この作品を絶賛したkawango氏も障害者像は不正確でいい旨の発言をしてたけど、主体性・当事者性には全く欠けてるのでは。作者は夜職の経歴すら否定。/今回はともかく、作者が善意に溢れてても悲惨な出来になりはする
「表象」という単語からも察せられるが、「オタクコンテンツの女性表象消費」への難癖、その類型でしかない。結局は『夜職や障害者は、「Woke思想」に基づいて描け』みたいな主張の近似。(続メタ
野間省一の言葉を借りると、「いたずらに浮薄な商業主義のあだ花を追い求め」ちゃってるな、って思う。
私は最新話の様々な人間描写は文学的な価値さえあると思ったよ。集団化した人間の行動というのも一つのテーマになっていたからある意味メタ的な二重構造が生まれてる。
クリント・イーストウッド監督の「リチャード・ジュエル」に対して、女性記者の描き方がよくないと抗議の声が上がったことを連想。イーストウッド側は実録もので取材に基づいているとつっぱねた。クリントが正しい。
みい山関連のこういう言説で「ツバサ」に触れてないのは全部無価値では感がある。
記事にもあるように「覗き見」や「貧困ポルノ」であってはならない。そこをカバーして放送したとしても、テレビアニメの場合、子どもも見る。子どもはそこまで深く捉えることは難しいよね。
仮に丸呑みできるなら正論→ "アメリカを中心とする世界のメディア業界では、「Nothing About Us Without Us」の精神のもと、障害者や貧困層の表象において過去の搾取的な歴史への深刻な反省と、構造的な改革が進んでいる"
例えば反戦映画はいかにして善良な市民が殺害されたかを描いている。この作品はいかにして障碍者が良識ある社会人から迫害を受けているかを描いている。なにが違う?
これをあくまで米国における思想の潮流だとして距離を置くことは否定しないけど、重要なのはそれと同じくらいの質と量でものを考えているかということ。少なくとも自分は Nothing About Us Without Us に説得力を感じる。
編集者たちの醜悪な言動がすべてでは。高学歴高収入の編集者たちが見世物・笑い者として自覚的に商業に走ったのは確定。少なくとも労われるべき存在とはみなしてなかった。問題提起ですらなかった。
みいちゃん自身の頑迷さによって支援が届かないという社会構造の限界が描かれてるよな。今まで蓋してきた問題を開けたらミーム化してしまうほどのインパクトがあったのは蓋してきたこと自体が問題だったのでは
女の子が「夏休みは給食が無くてご飯が食べられないので水を飲んで我慢します」みたいな団体の寄付呼びかけ広告よく見るけどあれを「貧困ポルノ」って言うんだな。親の生活管理能力が終わってるとあり得なくもないが
私は、問題がなるべく広く知られることに一番価値をおいていて、それが何からもたらされたものであるか、何をもたらすかは相対的に下になる…ごめんね / 幼少期のケア不足の話題にパターナリズム持ち出されると…困る
こんなフィクションの「適正化」への言い訳を聴けるわきゃなかろ。ドミネーターと何が違うんや
売れれば良いという考えでモノを売ったって良いんだよ。それが表現の自由だろう。いつの間にか中国みたいな考え方のヤツが増えたんだ。非常に嘆かわしい。
もう作者の属性とか編集の振る舞い(これはこれで最悪だが)を混ぜて話すフェイズになっているので、言葉が通じない状態になっていると思います。道徳酔いしてる。
馬鹿って救えないよね~!こっちが手を差し伸べてやっても言うこと聞かないしさ。大人しい子ならまだマシなんだけど。それにそういうのってほら、親もアレじゃん?死んでよ~。が社会構造の限界に見えてしまった。
読み応えもあり興味深く読んだが、このSiaのコンテンツや対応と今回が比肩するようなものなのかというと、どうなのかな
よりによってアメリカのポリコレ基準なんか持ちだすなよ。そういうのは作った途端にただのチェック欄と化す。そんなんで作品の価値が測れるかよ。
論点が網羅されてる指摘と思う。主人公や家族の編成からくる頑迷さも社会構造の問題と受け取れる読者がどれほどいるのか。あの作品はプロフェッショナルの不在が(グロテスクな)面白さのキモになってしまってるよね
メディアにおける社会的弱者表象の境界線:『みいちゃんと山田さん』論争とアメリカの倫理的潮流からみる「問題提起」と「露悪」の構造|Infoseekニュース
この作品を絶賛したkawango氏も障害者像は不正確でいい旨の発言をしてたけど、主体性・当事者性には全く欠けてるのでは。作者は夜職の経歴すら否定。/今回はともかく、作者が善意に溢れてても悲惨な出来になりはする
「表象」という単語からも察せられるが、「オタクコンテンツの女性表象消費」への難癖、その類型でしかない。結局は『夜職や障害者は、「Woke思想」に基づいて描け』みたいな主張の近似。(続メタ
野間省一の言葉を借りると、「いたずらに浮薄な商業主義のあだ花を追い求め」ちゃってるな、って思う。
私は最新話の様々な人間描写は文学的な価値さえあると思ったよ。集団化した人間の行動というのも一つのテーマになっていたからある意味メタ的な二重構造が生まれてる。
クリント・イーストウッド監督の「リチャード・ジュエル」に対して、女性記者の描き方がよくないと抗議の声が上がったことを連想。イーストウッド側は実録もので取材に基づいているとつっぱねた。クリントが正しい。
みい山関連のこういう言説で「ツバサ」に触れてないのは全部無価値では感がある。
記事にもあるように「覗き見」や「貧困ポルノ」であってはならない。そこをカバーして放送したとしても、テレビアニメの場合、子どもも見る。子どもはそこまで深く捉えることは難しいよね。
仮に丸呑みできるなら正論→ "アメリカを中心とする世界のメディア業界では、「Nothing About Us Without Us」の精神のもと、障害者や貧困層の表象において過去の搾取的な歴史への深刻な反省と、構造的な改革が進んでいる"
例えば反戦映画はいかにして善良な市民が殺害されたかを描いている。この作品はいかにして障碍者が良識ある社会人から迫害を受けているかを描いている。なにが違う?
これをあくまで米国における思想の潮流だとして距離を置くことは否定しないけど、重要なのはそれと同じくらいの質と量でものを考えているかということ。少なくとも自分は Nothing About Us Without Us に説得力を感じる。
編集者たちの醜悪な言動がすべてでは。高学歴高収入の編集者たちが見世物・笑い者として自覚的に商業に走ったのは確定。少なくとも労われるべき存在とはみなしてなかった。問題提起ですらなかった。
みいちゃん自身の頑迷さによって支援が届かないという社会構造の限界が描かれてるよな。今まで蓋してきた問題を開けたらミーム化してしまうほどのインパクトがあったのは蓋してきたこと自体が問題だったのでは
女の子が「夏休みは給食が無くてご飯が食べられないので水を飲んで我慢します」みたいな団体の寄付呼びかけ広告よく見るけどあれを「貧困ポルノ」って言うんだな。親の生活管理能力が終わってるとあり得なくもないが
私は、問題がなるべく広く知られることに一番価値をおいていて、それが何からもたらされたものであるか、何をもたらすかは相対的に下になる…ごめんね / 幼少期のケア不足の話題にパターナリズム持ち出されると…困る
こんなフィクションの「適正化」への言い訳を聴けるわきゃなかろ。ドミネーターと何が違うんや
売れれば良いという考えでモノを売ったって良いんだよ。それが表現の自由だろう。いつの間にか中国みたいな考え方のヤツが増えたんだ。非常に嘆かわしい。
もう作者の属性とか編集の振る舞い(これはこれで最悪だが)を混ぜて話すフェイズになっているので、言葉が通じない状態になっていると思います。道徳酔いしてる。
馬鹿って救えないよね~!こっちが手を差し伸べてやっても言うこと聞かないしさ。大人しい子ならまだマシなんだけど。それにそういうのってほら、親もアレじゃん?死んでよ~。が社会構造の限界に見えてしまった。
読み応えもあり興味深く読んだが、このSiaのコンテンツや対応と今回が比肩するようなものなのかというと、どうなのかな
よりによってアメリカのポリコレ基準なんか持ちだすなよ。そういうのは作った途端にただのチェック欄と化す。そんなんで作品の価値が測れるかよ。
論点が網羅されてる指摘と思う。主人公や家族の編成からくる頑迷さも社会構造の問題と受け取れる読者がどれほどいるのか。あの作品はプロフェッショナルの不在が(グロテスクな)面白さのキモになってしまってるよね