歴史上の人物の作品はOKだが、現役かつ係争中となれば話が違う。自分には無理だな。これは表現の自由とは別の話だ。発表の機会を奪えとまでは言わん。だが俺は読まない。
被害者を慰撫する為に法を超越した罰を与えるという発想は危険。何が一族を挙げての復讐に値するかなんて話は、クルド人と日本人では異なるのだから。/法を軽視する人は、自分と価値観が異なる他者も軽視している。
ガリア戦記も微妙だな/それを評価した自分を否定「させられる」ことに耐えられない できることなら清く正しく美しくありたい、あるべきと思えば
発表されても余罪あるし係争中なので。“被害者女性個人として望む事が書かれていているだけで、他にも被害者がいるとの事。社会の問題として全ての人が何を選択するか、すべきかの議論を放棄していい話ではない。”
“作者が倫理にもとる行為を行っていれば、読者は間接的にその行為をもサポートしたという構図が成立”…しません。また、「被害者に寄り添え」になっていないか注意が必要です。後は「感想文ならご自由に」としか。
個々のケースで都度で考えるしかないかなと思う。栗田の場合は、報道では係争中の裁判においても反省せず余罪でてきており、さらに被害者を増やす可能性があったと言われてるよね。一般的な更生の文脈で語れない。
昔の人はこんなくだらないこと気にしないでいてくれたから、いま良い作品が読める、鑑賞できるわけで。まぁアレが歴史に残る漫画とも思えんが。自分の嫌悪感()で文化を継承しないってすげーエゴじゃんね。
作品と作家は別ではないが、作家と雑誌は別です
ドラマとかアニメとかで主演俳優や声優が犯罪を犯した名作とかごまんとあるけど、俺はそれを踏まえてもその作品が好きだしキャンセルすべきだとは思わない。漫画もそう。堕天作戦と常人仮面は名作。作者は屑犯罪者
2人の原作者ともに姑息なネームロンダリングとしか思えぬ。法的に問題がないなら勝手に連載すればいいが、一消費者として私は読まないし関係者は侮蔑するよ。
堕天作戦読み返して思ったけど、この内容を書くのに必要な性癖だったと考えたら怖いなと思う。続きを読みたいと思わせる魅力があるので編集者の人は肩入れしたのかなとか。
常人仮面の方はエピローグに、性被害等によって解離的な症状が出ている女性が描かれているらしい。自身の犯罪や被害者をモデルにしてると思われる。これに関しては作品と作者が別だとは思えない
刑罰を受けたなら好きに活動してもらって構わないけど創作に携わるなら名を明かして活動してくれ。被害者は今後も障害と共にあるのだから自分の気持ちとして加害者の利益には一切貢献したくないので。
作品をどう考えるか、作品との距離をどう取るかは、他の作家も、読者も、それぞれ思うように個々に判断すること。それが社会や風潮を変えることもあるかもね/小学館はドラえもんとコナンが支えてるので潰れない笑
ビートルズみたいに違法薬物を使うことで常人離れした創作の力を得てマネタイズする例もある。結局のところ「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる」でしかない。
読者個人の問題として論じているけど、出版社がどうふるまうべきか、マスとしてどうするって話だと思う。つまり、個人の判断にゆだねていいのかって話。
穏当な考え方かなと思った。自分も読んでたのでつらいよ。何か作品を勧めたり褒めたりする際には「※但し現時点でのバックグラウンドを知りうる限りでは」と注釈が要るな…(しないけど、そのマインドで…)
俺はそもそも人間と作者という存在自体が別個と考えているので、作品においてや犯罪者とは無関係と考える。また犯罪者は一生日のあたるところに出てくるな的考えには明確に反対する。
深みのない露悪だと感じて堕天作戦はすぐ切ったが、やたら一部で評価高いんやな
文学理論において作品論と作家論はよくあるから完全に独立させるのは不可能
濃いファンが付いているなら同人誌即売会で新作出すなりFantiaで月会費を取って発表するとか色々方法があるのにコンプラ厳しい大手出版社からの発表に拘っていることに悪寒がする。
法を超越した罰を与えるという発想は危険というけれど、その理屈で言えばパワハラはほぼやりたい放題になるのでは。ご本人の中でどう整合性を取っているのかが気になります。今回の件、”法を超越した罰”といえる?
作品や作者は考慮すべき対象の中心からいったん外れ、「自分はどういう人間でありたいか」という自分を主役とした検討に移行する。加害者を断罪したいのか、作品と作者を切り離したいのか、被害者に寄り添いたいのか
被害者の方の文を読む限りではまだ加害者からの謝罪の言葉がないということが理解できないが、倫理観がまともならそもそもああいう犯罪はしないよな…と思った 知ってからだと作品を読む気は起こらないな
【小学館「マンガワン」問題】作品と作者は別?→『堕天作戦』を愛読していた筆者が出した答え(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース
歴史上の人物の作品はOKだが、現役かつ係争中となれば話が違う。自分には無理だな。これは表現の自由とは別の話だ。発表の機会を奪えとまでは言わん。だが俺は読まない。
被害者を慰撫する為に法を超越した罰を与えるという発想は危険。何が一族を挙げての復讐に値するかなんて話は、クルド人と日本人では異なるのだから。/法を軽視する人は、自分と価値観が異なる他者も軽視している。
ガリア戦記も微妙だな/それを評価した自分を否定「させられる」ことに耐えられない できることなら清く正しく美しくありたい、あるべきと思えば
発表されても余罪あるし係争中なので。“被害者女性個人として望む事が書かれていているだけで、他にも被害者がいるとの事。社会の問題として全ての人が何を選択するか、すべきかの議論を放棄していい話ではない。”
“作者が倫理にもとる行為を行っていれば、読者は間接的にその行為をもサポートしたという構図が成立”…しません。また、「被害者に寄り添え」になっていないか注意が必要です。後は「感想文ならご自由に」としか。
個々のケースで都度で考えるしかないかなと思う。栗田の場合は、報道では係争中の裁判においても反省せず余罪でてきており、さらに被害者を増やす可能性があったと言われてるよね。一般的な更生の文脈で語れない。
昔の人はこんなくだらないこと気にしないでいてくれたから、いま良い作品が読める、鑑賞できるわけで。まぁアレが歴史に残る漫画とも思えんが。自分の嫌悪感()で文化を継承しないってすげーエゴじゃんね。
作品と作家は別ではないが、作家と雑誌は別です
ドラマとかアニメとかで主演俳優や声優が犯罪を犯した名作とかごまんとあるけど、俺はそれを踏まえてもその作品が好きだしキャンセルすべきだとは思わない。漫画もそう。堕天作戦と常人仮面は名作。作者は屑犯罪者
2人の原作者ともに姑息なネームロンダリングとしか思えぬ。法的に問題がないなら勝手に連載すればいいが、一消費者として私は読まないし関係者は侮蔑するよ。
堕天作戦読み返して思ったけど、この内容を書くのに必要な性癖だったと考えたら怖いなと思う。続きを読みたいと思わせる魅力があるので編集者の人は肩入れしたのかなとか。
常人仮面の方はエピローグに、性被害等によって解離的な症状が出ている女性が描かれているらしい。自身の犯罪や被害者をモデルにしてると思われる。これに関しては作品と作者が別だとは思えない
刑罰を受けたなら好きに活動してもらって構わないけど創作に携わるなら名を明かして活動してくれ。被害者は今後も障害と共にあるのだから自分の気持ちとして加害者の利益には一切貢献したくないので。
作品をどう考えるか、作品との距離をどう取るかは、他の作家も、読者も、それぞれ思うように個々に判断すること。それが社会や風潮を変えることもあるかもね/小学館はドラえもんとコナンが支えてるので潰れない笑
ビートルズみたいに違法薬物を使うことで常人離れした創作の力を得てマネタイズする例もある。結局のところ「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる」でしかない。
読者個人の問題として論じているけど、出版社がどうふるまうべきか、マスとしてどうするって話だと思う。つまり、個人の判断にゆだねていいのかって話。
穏当な考え方かなと思った。自分も読んでたのでつらいよ。何か作品を勧めたり褒めたりする際には「※但し現時点でのバックグラウンドを知りうる限りでは」と注釈が要るな…(しないけど、そのマインドで…)
俺はそもそも人間と作者という存在自体が別個と考えているので、作品においてや犯罪者とは無関係と考える。また犯罪者は一生日のあたるところに出てくるな的考えには明確に反対する。
深みのない露悪だと感じて堕天作戦はすぐ切ったが、やたら一部で評価高いんやな
文学理論において作品論と作家論はよくあるから完全に独立させるのは不可能
濃いファンが付いているなら同人誌即売会で新作出すなりFantiaで月会費を取って発表するとか色々方法があるのにコンプラ厳しい大手出版社からの発表に拘っていることに悪寒がする。
法を超越した罰を与えるという発想は危険というけれど、その理屈で言えばパワハラはほぼやりたい放題になるのでは。ご本人の中でどう整合性を取っているのかが気になります。今回の件、”法を超越した罰”といえる?
作品や作者は考慮すべき対象の中心からいったん外れ、「自分はどういう人間でありたいか」という自分を主役とした検討に移行する。加害者を断罪したいのか、作品と作者を切り離したいのか、被害者に寄り添いたいのか
被害者の方の文を読む限りではまだ加害者からの謝罪の言葉がないということが理解できないが、倫理観がまともならそもそもああいう犯罪はしないよな…と思った 知ってからだと作品を読む気は起こらないな