"自分がやっていることなのに、その行為の対象は損しやすくて可哀想というのは、その人自身が自己を喪失しているので、本当に可哀想なのお前やでって感じ"
宗教やってる人って根はいい人が多い
たしかマンガの「なにわ金融道」で騙されやすい人がいて、家は買わされた開運グッズだらけなんだけど、「みなさん親切に良いものを持ってきてくれて…」などと幸せそうに描かれていた。
「善い」人間と、「無防備な」人間は違うぞ
悪いことしたあとの、嘘を嘘で塗り固めなきゃいけない状況や、いつバレるかヒヤヒヤする状況が精神的にツラいので悪いことはあまりしたくないな。まあ、そういう小心者は善人にしかなれんのかも。
誠実さはあくまで戦略であれ?能動的不信、積極的非協力。権力や部外者に振り回されない工夫。信用とは?人間の社会性と政治性。コミュニティの範囲。秩序と懲罰。道徳規範。
もちろん環境にもよるけど、「善い人」の方が生きやすい場面も多いと思うんだよなぁ。その人はそういう環境を知らずに生きてきたのかと思うと少し哀れでもある、まぁ単にバイト仲間相手にイキってただけかもだか
中国で言えば韓非子。欧州で言えばマキャベリズム。論語の徳治に対して法治を是とする考え方に繋がる。当然騙すことは社会的に受容できない。なので騙す行為を法で禁止し罰すべきという議論になりそれを是とすべき。
善い人と、頭が弱い人を、誤解していないか?ww
「信用」は信用でそれなりに価値は高いって話でお終い
自分は騙される人を客観的に見れてると思ってる人がこのツイートに騙されるという構造がおもしろい
飽くまで経験の範囲だけど、世間に「騙して得したい人」は一定割合いるけど、ほとんどしっぺ返し食って詰んでる。周囲に信頼される人は、多少騙されても、長期では損が問題にならないくらい、その恩恵を受けてる。。
人間関係をリセットできる過密地特有の事象
善い人はゲーム理論でのしっぺ返し戦略を実践している事がある。
他人のことを「騙しやすい」「騙しやすそう」なんて考えたことが人生で一度もないな。幸運でありがたいことや
クマにエサをやると搾取される側と認識されて襲ってくるのと似ている?
「善い人」だと地獄に落ちた時に大変な目にあうからだよ。それに加えて、社会でも長期的に見れば「善い人」戦略が最適解だからなのでは。
(都合の)善い人。いい人でも耐えられないレベルの騙しにあったら、やんわりと距離を取られて知らないうちに関係が終わってたりするし、憎まれないよう黙って距離を置くのも処世術ではあるよね。
親切な人には親切に、狡猾な人には狡猾に、相手に合わせたレベルで振る舞いたいものである。悪人はもちろんだけど、頭の弱い善人も好きじゃない
善意も悪意もなく杓子定規に契約通りの行動をとる人がベスト。善意もポジティブな影響のみをもたらすとは限らない
とはいえ「善い人」の方が幸福度は高いんだよね(いくつかの研究があったと思う)。私の子供にはそれを事前に使えた上で闇バイトと詐欺のの話もしてる。若い人には上手く生き延びてほしい
そういう環境ってつまる所「ヤバい人ばっか」なんだろうな。お金があって余裕がある所には悪い人って発展しづらいのよ。悲しいかなこっちも酷い現実。交わらないの。
でもその善い人が大多数だから社会は円滑にまわっているわけで。世俗的な部分で騙されるかもしれないが、本質の部分では騙されないからこの社会で善性を保てるともいえる。
ゲーム理論でしっぺ返し戦略が長期的に安定ってのは研究でも確定してる結果なんだけどあくまでも同じ面子での繰り返しが前提。後腐れないか次がない局面では敵対戦略が最適になる
損な環境で育った人なんだだなと思うが
人が多くて人間関係をリセットしやすい都会の話だなぁ。人間関係の固定された田舎だと悪い噂が流れて終わりよ
スラムで育った人が持ってそうな価値観
騙す人が有利な社会は社会全体のコストが上がるので、騙す人が不利な社会の方が良い。
こんな話はよく聞くけど、人を騙す人間が幸せな人生を送っている話を私は聞いたことないですね。立花やひろゆきが幸せだと本気で思ってるのかな?そして、騙されても幸せな人はいくらでもいると思う。信じる事が幸せ
「善い人は騙しやすい」と思っている人間は、継続的な利他的関係を築けず、信用の積み重ねが出来ない。都度搾取しながら流れ者として生きられても、幸福の高みには至れないだろう。
善い人には良い人脈ができる。騙されやすくても、総合的には得だと思う。ただし生死が関わるような極限状態では増田氏が正しいかも知れない。
なんでこんな闇金ウシジマくんの世界みたいな人の話がまとめられてはてなでオススメされてるのか。私はできる範囲でその人のためになると思ったことは行動するし、こういう話をしてくる輩とは距離を取る
こういう自認で、親切な人を騙して援助を引き出してやったぜwみたいな主観だったりする、言うなれば「助けてあげたくなる様な外見を装うのが上手な、助けてあげたくならない弱者」みたいなのもいると思う。
他人を疑わないというより、例えばYouTube見て「〇〇を疑え!」っていうのを真に受けちゃう人とか。金儲けで他人を騙す人なんているわけない(少なくともこの人は違う)!と思っちゃう人とか。
うちの娘はとにかく疑い深いが息子は「牛乳石鹸良い石鹸」と聞くと牛乳石鹸を欲しがる3才の頃から何も変わっておらず将来が心配。兄弟なのに全然違うし三つ子の魂百までなんだよなあ
幼い頃にゲーム理論を知ってからは右手で握手・左手にナイフを心掛けてるけど、度々ナイフを忘れるので我ながら平和ボケしてるなと思う。
騙しやすい人を善い人だと認識しているだけでは。
すごい、生まれてからずっとこういう考え方してる人が詐欺師とかになるんだろうな
いやいやそんな殺伐とした世界観で生きたくないわ。どんな地獄生まれやねん
そういう感想を口に出しちゃう時点で周囲に良い人は少なくなってると思うので、まあ蠱毒よなという感想。
ゲーム理論で「裏切るのは最後の1回」って習ったでしょ。切り札は切らないから切り札なのよ。
コツコツ信用を貯金してったほうが後々豊かになれるんだけど、サラ金で借りてドヤる狂人もおるという話。関わらないが吉
こういう自信過剰な人もそれはそれで普通に騙されてそう
私はとても善人なので「私が騙されると私をだました人が罪を負ってしまうので、罪を犯させないように先にぶん殴ろう」と考えます(笑)
ギバーの中には、とりあえず試しに与えてみるみたいな人達がいる。慌てる乞食はもらいが少ない。
邪気がない事を定期的に周知出来ない個体が、緩やかに排斥されたり、吊るされたりしてるのに、呑気に大っぴらに喋ってくれるその先輩は、割と迂闊で、どっちかと言うと獲物側っぽいけどね。
怖い事に正面から向き合えないから、善い人を装ってる内にイイナリになるからじゃね。いい人系自己防衛の処世術が悪い方向からハックされた結果
国家が個人の人権を保証すればするほど刑罰の苛酷さが薄れ、嘘をつくメリットがデメリットを上回っていくので、嘘をつくことに最適化された社会が出来上がる。自由主義国家の宿命
騙された覚えないなー
と言っても騙されるのは強欲な人ではあるので善い人は詐欺師みたいな連中は避けるし、多少騙されてもいい勉強だったと模範解答するのでご心配なく。
欲の皮が突っ張った人は騙しやすいけど、善人か悪人かは騙しやすさと比例しないよ。
損得や無くて自分がどうありたいか、どう生きたいかやで。人生はホンマ長いから、生き様がそのまんま自分に返ってくるのに充分な時間があるからな。死ぬまでに振り返って後悔が無い様に、好きに生きたらええんやで。
善良/邪悪、有能/無能の四つの組み合わせがあって、現代社会では「無能より邪悪であれ」が是とされるみたいな感じ。善良な有能より、邪悪な有能の方が評価されるまである
善人は個別の騙され事案は損するが普段の行いでは敵を作りづらい。騙す側は超絶やり手なら得だけど格上には太刀打ちできない上に敵認定リスクは高まる。どっちが幸せだろうね。
ルールの抜け穴を突くことが賢いとされる世の中になっちゃったからね。詐欺とかでも「騙される方が悪い」って風潮が蔓延してる。騙される方が悪いなんてことないのに。
本人が鈍感なだけで経験上マジで人生うまくいかないよそういう人。善い人はその振る舞いで自分が得するからそうしてる。でも相手に搾取されてると思ったら即無視。多くは相手に気づかれないように離れてるよ。
客観的に見ると他人を結構キツめに搾取してるのに自分に強力な麻酔をかけているので自身を善人と信じて疑わず、その上で他人に説教したがる、それが平均的な人間だと思う。
環境に適合する作戦か否かでしかないでしょう
昔馴染みのゲーム理論の話のような。最初は協力、裏切られたら敵対、が一番成功に近いという。まあ、情報が一瞬で拡散されデジタル・タトゥーが残る現代では過去の裏切りから逃げるのは難しくなっていると思う
根無草なら次の宿木に移ればいいけど、定住者は信用第一。
騙しやすそうとか他人を舐めてくる人はだいたいガードが甘いからカウンター食らってる
トクリュウとかやってるやつはこういう考え方してるんじゃないかな
金融屋に向いてそうなサイコパスですね(ナニワ金融道を読んだ人の感想)
投資詐欺、違法カジノの芸人達ってそんなに善人だった?悪人も同じくらい騙されているでしょ。騙しやすい相手を善人と言ってるだけかもしれないし、善人は稀有なので語れるほど知ってるとは思えないな
そんな話を軽々しくする時点で相当な損をしている。
むかし詐欺の本を読んで知ったのは「悪いことをしてでも利益を得ようとする相手」が一番のカモだということなのよ。そういう人は誰かに相談したりしないし、騙された後に訴えでられない事さえある。
ひとりで騙すことをしないひとも、集団だと平気でひとを騙すよね。良心とかないんかい(´・ω・`)
ここまで善い人でこれたってことはいい人に囲まれてかわいがられてきたってことだろうから、騙そうとする人より幸せなのかもよ んで騙されそうになってもきっと助けてくれる人がいる
バイトがよう言うわ
近視眼過ぎやしないですかね
蹴りを入れてくれるクラピカが必要だ
善人の在り方に悩む人は、アダム・グラント著「GIVE&TAKE」の一読をお勧めします。https://www.amazon.co.jp/dp/4837957463
便利に使われるのは嫌だよなぁ。
可哀想に。目の前の人がいつ裏切るかも分からない世界でしか生きてこれなかったのね。ゲーム理論の相互信頼状態の生む長期的利益の蜜の味の精神安定度はやばいぞ。
疑う信じるってみんな多分ガッチリ理論建ててやってるわけじゃなくて疑い続けるのはしんどいなという感じで損得コスト考慮しつつ基本的には信じる方で行くよね。疑いの方は知識と経験による羽生的直観でカバー
https://lgbtq.unc.edu/wp-content/uploads/fluentform/ff-40b9585353bb197190034399ca0ff945-ff-_coinbase-247-availability-guide.pdf
悪人は遠慮なく粉々にできるから好き、善人を粉々にすれば自分が悪人になる
善良な人間でいられる自分はなんて幸せなんだろうって思う。そしてこの不幸な人を憐れむのはまた違う様な気もする
進化ゲーム理論みたいのでは、攻撃的であるとか裏切り者であるとかは最初は有利なのだが最終的に生き残りやすいとは言えない的なことになりがち。
他人を疑うことと善人であることは両立する
なんかライアーゲーム(実写ドラマ版)のフクナガを思い出した。 / 実際この世はライアーゲームだしね…必勝法はないけど。
非善人は信頼を失う。うまく善をやれない人は、文明社会において無辜の善人と並ぶ弱者だと思う。善性と狡猾さは信頼資本の両輪であり、片方しか持ってない者は苦しみから抜けられない。
騙してくるやつがいなければ頭から信じ込んだ方が効率が良い。自分のことのように信用できればどれだけ話が早いか
まず騙すとか騙されるとかいう概念を持ち出す所には近寄らないのが吉。
昔バイト先で知り合った人の「善い人ってなんて騙しやすいんだろう。なんて損な人達なんだろうとしか思った事ないんだよね」という言葉、たまに過去から降って来る話→「残酷やけど、これが現実や」
"自分がやっていることなのに、その行為の対象は損しやすくて可哀想というのは、その人自身が自己を喪失しているので、本当に可哀想なのお前やでって感じ"
宗教やってる人って根はいい人が多い
たしかマンガの「なにわ金融道」で騙されやすい人がいて、家は買わされた開運グッズだらけなんだけど、「みなさん親切に良いものを持ってきてくれて…」などと幸せそうに描かれていた。
「善い」人間と、「無防備な」人間は違うぞ
悪いことしたあとの、嘘を嘘で塗り固めなきゃいけない状況や、いつバレるかヒヤヒヤする状況が精神的にツラいので悪いことはあまりしたくないな。まあ、そういう小心者は善人にしかなれんのかも。
誠実さはあくまで戦略であれ?能動的不信、積極的非協力。権力や部外者に振り回されない工夫。信用とは?人間の社会性と政治性。コミュニティの範囲。秩序と懲罰。道徳規範。
もちろん環境にもよるけど、「善い人」の方が生きやすい場面も多いと思うんだよなぁ。その人はそういう環境を知らずに生きてきたのかと思うと少し哀れでもある、まぁ単にバイト仲間相手にイキってただけかもだか
中国で言えば韓非子。欧州で言えばマキャベリズム。論語の徳治に対して法治を是とする考え方に繋がる。当然騙すことは社会的に受容できない。なので騙す行為を法で禁止し罰すべきという議論になりそれを是とすべき。
善い人と、頭が弱い人を、誤解していないか?ww
「信用」は信用でそれなりに価値は高いって話でお終い
自分は騙される人を客観的に見れてると思ってる人がこのツイートに騙されるという構造がおもしろい
飽くまで経験の範囲だけど、世間に「騙して得したい人」は一定割合いるけど、ほとんどしっぺ返し食って詰んでる。周囲に信頼される人は、多少騙されても、長期では損が問題にならないくらい、その恩恵を受けてる。。
人間関係をリセットできる過密地特有の事象
善い人はゲーム理論でのしっぺ返し戦略を実践している事がある。
他人のことを「騙しやすい」「騙しやすそう」なんて考えたことが人生で一度もないな。幸運でありがたいことや
クマにエサをやると搾取される側と認識されて襲ってくるのと似ている?
「善い人」だと地獄に落ちた時に大変な目にあうからだよ。それに加えて、社会でも長期的に見れば「善い人」戦略が最適解だからなのでは。
(都合の)善い人。いい人でも耐えられないレベルの騙しにあったら、やんわりと距離を取られて知らないうちに関係が終わってたりするし、憎まれないよう黙って距離を置くのも処世術ではあるよね。
親切な人には親切に、狡猾な人には狡猾に、相手に合わせたレベルで振る舞いたいものである。悪人はもちろんだけど、頭の弱い善人も好きじゃない
善意も悪意もなく杓子定規に契約通りの行動をとる人がベスト。善意もポジティブな影響のみをもたらすとは限らない
とはいえ「善い人」の方が幸福度は高いんだよね(いくつかの研究があったと思う)。私の子供にはそれを事前に使えた上で闇バイトと詐欺のの話もしてる。若い人には上手く生き延びてほしい
そういう環境ってつまる所「ヤバい人ばっか」なんだろうな。お金があって余裕がある所には悪い人って発展しづらいのよ。悲しいかなこっちも酷い現実。交わらないの。
でもその善い人が大多数だから社会は円滑にまわっているわけで。世俗的な部分で騙されるかもしれないが、本質の部分では騙されないからこの社会で善性を保てるともいえる。
ゲーム理論でしっぺ返し戦略が長期的に安定ってのは研究でも確定してる結果なんだけどあくまでも同じ面子での繰り返しが前提。後腐れないか次がない局面では敵対戦略が最適になる
損な環境で育った人なんだだなと思うが
人が多くて人間関係をリセットしやすい都会の話だなぁ。人間関係の固定された田舎だと悪い噂が流れて終わりよ
スラムで育った人が持ってそうな価値観
騙す人が有利な社会は社会全体のコストが上がるので、騙す人が不利な社会の方が良い。
こんな話はよく聞くけど、人を騙す人間が幸せな人生を送っている話を私は聞いたことないですね。立花やひろゆきが幸せだと本気で思ってるのかな?そして、騙されても幸せな人はいくらでもいると思う。信じる事が幸せ
「善い人は騙しやすい」と思っている人間は、継続的な利他的関係を築けず、信用の積み重ねが出来ない。都度搾取しながら流れ者として生きられても、幸福の高みには至れないだろう。
善い人には良い人脈ができる。騙されやすくても、総合的には得だと思う。ただし生死が関わるような極限状態では増田氏が正しいかも知れない。
なんでこんな闇金ウシジマくんの世界みたいな人の話がまとめられてはてなでオススメされてるのか。私はできる範囲でその人のためになると思ったことは行動するし、こういう話をしてくる輩とは距離を取る
こういう自認で、親切な人を騙して援助を引き出してやったぜwみたいな主観だったりする、言うなれば「助けてあげたくなる様な外見を装うのが上手な、助けてあげたくならない弱者」みたいなのもいると思う。
他人を疑わないというより、例えばYouTube見て「〇〇を疑え!」っていうのを真に受けちゃう人とか。金儲けで他人を騙す人なんているわけない(少なくともこの人は違う)!と思っちゃう人とか。
うちの娘はとにかく疑い深いが息子は「牛乳石鹸良い石鹸」と聞くと牛乳石鹸を欲しがる3才の頃から何も変わっておらず将来が心配。兄弟なのに全然違うし三つ子の魂百までなんだよなあ
幼い頃にゲーム理論を知ってからは右手で握手・左手にナイフを心掛けてるけど、度々ナイフを忘れるので我ながら平和ボケしてるなと思う。
騙しやすい人を善い人だと認識しているだけでは。
すごい、生まれてからずっとこういう考え方してる人が詐欺師とかになるんだろうな
いやいやそんな殺伐とした世界観で生きたくないわ。どんな地獄生まれやねん
そういう感想を口に出しちゃう時点で周囲に良い人は少なくなってると思うので、まあ蠱毒よなという感想。
ゲーム理論で「裏切るのは最後の1回」って習ったでしょ。切り札は切らないから切り札なのよ。
コツコツ信用を貯金してったほうが後々豊かになれるんだけど、サラ金で借りてドヤる狂人もおるという話。関わらないが吉
こういう自信過剰な人もそれはそれで普通に騙されてそう
私はとても善人なので「私が騙されると私をだました人が罪を負ってしまうので、罪を犯させないように先にぶん殴ろう」と考えます(笑)
ギバーの中には、とりあえず試しに与えてみるみたいな人達がいる。慌てる乞食はもらいが少ない。
邪気がない事を定期的に周知出来ない個体が、緩やかに排斥されたり、吊るされたりしてるのに、呑気に大っぴらに喋ってくれるその先輩は、割と迂闊で、どっちかと言うと獲物側っぽいけどね。
怖い事に正面から向き合えないから、善い人を装ってる内にイイナリになるからじゃね。いい人系自己防衛の処世術が悪い方向からハックされた結果
国家が個人の人権を保証すればするほど刑罰の苛酷さが薄れ、嘘をつくメリットがデメリットを上回っていくので、嘘をつくことに最適化された社会が出来上がる。自由主義国家の宿命
騙された覚えないなー
と言っても騙されるのは強欲な人ではあるので善い人は詐欺師みたいな連中は避けるし、多少騙されてもいい勉強だったと模範解答するのでご心配なく。
欲の皮が突っ張った人は騙しやすいけど、善人か悪人かは騙しやすさと比例しないよ。
損得や無くて自分がどうありたいか、どう生きたいかやで。人生はホンマ長いから、生き様がそのまんま自分に返ってくるのに充分な時間があるからな。死ぬまでに振り返って後悔が無い様に、好きに生きたらええんやで。
善良/邪悪、有能/無能の四つの組み合わせがあって、現代社会では「無能より邪悪であれ」が是とされるみたいな感じ。善良な有能より、邪悪な有能の方が評価されるまである
善人は個別の騙され事案は損するが普段の行いでは敵を作りづらい。騙す側は超絶やり手なら得だけど格上には太刀打ちできない上に敵認定リスクは高まる。どっちが幸せだろうね。
ルールの抜け穴を突くことが賢いとされる世の中になっちゃったからね。詐欺とかでも「騙される方が悪い」って風潮が蔓延してる。騙される方が悪いなんてことないのに。
本人が鈍感なだけで経験上マジで人生うまくいかないよそういう人。善い人はその振る舞いで自分が得するからそうしてる。でも相手に搾取されてると思ったら即無視。多くは相手に気づかれないように離れてるよ。
客観的に見ると他人を結構キツめに搾取してるのに自分に強力な麻酔をかけているので自身を善人と信じて疑わず、その上で他人に説教したがる、それが平均的な人間だと思う。
環境に適合する作戦か否かでしかないでしょう
昔馴染みのゲーム理論の話のような。最初は協力、裏切られたら敵対、が一番成功に近いという。まあ、情報が一瞬で拡散されデジタル・タトゥーが残る現代では過去の裏切りから逃げるのは難しくなっていると思う
根無草なら次の宿木に移ればいいけど、定住者は信用第一。
騙しやすそうとか他人を舐めてくる人はだいたいガードが甘いからカウンター食らってる
トクリュウとかやってるやつはこういう考え方してるんじゃないかな
金融屋に向いてそうなサイコパスですね(ナニワ金融道を読んだ人の感想)
投資詐欺、違法カジノの芸人達ってそんなに善人だった?悪人も同じくらい騙されているでしょ。騙しやすい相手を善人と言ってるだけかもしれないし、善人は稀有なので語れるほど知ってるとは思えないな
そんな話を軽々しくする時点で相当な損をしている。
むかし詐欺の本を読んで知ったのは「悪いことをしてでも利益を得ようとする相手」が一番のカモだということなのよ。そういう人は誰かに相談したりしないし、騙された後に訴えでられない事さえある。
ひとりで騙すことをしないひとも、集団だと平気でひとを騙すよね。良心とかないんかい(´・ω・`)
ここまで善い人でこれたってことはいい人に囲まれてかわいがられてきたってことだろうから、騙そうとする人より幸せなのかもよ んで騙されそうになってもきっと助けてくれる人がいる
バイトがよう言うわ
近視眼過ぎやしないですかね
蹴りを入れてくれるクラピカが必要だ
善人の在り方に悩む人は、アダム・グラント著「GIVE&TAKE」の一読をお勧めします。https://www.amazon.co.jp/dp/4837957463
便利に使われるのは嫌だよなぁ。
可哀想に。目の前の人がいつ裏切るかも分からない世界でしか生きてこれなかったのね。ゲーム理論の相互信頼状態の生む長期的利益の蜜の味の精神安定度はやばいぞ。
疑う信じるってみんな多分ガッチリ理論建ててやってるわけじゃなくて疑い続けるのはしんどいなという感じで損得コスト考慮しつつ基本的には信じる方で行くよね。疑いの方は知識と経験による羽生的直観でカバー
https://lgbtq.unc.edu/wp-content/uploads/fluentform/ff-40b9585353bb197190034399ca0ff945-ff-_coinbase-247-availability-guide.pdf
https://lgbtq.unc.edu/wp-content/uploads/fluentform/ff-40b9585353bb197190034399ca0ff945-ff-_coinbase-247-availability-guide.pdf
悪人は遠慮なく粉々にできるから好き、善人を粉々にすれば自分が悪人になる
善良な人間でいられる自分はなんて幸せなんだろうって思う。そしてこの不幸な人を憐れむのはまた違う様な気もする
進化ゲーム理論みたいのでは、攻撃的であるとか裏切り者であるとかは最初は有利なのだが最終的に生き残りやすいとは言えない的なことになりがち。
他人を疑うことと善人であることは両立する
なんかライアーゲーム(実写ドラマ版)のフクナガを思い出した。 / 実際この世はライアーゲームだしね…必勝法はないけど。
非善人は信頼を失う。うまく善をやれない人は、文明社会において無辜の善人と並ぶ弱者だと思う。善性と狡猾さは信頼資本の両輪であり、片方しか持ってない者は苦しみから抜けられない。
騙してくるやつがいなければ頭から信じ込んだ方が効率が良い。自分のことのように信用できればどれだけ話が早いか
まず騙すとか騙されるとかいう概念を持ち出す所には近寄らないのが吉。