AIを使いこなした良批評だなあ。“個人の悲劇を消費するだけでなく、それを取り巻く社会構造の欠陥に目を向けさせているか” 結局コレ。講談社ヤンマガ編集者たち(例のアホ動画)が悉く持ち得なかったのも、コレ。
そもそも「みいちゃんと山田さん」という作品自体は問題提起でも露悪でもないが、『「問題提起(社会的意義)」ならOK、「露悪(ポルノ)」はNG』みたいな思考がまずおかしい。明らかに「表現の自由」に反するそれ。(続メタ
"対象から「尊厳(Dignity)」と「主体性(Agency)」を徹底的に剥奪" "(構造的要因を捨象し)極端な悲惨さだけをクローズアップすることで、視聴者に対して「自分たちは安全圏にいる」という優越感や、安易な同情を抱かせ"
アニメ化でミーム化と消費が加熱する構造を冷静に論考してて読み応えある
エロ・グロ・ナンセンスを当たり前に摂取してきた世代からすると、規制大好きパターナリストが異常に増えてるのに危機感を覚える。保守を自覚してるならまだしも、リベラルだと思ってるのが手に負えない。
もえろーいいコンテンツーもえろーナツコーまぶしすぎるーオカネとのーであいー(老害
貧困ポルノもエログロナンセンスもいいんだけど、それは実話ナックルズや一部の成年紙だから成り立ったわけで。今みたいなサブスクで何でもチャンポンな時代だと、幼児でもレーティングすり抜けて見放題なので
社会に悪影響を与えたとしても表現の自由が大事というのは大前提で、それならば「人殺しの顔をしろ」という話じゃないの? 逆に言えば、今回の問題はそれくらいしかないのかも(あとはゾーニングか)。
消費者がみなければいいだけ。問題はレイティングやゾーニングが為されない放送だということだけだとおもう。やたらと規制を言う人たちは消費者が自分より馬鹿すぎて規制しないと猿になると思い込んでるのでは
表現の自由に伴う責任の所在
"しかし、現実のSNSで「みいちゃん」という言葉が知的障害のある女性を揶揄・差別するミームとして乱用されている事実は、結果としてキャラクターの「客体化(ステレオタイプとしての消費)」を引き起こしている事を"
個人的には自身が吊るされ見世物にされる可能性を全く考慮できてない編集や作者もケアされるべき人種という認識。そうした意見があまり無い(?)あたり社会はまだまだ未成熟という感。
”原作漫画は、その冷徹な視線によって「構造的背景の欠如」という貧困ポルノの罠をある程度回避し、読者に社会の残酷さを突きつける機能(上記マトリクスの2および4)を果たしている側面がある。しかし、”
制作側は露悪コンテンツ作ってるのを自覚し、それによる悪影響の責任取る覚悟を表明し、ゾーニングをしっかりすればいいんじゃなね。でも現状どれもされてないね
『過去の搾取的な歴史への深刻な反省と、構造的な改革」とともにあるか? って点に賛成。人間みな「いっちょ噛み」みたいに社会に生きてるところから始まるので「責任」への路線変更は規定演技のはず。これもそう。
「アメリカの倫理的潮流」を元に交通整理してくれるのはありがたいけど、米国由来のメタ視点の有効性をそろそろ疑うべきではと思う。「では米国は本当にその方向で動いてますか?」と。
なぜ米国の潮流に従うべきなのかという根本に全く切り込んでいない駄目批評。/肝心の採用した解釈の妥当性を検証した後は見られない。ただの権威主義と何が違うのか?/ポリコレ批評ってどれもそんな感じだよね。
AIゴミ?
表現の自由は漫画として発表された時点で十分尊重されてる。一方、テレビアニメ化は公共性が高く、一定の品質や配慮、ゾーニングが必要だと考える。
当事者本人が直接文句を言えない(場合が多い)という非対称性がデカすぎる
オタクを描いた電車男は全てが嫌いだった。げんしけんは、違うところはあるけど引き込まれた。シュタゲは、やっぱり違うところはあるけど、貴重な記録だし特別だアレは。これ読むと嫌いだった理由が結構整理されるな
メディアにおける社会的弱者表象の境界線:『みいちゃんと山田さん』論争とアメリカの倫理的潮流からみる「問題提起」と「露悪」の構造 | MOGU2NEWS
AIを使いこなした良批評だなあ。“個人の悲劇を消費するだけでなく、それを取り巻く社会構造の欠陥に目を向けさせているか” 結局コレ。講談社ヤンマガ編集者たち(例のアホ動画)が悉く持ち得なかったのも、コレ。
そもそも「みいちゃんと山田さん」という作品自体は問題提起でも露悪でもないが、『「問題提起(社会的意義)」ならOK、「露悪(ポルノ)」はNG』みたいな思考がまずおかしい。明らかに「表現の自由」に反するそれ。(続メタ
"対象から「尊厳(Dignity)」と「主体性(Agency)」を徹底的に剥奪" "(構造的要因を捨象し)極端な悲惨さだけをクローズアップすることで、視聴者に対して「自分たちは安全圏にいる」という優越感や、安易な同情を抱かせ"
アニメ化でミーム化と消費が加熱する構造を冷静に論考してて読み応えある
エロ・グロ・ナンセンスを当たり前に摂取してきた世代からすると、規制大好きパターナリストが異常に増えてるのに危機感を覚える。保守を自覚してるならまだしも、リベラルだと思ってるのが手に負えない。
もえろーいいコンテンツーもえろーナツコーまぶしすぎるーオカネとのーであいー(老害
貧困ポルノもエログロナンセンスもいいんだけど、それは実話ナックルズや一部の成年紙だから成り立ったわけで。今みたいなサブスクで何でもチャンポンな時代だと、幼児でもレーティングすり抜けて見放題なので
社会に悪影響を与えたとしても表現の自由が大事というのは大前提で、それならば「人殺しの顔をしろ」という話じゃないの? 逆に言えば、今回の問題はそれくらいしかないのかも(あとはゾーニングか)。
消費者がみなければいいだけ。問題はレイティングやゾーニングが為されない放送だということだけだとおもう。やたらと規制を言う人たちは消費者が自分より馬鹿すぎて規制しないと猿になると思い込んでるのでは
表現の自由に伴う責任の所在
"しかし、現実のSNSで「みいちゃん」という言葉が知的障害のある女性を揶揄・差別するミームとして乱用されている事実は、結果としてキャラクターの「客体化(ステレオタイプとしての消費)」を引き起こしている事を"
個人的には自身が吊るされ見世物にされる可能性を全く考慮できてない編集や作者もケアされるべき人種という認識。そうした意見があまり無い(?)あたり社会はまだまだ未成熟という感。
”原作漫画は、その冷徹な視線によって「構造的背景の欠如」という貧困ポルノの罠をある程度回避し、読者に社会の残酷さを突きつける機能(上記マトリクスの2および4)を果たしている側面がある。しかし、”
制作側は露悪コンテンツ作ってるのを自覚し、それによる悪影響の責任取る覚悟を表明し、ゾーニングをしっかりすればいいんじゃなね。でも現状どれもされてないね
『過去の搾取的な歴史への深刻な反省と、構造的な改革」とともにあるか? って点に賛成。人間みな「いっちょ噛み」みたいに社会に生きてるところから始まるので「責任」への路線変更は規定演技のはず。これもそう。
「アメリカの倫理的潮流」を元に交通整理してくれるのはありがたいけど、米国由来のメタ視点の有効性をそろそろ疑うべきではと思う。「では米国は本当にその方向で動いてますか?」と。
なぜ米国の潮流に従うべきなのかという根本に全く切り込んでいない駄目批評。/肝心の採用した解釈の妥当性を検証した後は見られない。ただの権威主義と何が違うのか?/ポリコレ批評ってどれもそんな感じだよね。
AIゴミ?
表現の自由は漫画として発表された時点で十分尊重されてる。一方、テレビアニメ化は公共性が高く、一定の品質や配慮、ゾーニングが必要だと考える。
当事者本人が直接文句を言えない(場合が多い)という非対称性がデカすぎる
オタクを描いた電車男は全てが嫌いだった。げんしけんは、違うところはあるけど引き込まれた。シュタゲは、やっぱり違うところはあるけど、貴重な記録だし特別だアレは。これ読むと嫌いだった理由が結構整理されるな