「寄り添う」とかいう言葉の安売り感よな。中身のない善人面するための免罪符になってるのほんま草
わかるわかる。ここまで色々とは考えてないけど、私もこの表現は苦手、違和感あるよね。精神的にベタベタしてる感じが嫌。
既に理解者や支援者に困ってない状況ならいいけど、孤立したままの被害者も多いだろうと思う。「寄り添う」が大事なフェーズはあるよ。
言い訳せずに被害者無視してどんどん書いて被害者心情を煽るべきって増田は書くべきでは(´・_・`)
そう言えば森川ジョージが被害者に悪いから大騒ぎするなとか言ってたな。被害者は周知が目的で被害を訴えたのに。
それは絆ですよ
たいていの「寄り添う」は不調の人にとって重荷となる、正義ヅラした自己満足なのよ。つまり病人にエセ健康食品押し付け、最後は「良かれと思ってやったんだ!」とキレる馬鹿と同じ。だから慮る、で良い。
確かに、実際に被害者支援の活動でもしているならともかく、ネットで文句言うだけで使うべき言葉ではない。また何かに寄り添うことは何かから離れることでもある。当事者でもないのに客観性を手放す必要もない。
そういえば「倫理性アピールするな!」とムキムキするブコメを何度か見かけたが、自分が善人であろうと見せかける事すらできない人は、現代社会に生きる意味あるだろうか?今度から荒らし報告しよう
寄り添うなんて結局はパフォーマンスだし、何か力なってくれるのかと言えば結局は自分で〜見たい感じで突っぱねる、俺私は人に優しいでしょっていうマスターベーション。僕は経験的に嫌悪感しかない。
比喩表現は正確に何を指しているのかが不明確で誤解を招くから基本的に良くない。実際に物理的に寄り添うのでなければ寄り添うなんて言わない方がいい。
被害者そっちのけで戦ってるのはよく見るね。
被害者の意向が明らかになっていないうちにこれを使われると、自分の意向を被害者に仮託してるように見えるのはわかる。
「♯ママ戦争を止めてくるわ」にも感じた思考停止、これ言ったらそこで思考も議論もストップするワードなんでないかな。無難ワードでもあるし、言っときゃ間違いないだろ的に置いていく言葉。
今回の漫画家のやらかした犯罪と小学館のやらかした隠蔽工作と、被害者が被害を訴えている状況を考えたら、こんな怒り方はできないと思うよ。増田はまぁ、寄り添う気すらないのでそりゃ腹立つよな笑
ブクマカに寄り添う
前科者の復帰や声優ならぬ作家や漫画家を盾にしてる怠惰企業小学館と編集が異常だと気づくべき。その一番の免罪符に気づかないお前が異常
男性被害者の場合も「寄り添え」というスタンスで男女平等であればまだ分かるが現実はそうじゃないからね…まぁ、共感格差で優位な人は「寄り添え」って求めるとは思う。例えば痴漢冤罪 https://togetter.com/li/2672033
そういう視点が欠けてる人が多いから、流行ったんだろなこの表現。
あぁコレは分かる。寄り添うと言うワードを盾にして実際している事と言えば、加害者(喩え容疑段階でも)を属性ごと括って法律にも事情にも無知な叩きをして(アイツ等全員死刑etc.)善人面でスッキリしたいだけなのな
自分から距離のある対象には寄り添うけど、身近なものは拒絶したりする人とかもいるよね。結局他人事なんだよな。言葉が薄っぺらく感じるのは、そのためかも。
露悪的ではあるが、この言葉の欺瞞性や独善性には気をつけるべきだと思うし、多分少し経ったら使われなくなるタイプの言葉遣いだとも思う。
別に物理的に近づかなくてもいい.心理的な近さのほうが重要.免罪符として使ってる言葉は他にもあるからこれだけが良くないというわけでもない./ただ別に言語化しなくてもいいけどね.実践すればいいだけの話.
いやシンプルに「加害者の人権を被害者以上に尊重すべきではない」に尽きる。被害者がその犯罪によって後遺症を負ったら被害者のその後の人生で「加害者を認識しない」というのは被害者の当然の権利だと思うよ。
共感が人を救うとして、正しく共感できるか。相手が共感を拒否したのならその拒否に共感して近づかない。それも寄り添いの一つの形ではないかな
「被災者に寄り添う」平成天皇像が日本人に及ぼした影響は大きい。
当事者になる前からイライラしてる増田も「鬱陶しい輩」の一人だなぁ/当事者の希望は対応できる範囲で聴くし、当事者が何らかの理由で自分の言いたいことを言えない状況を作らないことを心がけるくらいしかできない
その表現は「自分が知らないことに想像力を持って取り組むこと」を求めているんだ。直接の言葉が日本語に無いから欠陥ある術語が作り出される。それを理解して美辞麗句とラベル化した自分の理屈を照らし出してくれよ
まあまあわかる。/ 個人の倫理としては事情も知らずに寄り添うのは誠実ではないと思うが、被害者も事情を明らかにしたくないこともあるだろうから、よって手前の配慮するで止まる。
自己正当化の為の方便だからな…だから(ここにも一杯いるけど)自分と同じ様に「寄り添わない」人間に対してものすごく攻撃的になる 冷静にコメントされると身にまとってる嘘がめくれて自分の醜さがバレるから
増田の中のなんとなく気に食わないというお気持ちをモヤモヤと膨らませてその言葉を使う人を悪魔化して使ってる人の心はこんなにも醜いんだと妄想してそこまでヒートアップしてんのちょっとこわいよ
言葉では何とでも言えるから、実際の行いを見るしか無いよね。加害者又は小学館サイドが口封じして隠蔽して、しかもそれを一部の連中が庇っているという馬鹿みたいな光景が見られるのがこれまでの現実だったけどね
俺はこの問題は日本の学校制度における歴史的に容認され続けたグルーミング問題なのでこの手の話は論点ずらしとみる。報道機関、教育者や知的階層、政治でも、はてなでも教員グルーミングには寛容
わかる
“発言者の倫理性を保証する記号として使われている”
なるほど。多くの人は、小学館や関係者を非難することも、寄り添うの一部だと思っているのでは
発言において、誰の目線で話しているか、は気になるところがあるかな。「自分」を被害者に投影して見聞きした時に「自分」がどう感じるか。それを「被害者に寄り添う」と表現すると誤謬が生じるというか
倒れそうになったら支えるということもそうだし、そういう状況があるかどうかを注視したり、起こり得る可能性を念頭に入れたり、気付く、気付こうとすることもそうだし、色んな行為や意思を含む表現ではある
id:HanPanna でも本当に「寄り添って」る人は(少なくとも、はてなでは)あまりいない気がする。だいたいは、「被害者」ではなく「嫌いな人を叩くための都合の良い叩き棒」としてしか見ていない。
まあ確かに「そう言っているお前さんは寄り添っているんかね?」とか「その判定は誰がするんかね?」という疑問はある
寄り添うとかケアとかな
"寄り添い"は加害正当化チケット。イスラエルが"対テロ戦争"っていえば何でもやっていいように、みなこのチケット欲しくて寄り添ってる。
言葉の意味と使われ方がそぐわないというのはそう思う。
大災害のときに被災者へ歌やスポーツで勇気付けると似てる?
しっかり間近で面と向かってるっていうか被害者にケツ向けて「敵」に向かって文句言うために利用してるって実態が多いからな たいていの場合は代弁者ポジショニング重視の卑怯者に見えるな
性犯罪の被害者は落ち度がなくても(親兄弟恋人からも)とにかく責められ叩かれる時代が長かったし終わったわけでもないという現実からくる言葉と思っている
寄り添うって押し付けがましいというか、図々しさがあるよね。経営者がスローガンに使いがち。
人間って放っておくと本能で強い方=加害者に心情が寄り添うようんだよ。その方が心理的に楽だから、冤罪や落ち度なんかを探す。被害者に寄り添うには胆力や理性、弱い側に立てる強さが要る。
ただ寄り添う事しかないできないけどそれが最善なんだよ。君達は陪審員じゃない。
寄り添うという行動はよいがそれを声高に叫ぶ奴は被害者の意見として私の声を扱え!だからなぁ
たぶん福祉方面の伴走型とかそんなとこから来てるんじゃないかなと。
加害者本人よりも小学館や森川ジョージと空中バトルしてるような人らは被害者のことどうとも思ってないだろうなと見ている。
私がイメージする「被害者に寄り添う」とは、余計なことを言わずに被害者の話を聞くような行動。余計なことを言わないことが本質だと思う。
全部読んでないが「被害者に慮る」とはどういう言い回しなんだ。普通は「被害者の感情を慮る」等と言うでしょ。「被害者に配慮する」とごっちゃになってないか?
被害者に寄り添う
「寄り添う」とかいう言葉の安売り感よな。中身のない善人面するための免罪符になってるのほんま草
わかるわかる。ここまで色々とは考えてないけど、私もこの表現は苦手、違和感あるよね。精神的にベタベタしてる感じが嫌。
既に理解者や支援者に困ってない状況ならいいけど、孤立したままの被害者も多いだろうと思う。「寄り添う」が大事なフェーズはあるよ。
言い訳せずに被害者無視してどんどん書いて被害者心情を煽るべきって増田は書くべきでは(´・_・`)
そう言えば森川ジョージが被害者に悪いから大騒ぎするなとか言ってたな。被害者は周知が目的で被害を訴えたのに。
それは絆ですよ
たいていの「寄り添う」は不調の人にとって重荷となる、正義ヅラした自己満足なのよ。つまり病人にエセ健康食品押し付け、最後は「良かれと思ってやったんだ!」とキレる馬鹿と同じ。だから慮る、で良い。
確かに、実際に被害者支援の活動でもしているならともかく、ネットで文句言うだけで使うべき言葉ではない。また何かに寄り添うことは何かから離れることでもある。当事者でもないのに客観性を手放す必要もない。
そういえば「倫理性アピールするな!」とムキムキするブコメを何度か見かけたが、自分が善人であろうと見せかける事すらできない人は、現代社会に生きる意味あるだろうか?今度から荒らし報告しよう
寄り添うなんて結局はパフォーマンスだし、何か力なってくれるのかと言えば結局は自分で〜見たい感じで突っぱねる、俺私は人に優しいでしょっていうマスターベーション。僕は経験的に嫌悪感しかない。
比喩表現は正確に何を指しているのかが不明確で誤解を招くから基本的に良くない。実際に物理的に寄り添うのでなければ寄り添うなんて言わない方がいい。
被害者そっちのけで戦ってるのはよく見るね。
被害者の意向が明らかになっていないうちにこれを使われると、自分の意向を被害者に仮託してるように見えるのはわかる。
「♯ママ戦争を止めてくるわ」にも感じた思考停止、これ言ったらそこで思考も議論もストップするワードなんでないかな。無難ワードでもあるし、言っときゃ間違いないだろ的に置いていく言葉。
今回の漫画家のやらかした犯罪と小学館のやらかした隠蔽工作と、被害者が被害を訴えている状況を考えたら、こんな怒り方はできないと思うよ。増田はまぁ、寄り添う気すらないのでそりゃ腹立つよな笑
ブクマカに寄り添う
前科者の復帰や声優ならぬ作家や漫画家を盾にしてる怠惰企業小学館と編集が異常だと気づくべき。その一番の免罪符に気づかないお前が異常
男性被害者の場合も「寄り添え」というスタンスで男女平等であればまだ分かるが現実はそうじゃないからね…まぁ、共感格差で優位な人は「寄り添え」って求めるとは思う。例えば痴漢冤罪 https://togetter.com/li/2672033
そういう視点が欠けてる人が多いから、流行ったんだろなこの表現。
あぁコレは分かる。寄り添うと言うワードを盾にして実際している事と言えば、加害者(喩え容疑段階でも)を属性ごと括って法律にも事情にも無知な叩きをして(アイツ等全員死刑etc.)善人面でスッキリしたいだけなのな
自分から距離のある対象には寄り添うけど、身近なものは拒絶したりする人とかもいるよね。結局他人事なんだよな。言葉が薄っぺらく感じるのは、そのためかも。
露悪的ではあるが、この言葉の欺瞞性や独善性には気をつけるべきだと思うし、多分少し経ったら使われなくなるタイプの言葉遣いだとも思う。
別に物理的に近づかなくてもいい.心理的な近さのほうが重要.免罪符として使ってる言葉は他にもあるからこれだけが良くないというわけでもない./ただ別に言語化しなくてもいいけどね.実践すればいいだけの話.
いやシンプルに「加害者の人権を被害者以上に尊重すべきではない」に尽きる。被害者がその犯罪によって後遺症を負ったら被害者のその後の人生で「加害者を認識しない」というのは被害者の当然の権利だと思うよ。
共感が人を救うとして、正しく共感できるか。相手が共感を拒否したのならその拒否に共感して近づかない。それも寄り添いの一つの形ではないかな
「被災者に寄り添う」平成天皇像が日本人に及ぼした影響は大きい。
当事者になる前からイライラしてる増田も「鬱陶しい輩」の一人だなぁ/当事者の希望は対応できる範囲で聴くし、当事者が何らかの理由で自分の言いたいことを言えない状況を作らないことを心がけるくらいしかできない
その表現は「自分が知らないことに想像力を持って取り組むこと」を求めているんだ。直接の言葉が日本語に無いから欠陥ある術語が作り出される。それを理解して美辞麗句とラベル化した自分の理屈を照らし出してくれよ
まあまあわかる。/ 個人の倫理としては事情も知らずに寄り添うのは誠実ではないと思うが、被害者も事情を明らかにしたくないこともあるだろうから、よって手前の配慮するで止まる。
自己正当化の為の方便だからな…だから(ここにも一杯いるけど)自分と同じ様に「寄り添わない」人間に対してものすごく攻撃的になる 冷静にコメントされると身にまとってる嘘がめくれて自分の醜さがバレるから
増田の中のなんとなく気に食わないというお気持ちをモヤモヤと膨らませてその言葉を使う人を悪魔化して使ってる人の心はこんなにも醜いんだと妄想してそこまでヒートアップしてんのちょっとこわいよ
言葉では何とでも言えるから、実際の行いを見るしか無いよね。加害者又は小学館サイドが口封じして隠蔽して、しかもそれを一部の連中が庇っているという馬鹿みたいな光景が見られるのがこれまでの現実だったけどね
俺はこの問題は日本の学校制度における歴史的に容認され続けたグルーミング問題なのでこの手の話は論点ずらしとみる。報道機関、教育者や知的階層、政治でも、はてなでも教員グルーミングには寛容
わかる
“発言者の倫理性を保証する記号として使われている”
なるほど。多くの人は、小学館や関係者を非難することも、寄り添うの一部だと思っているのでは
発言において、誰の目線で話しているか、は気になるところがあるかな。「自分」を被害者に投影して見聞きした時に「自分」がどう感じるか。それを「被害者に寄り添う」と表現すると誤謬が生じるというか
倒れそうになったら支えるということもそうだし、そういう状況があるかどうかを注視したり、起こり得る可能性を念頭に入れたり、気付く、気付こうとすることもそうだし、色んな行為や意思を含む表現ではある
id:HanPanna でも本当に「寄り添って」る人は(少なくとも、はてなでは)あまりいない気がする。だいたいは、「被害者」ではなく「嫌いな人を叩くための都合の良い叩き棒」としてしか見ていない。
まあ確かに「そう言っているお前さんは寄り添っているんかね?」とか「その判定は誰がするんかね?」という疑問はある
寄り添うとかケアとかな
"寄り添い"は加害正当化チケット。イスラエルが"対テロ戦争"っていえば何でもやっていいように、みなこのチケット欲しくて寄り添ってる。
言葉の意味と使われ方がそぐわないというのはそう思う。
大災害のときに被災者へ歌やスポーツで勇気付けると似てる?
しっかり間近で面と向かってるっていうか被害者にケツ向けて「敵」に向かって文句言うために利用してるって実態が多いからな たいていの場合は代弁者ポジショニング重視の卑怯者に見えるな
性犯罪の被害者は落ち度がなくても(親兄弟恋人からも)とにかく責められ叩かれる時代が長かったし終わったわけでもないという現実からくる言葉と思っている
寄り添うって押し付けがましいというか、図々しさがあるよね。経営者がスローガンに使いがち。
人間って放っておくと本能で強い方=加害者に心情が寄り添うようんだよ。その方が心理的に楽だから、冤罪や落ち度なんかを探す。被害者に寄り添うには胆力や理性、弱い側に立てる強さが要る。
ただ寄り添う事しかないできないけどそれが最善なんだよ。君達は陪審員じゃない。
寄り添うという行動はよいがそれを声高に叫ぶ奴は被害者の意見として私の声を扱え!だからなぁ
たぶん福祉方面の伴走型とかそんなとこから来てるんじゃないかなと。
加害者本人よりも小学館や森川ジョージと空中バトルしてるような人らは被害者のことどうとも思ってないだろうなと見ている。
私がイメージする「被害者に寄り添う」とは、余計なことを言わずに被害者の話を聞くような行動。余計なことを言わないことが本質だと思う。
全部読んでないが「被害者に慮る」とはどういう言い回しなんだ。普通は「被害者の感情を慮る」等と言うでしょ。「被害者に配慮する」とごっちゃになってないか?