そもそも戦後すぐは農家には米があったと言う話は多い。都会にはなかったのは確定だけど、単純に鉄道や船舶などが空爆でやられ、物流が崩壊してた。
“戦争体験のある人に聞いて作文を書こうという学校のお題で、この内容を書いたら呼び出されて書き直しさせられましたけどね〜。戦争は悲惨だったと書けと。ここ、タブーにしたのも日本の間違いな気もします。”
戦争って対外も内戦も革命なのよね。金持ちをなくして都市を焼いて平等にする。
戦争の語り部がステレオタイプばかりなのはこういうリアルを排除してきたからだな
戦争じゃないが、祖父母が子供のころのおやつを聞こうという宿題があって、都会育ちの祖母はチョコレートやクッキーを食ってたと言うのでそのまま書いたら、戦中派日教組の担任に「そんなわけない!」と激高された
高祖母が信心深い人で、原爆でやられた朝鮮の人の遺骨を引き取って、裏山に墓を建てて埋葬してたりする。まわりの海と山から食べ物が取れたので飢えたことはないとのことだった。
農地解放の前なら、まあ、これぐらいの貧富の差はあるあるで。この貧富の差が社会主義や共産主義の苗床なので社会主義政権が農地解放で農民を豊かにし保守化させた時代の流れは、なかなか
農地で出来た作物を運ぶ人手も足りてなかったって話。うちの田舎でも米に困ったことはなかったと言ってた。その分供給面で足りてないことはあったのかもしれないが元々足りてない村なのでさほど影響はなかったとか
「戦争で儲ける奴がいる」ということを知っていた方が軍産複合体悪者論には引き込みやすいのに
飢餓って生産量の問題じゃなくて金融や流通の問題なんだよな。社会不安で金融や流通が崩壊したら食料があっても市場に流通しなくなる(´・ω・`)
「田畑がない人は死ぬのが戦争」あっ、これはマジっぽい。嘘松でも許すレベル。
阪神震災の時はブルーシートで、東日本震災の時は仮設住宅で、コロナの時はマスクで大儲けした小さな会社を経営する知人がいた。自分のことを自虐的に死の商人と呼んでいた。確かに人には言えないよな
父は田舎育ちなので空襲はなく食べ物にも困らず、母は街中育ちなので空襲にあって火の中を逃げ惑い、戦中戦後は常に空腹だったそうだ。同じ県内の同年齢でも全然境遇が違う。
途中までウチの母方の話かと。農地改革については祖母が「全く!GHQが!」と死ぬまで根に持ってた。基礎知識:農地改革(解放)は中国や北朝鮮の土地革命よりドラスティックだった、と評価されています。
大丈夫だウチの祖父祖母の親兄弟のうち一人残して全員口を噤んでるぜ、ほとんど全員1945年8月9日からずっとだ。
「呼び出されて書き直しさせられました」←教師は都合が悪い戦争体験を検閲するという貴重な証言だな
「兄弟は近衛兵にしか徴兵されず」ってスゴいな。大日本帝国全国から選抜された兵士によって充足され、近衛兵になることは大変な名誉とされたらしいが、兄弟で選抜ってどんな確率だろう。
皆が困っている中でうちは贅沢していましたとか余計な恨みを買うだけだろうしな。
“ 戦争体験のある人に聞いて作文を書こうという学校のお題“シベリア抑留から帰ってきた祖父の体験談を書いたが書き直しは言われなかったけど発表とかはできなかった。満州からの引き揚げの話も同じ処置。
「@Neonidusおばあちゃんが口を噤むに至った周りへの配慮とか何にも考えられてないんだなぁと思った。品性はおばあちゃんから教わらなかった」辛辣で草。/物々交換の話は、別視点から見た悲惨さとして凄みがあるのだが
「ザ・シェフ」に似た話があったな。
前に「玉音放送を聴いた当時の祖母の感想が、『次は必ず勝とう』だった」という前向き過ぎる話があったけど、やはりそういう「痛くない」環境も銃後のどこかにはある、というお話の一環かな
「この内容を書いたら呼び出されて書き直しさせられました」のが意味わからない
母方の祖父は開戦前に実家が破産して、陸軍に放り込まれソ連に捕まりシベリア抑留。一方、父方は大学出て国内でエンジニアして終戦。金持ちで一族の名誉とか背負わんでいい立場なら、出征しない人は多かったと感じる
戦争になっても全員不幸になる訳でもなく助かる人は出てくる。それを広言するのは「ちょっと口を噤む」のはある意味当然。例えば「震災あったけどうちは無事だったよ。だから震災なんて大した事ない」てエピ必要?
負い目
宮崎駿の『君たちはどう生きるか』も、戦時下で恵まれた側の人間という立場を自己暴露的に描いている。その対極が『火垂るの墓』の高畑監督。戦車や軍用機に明るくても、戦争自体の実像は高畑の前では描きにくい
まあ当然こういう家庭も当時あった訳ですな
ヨーロッパでの戦争体験として「ナチス幹部とうまくやっていたので何も困らず、戦後も責任追及からうまく逃れられました」と子供が作文を書いてきても困ってしまうから、個人差の大きいこういう課題は難しいね。
戦中に米を食べていたがカモフラージュのため上に豆を乗せていた話を読んだ記憶
きちんと取材して書いた人を呼び出して書き直させるというのは、戦時下で軍部や戦争遂行について批判する者に「非国民!」と指差す心性とまったく同じものではないか。反省などしていない。
はだしのゲンではイナゴ取って焼いて食ったり池の鯉を掬って食ったり当時の世相を反映したかのような劣悪な内容だったけど、えっこれを有害図書に指定した政党政権があるって?そいつら戦時中白米食ってましたよ!
豪農マウント乙
母の実家は小作農で空襲にもあって家は全焼したらしいが、それでも白米以外は食べたことがないとは言ってたな。
これもまた「この世界の片隅に」だーな
“製薬系の会社経営だったんで 戦争中はかなり儲けた上に軍から食糧がふんだんに融通されてたらしい。 戦争中は白米と砂糖に洋酒は切らした事がなかったと聞いた 幸い会社ビルも戦災免れ 戦後も闇市にアルコール”
祖父祖母からの伝聞:田舎の自作農家だったので米は十分だったが、カモフラージュで上に芋や豆を置いたそう。(でもそれが味変で美味しかったとかで不謹慎?)
こんな内容を全世界に向けて発信されるならそりゃお祖母様も口をつぐむわ(ダイヤモンドタイトル風)
普通は飢餓では権力中枢の都市部に食料が召し上げられ農村が飢える(例.江戸時代)が大戦中は逆だった。そこから透けて見える権力構造
国全体としては食糧難に苦しんだが、それとは異なる景色「も」あったという学術的に貴重な証言を隠せ、表に出すなと考える反知性主義の不謹慎警察にげんなりする。/君たちこそが多様性と平和の敵だよ。
戦争が悲惨ってより正確には「戦場が悲惨」なんだよね。戦争特需で儲かる人もいるし自分達は戦争してないのに戦場が近いってだけで被害受ける人もいる。例えばホルムズ海峡の西側をイランが攻撃したりとか
うちの母方の祖父も戦争の混乱で(九段会館が買えるくらい)大金持ちになり、隠し財産がバレそうになって財団法人を作った。なお父は戦争孤児である。
実家が太いってやつですな。
ここまでじゃないけど、自分も小学校の授業で似たような話を書いた。別に書き直しもなく全員教室の壁に張り出された。他の人のを読んだら本当につらい話も多くてちょっと後ろめたいような気持ちにはなったな。
戦争がどちらかといえばメリットだった人達の声って黙殺されてきたよな。もちろん富豪に限らない。
幸せの定義は人それぞれだけど、働いたことも運転したこともないのが幸せのあかしといわれると何ともだな
“戦争体験のある人に聞いて作文を書こうという学校のお題で、この内容を書いたら呼び出されて書き直しさせられましたけどね〜” はは、ここだけウンチやな、多様な側面があることを知れるのは良い学びになるのに
戦争の話になると、祖母はちょっと口を噤む… 豪農のお嬢様だったのでだいぶ儲かった上に兄弟は近衛兵にしか徴兵されず、戦時中も白米しか食べたことがなかった
そもそも戦後すぐは農家には米があったと言う話は多い。都会にはなかったのは確定だけど、単純に鉄道や船舶などが空爆でやられ、物流が崩壊してた。
“戦争体験のある人に聞いて作文を書こうという学校のお題で、この内容を書いたら呼び出されて書き直しさせられましたけどね〜。戦争は悲惨だったと書けと。ここ、タブーにしたのも日本の間違いな気もします。”
戦争って対外も内戦も革命なのよね。金持ちをなくして都市を焼いて平等にする。
戦争の語り部がステレオタイプばかりなのはこういうリアルを排除してきたからだな
戦争じゃないが、祖父母が子供のころのおやつを聞こうという宿題があって、都会育ちの祖母はチョコレートやクッキーを食ってたと言うのでそのまま書いたら、戦中派日教組の担任に「そんなわけない!」と激高された
高祖母が信心深い人で、原爆でやられた朝鮮の人の遺骨を引き取って、裏山に墓を建てて埋葬してたりする。まわりの海と山から食べ物が取れたので飢えたことはないとのことだった。
農地解放の前なら、まあ、これぐらいの貧富の差はあるあるで。この貧富の差が社会主義や共産主義の苗床なので社会主義政権が農地解放で農民を豊かにし保守化させた時代の流れは、なかなか
農地で出来た作物を運ぶ人手も足りてなかったって話。うちの田舎でも米に困ったことはなかったと言ってた。その分供給面で足りてないことはあったのかもしれないが元々足りてない村なのでさほど影響はなかったとか
「戦争で儲ける奴がいる」ということを知っていた方が軍産複合体悪者論には引き込みやすいのに
飢餓って生産量の問題じゃなくて金融や流通の問題なんだよな。社会不安で金融や流通が崩壊したら食料があっても市場に流通しなくなる(´・ω・`)
「田畑がない人は死ぬのが戦争」あっ、これはマジっぽい。嘘松でも許すレベル。
阪神震災の時はブルーシートで、東日本震災の時は仮設住宅で、コロナの時はマスクで大儲けした小さな会社を経営する知人がいた。自分のことを自虐的に死の商人と呼んでいた。確かに人には言えないよな
父は田舎育ちなので空襲はなく食べ物にも困らず、母は街中育ちなので空襲にあって火の中を逃げ惑い、戦中戦後は常に空腹だったそうだ。同じ県内の同年齢でも全然境遇が違う。
途中までウチの母方の話かと。農地改革については祖母が「全く!GHQが!」と死ぬまで根に持ってた。基礎知識:農地改革(解放)は中国や北朝鮮の土地革命よりドラスティックだった、と評価されています。
大丈夫だウチの祖父祖母の親兄弟のうち一人残して全員口を噤んでるぜ、ほとんど全員1945年8月9日からずっとだ。
「呼び出されて書き直しさせられました」←教師は都合が悪い戦争体験を検閲するという貴重な証言だな
「兄弟は近衛兵にしか徴兵されず」ってスゴいな。大日本帝国全国から選抜された兵士によって充足され、近衛兵になることは大変な名誉とされたらしいが、兄弟で選抜ってどんな確率だろう。
皆が困っている中でうちは贅沢していましたとか余計な恨みを買うだけだろうしな。
“ 戦争体験のある人に聞いて作文を書こうという学校のお題“シベリア抑留から帰ってきた祖父の体験談を書いたが書き直しは言われなかったけど発表とかはできなかった。満州からの引き揚げの話も同じ処置。
「@Neonidusおばあちゃんが口を噤むに至った周りへの配慮とか何にも考えられてないんだなぁと思った。品性はおばあちゃんから教わらなかった」辛辣で草。/物々交換の話は、別視点から見た悲惨さとして凄みがあるのだが
「ザ・シェフ」に似た話があったな。
前に「玉音放送を聴いた当時の祖母の感想が、『次は必ず勝とう』だった」という前向き過ぎる話があったけど、やはりそういう「痛くない」環境も銃後のどこかにはある、というお話の一環かな
「この内容を書いたら呼び出されて書き直しさせられました」のが意味わからない
母方の祖父は開戦前に実家が破産して、陸軍に放り込まれソ連に捕まりシベリア抑留。一方、父方は大学出て国内でエンジニアして終戦。金持ちで一族の名誉とか背負わんでいい立場なら、出征しない人は多かったと感じる
戦争になっても全員不幸になる訳でもなく助かる人は出てくる。それを広言するのは「ちょっと口を噤む」のはある意味当然。例えば「震災あったけどうちは無事だったよ。だから震災なんて大した事ない」てエピ必要?
負い目
宮崎駿の『君たちはどう生きるか』も、戦時下で恵まれた側の人間という立場を自己暴露的に描いている。その対極が『火垂るの墓』の高畑監督。戦車や軍用機に明るくても、戦争自体の実像は高畑の前では描きにくい
まあ当然こういう家庭も当時あった訳ですな
ヨーロッパでの戦争体験として「ナチス幹部とうまくやっていたので何も困らず、戦後も責任追及からうまく逃れられました」と子供が作文を書いてきても困ってしまうから、個人差の大きいこういう課題は難しいね。
戦中に米を食べていたがカモフラージュのため上に豆を乗せていた話を読んだ記憶
きちんと取材して書いた人を呼び出して書き直させるというのは、戦時下で軍部や戦争遂行について批判する者に「非国民!」と指差す心性とまったく同じものではないか。反省などしていない。
はだしのゲンではイナゴ取って焼いて食ったり池の鯉を掬って食ったり当時の世相を反映したかのような劣悪な内容だったけど、えっこれを有害図書に指定した政党政権があるって?そいつら戦時中白米食ってましたよ!
豪農マウント乙
母の実家は小作農で空襲にもあって家は全焼したらしいが、それでも白米以外は食べたことがないとは言ってたな。
これもまた「この世界の片隅に」だーな
“製薬系の会社経営だったんで 戦争中はかなり儲けた上に軍から食糧がふんだんに融通されてたらしい。 戦争中は白米と砂糖に洋酒は切らした事がなかったと聞いた 幸い会社ビルも戦災免れ 戦後も闇市にアルコール”
祖父祖母からの伝聞:田舎の自作農家だったので米は十分だったが、カモフラージュで上に芋や豆を置いたそう。(でもそれが味変で美味しかったとかで不謹慎?)
こんな内容を全世界に向けて発信されるならそりゃお祖母様も口をつぐむわ(ダイヤモンドタイトル風)
普通は飢餓では権力中枢の都市部に食料が召し上げられ農村が飢える(例.江戸時代)が大戦中は逆だった。そこから透けて見える権力構造
国全体としては食糧難に苦しんだが、それとは異なる景色「も」あったという学術的に貴重な証言を隠せ、表に出すなと考える反知性主義の不謹慎警察にげんなりする。/君たちこそが多様性と平和の敵だよ。
戦争が悲惨ってより正確には「戦場が悲惨」なんだよね。戦争特需で儲かる人もいるし自分達は戦争してないのに戦場が近いってだけで被害受ける人もいる。例えばホルムズ海峡の西側をイランが攻撃したりとか
うちの母方の祖父も戦争の混乱で(九段会館が買えるくらい)大金持ちになり、隠し財産がバレそうになって財団法人を作った。なお父は戦争孤児である。
実家が太いってやつですな。
ここまでじゃないけど、自分も小学校の授業で似たような話を書いた。別に書き直しもなく全員教室の壁に張り出された。他の人のを読んだら本当につらい話も多くてちょっと後ろめたいような気持ちにはなったな。
戦争がどちらかといえばメリットだった人達の声って黙殺されてきたよな。もちろん富豪に限らない。
幸せの定義は人それぞれだけど、働いたことも運転したこともないのが幸せのあかしといわれると何ともだな
“戦争体験のある人に聞いて作文を書こうという学校のお題で、この内容を書いたら呼び出されて書き直しさせられましたけどね〜” はは、ここだけウンチやな、多様な側面があることを知れるのは良い学びになるのに