“障害者への偏見につながると懸念されてる件 障害者に限らずもともとメディアはそういうもんで アニメ漫画オタクはバカにしていい属性としてさんざオモチャにされてきたし(みい山に登場する男描写は典型的)↓”
801ちゃんに同感。”もの言えて抗える自分の方が間違いなく強者なのに、モノも言えない抗えない・自分よりも劣っていると思っている相手を弱者だとしながら、ダシにしてる“/私はこれからの子供のために抗議してる。
多角的かつ広汎で良い。ひとつ覚えのポジショントークで済むような単純な話じゃないよな。
「米国のサウスパークは大したもんです ああいうのが文化の成熟と思う」
まぁ分かるんだけどサウスパークの本場が今ああいう風刺を受け入れられる土壌かというと⋯
『優生保護法は邪悪』が国民全員に腹落ちできてない中で映像として多くの人の目にリアルとして映り、面白くて単純な話は複雑でシリアスな話より浸透して簡単な解決方法として優生保護法は間違ってなかったとなるな。
“意義があるとしたら叩き台じゃないかな この漫画の描写は正確じゃない、障害者との接し方として適切じゃない そういう批判や突っ込みをどんどん発信していく みい山が社会的に有名になるほどそれへのカウンター
2026-08-03
いやこの作品って笑いながら楽しく見れる人なんていないんじゃないの
当事者視点からの客観的な考察で作品論としてもかなり読み応えあるな
”ほとんどの人は「殴ってもいい奴が見つかったぞ」とお祭り騒ぎしてるだけで障害者問題に関わる気はない”
2ページ目「みい山って、本当に読み手次第なんですね 夜職の人達 発達障害の人達(のうち人生に挫折した人)は、自分に寄り添ってくれるマンガとして見ている人が多いようです 」
一部の人間の意見でアニメ化が中止された方が箔が付いて面白いので、それはそれでアリな気もする それだけ困る人間が多い内容ってことなので作品の価値が上がる
山田さんは同情者的視点ではないし、2025年の山田さんの生活が荒廃しているように見える(パン屋バイトのエピソードでの挿入)ことから、みいちゃんとは違う生きづらさを抱えた山田さんの単なる成長物語でもない。
「山田さんの同情的視点を描いて社会問題の提起ですという顔をし」バカにする作品なんか。社会派風の体裁をとりつつ本音は「泣けました」狙いの、救われない小公女やアンクルサムのキッチュな版かと。より酷いのか。
健常者にとっては障害者はその名の通り「害」でしか無いわけで、仲間に入れる必要性なんて無い。それは道徳や倫理の問題ではないと常々思っている。俺も障害者だからよくわかる。
ブックマーカーを去勢しよう
『サウスパーク』はそれなりにリベラルな社会の人に向けた作品で、そういう社会ならネタとして消費できる。でも今のトランプ政権下のアメリカだとベタに消費されそうな悪感。今の日本だとどうだろう。
みい山を「露悪ギャグ」っていう人は「はだしのゲン」も悲惨な境遇をエンタメにしたギャグ作品って見るのかな?//ほとんどの読み手はココロか桃花の立場でこの作品を読んでるんじゃないかな
あ〜たたき台はわかる!フェーズとしては「では私たちはどう読むのか、どう行動するのか」なんだろうな。
仮に社会的強者であれば、その破滅を楽しむ露悪的な消費をしてもOKというのも、よく分からない理屈ですけどね。/ルサンチマンに正当性を見出すのは持たざる者の傲慢。
アニメサイドが元々監修をつけることを前提としてる時点で「アニメ化反対論」は議論として無力になっててそこで拳を下げられず関係者への人格攻撃に向かったごくごく少数のノイジ―マイノリティによる快楽消費だから
"撮り鉄やトー横女子なんかも現在進行形で偏見を撒き散らされている属性 最近はバンドマンもそうね オタクや撮り鉄なら極端な事例を全体化して嘲笑するのが許されて障害者だとなぜダメなのか?"
本人の意思で変えられない事柄に関しては差別で、他は差別ではないという判定だと思っている。一番問題なのは「弱者救済の余裕なくなってきてる気がして心配」という部分かなと思っている
物凄く当たり前だけど、これから生まれ成長していく子供たちの中にも(男女問わず)オタクや非モテ、弱者男性女性、チー牛は居る、それらへの偏見を諫める所か嬉しそうに自ら行っていた左派の人達はどこに行ったのか
“わたし個人はどちらかというとどんどんいじればいいと思ってる派です 米国のサウスパークは大したもんです”これに同意しかない。
「パラサイト」とかも社会的弱者の一家が全員クズでクズ行為して破滅する話だけどそんなに叩かれていたっけ
“どう解釈するかで読者の内面が暴き出される鏡みたいな漫画”キビシー
うーん、やっぱこの件は言いたいことがまとまらない
制作側に社会からのサンドバッグとなる覚悟と矜持が見受けられれば、批判はしつつも見守る立場で腰を落ち着けるんだろうが、その覚悟も無く批判に迷盲してしまっていると、身を乗り出す者は増えるやろね。
「自分からはこう見えた。属性を代表しているかまでは責任持たないけど、こう見えた」が色々と出てくる点で、少し前とはだいぶ変わってきたなと思う。
俺は伊藤黒介先生の漫画を商業のは全部買ってるけど、伊藤先生の漫画は悲しいかなそんなに売れなかった(とても素晴らしい漫画なんすよ)。だからこそ、露悪でも売れる漫画を描いた亜月ねねにリスペクトがありそう
知的障がい系には当事者が対等に抗弁するのが困難な側面があるのに、それに対し同種障がいのない人間が配慮不要と言い張るの、腕ない人にボクシング(キック禁止、それがルールだから)を強いるグロさを感じる
聴覚障害者の伊藤黒介さんによる「みいちゃんと山田さん」感想
“障害者への偏見につながると懸念されてる件 障害者に限らずもともとメディアはそういうもんで アニメ漫画オタクはバカにしていい属性としてさんざオモチャにされてきたし(みい山に登場する男描写は典型的)↓”
801ちゃんに同感。”もの言えて抗える自分の方が間違いなく強者なのに、モノも言えない抗えない・自分よりも劣っていると思っている相手を弱者だとしながら、ダシにしてる“/私はこれからの子供のために抗議してる。
多角的かつ広汎で良い。ひとつ覚えのポジショントークで済むような単純な話じゃないよな。
「米国のサウスパークは大したもんです ああいうのが文化の成熟と思う」
まぁ分かるんだけどサウスパークの本場が今ああいう風刺を受け入れられる土壌かというと⋯
『優生保護法は邪悪』が国民全員に腹落ちできてない中で映像として多くの人の目にリアルとして映り、面白くて単純な話は複雑でシリアスな話より浸透して簡単な解決方法として優生保護法は間違ってなかったとなるな。
“意義があるとしたら叩き台じゃないかな この漫画の描写は正確じゃない、障害者との接し方として適切じゃない そういう批判や突っ込みをどんどん発信していく みい山が社会的に有名になるほどそれへのカウンター
2026-08-03
いやこの作品って笑いながら楽しく見れる人なんていないんじゃないの
当事者視点からの客観的な考察で作品論としてもかなり読み応えあるな
”ほとんどの人は「殴ってもいい奴が見つかったぞ」とお祭り騒ぎしてるだけで障害者問題に関わる気はない”
2ページ目「みい山って、本当に読み手次第なんですね 夜職の人達 発達障害の人達(のうち人生に挫折した人)は、自分に寄り添ってくれるマンガとして見ている人が多いようです 」
一部の人間の意見でアニメ化が中止された方が箔が付いて面白いので、それはそれでアリな気もする それだけ困る人間が多い内容ってことなので作品の価値が上がる
山田さんは同情者的視点ではないし、2025年の山田さんの生活が荒廃しているように見える(パン屋バイトのエピソードでの挿入)ことから、みいちゃんとは違う生きづらさを抱えた山田さんの単なる成長物語でもない。
「山田さんの同情的視点を描いて社会問題の提起ですという顔をし」バカにする作品なんか。社会派風の体裁をとりつつ本音は「泣けました」狙いの、救われない小公女やアンクルサムのキッチュな版かと。より酷いのか。
健常者にとっては障害者はその名の通り「害」でしか無いわけで、仲間に入れる必要性なんて無い。それは道徳や倫理の問題ではないと常々思っている。俺も障害者だからよくわかる。
ブックマーカーを去勢しよう
『サウスパーク』はそれなりにリベラルな社会の人に向けた作品で、そういう社会ならネタとして消費できる。でも今のトランプ政権下のアメリカだとベタに消費されそうな悪感。今の日本だとどうだろう。
みい山を「露悪ギャグ」っていう人は「はだしのゲン」も悲惨な境遇をエンタメにしたギャグ作品って見るのかな?//ほとんどの読み手はココロか桃花の立場でこの作品を読んでるんじゃないかな
あ〜たたき台はわかる!フェーズとしては「では私たちはどう読むのか、どう行動するのか」なんだろうな。
仮に社会的強者であれば、その破滅を楽しむ露悪的な消費をしてもOKというのも、よく分からない理屈ですけどね。/ルサンチマンに正当性を見出すのは持たざる者の傲慢。
アニメサイドが元々監修をつけることを前提としてる時点で「アニメ化反対論」は議論として無力になっててそこで拳を下げられず関係者への人格攻撃に向かったごくごく少数のノイジ―マイノリティによる快楽消費だから
"撮り鉄やトー横女子なんかも現在進行形で偏見を撒き散らされている属性 最近はバンドマンもそうね オタクや撮り鉄なら極端な事例を全体化して嘲笑するのが許されて障害者だとなぜダメなのか?"
本人の意思で変えられない事柄に関しては差別で、他は差別ではないという判定だと思っている。一番問題なのは「弱者救済の余裕なくなってきてる気がして心配」という部分かなと思っている
物凄く当たり前だけど、これから生まれ成長していく子供たちの中にも(男女問わず)オタクや非モテ、弱者男性女性、チー牛は居る、それらへの偏見を諫める所か嬉しそうに自ら行っていた左派の人達はどこに行ったのか
“わたし個人はどちらかというとどんどんいじればいいと思ってる派です 米国のサウスパークは大したもんです”これに同意しかない。
「パラサイト」とかも社会的弱者の一家が全員クズでクズ行為して破滅する話だけどそんなに叩かれていたっけ
“どう解釈するかで読者の内面が暴き出される鏡みたいな漫画”キビシー
うーん、やっぱこの件は言いたいことがまとまらない
制作側に社会からのサンドバッグとなる覚悟と矜持が見受けられれば、批判はしつつも見守る立場で腰を落ち着けるんだろうが、その覚悟も無く批判に迷盲してしまっていると、身を乗り出す者は増えるやろね。
「自分からはこう見えた。属性を代表しているかまでは責任持たないけど、こう見えた」が色々と出てくる点で、少し前とはだいぶ変わってきたなと思う。
俺は伊藤黒介先生の漫画を商業のは全部買ってるけど、伊藤先生の漫画は悲しいかなそんなに売れなかった(とても素晴らしい漫画なんすよ)。だからこそ、露悪でも売れる漫画を描いた亜月ねねにリスペクトがありそう
知的障がい系には当事者が対等に抗弁するのが困難な側面があるのに、それに対し同種障がいのない人間が配慮不要と言い張るの、腕ない人にボクシング(キック禁止、それがルールだから)を強いるグロさを感じる