いい夫がいてよかったね(´・_・`)
自分も「いつどこに行って何をしたか」がわかる程度に写真を撮っておくようにしてる(撮影じたいが目的化しない範囲で)。たった一枚の写真でも記憶を呼び覚ます力は強い
せっかく二人いるのだから、一人はその瞬間を楽しむ。もう一人はその楽しさを記録する。で 良い組み合わせじゃないでしょうか。
「子供のころの自分を見て喜ぶ男は少ない。僕は今、古いビデオの中の若い父の姿をじっと見ている」高田社長「デジタルビデオカメラで思い出がずっと残せます!」
児童ポルノ製造の悲惨な話かと思ったのに!
瞼の裏の記憶と画像の中の記録はまた違う。
だぁらライフログ機器が普及すればこーゆー問題は解決する
コメントにもあるが動画がいい。 撮影スポットでキメ顔してる静止画じゃ伝わらないリアルがある
ただ、撮った人は撮ったことで満足したのか、意外と見直さずにいるって例も見たことはある
忘れた方が都合いいこともあるので、「忘れた時に思い出したいもの」という基準で撮った方がいいな。
"したり顔で「写真なんか撮るより記憶に焼き付けろ」なんて言う旅アカウントありますけど、記憶は消えますからね"
実際にはファインダーを覗いてるだけで子供など見てもいないのに、動画さえ残ればありもしない記憶も思い出せるとw
お子さんだけでなく周囲の人を入れるのも良いです。最近はクラウドサービスやNASが定期的に掘り返してくれるのでそのまま塩漬けも減りましたしね。
まあ子供本人は別にと思ってることも多そう。でも結婚式で使ったりはするか。
スマホで撮ったごく普通の日常写真でも、5年後10年後に見るとエモい。
むかしのジャパネットのCMじゃないけど、子供だけじゃなく自分たちも写っておけ。子供が懐かしく思うのは子供のころの自分じゃなくて、親の姿だから
記録の優位性は、記憶とは別レイヤの話でもある。自分の頭の中に残ったもの自体に価値を感じる事もあるので。
程度問題
これは本当にそのとおり。私も記憶派で写真をあまり撮らなかったんだけど、本当に後悔してる。もう取返しがつかない
まわす…MiniDVテープかな?
ほんと覚えてないって聞くもんなあ・・
結婚前からの妻や家族との写真、動画が四半世紀分貯まってる。どう整理したもんかと思ってたが、Googleフォトが全てを解決してくれた。ファミリー共有で暇なときにみんなが見て、スターつけて、自然と整理されていく
写真とか映像も整理しないと意味ないけれどねw Googleフォトならアルバム機能とか使いましょうw
亡くなった父の写真は毎年集合写真を撮っていたから結構あるのだけれど、動画はほぼ撮らなかったから声は忘れていってしまうなって思った。動画も大事。
人生の録画機能は使わないと損。日記もつけようね
この時代に目に焼き付けたい!と思っている人がいるのだなーと驚き。最早眼球にカメラ入れて全てデジタル化して残しておきたい。
その結果、フルサイズミラーレスまで買ってしまった。GMレンズはいいぞ(ぐるぐる目)
たまに撮影可能なライブとかあるけど、シングルタスクだから撮影に気を使ってライブを他の占めなくなるので、撮影しないで普通にライブを楽しむ方にシフトしがち。
狙撃手は両眼を開けて狙撃をする。片目はスコープを覗き、もう片目で周辺を見る。カメラを回す時も同じようにファインダーで見ながら肉眼でも焼き付けたらいい。
家族の思い出を残すなら、BeRealみたいなカメラ2面使いで撮影者(親)対象者(子供)の同時撮影は良さそうだね。一生懸命撮影しているお父さんの映像とか亡くなった後に見たら泣けるな。
記憶なんて翌日には消えてるじゃん
初めての一人旅では格好つけて、目に焼き付けるからカメラ不要として何も撮らなかったけど、すぐに後悔した。お土産と一緒で持ち帰るものがあることは確実にプラスで、旅行やイベントの価値を上げる
人は何度も思い出すから覚えるのであって映像がないと思い出せないからそれはそう
心のカメラ「Conversation compacted」
だからあえて家族写真は自分が撮って自分は写らないようにしてる(自分が死んだ後に誰かが自分のことを覚えている必要はないので)
ただ現代は昔みたいに紙で残らないから、たくさん撮ってもデータの保存先がな…CD-ROMに残した平成の写真データ、いつまで保存できるのだろうか。
十数年後はそう思うかもしれないけど、その場ではやっぱり集中できないよ。
忘れるからこそ尊い
しかし、その「忘れる」を含む「記憶の最適化(∋記憶の美化)」も、それはそれで貴重な体験や刺激を生む土壌となり得るのでは。鮮明であることが常に最善とは限らない。
タイトルがAIっぽいというか今風の興味を引こうするヤツで読む気を無くす。
親がいる人、遺影はボケる前に撮っといた方がいいよ。認知症進むと自然な笑顔が作れなくて良い表情で撮るのが難しくなる。
自分を含め人が入った写真を全く撮らない派なのだけど、いまだに後悔したことはないです。もうすぐ60歳、いつか後悔する日が来るのかもしれないわねえ。
写真もそうだが、「このライブは絶対に忘れない」とその時は思ってたライブとか、ほとんど忘れてしまったので、思い出すためにチケットとか取っておけばよかったと思ってる。
記憶が薄れるって経験、二十数年生きてきてたら自明の理では
もう一つ付け加えると、動画で残しておいたほうがベター。
光学メディアはやめておけ。20 年後には読めなくなることがほぼ確実。磁気テープの方がマシだがそれも老後までは持たない。その時々の適切なストレージにコピーを繰り返すのが正解。
覚えてないくらいならいいんじゃない?
最終的に残るのは子の方なので親の映像を残した方が良い。NHKの『ファミリーヒストリー』とか見てたらそう思う(2004年のジャネットたかたのCM https://www.youtube.com/watch?v=EcKsDYCgJI4)
被写体だけじゃなくてなるべく周りの情報が映るように撮ってる。棚の飾りとか部屋の全体図とか。
はやくわすれたい
「感動した」からではなく「忘れてる」から撮っておいた方が良い、となるのはちょっと疑問。ある程度忘れて記憶を浄化した方が良い事もあるし、記録があるとそこに記憶が偏る。
日記で感情を記録する
「目に焼き付ける!」なんてのは自分を過大評価しすぎ。さらに言うと、写真はとにかく整理せず捨てないのがオススメ。たとえ今はどうでも良くても、写真の価値は時間が経つほど上がる。
こうやって名もなき人の記録って一切残らないんだよね。100年後にはこれを読んでる人なんて誰も覚えていない。ただ唯一正式に残る方法があって「公文書に名前を残す」方法。ただ、断捨離マニアが消すんだよな
とりあえず撮っておいてEchoShowのこの日の思い出とかで表示させておくとふとした瞬間に懐かしい気持ちになって良き。
カメラを落として壊れたとしても記憶媒体は生きているのでは?取り出したら読めそうだけど。
ライブの撮影でチクチク言われるけどこれが根底にあるから撮影したいんだよなぁ…。人の記憶は薄れるものなので撮影円盤売ってほしい…
google photoにアップ→顔識別&自動追加アルバムを作る→google nest(画面あるやつ)にそのアルバムをスライドショー設定→ダイニングテーブルに置く。同じ季節の数年前の子供が投影されて毎晩楽しんでる
というか子供が一番自分が子供の頃の映像を見返す。子供のために子供の映像残すの大事
“目に焼き付ける派だったけど、自分の記憶が全く当てにならないことに気づく。撮影当時のことをほぼ覚えていなくて愕然。エモかったはずの出来事も、どんどん記憶が薄れていく。”
記録を取るか記憶に焼き付けるか悩ましい
同じ場面を他者が撮影した映像では記憶が喚起されない(自分で撮った映像でないとトリガーにならない)ということなのか?「見た」という記憶込みで記憶…?
カメラマンを交代でやるのもいいかもね
声も動画で時々残しておくといいよ。声って感情に訴えるものがあるよ。
思い出は現代病のひとつだと思ってる。その時の一瞬一瞬を楽しんで正解だよ。思い出のために旅行したり子どもの運動会撮ったりするやつが理解できない。思い出前提の人生なんてつまらんやん。
ファインダー越しの娘より実物のほうが可愛いんだけどなー、と思いつつ赤ちゃんの頃から沢山撮っているけど、数年前の娘の記憶が写真や動画になっちゃうのがちょっと残念と思ってたり
当時は子供と楽しんで、今は映像を見て楽しんで、最高じゃん。自分で撮ったら自分は映像に入れないんだよ?セルフィーはスマホ以降の習慣だから。
人間の記憶、トリガーが無いとなかなか出てこない。写真はそれにうってつけ。
声はすぐ忘れちゃうよね。匂いもだけどこちらは記録媒体がない
過去の写真を見返すとなかなか思い出せない記憶が想起される。それもかなり細かく
撮影していた人は撮ることばかりに気を取られてあまり記憶に残っていないなんていうこともあるので、どちらにも偏りすぎるのは良くない。
忘れちまうようなことは覚えなくていいことだよ。
肖像権とは
人物はその通りだけど、風景とか花火大会とかの写真はプロでいいよね。今はちゃんと見ろやってなる
写真の管理がなぁ…。
そしてお父さんの姿は残らない…長回しじゃなくても1分動画いっぱい撮って繋げてVログみたいにするのも良いよね
「目に焼き付ける方法だと忘れてしまう」みたいなコメントが散見されるが、写真撮らない派はそもそも「忘れてもいい」と思ってるからそうしてんだから、前提からして噛み合ってないわね。
というか1年に1回は写真に写っておきなさい。未だに死んだ時に最近の写真なくて困る人います。
そういう意味でスマートフォンは画期的なのよ。動画撮影も15秒程度の断片で十分。視聴する時間も限られているのだから。
増田に記録するしかないな(´・ω・`)
でも無かったら無いで全然いいんだよな。それよりも増えすぎたコンテンツをいつ・何度見返すのか問題。人生にこれさえあればそれでいいというマスターピースを作るのが重要な気がしている
自分に関して言えばもっと(子供を)撮っておけば良かったと思うくらいの分量でちょうどいいんじゃないかと思ってる。そんなに撮っても見返せないし。
“エモかったはずの出来事も、どんどん記憶が薄れていく” エモかったことを覚えているのが重要なのでは。
ヒトは忘れるようにできてるのだから忘れていけばよい。記録をたくさん残せばそれがまた碌でもない執着を生むかもしれんし。
忘れたならそれはそれでいいんじゃないのかね。写真が全てではないし。
ワンワンの歌で踊る我が子、その時は日常過ぎて撮影もしてなかったものを、夫が残してくれていて本当ナイスだった。おでかけの記録ではなく当たり前の日常を残すことも大事だった
記憶は消えてくけど、記録は残るよね。消えて曖昧に残るままが健全かもしれないけど、日記とかつけてると何かと便利。
やめろ!と言われるけど70過ぎた両親の写真を撮り続けてる。
自分の中で動画は基本的に30秒までというルールで撮影しているのだけど、動く写真感覚でシーンを細かく切るようにしておくと後で見返しやすい。後で編集は手間だし長い動画は見るのにそれだけの覚悟がいるのよね。
記録した上で目に焼き付けたら良くね。昔と違って紙に現像する必要もなく電子媒体で保存できるし気軽にバシバシ撮っておけばいい。
そもそもファインダー越しにちゃんとリアルタイムで見てるからOKだと思っている。
今は写真とか動画が気軽にのこせるようになったし、どんどん残していきたいね。
写真はきちんと印刷してアルバムを作ったほうがいいよ。という俺も子供が10歳ぐらいまでしか印刷していないけど
夫に撮らせて自分は直に見ておくのが多分一番正解。私も自分の目で見たいの我慢して録画したりしてた。
写真は記憶を思い出させるのに索引として非常に有効。写真以前は日記がその役目だった。じゃないとどうしても忘れてしまう。
気まぐれで撮った写真を数年後に見ると確かに価値を感じるのだが、あいまいな記憶として徐々に風化していくのもそれはそれで乙なものがあり結局写真はめったに撮らない。
忘れるようなことはその程度のことなのであんまり気にしなくていいとおもう
新しい情報がどんどん入るから、そうとう衝撃的な記憶でもなきゃ、古い情報って具体性を失って抽象化していくんだよな。忘れていくものだと割りきるのもアリだよね。
フランスの批評家ロラン・バルトが言うところの写真の本質「それは、かつて、あった」、すなわち、過去確かに現実に存在したが、現在では失われてしまった。それが写真の本質。
自分の記録が中学以降ほとんど残っていないのので、わかる。後、写真は、デジタルで残すと同時に、ある程度プリントしとくことも、大切。デジタルなら、バックアップは大切だけど、膨大になってしまう。
今はジオタグで時間も場所も記録できるから良いのよね
まぁ映像だけが記録じゃないからね、その場は楽しんで日記で残すでもいい
夫婦でそれぞれ交代で撮れば最強……?
記憶が記録に勝てるわけないやろ。
電子データはちょっとしたことで失われてしまうのが課題。うちはローカルとクラウドx2にバックアップ、普段見やすいようにiCloudの共有アルバムに放り込んである。(自分は独身なので、親向け。)
これについては、どっちを選んでも、選ばなかった方を後悔するやつなので、もう仕方がないよね。割り切って撮影に専念する役を引き受けている。
「俺は2019年の今頃にやってきたんだぜ!」とぬいぐるみは語りかけてくるが、当時の写真がなかったら、そんなことも忘れていたと思う。写真は大事だな…と。
「どうしてこんなにどうでもいい映像を撮ってたんだ...」と思うような動画が10年経って本当に愛おしく感じる。(個人的には)被写界深度を浅くして撮ったイイ感じ風の静止画よりも圧倒的に宝物。ありがとうGoogleフォト!
昔読んだ小説も新鮮な気持ちで読める
後悔する可能性が僅かでもあるなら残すしかない。写真もスライドショーとしてまとめて限定公開でyoutubeに上げておけ。画質は劣化するが早々消えんし場所も取らん。デジタルアルバムで垂れ流しも可能。サンキューGoogle
ある出来事を脳で記憶できる以上に長く記憶する意味ってなに?過去、子供が可愛かったから何だっていうの?目的がわからん。
普通の主婦でiPhoneバンバン買い替えてる人って写真をどう管理してるんだろ。
ちょっとしたことでも動画や写真を撮っておくと、何月何日何してたっけ…という時に見返せて便利だからとりあえず撮ってる。もちろん思い出としても楽しい。特にわんこは子犬の時に撮っておくべき
それでは、Official髭男dismの『115万kmのフィルム』を聞こう!....あっ関係ない?失礼しました〜
目に焼き付けるというより、その時を五感で楽しむという感じ。五感とカメラどちらかに偏りすぎなきゃいいんでない?
そら記録目的で記憶が写真に勝てるわけなかろう
これについてはありがとうgoogleだなあ。最近はアクションカメラを買って休日なんでもかんでもVlogとして撮って適当にYoutube限定公開に上げてる
その今エモい瞬間も映像として残しておくと十年後に楽しめる/昔のことを思い出してエモくなることが今後の人生のプラスとは限らない
人間はすぐ忘れるしね。
写真はインデックスなのよ、あれ、これ何食べてたっけ?そういえばこの時さぁって記憶を呼び起こすものになるのよ
映像と音がリアルなんだからそこから受ける印象は強いだろうけど、それがいいかどうかは別のお話
忘れていいと思うけど。
とった写真や動画をGoogleフォトにいれると、ことあるごとにX年前の記憶とか持ち出してくれるから見直すきっかけになるよ、学習に使われていることの引き換えだが
でも花火に来て撮ってるやつはマジで分からん。アレを後から見返さないだろうし、その場の雰囲気を楽しんだ方が良いと思う(´・ω・`)
ただ撮影に必死になりすぎて、子供なり風景なりをしっかり見ないのは本末転倒。程度の問題。/あと、思い出なんて忘れていい。
忘れるからこそiPhoneやGoogleフォトは勝手に思い出を勝手にまとめて今日の思い出とかユーザーに見せてくれる。
今はデジタルフォトフレームでその日の出来事を自動で出してくれるらしいから見返さなくても勝手に見返す事になるんよね
ただそうやって記録したものも、自分も含めて、利用する人や引き継ぐ人がいなけば結局は無に帰すので、無ですよ。孫ができてさらにその先の世代にと続いていかない限りは自分の存在なんて無ですよ
家庭が壊れた。iCloudには撮り溜めた在りし日の愛しい思い出でいっぱい。今は眩しすぎて振り返れない、けれど遺して良かったと思ってるよ。
写真を見て蘇るなら忘れてないってことだ。どっちでもいいんだよ
自撮りしすぎてGoogleフォトが私主演のスライドショーを作ってくれるのウケる
写真についてる親の一言コメント好き
後から見ると、行事を撮った後のフィルムの残りを消費する為に撮った、適当な日常スナップの方が大体良い写真に感じるので、そういう意味では、良い写真とかビデオは、デジカメになってからの方が少ないかもしれんな
毎年、甥と旅行に行っていて、毎年1冊のフォトアルバムにまとめてあげてる。時々眺めてるみたいで良かった。デジタルになると見ないんだよね。動画は撮ってない。
忘れてもいいと思って撮らなかったけど、レインボーのハードモヒカンとか、女王様の格好でステージで客をムチで打ってた時の写真とか撮っときゃ良かった。確実にネタになったのに。自分で見返すことはないけと。
子供はそうだろうな。自分の過去の動画なんて1mmも見たくない、オエッオエッ
編集者なら日記だろ!絵本の読書記録かいてるよ。子供と自分感情の記録としてめちゃくちゃ有意義
思い出を軽視してる人はDie with zeroを読もう。人生の最後に残るのは思い出だけ。
これは人によると思う。俺はビジュアル的な記憶力が人より低いようなのだが、リアルに光景を思い出せるタイプの人もどうやらいるらしい。
子供の成長は早いし反応も毎回変わるので、なるだけ記録してる。のちのち子供自身が見ることを考えて、子供だけじゃなく妻も映り込むよう心がけてる。後で見なくてもいいし、見られるようにしておくことが大事かなと
ほんとわかる。運動会とかめんどくて撮らなかったけどすごく後悔してから翌年から撮るようにしたワケ。そして運動会後1週間は子どもが寝たら「さて!今日も観ますか☺️」って夫婦で動画観てた。最高の時間
ポジティブな記憶は消えネガティブな記憶は残る。動物が生き残るために必要だから。
忘れてるようなものいらねぇだろ
カメラでもたつく親より、一緒にその瞬間を楽しんでくれる親の方が子供は嬉しいだろうから、正解だと思う。人に記録もお任せできて、美味しいとこ取りできてるのでは。
記憶も感情も保存出来るものではなく、思い出すと言いながら再構成されるのみ。とはいえそれに価値がない訳でもなく、それ故に記録にもその触媒なりの価値はあるのだろう
分かる。特に子供の写真や動画は。旅行写真とかは名所旧跡の写真は他の人も撮影しているのでどうでも良いが、人が写っているものが貴重に思う。昔の旅行の時にもっと人が入った写真を撮っておくのだったと後悔してる
スティーブ・ジョブズが家庭の映像を見直さないのは編集しないからだ、って言ってた。自動編集が一般化すれば見るのでは?
このVlog全盛時代、動画は見返すと本当楽しめるからおすすめ。変わった被写体なんてなくていい、ただ日常を撮るだけで面白い
忘れてもええんやで
写真とかとっても後から見返さないことがわかって旅行とかでも全然写真撮らなくなった。家族とか取りたいのはわからんでもないが私は天涯孤独だからなあ…。
googleフォトの検索能力向上で、ずっと撮る派の自分にいい時代が来た
これは自分もそうだった!ちゃんと自分も入って写真なり動画なり撮っておいたほうがいい!!たぶん潜在意識とか深層の記憶には入っているんだろうけど、この地球で体を持って生きてる限りそう思い出せることはない。
「 思い出は現代病」に賛成。記録さえなければ見返して愕然とすることもなく満ち足りていたのに、という話でもある
分かる( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`) 記憶は芋づる式。芋づる式の最初に記録があると楽。
祖父が大量の8ミリフィルムを撮ってくれたおかげで幼稚園より下の頃の自分がわかるので撮っていてくれた方がありがたい派。思い出とはまた別の話。
子ども生まれる前は写真とるのがキライだったけど、今は写真を取るのが好きだし、定期的に見直している。 子どもたちと見て思い出話をするし、我が家にとっていえば記録しててよかったなぁと思っている。
両方撮ってたらうざいからお母さんはそれでよかったと思うw
私は父親含めた団欒写真を撮っているけど、私のことは誰も撮ってくれない。カメラロールに私は存在しない。
忘れろビーム!
フィルム時代の貴重な自分の大量の写真記録を引っ越しで全部紛失した私はそんなのどうでもいいと思うようになった。
私は記録に残しているからこそ気持ちよく忘れられる派。なので日記代わりに写真を撮っている。
マジで忘れる。でも断片的な素敵な思い出が幾つかあれば、それでいいよ
乳児期、写真はあるけど撮影者としての親がこなれてなくて、かわいい写真ばかりなのが悲しい。今となってはもっと生々しい赤ちゃんとしてのわが子が見たいのに。
その時の感動が大事なんだから別にねえ。感動した時だけ写真撮る。だからほとんど撮らない
フィルム時代のアルバムは今も家に積んであるがデジカメ時代になってからのアルバムがない。
Googleフォトなんかで検索して記憶をたどれるようになって、しょうもないことでも写真に残しといた方がいいとさらに思うようになったワ
たかだか二百年弱の文化なのでみんな疎かにしがちなんですね。
昔と比べたら写真撮ったり保存しとくのなんてタダみたいなもんなんだからやっとけよ
「カメラをまわす」って言ってるから動画のことだよね?写真がどうこう言ってるコメントは的はずれでは?/昔は近所の8ミリ持った親父さんが周辺のジャリン子まとめて撮影してたなぁ。
子どもの写真とか、グーグルフォトに同期されるからめちゃくちゃ撮りまくっているせいで、Pixelから乗り換えられなくなってしまった…よくできたビジネスモデルやで
家族単位の記憶じゃないけど実家が旧家でガラス乾板の写真があったり(リンゴ園の作業風景など)8ミリフィルムが残ってたりという歴史が振り返れて良い。コメにある通りデータの課題は今後の長期保存性だなとは思う
“できるだけ撮っておいた方がいい!” ( ほんとです。)
今はスマホで気軽に撮れるんだし、日常風景を気楽に残していくのがいいと思う
でも撮ってると没入出来ないからねえ。誰かは犠牲になる。
撮って見ないより撮らずに忘れる方が勿体無いかな。撮って忘れることで脳のリソースを保てるんだよな
やはりリアルタイムの毎日の感覚って本当にバカにできなくて、過去の自分の感覚というのは映像でも残しておかないと簡単に塗り替えられてしまう。まあ思い出せたところで性格が変わるわけでもないけれど。
「目に焼き付けたい」と撮影せずにひたすら子どもを見ていた母親の映像はたっぷり残り、この瞬間を残そうと一生懸命カメラを回していた父親の映像はほとんど残らないの、かなりやるせない
「写真」の頃は現像が面倒で忘れ去られるなんてこともあったよね。私はスマホに残ってるモノ以外は全て捨ててしまったが、今のところ後悔はない。
カメラの記録もそうだけど、文章の記録もいいよ。とくに体験した事象に対して心情を記録することは、後から見返したときに鮮やかに蘇る。
別に思い出さなくてもいいじゃんと思ってたけど、思い出を頼りに生きられることもあるから、大事な写真は撮っておく派になった
大学は東京、ドイツ留学、大阪に住んだ経験あり。職で全国も回った。当時(自分の写真なんて見ない)って病みがあったため全ての記録を転居のたびに捨ててきた。俺は全部の経験が夢だったのかな?って思い始めてる
写真は母メインで撮ってた しょっちゅう見返してるのも母
人間の記憶ほど当てにならないものもないしね。ライフログを取ろう
ピークアウトの法則というのがあって、人間はある出来事の1番の盛り上がり(ピーク)と終わり際(アウト)の記憶が強く残るように出来ている。20万年の歴史でそう進化したんだからそれでいいんじゃないかなと思う
ノスタルジアは感情を揺さぶるけど、忘れていたものを強引に呼び覚まされて単にショックを受けているだけとも言える。あれはエンタメの一種くらいに思っておいたほうがいい。
私も写真撮る派
両方の気持ちも分かる。/とはいえ昭和のキッチリした家庭のようにアルバムに、クリスマスだ運動会だと(キャプション付きで)写真貼ってるのが一番思い出に残るんだよな。
私も同じだった。自分の記憶力を過信していて、後に後悔した。
そんな思い出に行きてもなあ。写真撮ってるとその時の感動がめちゃくちゃ減ってつまんないよ。思い出のために今の鮮烈な感動を犠牲にするの?
私は別にいいかな。親が幼い時の自分のビデオ見てヘラヘラしてるのもちょっとしんどかったし。
それはもうライフログ的に写真撮ってるけど、見返したとときに時系列で感動も憤慨も「思い出せる」んよな。
旅行好きだけど写真取るの面倒なので綺麗だけどどこの風景かわからない映像が脳内に大量にある。
阿頼耶識にすべて記録されてるから何かをきっかけにすべて思い出すことはできる。ただ、鍵みたいな映像か何かが必要でそれがなければ思い出すことは難しい。この事例では夫が撮影した映像を見て思い出したんだね。
当然写真派。「明日の自分は今日書いたソースコードの前提を覚えていない。明日の自分に向けコメントを書け」って、プログラミング学習したとき習わなかった?
違うよ。子供が楽しそうで喜んでるあなたを撮るんだよ/子供が大きくなって見返した時に嬉しいのは、自分の存在で喜んでる若き日の親なんだよ。子供だったことがあればわかりでしょう。
そして当然のように撮影者である夫の写真はほとんど残っておらず、夫の死後、妻は再び愕然とするのであった/動画、特に音声残しておくの大事
自分の場合は撮影役を買って出ることが多いのは自分は写りたくないからというのが最大の理由だったりする。
Googleフォトなどこれだけ見返す環境が充実してるのだから、写真は記憶を思い起こすアイテムとして過去一重要になってる。
記憶を開くキーが必要になる。
撮ってる方も撮影者という立場で感動はしてるよ。このシーン撮りたい!と感じてシャッター押してるわけだし
『子供のために ぼくを撮ろう』は至言→https://www.tcc.gr.jp/copira/id/19521/
昔の記憶は完ぺきではないよね。80年以上前の戦争体験を語り継ぐことの難しさを感じる
動画見ないから写真にしてる
被写体側が常に撮られてることを意識するから演技(期待される行動をとる)するようになるのよね。
覚えていなくても直に目で見ることにご本人がこだわった故の良い影響というのもきっとあると思います。
旅行とかアトラクションはまた行けばいい(映像じゃ満足できないし「また行きたい」がモチベになっている)から必死に記録残すのは止めたけど子供の成長は一度きりだからまあそう。
どっちもええことやと思うんやけどね
あと、10秒とか短くてもいいので日常の動画があるとだいぶ違う。ふだんの仕草や声や表情がグッと来るのです。ああ、こうやって耳舐めてたなあとか(犬の話)
でも最近のライブ映像とかみんなスマホかざして小さい画面見てるのは間違いなく滑稽。
見返してなんになるのか?とは思う 時間もったいない。 思い出に耽る暇あったら未来のことしたい
撮影してると焼き付けレベルが減るのは事実だよ。撮影をパートナーに任せて自分は目に焼き付けるのが一番お得ではあると思うが、しかし、たまにはカメラマンを引き受けてあげてね
買った漫画は読まないけど、っていうのと同じ現象やね。いつでも見れるという安心感だろうなぁっと。
たまには老害の言うことも合ってることもあるし、気づくのが遅い。あとビデオな。小さい頃の声が聞けるって結構大事。
比べるべきは老いたときにどちらが価値があるかではなく、いま楽しむか後で楽しむかでしょ。写真撮ってる人は、目で見てる人より「今」は楽しめてないよ。
写真の大半に夫が写っていなかったのではという心配が
まあ、歳をとらないと自分が想像するより遥かに焼き付けてたはずの記憶は記憶から消えていく事に気づかないから仕方ない。
たまにめちゃくちゃ記憶力良い人いるよね、俺は何も覚えてない。撮っても見返さない。
思い出前提がつまらんかどうかは20年後30年後にわかるんだから今の価値観で考えても答えわかるわけないと思う。思い出自体というよりそれを共有して話せる人たちがいるかどうかな気がする。
老後の楽しみだと思ってる
中学生時代、偶々フィルムが1枚残っていて、父に「撮ってくれよ」と言われ、反抗期だったがお互い照れ笑いながら撮影した。それから二十数年、闘病の据え旅立ち、その写真が遺影になった。もっと写真撮れば良かった
まあそうだけど、すべてを見返す時間も無いわけで、ほどほどでも全然いいんだよって感じ。忘れるなら忘れるでもいい。しまいにゃボケて記録の有無に左右されなくなるんだし。
若い頃は写真を撮る必要性とか感じなかったけど、年取ってから昔の写真を見ると、その時代の感じが写っててエモいんだわ。(と言いつつ写真撮ってないし撮ろうともしていない)
デジカメやメモリカード外付けHDDと共に消えてしまった00年代写真・・・ 結局写真プリントが最強かも。
人間の記憶、あてにならない…
コンサートでスマホ撮影ばかりしてるとかは、違う話になるか。
やっぱ、そーやんなぁー。自宅NASの遠隔地多拠点バックアップ、本気で考えないとアカンよなぁー。。。
写真とか動画とかが形ある物を残すだけで趣がないように感じてた時期もあったけど見返してみると思いの外その時々の家族の関係や気持ちも残してくれていて何気ない写真でも大変エモいんですわ
年取ると普通に忘れるからな
記憶は思い出すことで強化されたり塗り替えられたりする。写真を見返すことで覚えていない幼児期の記憶を覚えることもある。記録もいいけど、家族と思い出について話すことが重要だと思うよ。
時が経てば新鮮に感じるよね
間をとって、時々写真を撮る、でどうでしょう。撮ったけど整理してない写真が大量にあって、どうしよう〜と思ってる
子煩悩の勇次郎『自分の肉眼で観る、しっかりと記録し見返す…両方を共に噛み締め、かけがえのない瞬間を血肉に変える度量こそが人生には肝要だ。』
自分が入るのは嫌だな
私の夫も、よく撮影していた。今となっては、夫の映えや写り方を気にしない記録写真が貴重なものとなってる。本当に色々忘れていく。忘れたくないのに。もっと気にせず静止画と動画を撮っておけば良かったと後悔。
未来を楽しみにしてないからかな。
残すことを意識しすぎてもその場を楽しめなくなるからほどほどに。
“家族揃ってご飯食べてるところを、三脚立てて全員が映るように動画で撮っておく方が良い。”
子供の頃、一人でいるときに昔の思い出を懐古する癖があり、記憶力に自信があった。いつからか懐古を止めてしまったので、昔のことを思い出せなくなった。
今、この瞬間が永遠であってほしいと望むから、目に焼き付けようともするし、写真にも撮るんだよね。時よ、とどまれ。おまえはじつに美しい。
わざわざ見返そうと思わなくてもGoogleフォトが見せてくる。よちよち歩きの頃の映像とか、変顔にハマってたこととか、この頃はこんなブームがあったなとかいろいろ思い出す。エモい。
ちゃんと撮っておけ派。18歳になる娘の赤ちゃんの時の何気ない仕草を思い出せた。寝起きの伸びとか抱っこされてる時の表情とか。日常の何気ない時間はちゃんと切り取って、そして絶対絶対バックアップ取ること。
想い出はモノクローム 色を点けてくれ
「一瞬一瞬を楽しんで正解」とか言えるのは若いうちだけ。年取ると“今が大切”とも言えなくなってくるし、昔の記憶もどんどん薄れていくので、思い出す手がかりになるもの多少あった方がいい。
旅行に持って行った36枚撮りフィルムの37枚目あたり、家でどうでもいいもの撮って消化した写真が旅行本編よりはるかにすごくいいんだよなあ。
それって単に楽しくなかったか、その場ではそれなりに楽しくても印象的ではなかったというだけでは。
昔の写真見返すのって、すごくオキシトシン的なものが分泌されてる感があってすごい。写真・ビデオは生そのものが罪かつ罰であるヒトの生み出した数少ない福音でな。
何があとあとエモやらエモ以外の価値やらが出るのかは分からないのでとりあえず気になったやつやなんとなくのやつは撮っておく 記憶からの読み出しは生成AIがよしなにやる
8mmやDVテープ辺りだと中古でデッキを漁る所から始めないと
夫は事ある毎にカメラをまわしていたが自分は「この瞬間を目に焼き付けたい」と記録を残さなかった→しかし十数年後、夫が撮影した映像を見て愕然とした
いい夫がいてよかったね(´・_・`)
自分も「いつどこに行って何をしたか」がわかる程度に写真を撮っておくようにしてる(撮影じたいが目的化しない範囲で)。たった一枚の写真でも記憶を呼び覚ます力は強い
せっかく二人いるのだから、一人はその瞬間を楽しむ。もう一人はその楽しさを記録する。で 良い組み合わせじゃないでしょうか。
「子供のころの自分を見て喜ぶ男は少ない。僕は今、古いビデオの中の若い父の姿をじっと見ている」高田社長「デジタルビデオカメラで思い出がずっと残せます!」
児童ポルノ製造の悲惨な話かと思ったのに!
瞼の裏の記憶と画像の中の記録はまた違う。
だぁらライフログ機器が普及すればこーゆー問題は解決する
コメントにもあるが動画がいい。 撮影スポットでキメ顔してる静止画じゃ伝わらないリアルがある
ただ、撮った人は撮ったことで満足したのか、意外と見直さずにいるって例も見たことはある
忘れた方が都合いいこともあるので、「忘れた時に思い出したいもの」という基準で撮った方がいいな。
"したり顔で「写真なんか撮るより記憶に焼き付けろ」なんて言う旅アカウントありますけど、記憶は消えますからね"
実際にはファインダーを覗いてるだけで子供など見てもいないのに、動画さえ残ればありもしない記憶も思い出せるとw
お子さんだけでなく周囲の人を入れるのも良いです。最近はクラウドサービスやNASが定期的に掘り返してくれるのでそのまま塩漬けも減りましたしね。
まあ子供本人は別にと思ってることも多そう。でも結婚式で使ったりはするか。
スマホで撮ったごく普通の日常写真でも、5年後10年後に見るとエモい。
むかしのジャパネットのCMじゃないけど、子供だけじゃなく自分たちも写っておけ。子供が懐かしく思うのは子供のころの自分じゃなくて、親の姿だから
記録の優位性は、記憶とは別レイヤの話でもある。自分の頭の中に残ったもの自体に価値を感じる事もあるので。
程度問題
これは本当にそのとおり。私も記憶派で写真をあまり撮らなかったんだけど、本当に後悔してる。もう取返しがつかない
まわす…MiniDVテープかな?
ほんと覚えてないって聞くもんなあ・・
結婚前からの妻や家族との写真、動画が四半世紀分貯まってる。どう整理したもんかと思ってたが、Googleフォトが全てを解決してくれた。ファミリー共有で暇なときにみんなが見て、スターつけて、自然と整理されていく
写真とか映像も整理しないと意味ないけれどねw Googleフォトならアルバム機能とか使いましょうw
亡くなった父の写真は毎年集合写真を撮っていたから結構あるのだけれど、動画はほぼ撮らなかったから声は忘れていってしまうなって思った。動画も大事。
人生の録画機能は使わないと損。日記もつけようね
この時代に目に焼き付けたい!と思っている人がいるのだなーと驚き。最早眼球にカメラ入れて全てデジタル化して残しておきたい。
その結果、フルサイズミラーレスまで買ってしまった。GMレンズはいいぞ(ぐるぐる目)
たまに撮影可能なライブとかあるけど、シングルタスクだから撮影に気を使ってライブを他の占めなくなるので、撮影しないで普通にライブを楽しむ方にシフトしがち。
狙撃手は両眼を開けて狙撃をする。片目はスコープを覗き、もう片目で周辺を見る。カメラを回す時も同じようにファインダーで見ながら肉眼でも焼き付けたらいい。
家族の思い出を残すなら、BeRealみたいなカメラ2面使いで撮影者(親)対象者(子供)の同時撮影は良さそうだね。一生懸命撮影しているお父さんの映像とか亡くなった後に見たら泣けるな。
記憶なんて翌日には消えてるじゃん
初めての一人旅では格好つけて、目に焼き付けるからカメラ不要として何も撮らなかったけど、すぐに後悔した。お土産と一緒で持ち帰るものがあることは確実にプラスで、旅行やイベントの価値を上げる
人は何度も思い出すから覚えるのであって映像がないと思い出せないからそれはそう
心のカメラ「Conversation compacted」
だからあえて家族写真は自分が撮って自分は写らないようにしてる(自分が死んだ後に誰かが自分のことを覚えている必要はないので)
ただ現代は昔みたいに紙で残らないから、たくさん撮ってもデータの保存先がな…CD-ROMに残した平成の写真データ、いつまで保存できるのだろうか。
十数年後はそう思うかもしれないけど、その場ではやっぱり集中できないよ。
忘れるからこそ尊い
しかし、その「忘れる」を含む「記憶の最適化(∋記憶の美化)」も、それはそれで貴重な体験や刺激を生む土壌となり得るのでは。鮮明であることが常に最善とは限らない。
タイトルがAIっぽいというか今風の興味を引こうするヤツで読む気を無くす。
親がいる人、遺影はボケる前に撮っといた方がいいよ。認知症進むと自然な笑顔が作れなくて良い表情で撮るのが難しくなる。
自分を含め人が入った写真を全く撮らない派なのだけど、いまだに後悔したことはないです。もうすぐ60歳、いつか後悔する日が来るのかもしれないわねえ。
写真もそうだが、「このライブは絶対に忘れない」とその時は思ってたライブとか、ほとんど忘れてしまったので、思い出すためにチケットとか取っておけばよかったと思ってる。
記憶が薄れるって経験、二十数年生きてきてたら自明の理では
もう一つ付け加えると、動画で残しておいたほうがベター。
光学メディアはやめておけ。20 年後には読めなくなることがほぼ確実。磁気テープの方がマシだがそれも老後までは持たない。その時々の適切なストレージにコピーを繰り返すのが正解。
覚えてないくらいならいいんじゃない?
最終的に残るのは子の方なので親の映像を残した方が良い。NHKの『ファミリーヒストリー』とか見てたらそう思う(2004年のジャネットたかたのCM https://www.youtube.com/watch?v=EcKsDYCgJI4)
被写体だけじゃなくてなるべく周りの情報が映るように撮ってる。棚の飾りとか部屋の全体図とか。
はやくわすれたい
「感動した」からではなく「忘れてる」から撮っておいた方が良い、となるのはちょっと疑問。ある程度忘れて記憶を浄化した方が良い事もあるし、記録があるとそこに記憶が偏る。
日記で感情を記録する
「目に焼き付ける!」なんてのは自分を過大評価しすぎ。さらに言うと、写真はとにかく整理せず捨てないのがオススメ。たとえ今はどうでも良くても、写真の価値は時間が経つほど上がる。
こうやって名もなき人の記録って一切残らないんだよね。100年後にはこれを読んでる人なんて誰も覚えていない。ただ唯一正式に残る方法があって「公文書に名前を残す」方法。ただ、断捨離マニアが消すんだよな
とりあえず撮っておいてEchoShowのこの日の思い出とかで表示させておくとふとした瞬間に懐かしい気持ちになって良き。
カメラを落として壊れたとしても記憶媒体は生きているのでは?取り出したら読めそうだけど。
ライブの撮影でチクチク言われるけどこれが根底にあるから撮影したいんだよなぁ…。人の記憶は薄れるものなので撮影円盤売ってほしい…
google photoにアップ→顔識別&自動追加アルバムを作る→google nest(画面あるやつ)にそのアルバムをスライドショー設定→ダイニングテーブルに置く。同じ季節の数年前の子供が投影されて毎晩楽しんでる
というか子供が一番自分が子供の頃の映像を見返す。子供のために子供の映像残すの大事
“目に焼き付ける派だったけど、自分の記憶が全く当てにならないことに気づく。撮影当時のことをほぼ覚えていなくて愕然。エモかったはずの出来事も、どんどん記憶が薄れていく。”
記録を取るか記憶に焼き付けるか悩ましい
同じ場面を他者が撮影した映像では記憶が喚起されない(自分で撮った映像でないとトリガーにならない)ということなのか?「見た」という記憶込みで記憶…?
カメラマンを交代でやるのもいいかもね
声も動画で時々残しておくといいよ。声って感情に訴えるものがあるよ。
思い出は現代病のひとつだと思ってる。その時の一瞬一瞬を楽しんで正解だよ。思い出のために旅行したり子どもの運動会撮ったりするやつが理解できない。思い出前提の人生なんてつまらんやん。
ファインダー越しの娘より実物のほうが可愛いんだけどなー、と思いつつ赤ちゃんの頃から沢山撮っているけど、数年前の娘の記憶が写真や動画になっちゃうのがちょっと残念と思ってたり
当時は子供と楽しんで、今は映像を見て楽しんで、最高じゃん。自分で撮ったら自分は映像に入れないんだよ?セルフィーはスマホ以降の習慣だから。
人間の記憶、トリガーが無いとなかなか出てこない。写真はそれにうってつけ。
声はすぐ忘れちゃうよね。匂いもだけどこちらは記録媒体がない
過去の写真を見返すとなかなか思い出せない記憶が想起される。それもかなり細かく
撮影していた人は撮ることばかりに気を取られてあまり記憶に残っていないなんていうこともあるので、どちらにも偏りすぎるのは良くない。
忘れちまうようなことは覚えなくていいことだよ。
肖像権とは
人物はその通りだけど、風景とか花火大会とかの写真はプロでいいよね。今はちゃんと見ろやってなる
写真の管理がなぁ…。
そしてお父さんの姿は残らない…長回しじゃなくても1分動画いっぱい撮って繋げてVログみたいにするのも良いよね
「目に焼き付ける方法だと忘れてしまう」みたいなコメントが散見されるが、写真撮らない派はそもそも「忘れてもいい」と思ってるからそうしてんだから、前提からして噛み合ってないわね。
というか1年に1回は写真に写っておきなさい。未だに死んだ時に最近の写真なくて困る人います。
そういう意味でスマートフォンは画期的なのよ。動画撮影も15秒程度の断片で十分。視聴する時間も限られているのだから。
増田に記録するしかないな(´・ω・`)
でも無かったら無いで全然いいんだよな。それよりも増えすぎたコンテンツをいつ・何度見返すのか問題。人生にこれさえあればそれでいいというマスターピースを作るのが重要な気がしている
自分に関して言えばもっと(子供を)撮っておけば良かったと思うくらいの分量でちょうどいいんじゃないかと思ってる。そんなに撮っても見返せないし。
“エモかったはずの出来事も、どんどん記憶が薄れていく” エモかったことを覚えているのが重要なのでは。
ヒトは忘れるようにできてるのだから忘れていけばよい。記録をたくさん残せばそれがまた碌でもない執着を生むかもしれんし。
忘れたならそれはそれでいいんじゃないのかね。写真が全てではないし。
ワンワンの歌で踊る我が子、その時は日常過ぎて撮影もしてなかったものを、夫が残してくれていて本当ナイスだった。おでかけの記録ではなく当たり前の日常を残すことも大事だった
記憶は消えてくけど、記録は残るよね。消えて曖昧に残るままが健全かもしれないけど、日記とかつけてると何かと便利。
やめろ!と言われるけど70過ぎた両親の写真を撮り続けてる。
自分の中で動画は基本的に30秒までというルールで撮影しているのだけど、動く写真感覚でシーンを細かく切るようにしておくと後で見返しやすい。後で編集は手間だし長い動画は見るのにそれだけの覚悟がいるのよね。
記録した上で目に焼き付けたら良くね。昔と違って紙に現像する必要もなく電子媒体で保存できるし気軽にバシバシ撮っておけばいい。
そもそもファインダー越しにちゃんとリアルタイムで見てるからOKだと思っている。
今は写真とか動画が気軽にのこせるようになったし、どんどん残していきたいね。
写真はきちんと印刷してアルバムを作ったほうがいいよ。という俺も子供が10歳ぐらいまでしか印刷していないけど
夫に撮らせて自分は直に見ておくのが多分一番正解。私も自分の目で見たいの我慢して録画したりしてた。
写真は記憶を思い出させるのに索引として非常に有効。写真以前は日記がその役目だった。じゃないとどうしても忘れてしまう。
気まぐれで撮った写真を数年後に見ると確かに価値を感じるのだが、あいまいな記憶として徐々に風化していくのもそれはそれで乙なものがあり結局写真はめったに撮らない。
忘れるようなことはその程度のことなのであんまり気にしなくていいとおもう
新しい情報がどんどん入るから、そうとう衝撃的な記憶でもなきゃ、古い情報って具体性を失って抽象化していくんだよな。忘れていくものだと割りきるのもアリだよね。
フランスの批評家ロラン・バルトが言うところの写真の本質「それは、かつて、あった」、すなわち、過去確かに現実に存在したが、現在では失われてしまった。それが写真の本質。
自分の記録が中学以降ほとんど残っていないのので、わかる。後、写真は、デジタルで残すと同時に、ある程度プリントしとくことも、大切。デジタルなら、バックアップは大切だけど、膨大になってしまう。
今はジオタグで時間も場所も記録できるから良いのよね
まぁ映像だけが記録じゃないからね、その場は楽しんで日記で残すでもいい
夫婦でそれぞれ交代で撮れば最強……?
記憶が記録に勝てるわけないやろ。
電子データはちょっとしたことで失われてしまうのが課題。うちはローカルとクラウドx2にバックアップ、普段見やすいようにiCloudの共有アルバムに放り込んである。(自分は独身なので、親向け。)
これについては、どっちを選んでも、選ばなかった方を後悔するやつなので、もう仕方がないよね。割り切って撮影に専念する役を引き受けている。
「俺は2019年の今頃にやってきたんだぜ!」とぬいぐるみは語りかけてくるが、当時の写真がなかったら、そんなことも忘れていたと思う。写真は大事だな…と。
「どうしてこんなにどうでもいい映像を撮ってたんだ...」と思うような動画が10年経って本当に愛おしく感じる。(個人的には)被写界深度を浅くして撮ったイイ感じ風の静止画よりも圧倒的に宝物。ありがとうGoogleフォト!
昔読んだ小説も新鮮な気持ちで読める
後悔する可能性が僅かでもあるなら残すしかない。写真もスライドショーとしてまとめて限定公開でyoutubeに上げておけ。画質は劣化するが早々消えんし場所も取らん。デジタルアルバムで垂れ流しも可能。サンキューGoogle
ある出来事を脳で記憶できる以上に長く記憶する意味ってなに?過去、子供が可愛かったから何だっていうの?目的がわからん。
普通の主婦でiPhoneバンバン買い替えてる人って写真をどう管理してるんだろ。
ちょっとしたことでも動画や写真を撮っておくと、何月何日何してたっけ…という時に見返せて便利だからとりあえず撮ってる。もちろん思い出としても楽しい。特にわんこは子犬の時に撮っておくべき
それでは、Official髭男dismの『115万kmのフィルム』を聞こう!....あっ関係ない?失礼しました〜
目に焼き付けるというより、その時を五感で楽しむという感じ。五感とカメラどちらかに偏りすぎなきゃいいんでない?
そら記録目的で記憶が写真に勝てるわけなかろう
これについてはありがとうgoogleだなあ。最近はアクションカメラを買って休日なんでもかんでもVlogとして撮って適当にYoutube限定公開に上げてる
その今エモい瞬間も映像として残しておくと十年後に楽しめる/昔のことを思い出してエモくなることが今後の人生のプラスとは限らない
人間はすぐ忘れるしね。
写真はインデックスなのよ、あれ、これ何食べてたっけ?そういえばこの時さぁって記憶を呼び起こすものになるのよ
映像と音がリアルなんだからそこから受ける印象は強いだろうけど、それがいいかどうかは別のお話
忘れていいと思うけど。
とった写真や動画をGoogleフォトにいれると、ことあるごとにX年前の記憶とか持ち出してくれるから見直すきっかけになるよ、学習に使われていることの引き換えだが
でも花火に来て撮ってるやつはマジで分からん。アレを後から見返さないだろうし、その場の雰囲気を楽しんだ方が良いと思う(´・ω・`)
ただ撮影に必死になりすぎて、子供なり風景なりをしっかり見ないのは本末転倒。程度の問題。/あと、思い出なんて忘れていい。
忘れるからこそiPhoneやGoogleフォトは勝手に思い出を勝手にまとめて今日の思い出とかユーザーに見せてくれる。
今はデジタルフォトフレームでその日の出来事を自動で出してくれるらしいから見返さなくても勝手に見返す事になるんよね
ただそうやって記録したものも、自分も含めて、利用する人や引き継ぐ人がいなけば結局は無に帰すので、無ですよ。孫ができてさらにその先の世代にと続いていかない限りは自分の存在なんて無ですよ
家庭が壊れた。iCloudには撮り溜めた在りし日の愛しい思い出でいっぱい。今は眩しすぎて振り返れない、けれど遺して良かったと思ってるよ。
写真を見て蘇るなら忘れてないってことだ。どっちでもいいんだよ
自撮りしすぎてGoogleフォトが私主演のスライドショーを作ってくれるのウケる
写真についてる親の一言コメント好き
後から見ると、行事を撮った後のフィルムの残りを消費する為に撮った、適当な日常スナップの方が大体良い写真に感じるので、そういう意味では、良い写真とかビデオは、デジカメになってからの方が少ないかもしれんな
毎年、甥と旅行に行っていて、毎年1冊のフォトアルバムにまとめてあげてる。時々眺めてるみたいで良かった。デジタルになると見ないんだよね。動画は撮ってない。
忘れてもいいと思って撮らなかったけど、レインボーのハードモヒカンとか、女王様の格好でステージで客をムチで打ってた時の写真とか撮っときゃ良かった。確実にネタになったのに。自分で見返すことはないけと。
子供はそうだろうな。自分の過去の動画なんて1mmも見たくない、オエッオエッ
編集者なら日記だろ!絵本の読書記録かいてるよ。子供と自分感情の記録としてめちゃくちゃ有意義
思い出を軽視してる人はDie with zeroを読もう。人生の最後に残るのは思い出だけ。
これは人によると思う。俺はビジュアル的な記憶力が人より低いようなのだが、リアルに光景を思い出せるタイプの人もどうやらいるらしい。
子供の成長は早いし反応も毎回変わるので、なるだけ記録してる。のちのち子供自身が見ることを考えて、子供だけじゃなく妻も映り込むよう心がけてる。後で見なくてもいいし、見られるようにしておくことが大事かなと
ほんとわかる。運動会とかめんどくて撮らなかったけどすごく後悔してから翌年から撮るようにしたワケ。そして運動会後1週間は子どもが寝たら「さて!今日も観ますか☺️」って夫婦で動画観てた。最高の時間
ポジティブな記憶は消えネガティブな記憶は残る。動物が生き残るために必要だから。
忘れてるようなものいらねぇだろ
カメラでもたつく親より、一緒にその瞬間を楽しんでくれる親の方が子供は嬉しいだろうから、正解だと思う。人に記録もお任せできて、美味しいとこ取りできてるのでは。
記憶も感情も保存出来るものではなく、思い出すと言いながら再構成されるのみ。とはいえそれに価値がない訳でもなく、それ故に記録にもその触媒なりの価値はあるのだろう
分かる。特に子供の写真や動画は。旅行写真とかは名所旧跡の写真は他の人も撮影しているのでどうでも良いが、人が写っているものが貴重に思う。昔の旅行の時にもっと人が入った写真を撮っておくのだったと後悔してる
スティーブ・ジョブズが家庭の映像を見直さないのは編集しないからだ、って言ってた。自動編集が一般化すれば見るのでは?
このVlog全盛時代、動画は見返すと本当楽しめるからおすすめ。変わった被写体なんてなくていい、ただ日常を撮るだけで面白い
忘れてもええんやで
写真とかとっても後から見返さないことがわかって旅行とかでも全然写真撮らなくなった。家族とか取りたいのはわからんでもないが私は天涯孤独だからなあ…。
googleフォトの検索能力向上で、ずっと撮る派の自分にいい時代が来た
これは自分もそうだった!ちゃんと自分も入って写真なり動画なり撮っておいたほうがいい!!たぶん潜在意識とか深層の記憶には入っているんだろうけど、この地球で体を持って生きてる限りそう思い出せることはない。
「 思い出は現代病」に賛成。記録さえなければ見返して愕然とすることもなく満ち足りていたのに、という話でもある
分かる( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`) 記憶は芋づる式。芋づる式の最初に記録があると楽。
祖父が大量の8ミリフィルムを撮ってくれたおかげで幼稚園より下の頃の自分がわかるので撮っていてくれた方がありがたい派。思い出とはまた別の話。
子ども生まれる前は写真とるのがキライだったけど、今は写真を取るのが好きだし、定期的に見直している。 子どもたちと見て思い出話をするし、我が家にとっていえば記録しててよかったなぁと思っている。
両方撮ってたらうざいからお母さんはそれでよかったと思うw
私は父親含めた団欒写真を撮っているけど、私のことは誰も撮ってくれない。カメラロールに私は存在しない。
忘れろビーム!
フィルム時代の貴重な自分の大量の写真記録を引っ越しで全部紛失した私はそんなのどうでもいいと思うようになった。
私は記録に残しているからこそ気持ちよく忘れられる派。なので日記代わりに写真を撮っている。
マジで忘れる。でも断片的な素敵な思い出が幾つかあれば、それでいいよ
乳児期、写真はあるけど撮影者としての親がこなれてなくて、かわいい写真ばかりなのが悲しい。今となってはもっと生々しい赤ちゃんとしてのわが子が見たいのに。
その時の感動が大事なんだから別にねえ。感動した時だけ写真撮る。だからほとんど撮らない
フィルム時代のアルバムは今も家に積んであるがデジカメ時代になってからのアルバムがない。
Googleフォトなんかで検索して記憶をたどれるようになって、しょうもないことでも写真に残しといた方がいいとさらに思うようになったワ
たかだか二百年弱の文化なのでみんな疎かにしがちなんですね。
昔と比べたら写真撮ったり保存しとくのなんてタダみたいなもんなんだからやっとけよ
「カメラをまわす」って言ってるから動画のことだよね?写真がどうこう言ってるコメントは的はずれでは?/昔は近所の8ミリ持った親父さんが周辺のジャリン子まとめて撮影してたなぁ。
子どもの写真とか、グーグルフォトに同期されるからめちゃくちゃ撮りまくっているせいで、Pixelから乗り換えられなくなってしまった…よくできたビジネスモデルやで
家族単位の記憶じゃないけど実家が旧家でガラス乾板の写真があったり(リンゴ園の作業風景など)8ミリフィルムが残ってたりという歴史が振り返れて良い。コメにある通りデータの課題は今後の長期保存性だなとは思う
“できるだけ撮っておいた方がいい!” ( ほんとです。)
今はスマホで気軽に撮れるんだし、日常風景を気楽に残していくのがいいと思う
でも撮ってると没入出来ないからねえ。誰かは犠牲になる。
撮って見ないより撮らずに忘れる方が勿体無いかな。撮って忘れることで脳のリソースを保てるんだよな
やはりリアルタイムの毎日の感覚って本当にバカにできなくて、過去の自分の感覚というのは映像でも残しておかないと簡単に塗り替えられてしまう。まあ思い出せたところで性格が変わるわけでもないけれど。
「目に焼き付けたい」と撮影せずにひたすら子どもを見ていた母親の映像はたっぷり残り、この瞬間を残そうと一生懸命カメラを回していた父親の映像はほとんど残らないの、かなりやるせない
「写真」の頃は現像が面倒で忘れ去られるなんてこともあったよね。私はスマホに残ってるモノ以外は全て捨ててしまったが、今のところ後悔はない。
カメラの記録もそうだけど、文章の記録もいいよ。とくに体験した事象に対して心情を記録することは、後から見返したときに鮮やかに蘇る。
別に思い出さなくてもいいじゃんと思ってたけど、思い出を頼りに生きられることもあるから、大事な写真は撮っておく派になった
大学は東京、ドイツ留学、大阪に住んだ経験あり。職で全国も回った。当時(自分の写真なんて見ない)って病みがあったため全ての記録を転居のたびに捨ててきた。俺は全部の経験が夢だったのかな?って思い始めてる
写真は母メインで撮ってた しょっちゅう見返してるのも母
人間の記憶ほど当てにならないものもないしね。ライフログを取ろう
ピークアウトの法則というのがあって、人間はある出来事の1番の盛り上がり(ピーク)と終わり際(アウト)の記憶が強く残るように出来ている。20万年の歴史でそう進化したんだからそれでいいんじゃないかなと思う
ノスタルジアは感情を揺さぶるけど、忘れていたものを強引に呼び覚まされて単にショックを受けているだけとも言える。あれはエンタメの一種くらいに思っておいたほうがいい。
私も写真撮る派
両方の気持ちも分かる。/とはいえ昭和のキッチリした家庭のようにアルバムに、クリスマスだ運動会だと(キャプション付きで)写真貼ってるのが一番思い出に残るんだよな。
私も同じだった。自分の記憶力を過信していて、後に後悔した。
そんな思い出に行きてもなあ。写真撮ってるとその時の感動がめちゃくちゃ減ってつまんないよ。思い出のために今の鮮烈な感動を犠牲にするの?
私は別にいいかな。親が幼い時の自分のビデオ見てヘラヘラしてるのもちょっとしんどかったし。
それはもうライフログ的に写真撮ってるけど、見返したとときに時系列で感動も憤慨も「思い出せる」んよな。
旅行好きだけど写真取るの面倒なので綺麗だけどどこの風景かわからない映像が脳内に大量にある。
阿頼耶識にすべて記録されてるから何かをきっかけにすべて思い出すことはできる。ただ、鍵みたいな映像か何かが必要でそれがなければ思い出すことは難しい。この事例では夫が撮影した映像を見て思い出したんだね。
当然写真派。「明日の自分は今日書いたソースコードの前提を覚えていない。明日の自分に向けコメントを書け」って、プログラミング学習したとき習わなかった?
違うよ。子供が楽しそうで喜んでるあなたを撮るんだよ/子供が大きくなって見返した時に嬉しいのは、自分の存在で喜んでる若き日の親なんだよ。子供だったことがあればわかりでしょう。
そして当然のように撮影者である夫の写真はほとんど残っておらず、夫の死後、妻は再び愕然とするのであった/動画、特に音声残しておくの大事
自分の場合は撮影役を買って出ることが多いのは自分は写りたくないからというのが最大の理由だったりする。
Googleフォトなどこれだけ見返す環境が充実してるのだから、写真は記憶を思い起こすアイテムとして過去一重要になってる。
記憶を開くキーが必要になる。
撮ってる方も撮影者という立場で感動はしてるよ。このシーン撮りたい!と感じてシャッター押してるわけだし
『子供のために ぼくを撮ろう』は至言→https://www.tcc.gr.jp/copira/id/19521/
昔の記憶は完ぺきではないよね。80年以上前の戦争体験を語り継ぐことの難しさを感じる
動画見ないから写真にしてる
被写体側が常に撮られてることを意識するから演技(期待される行動をとる)するようになるのよね。
覚えていなくても直に目で見ることにご本人がこだわった故の良い影響というのもきっとあると思います。
旅行とかアトラクションはまた行けばいい(映像じゃ満足できないし「また行きたい」がモチベになっている)から必死に記録残すのは止めたけど子供の成長は一度きりだからまあそう。
どっちもええことやと思うんやけどね
あと、10秒とか短くてもいいので日常の動画があるとだいぶ違う。ふだんの仕草や声や表情がグッと来るのです。ああ、こうやって耳舐めてたなあとか(犬の話)
でも最近のライブ映像とかみんなスマホかざして小さい画面見てるのは間違いなく滑稽。
見返してなんになるのか?とは思う 時間もったいない。 思い出に耽る暇あったら未来のことしたい
撮影してると焼き付けレベルが減るのは事実だよ。撮影をパートナーに任せて自分は目に焼き付けるのが一番お得ではあると思うが、しかし、たまにはカメラマンを引き受けてあげてね
買った漫画は読まないけど、っていうのと同じ現象やね。いつでも見れるという安心感だろうなぁっと。
たまには老害の言うことも合ってることもあるし、気づくのが遅い。あとビデオな。小さい頃の声が聞けるって結構大事。
比べるべきは老いたときにどちらが価値があるかではなく、いま楽しむか後で楽しむかでしょ。写真撮ってる人は、目で見てる人より「今」は楽しめてないよ。
写真の大半に夫が写っていなかったのではという心配が
まあ、歳をとらないと自分が想像するより遥かに焼き付けてたはずの記憶は記憶から消えていく事に気づかないから仕方ない。
たまにめちゃくちゃ記憶力良い人いるよね、俺は何も覚えてない。撮っても見返さない。
思い出前提がつまらんかどうかは20年後30年後にわかるんだから今の価値観で考えても答えわかるわけないと思う。思い出自体というよりそれを共有して話せる人たちがいるかどうかな気がする。
老後の楽しみだと思ってる
中学生時代、偶々フィルムが1枚残っていて、父に「撮ってくれよ」と言われ、反抗期だったがお互い照れ笑いながら撮影した。それから二十数年、闘病の据え旅立ち、その写真が遺影になった。もっと写真撮れば良かった
まあそうだけど、すべてを見返す時間も無いわけで、ほどほどでも全然いいんだよって感じ。忘れるなら忘れるでもいい。しまいにゃボケて記録の有無に左右されなくなるんだし。
若い頃は写真を撮る必要性とか感じなかったけど、年取ってから昔の写真を見ると、その時代の感じが写っててエモいんだわ。(と言いつつ写真撮ってないし撮ろうともしていない)
デジカメやメモリカード外付けHDDと共に消えてしまった00年代写真・・・ 結局写真プリントが最強かも。
人間の記憶、あてにならない…
コンサートでスマホ撮影ばかりしてるとかは、違う話になるか。
やっぱ、そーやんなぁー。自宅NASの遠隔地多拠点バックアップ、本気で考えないとアカンよなぁー。。。
写真とか動画とかが形ある物を残すだけで趣がないように感じてた時期もあったけど見返してみると思いの外その時々の家族の関係や気持ちも残してくれていて何気ない写真でも大変エモいんですわ
年取ると普通に忘れるからな
記憶は思い出すことで強化されたり塗り替えられたりする。写真を見返すことで覚えていない幼児期の記憶を覚えることもある。記録もいいけど、家族と思い出について話すことが重要だと思うよ。
時が経てば新鮮に感じるよね
間をとって、時々写真を撮る、でどうでしょう。撮ったけど整理してない写真が大量にあって、どうしよう〜と思ってる
子煩悩の勇次郎『自分の肉眼で観る、しっかりと記録し見返す…両方を共に噛み締め、かけがえのない瞬間を血肉に変える度量こそが人生には肝要だ。』
自分が入るのは嫌だな
私の夫も、よく撮影していた。今となっては、夫の映えや写り方を気にしない記録写真が貴重なものとなってる。本当に色々忘れていく。忘れたくないのに。もっと気にせず静止画と動画を撮っておけば良かったと後悔。
未来を楽しみにしてないからかな。
残すことを意識しすぎてもその場を楽しめなくなるからほどほどに。
“家族揃ってご飯食べてるところを、三脚立てて全員が映るように動画で撮っておく方が良い。”
子供の頃、一人でいるときに昔の思い出を懐古する癖があり、記憶力に自信があった。いつからか懐古を止めてしまったので、昔のことを思い出せなくなった。
今、この瞬間が永遠であってほしいと望むから、目に焼き付けようともするし、写真にも撮るんだよね。時よ、とどまれ。おまえはじつに美しい。
わざわざ見返そうと思わなくてもGoogleフォトが見せてくる。よちよち歩きの頃の映像とか、変顔にハマってたこととか、この頃はこんなブームがあったなとかいろいろ思い出す。エモい。
ちゃんと撮っておけ派。18歳になる娘の赤ちゃんの時の何気ない仕草を思い出せた。寝起きの伸びとか抱っこされてる時の表情とか。日常の何気ない時間はちゃんと切り取って、そして絶対絶対バックアップ取ること。
想い出はモノクローム 色を点けてくれ
「一瞬一瞬を楽しんで正解」とか言えるのは若いうちだけ。年取ると“今が大切”とも言えなくなってくるし、昔の記憶もどんどん薄れていくので、思い出す手がかりになるもの多少あった方がいい。
旅行に持って行った36枚撮りフィルムの37枚目あたり、家でどうでもいいもの撮って消化した写真が旅行本編よりはるかにすごくいいんだよなあ。
それって単に楽しくなかったか、その場ではそれなりに楽しくても印象的ではなかったというだけでは。
昔の写真見返すのって、すごくオキシトシン的なものが分泌されてる感があってすごい。写真・ビデオは生そのものが罪かつ罰であるヒトの生み出した数少ない福音でな。
何があとあとエモやらエモ以外の価値やらが出るのかは分からないのでとりあえず気になったやつやなんとなくのやつは撮っておく 記憶からの読み出しは生成AIがよしなにやる
8mmやDVテープ辺りだと中古でデッキを漁る所から始めないと