リアルタイムに現在の状況と照らし合わせる。というよりは、過去を振り返ってみたときに、あの時はああだったからこういう作品が生まれた(のかもしれない)。という考察はされているかもしれない
社会反映論は大抵の場合アブダクションに終始するジャンクサイエンスになるので、求められるのはそういうものに微温的態度で接する社会学的リテラシーだと思うよ。
社会反映論は批評としてイージーモードで、そういう代物に数で押し切られるのが問題というならば確かにそうではあろうが、だからといって日本で似たものを生産しても。
そういや雑誌のゲーム批評もアニメ批評も買ってたっけ 偏りは感じつつも当時(2000年前後)はそれなりに読み応えがあったな 読者批評に投稿して掲載されたとき表紙のテレカもらったわ
本当に日本に批評家文化が皆無なのが悲しい。影響力のあるグルメ人とか、アルファブロガーとか。ゲームや本すらメタクリティックみたいなサイトすら無くて、Amazonレビューくらい。Filmarksもプロの批評はないし。
業界誌やwebメディアが「太鼓持ち、広告メディア」であったため、商材に対してネガティブな記事を書けない問題があり、飼いならされたオタクも「それ売上ナンボなん?」みたいな視点しか持つことができなくなった結果
40を越えても社会のことなんも分からんし技術も制度も知らないことばかりなのでね、最近はそういうの読んでも「俺とこいつが知らんだけで世界には反例と例外が満ち満ちてるんやろうなぁ」としか思わん
設定の重箱の隅をつつく考察モドキばかりで社会的文脈の批評が衰退したって指摘は耳が痛いな
黒船は忍空を知らなかったりする
というか視覚文化全般でしょ。表象文化論系の論者は対象を問わず言及できるのが存在意義だったのだが、若手は見事に蛸壺化して映画についての言説もかなり貧困になってる
他人の作品批評する前にとりあえず自分が作ってから言え派。大体そういうのやってた映画とか衰退してんじゃん。おバカな論評はともかくお硬い批評は日本人に向いてないんだよ
まぁ、欧米のルール作りに利用されるという指摘はご尤も。韓国人の場合はマンファとかの方を批評していろよと言えば済むのでは。低俗性とパクリを誤魔化して日本のアニメ、漫画文化に寄生しようと試みているだろと。
考察と称して邪推やコジツケで推理ゲームしてるだけの連中に、批評とか評論とかそっち側の考察を求めても、多分お互いキョトンとするだけなんじゃないかな…。
我田引水を批評と曰う。
それもそうだし、クランチロール・アニメアワードのような影響力があるアワードの日本版がない(と私には見える)のも大きな問題。https://wired.jp/article/crunchyroll-anime-awards-2026/
そもそもそこら辺のアニオタゲームオタどもは実在事件とアニメゲームの影響は無いとかほざいて事件や社会の影響から切断してきたんだから、今更そんな批評なんかできるわけないよ。設定深掘りするしか能がなくなった
この態度自体が批判的な様で従順と感じる。つまり批評により他にルール改変・イニシアチブをとられる事は警戒しても、批評がそうした力を獲得し振るわれる構造それ自体は批判出来ないから/所詮「批評」の太鼓持ち
売り豚、考察厨、批評をアンチ認定する信者。それから推し活
無くは無いだろうけど、ファンからは「サブカル」として遠ざけられるやつ。(リアタイ世代では無いけど)80年代ぐらいの『月刊OUT』的な、批評・評論とファンダムの距離が密な場というのはもう無理かねえ。
音楽業界がそうだよねぇ。山口一郎さんも同じようなことを言っていたが。
日本は音楽やらも特に大衆カルチャーの批評・評論が機能していないからこそ自由な発想と市場原理、ファンのニーズとマニアの濃度から生まれる独自の「良きガラパゴス」が機能してるジャンルは強いから国際派は外すよ
現代で言う所のポリコレに配慮するのが当然という圧力を日本国内のアニメ制作が受けるかもしれない将来があるというお話。外国の論評による社会的な制約がどこまで影響力を持ち得るか?という話でもあるかもしれない
物語を物語として読むのが日本のコンテンツの良いところだと思いますよ。だから栄えた。
最近の考察()のくだらなさはともかく文芸とか映画の評論がまともかというと…そして評論がむちゃくちゃおおい日本映画の零落ぶりをみると…
「日本は批評文化がない」と嘆く人は、「日本で批評が力を持つ」と言う世界線に住めば、今度は「日本人は自分の頭で考えない。権威ある人の言う事に追従してるだけ」とか語る。
そうやって、欧米のゲームメディアはポリコレに乗っ取られてしまったんじゃない?日本にとってもポリコレが黒船で、これは排除したわけじゃない?
むしろ批評を通して「都合の良いルール」を敷こうとしてくる連中をシャットアウトするために、多くの人が相手にするのを止めたのが現在だと思う(結果、まともな批評も巻きこれて死に体になってしまった)。
元々オタクとは批評者であったはずだが現在は内在的批評ですらない単なる内閉的受動的な消費に堕しその受動性を胡麻化すための偽の能動性が「推し」。外在的批評の不在をフィクションと現実の区別だと思っている
IGN JAPANが批評対象としてゲームを主に扱っているのは目から鱗だった。ゲームのレビューなんてファミ通しか知らなかったので、このように分析して批評するのかと。批評対象ゲームのファンは怒るのだなとも。
素人が好き勝手に言ってるのを素人が好き勝手に取捨選択してる今の状態のほうがいいと思うのでそれを保護するために批評屋が力を持ちたがろうとしたらきちんと叩き潰すためのアンチ組織なら必要かもしれません。
海外で創作と現実の問題を紐付けた結果生まれた問題もあるので日本だとそういう話をしづらい空気感が生まれた気はする
今朝のツイートをまとめました。アニメ批評やゲーム批評で活躍する日本人が少ないままだと、海外勢に持っていかれて彼らのルールを押し付けられるでしょう。心配です&今後の活躍を期待します。
韓国人ツィートがきっかけだが、個人的にも長くKPOP周辺を見て印象的なのが韓国にアイドルポップスの批評と呼べるものがある事。映画やドラマなど大衆文化が批評の対象となってるし、作品のクオリティに影響してる。
シロクマ氏はともかくyunishio氏は外在批評、社会反映論のほうが上等だと思ってるだけのただのアホだよ。
作家主義をひきずるオタク、作品主義にこだわる研究者、現実主義にひっぱられる評論家、観客主義におもねるサブカルライター。4極に優劣は無い。ただ現代日本は観客主義に偏りすぎ https://note.com/charm_viola6115/n/na0e4bec9a4be
例えば、いわゆるニンジャ表現の元祖がNARUTOだと思われてるような状況はよくないんじゃないかな。嘘でも、現在の日本のエンタメは平安時代から続く文化を継承していて、みたいな物語をフカしとくべきなのでは。
韓国は過酷な受験・競争社会とのシンクロが起きたせいで今だにエヴァの影響が強いから未だに脳を焼かれたままの連中も多い。日本は供給も多いのでそんなことにはならなかった。果たしてどちらが幸せか。
別にいいんじゃないでしょうか
アニメ専業ライターで食っていけている人はせいぜい5人前後(氷川竜介さんや小黒祐一郎さんや藤津亮太さんなど)。その程度の市場しかない。過去の市場形成の試み(批評誌や批評サイト)はほとんど失敗。
社会反映論も批評の一手法にすぎず、重要なのは作品に対して自立していることでは。「考察」は答えを作品内に求める感想・妄想だと自分は考えているけど、批評は作品が用意した問いの外に出るものだと思う。
シンプルにちいかわのヒットと日本社会が…とか真顔で語り出したら友達を失くすかと。あと、海外は高尚で学術的な評論・論考を同好の士と鼎談することがデフォなの?日本だけがエモ〜なの?
アカデミックな批評に発展の余地があるのは分かるが、権威に追従するかもというのは飛躍を感じる。そもそも、ファンや市場より賞の権威を優先するどこかの映画業界の様になるべきではないと思う。それは滅びの道。
ポストモダンで教養主義的な批評は死んだかと思ったら広告収入や投げ銭の力でSNSやYouTubeを使って墓から甦ったりはしてるんだよなあ。
まず年表を作成する必要がある気がする。小説映画ドラママンガアニメゲーム、ベストセラーやテレビ番組と社会における事件や報道を合わせてをまとめて時系列で俯瞰できる資料があると変わるんじゃないだろうか。
アニメ・ゲームを楽しむ権利をアカデミアに売り渡す様な未来は嫌だし、批評に載せて自己の思想を押し付けられたと感じた一般人が嫌悪した結果が現在の日本だと思います/はてパの仕様は考察や批評に向いてると気がつ
異世界物のブームは現実のブラックぶりが酷いからだという批評してるけど誰にも取り合ってもらえないゾ。現実逃避じゃなくてあるべき世界の再構築なのよ。仮想異世界を参考に現実世界にフィードバックすべき
批評なんてこういう見方もあるよという提示にしか過ぎないけど、そう見ることができない人らも非常に多いので、お互い好きなとこでやってましょうしか現実的な解無し。お互い邪魔をしないで、成熟を目指しましょう。
デジタルはフォーマットが変わると簡単に視聴できなくなる。 その時テクニカルな批評はゴミ箱行きになり社会的な位置づけに関する批評のみが残る。
むしろこれは真逆だと思ってて、日本のアニメ漫画ゲーム文化がここまで大きくなった理由の一つに「批評家による作品の位置付けがなかった」があると思うんだよな
映画のレビューサイトは見かけるけど、ゲームのレビューサイトは見かけないね。昔は幾分かあった記憶たげど。
自分が批評性をもてば他人の批評など必要ないのだった。みんなエッジランナーズ2を見ろ。
近年の考察はクイズや謎解きのような製作者が隠した正解や伏線をいち早く見つける競争で盛り上がりやすいけど、いわゆる批評になると自分語り乙とか作品で社会を批判するな的な方向に冷笑されるので盛り上がらない
枝葉末節に注目がいきがちなのは、ニコ動のせいかも…とか思ったり。なぜ、なろう系や悪役令嬢モノなどの流行りものの構造を分解しない態度はよくないな~とは思う。そこに社会の問題解決の糸口があったり?
みんな「好きなものを否定されたくない」というマインドが強くなったんじゃないかな。アニメゲームだけじゃなくて音楽も似たような状況だよ。批評と否定は違うものだけど、それを完全に分離して考えられる人は少ない
プロの作家が必要としてるのは正しい批評なので売れてるからいーじゃんという態度は作家・ファンどちらの為にならない。売れてるからと放置されていた細田守が果てしなきスカーレットで爆死したのを忘れてはならない
その昔『ゲーム批評』という雑誌があってだな
社会と結びつけたら、自民党政権批判になってしまうじゃないか。そんなことしたら炎上間違いなし。
これも、ガイジンはこっち見んな、来るな!でよろしいかと。考察だろうと批評だろうと言い方はさておき作品を肴にワイワイやりたいだけや。
単純にブログが死んだから見られる機会が減っただけじゃね?スマホ時代の影響だよ。他国はどうしてるかと言えば動画でめっちゃ意見言うんだけど、日本人はシャイだからそう言うの少ない。
数年したら流行の勢いが消える娯楽作品の考察に、社会的影響を結びつけるのは無駄というのは結論づけられてるので。そこに垣間見える作品のメッセージ性に特化された考察というのはむしろ洗練されている証拠である。
例に取り上げた韓国垢の考察にも、一言「これは批判ではない」とか書かないと変な炎上する可能性を気にしてる様に、考察や批評と批判、罵倒の区別がつかない人の声がデカいしみんな迂闊なことしたくないんよ
しかし、日本人が『分析批評』したとして、その時に使うツールが『ヨーロッパ基準』のものだとしたら、結局でてくる批評(そして力)というものは、『黒船が持ってきたもの』と同じものになるのではないか?
日本の評論ってなんかにつけ歴史修正してくる感じが強い(個人の感想です)
評論家がでかい面して物申してて、その声を視聴者やユーザーよりも重視した欧米はどうなった?なんで表現規制まみれの欧米様を見習う必要があるんだよ?権威主義も大概にしろ/無能な社会学者の食い扶持探し
アニメ評論家については後進のイメージがないけどちゃんとした人たちはいたように思うけど、ゲーム批評というとこのワードが同名の雑誌に汚染されてそもそもまともなゲーム評論家はいたっけ⋯(知らないだけかも)
別に死んで無いと思うけどね。あとムーブメントの内側か外側にいるかで変わるから
"「考察」にはその作品がヒットしたという社会現象について、ひいてはなぜその作品が社会と共鳴現象を起こしているのかについて、論述するものは少ない"←そういうのは批評・評論であって「考察」には入らないのでは
中国の「二次元狂熱」誌もチラ見しかできてないけど凄そうだもんなぁ
海外のゲーム批評家って「ゲーム内容はコピペゲーだが、主人公がトランスジェンダーの片剃りの黒人”女性”でゲイ、チェックリスト満点だから100点」とか吹いてる人達のこと?「黒船」じゃなくて「泥舟」では?
進撃の巨人の脚本とかいるよね?ネットにたくさんいると思うけど…権威もたせたら鼻が屋久杉になりそうだからそんなに栄えなくていいかなと思ってる。
海外の型にはめたがる批評屋にいいようにされたくない気持ちはあるが、そもそもこの正しさ溢れる世界ではそういう「批評」しか許されない気もする。色々と根っこが腐っている。
良いか悪いかは置いといて、考察だの伏線だのが消費者に蔓延ってるのはワンピースの功罪だと思っている
重箱の隅つつき文化だからな
日本のアニメ批評・ゲーム批評が死んだままだと「黒船」に持っていかれるよ - シロクマの屑籠
リアルタイムに現在の状況と照らし合わせる。というよりは、過去を振り返ってみたときに、あの時はああだったからこういう作品が生まれた(のかもしれない)。という考察はされているかもしれない
社会反映論は大抵の場合アブダクションに終始するジャンクサイエンスになるので、求められるのはそういうものに微温的態度で接する社会学的リテラシーだと思うよ。
社会反映論は批評としてイージーモードで、そういう代物に数で押し切られるのが問題というならば確かにそうではあろうが、だからといって日本で似たものを生産しても。
そういや雑誌のゲーム批評もアニメ批評も買ってたっけ 偏りは感じつつも当時(2000年前後)はそれなりに読み応えがあったな 読者批評に投稿して掲載されたとき表紙のテレカもらったわ
本当に日本に批評家文化が皆無なのが悲しい。影響力のあるグルメ人とか、アルファブロガーとか。ゲームや本すらメタクリティックみたいなサイトすら無くて、Amazonレビューくらい。Filmarksもプロの批評はないし。
業界誌やwebメディアが「太鼓持ち、広告メディア」であったため、商材に対してネガティブな記事を書けない問題があり、飼いならされたオタクも「それ売上ナンボなん?」みたいな視点しか持つことができなくなった結果
40を越えても社会のことなんも分からんし技術も制度も知らないことばかりなのでね、最近はそういうの読んでも「俺とこいつが知らんだけで世界には反例と例外が満ち満ちてるんやろうなぁ」としか思わん
設定の重箱の隅をつつく考察モドキばかりで社会的文脈の批評が衰退したって指摘は耳が痛いな
黒船は忍空を知らなかったりする
というか視覚文化全般でしょ。表象文化論系の論者は対象を問わず言及できるのが存在意義だったのだが、若手は見事に蛸壺化して映画についての言説もかなり貧困になってる
他人の作品批評する前にとりあえず自分が作ってから言え派。大体そういうのやってた映画とか衰退してんじゃん。おバカな論評はともかくお硬い批評は日本人に向いてないんだよ
まぁ、欧米のルール作りに利用されるという指摘はご尤も。韓国人の場合はマンファとかの方を批評していろよと言えば済むのでは。低俗性とパクリを誤魔化して日本のアニメ、漫画文化に寄生しようと試みているだろと。
考察と称して邪推やコジツケで推理ゲームしてるだけの連中に、批評とか評論とかそっち側の考察を求めても、多分お互いキョトンとするだけなんじゃないかな…。
我田引水を批評と曰う。
それもそうだし、クランチロール・アニメアワードのような影響力があるアワードの日本版がない(と私には見える)のも大きな問題。https://wired.jp/article/crunchyroll-anime-awards-2026/
そもそもそこら辺のアニオタゲームオタどもは実在事件とアニメゲームの影響は無いとかほざいて事件や社会の影響から切断してきたんだから、今更そんな批評なんかできるわけないよ。設定深掘りするしか能がなくなった
この態度自体が批判的な様で従順と感じる。つまり批評により他にルール改変・イニシアチブをとられる事は警戒しても、批評がそうした力を獲得し振るわれる構造それ自体は批判出来ないから/所詮「批評」の太鼓持ち
売り豚、考察厨、批評をアンチ認定する信者。それから推し活
無くは無いだろうけど、ファンからは「サブカル」として遠ざけられるやつ。(リアタイ世代では無いけど)80年代ぐらいの『月刊OUT』的な、批評・評論とファンダムの距離が密な場というのはもう無理かねえ。
音楽業界がそうだよねぇ。山口一郎さんも同じようなことを言っていたが。
日本は音楽やらも特に大衆カルチャーの批評・評論が機能していないからこそ自由な発想と市場原理、ファンのニーズとマニアの濃度から生まれる独自の「良きガラパゴス」が機能してるジャンルは強いから国際派は外すよ
現代で言う所のポリコレに配慮するのが当然という圧力を日本国内のアニメ制作が受けるかもしれない将来があるというお話。外国の論評による社会的な制約がどこまで影響力を持ち得るか?という話でもあるかもしれない
物語を物語として読むのが日本のコンテンツの良いところだと思いますよ。だから栄えた。
最近の考察()のくだらなさはともかく文芸とか映画の評論がまともかというと…そして評論がむちゃくちゃおおい日本映画の零落ぶりをみると…
「日本は批評文化がない」と嘆く人は、「日本で批評が力を持つ」と言う世界線に住めば、今度は「日本人は自分の頭で考えない。権威ある人の言う事に追従してるだけ」とか語る。
そうやって、欧米のゲームメディアはポリコレに乗っ取られてしまったんじゃない?日本にとってもポリコレが黒船で、これは排除したわけじゃない?
むしろ批評を通して「都合の良いルール」を敷こうとしてくる連中をシャットアウトするために、多くの人が相手にするのを止めたのが現在だと思う(結果、まともな批評も巻きこれて死に体になってしまった)。
元々オタクとは批評者であったはずだが現在は内在的批評ですらない単なる内閉的受動的な消費に堕しその受動性を胡麻化すための偽の能動性が「推し」。外在的批評の不在をフィクションと現実の区別だと思っている
IGN JAPANが批評対象としてゲームを主に扱っているのは目から鱗だった。ゲームのレビューなんてファミ通しか知らなかったので、このように分析して批評するのかと。批評対象ゲームのファンは怒るのだなとも。
素人が好き勝手に言ってるのを素人が好き勝手に取捨選択してる今の状態のほうがいいと思うのでそれを保護するために批評屋が力を持ちたがろうとしたらきちんと叩き潰すためのアンチ組織なら必要かもしれません。
海外で創作と現実の問題を紐付けた結果生まれた問題もあるので日本だとそういう話をしづらい空気感が生まれた気はする
今朝のツイートをまとめました。アニメ批評やゲーム批評で活躍する日本人が少ないままだと、海外勢に持っていかれて彼らのルールを押し付けられるでしょう。心配です&今後の活躍を期待します。
韓国人ツィートがきっかけだが、個人的にも長くKPOP周辺を見て印象的なのが韓国にアイドルポップスの批評と呼べるものがある事。映画やドラマなど大衆文化が批評の対象となってるし、作品のクオリティに影響してる。
シロクマ氏はともかくyunishio氏は外在批評、社会反映論のほうが上等だと思ってるだけのただのアホだよ。
作家主義をひきずるオタク、作品主義にこだわる研究者、現実主義にひっぱられる評論家、観客主義におもねるサブカルライター。4極に優劣は無い。ただ現代日本は観客主義に偏りすぎ https://note.com/charm_viola6115/n/na0e4bec9a4be
例えば、いわゆるニンジャ表現の元祖がNARUTOだと思われてるような状況はよくないんじゃないかな。嘘でも、現在の日本のエンタメは平安時代から続く文化を継承していて、みたいな物語をフカしとくべきなのでは。
韓国は過酷な受験・競争社会とのシンクロが起きたせいで今だにエヴァの影響が強いから未だに脳を焼かれたままの連中も多い。日本は供給も多いのでそんなことにはならなかった。果たしてどちらが幸せか。
別にいいんじゃないでしょうか
アニメ専業ライターで食っていけている人はせいぜい5人前後(氷川竜介さんや小黒祐一郎さんや藤津亮太さんなど)。その程度の市場しかない。過去の市場形成の試み(批評誌や批評サイト)はほとんど失敗。
社会反映論も批評の一手法にすぎず、重要なのは作品に対して自立していることでは。「考察」は答えを作品内に求める感想・妄想だと自分は考えているけど、批評は作品が用意した問いの外に出るものだと思う。
シンプルにちいかわのヒットと日本社会が…とか真顔で語り出したら友達を失くすかと。あと、海外は高尚で学術的な評論・論考を同好の士と鼎談することがデフォなの?日本だけがエモ〜なの?
アカデミックな批評に発展の余地があるのは分かるが、権威に追従するかもというのは飛躍を感じる。そもそも、ファンや市場より賞の権威を優先するどこかの映画業界の様になるべきではないと思う。それは滅びの道。
ポストモダンで教養主義的な批評は死んだかと思ったら広告収入や投げ銭の力でSNSやYouTubeを使って墓から甦ったりはしてるんだよなあ。
まず年表を作成する必要がある気がする。小説映画ドラママンガアニメゲーム、ベストセラーやテレビ番組と社会における事件や報道を合わせてをまとめて時系列で俯瞰できる資料があると変わるんじゃないだろうか。
アニメ・ゲームを楽しむ権利をアカデミアに売り渡す様な未来は嫌だし、批評に載せて自己の思想を押し付けられたと感じた一般人が嫌悪した結果が現在の日本だと思います/はてパの仕様は考察や批評に向いてると気がつ
異世界物のブームは現実のブラックぶりが酷いからだという批評してるけど誰にも取り合ってもらえないゾ。現実逃避じゃなくてあるべき世界の再構築なのよ。仮想異世界を参考に現実世界にフィードバックすべき
批評なんてこういう見方もあるよという提示にしか過ぎないけど、そう見ることができない人らも非常に多いので、お互い好きなとこでやってましょうしか現実的な解無し。お互い邪魔をしないで、成熟を目指しましょう。
デジタルはフォーマットが変わると簡単に視聴できなくなる。 その時テクニカルな批評はゴミ箱行きになり社会的な位置づけに関する批評のみが残る。
むしろこれは真逆だと思ってて、日本のアニメ漫画ゲーム文化がここまで大きくなった理由の一つに「批評家による作品の位置付けがなかった」があると思うんだよな
映画のレビューサイトは見かけるけど、ゲームのレビューサイトは見かけないね。昔は幾分かあった記憶たげど。
自分が批評性をもてば他人の批評など必要ないのだった。みんなエッジランナーズ2を見ろ。
近年の考察はクイズや謎解きのような製作者が隠した正解や伏線をいち早く見つける競争で盛り上がりやすいけど、いわゆる批評になると自分語り乙とか作品で社会を批判するな的な方向に冷笑されるので盛り上がらない
枝葉末節に注目がいきがちなのは、ニコ動のせいかも…とか思ったり。なぜ、なろう系や悪役令嬢モノなどの流行りものの構造を分解しない態度はよくないな~とは思う。そこに社会の問題解決の糸口があったり?
みんな「好きなものを否定されたくない」というマインドが強くなったんじゃないかな。アニメゲームだけじゃなくて音楽も似たような状況だよ。批評と否定は違うものだけど、それを完全に分離して考えられる人は少ない
プロの作家が必要としてるのは正しい批評なので売れてるからいーじゃんという態度は作家・ファンどちらの為にならない。売れてるからと放置されていた細田守が果てしなきスカーレットで爆死したのを忘れてはならない
その昔『ゲーム批評』という雑誌があってだな
社会と結びつけたら、自民党政権批判になってしまうじゃないか。そんなことしたら炎上間違いなし。
これも、ガイジンはこっち見んな、来るな!でよろしいかと。考察だろうと批評だろうと言い方はさておき作品を肴にワイワイやりたいだけや。
単純にブログが死んだから見られる機会が減っただけじゃね?スマホ時代の影響だよ。他国はどうしてるかと言えば動画でめっちゃ意見言うんだけど、日本人はシャイだからそう言うの少ない。
数年したら流行の勢いが消える娯楽作品の考察に、社会的影響を結びつけるのは無駄というのは結論づけられてるので。そこに垣間見える作品のメッセージ性に特化された考察というのはむしろ洗練されている証拠である。
例に取り上げた韓国垢の考察にも、一言「これは批判ではない」とか書かないと変な炎上する可能性を気にしてる様に、考察や批評と批判、罵倒の区別がつかない人の声がデカいしみんな迂闊なことしたくないんよ
しかし、日本人が『分析批評』したとして、その時に使うツールが『ヨーロッパ基準』のものだとしたら、結局でてくる批評(そして力)というものは、『黒船が持ってきたもの』と同じものになるのではないか?
日本の評論ってなんかにつけ歴史修正してくる感じが強い(個人の感想です)
評論家がでかい面して物申してて、その声を視聴者やユーザーよりも重視した欧米はどうなった?なんで表現規制まみれの欧米様を見習う必要があるんだよ?権威主義も大概にしろ/無能な社会学者の食い扶持探し
アニメ評論家については後進のイメージがないけどちゃんとした人たちはいたように思うけど、ゲーム批評というとこのワードが同名の雑誌に汚染されてそもそもまともなゲーム評論家はいたっけ⋯(知らないだけかも)
別に死んで無いと思うけどね。あとムーブメントの内側か外側にいるかで変わるから
"「考察」にはその作品がヒットしたという社会現象について、ひいてはなぜその作品が社会と共鳴現象を起こしているのかについて、論述するものは少ない"←そういうのは批評・評論であって「考察」には入らないのでは
中国の「二次元狂熱」誌もチラ見しかできてないけど凄そうだもんなぁ
海外のゲーム批評家って「ゲーム内容はコピペゲーだが、主人公がトランスジェンダーの片剃りの黒人”女性”でゲイ、チェックリスト満点だから100点」とか吹いてる人達のこと?「黒船」じゃなくて「泥舟」では?
進撃の巨人の脚本とかいるよね?ネットにたくさんいると思うけど…権威もたせたら鼻が屋久杉になりそうだからそんなに栄えなくていいかなと思ってる。
海外の型にはめたがる批評屋にいいようにされたくない気持ちはあるが、そもそもこの正しさ溢れる世界ではそういう「批評」しか許されない気もする。色々と根っこが腐っている。
良いか悪いかは置いといて、考察だの伏線だのが消費者に蔓延ってるのはワンピースの功罪だと思っている
重箱の隅つつき文化だからな