書きました。
間の抜けた感想になりますが、過去の記憶が薄れない、常に呼び覚まされる、というのはある種の精神疾患の症状でもあります。心配は呪いの一種だという言い伝えもある。水に流すのは気合と根性いる仕業でもあるしな。
著者に一抹どころではない不安を感じますが、とりあえず読んでみますね。ただ長文の感想の中で政治とボケの関係が本人の恣意的な運用に任されるのなら、意見が異なる人間とのボケな関係構築は難しいでしょう。
デマに惑わされて考えなしに他者を攻撃する人が増えていて、すでに日本の内部も戦争化しているのではないかと感じる。非常によくない傾向。
平和をボケと定義し直すのは東浩紀らしい。政治の過剰が平和を壊すってのは納得
“一切の暗がりがなくなった世界とは、あまりにも完全な記憶が絶え間なく人々を復讐へと駆り立てる世界なのではないか” 人類の記録能力の進化と戦争の大規模化はシンクロしてたりして
ズートピアのような共生の物語が今も力を持っているが、20世紀の歴史を見ると共生社会は常に火種を抱えた状態なんだよな。爬虫類が犠牲者ナショナリズムに駆られて独立運動おこしたらあの世界はどう対応するのだろう
つか心配などせずとも加害側はサクっと忘れるものよw 憶えているのはいつも被害者。
https://x.com/lawkus/status/2007611251191624138 "最強国が暴走しても誰も抑止できないというのは、教科書的なリアリズムの帰結であって、新しい現実ではなく古い現実"
今年絶対に読む本のひとつ。本当に楽しみにしている
「自分は戦後生まれだから、戦争責任など問われる立場にない」と言った人が総理大臣をやっている国には相応しい考え方なんだろう。歴史修正主義者にも発言の場をから皆で忘れるのも大事って東はどこまで行くんだろ
被害、加害という単純化された構図を俯瞰しないと、いつまでも世界史的な中での被害者であるユダヤ人が正当性を持ってしまうんやで。ま俯瞰し続けるのは難しいんだよな、今さらポスモ繰り返しても、何かなると思えず
ボケこそが平和という側面はあるが弱者が自然淘汰しにくい現代社会の人間ならではで、良い面も悪い面もありそうだなぁ。そもそも弱肉強食の自然状態は均衡はあっても平和は無いのではとか。読んでみようかな。
国に建て直す力があれば、インフレで焼け野原にしてから再建出来るんだろうけどね(既存問題の強制解決策としてはありうる、弱者を中心に多くの死を伴うが) この国の政府は既にインフレ税を行使中だ、制御出来るかは賭
左派と世界の断然そのものだ。リアリズムで世界が動いているこのご時世に大真面目にこんなお話をしてるから、左派はメインストリームに乗れず衰退してゆくのだろうな。
政治について語るがカッコつけおっさんたちは何かと天下語りだからそうなるんだわ。庶民が語るべき政治はバカと不良とガキをどう躾けるかの話でそこの政治に女性の学級会能力は優秀なんだけどミソジニーが邪魔してる
東浩紀はネトウヨだ左翼だと批判の幅が広い、それがあれの多様な側面を表しているのではないか。今回は平和か 読んでもねーのに講釈垂れてるブクマカがゴミということはわかった!
戦争はじゃんけんで平和はあっち向いてホイの部分みたくつながっていて、別物として比べたりするとおかしな話になるそれだと思う。ずっと戦争や闘争の物語や娯楽を絶え間なく享受し続けていた平和な戦後は何なのか。
アラビア語に興味があるというブログ主が、ロシアとウクライナの話ばかりして「パレスチナ」という単語を一切出してこないのは、読書体験としては興味深い。あるいは東浩紀がそのトピックを避けただけなのだろうか。
おかしいな。はてブで妙に評価が高い。ということはハズレかも
理想と現実の間で、純粋主義によらず、現実を迎合しすぎずに生きていくことの難しさたるや。。。
東浩紀の政治に関する発言を見ていると、「ノンポリこそが正しいのだ」的な価値観が根底にあるように思う。まさに自称中立。
平和のコストは自衛や社会福祉とかも含めると思った以上に高いから、国や国民の経済に余裕がなくなると平和を維持できなくなる。世界恐慌で戦乱になったみたく。平和が長いと無駄を省けと弱者切り捨て新自由主義に。
思想は現実と対峙する事で生まれてくる。こんなフワフワした、狡さに塗れた"思想"は愚か者の玩具でしかない。ウクライナ滅亡を煽ったドゥーギンを"ロシア思想"として紹介した事を振り返る事もしないのかhttps://x.gd/pJwxV
あずまんは本を出すたびにアップル製品のごとくこういうソムリエが発生するが、あずまん本人が愚かさの権化みたいな人間なので真に受けないようにしている。そしてこの感想文を読む限り愚書なのだろうという印象。
東浩紀『平和と愚かさ』
「平和ボケ」に関して認識が違い過ぎて全部読めなかった。「平和ボケ」って非武装中立とか戦争を起こし易くする行動や思想を「ボケ」として否定している。戦争について考えない様を否定する言葉ではないと思っている
外圧の無さから非戦闘員の戦闘能力低下が平和ボケとか言う戦争好きはまさに平和ボケやな 暴力的問題解決力は戦闘員以外持ってなくていいんだよ 軍のボタンは群衆が押すとでも思ってるんやろな
ノンポリが発生しづらい技術環境では社会はノンポリを養殖して確保しなくてはならない
東浩紀の言葉を見かけるたびに「骨細だなー」って思う。骨太の逆というか。
第一部まで読んでいるが、忘却することを実は肯定しているわけではない。平和について思索している内容で、この文章も結末部では肯定していない。ブコメがちゃんと読んでなさすぎ。
引用されてる文がアンダーグラウンド以降の村上春樹みたいだな、と思ったら本の中でとりあげられているのか。ちょっと読んでみたくなった
政治について考えなくて良い領域が広いほど平和である、という話を聞いて、とりあえず鼓腹撃壌の話を思い出すんだけど、著者も読者も誰も言及しないの。同じ話じゃないのかな。
東浩紀
デュピュイの引用箇所が興味深かった。虐殺や原爆・原発問題を善意、悪意の有無に関係なく、「加害と被害のつながりが壊れてしまった悪=害として連続的に捉える」なぜつながりが壊れてしまったのか?
この本で言われているのは皆で忘れるのも大事といったことではない。要約が難しい本だが、いずれにせよもっと複雑な話をしている。ブコメは適当だな
東浩紀『平和と愚かさ』
書きました。
間の抜けた感想になりますが、過去の記憶が薄れない、常に呼び覚まされる、というのはある種の精神疾患の症状でもあります。心配は呪いの一種だという言い伝えもある。水に流すのは気合と根性いる仕業でもあるしな。
著者に一抹どころではない不安を感じますが、とりあえず読んでみますね。ただ長文の感想の中で政治とボケの関係が本人の恣意的な運用に任されるのなら、意見が異なる人間とのボケな関係構築は難しいでしょう。
デマに惑わされて考えなしに他者を攻撃する人が増えていて、すでに日本の内部も戦争化しているのではないかと感じる。非常によくない傾向。
平和をボケと定義し直すのは東浩紀らしい。政治の過剰が平和を壊すってのは納得
“一切の暗がりがなくなった世界とは、あまりにも完全な記憶が絶え間なく人々を復讐へと駆り立てる世界なのではないか” 人類の記録能力の進化と戦争の大規模化はシンクロしてたりして
ズートピアのような共生の物語が今も力を持っているが、20世紀の歴史を見ると共生社会は常に火種を抱えた状態なんだよな。爬虫類が犠牲者ナショナリズムに駆られて独立運動おこしたらあの世界はどう対応するのだろう
つか心配などせずとも加害側はサクっと忘れるものよw 憶えているのはいつも被害者。
https://x.com/lawkus/status/2007611251191624138 "最強国が暴走しても誰も抑止できないというのは、教科書的なリアリズムの帰結であって、新しい現実ではなく古い現実"
今年絶対に読む本のひとつ。本当に楽しみにしている
「自分は戦後生まれだから、戦争責任など問われる立場にない」と言った人が総理大臣をやっている国には相応しい考え方なんだろう。歴史修正主義者にも発言の場をから皆で忘れるのも大事って東はどこまで行くんだろ
被害、加害という単純化された構図を俯瞰しないと、いつまでも世界史的な中での被害者であるユダヤ人が正当性を持ってしまうんやで。ま俯瞰し続けるのは難しいんだよな、今さらポスモ繰り返しても、何かなると思えず
ボケこそが平和という側面はあるが弱者が自然淘汰しにくい現代社会の人間ならではで、良い面も悪い面もありそうだなぁ。そもそも弱肉強食の自然状態は均衡はあっても平和は無いのではとか。読んでみようかな。
国に建て直す力があれば、インフレで焼け野原にしてから再建出来るんだろうけどね(既存問題の強制解決策としてはありうる、弱者を中心に多くの死を伴うが) この国の政府は既にインフレ税を行使中だ、制御出来るかは賭
左派と世界の断然そのものだ。リアリズムで世界が動いているこのご時世に大真面目にこんなお話をしてるから、左派はメインストリームに乗れず衰退してゆくのだろうな。
政治について語るがカッコつけおっさんたちは何かと天下語りだからそうなるんだわ。庶民が語るべき政治はバカと不良とガキをどう躾けるかの話でそこの政治に女性の学級会能力は優秀なんだけどミソジニーが邪魔してる
東浩紀はネトウヨだ左翼だと批判の幅が広い、それがあれの多様な側面を表しているのではないか。今回は平和か 読んでもねーのに講釈垂れてるブクマカがゴミということはわかった!
戦争はじゃんけんで平和はあっち向いてホイの部分みたくつながっていて、別物として比べたりするとおかしな話になるそれだと思う。ずっと戦争や闘争の物語や娯楽を絶え間なく享受し続けていた平和な戦後は何なのか。
アラビア語に興味があるというブログ主が、ロシアとウクライナの話ばかりして「パレスチナ」という単語を一切出してこないのは、読書体験としては興味深い。あるいは東浩紀がそのトピックを避けただけなのだろうか。
おかしいな。はてブで妙に評価が高い。ということはハズレかも
理想と現実の間で、純粋主義によらず、現実を迎合しすぎずに生きていくことの難しさたるや。。。
東浩紀の政治に関する発言を見ていると、「ノンポリこそが正しいのだ」的な価値観が根底にあるように思う。まさに自称中立。
平和のコストは自衛や社会福祉とかも含めると思った以上に高いから、国や国民の経済に余裕がなくなると平和を維持できなくなる。世界恐慌で戦乱になったみたく。平和が長いと無駄を省けと弱者切り捨て新自由主義に。
思想は現実と対峙する事で生まれてくる。こんなフワフワした、狡さに塗れた"思想"は愚か者の玩具でしかない。ウクライナ滅亡を煽ったドゥーギンを"ロシア思想"として紹介した事を振り返る事もしないのかhttps://x.gd/pJwxV
あずまんは本を出すたびにアップル製品のごとくこういうソムリエが発生するが、あずまん本人が愚かさの権化みたいな人間なので真に受けないようにしている。そしてこの感想文を読む限り愚書なのだろうという印象。
東浩紀『平和と愚かさ』
「平和ボケ」に関して認識が違い過ぎて全部読めなかった。「平和ボケ」って非武装中立とか戦争を起こし易くする行動や思想を「ボケ」として否定している。戦争について考えない様を否定する言葉ではないと思っている
外圧の無さから非戦闘員の戦闘能力低下が平和ボケとか言う戦争好きはまさに平和ボケやな 暴力的問題解決力は戦闘員以外持ってなくていいんだよ 軍のボタンは群衆が押すとでも思ってるんやろな
ノンポリが発生しづらい技術環境では社会はノンポリを養殖して確保しなくてはならない
東浩紀の言葉を見かけるたびに「骨細だなー」って思う。骨太の逆というか。
第一部まで読んでいるが、忘却することを実は肯定しているわけではない。平和について思索している内容で、この文章も結末部では肯定していない。ブコメがちゃんと読んでなさすぎ。
引用されてる文がアンダーグラウンド以降の村上春樹みたいだな、と思ったら本の中でとりあげられているのか。ちょっと読んでみたくなった
政治について考えなくて良い領域が広いほど平和である、という話を聞いて、とりあえず鼓腹撃壌の話を思い出すんだけど、著者も読者も誰も言及しないの。同じ話じゃないのかな。
東浩紀
デュピュイの引用箇所が興味深かった。虐殺や原爆・原発問題を善意、悪意の有無に関係なく、「加害と被害のつながりが壊れてしまった悪=害として連続的に捉える」なぜつながりが壊れてしまったのか?
この本で言われているのは皆で忘れるのも大事といったことではない。要約が難しい本だが、いずれにせよもっと複雑な話をしている。ブコメは適当だな