脱オタクファッションが流行った当時、失敗した人々に何が足りなかったのか? 書籍『STATUS AND CULTURE 』を引用してまとめました。失敗した人は、違和感のストップギャップを埋める方法と感覚が足りなすぎたと思います
スタータスの話でいえばあの辺はすでにオタクが一定のステータスを得たがゆえに本質的な脱オタクではなくファッションの問題にすることが可能になったという話の気もしていた。そしてセンスの問題はわりと普遍的
ここに書かれたようなことを全部やったとして「こなれた感」は出なかったと思う。姿勢と表情だけでも一目で分かるし、動けば振る舞いで分かり、喋れば声と内容で分かる。
足し算しかしないから。オタクの感性と、非オタクの感性が違うから。重要なのは、対オタクにはかっこよく見える所だ。/じゃあ地雷系やゴスロリは失敗なのか?という話で
服装だけでなく生活スタイルから変えなくてはならないとするなら、脱オタクファッションに必要なのは脱オタクと言うことになるが…
当時はファッショ情報収集の敷居が高かった。なので模倣という結論にいけなかったかも。でもオタクファッションも悪くないと思う。当時のオタクファッションをちゃんとお洒落にやってみたい。
必要だったのは、ハイセンスなファッションリーダーを目指すことではなく、目立たないモブになるための努力だったのではないか?
当時脱オタサイトや書籍が模倣の対象としていたのは「当時の若者」だったと思うんですよね。だからラルフローレンやユニクロではなくマルイだったんだと思う。ラルフでは若者が忌避する「おっさん」になってしまう。
敵仲間の識別という広い意味で政治的だよね / 結局「一般人とは違うオレ」という自意識が一番のハードル、まさにATフィールド
なんでも好きな服着れば良いんだよ。アメリカの大富豪中高年だって安モンのパーカー(フッディ)着てんだから。雨も寒さも各種作業も状況に応じてフッドでそれなりに対応できる合理性がある為だ。スポーツにもいい。
ファッション以外に夢中なものがあったから。他人の外見を嗤うことに時間を使うよりよっぽど健全ですね。悪臭とか周りに迷惑かけることだけ止めてくれればいい
垢ぬけないって言葉がよくわからなくなってきた。/ オタクファッション…失敗?昔と今では失敗増が多分違うと思うけど、誰を想定してるんだろ?いや単純に思い浮かばないんよ、このご時世。
あ、平成だとなるあの時の若者感。チェックのネルシャツっていま見ると格好良くね?などと最近は思うのであった
好きな格好しろよ、と当時から思っていたし、今もしている。東欧の刺繍シャツとか綺麗なんやで/無難ならスーツ着てれば良かったんだよ(ときメモ3メソッド)。モテたいならモテたい相手の好きな格好をしろ
センスとか磨ける気もしないから当時自分なりに搾り出した解決策が体鍛えてまとう布を減らすだった
後から言えば結局無理やり変えようとしていることこそがダサかったのであった…それこそ彼らの得意な好きを掘り下げれば良かったのに
当時は具体的なアイテムしか提案してなかったのかな?そう考えると現在のMB氏などによる方法論は画期的なのだなと思う。/あとノームコアの流れがもう少し早く来てれば話は違ったのかも。
なんというか二種類あったはずが同一視されてたんじゃないかな 意識してそれを選択した層(むしろオシャレだと思ってそうした)と無頓着でそれ(極論親がスーパーで買ってきた)を着ていただけと 脱はビジネス的で
古い世代のオタクが持つ異常な知識量は、日常生活を送る上での極端な意識配分と時間の使い方の帰結なので、喋り方や所作からオタク臭さを抜くには、普段は切っているスイッチを活性化させる必要があったのだよな。
他人からダサいと思われたくないと気にしてる人に好きな服着ればいいなんて言われて響く人なんておらんやろ。
書籍『脱オタクファッションガイド』初版は2005年、テレビドラマ『電車男』も2005年。もう20年以上も前
当時はイタリアもしくはモードな服が流行中で、それは良くも悪くも格好つける必要があり、オタクには似合わない。ユニクロが不得意な服でもある。つまり流行的に時代が悪く、オタクに勝ち筋はなかったかも。
当時ブラック労働にてんてこ舞いで、とりあえずスーツ着て駆けずり回っていればよかったのは幸いかもわからんな。博多の北天神あたりを歩くには別にユニクロでも問題なかったし。問題になる階層で生きてなかった。
当時はユニクロみたいな「最低限の身なりは保証される」チェーン店がメジャーじゃなかったので、脱オタクファッションにはオシャレブランドの服を着ざるを得ず、心底ハードルが高かったのが原因。
オタクのエネルギーの方向性を服に向ければいい。由来とか歴史とか深掘りしてくと面白いよ。
高い層だとダサいも個性になる。タックインはダサいと言う風潮でもキムタクは平気でやってたとか言う話があったね。
なんでいまこの話を?
俺の記憶と話が噛み合わない。まずは無印コンバースなどで固めて最低限のキレイめを学習しろ、とまさに移行段階の指南をする風潮だったと思うが…//俺が当時主に見たのはat-fashion.com系ぽい。流派が違うんかもな。
取り入れやすい模倣先が明確だった時代の方がラクだったのかもね。IVY・ドラッドの時代だったら
ノームコア的なファッションが当然のように流行している今だから言えることもあるよね。全身ユニクロはダサいと言われていたなかなか難しい時代だったように思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2677802
2005年ならユニクロは一般に浸透していたと言えるはず。「おしゃれ」側の敷居が低いというか、手の届くところがマルイ系で、それはそれで人を選ぶファッションだったというか、厨二的な見え方にも寄りがちだった感。
ぜんぜんまとまな格好なのに「オタクのファッションはダサいと言わなければいけない」ていう謎の強迫観念にとりつかれたひとたちがSNSに一定数いるよね。
金のない生徒や学生はどうしたらいいのかという問題は常にある気がしている。小学校中学年からそれは始まっており、所属する家庭に左右される
久世氏の流儀でいくと、「当時の」ユニクロはNGで、マルイやセレクトショップへと飛び越える覚悟を促されるし、当時ってトルネードマートとか強かったなぁ…。私は2ch隠れヲタスレの仲間と一緒に努力する方法にした。
引用されてるお手本のファッションに時代を感じる。マルイ系だあ
面白かった。ダイエットもそうだけど、スタイルとは結局そういう生き方を手に入れる。そういう人間になることなんだよね。一時的に痩せたり表面だけ真似するのではなく
あり合わせの服(野暮ったい服)→無難な服→自分に似合う服→自分に似合いかつ着たい服、と進むのが正しいよね。「似合う」要素が途中で外れちゃうと別の意味でダサくなる。あと値段は別の話。
服はヤンキー(反社ともいう)かそうでないかぐらいの区別しかしてなかった。
お洒落になるには数シーズンに渡るトライ&エラーが必要で、自分に似合う服のタイプやウェスト、足の長さ、髪型など自分自身と向き合う必要がある。セルフネグレクトになりがちなオタクとは真逆な指向なんだよね
ユニクロがもっと優しく受け入れてくれれば(他責)
"自分自身と外見との整合性" というのが結局何なのかさっぱり分からない...つまり自分にはセンスが皆無ってことなんかな。別にもうそれで良いけど。おっさんだし。
非オタ側の一般層も急激に皆ダサくなっていった流れの方が気になる。/『センスとは哲学者のカントが述べた"美的判断力"に相当し、複雑な構成のクラシック音楽や現代アートなどを理解する能力』
全員が「どんな服着たらいい」って悩む時代そのものが終わったな感じする。ユニクロ無印グリーンレーベルあたりで済ませたくない人だけが楽しく悩む。
なぜ彼らは脱オタクファッションに失敗したのか in 2026 - シロクマの屑籠
脱オタクファッションが流行った当時、失敗した人々に何が足りなかったのか? 書籍『STATUS AND CULTURE 』を引用してまとめました。失敗した人は、違和感のストップギャップを埋める方法と感覚が足りなすぎたと思います
スタータスの話でいえばあの辺はすでにオタクが一定のステータスを得たがゆえに本質的な脱オタクではなくファッションの問題にすることが可能になったという話の気もしていた。そしてセンスの問題はわりと普遍的
ここに書かれたようなことを全部やったとして「こなれた感」は出なかったと思う。姿勢と表情だけでも一目で分かるし、動けば振る舞いで分かり、喋れば声と内容で分かる。
足し算しかしないから。オタクの感性と、非オタクの感性が違うから。重要なのは、対オタクにはかっこよく見える所だ。/じゃあ地雷系やゴスロリは失敗なのか?という話で
服装だけでなく生活スタイルから変えなくてはならないとするなら、脱オタクファッションに必要なのは脱オタクと言うことになるが…
当時はファッショ情報収集の敷居が高かった。なので模倣という結論にいけなかったかも。でもオタクファッションも悪くないと思う。当時のオタクファッションをちゃんとお洒落にやってみたい。
必要だったのは、ハイセンスなファッションリーダーを目指すことではなく、目立たないモブになるための努力だったのではないか?
当時脱オタサイトや書籍が模倣の対象としていたのは「当時の若者」だったと思うんですよね。だからラルフローレンやユニクロではなくマルイだったんだと思う。ラルフでは若者が忌避する「おっさん」になってしまう。
敵仲間の識別という広い意味で政治的だよね / 結局「一般人とは違うオレ」という自意識が一番のハードル、まさにATフィールド
なんでも好きな服着れば良いんだよ。アメリカの大富豪中高年だって安モンのパーカー(フッディ)着てんだから。雨も寒さも各種作業も状況に応じてフッドでそれなりに対応できる合理性がある為だ。スポーツにもいい。
ファッション以外に夢中なものがあったから。他人の外見を嗤うことに時間を使うよりよっぽど健全ですね。悪臭とか周りに迷惑かけることだけ止めてくれればいい
垢ぬけないって言葉がよくわからなくなってきた。/ オタクファッション…失敗?昔と今では失敗増が多分違うと思うけど、誰を想定してるんだろ?いや単純に思い浮かばないんよ、このご時世。
あ、平成だとなるあの時の若者感。チェックのネルシャツっていま見ると格好良くね?などと最近は思うのであった
好きな格好しろよ、と当時から思っていたし、今もしている。東欧の刺繍シャツとか綺麗なんやで/無難ならスーツ着てれば良かったんだよ(ときメモ3メソッド)。モテたいならモテたい相手の好きな格好をしろ
センスとか磨ける気もしないから当時自分なりに搾り出した解決策が体鍛えてまとう布を減らすだった
後から言えば結局無理やり変えようとしていることこそがダサかったのであった…それこそ彼らの得意な好きを掘り下げれば良かったのに
当時は具体的なアイテムしか提案してなかったのかな?そう考えると現在のMB氏などによる方法論は画期的なのだなと思う。/あとノームコアの流れがもう少し早く来てれば話は違ったのかも。
なんというか二種類あったはずが同一視されてたんじゃないかな 意識してそれを選択した層(むしろオシャレだと思ってそうした)と無頓着でそれ(極論親がスーパーで買ってきた)を着ていただけと 脱はビジネス的で
古い世代のオタクが持つ異常な知識量は、日常生活を送る上での極端な意識配分と時間の使い方の帰結なので、喋り方や所作からオタク臭さを抜くには、普段は切っているスイッチを活性化させる必要があったのだよな。
他人からダサいと思われたくないと気にしてる人に好きな服着ればいいなんて言われて響く人なんておらんやろ。
書籍『脱オタクファッションガイド』初版は2005年、テレビドラマ『電車男』も2005年。もう20年以上も前
当時はイタリアもしくはモードな服が流行中で、それは良くも悪くも格好つける必要があり、オタクには似合わない。ユニクロが不得意な服でもある。つまり流行的に時代が悪く、オタクに勝ち筋はなかったかも。
当時ブラック労働にてんてこ舞いで、とりあえずスーツ着て駆けずり回っていればよかったのは幸いかもわからんな。博多の北天神あたりを歩くには別にユニクロでも問題なかったし。問題になる階層で生きてなかった。
当時はユニクロみたいな「最低限の身なりは保証される」チェーン店がメジャーじゃなかったので、脱オタクファッションにはオシャレブランドの服を着ざるを得ず、心底ハードルが高かったのが原因。
オタクのエネルギーの方向性を服に向ければいい。由来とか歴史とか深掘りしてくと面白いよ。
高い層だとダサいも個性になる。タックインはダサいと言う風潮でもキムタクは平気でやってたとか言う話があったね。
なんでいまこの話を?
俺の記憶と話が噛み合わない。まずは無印コンバースなどで固めて最低限のキレイめを学習しろ、とまさに移行段階の指南をする風潮だったと思うが…//俺が当時主に見たのはat-fashion.com系ぽい。流派が違うんかもな。
取り入れやすい模倣先が明確だった時代の方がラクだったのかもね。IVY・ドラッドの時代だったら
ノームコア的なファッションが当然のように流行している今だから言えることもあるよね。全身ユニクロはダサいと言われていたなかなか難しい時代だったように思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2677802
2005年ならユニクロは一般に浸透していたと言えるはず。「おしゃれ」側の敷居が低いというか、手の届くところがマルイ系で、それはそれで人を選ぶファッションだったというか、厨二的な見え方にも寄りがちだった感。
ぜんぜんまとまな格好なのに「オタクのファッションはダサいと言わなければいけない」ていう謎の強迫観念にとりつかれたひとたちがSNSに一定数いるよね。
金のない生徒や学生はどうしたらいいのかという問題は常にある気がしている。小学校中学年からそれは始まっており、所属する家庭に左右される
久世氏の流儀でいくと、「当時の」ユニクロはNGで、マルイやセレクトショップへと飛び越える覚悟を促されるし、当時ってトルネードマートとか強かったなぁ…。私は2ch隠れヲタスレの仲間と一緒に努力する方法にした。
引用されてるお手本のファッションに時代を感じる。マルイ系だあ
面白かった。ダイエットもそうだけど、スタイルとは結局そういう生き方を手に入れる。そういう人間になることなんだよね。一時的に痩せたり表面だけ真似するのではなく
あり合わせの服(野暮ったい服)→無難な服→自分に似合う服→自分に似合いかつ着たい服、と進むのが正しいよね。「似合う」要素が途中で外れちゃうと別の意味でダサくなる。あと値段は別の話。
服はヤンキー(反社ともいう)かそうでないかぐらいの区別しかしてなかった。
お洒落になるには数シーズンに渡るトライ&エラーが必要で、自分に似合う服のタイプやウェスト、足の長さ、髪型など自分自身と向き合う必要がある。セルフネグレクトになりがちなオタクとは真逆な指向なんだよね
ユニクロがもっと優しく受け入れてくれれば(他責)
"自分自身と外見との整合性" というのが結局何なのかさっぱり分からない...つまり自分にはセンスが皆無ってことなんかな。別にもうそれで良いけど。おっさんだし。
非オタ側の一般層も急激に皆ダサくなっていった流れの方が気になる。/『センスとは哲学者のカントが述べた"美的判断力"に相当し、複雑な構成のクラシック音楽や現代アートなどを理解する能力』
全員が「どんな服着たらいい」って悩む時代そのものが終わったな感じする。ユニクロ無印グリーンレーベルあたりで済ませたくない人だけが楽しく悩む。