の話が混ざっているから表題の強さが気になる
プログラム書くのは好きだけど自分が解決したい問題はあまり思い付かないので職業プログラマとして生きてるので耳が痛い。とは言え自分の問題に取り組むと視野が狭くなりがちで第三者目線は有効ではある。
本質を突いている。使い古された言葉だが、いかに自分ごと化できるか、当事者意識があるか。みんながみんな他人事になった今の社会では独裁者が生まれやすい。
全部読んでないがプロデューサーという人でこういう人種がたまにいる。
これは大学教育の中限定の話だと言ってるのだと思う。「ふつう取り立てて持ってない問題意識を自分の中で探る訓練を大学教育中にしましょう、社会に出れば他人の問題で仕事するけど」と読んだ。
“他人が求めることを解いてあげるというポジションを取った方が心穏やかに生きられます。自分の凡庸さ、至らなさに向き合わなくても済みますし、自分の価値感を守る必要がないから”
よくわからないが、大学では自分なりに問題設定する経験を積ませたいが難しいって話なんすかね。そうだとすれば意識の持ち方に加えて教員側のセッティングがどうなのって問うことも重要になってくると思うけども
まあ、SNSやはてブみたいな一億総ツッコミ社会がそれを阻害してる。みんな「責任とらずに他人にツッコミ」したいし「自分の顔と名前出して自己責任で自己主張」はしたくない。
“「この人には問題を共有するに足る」と思われるようでありたい。逆説的ですが、そうなるためには他人ばかり見てたらいけないのではないでしょうか。”
何々すべきという言い回しを自分が嫌いな理由と近い話だ
良記事
“「私はこれに興味がある」「これが問題だと思う」と宣言するのは難しい。勇気がいる。他人に批評されたり、問題意識が小さいと思われる。 他人の問題を解決するポジションの方が心穏やか。他人に説明しやすい”
学部生に対する愚痴みたいな話から始まって最後は博士課程の話に。前の記事から読まないとよくわからんかも
学部生の話かと思ったら博士課程なの?
『「お前の問題を教えてくれ」「あなたのお困りごとは何ですか」など言い方はいろいろありますが、そのような質問は非常に重い質問です。その重みをわかっていない人に、その答えが共有されることはありません』
他人の問題意識にフリーライドするどころか、「顧客が問題がないと思ってるなら問題を掘り起こせ!仕事を創り出すために!それが一流だ!」ってのまであるもんな。そういう奴でも自分の問題は指摘されたくない。
新規性ってそういうものかもね/タイトルがキャッチーだわ
他人が求めることを解いてあげるポジションが心穏やか。自分の凡庸さ、至らなさに向き合わなくても済み、自分の価値感を守る必要がない。とはいえ東大生の半分がコンサルになりたい、と考えてる社会は斜陽/
フリーライドという問題意識に(しかも、自分の都合に合わせ微妙に形を変えて)フリーライドするなよ。このように煽りながら、僕は煽ってないですよ?って顔、コンサルや週刊誌は好むよな。
うちの会社の駄目なとこは…みたいなのも同じ構造だと思う。経営者や上司の問題について安易に愚痴ってる。
ここで語られてないこと:他人の問題を解く以前に「自分の問題を他人に解かせて、解いてもらったとすら思ってない」すっとぼけ型のフリーライダーも社会にいること。90分人を説得できる職種と1分の機会が稀な職種。
学生がデザイン思考の一環で、インサイトではなくニーズを捉えに行くのか。なんか不思議な感じだ。
共感する。タイトルがキャッチーで良い。
そもそも「自分の問題を可視化、言語化するのが難しく、できたとしても自分だけでは解決できない」故にコンサル業が成立するのでそれをフリーライドっていう?っていう
こういうこと言ってくれる人に大学院で出会いたかった。
大事だねぇ。「社会のためになること」、「自分のためになること(利己的な)ことがきちんと区別できるのは大事だと思う。
それ以前に「自分の考えと他人の意見を曖昧に取り扱わない」すらできんのが多くてな/ 「これも批判しろ」の話なんて誰もしてないのに誤読ですっきりする、フリーライドすら成立させられないブコメ……
良い
他者の問題意識に対する解を考える作業を繰り返すことで、独自の問題意識を持つ能力が身に付くと考える。そして最初の段階は既知の解が有るものからはじめるのが適切と考える。
でも東大生になる能力があるような子ほど、義務教育の頃から他人の世話を見させられるのが日本の教育だよね。東大に女子がいないは女子の優等生を世話役で使い潰す所為もあると思う。
とても面白く読んだ。ただ学部生の話で始まったのに博士課程の話で締めているのはどういう意味だろう。博士課程なら自分で考えろに同意だけど、学部生はまぁ勘弁してあげたら?
凄く良い教授なんだろうなぁ。大変そうだけど
この人の好みの部分も混ざってるので、これに乗っかってそうだそうだ!されると大分しんどい物がある。
問題意識を持つ事が難しいことだというのは知らなかった。俺にとっては常に何か疑問があって、それについて考えているのが日常だから。よく「馬鹿な考え休みに似たり」的な嫌味を親に言われて育った。
枝葉の部分になるし、本題とは違うのだが、どうもコンサルタントの解像度が低いのが気になる。日本のコンサルタントの大半は、PM。SEやPGの仕事の進捗を監視し、偽装派遣社員の投入数を増やすための、営業職よ?
刺さる
自分の問いを追い求める旅路では、自分の問いに対する答えにはなかなか辿り着かず求不得苦を経験し、副産物として知識やスキルを得る。
各自、解決される「問題」側にならないように頑張ってください。
“今まで何もそんなことをやってこなかったのに、「教育に興味がある」「人材育成に興味がある」「SDGs に興味がある」と言い出す人も多いです。それは世の中に共有された、他人に否定されづらい社会課題だからです。