認めた上で相手にしなければいいじゃん。表現することは自由だけど、主張を受け入れる必要はない。
どうして「表現規制したい」から逃げるのがわからん。頑なに「これは表現規制じゃない」って言いたがるのなんで?ごはん論法?
“正面から答えた記事/論者が今のところ現れてない” めちゃくちゃ既出の論点だが https://ja.wikipedia.org/?curid=3844234 私も前に書いたことがある https://sangping.hatenablog.com/entry/2021/12/23/000000
逃げるも何も、余裕で既に答えてあるんよなぁ。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4739346229210931941/comment/rag_en
内心では「内心の自由など認めない」という思想を持つ自由
権力や暴力のような有形無形の力で強制するのが駄目なだけで、「止めろ」と批判するのは表現の自由。ジレンマですらない。 例えばの話、カルトにハマった親類を止めるのは信教の自由の侵害で厳に慎むべきか?
表現の自由は国家権力に検閲されないとする自由ですよ。なので民間同士は自由を制限させようとすると一方的な権力は無いわけですから、殴り合い(討論)ですね。それが他者の自由の侵害になれば民事訴訟になります。
規制を主張するのは自由、それに反対するのも自由、どちらの側にも言えるが強火の反対意見が出たくらいで弾圧と言って被害者を装い相手の口を塞ぐ論法は卑怯者のすること。 それが明るみになるのも自由あってこそ。
誰も認めてくれないよ、というのに根拠がないような。自分が認めないなら自由だけど、みんなそうだみたいなのを言ってしまうのが不思議。
よし、この増田を弾圧してやるぞ!
権力による弾圧はNG、市民同士がお互いの自由をかけた闘争はむしろ革命精神の規範だ。「血涙の数だけ強くなれるよ、アレテイアに散る華のように」マヨの歌を高らかに、ネットを出てリアルで殴り合え。斧をどうぞっ🪓
表現を弾圧しようと表現する自由はあるよ。 何かを弾圧する自由はそもそもない。
民間の写真展に「公権力」を見つけ「検閲」概念を拡張し民事で勝利したことから、あいちトリエンナーレ「表現の自由展・その後」にまで発展して「公共」と「検閲」をリンクさせる流れもあったなと振り返る。
"ポパーは不寛容な発言を禁止するべきではなく、拳固やピストルを用いて自説を押し付け反対者の自由を禁じようとした時に、不寛容に対して不寛容である権利を要求するべき"を読めないor理解できないXXが多いからでしょ
寛容のパラドックスやん。自由を保障するための罰則や規制はやむなしということで結論出てる議論だと思うよ
次にお前は「表現の自由を弾圧する自由を弾圧する自由」という
野放しの自由と法による禁止の間に様々な規制のグラデーションがある。その表現が誰かを苦しめたり自由を奪ったりするならゾーニング範囲の議論はあってよい
こういうのを中二病って言うんだよね。無知ゆえに思いついたことが素晴らしいアイディアだと感じちゃう。世間はわかっていない。自分は特別だ!みたいな。
先回りすると、不快な表現を見ない権利は既に最高裁で否定されている。つまり、それ相応の重大な理由がなければ、他者の表現の自由を規制することはできないという結論が、少なくとも日本では出ているね。
あのな、そもそも自由権ってのは「国家から不当な干渉や制限を受けずに、個人が自由に考え、行動できる権利」という定義なのよ。「表現の自由を弾圧する」=「国家からの不当な干渉」だから定義として成り立たない
法学書の一冊も読まずに何を言うか。日本の表現の自由は民主主義や表現の自由を破壊する表現も認めている(=戦う民主主義を採用していない)/id: yujimi-daifuku-2222 権利がないってのは主張できないって意味じゃない
うまいこと考えたつもりだったのかな
別に寛容のパラドックス的なアレの応用でどうとでもなると思うが違うん?
批判は自由。表現させないがダメ。表現させないということは、その表現そのものをなかったことにしようとすること。
こんなものは簡単である。そもそも憲法上の弾圧とは公権力の行為を指す。その辺の人が文句を言うのは勝手。批判という言論の自由を行使しているだけ。
他者の自由(を含む基本的人権)を侵害しない限り自由。ゾーニングで配慮するなどし、基本的人権を妨げていないのに自由を妨げることはできない。「認めたくない、見たくない、嫌い、配慮が足らない」は通用しない
表現の自由は法に規定があるけど、表現を規制する規定はないってだけじゃない?
毎回「◯◯するのは自由、しないのも自由」と書いてるはてなー見てると笑っちゃうよな。それは文化相対主義と言って30年以上前に批判され乗り越えて来たものだ。しない自由、んなもん本当にあるのか?
んな寛容のパラドックスレベルの話を……。//規制や制限の言論は結果的に公共性などの観点から社会的に認められればセーフだが、認められなければアウトで弾圧者扱いされるべきだよ(チャレンジは自由)。
その問題じゃないからだろ
表現されたものを批評する自由はあれど表現する事を規制するには公的なルールが必要。今回のアニメ化話では表現しようとする行為へルールに基づかずに妨害を試みた事例。
人を殺したらダメって法律に書いてないよねっとか言い出す奴だな
「みいちゃん批判を批判するな」 くらいの意味だろうか?🤔
「弾圧する自由」はない。 「特定の表現を否定する表現の自由」はあるが。
法がいう「自由」とは「良心発揮の自由」。「悪意発揮の自由」はない。言論の自由は憲法が保証するが、侮辱罪や名誉毀損罪も併立している理由は、言論の自由は「良心発揮の自由」だから。
そもそも表現の自由なんてこの世界にはないの。だから出来るだけ守ってかなきゃいけないの。
規制と自由の折り合いをつけたのが「ゾーニング」ではあると思うのだが、どちらの側からもその壁を踏み越えようとするオカシな輩が定期的に出現するから厄介なことではある
「弾圧」とか、それ自体に特定の評価(分かりやすくいうと"お気持ち")が含まれる言葉って、疑問なく自然に使い続けると思考が染まるよ。分かって使うならまだしもだけど、それも使い過ぎには気をつけた方がいいと思う
フランスは自由でないことに対する自由はないように思える。ブルカ禁止みたいに。
表現の自由は基本的人権なので法に違反する場合や特定の個人の人権に干渉する場合でないと制限されない。作品に対して異論があるなら内容への批評批判をすべきであって誰かの人権を弾圧する自由など無い。
あくまで自由なのは表現であって、弾圧の自由ではない。不快などと表現する自由はあっても、だからなに?って話でしかない。
具体的に何のことを指しているのかわからないけど、権力が表現を弾圧したらあかんよね。個人が誰かの表現を批判するのは自由にして。
表現の自由はあくまで国民が国から制限されないという話です(6回目)
ブコメ便利
表現の自由を弾圧する自由を弾圧する自由
そもそも「表現の自由」とは公権力に表現を阻害されないこと、というものなのに、その前提で話してる人がおそらく半分もいない。ネット論壇はバカばかり、もうおしまいです。終わり終わり
そもそも「表現の自由!」と唱えさえすれば無制限の表現が許容されるわけじゃない。当然、周囲との調整が必要になる。どんな権利も社会を構成する人と人が相互に承認し合うことでしか実現できない。
その問題についてはもう「寛容な社会を維持するためには不寛容には不寛容であらねばならない」って結論が出てる。寛容のパラドックス https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E5%AE%B9%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
公権力の介入でなければ表現の自由も表現を批判する自由もその批判を聞かない自由も全て保証されているよ。法規と公共の福祉に反さない限り自由。増田の周回遅れのご意見も自由。
「黙って欲しい」と考えを述べる自由と、黙らせる自由は違うというだけでは?(ネット上の拡散力の偏りのせいで、一部の意見が拡散しないことがあるというのは問題だと思うけどね)
弾圧する自由ってなかなかパワーワードだな。こういう発想が発展してモラルが欠如していくのだろうか。俺は狭いコミュニティでやってる人達はご自由に。害がなければ変に口出ししないほうがいいって思うよ
いや、権力が弾圧しない限り自由でしょ。表現もその批判も。だからあとは殴り合いだよ。どちらかが引くまで。表現の自由バーリトゥードだよ。
諸々の自由は「公共の福祉に反しない限り」と条件が付いてるじゃないか。
前に集英社が宗教漫画を打ち切ったことがあったけどあれも別に憲法が保証した表現の自由や出版の自由に反した行動ってわけでもないんだよね。民間企業なんてそんなもんだって話だけで
どうして「『表現の自由』とは何かを学ぶこと」から逃げるのか分からなくて/素朴な思い込みは何ら恥じることではなく、字面だけの印象で「こういう意味だろう」と解釈してしまうことはある。でも誤解なことも多い
「寛容のパラドックス」か。
他人の権利を侵さなければ自由にして良いよ。ってのが根底にあるんだけど...
そも「弾圧」っていうのは、強権強制的な排除の意味合いなので、表現限らず禁忌だよ。|仮に批判程度の意味合いだとして、「認めない」という批判の言葉自体も「表現」なので、それも批判されうる対象となる。
国が規制し出してから呼んでください
認めない自由はあるよ。ただ、あまりに行使してるとブーメランが刺さるから、基本、人はやらないだけで
せっかくの連休なのに暇なことしてんな。時間は有限だぞ
そもそもみいやまでは、公権力の介入する兆候もないのにアニメ化反対に対して「表現の自由に反する」と言ってた人たちがおかしいのでは?彼らが守りたいものは表現ではない。
作品を公開したり販売したり出来てるなら「表現の自由」はもう完遂されてるじゃない。批判されたり不買運動されたくないって何様なんだよ。
表現の自由に関しては不寛容のパラドックスというよりかは、批判をさらに批判する自由という再帰構造を持っているので。「「表現の自由を弾圧する自由」を批判する自由」から逃げようとしている増田。
他人の権利を侵害する権利は司法以外にはないので。個人間で権利が衝突した場合は交渉、決着つかなければ裁判。それが法治国家です。
「不適切表現だ!やめろ」「おかしいだろ!表現の自由だ」ここまできわめて典型的な表現の自由だが?権力を行使して、法的根拠なく取り下げさせたら表現の自由の弾圧だけど。
ブコメでおおかた指摘されているけど、表現の自由って「言論の暴力には言論で各自対抗せよ」という相当にタフな概念であることはことあるごとに周知されるべきかと思う
総ツッコミで笑った🤗恥かくにしても増田でよかったね
公権力の介入でなければ問題無いって意見よく見るけど、たとえば右派or左派論客の講演会に民間からやめろって声(と、真っ当な批判、誹謗中傷混ざって)がわっと集まって講演会が中止になるのは問題無いの??
この益田に批判的な意見が集まっているが議論できるスペースが確保されている必要が必要かと改めて思った、一回差別や社会的正しさみたいなものから全員リングを降りて真の言論の戦争をすべきで持つものは証拠のみ
民事訴訟はほとんどの場合割に合わない。この状況を生んでいる法整備の遅さ・技術に対するアンバランスさが歪み、各人の政治思想に更に歪んだ影響を与えているのかも
弾圧って言っちゃってるじゃんみたいな?
そもそも論として、何かを弾圧する自由など認められてないやろ。それは強要罪に当たる。最初から間違ってる。
また寛容のパラドックスの話
表現の自由は血で書かれているとはいうが、字が書けた人と字が読める人がいるという大前提
阿呆は「非寛容に対する非寛容」を錦の御旗にするよね。表現の自由に対する非寛容、どう考えているのか。なにも考えていないのだろう
もし社会が無制限に寛容であるならば、その寛容さは最終的に不寛容な者たちによって奪われ、寛容な社会そのものが破壊される by wiki
キミまず「弾圧」とは何か?をだな…
オタク系コンテンツでクレカが使えなかったりエロゲの売上が送金されなかったり既に弾圧する自由は行使されてる。それは認められた自由だ。そしてそれに対抗するのは法だよ。
批判に留まるなら表現よ。でも、弾圧って表現の範囲超えてくるのが常と思うが。あなたの発言はおかしい、というのと口を塞ごうとするのは違うってのはわかるよね?
人権には内在制約があるという前提くらいは知った上で参加してほしいな。もちろん愚かなまま発信するのも表現の自由の一環ではあるが、内在制約が無ければそういう少数派は弾圧されて黙らされて終わりだよ
オタクが乱発する弾圧という被害者ぶりたいお気持ちが含まれた言葉の使い方のせいで、本当の弾圧が行われたときに言葉の意味が薄まる。
どうせこんなこと言うバカだからここのコメントも読めないよ
自由の構造に違和感を覚える子は伸びる
弾圧とは権力者がするものだが、この手の方にかかると意味が逆転するのが不思議。ぼくが従っている権力に刃向かうとは不愉快千万ということか。
「不快な表現を我慢して多様性を守る」と言ってる人も実践は伴わない。他人にとって不快な表現を我慢させる時に使われる。差別表現も表現の自由だけど不快な表現は潰す。これが日本インターネットの「表現の自由」
誰が権限を持つのかを常に意識したほうがいい。
自由を否定するものにまで寛容になったら自由が失われるのも分からないの?反自由にまでウンウンそうだね自由だねなんてバカは居ねえんだよ。最大の自由のための最小の不寛容として反自由への否定が必要なんだろうが
論じてる人はは多くいる。人類の歴史の中で、凡人レベルの考える事など、既に議論されてる。結論としては、場面によって具体的に考える必要があるかな。
カール・ポパー読んだ? 寛容のパラドックス
表現の自由を主張する権利と同じように「特定の作品の商業化に反対することを主張する自由」だってあるんやで。今まではマスメディアという大きなフィルターがかかっていたけど、適法ならなんでも許されるの?
個人が嫌いな表現に対しキャンセルすることは自由。公権力が表現を弾圧しようとするなら制限される。表自はそこが逆転していて、一般人の不快表明には過剰に反応するくせに、国旗損壊罪等は容認するから駄目
表現の自由はあくまで国家との関係性が前提なんだよなあ
キッツー。わざわざドヤ顔で太字にして「表現の自由なのかな?」って言っちゃうのキッツー。え、これまだ消えてないの?キッツー。
カール・ポパーなの。知らなかった。また賢くなってしまった。
いやいや、普通に手垢がつきまくった古典的な問題なので専門書や新書の一冊くらい読もうな
こういうのは車輪の再発明とは言わないのかね。あと終わった話を何度も繰り返して議論の余地があるように錯覚させるのは歴史修正主義の常套手段でもあります。
的外れだし筋違いだしめんどくせえな
弾圧したければまず権力を握らないと。
民間には権力がない(大嘘)ので弾圧にならないという不思議理論エコチェンで増幅しすぎじゃない?ビザマスの恣意的検閲が問題ではないとでも言うのかね
どうして「表現の自由を弾圧する自由」から逃げるのか分からなくて
認めた上で相手にしなければいいじゃん。表現することは自由だけど、主張を受け入れる必要はない。
どうして「表現規制したい」から逃げるのがわからん。頑なに「これは表現規制じゃない」って言いたがるのなんで?ごはん論法?
“正面から答えた記事/論者が今のところ現れてない” めちゃくちゃ既出の論点だが https://ja.wikipedia.org/?curid=3844234 私も前に書いたことがある https://sangping.hatenablog.com/entry/2021/12/23/000000
逃げるも何も、余裕で既に答えてあるんよなぁ。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4739346229210931941/comment/rag_en
内心では「内心の自由など認めない」という思想を持つ自由
権力や暴力のような有形無形の力で強制するのが駄目なだけで、「止めろ」と批判するのは表現の自由。ジレンマですらない。 例えばの話、カルトにハマった親類を止めるのは信教の自由の侵害で厳に慎むべきか?
表現の自由は国家権力に検閲されないとする自由ですよ。なので民間同士は自由を制限させようとすると一方的な権力は無いわけですから、殴り合い(討論)ですね。それが他者の自由の侵害になれば民事訴訟になります。
規制を主張するのは自由、それに反対するのも自由、どちらの側にも言えるが強火の反対意見が出たくらいで弾圧と言って被害者を装い相手の口を塞ぐ論法は卑怯者のすること。 それが明るみになるのも自由あってこそ。
誰も認めてくれないよ、というのに根拠がないような。自分が認めないなら自由だけど、みんなそうだみたいなのを言ってしまうのが不思議。
よし、この増田を弾圧してやるぞ!
権力による弾圧はNG、市民同士がお互いの自由をかけた闘争はむしろ革命精神の規範だ。「血涙の数だけ強くなれるよ、アレテイアに散る華のように」マヨの歌を高らかに、ネットを出てリアルで殴り合え。斧をどうぞっ🪓
表現を弾圧しようと表現する自由はあるよ。 何かを弾圧する自由はそもそもない。
民間の写真展に「公権力」を見つけ「検閲」概念を拡張し民事で勝利したことから、あいちトリエンナーレ「表現の自由展・その後」にまで発展して「公共」と「検閲」をリンクさせる流れもあったなと振り返る。
"ポパーは不寛容な発言を禁止するべきではなく、拳固やピストルを用いて自説を押し付け反対者の自由を禁じようとした時に、不寛容に対して不寛容である権利を要求するべき"を読めないor理解できないXXが多いからでしょ
寛容のパラドックスやん。自由を保障するための罰則や規制はやむなしということで結論出てる議論だと思うよ
次にお前は「表現の自由を弾圧する自由を弾圧する自由」という
野放しの自由と法による禁止の間に様々な規制のグラデーションがある。その表現が誰かを苦しめたり自由を奪ったりするならゾーニング範囲の議論はあってよい
こういうのを中二病って言うんだよね。無知ゆえに思いついたことが素晴らしいアイディアだと感じちゃう。世間はわかっていない。自分は特別だ!みたいな。
先回りすると、不快な表現を見ない権利は既に最高裁で否定されている。つまり、それ相応の重大な理由がなければ、他者の表現の自由を規制することはできないという結論が、少なくとも日本では出ているね。
あのな、そもそも自由権ってのは「国家から不当な干渉や制限を受けずに、個人が自由に考え、行動できる権利」という定義なのよ。「表現の自由を弾圧する」=「国家からの不当な干渉」だから定義として成り立たない
法学書の一冊も読まずに何を言うか。日本の表現の自由は民主主義や表現の自由を破壊する表現も認めている(=戦う民主主義を採用していない)/id: yujimi-daifuku-2222 権利がないってのは主張できないって意味じゃない
うまいこと考えたつもりだったのかな
別に寛容のパラドックス的なアレの応用でどうとでもなると思うが違うん?
批判は自由。表現させないがダメ。表現させないということは、その表現そのものをなかったことにしようとすること。
こんなものは簡単である。そもそも憲法上の弾圧とは公権力の行為を指す。その辺の人が文句を言うのは勝手。批判という言論の自由を行使しているだけ。
他者の自由(を含む基本的人権)を侵害しない限り自由。ゾーニングで配慮するなどし、基本的人権を妨げていないのに自由を妨げることはできない。「認めたくない、見たくない、嫌い、配慮が足らない」は通用しない
表現の自由は法に規定があるけど、表現を規制する規定はないってだけじゃない?
毎回「◯◯するのは自由、しないのも自由」と書いてるはてなー見てると笑っちゃうよな。それは文化相対主義と言って30年以上前に批判され乗り越えて来たものだ。しない自由、んなもん本当にあるのか?
んな寛容のパラドックスレベルの話を……。//規制や制限の言論は結果的に公共性などの観点から社会的に認められればセーフだが、認められなければアウトで弾圧者扱いされるべきだよ(チャレンジは自由)。
その問題じゃないからだろ
表現されたものを批評する自由はあれど表現する事を規制するには公的なルールが必要。今回のアニメ化話では表現しようとする行為へルールに基づかずに妨害を試みた事例。
人を殺したらダメって法律に書いてないよねっとか言い出す奴だな
「みいちゃん批判を批判するな」 くらいの意味だろうか?🤔
「弾圧する自由」はない。 「特定の表現を否定する表現の自由」はあるが。
法がいう「自由」とは「良心発揮の自由」。「悪意発揮の自由」はない。言論の自由は憲法が保証するが、侮辱罪や名誉毀損罪も併立している理由は、言論の自由は「良心発揮の自由」だから。
そもそも表現の自由なんてこの世界にはないの。だから出来るだけ守ってかなきゃいけないの。
規制と自由の折り合いをつけたのが「ゾーニング」ではあると思うのだが、どちらの側からもその壁を踏み越えようとするオカシな輩が定期的に出現するから厄介なことではある
「弾圧」とか、それ自体に特定の評価(分かりやすくいうと"お気持ち")が含まれる言葉って、疑問なく自然に使い続けると思考が染まるよ。分かって使うならまだしもだけど、それも使い過ぎには気をつけた方がいいと思う
フランスは自由でないことに対する自由はないように思える。ブルカ禁止みたいに。
表現の自由は基本的人権なので法に違反する場合や特定の個人の人権に干渉する場合でないと制限されない。作品に対して異論があるなら内容への批評批判をすべきであって誰かの人権を弾圧する自由など無い。
あくまで自由なのは表現であって、弾圧の自由ではない。不快などと表現する自由はあっても、だからなに?って話でしかない。
具体的に何のことを指しているのかわからないけど、権力が表現を弾圧したらあかんよね。個人が誰かの表現を批判するのは自由にして。
表現の自由はあくまで国民が国から制限されないという話です(6回目)
ブコメ便利
表現の自由を弾圧する自由を弾圧する自由
そもそも「表現の自由」とは公権力に表現を阻害されないこと、というものなのに、その前提で話してる人がおそらく半分もいない。ネット論壇はバカばかり、もうおしまいです。終わり終わり
そもそも「表現の自由!」と唱えさえすれば無制限の表現が許容されるわけじゃない。当然、周囲との調整が必要になる。どんな権利も社会を構成する人と人が相互に承認し合うことでしか実現できない。
その問題についてはもう「寛容な社会を維持するためには不寛容には不寛容であらねばならない」って結論が出てる。寛容のパラドックス https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E5%AE%B9%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
公権力の介入でなければ表現の自由も表現を批判する自由もその批判を聞かない自由も全て保証されているよ。法規と公共の福祉に反さない限り自由。増田の周回遅れのご意見も自由。
「黙って欲しい」と考えを述べる自由と、黙らせる自由は違うというだけでは?(ネット上の拡散力の偏りのせいで、一部の意見が拡散しないことがあるというのは問題だと思うけどね)
弾圧する自由ってなかなかパワーワードだな。こういう発想が発展してモラルが欠如していくのだろうか。俺は狭いコミュニティでやってる人達はご自由に。害がなければ変に口出ししないほうがいいって思うよ
いや、権力が弾圧しない限り自由でしょ。表現もその批判も。だからあとは殴り合いだよ。どちらかが引くまで。表現の自由バーリトゥードだよ。
諸々の自由は「公共の福祉に反しない限り」と条件が付いてるじゃないか。
前に集英社が宗教漫画を打ち切ったことがあったけどあれも別に憲法が保証した表現の自由や出版の自由に反した行動ってわけでもないんだよね。民間企業なんてそんなもんだって話だけで
どうして「『表現の自由』とは何かを学ぶこと」から逃げるのか分からなくて/素朴な思い込みは何ら恥じることではなく、字面だけの印象で「こういう意味だろう」と解釈してしまうことはある。でも誤解なことも多い
「寛容のパラドックス」か。
他人の権利を侵さなければ自由にして良いよ。ってのが根底にあるんだけど...
そも「弾圧」っていうのは、強権強制的な排除の意味合いなので、表現限らず禁忌だよ。|仮に批判程度の意味合いだとして、「認めない」という批判の言葉自体も「表現」なので、それも批判されうる対象となる。
国が規制し出してから呼んでください
認めない自由はあるよ。ただ、あまりに行使してるとブーメランが刺さるから、基本、人はやらないだけで
せっかくの連休なのに暇なことしてんな。時間は有限だぞ
そもそもみいやまでは、公権力の介入する兆候もないのにアニメ化反対に対して「表現の自由に反する」と言ってた人たちがおかしいのでは?彼らが守りたいものは表現ではない。
作品を公開したり販売したり出来てるなら「表現の自由」はもう完遂されてるじゃない。批判されたり不買運動されたくないって何様なんだよ。
表現の自由に関しては不寛容のパラドックスというよりかは、批判をさらに批判する自由という再帰構造を持っているので。「「表現の自由を弾圧する自由」を批判する自由」から逃げようとしている増田。
他人の権利を侵害する権利は司法以外にはないので。個人間で権利が衝突した場合は交渉、決着つかなければ裁判。それが法治国家です。
「不適切表現だ!やめろ」「おかしいだろ!表現の自由だ」ここまできわめて典型的な表現の自由だが?権力を行使して、法的根拠なく取り下げさせたら表現の自由の弾圧だけど。
ブコメでおおかた指摘されているけど、表現の自由って「言論の暴力には言論で各自対抗せよ」という相当にタフな概念であることはことあるごとに周知されるべきかと思う
総ツッコミで笑った🤗恥かくにしても増田でよかったね
公権力の介入でなければ問題無いって意見よく見るけど、たとえば右派or左派論客の講演会に民間からやめろって声(と、真っ当な批判、誹謗中傷混ざって)がわっと集まって講演会が中止になるのは問題無いの??
この益田に批判的な意見が集まっているが議論できるスペースが確保されている必要が必要かと改めて思った、一回差別や社会的正しさみたいなものから全員リングを降りて真の言論の戦争をすべきで持つものは証拠のみ
民事訴訟はほとんどの場合割に合わない。この状況を生んでいる法整備の遅さ・技術に対するアンバランスさが歪み、各人の政治思想に更に歪んだ影響を与えているのかも
弾圧って言っちゃってるじゃんみたいな?
そもそも論として、何かを弾圧する自由など認められてないやろ。それは強要罪に当たる。最初から間違ってる。
また寛容のパラドックスの話
表現の自由は血で書かれているとはいうが、字が書けた人と字が読める人がいるという大前提
阿呆は「非寛容に対する非寛容」を錦の御旗にするよね。表現の自由に対する非寛容、どう考えているのか。なにも考えていないのだろう
もし社会が無制限に寛容であるならば、その寛容さは最終的に不寛容な者たちによって奪われ、寛容な社会そのものが破壊される by wiki
キミまず「弾圧」とは何か?をだな…
オタク系コンテンツでクレカが使えなかったりエロゲの売上が送金されなかったり既に弾圧する自由は行使されてる。それは認められた自由だ。そしてそれに対抗するのは法だよ。
批判に留まるなら表現よ。でも、弾圧って表現の範囲超えてくるのが常と思うが。あなたの発言はおかしい、というのと口を塞ごうとするのは違うってのはわかるよね?
人権には内在制約があるという前提くらいは知った上で参加してほしいな。もちろん愚かなまま発信するのも表現の自由の一環ではあるが、内在制約が無ければそういう少数派は弾圧されて黙らされて終わりだよ
オタクが乱発する弾圧という被害者ぶりたいお気持ちが含まれた言葉の使い方のせいで、本当の弾圧が行われたときに言葉の意味が薄まる。
どうせこんなこと言うバカだからここのコメントも読めないよ
自由の構造に違和感を覚える子は伸びる
弾圧とは権力者がするものだが、この手の方にかかると意味が逆転するのが不思議。ぼくが従っている権力に刃向かうとは不愉快千万ということか。
「不快な表現を我慢して多様性を守る」と言ってる人も実践は伴わない。他人にとって不快な表現を我慢させる時に使われる。差別表現も表現の自由だけど不快な表現は潰す。これが日本インターネットの「表現の自由」
誰が権限を持つのかを常に意識したほうがいい。
自由を否定するものにまで寛容になったら自由が失われるのも分からないの?反自由にまでウンウンそうだね自由だねなんてバカは居ねえんだよ。最大の自由のための最小の不寛容として反自由への否定が必要なんだろうが
論じてる人はは多くいる。人類の歴史の中で、凡人レベルの考える事など、既に議論されてる。結論としては、場面によって具体的に考える必要があるかな。
カール・ポパー読んだ? 寛容のパラドックス
表現の自由を主張する権利と同じように「特定の作品の商業化に反対することを主張する自由」だってあるんやで。今まではマスメディアという大きなフィルターがかかっていたけど、適法ならなんでも許されるの?
個人が嫌いな表現に対しキャンセルすることは自由。公権力が表現を弾圧しようとするなら制限される。表自はそこが逆転していて、一般人の不快表明には過剰に反応するくせに、国旗損壊罪等は容認するから駄目
表現の自由はあくまで国家との関係性が前提なんだよなあ
キッツー。わざわざドヤ顔で太字にして「表現の自由なのかな?」って言っちゃうのキッツー。え、これまだ消えてないの?キッツー。
カール・ポパーなの。知らなかった。また賢くなってしまった。
いやいや、普通に手垢がつきまくった古典的な問題なので専門書や新書の一冊くらい読もうな
こういうのは車輪の再発明とは言わないのかね。あと終わった話を何度も繰り返して議論の余地があるように錯覚させるのは歴史修正主義の常套手段でもあります。
的外れだし筋違いだしめんどくせえな
弾圧したければまず権力を握らないと。
民間には権力がない(大嘘)ので弾圧にならないという不思議理論エコチェンで増幅しすぎじゃない?ビザマスの恣意的検閲が問題ではないとでも言うのかね