それが純文学としてオトナの教養であることの必須要素だと思われてるから
読んだことない人は多分ネッチョリ合体しまくるどすけべどエロ小説だと思ってるんだろうけど違うんだ。なんか知らんけどいつのまにか流れるようにベッドインしているんだ。突然女優が歌い出すミュージカルみたいに。
18禁のビジュアルノベルも村上春樹みたいな感じがしてきた / 村上龍が『1970年代に転生して優しい軍王の妻になる』書いたら読みたい 軍王から溢れ出る暴力感
性行為だけじゃなく、眠くて疲れてて痛みを抱えてたりするんだが、そこは話題にならない。色んな欲望や瞋恚を物語に落とし込んでいるが性しか見ない
風呂に入るのと同じような日常の必然、という感覚。もうちょっとなんかあるやろ、とは思う。
まーたチン騎士かよ
適当な印象じゃなくて、具体的に記述をあげるべき。ノルウェーの森しか読んでなさそう
id:lavandin "なんか知らんけどいつのまにか流れるようにベッドインしているんだ"/それなんてエロゲ
人との関係性から世界を観察するのは少女漫画と同じ構造だな、とも思う
文学系の小説家って性的描写多い人ばかりなのに、何で村上春樹ばっかりセックスセックスキモいキモいって言われるのかはちょっと不思議。非モテ感あるから?
ノルウェイの森は苦手で読んでないけど、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドみたいな不思議な世界観のやつはそっちの不思議さにフォーカスしてるので、世間で性的なところ苦手がられてるのがピンとこない
村上春樹の小説に違和感を覚えるのは「その違和感こそが『小説』の要なのです。『違和感』が重要なのです。それが人間の特異点な訳ですから」という話。類型的なものから外れていき、個々の特異点を見出すのが小説。
村上春樹はファンタジー作家だから。
文芸作品に「キモい」は批評にもなんにもならないよ。だって文芸って人間そのものを描くものだもん。そんなのキモいに決まってんじゃん。綺麗なものだけ見たかったらエンタメから出てこない方がいいよ。
“キモい=悪、刑罰を受けるべき悪事という意味で読むか、 キモい=生理的嫌悪感を、激辛激甘、強すぎる酒精、臭いチーズみたいに嗜好品の評価というだけの意味として読むかであれがあれ。 文学としては、キモい感情
軽井沢シンドロームでセックスばっかしてるのびっくりした
突然のベッド。違和感あるから、感想にでてきやすい。
ノルウェイの森のイメージから離れてくださいと言いたいけど。村上春樹さんはファンタジー作家だから。
村上春樹はネッチョリ合体しまくるポルノ小説というよりエロシーンはおまけみたいな萌えエロゲが近いと思います。
男兄弟の末っ子か独りっ子で子無しの人の目線て感じ。庇護や保護対象が皆無で、全てが最終的に性的に繋がれるかのみ。生と死や性と死ではなく性から性。というのが苦手で4作読んで1作しか読了出来てない。
なぜそれが駄目なのかが批評という営みの核心なのに、そこをキモいという安っぽい表現で逃げたら台無しじゃない。/まとめ内のミソジニーという語の使われ方も大分怪しい。都合良く差別の範囲を拡大してませんか?
かつて大御所や文壇から嫌われた変わり種の若手小説家も、今の若者からすると、なんというか、なんだろう?村上春樹作品は時代を象徴するタイプの小説なのだろうとは思う。
往年の文芸批評じゃ1970年代に村上春樹が出てきた当時は、(政治的な)大きな物語の解体→ミクロな個人間の関係への着目→結局男女の話ばかり、みたいなことが難解に高尚そうに言われたが、そんなもん今じゃ通じねえ
キモい、けど嫌いじゃない。なにかがすごい。それが村上春樹だと思っている(あとエッセイが上手い)
デビュー作の有名な一節が「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ」であることは村上春樹好きとして付言しておきたい
それが他の文学作品と違って話題になってしまうというのは、やっぱり浮いてたり違和感があったりしてるんだろうなと
村上は団塊の世代の妄想を藤原伊織みたいに直接垂れ流す代わりに薄っすらとナルシスティックなファンタジーに料理して出してくるので、それを心地良いとか見事と取るかやっぱりキモいと思うかって所なのだろうと。
キモいからなんなの?
完璧なキモいなどといったものは存在しない、完璧なブコメが存在しないようにね。
ハードボイルドなので、、
読んだことないけど、村上春樹好きな人たちと話し合わないから読まなくてもいいと思ってる。Not for me だけどもノーベル賞候補と言われるんだからすごい作家なんだろう。頑張れ!
村上春樹の紀行文は飄々とした書きぶりでなんかつい読んでしまう
一般小説の皮を被った官能小説だからね。視聴率の悪いドラマがテコ入れで必要性の薄い濡れ場を入れ込むのと同じ。
街壁も結局しっかりキモかったもんな
芸人だったら一回くらい面白いこと言ってほしい
はなくその一歩手前って何だよって思ったら違った
全然関係ないけど本好き界隈の人たち?ってやっぱ言語化能力高いし表現が美しいんだなと思いました。
うちらが親世代の渡辺淳一フィーバーを冷ややかに見てたような感じで下の世代が見ているのかもしれんな
初期、前期の頃の作品、複数読んだが、見事に何も残ってない。ムダ。女の子を間違って逆方向の電車にのせてしまう作品が最悪。こんなどうでもいい意味づけする生き方だけは自分はしまい、と思うたな
トランプとイーロンマスクのevilさが際立つ今、APIコスってイーロンに送金するtogetterは、無邪気に使える存在ではなくなったと思う。中の人には気の毒だけど。Xユーザーやtogetterに星つける行為も、今や無罪とは言い難い。
ノルウェイの森だけじゃ悪いかなと思って多崎つくるも読んだけど、感想は変わらなかった。イメージビデオをオカズにしてる奴がキモいのに近い
村上春樹は文体が苦手で読めない。アンダーグラウンドは読めた。これは面白かった。おすすめです。是非。そろそろ、また読もうかな。
性描写に固執し、女性像は単なる欲望の対象でしかない。そんな村上春樹の小説に、深遠な何かを見出せるはずがないのだ。
村上春樹の小説で性行為が多いと思ったことがないな。日常から性と死と切り離して生きている人(今の時代のマジョリティ)には違和感を感じてしまうということなんだろう。
唯一ノルウェイの森だけ読んだことがあるけど、最初から最後まで受け付けなくて、こんなにつまらなくて苦痛を感じる小説ってあるんだと思ったぐらい自分には合わなかった。他の村上春樹作品はそんなことないのかね?
普段隠すべきと捉えているものを面前に突きつけられることに対する不快感なのだと思っている。人によって読書に求めているものが異なる。
この数年ぐらいで村上春樹が保守的で古臭いものとして言及されることが急速に増えてきたように思う。
別にキモくても最悪良いけど、本筋が死ぬほどつまらないからどうしようもない
村上春樹と弘兼憲史はその女性感・性的モラルがインテリ、大衆別け隔てなくたびたび批評の対象となるところに「やはり国民的作家なのだな」と感じさせてくれる
そして僕はその女の子と寝た。・・・こういうところ、なんか不快なんだよな。
村上春樹だけはどんなに「これはいいよ、これなら読めるはず」と薦められてもキモくて読めない。女性を性的に見ているというよりも、女性に性的に見られる僕、という自意識がどうにも背筋がぞわぞわして読めない。
ノルウェイの森は未読だが3本以上は読んでいる。気障ったらしい文体は鼻につくが性行為に力点を置いている印象はない。ストーリーテラーでイライラしつつも最後まで引っ張られるが最終的にだからどうした?となる
最近は文芸好きでも精神分析学とか嗜む人が少なくなり性描写を読み解く技術が失われつつある
外へ出て草に触れましょう。それが幸せへの第一歩。
メディアが「村上春樹」を持て囃しすぎて作家と作品を不可分にしてる。アイドル新譜のたびに「秋元康の最新作!」って写真付きで貼られるみたいな。それも売り方だし読み方なんだけど、私が求める楽しみ方とは違う。
その流れに共感できなかったんだが、ねじまき鳥が面白かったのでそれ以来、この人何がしたいんだろうと読んでいる。なんかなんとなく見えているが、まだ、模索中なんだろうな。
時々納屋を焼くんです
”同世代の男性作家の小説に比べて全体的なミソジニー感は薄め”←あーわかる。しかしなんとなくひねくれた感想になるのはなんでなんだろうな。村上春樹を素直に褒めてる人ってあまりいないような
多分合わないだろうなと思って読んでないけど語学研修中に村上春樹好きなロシア人に聞かれてかなり困った覚えがある。海外にもファンはいるんだなと思った。
そもそも時代が変わって性的なものや性行為自体にリアリティや実存性がなくなっている。今は単にポルノや倫理、あるいは嗜好の問題としか見えないのだろうけど、昔は人間性や存在性の問題として見られていたんだよ。
昭和くらいの小説では男女が出会ったらその日にベッドインして翌朝普通に分かれる行きずりがよくあるイメージ
浅い。こういう感想にはそれで十分
ある時期以降全く読んでないけど、セックスよりスパゲッティ茹でてる印象の方が強い。後、酒飲んでる。
こんだけキモいとか受け付けないとか言われても作家としての評価は全然揺るがない/性描写が重要な作家ではあるので、苦手な人は仕方ない/そういえばこういう「キモい」は「性嫌悪」とは呼ばれないんだな
性と暴力がこっちの世界とあっちの世界をつなげるのが、村上春樹がよく書いてるものやで。
小説家が気持ちのいいことだけを提供するようになったら文学の終わりだよ
普通-岡村靖幸=村上春樹
ありとあらゆる作品にキモいはあるんだけど、自分が好きな作品からは感じられない。もしくは感じても好きなら肯定する。作品て人そのもの
カジュアルに読まれている(純文学系あまり読まない人も読む)からか、あと軽いイメージあるからそこだけ違和感あるのかな?
「味でもある」て言い方好き
村上春樹は何度か我慢して挑戦したけど、文体が合わないし読後感が虚無なのでもう読まない。みなさんの糞コメントを読むほうが刺激的で楽しいし気づきも多い。あ、でも村上春樹ジェネレータは好きかも
わざわざ、読んだことないとか読まないとか謎のエクスキューズが一定数でてくるのが面白い。
精神科医が牧歌的と評してたな。あの世界はピクニックしたついでにセックスするから……
根源的には女性を性的に捉えてしまう側面性はあるだろう。表出はしないんだけど、男性でチンポがたつ体なら、相手が既婚者でも、自分が既婚者でも、感覚はあるわけ。それを無視するのは嘘つきなんじゃねえのか
文学は書いてる側と読んでる側の階層が乖離してる。日常的に誰とでもコミュケーションの一環としてセックスしてる層とファンタジーとして楽しんでる層じゃ分かり合えない
まぁ、昔からあるいけんではあるよね。
村上春樹ほど作品を読んでいない人に批判される作家はいないのでは。イメージ先行なのはノルウェイの森が売れちゃった不幸ではないか。あれは村上作品の中でも異質なんだが。あとハルキストが作家のイメージ下げてる
そもそもそんなに性的な話多かったっけ?
“女性のことは見た目でジャッジするけど、男性のことは歯とか時計とか持ち物とかでジャッジするのもキモい。これはただキモい”草。オナニー精液付きのシーツを妹に洗わせるのはさすがに狂人だよね
村上春樹は図書館で読めるポルノ。
そういう違和感を一つの"味"として捉えてみるのもいいかもしれないね。
いけ好かない奴に「キモい」と断じてマウントしたいよな
村上春樹さんには、つば九郎についてのエッセイを書いてほしい
村上春樹は、書かれている「内容」よりも「文体」を味わう作家だと思っていたので、若い世代が「女性差別が許せない」と怒っているのを見て、若い人たちは春樹の「文体」の斬新さがわからない、内容しか見ていない
文学は表面的かつ社会的な現象ではなく、人間の本質的かつ本能的な部分を描くものだから。そして人間の本質は「性と暴力」だからだよ。こういう表面的な意見の人は本を読めていないことの自白でしかない。
一見さんはノルウェイの森から入ってしまうパターンが多いのも影響あるのでは
女性との関係を通して主人公を描きたいが男性である村上春樹にとっては女性そのものを描くのが難しいので代替手段として性行為を出してるのでは
ノルウェイの森の本読んで女は人間やぞキモいって思ってからnot for meですが何か響くものあるんだろうね
最新作『街とその不確かな壁』では性描写はほぼゼロになっているが、昔のイメージが強いのかな。「人を縛る思想をこそ憎むべき」というのが、『海辺のカフカ』に出てくる、女性で性自認が男性で同性愛者の人の意見。
最初から最期まで射精し続けている主人公を見て違和感を感じないほうがおかしいです
SNS普及する前って見た目は今よりはるかに重要だったと思う。知らない人と会話する前その人の判断要素がそれしかなかったから。いいブランドもの着てるとかじゃなくて、品とか育ち、嗜好とか垣間見えるモノだから。
“女性のことは見た目でジャッジするけど、男性のことは歯とか時計とか持ち物とかでジャッジする” いや、男もメチャクチャ見た目でジャッジするじゃん。むしろ外見+持ち物で女より厳しい。
まず、読みにくい
村上春樹作品で強く印象に残るのって、初期作品なら無力感、中期以降ならそれでもなんとか現実に関わろうとする描写なので、性の話ばかりって言われるとそうだっけ…?となる
「突然女優が歌い出すミュージカルみたい」それだ!!しかも普通に歌は上手いw でも今歌う必要あった?w上手いけどwてなるから気になるんだ〜 スプートニクの恋人はそれが本筋に絡むから好きだった
好きな書き手さんがファンだというので短編集を一冊読んでみたが性的な度合い込みで合わなかった。ただ氏が紹介する海外作品は評論を含めどれも面白く読めたので、その点においては信頼をおいている
評価はすごくされているけど、好き嫌いがわかれて議論になりやすい作家さんでもある。それって逆にすごいと思う。そこまで表現に関心持たれて人にあれこれ言われるのは文章以上の才能だと思う。
76の爺さんが書く文章がキモくないわけ無いやん
めちゃめちゃ個人的には好きだけど村上春樹の感覚ってユニバーサルであっても現代的でない気はする。多分その辺りのジェンダー的価値観は朝井リョウとか村田沙耶香の方が新しいかもしれない
ねじまき鳥・1Q84・ピンボールくらいしか読んだことないが、村上春樹の女性は「不可思議で理解し難いが主人公を惹きつける存在」として描かれてることが多くてなんか画一的だなとは感じるが、多分性癖なんでは。
ノルウェイの森がnot for meだから他も読まない、でいいじゃんねー。「ノルウェイの森しか読まずして春樹を語るな」ってなんで初見の違和感抱いたままお付き合いしなきゃいかんの。「心臓を貫かれて」はすっと読んだ
弘兼憲史と同じ枠じゃね
村上春樹は文学ではなく、村上春樹というジャンルだと思ってる。長年読者ではあるけど。
村上春樹は親中国的な発言してたりイスラエル批判したりしてるから、それでメディアに攻撃されてるだけだと思うよ。
この人たちは春樹以外の文学に触れてないのかな。川端谷崎大江三島など、どれをとっても性的なものが軸だし性描写も少なくない。女性作家でももちろん。文学が読まれてないことを改めて実感。
村上春樹好きと公言してる人と相性が良かったこと一度もないので小説も読まないことにしている
トップブコメ読んで村上春樹がノーベル賞を取ることはないだろうと思いました。(何作品か読んで言いたいことは理解できるとはしても
好みなので嫌いなら読まなきゃいいだけなのにわざわざマウント取ったように喧伝する人のほうが余程キモいよ
もうその通り過ぎるんですけどね、彼の小説のすごいところは、物理法則をめちゃくちゃにしながらも、それが、そっちの方が世界の実像だと言わしめる筆力なんですよ。性欲がある主人公の駄々洩れはその一環です
長編の場合はどんな筋立てでも意識の奥深くに連れて行かれ、帰ってくることが主題と感じてきたので、そんなに性行為の話出てくるっけ?と思う。
上位ブコメ「ノルウェーの森しか読んでなさそう」→まとめ読んでなくて笑った。元ツイの人の好きな村上作品もまとめ内にあったよ。あと、キモい=批判じゃなくて「キモいけど味がある」って好意的文意だったよ
村上春樹の小説に違和感を覚えるのは「すぐに女性の見た目をジャッジするから」ではなくその一歩手前の「性行為が自他や世界を理解する鍵である」という精神傾向の部分ではないかという意見
それが純文学としてオトナの教養であることの必須要素だと思われてるから
読んだことない人は多分ネッチョリ合体しまくるどすけべどエロ小説だと思ってるんだろうけど違うんだ。なんか知らんけどいつのまにか流れるようにベッドインしているんだ。突然女優が歌い出すミュージカルみたいに。
18禁のビジュアルノベルも村上春樹みたいな感じがしてきた / 村上龍が『1970年代に転生して優しい軍王の妻になる』書いたら読みたい 軍王から溢れ出る暴力感
性行為だけじゃなく、眠くて疲れてて痛みを抱えてたりするんだが、そこは話題にならない。色んな欲望や瞋恚を物語に落とし込んでいるが性しか見ない
風呂に入るのと同じような日常の必然、という感覚。もうちょっとなんかあるやろ、とは思う。
まーたチン騎士かよ
適当な印象じゃなくて、具体的に記述をあげるべき。ノルウェーの森しか読んでなさそう
id:lavandin "なんか知らんけどいつのまにか流れるようにベッドインしているんだ"/それなんてエロゲ
人との関係性から世界を観察するのは少女漫画と同じ構造だな、とも思う
文学系の小説家って性的描写多い人ばかりなのに、何で村上春樹ばっかりセックスセックスキモいキモいって言われるのかはちょっと不思議。非モテ感あるから?
ノルウェイの森は苦手で読んでないけど、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドみたいな不思議な世界観のやつはそっちの不思議さにフォーカスしてるので、世間で性的なところ苦手がられてるのがピンとこない
村上春樹の小説に違和感を覚えるのは「その違和感こそが『小説』の要なのです。『違和感』が重要なのです。それが人間の特異点な訳ですから」という話。類型的なものから外れていき、個々の特異点を見出すのが小説。
村上春樹はファンタジー作家だから。
文芸作品に「キモい」は批評にもなんにもならないよ。だって文芸って人間そのものを描くものだもん。そんなのキモいに決まってんじゃん。綺麗なものだけ見たかったらエンタメから出てこない方がいいよ。
“キモい=悪、刑罰を受けるべき悪事という意味で読むか、 キモい=生理的嫌悪感を、激辛激甘、強すぎる酒精、臭いチーズみたいに嗜好品の評価というだけの意味として読むかであれがあれ。 文学としては、キモい感情
軽井沢シンドロームでセックスばっかしてるのびっくりした
突然のベッド。違和感あるから、感想にでてきやすい。
ノルウェイの森のイメージから離れてくださいと言いたいけど。村上春樹さんはファンタジー作家だから。
村上春樹はネッチョリ合体しまくるポルノ小説というよりエロシーンはおまけみたいな萌えエロゲが近いと思います。
男兄弟の末っ子か独りっ子で子無しの人の目線て感じ。庇護や保護対象が皆無で、全てが最終的に性的に繋がれるかのみ。生と死や性と死ではなく性から性。というのが苦手で4作読んで1作しか読了出来てない。
なぜそれが駄目なのかが批評という営みの核心なのに、そこをキモいという安っぽい表現で逃げたら台無しじゃない。/まとめ内のミソジニーという語の使われ方も大分怪しい。都合良く差別の範囲を拡大してませんか?
かつて大御所や文壇から嫌われた変わり種の若手小説家も、今の若者からすると、なんというか、なんだろう?村上春樹作品は時代を象徴するタイプの小説なのだろうとは思う。
往年の文芸批評じゃ1970年代に村上春樹が出てきた当時は、(政治的な)大きな物語の解体→ミクロな個人間の関係への着目→結局男女の話ばかり、みたいなことが難解に高尚そうに言われたが、そんなもん今じゃ通じねえ
キモい、けど嫌いじゃない。なにかがすごい。それが村上春樹だと思っている(あとエッセイが上手い)
デビュー作の有名な一節が「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ」であることは村上春樹好きとして付言しておきたい
それが他の文学作品と違って話題になってしまうというのは、やっぱり浮いてたり違和感があったりしてるんだろうなと
村上は団塊の世代の妄想を藤原伊織みたいに直接垂れ流す代わりに薄っすらとナルシスティックなファンタジーに料理して出してくるので、それを心地良いとか見事と取るかやっぱりキモいと思うかって所なのだろうと。
キモいからなんなの?
完璧なキモいなどといったものは存在しない、完璧なブコメが存在しないようにね。
ハードボイルドなので、、
読んだことないけど、村上春樹好きな人たちと話し合わないから読まなくてもいいと思ってる。Not for me だけどもノーベル賞候補と言われるんだからすごい作家なんだろう。頑張れ!
村上春樹の紀行文は飄々とした書きぶりでなんかつい読んでしまう
一般小説の皮を被った官能小説だからね。視聴率の悪いドラマがテコ入れで必要性の薄い濡れ場を入れ込むのと同じ。
街壁も結局しっかりキモかったもんな
芸人だったら一回くらい面白いこと言ってほしい
はなくその一歩手前って何だよって思ったら違った
全然関係ないけど本好き界隈の人たち?ってやっぱ言語化能力高いし表現が美しいんだなと思いました。
うちらが親世代の渡辺淳一フィーバーを冷ややかに見てたような感じで下の世代が見ているのかもしれんな
初期、前期の頃の作品、複数読んだが、見事に何も残ってない。ムダ。女の子を間違って逆方向の電車にのせてしまう作品が最悪。こんなどうでもいい意味づけする生き方だけは自分はしまい、と思うたな
トランプとイーロンマスクのevilさが際立つ今、APIコスってイーロンに送金するtogetterは、無邪気に使える存在ではなくなったと思う。中の人には気の毒だけど。Xユーザーやtogetterに星つける行為も、今や無罪とは言い難い。
ノルウェイの森だけじゃ悪いかなと思って多崎つくるも読んだけど、感想は変わらなかった。イメージビデオをオカズにしてる奴がキモいのに近い
村上春樹は文体が苦手で読めない。アンダーグラウンドは読めた。これは面白かった。おすすめです。是非。そろそろ、また読もうかな。
性描写に固執し、女性像は単なる欲望の対象でしかない。そんな村上春樹の小説に、深遠な何かを見出せるはずがないのだ。
村上春樹の小説で性行為が多いと思ったことがないな。日常から性と死と切り離して生きている人(今の時代のマジョリティ)には違和感を感じてしまうということなんだろう。
唯一ノルウェイの森だけ読んだことがあるけど、最初から最後まで受け付けなくて、こんなにつまらなくて苦痛を感じる小説ってあるんだと思ったぐらい自分には合わなかった。他の村上春樹作品はそんなことないのかね?
普段隠すべきと捉えているものを面前に突きつけられることに対する不快感なのだと思っている。人によって読書に求めているものが異なる。
この数年ぐらいで村上春樹が保守的で古臭いものとして言及されることが急速に増えてきたように思う。
別にキモくても最悪良いけど、本筋が死ぬほどつまらないからどうしようもない
村上春樹と弘兼憲史はその女性感・性的モラルがインテリ、大衆別け隔てなくたびたび批評の対象となるところに「やはり国民的作家なのだな」と感じさせてくれる
そして僕はその女の子と寝た。・・・こういうところ、なんか不快なんだよな。
村上春樹だけはどんなに「これはいいよ、これなら読めるはず」と薦められてもキモくて読めない。女性を性的に見ているというよりも、女性に性的に見られる僕、という自意識がどうにも背筋がぞわぞわして読めない。
ノルウェイの森は未読だが3本以上は読んでいる。気障ったらしい文体は鼻につくが性行為に力点を置いている印象はない。ストーリーテラーでイライラしつつも最後まで引っ張られるが最終的にだからどうした?となる
最近は文芸好きでも精神分析学とか嗜む人が少なくなり性描写を読み解く技術が失われつつある
外へ出て草に触れましょう。それが幸せへの第一歩。
メディアが「村上春樹」を持て囃しすぎて作家と作品を不可分にしてる。アイドル新譜のたびに「秋元康の最新作!」って写真付きで貼られるみたいな。それも売り方だし読み方なんだけど、私が求める楽しみ方とは違う。
その流れに共感できなかったんだが、ねじまき鳥が面白かったのでそれ以来、この人何がしたいんだろうと読んでいる。なんかなんとなく見えているが、まだ、模索中なんだろうな。
時々納屋を焼くんです
”同世代の男性作家の小説に比べて全体的なミソジニー感は薄め”←あーわかる。しかしなんとなくひねくれた感想になるのはなんでなんだろうな。村上春樹を素直に褒めてる人ってあまりいないような
多分合わないだろうなと思って読んでないけど語学研修中に村上春樹好きなロシア人に聞かれてかなり困った覚えがある。海外にもファンはいるんだなと思った。
そもそも時代が変わって性的なものや性行為自体にリアリティや実存性がなくなっている。今は単にポルノや倫理、あるいは嗜好の問題としか見えないのだろうけど、昔は人間性や存在性の問題として見られていたんだよ。
昭和くらいの小説では男女が出会ったらその日にベッドインして翌朝普通に分かれる行きずりがよくあるイメージ
浅い。こういう感想にはそれで十分
ある時期以降全く読んでないけど、セックスよりスパゲッティ茹でてる印象の方が強い。後、酒飲んでる。
こんだけキモいとか受け付けないとか言われても作家としての評価は全然揺るがない/性描写が重要な作家ではあるので、苦手な人は仕方ない/そういえばこういう「キモい」は「性嫌悪」とは呼ばれないんだな
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小説家が気持ちのいいことだけを提供するようになったら文学の終わりだよ
普通-岡村靖幸=村上春樹
ありとあらゆる作品にキモいはあるんだけど、自分が好きな作品からは感じられない。もしくは感じても好きなら肯定する。作品て人そのもの
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村上春樹は何度か我慢して挑戦したけど、文体が合わないし読後感が虚無なのでもう読まない。みなさんの糞コメントを読むほうが刺激的で楽しいし気づきも多い。あ、でも村上春樹ジェネレータは好きかも
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根源的には女性を性的に捉えてしまう側面性はあるだろう。表出はしないんだけど、男性でチンポがたつ体なら、相手が既婚者でも、自分が既婚者でも、感覚はあるわけ。それを無視するのは嘘つきなんじゃねえのか
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村上春樹ほど作品を読んでいない人に批判される作家はいないのでは。イメージ先行なのはノルウェイの森が売れちゃった不幸ではないか。あれは村上作品の中でも異質なんだが。あとハルキストが作家のイメージ下げてる
そもそもそんなに性的な話多かったっけ?
“女性のことは見た目でジャッジするけど、男性のことは歯とか時計とか持ち物とかでジャッジするのもキモい。これはただキモい”草。オナニー精液付きのシーツを妹に洗わせるのはさすがに狂人だよね
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そういう違和感を一つの"味"として捉えてみるのもいいかもしれないね。
いけ好かない奴に「キモい」と断じてマウントしたいよな
村上春樹さんには、つば九郎についてのエッセイを書いてほしい
村上春樹は、書かれている「内容」よりも「文体」を味わう作家だと思っていたので、若い世代が「女性差別が許せない」と怒っているのを見て、若い人たちは春樹の「文体」の斬新さがわからない、内容しか見ていない
文学は表面的かつ社会的な現象ではなく、人間の本質的かつ本能的な部分を描くものだから。そして人間の本質は「性と暴力」だからだよ。こういう表面的な意見の人は本を読めていないことの自白でしかない。
一見さんはノルウェイの森から入ってしまうパターンが多いのも影響あるのでは
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最初から最期まで射精し続けている主人公を見て違和感を感じないほうがおかしいです
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まず、読みにくい
村上春樹作品で強く印象に残るのって、初期作品なら無力感、中期以降ならそれでもなんとか現実に関わろうとする描写なので、性の話ばかりって言われるとそうだっけ…?となる
「突然女優が歌い出すミュージカルみたい」それだ!!しかも普通に歌は上手いw でも今歌う必要あった?w上手いけどwてなるから気になるんだ〜 スプートニクの恋人はそれが本筋に絡むから好きだった
好きな書き手さんがファンだというので短編集を一冊読んでみたが性的な度合い込みで合わなかった。ただ氏が紹介する海外作品は評論を含めどれも面白く読めたので、その点においては信頼をおいている
評価はすごくされているけど、好き嫌いがわかれて議論になりやすい作家さんでもある。それって逆にすごいと思う。そこまで表現に関心持たれて人にあれこれ言われるのは文章以上の才能だと思う。
76の爺さんが書く文章がキモくないわけ無いやん
めちゃめちゃ個人的には好きだけど村上春樹の感覚ってユニバーサルであっても現代的でない気はする。多分その辺りのジェンダー的価値観は朝井リョウとか村田沙耶香の方が新しいかもしれない
ねじまき鳥・1Q84・ピンボールくらいしか読んだことないが、村上春樹の女性は「不可思議で理解し難いが主人公を惹きつける存在」として描かれてることが多くてなんか画一的だなとは感じるが、多分性癖なんでは。
ノルウェイの森がnot for meだから他も読まない、でいいじゃんねー。「ノルウェイの森しか読まずして春樹を語るな」ってなんで初見の違和感抱いたままお付き合いしなきゃいかんの。「心臓を貫かれて」はすっと読んだ
弘兼憲史と同じ枠じゃね
村上春樹は文学ではなく、村上春樹というジャンルだと思ってる。長年読者ではあるけど。
村上春樹は親中国的な発言してたりイスラエル批判したりしてるから、それでメディアに攻撃されてるだけだと思うよ。
この人たちは春樹以外の文学に触れてないのかな。川端谷崎大江三島など、どれをとっても性的なものが軸だし性描写も少なくない。女性作家でももちろん。文学が読まれてないことを改めて実感。
村上春樹好きと公言してる人と相性が良かったこと一度もないので小説も読まないことにしている
トップブコメ読んで村上春樹がノーベル賞を取ることはないだろうと思いました。(何作品か読んで言いたいことは理解できるとはしても
好みなので嫌いなら読まなきゃいいだけなのにわざわざマウント取ったように喧伝する人のほうが余程キモいよ
もうその通り過ぎるんですけどね、彼の小説のすごいところは、物理法則をめちゃくちゃにしながらも、それが、そっちの方が世界の実像だと言わしめる筆力なんですよ。性欲がある主人公の駄々洩れはその一環です
長編の場合はどんな筋立てでも意識の奥深くに連れて行かれ、帰ってくることが主題と感じてきたので、そんなに性行為の話出てくるっけ?と思う。
上位ブコメ「ノルウェーの森しか読んでなさそう」→まとめ読んでなくて笑った。元ツイの人の好きな村上作品もまとめ内にあったよ。あと、キモい=批判じゃなくて「キモいけど味がある」って好意的文意だったよ