学校の教員が活動家牧師を「信じて」いたように見るのは少し目の曇った見方で、彼らはそもそも自分の仕事が「生徒の生命の預かる」ということへの想像力が足りなくて、そのレベルの信頼を必要としてなかったのでは。
組織の事後保身と「盲目的な信頼」という無責任の言い訳は闇が深すぎるな
あそこに集まってる人々自体が単純化された盲目的な平和主義者だしな。戦前に生まれていれば先鋭的な軍国主義者になってそうな人達なんすよ。右も左も端に行くほどカルト臭キツイしな。
学校が免許や保険を確認しないとは思えないんだよなぁ。カルト集団との癒着が証明できるだろうか。今のところ少額の報酬しか表沙汰になっていないが、デニー氏と校長が事故2日目に接触してたりして何かありそう
この牧師がやってたことは、盲目的な信頼に値するほどの平和活動なのか?私もこの事件に対してはずっと混乱してる。別に船に乗らなきゃ良かった話にも思えるし。
上意下達でその場の空気に流された挙句、生徒を死に追いやるって、戦時中とベクトル逆なだけで何も変わらんやん
交通機関関係の事故も大概そういうものではないかなあ。死者が出て初めて、盲目的信頼というか、チェックできてなかった事に気がつく。
やはり逮捕勾留の上強制力を持った取り調べが必要ではないか。校長は真実を話さないかも知れないが、引率教師2名と平和丸船長と船員は、自分の罪状を軽くするために本当のことを喋るのでは?
上と繋がっててアンタッチャブルだったりしないのかな?(・ω・)
忖度という便利な言葉がわーくににはある。声に出して読みたい美しい日本語やね
"ここからは学校側の仕事(中略)自分たちの言葉で原因を見出さない限り、組織の形をいくら変えても、次の「盲目的な信頼」が、またどこかで生まれます"
盲目的信頼というよりも実際のところ思考停止とか盲従て状態に近いんじゃないかな
言わせれば「それを言い出せる空気ではなかった」なんだろう。それは日米開戦責任者たちが一様に言う言い草で嘘でもないのだろう。それと変わらない。それじゃ反戦にならない/他人事ではない日本人一般の特性
組織逸脱としては類型に当てはめ検討することができる。ただ、個々人の責任と考えについては改めて問う必要がある。答えろやリクルーター教職員ども。共産シンパ。「気づきませんでした><」ってか。んな訳あるか
「牧師である。平和活動に従事している。 確かめられたのは、印象と属性だけだというのです。 なぜ信じたのかは、調査委員会にも、分からなかったのです。」宗教だからねえ。理性的な人の悪いところが出てゐる。
過去に不審船に乗船した卒業生からのコメントはで始めているけど。教師からのコメントがまったくないのが気になるよね(´・ω・`)
"平和活動に従事する人との印象"だけで、土地収奪への抵抗運動という要素が意識されないのは何故だろうか。抵抗運動を意識していれば学校は及び腰になりえた。抑圧・運動双方の欺瞞かつ決裂回避の妥協のカテゴライズ
教育の中立性と根拠のない盲目的な信頼は本当に無関係なのだろうか、一部の論者が主張するような、教育と安全を分けて議論することは本当に可能なのだろうか。
皆まで言わずとも、と言うやつだね。わからないわけがないだろう、という言葉を使わずに、何度も何度もそう書いている
同志社国際の校長は相手が同宗派の牧師だから盲従した可能性はあるが、私には牧師(宗教家)の時点で警戒すべき属性という前提段階の分断があるようにも思える。盲従を前提に基督教団と統一教会の違いは何だろうか?
今いる教師は校長が集めたオルグドな連中なんだろうけど、それでも疑問に思う人間が一人もいないというのは恐ろしいことだ。/「盲目的な信頼はまたどこかで生まれる」は同志社だけの問題と捉えないほうがいいかも
マスコミは完全に風化狙いだし立ち上がらざるを得ないのがなんとも可哀想で涙が出る…
事故と反戦平和のイデオロギーは関係ないという意見は事故当初から見られるが、報告書で指摘されているような「盲目的な信頼」の原因としてイデオロギーがあり、故に事故とイデオロギーは不可分だと考えている
旧大日本帝国の指導者たちと同じだな 反戦を訴えながらそっくりになってしまっている
当事者であるという点を差し引いてもこのnoteの発信内容自体が公平中立を体現しており、ただ責任逃れや言い訳や反撃に終始する連中の醜悪さが尚更際立つ。
「事故の後から振り返ったとき、いちばん都合のよい説明」同志社国際の教員に良心が欠片でもあるのなら、いまが声を上げるべき時なんだがな。良心の欠片もない教諭だらけの学校ということか。
党派に取り込まれると、小学生でも持ってるレベルの理性や知性が効かなくなる。正に認知のバグ。日本人or外国人も一緒
ちゃんと言語化してくれた。そう、何故の根底部分への問い。
報告書を読んだ上で、相応以上の知性を持つ教員達が生徒にすら不安を指摘された乗船を淡々と継続できたのか?そこまで人の心がないとは思いたくない/抗議運動側と最低X人生徒を動員するみたいな密約があったのでは?
、サヨクは「目的が正しければ手段は正当化される」を前提し、他人に貼る疑義には悪魔の証明を求める一方、自らの疑義には「正義に逆らうな」のダブスタ。根拠のない盲目的な信頼ではなく、上位下達の最終形。
いやいや、「信じること」は「何があっても疑わないこと」やからそれで合ってるよ 口先だけじゃなくて純度が高かったことを示してる 疑わしい物が出てきて疑えるならもともとそこまで信用してない
牧師が窓口になっていたのは文科省調査でも伺えたよね、なので運動団体側でのこの牧師の役割が気になっている
調査報告書を読んで② 根拠のない盲目的な信頼について|辺野古ボート転覆事故遺族メモ
学校の教員が活動家牧師を「信じて」いたように見るのは少し目の曇った見方で、彼らはそもそも自分の仕事が「生徒の生命の預かる」ということへの想像力が足りなくて、そのレベルの信頼を必要としてなかったのでは。
組織の事後保身と「盲目的な信頼」という無責任の言い訳は闇が深すぎるな
あそこに集まってる人々自体が単純化された盲目的な平和主義者だしな。戦前に生まれていれば先鋭的な軍国主義者になってそうな人達なんすよ。右も左も端に行くほどカルト臭キツイしな。
学校が免許や保険を確認しないとは思えないんだよなぁ。カルト集団との癒着が証明できるだろうか。今のところ少額の報酬しか表沙汰になっていないが、デニー氏と校長が事故2日目に接触してたりして何かありそう
この牧師がやってたことは、盲目的な信頼に値するほどの平和活動なのか?私もこの事件に対してはずっと混乱してる。別に船に乗らなきゃ良かった話にも思えるし。
上意下達でその場の空気に流された挙句、生徒を死に追いやるって、戦時中とベクトル逆なだけで何も変わらんやん
交通機関関係の事故も大概そういうものではないかなあ。死者が出て初めて、盲目的信頼というか、チェックできてなかった事に気がつく。
やはり逮捕勾留の上強制力を持った取り調べが必要ではないか。校長は真実を話さないかも知れないが、引率教師2名と平和丸船長と船員は、自分の罪状を軽くするために本当のことを喋るのでは?
上と繋がっててアンタッチャブルだったりしないのかな?(・ω・)
忖度という便利な言葉がわーくににはある。声に出して読みたい美しい日本語やね
"ここからは学校側の仕事(中略)自分たちの言葉で原因を見出さない限り、組織の形をいくら変えても、次の「盲目的な信頼」が、またどこかで生まれます"
盲目的信頼というよりも実際のところ思考停止とか盲従て状態に近いんじゃないかな
言わせれば「それを言い出せる空気ではなかった」なんだろう。それは日米開戦責任者たちが一様に言う言い草で嘘でもないのだろう。それと変わらない。それじゃ反戦にならない/他人事ではない日本人一般の特性
組織逸脱としては類型に当てはめ検討することができる。ただ、個々人の責任と考えについては改めて問う必要がある。答えろやリクルーター教職員ども。共産シンパ。「気づきませんでした><」ってか。んな訳あるか
「牧師である。平和活動に従事している。 確かめられたのは、印象と属性だけだというのです。 なぜ信じたのかは、調査委員会にも、分からなかったのです。」宗教だからねえ。理性的な人の悪いところが出てゐる。
過去に不審船に乗船した卒業生からのコメントはで始めているけど。教師からのコメントがまったくないのが気になるよね(´・ω・`)
"平和活動に従事する人との印象"だけで、土地収奪への抵抗運動という要素が意識されないのは何故だろうか。抵抗運動を意識していれば学校は及び腰になりえた。抑圧・運動双方の欺瞞かつ決裂回避の妥協のカテゴライズ
教育の中立性と根拠のない盲目的な信頼は本当に無関係なのだろうか、一部の論者が主張するような、教育と安全を分けて議論することは本当に可能なのだろうか。
皆まで言わずとも、と言うやつだね。わからないわけがないだろう、という言葉を使わずに、何度も何度もそう書いている
同志社国際の校長は相手が同宗派の牧師だから盲従した可能性はあるが、私には牧師(宗教家)の時点で警戒すべき属性という前提段階の分断があるようにも思える。盲従を前提に基督教団と統一教会の違いは何だろうか?
今いる教師は校長が集めたオルグドな連中なんだろうけど、それでも疑問に思う人間が一人もいないというのは恐ろしいことだ。/「盲目的な信頼はまたどこかで生まれる」は同志社だけの問題と捉えないほうがいいかも
マスコミは完全に風化狙いだし立ち上がらざるを得ないのがなんとも可哀想で涙が出る…
事故と反戦平和のイデオロギーは関係ないという意見は事故当初から見られるが、報告書で指摘されているような「盲目的な信頼」の原因としてイデオロギーがあり、故に事故とイデオロギーは不可分だと考えている
旧大日本帝国の指導者たちと同じだな 反戦を訴えながらそっくりになってしまっている
当事者であるという点を差し引いてもこのnoteの発信内容自体が公平中立を体現しており、ただ責任逃れや言い訳や反撃に終始する連中の醜悪さが尚更際立つ。
「事故の後から振り返ったとき、いちばん都合のよい説明」同志社国際の教員に良心が欠片でもあるのなら、いまが声を上げるべき時なんだがな。良心の欠片もない教諭だらけの学校ということか。
党派に取り込まれると、小学生でも持ってるレベルの理性や知性が効かなくなる。正に認知のバグ。日本人or外国人も一緒
ちゃんと言語化してくれた。そう、何故の根底部分への問い。
報告書を読んだ上で、相応以上の知性を持つ教員達が生徒にすら不安を指摘された乗船を淡々と継続できたのか?そこまで人の心がないとは思いたくない/抗議運動側と最低X人生徒を動員するみたいな密約があったのでは?
、サヨクは「目的が正しければ手段は正当化される」を前提し、他人に貼る疑義には悪魔の証明を求める一方、自らの疑義には「正義に逆らうな」のダブスタ。根拠のない盲目的な信頼ではなく、上位下達の最終形。
いやいや、「信じること」は「何があっても疑わないこと」やからそれで合ってるよ 口先だけじゃなくて純度が高かったことを示してる 疑わしい物が出てきて疑えるならもともとそこまで信用してない
牧師が窓口になっていたのは文科省調査でも伺えたよね、なので運動団体側でのこの牧師の役割が気になっている