この読みはとても興味深い。男の「感情の語れなさ」を、信田〜三宅ラインの多分に生得的な困難と捉えるのではなく、フォーディズム世代のPTSDと捉えることもできる、と。戦場のことを語れなかった世代と同様に。
50、60の男が女がやっているカウセリングセンターに行くという様子が想像出来ない。しかも、電車移動必須な原宿でしょう?そもそもだいぶ偏ったサンプルなのでは。俺の持論では電車好きの男は歳を問わずガイジだよ。
信田さよ子:臨床心理士、フェミニスト。アダルトチルドレンブームの火付け役。(wikiより)。うんフェミニストの言うことだしね。
最近よく思うのは”発達障害”で人の行動をなんでも説明しようとするところがある.グラデーションがあるんだから.生活の”障害”になってないならわざわざ言及する必要はないように思う.
他人と違うことをADHDやら発達障害で仕分けしてしまうことの浅はかさ
発達障害とか社会構造の変化で生まれたものでしかないからな、社会が高度化して肉体労働より頭脳労働を重視するようになった結果
(いうてDisorderはDisorderやろとなる。それで被害受けた人間としては。/ 正確な言葉を使って欲しいとの提言と理解するけど、個人的にはまだ正確さより敷衍性を優先してほしい事柄かなと思う。まだ世間に伝わってない)
ほらね、フェミニストって馬鹿でしょ?/男らしさの基本は「 怒り以外の感情を抑制すること」だから、感情垂れ流しで空気を読まないASD/ADHDの対極だよ。そもそも、寡黙で非言語コミュニケーション重視だからな?
一部の男女の発達障害とおぼしき行動が昭和らしさでマスキングされていたか=YES。昭和の男は発達障害だったか=NO
病名を付けることで幸せになった人もいるだろうが、同じだけ不幸になった人もいると考えている。
迷惑な人を見つけては「あいつは発達傷害」と指さすようなのは良くないが、実際に妻を病ませてる夫の言動に対して、発達障害を疑ってなんらかの対処が出来るのなら、疑いのヒントが与えられるのは悪か?とは思う。
で?女らしさの方は理想の人間像かな?
自分も2つ(以上)の事象間に類似性を見つけるのが日々の趣味だけど、天下に発表して世の中を動かしたい人はもう少し硬度を増してからにしたほうがよいと思う。※なんでもそれで説明できちゃう、が魅力的なのは判る
難しいな。祖父母の世代を見ると、男子に対してはその男らしさを育む教育をしてきたから。発達障害はまさにお所らしさと対極な人もいる。だから範囲が広すぎるし、世代的価値観と疾病を同一視するのは危険だと思う。
昨日のNHK スペシャルみたいに、脳の構造的・機能的変化があり、薬がそこに効くエビデンスがあるならいいけど、なんちゃら障害の病名の殆どには、それがないよ。製薬会社じゃなくて、AIに研究してもらった方がいいかも
「要領の良さ」や「柔軟さ」だけを正解としそれ以外の生き方を認めないという別の同調圧力。 カウンターが次の権力になる構造では。 男らしさを批判するの、不正確な医学用語使わなくてもいくらでもできるはず。
発達障害的、というのは、便利な言葉だな、とおもった。が、非発達障害的なふるまいが、時代や文化の影響を受けていない普遍的なものであるとは到底思えない以上、なにをもって、発達障害的というのかは怪しいものだ
こんな暴論が通じるなら、「俺の背中を見て育て」は超ハイコンテキストだし、むしろ「言わないでも私の気持ち察してよ」な女性的な特徴ともいえるんじゃないか。
専門家の立場を悪用して性差別するの、ナチスドイツの二番煎じだから。
昭和の男らしさは女性への接待義務強要。「男が無自覚に女を下に見てやる気を出せるよう、女は努力しろ(接待次第で男が守ってくれるかもよ?男が良くならなきゃ女が悪い)」。令和の無気力ミソ男と相性良いのは確か
社会全体に漂う空気によって、人の行動はいくらでも変わる。「まとも」は国や時代で違う。今の人を、今の尺度によって評価すべきであって、「悪しき過去」の象徴たる昭和を持ち出したところで無意味。
フェミニズムは社会悪だ。少なくともアカデミアが権威として取り上げるべきではない
昭和の男像を擁護する気は全くないが、先天的なものに例えるのは筋が悪い。どちらかというと当時の社会や企業によるPTSDでしょう。あ、糞フェミの糞共に何言っても無駄なのは分かってる。
みいちゃんガーじゃあないんだよなマジで
信田氏の話はおかしい。昭和の男らしさ云々て、高倉健的な何かでしょ。主演映画観れば分かるけど、その男らしさを受け入れていたのは観客で、映画内での高倉健は「古くて頑固」で孤立する価値観を体現していたからね
なわけね〜 で終わり
志高い心理士って、障害を悪いものと扱う同業に異常に厳しいよね/当事者は あ~わかるわ~くらい温度感というのがまた酔いの美学的/健常と障害の境界への抗議ならまだしも「的」まで目くじら立てたらおしまい
『「自分の信念を曲げずに頑固なまでに固執する態度」が「発達障害的」と形容される』← なら武士道とか発達障害かよ
いい加減なラベリング、レッテル貼りだ
ふた昔前は昭和の男目線で「神経症的」いう表現をよく見かけたが、令和には逆サイドから「発達障害的」という「見立て」が多用されるかもね。
実際被害にあっている人間からすると、「他人と違うことをADHDやら発達障害で仕分けしてしまうことの浅はかさ」で、片づけられるとほんと救いがないんだよな。本当に問題ある発達障害だった場合どうすんの?
不景気でリストラが盛んな時代に仕事関係で懇意にしていた人が首を吊った。失うものがあるのが辛いと溢していたのが最期の言葉。一家の大黒柱という昭和の男らしさで抱えすぎた。でもそれが発達障害とは思わない。
発達障害の特徴なんか100%の人が持っている。それが脳の特性によって起きてコントロール可能かどうかが問題なんだよ。それに昭和の時代の男性の特徴を「発達障害」に当てはめてネガティブに評価していることも問題
寝技、根回し、接待とか、昭和のサラリーマンってかなり社交性が求められていたと思うんだけどな。昭和的な企業に発達障害を持つ人が適応できる気もしないし…全然ピンとこない。
なんでもすぐ発達障害。誰もその意味を理解してない。
発達障害の否定的使用の終焉が必要は分かるが「昭和的男性」 に生じた自己中心的行言動異常とそれを安易に紐付けるのはどうか。AIで現在の概念で注意して扱うべき言葉が含まれているか確認すればよかったのに。
ある一面のみにフォーカスして症状を当てはめれば、なんでも発達障害と重なるを言えるよね。
この文脈だと男らしさと自分のプライドに拘り、仲間に助けを求められなかった末に世界を滅ぼしたエレン・イェーガーは完全に発達障害児だな。
発達障害という言葉はもうちょいカジュアルに使ってよいとは日頃思っているが、「便利なゴミ箱・押しつけ先」として使っていいとは全く思わない。
他人を発達障害!で貶めてするマウントが大好物な同質性依存の接待大好きな人格未成熟者がする、自己肯定のための思索系駄文も結構ブクマに上がってくるよね。
時代の価値観の変化と発達障害のレッテル貼りを混同するのは危険という指摘はごもっとも。安易に診断名的な言葉をネガティブに使う風潮は良くないな
男だ女だというから冷静に考えられなくなる。フォード式工業社会で労働者に求められていたのは、ひと昔前のロボットや人工知能のようになることで、当時の労働者といえば主に男性が想定されていたというだけのこと
これはかなり批判されても仕方ない記述だろうとは思うものの、まだ読んでないので、ぼんやり思っているだけになる。しかし、こういうのが受け入れられるのは結構危うい時代性も感じたりもする。
結局みんな差別がしたくて仕方ないのよね
発達障害と昭和の男らしさを同一視って、対立的な特徴を同じと言っている感じ……メチャクチャ多様性があるから一部重なる部分もあるだろうけど
同じ文化、言語、習慣を共有してきた者達だからこその「言わなくてもわかる」だったのであって、多様な価値観の中では発達障害のように見えてしまう。それを発達障害と断言してしまうのはアテンションエコノミー
昭和の男らしさは、そのまま発達障害の特徴と重なっているのか?|TU
この読みはとても興味深い。男の「感情の語れなさ」を、信田〜三宅ラインの多分に生得的な困難と捉えるのではなく、フォーディズム世代のPTSDと捉えることもできる、と。戦場のことを語れなかった世代と同様に。
50、60の男が女がやっているカウセリングセンターに行くという様子が想像出来ない。しかも、電車移動必須な原宿でしょう?そもそもだいぶ偏ったサンプルなのでは。俺の持論では電車好きの男は歳を問わずガイジだよ。
信田さよ子:臨床心理士、フェミニスト。アダルトチルドレンブームの火付け役。(wikiより)。うんフェミニストの言うことだしね。
最近よく思うのは”発達障害”で人の行動をなんでも説明しようとするところがある.グラデーションがあるんだから.生活の”障害”になってないならわざわざ言及する必要はないように思う.
他人と違うことをADHDやら発達障害で仕分けしてしまうことの浅はかさ
発達障害とか社会構造の変化で生まれたものでしかないからな、社会が高度化して肉体労働より頭脳労働を重視するようになった結果
(いうてDisorderはDisorderやろとなる。それで被害受けた人間としては。/ 正確な言葉を使って欲しいとの提言と理解するけど、個人的にはまだ正確さより敷衍性を優先してほしい事柄かなと思う。まだ世間に伝わってない)
ほらね、フェミニストって馬鹿でしょ?/男らしさの基本は「 怒り以外の感情を抑制すること」だから、感情垂れ流しで空気を読まないASD/ADHDの対極だよ。そもそも、寡黙で非言語コミュニケーション重視だからな?
一部の男女の発達障害とおぼしき行動が昭和らしさでマスキングされていたか=YES。昭和の男は発達障害だったか=NO
病名を付けることで幸せになった人もいるだろうが、同じだけ不幸になった人もいると考えている。
迷惑な人を見つけては「あいつは発達傷害」と指さすようなのは良くないが、実際に妻を病ませてる夫の言動に対して、発達障害を疑ってなんらかの対処が出来るのなら、疑いのヒントが与えられるのは悪か?とは思う。
で?女らしさの方は理想の人間像かな?
自分も2つ(以上)の事象間に類似性を見つけるのが日々の趣味だけど、天下に発表して世の中を動かしたい人はもう少し硬度を増してからにしたほうがよいと思う。※なんでもそれで説明できちゃう、が魅力的なのは判る
難しいな。祖父母の世代を見ると、男子に対してはその男らしさを育む教育をしてきたから。発達障害はまさにお所らしさと対極な人もいる。だから範囲が広すぎるし、世代的価値観と疾病を同一視するのは危険だと思う。
昨日のNHK スペシャルみたいに、脳の構造的・機能的変化があり、薬がそこに効くエビデンスがあるならいいけど、なんちゃら障害の病名の殆どには、それがないよ。製薬会社じゃなくて、AIに研究してもらった方がいいかも
「要領の良さ」や「柔軟さ」だけを正解としそれ以外の生き方を認めないという別の同調圧力。 カウンターが次の権力になる構造では。 男らしさを批判するの、不正確な医学用語使わなくてもいくらでもできるはず。
発達障害的、というのは、便利な言葉だな、とおもった。が、非発達障害的なふるまいが、時代や文化の影響を受けていない普遍的なものであるとは到底思えない以上、なにをもって、発達障害的というのかは怪しいものだ
こんな暴論が通じるなら、「俺の背中を見て育て」は超ハイコンテキストだし、むしろ「言わないでも私の気持ち察してよ」な女性的な特徴ともいえるんじゃないか。
専門家の立場を悪用して性差別するの、ナチスドイツの二番煎じだから。
昭和の男らしさは女性への接待義務強要。「男が無自覚に女を下に見てやる気を出せるよう、女は努力しろ(接待次第で男が守ってくれるかもよ?男が良くならなきゃ女が悪い)」。令和の無気力ミソ男と相性良いのは確か
社会全体に漂う空気によって、人の行動はいくらでも変わる。「まとも」は国や時代で違う。今の人を、今の尺度によって評価すべきであって、「悪しき過去」の象徴たる昭和を持ち出したところで無意味。
フェミニズムは社会悪だ。少なくともアカデミアが権威として取り上げるべきではない
昭和の男像を擁護する気は全くないが、先天的なものに例えるのは筋が悪い。どちらかというと当時の社会や企業によるPTSDでしょう。あ、糞フェミの糞共に何言っても無駄なのは分かってる。
みいちゃんガーじゃあないんだよなマジで
信田氏の話はおかしい。昭和の男らしさ云々て、高倉健的な何かでしょ。主演映画観れば分かるけど、その男らしさを受け入れていたのは観客で、映画内での高倉健は「古くて頑固」で孤立する価値観を体現していたからね
なわけね〜 で終わり
志高い心理士って、障害を悪いものと扱う同業に異常に厳しいよね/当事者は あ~わかるわ~くらい温度感というのがまた酔いの美学的/健常と障害の境界への抗議ならまだしも「的」まで目くじら立てたらおしまい
『「自分の信念を曲げずに頑固なまでに固執する態度」が「発達障害的」と形容される』← なら武士道とか発達障害かよ
いい加減なラベリング、レッテル貼りだ
ふた昔前は昭和の男目線で「神経症的」いう表現をよく見かけたが、令和には逆サイドから「発達障害的」という「見立て」が多用されるかもね。
実際被害にあっている人間からすると、「他人と違うことをADHDやら発達障害で仕分けしてしまうことの浅はかさ」で、片づけられるとほんと救いがないんだよな。本当に問題ある発達障害だった場合どうすんの?
不景気でリストラが盛んな時代に仕事関係で懇意にしていた人が首を吊った。失うものがあるのが辛いと溢していたのが最期の言葉。一家の大黒柱という昭和の男らしさで抱えすぎた。でもそれが発達障害とは思わない。
発達障害の特徴なんか100%の人が持っている。それが脳の特性によって起きてコントロール可能かどうかが問題なんだよ。それに昭和の時代の男性の特徴を「発達障害」に当てはめてネガティブに評価していることも問題
寝技、根回し、接待とか、昭和のサラリーマンってかなり社交性が求められていたと思うんだけどな。昭和的な企業に発達障害を持つ人が適応できる気もしないし…全然ピンとこない。
なんでもすぐ発達障害。誰もその意味を理解してない。
発達障害の否定的使用の終焉が必要は分かるが「昭和的男性」 に生じた自己中心的行言動異常とそれを安易に紐付けるのはどうか。AIで現在の概念で注意して扱うべき言葉が含まれているか確認すればよかったのに。
ある一面のみにフォーカスして症状を当てはめれば、なんでも発達障害と重なるを言えるよね。
この文脈だと男らしさと自分のプライドに拘り、仲間に助けを求められなかった末に世界を滅ぼしたエレン・イェーガーは完全に発達障害児だな。
発達障害という言葉はもうちょいカジュアルに使ってよいとは日頃思っているが、「便利なゴミ箱・押しつけ先」として使っていいとは全く思わない。
他人を発達障害!で貶めてするマウントが大好物な同質性依存の接待大好きな人格未成熟者がする、自己肯定のための思索系駄文も結構ブクマに上がってくるよね。
時代の価値観の変化と発達障害のレッテル貼りを混同するのは危険という指摘はごもっとも。安易に診断名的な言葉をネガティブに使う風潮は良くないな
男だ女だというから冷静に考えられなくなる。フォード式工業社会で労働者に求められていたのは、ひと昔前のロボットや人工知能のようになることで、当時の労働者といえば主に男性が想定されていたというだけのこと
これはかなり批判されても仕方ない記述だろうとは思うものの、まだ読んでないので、ぼんやり思っているだけになる。しかし、こういうのが受け入れられるのは結構危うい時代性も感じたりもする。
結局みんな差別がしたくて仕方ないのよね
発達障害と昭和の男らしさを同一視って、対立的な特徴を同じと言っている感じ……メチャクチャ多様性があるから一部重なる部分もあるだろうけど
同じ文化、言語、習慣を共有してきた者達だからこその「言わなくてもわかる」だったのであって、多様な価値観の中では発達障害のように見えてしまう。それを発達障害と断言してしまうのはアテンションエコノミー