けして何者にもなれないお前たちに告げる。
承認欲求の数値化。まさにはてなスター
人里離れた山奥で好きな絵を描いて暮らしたいが夢だったから、忍者を目指そう
地方にいてもしんどいんだよな士業か最低でも自営業とかじゃないとダメで、勤め人は意思のある人間の数に入れてもらえないんだよね。「取り残される」はいかにも持ってる側の感覚だなあ
こんな悩みを持っている奴は自意識過剰過ぎる🤔
大変ですねえ。
もうこんなのはね、名乗っちまうしか解決策は無いんですわ。「私は一発ギャグ評論家だ!」とか「俺が生ガンダムだ!」とか何でもイイ。内なる声に従って自分で積み上げたものだけに自信が宿るものなのよ。
文春も間もなく廃刊ですね。ウソデタラメ文春は売れません。
広告多すぎ。BRAVEで開き直すのもめんどい
特にSNSは人が繋がる機会を生み出すが、同時に本人が望まずとも他人と比較される場所でもあり、SNSはユーザー同士を競わせ依存させることが利となる『承認欲求の市場化』した。何者シンドロームは正に現在の呪いです。
社会人版朝井リョウ『何者』
ピングドラムを手に入れるのだ
『何者』って有名人のことじゃないの?世間一般でなのか業界でなのかはあるけど。その辺の医者なだけでは何者にも認めないぞ。雑誌で名前のあがる凄腕外科医だとか情熱大陸で取り上げられた救命医とかが何者かだよ
ナニモノになりたいヨォん!ブクマカの中でも抜きん出たナニモノになりたいんだよォン!(はてなから離れろ)
曲者になろうぜ。食わせ者だとちょっとかっこいいな。軟弱者とは言わなくなったよな。
本論とは関係ないけど、例に挙がっている谷亮子さんはおそらく自分のことを「野球部の息子達を応援しているお母さん」くらいにしか思ってないだろうなあってのがなんとも皮肉な感じがする。
私は男だけど、20年近く前には「僕は何者にもなれないだろう」と思って結婚したよ。彼女の為の何か、にはなれるから
SNSを全面禁止しよう。みんな健康になる
いや、”何者”かになろうと必死なのはスーさんでは?
べつに現代にはじまった話じゃない、江戸時代も本当に志のある奴は身分の枠を飛び越えた(新選組は近藤も土方も農民)。明治から戦前なら平民でも徴兵されれば天皇に仕える皇軍の一員という何者かになれたんだけどね
400年前の哲学。もう100年前の哲学者が答え出してるから。ネット記事なんてこんなもんか。
何の肩書きもなく、資産家でもないのに労働しないでフラフラしている人をフラットに受け入れる事自体、まず大抵の人には難しい。/無意識の前提は人生のどの段階で、誰によりもたらされたのだろうか。
自分の理想像はあるんだけど、なれなくて苦しい。執着を捨てて淡々とやる方がうまく行くんだろうけど、そうしてる間に本義を失いそうで怖い。頭が嵐。
マッチョなバリキャリのジェーン・スーの話を真に受けてる暇なんて人生にはない
それにつけてもカネのほしさよ
そこで手っ取り早いのが陰謀論なんだろうなぁ
団塊とかから「夢を持て」と言われ、平穏無事に暮らすのが夢などと言おうものなら夢が無い夢が小さいと勝手に裁かれ夢を見つけるのが夢と言わされた後遺症が「何者かに」を招いてると理解してた。
何者かは誰かの夫、誰かの妻、誰かの親で十分だと思うようになった。子供にとって誇れる親になること、願わくば子供も誰かにとってかけがえの無い何者かになって欲しい。家族以外に向けられた肩書きは二の次。
夢や自己実現は米国的価値観の単なる消費でしかない。何者化になりたい自分語り的コンテンツは飽和しているが、社会や歴史が欠損してしまったのが現在の我々である。
この感覚が一切わからない そもそも何者の定義がわからんけどネームドということなのか別に有名じゃなくても名人や極め人なのか 有名(他人に認知されることが最大の主目的)だと定義するなら他人軸だしカスだね
ずーっとこの「何者かになる」という考えがよくわからない。自分は自分でしかないんだけど。
昔中島らもの奥さんが書いた本に「世に出て行くことだけが生きていく道ではない。平凡に生活することも人生なのだ」みたいなことが書いてあってよく覚えている
1人で観光地行くときなんか周りが気になるけどカメラ持っていけばカメラマンになれてなじんでる気がする。本文は読んでない
コメにもある「配偶者、親」ってのが今までの解。現代はそれだけでは足りなくなってるから、良い年齢した中年がショート動画で踊るんだよね。
わかるのだが、何者コンプレックスは一旦何者かにならないとなくならないからね。小説家ワナビのまま年だけ取ってる人とか悲惨よ
??? ホントこの「自分探し」だの「自分は何者か」だの意味がわからん昔から。嫁も同じ感想で「自分は自分じゃん」と醒めきった眼をしてる。恐ろしく競争的な社会(つか界隈)で生きてんだね、皆さん。
“他者に語り得る物語のある人生のほうが、高価値だと思わされているだけ“ オンラインサロンに入った時、これを強く感じた。
自分が楽しむのではなく他人が楽しんでる話ばかり聞くと危ない。あとは、普通の人間が出来てそうなフリを自然にできるかどうかか。
子供をつくるのが一番イージーなんだよね。現代では、3割くらいの人が独身を選んでいる。自分ひとりの力で「何者か」にならないといけなくなってしまった。(そのために結婚・出産するのも本末転倒だしな)
独身の人と既婚の人と子持ちの人との間でもこの「何者」論には高い隔たりがあり、要は本人の見たい(有りたい)社会規範内での承認欲求にすぎないのだと悟りつつある
何者か=立場に特化しすぎて空っぽのまま歳をとるとスーパーのレジで「俺は社長だぞ」とキレる老人になってしまうのである。
唐突にヤワラちゃん
「何者」ってつまり人生の要約であって、他人からの目線を介して自分を探す・掴むという感じがある。そんなもん探さなくてもずっとここにあったんだ、とわかった時にはもう中年
子供がいたとしてもSNSやってる限りは問題を先送りにしてるだけになるんだよね結局… XやInstagramで他人の生活を見るのをバッサリやめることが初手の解決策かなと。
あんまよくわからなかった。評価軸なんて取らなくてもいいんじゃないか。「小説家ワナビ」でもいいじゃないか、生を肯定しろ!
我々非モテは「配偶者、親」になるのは不可能なので、一人家族の主人、というところで自信を持とう!一人だって立派な家族!と本気で思ってる。
何者でもないってのは、生物学的魅力が欠如した状態よ。だからたいして金や、人望も得られず、恋人や結婚ができる確率は下がり、他者から自己肯定感や愛情が得られる機会も失う。焦る方が生物として正常じゃないの。
ジェーン・スーさんもこの周辺のネタから離れられない印象はある。
左右男女共、SNSで偶然に見かけた実在も真偽も不明な他人の訴えに煽られ、脊髄反射で怒れ・連帯せよ・アクションせよと噴き上がるのも同じ。“何者”にもなれずスマホポチポチの傍観者な自分への後ろめたさの裏返し。
小泉竹中内閣の時に勝ち組、負け組問わず自己責任が大流行していて、努力して成果を上げなければ社会から振り落とされる、と思い資格を取って今の職に就いてるからこの何者シンドロームに囚われていたのかなと。
むしろ偉そうに講釈垂れる「あんた誰?」ばかりだよ。令和に谷啓やってんじゃないよまったく。
何者でもない人として生き、何者でも無い人として死んで行く。誰にも注目されなくとも好きな事をして静かに暮らす。過度に他人の目を気にしなくなった時、そこには心が伸びやかになる自由があるのだ
何者かになったジェーン・スーが言うのもグロいな
ネットのせい?
タイトルしか見てないが、この手の話、どこまでどうなったら「何者」になったとなるんだろうな? フォロワー1万人? 何かの賞を取る? う~ん…。そこ、わからんのだよなぁ。
「“何者”かにならないと、社会から取り残される」と焦ってしまう…ジェーン・スーが解き明かす、現代人を悩ます「何者シンドローム」とは | 文春オンライン
けして何者にもなれないお前たちに告げる。
承認欲求の数値化。まさにはてなスター
人里離れた山奥で好きな絵を描いて暮らしたいが夢だったから、忍者を目指そう
地方にいてもしんどいんだよな士業か最低でも自営業とかじゃないとダメで、勤め人は意思のある人間の数に入れてもらえないんだよね。「取り残される」はいかにも持ってる側の感覚だなあ
こんな悩みを持っている奴は自意識過剰過ぎる🤔
大変ですねえ。
もうこんなのはね、名乗っちまうしか解決策は無いんですわ。「私は一発ギャグ評論家だ!」とか「俺が生ガンダムだ!」とか何でもイイ。内なる声に従って自分で積み上げたものだけに自信が宿るものなのよ。
文春も間もなく廃刊ですね。ウソデタラメ文春は売れません。
広告多すぎ。BRAVEで開き直すのもめんどい
特にSNSは人が繋がる機会を生み出すが、同時に本人が望まずとも他人と比較される場所でもあり、SNSはユーザー同士を競わせ依存させることが利となる『承認欲求の市場化』した。何者シンドロームは正に現在の呪いです。
社会人版朝井リョウ『何者』
ピングドラムを手に入れるのだ
『何者』って有名人のことじゃないの?世間一般でなのか業界でなのかはあるけど。その辺の医者なだけでは何者にも認めないぞ。雑誌で名前のあがる凄腕外科医だとか情熱大陸で取り上げられた救命医とかが何者かだよ
ナニモノになりたいヨォん!ブクマカの中でも抜きん出たナニモノになりたいんだよォン!(はてなから離れろ)
曲者になろうぜ。食わせ者だとちょっとかっこいいな。軟弱者とは言わなくなったよな。
本論とは関係ないけど、例に挙がっている谷亮子さんはおそらく自分のことを「野球部の息子達を応援しているお母さん」くらいにしか思ってないだろうなあってのがなんとも皮肉な感じがする。
私は男だけど、20年近く前には「僕は何者にもなれないだろう」と思って結婚したよ。彼女の為の何か、にはなれるから
SNSを全面禁止しよう。みんな健康になる
いや、”何者”かになろうと必死なのはスーさんでは?
べつに現代にはじまった話じゃない、江戸時代も本当に志のある奴は身分の枠を飛び越えた(新選組は近藤も土方も農民)。明治から戦前なら平民でも徴兵されれば天皇に仕える皇軍の一員という何者かになれたんだけどね
400年前の哲学。もう100年前の哲学者が答え出してるから。ネット記事なんてこんなもんか。
何の肩書きもなく、資産家でもないのに労働しないでフラフラしている人をフラットに受け入れる事自体、まず大抵の人には難しい。/無意識の前提は人生のどの段階で、誰によりもたらされたのだろうか。
自分の理想像はあるんだけど、なれなくて苦しい。執着を捨てて淡々とやる方がうまく行くんだろうけど、そうしてる間に本義を失いそうで怖い。頭が嵐。
マッチョなバリキャリのジェーン・スーの話を真に受けてる暇なんて人生にはない
それにつけてもカネのほしさよ
そこで手っ取り早いのが陰謀論なんだろうなぁ
団塊とかから「夢を持て」と言われ、平穏無事に暮らすのが夢などと言おうものなら夢が無い夢が小さいと勝手に裁かれ夢を見つけるのが夢と言わされた後遺症が「何者かに」を招いてると理解してた。
何者かは誰かの夫、誰かの妻、誰かの親で十分だと思うようになった。子供にとって誇れる親になること、願わくば子供も誰かにとってかけがえの無い何者かになって欲しい。家族以外に向けられた肩書きは二の次。
夢や自己実現は米国的価値観の単なる消費でしかない。何者化になりたい自分語り的コンテンツは飽和しているが、社会や歴史が欠損してしまったのが現在の我々である。
この感覚が一切わからない そもそも何者の定義がわからんけどネームドということなのか別に有名じゃなくても名人や極め人なのか 有名(他人に認知されることが最大の主目的)だと定義するなら他人軸だしカスだね
ずーっとこの「何者かになる」という考えがよくわからない。自分は自分でしかないんだけど。
昔中島らもの奥さんが書いた本に「世に出て行くことだけが生きていく道ではない。平凡に生活することも人生なのだ」みたいなことが書いてあってよく覚えている
1人で観光地行くときなんか周りが気になるけどカメラ持っていけばカメラマンになれてなじんでる気がする。本文は読んでない
コメにもある「配偶者、親」ってのが今までの解。現代はそれだけでは足りなくなってるから、良い年齢した中年がショート動画で踊るんだよね。
わかるのだが、何者コンプレックスは一旦何者かにならないとなくならないからね。小説家ワナビのまま年だけ取ってる人とか悲惨よ
??? ホントこの「自分探し」だの「自分は何者か」だの意味がわからん昔から。嫁も同じ感想で「自分は自分じゃん」と醒めきった眼をしてる。恐ろしく競争的な社会(つか界隈)で生きてんだね、皆さん。
“他者に語り得る物語のある人生のほうが、高価値だと思わされているだけ“ オンラインサロンに入った時、これを強く感じた。
自分が楽しむのではなく他人が楽しんでる話ばかり聞くと危ない。あとは、普通の人間が出来てそうなフリを自然にできるかどうかか。
子供をつくるのが一番イージーなんだよね。現代では、3割くらいの人が独身を選んでいる。自分ひとりの力で「何者か」にならないといけなくなってしまった。(そのために結婚・出産するのも本末転倒だしな)
独身の人と既婚の人と子持ちの人との間でもこの「何者」論には高い隔たりがあり、要は本人の見たい(有りたい)社会規範内での承認欲求にすぎないのだと悟りつつある
何者か=立場に特化しすぎて空っぽのまま歳をとるとスーパーのレジで「俺は社長だぞ」とキレる老人になってしまうのである。
唐突にヤワラちゃん
「何者」ってつまり人生の要約であって、他人からの目線を介して自分を探す・掴むという感じがある。そんなもん探さなくてもずっとここにあったんだ、とわかった時にはもう中年
子供がいたとしてもSNSやってる限りは問題を先送りにしてるだけになるんだよね結局… XやInstagramで他人の生活を見るのをバッサリやめることが初手の解決策かなと。
あんまよくわからなかった。評価軸なんて取らなくてもいいんじゃないか。「小説家ワナビ」でもいいじゃないか、生を肯定しろ!
我々非モテは「配偶者、親」になるのは不可能なので、一人家族の主人、というところで自信を持とう!一人だって立派な家族!と本気で思ってる。
何者でもないってのは、生物学的魅力が欠如した状態よ。だからたいして金や、人望も得られず、恋人や結婚ができる確率は下がり、他者から自己肯定感や愛情が得られる機会も失う。焦る方が生物として正常じゃないの。
ジェーン・スーさんもこの周辺のネタから離れられない印象はある。
左右男女共、SNSで偶然に見かけた実在も真偽も不明な他人の訴えに煽られ、脊髄反射で怒れ・連帯せよ・アクションせよと噴き上がるのも同じ。“何者”にもなれずスマホポチポチの傍観者な自分への後ろめたさの裏返し。
小泉竹中内閣の時に勝ち組、負け組問わず自己責任が大流行していて、努力して成果を上げなければ社会から振り落とされる、と思い資格を取って今の職に就いてるからこの何者シンドロームに囚われていたのかなと。
むしろ偉そうに講釈垂れる「あんた誰?」ばかりだよ。令和に谷啓やってんじゃないよまったく。
何者でもない人として生き、何者でも無い人として死んで行く。誰にも注目されなくとも好きな事をして静かに暮らす。過度に他人の目を気にしなくなった時、そこには心が伸びやかになる自由があるのだ
何者かになったジェーン・スーが言うのもグロいな
ネットのせい?
タイトルしか見てないが、この手の話、どこまでどうなったら「何者」になったとなるんだろうな? フォロワー1万人? 何かの賞を取る? う~ん…。そこ、わからんのだよなぁ。