姥捨山とか極論だけど、社会の持続性の話はガチ。若者の未来より老人の延命優先してるのは確か
そういう「昔」は、障害を持って産まれてきたとか、単純にもう食わせる余裕がないからとかいう理由で赤子を殺したり、幼子を捨てたりしてたのでは?年寄りの命だけが軽くなるとは思わない方がいいんじゃないかな。
労働力としてカウントするとマイナスになる人を増やして「労働力が足りません」ってのは「そら足りんだろ」としか言いようがないね。(それで外国人入れても先々その人達が要介護になって終了だ)
健康ではなくてもデフォルトで「長生き」し過ぎちゃうようになったのが悲劇な気はするよ。なかなか死なない、死ねないのが不幸を量産してるケースは多々あるやろな
運動しない中高年は重税を課すようにしないともうだめだろこれ。定期的に検査して。要介護者とか生活習慣病になったら資産没収とか / その上で介護はあってよい。現状はモラルハザード
全く同意。というか「金が無い」は寿命を終える健全な理由になっていいと思う。貯金+この人に生きててほしいと血縁者が喜んで金を出す人格者+運くらいでいいよ長寿の条件は…。
少子高齢化社会だと人口ボリュームの多い高齢者が選挙で票持ってるからね。福祉は当然必要だけど、現役世代の票の価値を上げるべきと思う。
昔ってこれだと50年前とか70年前とかのレベルよ?その時代まで戻します?おれはやだなあ。
総論賛成。ただもちろん姥捨山は現実的ではないので、次に国が打てる手は「全世代の医療費自己負担割合を3割にすること」なんだけど、これを言うと選挙に負けるので誰も実行できない悲劇。
年金という生産性(同居かぞくにとって)
高齢者の介護のために未婚男女が疲弊し少子化につながっているという意見は初めて聞いた。介護で疲弊し未婚や子なしを選択した人ってそんなにいるのかな?
介護の根底にあるのは「一人の命を救うために数十人が命をなげうつことも厭わない。その仲間への信頼があるから兵士は戦える」というプライベート・ライアンのような、社会の安定まで包括した経済性じゃないかしら。
医療もワクチンもなかった時代、化学肥料もなかった理想の時代に戻れば良いじゃん。ちょっとした気候の影響で飢餓になり農民町民が大量死した自然に任せる社会。増田にはヤマギシ会がおすすめ
一足飛びに「介護は必要なし」ですか。貧すりゃ鈍するだな。
参政党が「終末期の延命措置医療費の全額自己負担化」、「本人の意思を尊重し、医師の法的リスクを回避するための尊厳死法制を整備」を挙げており増田に合う政策だと思うhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16257472.html
昔は民主主義じゃないからね。北朝鮮とか絶対王政だから出来る話、とはいえ、日本も歳入減少で、極近未来には働けなくなったら死ぬ社会になるよ(後進諸国が貧困故に短命と同じ構造)国が貧しいと仕方ない。
前提が間違ってる。「姥捨山」が実在したかまだ証明されていない。ソースが伝承なら河童や天狗と変わらんよ。昔を手本とするなら子育てはせいぜい1桁まで、後は労働力扱い。貧しい家は売ったり殺したりしてたんだよ
働けなくなったら死ねっていうのは、要するに優生思想だけど、その辺増田は大丈夫?常に社会から必要とされる一級市民でいられる?難しいものは無理だろうから、名探偵じゃない方のコナンや銀英伝を観るといいよ。
介護の現場知ってる?分かったよ、若い人の為に死にますなんて人はおらんからね。自分でトイレ食事すら出来ない人も、日々何か小さな楽しみ見つけて生きてるよ。結局お前が死んでもいい人選んで殺すんだ、出来るか?
姥捨山って昔話上のフィクションのはずなので、それをベースに社会のあり方を議論するのはやめよう。
こういうの言う人に限って『じゃあこの虫歯、麻酔なしで処置しますね』とか言えば断固拒否しそう
“だけど働けなくなったら「姥捨山」に置かれる”増田の家の伝統文化を日本の伝統みたいに言うな(´・_・`)
老人介護のために子供諦めて少子化なわけじゃないでしょ。60歳になった増田が全然違うこと言ってるのは想像に難くない。
頭の中でこねすぎて空虚な気がするぞ。必要とされているのは介護とかいう抽象概念でなく目の前の親や夫や妻という人間でしょう(見捨てたら寝覚が悪いという意味含め)
障がい者には紛れもなく公的な介護支援が必要で、それまでの家庭内介護は核家族化した日本では到底無理。ただ働ける高齢者には働き続けて貰う事が双方の幸せというパターンもあるのは事実。
なら、認知症にでもなった自分の親を姥捨山に置いてこればいいんじゃないのですかね。また、自身が将来姥捨山に置いてかれる覚悟はある?
考えが浅すぎる人に考えさせるとこういう結論になる、の見本だ
デンデラみたいに武装蜂起ババアが反乱仕掛けてくんじゃねえの。90歳以上の寝たきり延命治療とか身内見てて思うところあるけど
高齢期は完全に自立しろ、社会に頼るなというなら、現役世代は現在以上に極限まで消費を抑制して高齢期に備えた貯蓄に励むことになりそう 最近の外国人労働者不要論もそうだけど果たして日本経済はどうなることやら
やはり一定年齢以上になったら本人が設定した日付で安楽死を希望できるようにしたい。子がいない人も多いので。
その考えを突き詰めていくと、どちらかというと介護は結果であり、長寿やそれを実現する予防医学や高度な治療が良くないとなりそうな予感。そちらの予算が削られると若年者もたまらんよ。
中高年は仕事がないから介護職を選ぶ人も居るし雇用機会でもあるよなぁ。デンデラ野は捨てられても簡単に死なないから老人達が自給自足で暮らしたらしいが、少子高齢化で拡張デンデラ野状態になるだけだよ。
親子の情愛みたいなのを無視することができれば、そうなるかも。育てられない子供は捨て子に、年寄りは山に捨てる。弱肉強食
逆だ。医療や介護は社会の持続性を支えているんだよ。もう一回、ちゃんと社会保障論でも学んできたらいいよ。/「昔の人は「役目を終えたら自然に還る」ことを当然だと受け止めていた」まあ、現代的な価値観だこと。
それを認めたら、若くても病気したり怪我しただけで捨てられますよ
昔は介護なんかしていなかったという前提がすでに間違っていて、縄文時代の遺骨から介護の跡が見つかっているんだわ。
まずは「姥捨山」について、調べてみてはどうだろうか。
今より経済規模が遥かに小さい時代の行動原理採用ってひたすら後ろ向きの敗北主義か無茶な懐古主義に過ぎないんだけど、本人は健全な道筋だと思ってるんだよな。自殺か他殺願望で尊厳死や安楽死を語るの一種
必要ない。自力で生きられなくなったらそれが寿命。それでもほしければひと財産必要くらいが適正。そのくらい介護は高級品という認識が必要。
まぁ若者が付きっきりで世話をするなんてごく一部の貴族の特権だったはずだとは思う。やることが近代化してない割に安価すぎるよね
「本来、服って必要ないんじゃ無いかと思う。昔は人間も裸だった」「本来、料理って必要ないんじゃ無いかと思う、昔は全部生で食ってた」まぁ、文明の否定だよな。
既に子供への指摘が出てるが、成人も病気や怪我で介護が必要になる場合が有るのを忘れていないか。胃瘻の是非なら分かるが一足跳びに過ぎる。
老人は知識の保管庫なので、普通に大事にされていたけどね。今と違ってデータは全て脳みその中にしかないから知識は貴重だった。釣り乙。
姥捨山を読んでないだろ?年寄りは集団のデータストレージとして機能するんだよ。その役目も果たせなくなったら…
日本社会の持続可能性について、かな
まず「人間には生と死しかない」という二元論があって、だから「働けないなら⚪︎ね」「介護なんていらない」という発想が生まれる。ほとんどの人は少しずつ衰えていき、連続性のある中で命を閉じていくんだよ。
この主張するということは、加齢じゃなくても心身の不調で自分が働けなくなった瞬間に人生に幕を引く覚悟がある増田なんだね。すごいな
貧鈍やね
ヴァイキング「男たるもの元気なうちに戦争行ってヴァルハラに行くのが当然。老後を迎えるは恥でごわす」
子供とその親の世代より、老人の方がお金を持ってる人が多いから、お金のある顧客がいる業界が盛り上がり、リソースが割かれているというのもあるんじゃないかな
なにかを知るきっかけになるといいけど、書き捨てなら寂しいなぁ...憲法とか尊厳死に関しての議論とか見てほしい
生存を保証しないなら国家なんて要らないからそうなったら転覆させるだけですわ だから誰も軽視してはいけないし極論に傾倒して考えることをやめたらいけないんですね
それ言ったら昔は10代から働きに出るのが当たり前だったし、それで家族全体を支える手伝いをするのが当たり前だったよ。古典落語には親の介護する話あるしな。姥捨山は異常な殿様命令が解除される物語だしな。
昔は匿名で好き勝手言ってたら罰せられたかもしれませんよ。現代の社会構造の問題を考えるのに解決策を模索しようともせず、全く異なる時代を持ち出して極論を奏でるのは恥ずかしいですよ。
ぶっちゃけ人権における「生存権」を一番重く見てるのって日本で、欧米ではろくに医療や介護を受けられなくて死んでも人間の差別による被害が無ければフルスペックの人権!みたいなところがあるよな。理解しがたい。
「終末期医療は無駄だ」論との相似系ですね。社会リソース負担の意義を問う姿勢は理解できるものですが、「終末期医療」と同じくどこからが「終末期介護」か線引きするのは容易ではないんですよね
子持ち様がマウントをとるとき孤独だの子孫だのと御託を並べるけど子持ち様も最期は子供に捨てられる。やはり独身が最適解だよね。まだ子育てで消耗しているの?
病院経営が限界という状況だから、大病になって、お金無かったら治療受けにくくなるし、交通事故に遭って緊急手術も受けられない。出産時の妊婦も新生児も同様。全員が高度な医療、介護受けられなくなる。
生きてれば年金が出るから寝たきり大黒柱として生かされているというのはなかなか切ない。年金>医療費ならばそれは合理的なのでやはり医療費3割負担と低収入世帯の高額療養費バー上げたほうが良いのでは
中学生くらいまでに妄想で考えておくべき内容。大抵の人は考えたことがあるけど、クソみたいな世界線が予見されて却下案件となる。
増田が『本来』と前置きしている意味を考えるべき。彼は介護自体を批判してるのではなく、それに偏重しすぎると社会が破綻すると警鐘を鳴らしているのだ。真実は大抵両極の論の間にあって、増田はそれを言っている
姥捨山が一般的という理解が今は当たり前なの?昔は家族でみてたってこと。それを社会が支えてくれるようになった。子育ても、障害者福祉もそう。医療保険もそう。なくなったら全て自分で親子供を支えないと
まず民間伝承にすぎない姥捨がまるで一般的に行われていた史実だったみたいな勘違いを改めようか。架空の「昔はこうだった」を前提にした議論なんか意味ない。
そこで安楽死ですよ、おうちに帰るところまでが遠足のように息の根止まるところまでが人生なので最後までをきちんと計画したいです。計画した上でできるだけ長生きしたいなら結構なことですがそうでない人もいるので
姥捨山、広くほんとうの話でした?
そもそも姨捨山って実際に行われていたのか怪しい民話の世界にしか無いものでしょ
そもそも姥捨山みたいな事が一般的だったのか?原始人みたいな生活しようみたいな話しでもないみたいだし、こんなんでアホ釣るのやめてほしいわ
id:fugofugo 未婚男女を疲弊させ少子化に繋げているのは、明らかに介護じゃなくて子育て支援だね。
姥捨山や介護がいらないというのは同意しづらいところはあるが、介護士の給料を見ればそれが価値ある仕事なのか一目瞭然ですね
増田の意見には同意できないが、自分たちの世代が割を食っているという感情があることは理解できる。それは年金等社会保障の先行き不安などが主であり、国の施策の失敗だと思う。
国費で姥捨て山を作ればよい。誰でも入れる介護老人ホームって名前でな
「子育ては娯楽」もそうだけど、こういう意見を持ちながら親が介護が必要になって実際にしてみたり、子育てを主体的にしてみるといいよ。また教えてね。
昔は命が軽かっただけ。現代は命の重みが無限に大きくなっていく。でもこの動きは当分変わりそうにない
ネアンデルタール人も介護をしていたらしき痕跡があるらしい
ていうか、姥捨山の実在自体が様々な研究者から疑問視されてるけどね。こういう、実在したかも怪しい風習を使って倫理を説くのは「江戸しぐさ」と同じだよ
何も現実を見てない意見だな。姥捨山が正しいなら現在まで残ってるはずだよ。親が自分が子供が介護が必要になったときに同じ事言えるかな
私も本来、はてなブックマークとか必要ないんじゃないかと思う。ブコメに疲弊して子供を産み育てる余力を失う。
今の時代らしい極右思考が極まった感じ。ぜひ、自助共助公助の前者一つのみで生活してほしい。生産性が無くなったら捨てられる社会だと知って生きる子供は、未来に希望が持てない。
“「生きる権利があるのは当然」って話と、「どこまで社会のリソースを割くのか」って話は、本当は分けて議論されるべきだ” 精神障害者、震えている(リソース割かせてる側)
でも、自分がそんな年齢に近付いたら「もっと年寄りを労れ、殺す気か」と言うんでしょう?…/ただ『未来に残る子供の世話より、先の短い老人の世話を優先してしまう社会』この点は同意。バランスが明らかにおかしい
「高齢者も3割負担して、病院を溜まり場にしたり薬貯蓄をやめさせろ」と「働けなくなったら死ね」は延長線上にはあるけど、間に断崖絶壁あるやろ…/でもワンチャン氷河期はそこまで行かされる可能性…と思っていたり
自分の父母にも同じ調子で接することができるのだろうか。(機能不全家庭育ちとかならできるなと思いながら書いてるが)
ネアンデルタール人ですら、高齢で働けない家族を介護し、死後も丁重に弔った。同胞を平気で見捨てるなど、現生人類として恥ずかしくないのか。https://www.afpbb.com/articles/-/3005247?cx_amp=all&act=all
自分の親を看取っただけの範囲で観測したのは、医療で無理に寿命を延ばしたり寝たきりになったあと長らく生きたりはなかった。今の介護施設では自然に死を迎える看取り看護をしてくれるところも増えてる
自分がその立場になったら【◯にたくない!!】って言う人の典型的な文章だな。外野だから言えるんだよ。
介護労働のまず50%、次に67%が非人間(ロボットです。非人-間ではないよ)で賄われる世の中が、早く実現してほしいよね。
60、70過ぎて自ら山に捨てられに行った者だけが言えることだろ
“子育てが娯楽だって言われてるけど” ここも分からぬ/まぁ増田で電波発信する人は今に始まった事ではないが、どうも少子化に関しては特に、病院行ったほうがよい感じの被害妄想とデマまみれの人見かけるよね…
介護で家族に迷惑をかけたくないのはたしかにあるし言いたいこともわかる。ただ「役目を終えた」と判断するのは自分がしたいな。誰かが決めると老人だけじゃなくて障害者や弱者まで巻き込まれそう
素晴らしい。自力で通院できなくなったら寿命だと親に言っておくんだぞ。
ただのヘイトスピーチ。差別煽動。
介護より医療の発達の方が問題。いまは超高齢者が病気になっても「治せて」しまう。金をかければ「植物状態でも生かす」ことはかなりできてしまうが、それが幸せなのか、どこまで行うべきか難しい。
「昔」なんて関係ない。現在の年金介護システムは猛烈に働いて生き残った人たちが楽に老後を過ごせる事を目標に設計された。ただそれだけ
こういうの、中学くらいまでに卒業しておかないと恥ずかしいよ
安楽死なら死にたいって人いっぱいいると思う…。私も。体が不自由な状態で長生きするのは老人にとっても本意じゃないだろう
介護って動けない人の介助ばっかりじゃないんですよ……ようやっと動けて認知症の人がコンロを間違えて使ったり道路にフラフラ出て轢かれそうになったりするとね……我々が大変なんですよ……
そんな話するなら基本的人権も言論の自由も労働基準法も必要ないよ。
では貴方自身が働けなくなった時に率先して死んで主張して見せてくれないとね。
氷河期世代だけど、自分達が高齢者になった瞬間にそうなると思ってる。年金は大してあてに出来ないし、一生働かされる覚悟だけはしてる。20年後そうなるなら今の団塊世代から始めないと手遅れになるよな
日本を海外のような浮浪者の溢れる世界にしたい増田。/現状ですら介護離職で人生を棒に振る人が年間7万人以上、介護しながら働く人が365万人ほどいる。国が介護保険料を徴収しながら責任を果たしてないのは事実。
今の視点で昔の話したらそれこそ子供の面倒だって大してみてなかったやろ
増田が「増田さんは社会に不要だと判定されたので明日から山へ行ってください」と言われたとき「はい。みんなのために行ってきます!」って応えられるか「なんで、俺が!?」って思うか考えみて。
歴史的にも正しくない自分勝手な思い込みをファクトみたいに語る人はろくでもないし、それに賛成同意だの言ってるやつはさらにどうしようもない
介護はしていたけど、医療がそこまで発達してないし点滴も無いから、寿命で本来死ぬはずのところを何年も延命しちゃうなんてことは無かったというところが落とし所よな
ナラティブではなくデータで判断しないと方向性を見誤る
こういう書き方をするから反発される。「人間まともに動けるうちが『生きてる』という実感がわくものであってまともに体が動かず他人に世話されないと生きていけないのはつらい。私は介護を拒否する」と書けばよい。
介護される側に回ったときに同じことが言えるか
そんなこと言っていても自分の親が倒れたらどこの子供も親の延命を望むもの…。
はあ
最適解は介護を個の責任から公の責任にすること。スケールメリットで効率化になる。物理的にも精神的にもよい。だが自己責任論者や減税カルトのような、目先しか見えない連中が邪魔をする。
高福祉社会と思われてる北欧では寝たきり老人はいないデータもあるし、日本の医療がやりすぎな面はあると思う。消化できない人間に胃ろうとかしないそうだし。
介護士です。自分の事も子供の事も判らなくなって、食事も排泄もお風呂も他人の世話にならないといけなくなっても、そのステージまで込みで「その人の人生」という考え方もあると思います。現場からは以上です。
当事者じゃないから言える。自分の親が老いて介護が必要になったから捨てますなんて言える人がどれだけいるか。見捨てられない当事者の集合が今。
どこで線引きをするかは難しいけど、自分としては、高齢、意識がない、自発的に食事を摂れない、とかになった後の延命は自費か3割負担か年金天引きか、少なくとも収支がプラスにはならないようにしていいと思う。
介護が不要は言い過ぎだが、何にリソースを割くかの議論は必要。が、多数決で決まる今の選挙制度ではなかなか現実にはならない。高齢者でも次世代を育てたいと言う人は多いが、医療費1割負担がなくなることはない。
「昔」の解像度が低すぎる。
昔は家で介護してたのが核家族化が進んで地域や民間がやるようになっただけ。言ったからにはお前は絶対使うなよ。のたれ死ね。
増田の言うことはいちいち御尤もで、同じく昔は口減らしが平然と行われていたのだから、増田も今からでもどこかに売り飛ばされるか間引くかされるべきだよね……ってことになるけど良いのかな?
本来、増田って必要ないんじゃないかと思う。昔はぼっちは村八分、必要なければ追放して終了してたんだしってなるから、昔理論はやめた方がいいよ
昔は必要なかったで片付けると色んな物が必要なくなり便利。
介護で日本衰退とは思わないが健康寿命超えて生き続ける現状は疑問.ただ自己決定ができず認知症になるケースが多い.結局家族が決定者になり胃瘻造設などする.心情として無処置は難しい./ただし本人の延命希望は重要.
ちと極論が過ぎるとは思う。が、巷が親子の情を金蔓として見過ぎな気もしてる。緩やかに(消極的に)お別れに向かえる仕組みが個人的にはほしい。
余裕がある家庭だけ介護しているだけ。99%は捨て置かれて孤独死してるから。さすがに世間知らなさすぎでは?毎日毎日どれだけ都内の木造アパートで死んでると思ってるの?既に姥捨山は存在している。
他人事ならいくらでも冷酷なことをいえるが、その未来は自分自身の現在と地続きやねん
ミッドサマーの村から出てきた増田
深夜コンビニと同じやつ?君達は今自分が必要ないものを不要と言ってる自己中なんよ/
個人的には"昔は年寄りだって働けるうちは畑に出て、家事をして"が重要だと思っていて、この問題は職住分離とそれに伴って発生した「引退」を無くさなければいけない。平均寿命-健康寿命は大きく伸びていない。
全く同意しないが、日本は長寿や超難病ケアに超コストかけ過ぎ(「王の病室」)だ削れ、とは思ってる。ちなみに高等教育無償化の前に大学にもっと予算回せとも思ってる。ゼロか百かじゃなく、要はバランス
介護したくない気持ちは分かるけど、その正当化のために一般化を目指すのは止めて欲しい
私もそう思う
姥捨て山は古すぎだし、田舎すぎじゃねw 昔は55歳定年で、65歳くらいには死んだから、問題が起きなかったってだけじゃねw
「本来」っていうなら狩猟採集まで遡らなきゃ。「生産性」なんて概念が出てくるのは農耕社会になってから(余剰生産が傾斜配分されるようになってから)
人間が社会的動物である以上give&take,お陰様等多様な形での相互支援は前提/支援の範囲はその社会の価値観によるが増田の例は余裕がない状況の話/増田1人の感覚で必要ないと言い切ってしまう安直さに乗る気はない
社会保険料負担重いのはわかるんだけど、こういう切り捨てるような言い方する人間って、肉親の情を受けずに育ったのかな。
それ言ったら子供も体の弱い子は死んでたからそういう子に対する福祉も必要ないってことになるが つーか福祉の概念自体が放棄される それはアンタも俺らも対象になるやつな 薬も買えなくて死ぬぞ?
総論で言えばそうかもしれない。でも今まさに介護を考える時期な人からすると「単なる無責任」論に過ぎない。今は大した医療もせず、責任逃れしかしない医者がテキトーに見て、最低限の医療/介護してない現状がある
老人を排除した次のターゲット:障害者、長期療養者、平均以下の能力の労働者
遅かれ早かれ、社会保障は一人で複数人の高齢者を支えなければならなくなるが、そうなっても「文明の否定」みたいなことを庶民が言っていられるかは興味がある。
ネアンデルタール人や縄文人の遺骨には、負傷した老人が介護されていた形跡が認められるという。1万年単位で文明を後退させたいのなら、まずは増田が、完全自給自足生活を試みるべきでは?
本人はそれでよくても、あなたは世話になった両親がまだ生きていける可能性があるのに、余裕ないからゆるやかに死んでっていえるかどうかって話ですよ、普通は無理
姥捨て山があった時代と比較してもだな
それが嫌だっていう年寄りに全部任せた若い奴らが悪いってことよ。俺等が負けたんや
姥捨山って名前がついてるレベルには一般的ではなかった可能性もそれなりにあるし本気で姥を捨ててたのは稀だろ。医療の発達を否定するなら、個人の自由だが私は賛同しないね。若いやつもガンガン死ねって話かどうか
「縄文時代の遺骨から介護の跡が見つかっている」ってこの手の話でよー出てくるけど、社会全体が傾きかけるほどのリソースは注ぎ込んでなかったはずだし、このまま介護にリソースに注ぎ込むのヤバいんじゃない?
今は自分が介護する世代だからこういうのが流行るけど、20年後自分が介護される立場になったら絶対違うこと言ってるよ。氷河期世代が当時は自己責任自己責任言ってたけど今は被害者面してるのと同じ
今昔という比較だけでなく、日本と海外を比較してみても現代日本が異常であることがわかると思う。
医療費総3割負担が効果ある(そして自分にはダメージがない)と思ってる連中に笑っちゃうよね。効果あるのは全世代全額負担一択です
姥捨て山がどこまで本当なのか一般的だったのか疑問ではあるが
要介護の老人、高齢者、身体障がい者、発達障がい者など弱者を切り捨てくうちにいつか自分の首にも鎌をかけることになるんじゃないかな。貧するのは悲しい。
こんな風に素朴ぽく書けば無罪になるのか知らんけど、植松思想の萌芽でもあるわな。/ 医療も介護も経済的に付加価値を発生させてるビジネスであるはずだが、家庭内自助で疲弊するやつを想像してるのかね
昔にしても現実的に出来るだけのことをした結果だしそれ以上のことは出来なかった。現在は現実的な範囲で出来ることが増えてしまい要求レベルが高くなった。現在でも無理なく出来る範囲で良いのではないかと思う。
ナチスかな
我々人間は、個々の力は弱いですが高齢者や赤ちゃんの世話を群れで行うことで、その命脈を保ってきました。年老いても群れの中に居られる、ということが若いメンバーの安心に繋がっていたのでしょう。
批判的なブコメ多いけど、増田は昔のやり方に戻せと言ってるわけじゃなくて、高齢者>子どもとなるのがおかしいんじゃないか、優先順位を考える議論がもっとあったほうがいいってことを言いたいんじゃない?
まず「そういう話を聞いたことがある」を「昔はみんなそうだった」にすり替えるのをやめろ。話はそれからだ
介護はロボットにお願いしたいな。
小学生の妄想って感じの文章。文明を捨てて自然に回帰しても弱肉強食になっていくだけの話としか思えない。適度な発展なんてものは各個人が勝手に想像するだけで正解はない。
本来、増田って必要ないんじゃないかと思う。
ロボット介護はよ。あと、パワースーツも頼む。
イチかゼロかではなく程度の問題。家族が年金を貰うためだけに無理やり生かされてるような介護・医療までは必要ないだろう。
まだ共感されにくい話だと思う。人口ピラミッド https://dashboard.e-stat.go.jp/pyramidGraph?screenCode=00570®ionCode=00000&pyramidAreaType=2 で団塊が消え団塊Jrの孤独死が目立つようになったら議論が本格化しそう
『働けなくなったら「姥捨山」に置かれる。』姥捨山はマリー・アントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」みたいなものだから、史実として扱うのは危ういよ。https://youtu.be/ywI3KHuGP3U?t=653
移民いらないコンビニ減らせ増田の新作かな。
「ここはすべての夜明けまえ」の世界では安楽死が認められてて、人生に疲れて60歳で自ら死を選ぶシーンがあり、少しうらやましいなと思った
わかるんだけど社会に余裕があると面倒見れるんだよな。というか関心なくてもどこかで誰かがそうしてる。余裕がなくなるとこうなる。
言い方を過激にしたいだけの増田だ
確かに。昔は地球上に人間なんて存在してなかったから人間なんて滅びたほうが良いよね。昔は良かったよね。分かる〜
介護職としてお答えします/まず医療で寿命をは間違いです/出涸らしみたいな老人、これは高齢者に対する差別的意識ですね、優生思想です。高齢者とは一人の人間なのです/現役世代が介護に疲弊しも間違い
若い人なのか、自分の親を捨て置く覚悟がある人かどちらだろう。人ってそんなポックリ死ねないんですよ。膝が悪くて買い物に行けない年寄りはジワジワ餓死しろと?
「役目を終えたら自然に還る」とかいう話じゃなく、昔は食わせたくても食わせられんかったいう現実的な話でしょ。一方で口減らしは赤子にも向けられてたわけで。棄老は嬰児殺しとセットになってる。
実際には姥捨てされる前に病気か枯れて死ぬ人の方が多かったんじゃないかなー。介護の期間はそれほど長くなかっただろう
介護保険の公費投入やめるべきだろう。1割負担だけで介護に関連する商品を格安で老人が買えるのも異常だ
姥捨山が一般的だったとかいうトンチキで論を立てるなよ
介護は贅沢品だったのかもしれないが、雨漏りしない屋根も毎日三食風呂入れることも病気になったら薬もらったり療養したりすることも全部贅沢だったわけで
道長あたりは厚い介護で延命した。 平安時代の大貴族より現代日本人は格段にいい生活してるが、そんな生活は大多数の人には必要ないと言いたいの?
「老後は自分で何とかしてね」だと、金を貯め込みがちな日本人が老後に向けてさらに金を貯めがちになって経済に悪い。という反論はできるが、まあ介護の補助金は減らされるだろうね。
こういうひとはマイナカードに自分で身の回りのことができなくなったら姥捨山で捨ててくださいってすでに記載してほしい。そして動けない判定即連れて行ってほしい。そうしたら介護問題も少し軽減される。
増田さんが、おじいちゃんかおばあさんになってから、もしも同じこと言えるなら、ご自身でそっと処理されたらいいんちゃいますか?
みんな大好きスウェーデンは年寄の終末医療は自費だよね 自分で食べれなくなったら胃瘻で生かされるとかはありえない コロナの時も老人は放置された、もちろん訴えもあったが完全無視 スタンスがはっきりしてる
今の福祉制度の護持を主張する人たちが『30〜40年後の福祉制度』には特に言及せず言葉を濁すので、現役側の「俺たちの頃にはどうせ崩壊してて旨みが無い」という悲観的予測を補強して、かえって分断を広げよるんよな
ふと思ったが、姥捨山と言うくらいだから昔から女性の方が長生きだったんだろうね。
昔は、若くて元気のあるやつは、外国に送られて、若くして兵士として死んでいったんだよ。この増田も、徴兵して、前線に送ってやろう。/ 昔の年寄りは姥捨て山に送られたんじゃない。65歳で病死した。
身近に介護が必要な高齢者がいないんだろうか… 増田みたいな意見は極端な机上の空論だとわかりそうなものだけど。こういう「そもそも論」って社会をよくしないよね。社会性ない。
ちょっと待ってくれ。姥捨山は非常時の手段であって、通常時に用いるものではないぞ。何か大きな勘違いをしていないか。こういう認識の人がいるから安楽死の議論が炎上するんだよ。
高齢者以外でもあらゆる属性に対して「捨てる」理由は繕える。それは別に通例的弱者側の属性のみならず強者側の属性に対しても何らかのリソースを占めていること等を理由に繕える。貴方の属性が対象にもなりうるぞ
高福祉国家の北欧だと既にそういう考えになってますよ。高齢者にとっては日本の方が遥かに高福祉。
藤子・F・不二雄の漫画でこういうのあったね
むむ、難しいこと言ってるにゃ。でも、ボクにご飯くれる人が大変なのはイヤにゃ!みんなでゴロゴロ、平和に暮らしたいにゃ〜🐾
やまゆりの人か?昔にしたって全員が全員捨ててたわけじゃなかろうよ。知らんけど。
選挙権の年齢上限を設けよう(論理飛躍)
姥捨山は「働けなくなった年寄りには知恵がある」という民話で、要は「人生に無駄などない」って話なんだが、増田の人生はこの瞬間にも無駄の極みを体言してそうだな。
同意。現役世代からがっつり社会保険料強制徴収までしてやることではない。やりたい人、自分で備えた人の特権で良くて、一定年齢で延命はせず緩和ケアのみで自然のままにが良い。
古来から生類保護政策は山とあるし、介護保険法第一条にある「尊厳の保持」「国民の保健」への考慮を薦めるし、サブカル的にはそんな発想のディストピアなんて『世にも奇妙な物語』筆頭に積み上がってて今更なのよ。
介護って年寄りだけが受けるものではないし、医療費の多くは現役世代の抗がん剤などなんだけど。
姨捨山ってのは仏教といっしょに伝わってきたインドの民話で日本にそういう風習があったという事実はないんだけどな
とりあえず80歳以上への胃瘻は禁止すべきだと思います。
別に老人を現役が介護するパターンだけじゃないからね。育ちきったのにずっと子供部屋にいる子供とは言えない中年の身の回りの世話をし続けるのも介護の亜種では。
老後の隠居期間は10年までとか上限決めればいいと思う。長く働いて長生きすることもできるし早めに引退して死んでもいい。日本の一人あたりGDPはOECD20位くらいだから平均寿命もそのくらいまで下げたほうがいい。
コロナの時、老人にECMOを使用するのは当たり前みたいなのは日本ぐらいだったんかね?福祉先進国北欧とかのECMO利用状況はどうだったんかね。調べてみようかね。 https://share.google/f5UdsT2IUEtuoiI6J
姥捨山が実在したのかは諸説あるが、言いたいことはわかる。どう生きるかと同じだけどう死ぬか選ぶ権利もあるべきで、人間らしい生き方から降りる時に安楽死は必要だと思ってるよ。
姥捨山のくだりは一部の貧困な地方限定のもの。一般的には長男の嫁を迎えて10年ほどで舅・姑は寿命を迎えていた。なので介護問題はおろか嫁姑問題も深刻ではなかった。
老いて一人では動けなくなった人間を生きながらえさせるとか尊厳を無視した拷問。本当にやめてほしい。
「介護そのもの」と介護保険制度を分けて考えたらいいんじゃないかな。制度を作った当時の老人が金銭負担しなかった点が甘い制度設計につながり、世代間の負担受益の不平等さとしてあらわれている。
お前も歳を取る。どんな金持ちでも、貧乏でも最後は似たり寄ったりだ。その時にバタバタするなよ。
なぜ殺人が重い罪になるかと言えば、生きている人間をむざむざ死なすのは人間社会全体の治安がごっつう悪くなって治安が悪くなると少子化(少産化)になって人類滅亡なのよ。
こういうマッチョなことを言う人は「あなたは社会のお荷物なので自殺してください」と言われて即死ぬ覚悟があるのかな。5秒後に車が突っ込んできて寝たきりになる可能性もあるんだけどね
労働をやめてからが長すぎる。で、結局70とかまで働く世の中になってしまったんだろ。そりゃ生産性落ちるって。長生きしたって楽しみなんてないよ。
君より弱くてむしり取っても安全なのが介護を受け体力もない人間で、それを正当化する言い訳に育児しか思いつかないってことだよ
昔の日本に「捨て子」「間引き」は実在したが「姥捨山」は存在しなかった。子供を捨てて年寄りが生き延びたのが史実。
中高生がロジック・理想論で考えるとこうなるのも仕方ない。でも、身内とか自分とかが当事者になって初めて理屈からこぼれてるものに気づく。難しいね
姥捨山が本当にあったみたいに言うけど、実際は口減らしで老人に限らず子供だって間引かれてたわけです。働けない人や無能は死ね、そういう世界をお望みで?
運命とか寿命というなら年齢関係無く”病気”や"怪我”を医療で治療する必要性も無くなるよ?若くても病気や怪我をした時点で運命で治療=延命だよね。なぜ年寄りだけターゲットにできると思うのだろう。
理想を目指すには不断の努力が必要なわけで、自己責任論にも言えるけど、不断の努力で築いてきた高度な文明社会を維持する事をやめるのは、理想を諦める怠惰的言動でもあるよねと思う
自分が捨てられる立場になったら、って考えたことある?それでも全く抵抗ないならいわゆる「使い捨てられる」人生だね。老後の楽しみまで取り上げられたら、なんのために生きてんだかわかんないや
自分が社会に必要な人間かというと自信ないな。
例えば「80歳で安楽死」って社会になったと想像すると、どちらかと言えばマイナスなことの方が多そうな気がする。まずは犯罪が増えそう。
漢書于定国伝に寡婦が姑に孝養を尽くすが、姑は他に娶ってもらうために「どうしてまだ若い嫁を患わせて良いものか」とて自殺した話がある。ここまでではないが、長寿や技術の進歩の先の得失も見なければならない。
一生懸命働いてきて、税金も年金も収めてきて、子供も二人育て上げて、その子どもたちに介護は面倒、と言われたら迷惑かけたくないから安楽死したいよ。
「おとっつぁん、おかゆができたわよ」がいつからあると思ってるんだろ。昔っから家族一人を犠牲にして介護はあったのよ。今は家族一人を犠牲にできなくなったので介護がある
姥捨山は老人を大切にし孝行を説く伝承。残酷物語じゃないのよ。
まったくの目論見違い。福祉は「社会」なるものが万全で自分も守られるから大丈夫だ!という幻想を保持するために絶対必要な演出装置なのよ。仮に姥捨山ができたとして、そんな社会で健全に働ける自信はあるかい?
ああ、でも金持ちとか権力者が臓器移植とかバンバンやって長生き目指すのは文句言わないんだよね?
本来とは
やはり安楽死は日本を救う。
日本の場合は医療による延命のしわ寄せが介護の疲弊に繋がっている側面があるので本来見直すのは医療の方だと思う
ここまでの極論は受け入れられないし文明の否定だと思うけど、年寄に優しくしすぎて国が莫大な借金を背負い現役世代に多大な負担を押し付けてまで社会保障費を湯水のごとく使うような今の制度は行き過ぎてると思う。
昔は〜ていうけど、今でも他国では年取って動けなくなった人はそこでオシマイて価値観は割とある。途上国とかはそうならざるを得ないし
歪みはないだろう。リソースの制約があるだけで。リソースの制約が存在することが「間違ってる」んだよ
禿同だけど年寄り集落のはてブでは刺さらないという悲劇
具体的な事は何一つ記されず、日記はここで途絶えている…
そう言っている君自身は、自分が歩けなくなったが会話とか食事を自分で取るのは問題無い、という状態になった時に姥捨山に捨てられる事を許容できるのか
老人Zの介護ベッドみたいなの作って人間の割り当てを減らそうならまだしも、死ねというのは国の制度として通すのは無理だと思うがね。
まあ、金か健康かどっちか無くなったらすっぱり死にたいなとは思ってる。とはいえ、それを他人に強制したいとは思わんなあ
残念ながらそれは君がその歳になってから主張せんと説得力がないのよね。たとえば君の祖父母、両親を説得するところから始めてみては
姥捨山なんていつの風習をいっているのやら。映画楢山節考(昭和58年)でさえ相当の寒村の奇習なイメージだった。姥捨山を当然のこととしてとらえてはいけないと思う。
単純に年寄りが多すぎてリソースが足りないが、本来必要かどうかでいうと、社会の安定化のために必要だと思う。不用になったら捨てられる社会では現役世代も安心して働けませんよ。
とりあえず、今話題はケアプランが有料になりそう…ってことかな🤔。いままでは全て無料でケアマネージャーが作る計画は、保険で賄ってきたけども難しくなってきたとかなんとか…
これには賛同しかねるけど、リソースの配分を決める選挙において18歳未満の人間に選挙権がない事に違和感がずっとある。そりゃ少子高齢化まっしぐらだわ。
「役立たずは殺せばいいだろ」を長たらしく言うとこうなる。
いやもうこれトロッコ問題なんだから理想論だけ言ってる場合じゃないよ、何かを犠牲にしないともう成り立たない
緩やかに変わればそれを強制されたものとは気づかないもので。
その発想は「役に立たないやつから殺せ」という形に容易に変じるので大反対しておく。老人を殺せになり障害者を殺せになりニートを殺せ、生産性が薄いやつは殺せと自分が吊るされるまでエスカレートする。
お前は将来姥捨山行きって言われて真面目に働く馬鹿がどこにいるんだよ、こんなの犯罪者だらけになる未来しかないだろ
出羽守が憧れる北欧は高齢者は淘汰されるべき方針らしいし日本も追随するべきだ。老人を減らしていこう。社会のリソースに限界があることはみんな念頭に置いてあるはず
長寿化に貢献したのは医療じゃなくて圧倒的に衛生環境の改善なんだわ。なので前提が間違い。
誤った事実を基礎に捏ね上げたロジックなど砂上の楼閣に過ぎない。そしてそんな粗雑な話に安易に賛同する人間の浅はかさ。自分の親を介護した後,自分で読み直すといい。いかに自分が愚かだったかわかるだろう。
21エモンに出てくる医療が発展しすぎて死ねなくなった星の人が人生に飽きたら0次元に入って消滅する話を思い出した
「本来」っていいだしたら、人間はクマに喰われ放題の生き物だったんだけどな。
トップコメが言いたいこと全て言っていた。そもそも昔は人権が文字通り無かった。江戸時代の乳幼児を除いた平均寿命は60程度で今なら定年前なんだよね
その発想の行き着く先がナチスだったと人類は学んだはずと思っていたが。その角度で社会を見てしまうと、障害者、言語が違う人々へと容易に対象は広がってしまう。だから困難だが福祉を否定せずに解を見つける道を。
寝たきりとか家族の事もわからない痴呆症とか植物状態とかの人を生かし続ける意味は正直わからない。回復の見込みがあるわけでもないんでしょ。個人の財産で勝手にやる分には自由だけど。
若いから……
弱者をゴミ箱に捨てるのが正しい社会ってか。いかにもいじめが国技の日本人らしい発想で反吐が出る
とりあえずこういう考えの人から、介護を受ける権利を剥奪することから始めるといいんじゃないかな。希望通り現役世代のリソースが少し節約できるし。
どこまでの介護をするかの線引きは家庭ごとにあると思うから、必ずしも命の軽視とは言い切れないというか。誰も彼もがMAXレベルのコッテリ延命治療+コッテリ介護を求められるわけでもないし。
ボケたけどピンピンしてる人とか、自分が若くして事故で要介護になったらどうするのか。増田の理論でいくと姥捨山とか安楽死とかないと無理なのではないか
寝たきりとで、点滴と胃瘻で命をつないでも、意識ははっきりしていて思考力も正常な人も多いんだよ。
介護に比べて育児は公的リソースに頼りにくいというのはあるかも。要介護になるとケアマネが個別のプランを立ててくれたりするけど、新生児なんて全員要介護状態だけどそこまで手厚くないもんな
昔は3世代同居が当たり前で介護や子育てを分担していた。『本来』というなら核家族をやめて、昔みたいな同居が当たり前に戻さないといけない。それができない社会状況だから比べる意味がない。
姥捨山が実在してたと思ってる奴は、「姥捨山」で1回ググった方がいいぞ
そこまで合理化が”進んだ”社会においては、発達障害も病者も赤子も障害者も、同じように人権を失うだろうね。他にも失業者とか独身とか人種とか出身地とか、いろんな分類で「社会のお荷物」を見つけていくだろう
そもそも主張の根拠にしている姥捨山自体が民間伝承の類いで公式にそんな制度が存在した記録はないんだけどな。そしてその物語の中ですら親を捨てるのは非道なこととして描写されているという。
姥捨て山の実在は不明だけど、姥捨て山伝承において姥捨て山は非人道的なものという扱い
姥捨て山を是とするならば、七つまでは神のうちも是とせねばなるまいて
50年前と比較して平均寿命が10年も伸びて少子化で人口構造が変わってるんだから、"介護職"が必要になるのは仕方ない。今は専業主婦も減っているし、社会全体で老人介護を効率化した結果として介護職ができている。
こういうことを言うヤツに限って、老いてはしぶとく周りに迷惑を掛けるのだと思う。
自分が年を取らないと思っているのかな。自分が障害をおわないと思っているんだな。思慮の浅さ、先見の明がない。全て元気でぽっくりいけるならこの理論は良いだろうが現実はそうではない。机上の空論
姥捨山は実在が怪しいとされている。儒教思想の強かった日本で、老人を打ち捨てることがあったとすれば相当な昔で、「本来」を探るのは事実上不可能だと思う(身障者を介護してた縄文時代の遺跡もあるわけで)
ヒント:平均寿命
元々稼ぐ力を失ったらお金の切れ目が命の切れ目な国なのでカナダのような超ゆるゆる自死幇助制度が自分が高齢者になる前に日本に実装してほしい。
自分が介護される側になっても同じことが言えるのか
姥捨や安楽死が実現しそうなのが多分氷河期世代が老人になる頃ってのは2,30年前からみんな予測してたw 日本が贅沢かつ貧しくなったのと人の命の値段が年齢できっちり仕分けられる様になった。ただし下層に限るけどな。
氷河期世代が近づくにつれてこの削られていくかんじ最高ですね。
姥捨山系は自然に還るとかそういうふわっとした理由ではなく、"口べらし"。伝承、民話に過ぎず、実在は不明。年配者を敬い親孝行を促す物語で、親殺し(見殺し)を肯定はしていない。当時も親殺しは大罪なので。
「生きるに値しない命」ですねわかります/で、こう言うと「留保の無い生の肯定をとでも言うんですか?」と混ぜっ返してくるんだろ。知ってんだわ
よくわかんないけど介護や高齢者の命をキャンセルすることで得られるリソースってのは本当にあるのかしら? 介護士失職するし、高齢者の消費も無くなる。一体何が浮くの?
真社会性生物かよ
概ね同意。ただ公的な介護を受けてるのはおよそ半分。医療と福祉を一割負担でしゃぶりつくす人がいる一方で、死ぬまで公的介護を受けない人が半分いる。その差があまりに大きい。
寝たきりも、元気になると思ってやってるからね。死までのシナリオが全部見えてるとわかりやすいんだけど。
姥捨ては別に一般的じゃないよ。飢饉のときの山間部ぐらいで。
「人権」のある社会だと介護制度みたいに老人ホーム見たいなところに一ヶ所で集めてプロが比較的少人数で介護する方が、その間老人の子は働いて社会保障費や税金納められる。果たしてどちらがコスト安かな。
老後は年金だけで暮らせないのわかってるしインフレはするし介護も安い報酬で外国人労働者がいつまで入ってくれるかわかんないからもう今お金を使うのが怖い。全自動介護ロボットとかさっさと発明されて欲しい。
宇宙開発が進んで片道切符で宇宙で屯田兵する政策でも起きないかとずっと待ってる。早く来てくれ宇宙世紀。若いやつはまだ地球にいな!つって旅立っていきたいんだ。
それじゃあAIより役に立たない奴は全員口減らしか?俺もお役御免だな
ケアの精神的経済的B/Sの債務残高と債権残高を見比べる。債権残高超過で回収モード。不出生による子の債務免除。出生後債務支払不適で回収が見込めないのなら手を引く。債権者が自ら債権放棄するのは殊勝な心がけ。
小林よしのりが20年前「わしズム」で同じようなこと描いてたな。
極論で議論することに意味はない。
先のない老人が票を持ってるから政治が機能しないというのは現民主主義の欠陥だね。若者の票の比重を増やす必要があるが、それよりはAI政治の方がまだ早そうか。
9割引の湿布は国是。まだ生まれていない未来世代を含めた全ての日本国民の生活と天秤にかけて、余裕で勝つ、世界に誇る9割引の湿布。
結局、就職氷河期世代は老後も自己責任論の介護氷河期時代を生きていかなきゃならない呪われた運命なのね。人口構成的に、受験も就職も介護もいつも大渋滞を同世代と競って生きて死んで逝く
単に余裕がなくなっているという感じ専業主婦も減ってるし
毎回思うけどこの手の愚にもつかない増田をわざわざファーストブクマしてる奴らは何なんだ TOPページを不快にさせるな 俺がデンジなら全員ぶっコロしてるぞ(ユーリンチー発言
とはいえ少しでもそれを認めてしまうとどんどんハードルが緩くなって必要な命を選別するようになってしまうんだよね、人間だから。
完全には同意しないが、高齢者の世話をして社会が発展せず少子化という雰囲気は避けたい。
https://toyokeizai.net/articles/-/835076
畑やってたんよ。日本は。ブータンなんかは子供が朝、年老いた両親を寺に送る。いわゆるデイサービスだよ。コミュニティとやること、役割を与えることが大事。子育てとか寺に預ければ一石二鳥だろ?
まだ自分の力が衰えてる実感がないとして30代くらいの増田かな? とりあえずあと40年後くらいたってからこの文章を大きな声で朗読してください
母の介護をしてた時、つらくて時間の無駄と感じて焦ってたけど、いまは大切な経験だったと思ってる 強い者は弱い者を助け弱い者は強くなって弱い者を助ける、それがこの世界の摂理だと炭治郎も言ってたよ
姥捨山は非人道的だから、安楽死で安らかに死なせるべきだと思う。私もそう死にたい。
せめて介護の仕事がそれで家族を養える様な収入の職であれば良かったのだが、現実では養うどころか結婚すら難しい低収入になっているのも問題。下らない男女共同参画にドブ金する前に職員の待遇改善に金出して欲しい
シンプルに老人介護に現役世代のリソースを「無限に」使用して良いか、と言う問題。介護だけじゃない、モンペ、カスハラも無限対応を平気で要求される。あなたのだけに無限に尽くすのは合理的でない。
労働原理主義だ / 小無しや出生率を下回る数の子どもしかいない専業主婦も社会全体の持続性を保つ上で不要ですね
とりあえず、映画「プラン75」を観たいところ。
こういう論立てで、特に女性は家に縛り付けられてきた。家や田舎でひっそり生きろと促しているわけよ。高市首相でこういう日本会議のダメな部分が露呈して欲しい。
姥捨山はそこまでポピュラーな手段ではねえよ
“「生きる権利があるのは当然」って話と、「どこまで社会のリソースを割くのか」って話は、分けて議論されるべきだ。” 分けて話せるのかな? リソースが割けないとなった時、生きる権利は守られるのかね、坊や。
医療環境と技術が伸びて老人が死ににくくなっただけだろう(平均寿命とか考えてみて)
さいあく、年寄りがが死ねば介護は必要ないと思っている。そんなんじゃ、合理性どころか人間性を疑われるよ。「介護が必要ない」と「介護をしない」は…全然違うよ。
昔は子供が投資対象かつ介護要因だったのでヤングケアラーが何とかしてた。今も若者の年金保険料を使って高齢者の老後の面倒を金で見ているともいえなくもないが。
まず、姥捨山伝説(組織的な棄老)は歴史、考古学的に確認されておらず、おそらく仏教説話をルーツに持つ言い伝えと考えられている。逆に、敬老や親子の情愛の大切さがテーマ
実際に聞いた話だと急変しても救急車呼べない入院できない 金がないからって家族が拒否したって話はある。
有限なリソースの中で、人間の尊厳をどう扱うか
要不要の話以前に「自分を犠牲にしてまで世話をする必要があるか」はもっと議論した方がいい
人権や福祉は文明に余裕があるから実現出来る、ってのは事実。激ヤバ宇宙人が攻めてきて人類存亡の危機!とかなら人権などと言っていられないが、まだまだ人類も日本も余裕があるので、人権を大事にしていこうな。
多分多数派が老人になる前に政治家と有権者が制度をどうにかしなければいけなかった。でもできなかった。終了。
単に余裕があって出来てる。余裕のある生活を捨てたいなら個人的な範囲で好きにどうぞ。そもそも何が本来か。いつまで溯れば、本来なん?アウストラロピテクスか?
その通りだと思う。だがあの優しく威厳があり誰からも何事においても頼られていた笑顔の父が、かろうじて自分の名前を言える程度になってしまったからと、棄てに行けるはずがなかった。安らかな老後を贈りたいのだ。
親の面倒を見る生き物って人間だけらしいしな
自殺には賛成だが安楽死には反対
そう言う老人の介護に現役世代が忙殺されないように制度があるんだわ。まぁ、ただ、限界集落みたいなところにデイサービスの送り迎えしてんのとかはもうやめていいと思う。
自分は痴呆になるぐらいなら安楽死選ぶけど、それが許されると社会に不要な人は死ねという空気は絶対にできるからそれは嫌だなというジレンマがある
介護離職等が日本の生産性を下げているのは事実と思うが、であれば公的介護で全体を効率化すべきところ、政府が「家族の自助でなんとかしろ」って言ってるのが問題。目先の予算惜しさに労働力の浪費を放置してる。
働けないやつは死ねって話は、年寄に限定したはなしじゃねぇのよ
別年齢だけが介護される理由にはならない、なら介護を受けるものは昔からいたはず
人が人であるうちは人を助けるのは無くならない
「介護のためとは初めて聞いた」系の人は税金とか保険料とか払ってないのかな?
この手合いのコメントまじで4年毎に必ず出るな。たいてい自分は優秀だと思ってる増田が書いてるんだよな。この増田が明日交通事故にあって半身不随になったらぜひとも第一号になってもらおう
なんで姥捨てマウンテンが現役だった頃を基準にせにゃならんのじゃ。
日本の平均寿命が長いのは、過剰な延命措置で死期を引き延ばしているからに過ぎない。寝たきりで意識もなく横たわっている状態は、尊厳のある生き方と言えるのか?
本来、介護って必要ないんじゃないかと思う。 昔は年寄りだって働けるうち..
姥捨山とか極論だけど、社会の持続性の話はガチ。若者の未来より老人の延命優先してるのは確か
そういう「昔」は、障害を持って産まれてきたとか、単純にもう食わせる余裕がないからとかいう理由で赤子を殺したり、幼子を捨てたりしてたのでは?年寄りの命だけが軽くなるとは思わない方がいいんじゃないかな。
労働力としてカウントするとマイナスになる人を増やして「労働力が足りません」ってのは「そら足りんだろ」としか言いようがないね。(それで外国人入れても先々その人達が要介護になって終了だ)
健康ではなくてもデフォルトで「長生き」し過ぎちゃうようになったのが悲劇な気はするよ。なかなか死なない、死ねないのが不幸を量産してるケースは多々あるやろな
運動しない中高年は重税を課すようにしないともうだめだろこれ。定期的に検査して。要介護者とか生活習慣病になったら資産没収とか / その上で介護はあってよい。現状はモラルハザード
全く同意。というか「金が無い」は寿命を終える健全な理由になっていいと思う。貯金+この人に生きててほしいと血縁者が喜んで金を出す人格者+運くらいでいいよ長寿の条件は…。
少子高齢化社会だと人口ボリュームの多い高齢者が選挙で票持ってるからね。福祉は当然必要だけど、現役世代の票の価値を上げるべきと思う。
昔ってこれだと50年前とか70年前とかのレベルよ?その時代まで戻します?おれはやだなあ。
総論賛成。ただもちろん姥捨山は現実的ではないので、次に国が打てる手は「全世代の医療費自己負担割合を3割にすること」なんだけど、これを言うと選挙に負けるので誰も実行できない悲劇。
年金という生産性(同居かぞくにとって)
高齢者の介護のために未婚男女が疲弊し少子化につながっているという意見は初めて聞いた。介護で疲弊し未婚や子なしを選択した人ってそんなにいるのかな?
介護の根底にあるのは「一人の命を救うために数十人が命をなげうつことも厭わない。その仲間への信頼があるから兵士は戦える」というプライベート・ライアンのような、社会の安定まで包括した経済性じゃないかしら。
医療もワクチンもなかった時代、化学肥料もなかった理想の時代に戻れば良いじゃん。ちょっとした気候の影響で飢餓になり農民町民が大量死した自然に任せる社会。増田にはヤマギシ会がおすすめ
一足飛びに「介護は必要なし」ですか。貧すりゃ鈍するだな。
参政党が「終末期の延命措置医療費の全額自己負担化」、「本人の意思を尊重し、医師の法的リスクを回避するための尊厳死法制を整備」を挙げており増田に合う政策だと思うhttps://www.asahi.com/articles/DA3S16257472.html
昔は民主主義じゃないからね。北朝鮮とか絶対王政だから出来る話、とはいえ、日本も歳入減少で、極近未来には働けなくなったら死ぬ社会になるよ(後進諸国が貧困故に短命と同じ構造)国が貧しいと仕方ない。
前提が間違ってる。「姥捨山」が実在したかまだ証明されていない。ソースが伝承なら河童や天狗と変わらんよ。昔を手本とするなら子育てはせいぜい1桁まで、後は労働力扱い。貧しい家は売ったり殺したりしてたんだよ
働けなくなったら死ねっていうのは、要するに優生思想だけど、その辺増田は大丈夫?常に社会から必要とされる一級市民でいられる?難しいものは無理だろうから、名探偵じゃない方のコナンや銀英伝を観るといいよ。
介護の現場知ってる?分かったよ、若い人の為に死にますなんて人はおらんからね。自分でトイレ食事すら出来ない人も、日々何か小さな楽しみ見つけて生きてるよ。結局お前が死んでもいい人選んで殺すんだ、出来るか?
姥捨山って昔話上のフィクションのはずなので、それをベースに社会のあり方を議論するのはやめよう。
こういうの言う人に限って『じゃあこの虫歯、麻酔なしで処置しますね』とか言えば断固拒否しそう
“だけど働けなくなったら「姥捨山」に置かれる”増田の家の伝統文化を日本の伝統みたいに言うな(´・_・`)
老人介護のために子供諦めて少子化なわけじゃないでしょ。60歳になった増田が全然違うこと言ってるのは想像に難くない。
頭の中でこねすぎて空虚な気がするぞ。必要とされているのは介護とかいう抽象概念でなく目の前の親や夫や妻という人間でしょう(見捨てたら寝覚が悪いという意味含め)
障がい者には紛れもなく公的な介護支援が必要で、それまでの家庭内介護は核家族化した日本では到底無理。ただ働ける高齢者には働き続けて貰う事が双方の幸せというパターンもあるのは事実。
なら、認知症にでもなった自分の親を姥捨山に置いてこればいいんじゃないのですかね。また、自身が将来姥捨山に置いてかれる覚悟はある?
考えが浅すぎる人に考えさせるとこういう結論になる、の見本だ
デンデラみたいに武装蜂起ババアが反乱仕掛けてくんじゃねえの。90歳以上の寝たきり延命治療とか身内見てて思うところあるけど
高齢期は完全に自立しろ、社会に頼るなというなら、現役世代は現在以上に極限まで消費を抑制して高齢期に備えた貯蓄に励むことになりそう 最近の外国人労働者不要論もそうだけど果たして日本経済はどうなることやら
やはり一定年齢以上になったら本人が設定した日付で安楽死を希望できるようにしたい。子がいない人も多いので。
その考えを突き詰めていくと、どちらかというと介護は結果であり、長寿やそれを実現する予防医学や高度な治療が良くないとなりそうな予感。そちらの予算が削られると若年者もたまらんよ。
中高年は仕事がないから介護職を選ぶ人も居るし雇用機会でもあるよなぁ。デンデラ野は捨てられても簡単に死なないから老人達が自給自足で暮らしたらしいが、少子高齢化で拡張デンデラ野状態になるだけだよ。
親子の情愛みたいなのを無視することができれば、そうなるかも。育てられない子供は捨て子に、年寄りは山に捨てる。弱肉強食
逆だ。医療や介護は社会の持続性を支えているんだよ。もう一回、ちゃんと社会保障論でも学んできたらいいよ。/「昔の人は「役目を終えたら自然に還る」ことを当然だと受け止めていた」まあ、現代的な価値観だこと。
それを認めたら、若くても病気したり怪我しただけで捨てられますよ
昔は介護なんかしていなかったという前提がすでに間違っていて、縄文時代の遺骨から介護の跡が見つかっているんだわ。
まずは「姥捨山」について、調べてみてはどうだろうか。
今より経済規模が遥かに小さい時代の行動原理採用ってひたすら後ろ向きの敗北主義か無茶な懐古主義に過ぎないんだけど、本人は健全な道筋だと思ってるんだよな。自殺か他殺願望で尊厳死や安楽死を語るの一種
必要ない。自力で生きられなくなったらそれが寿命。それでもほしければひと財産必要くらいが適正。そのくらい介護は高級品という認識が必要。
まぁ若者が付きっきりで世話をするなんてごく一部の貴族の特権だったはずだとは思う。やることが近代化してない割に安価すぎるよね
「本来、服って必要ないんじゃ無いかと思う。昔は人間も裸だった」「本来、料理って必要ないんじゃ無いかと思う、昔は全部生で食ってた」まぁ、文明の否定だよな。
既に子供への指摘が出てるが、成人も病気や怪我で介護が必要になる場合が有るのを忘れていないか。胃瘻の是非なら分かるが一足跳びに過ぎる。
老人は知識の保管庫なので、普通に大事にされていたけどね。今と違ってデータは全て脳みその中にしかないから知識は貴重だった。釣り乙。
姥捨山を読んでないだろ?年寄りは集団のデータストレージとして機能するんだよ。その役目も果たせなくなったら…
日本社会の持続可能性について、かな
まず「人間には生と死しかない」という二元論があって、だから「働けないなら⚪︎ね」「介護なんていらない」という発想が生まれる。ほとんどの人は少しずつ衰えていき、連続性のある中で命を閉じていくんだよ。
この主張するということは、加齢じゃなくても心身の不調で自分が働けなくなった瞬間に人生に幕を引く覚悟がある増田なんだね。すごいな
貧鈍やね
ヴァイキング「男たるもの元気なうちに戦争行ってヴァルハラに行くのが当然。老後を迎えるは恥でごわす」
子供とその親の世代より、老人の方がお金を持ってる人が多いから、お金のある顧客がいる業界が盛り上がり、リソースが割かれているというのもあるんじゃないかな
なにかを知るきっかけになるといいけど、書き捨てなら寂しいなぁ...憲法とか尊厳死に関しての議論とか見てほしい
生存を保証しないなら国家なんて要らないからそうなったら転覆させるだけですわ だから誰も軽視してはいけないし極論に傾倒して考えることをやめたらいけないんですね
それ言ったら昔は10代から働きに出るのが当たり前だったし、それで家族全体を支える手伝いをするのが当たり前だったよ。古典落語には親の介護する話あるしな。姥捨山は異常な殿様命令が解除される物語だしな。
昔は匿名で好き勝手言ってたら罰せられたかもしれませんよ。現代の社会構造の問題を考えるのに解決策を模索しようともせず、全く異なる時代を持ち出して極論を奏でるのは恥ずかしいですよ。
ぶっちゃけ人権における「生存権」を一番重く見てるのって日本で、欧米ではろくに医療や介護を受けられなくて死んでも人間の差別による被害が無ければフルスペックの人権!みたいなところがあるよな。理解しがたい。
「終末期医療は無駄だ」論との相似系ですね。社会リソース負担の意義を問う姿勢は理解できるものですが、「終末期医療」と同じくどこからが「終末期介護」か線引きするのは容易ではないんですよね
子持ち様がマウントをとるとき孤独だの子孫だのと御託を並べるけど子持ち様も最期は子供に捨てられる。やはり独身が最適解だよね。まだ子育てで消耗しているの?
病院経営が限界という状況だから、大病になって、お金無かったら治療受けにくくなるし、交通事故に遭って緊急手術も受けられない。出産時の妊婦も新生児も同様。全員が高度な医療、介護受けられなくなる。
生きてれば年金が出るから寝たきり大黒柱として生かされているというのはなかなか切ない。年金>医療費ならばそれは合理的なのでやはり医療費3割負担と低収入世帯の高額療養費バー上げたほうが良いのでは
中学生くらいまでに妄想で考えておくべき内容。大抵の人は考えたことがあるけど、クソみたいな世界線が予見されて却下案件となる。
増田が『本来』と前置きしている意味を考えるべき。彼は介護自体を批判してるのではなく、それに偏重しすぎると社会が破綻すると警鐘を鳴らしているのだ。真実は大抵両極の論の間にあって、増田はそれを言っている
姥捨山が一般的という理解が今は当たり前なの?昔は家族でみてたってこと。それを社会が支えてくれるようになった。子育ても、障害者福祉もそう。医療保険もそう。なくなったら全て自分で親子供を支えないと
まず民間伝承にすぎない姥捨がまるで一般的に行われていた史実だったみたいな勘違いを改めようか。架空の「昔はこうだった」を前提にした議論なんか意味ない。
そこで安楽死ですよ、おうちに帰るところまでが遠足のように息の根止まるところまでが人生なので最後までをきちんと計画したいです。計画した上でできるだけ長生きしたいなら結構なことですがそうでない人もいるので
姥捨山、広くほんとうの話でした?
そもそも姨捨山って実際に行われていたのか怪しい民話の世界にしか無いものでしょ
そもそも姥捨山みたいな事が一般的だったのか?原始人みたいな生活しようみたいな話しでもないみたいだし、こんなんでアホ釣るのやめてほしいわ
id:fugofugo 未婚男女を疲弊させ少子化に繋げているのは、明らかに介護じゃなくて子育て支援だね。
姥捨山や介護がいらないというのは同意しづらいところはあるが、介護士の給料を見ればそれが価値ある仕事なのか一目瞭然ですね
増田の意見には同意できないが、自分たちの世代が割を食っているという感情があることは理解できる。それは年金等社会保障の先行き不安などが主であり、国の施策の失敗だと思う。
国費で姥捨て山を作ればよい。誰でも入れる介護老人ホームって名前でな
「子育ては娯楽」もそうだけど、こういう意見を持ちながら親が介護が必要になって実際にしてみたり、子育てを主体的にしてみるといいよ。また教えてね。
昔は命が軽かっただけ。現代は命の重みが無限に大きくなっていく。でもこの動きは当分変わりそうにない
ネアンデルタール人も介護をしていたらしき痕跡があるらしい
ていうか、姥捨山の実在自体が様々な研究者から疑問視されてるけどね。こういう、実在したかも怪しい風習を使って倫理を説くのは「江戸しぐさ」と同じだよ
何も現実を見てない意見だな。姥捨山が正しいなら現在まで残ってるはずだよ。親が自分が子供が介護が必要になったときに同じ事言えるかな
私も本来、はてなブックマークとか必要ないんじゃないかと思う。ブコメに疲弊して子供を産み育てる余力を失う。
今の時代らしい極右思考が極まった感じ。ぜひ、自助共助公助の前者一つのみで生活してほしい。生産性が無くなったら捨てられる社会だと知って生きる子供は、未来に希望が持てない。
“「生きる権利があるのは当然」って話と、「どこまで社会のリソースを割くのか」って話は、本当は分けて議論されるべきだ” 精神障害者、震えている(リソース割かせてる側)
でも、自分がそんな年齢に近付いたら「もっと年寄りを労れ、殺す気か」と言うんでしょう?…/ただ『未来に残る子供の世話より、先の短い老人の世話を優先してしまう社会』この点は同意。バランスが明らかにおかしい
「高齢者も3割負担して、病院を溜まり場にしたり薬貯蓄をやめさせろ」と「働けなくなったら死ね」は延長線上にはあるけど、間に断崖絶壁あるやろ…/でもワンチャン氷河期はそこまで行かされる可能性…と思っていたり
自分の父母にも同じ調子で接することができるのだろうか。(機能不全家庭育ちとかならできるなと思いながら書いてるが)
ネアンデルタール人ですら、高齢で働けない家族を介護し、死後も丁重に弔った。同胞を平気で見捨てるなど、現生人類として恥ずかしくないのか。https://www.afpbb.com/articles/-/3005247?cx_amp=all&act=all
自分の親を看取っただけの範囲で観測したのは、医療で無理に寿命を延ばしたり寝たきりになったあと長らく生きたりはなかった。今の介護施設では自然に死を迎える看取り看護をしてくれるところも増えてる
自分がその立場になったら【◯にたくない!!】って言う人の典型的な文章だな。外野だから言えるんだよ。
介護労働のまず50%、次に67%が非人間(ロボットです。非人-間ではないよ)で賄われる世の中が、早く実現してほしいよね。
60、70過ぎて自ら山に捨てられに行った者だけが言えることだろ
“子育てが娯楽だって言われてるけど” ここも分からぬ/まぁ増田で電波発信する人は今に始まった事ではないが、どうも少子化に関しては特に、病院行ったほうがよい感じの被害妄想とデマまみれの人見かけるよね…
介護で家族に迷惑をかけたくないのはたしかにあるし言いたいこともわかる。ただ「役目を終えた」と判断するのは自分がしたいな。誰かが決めると老人だけじゃなくて障害者や弱者まで巻き込まれそう
素晴らしい。自力で通院できなくなったら寿命だと親に言っておくんだぞ。
ただのヘイトスピーチ。差別煽動。
介護より医療の発達の方が問題。いまは超高齢者が病気になっても「治せて」しまう。金をかければ「植物状態でも生かす」ことはかなりできてしまうが、それが幸せなのか、どこまで行うべきか難しい。
「昔」なんて関係ない。現在の年金介護システムは猛烈に働いて生き残った人たちが楽に老後を過ごせる事を目標に設計された。ただそれだけ
こういうの、中学くらいまでに卒業しておかないと恥ずかしいよ
安楽死なら死にたいって人いっぱいいると思う…。私も。体が不自由な状態で長生きするのは老人にとっても本意じゃないだろう
介護って動けない人の介助ばっかりじゃないんですよ……ようやっと動けて認知症の人がコンロを間違えて使ったり道路にフラフラ出て轢かれそうになったりするとね……我々が大変なんですよ……
そんな話するなら基本的人権も言論の自由も労働基準法も必要ないよ。
では貴方自身が働けなくなった時に率先して死んで主張して見せてくれないとね。
氷河期世代だけど、自分達が高齢者になった瞬間にそうなると思ってる。年金は大してあてに出来ないし、一生働かされる覚悟だけはしてる。20年後そうなるなら今の団塊世代から始めないと手遅れになるよな
日本を海外のような浮浪者の溢れる世界にしたい増田。/現状ですら介護離職で人生を棒に振る人が年間7万人以上、介護しながら働く人が365万人ほどいる。国が介護保険料を徴収しながら責任を果たしてないのは事実。
今の視点で昔の話したらそれこそ子供の面倒だって大してみてなかったやろ
増田が「増田さんは社会に不要だと判定されたので明日から山へ行ってください」と言われたとき「はい。みんなのために行ってきます!」って応えられるか「なんで、俺が!?」って思うか考えみて。
歴史的にも正しくない自分勝手な思い込みをファクトみたいに語る人はろくでもないし、それに賛成同意だの言ってるやつはさらにどうしようもない
介護はしていたけど、医療がそこまで発達してないし点滴も無いから、寿命で本来死ぬはずのところを何年も延命しちゃうなんてことは無かったというところが落とし所よな
ナラティブではなくデータで判断しないと方向性を見誤る
こういう書き方をするから反発される。「人間まともに動けるうちが『生きてる』という実感がわくものであってまともに体が動かず他人に世話されないと生きていけないのはつらい。私は介護を拒否する」と書けばよい。
介護される側に回ったときに同じことが言えるか
そんなこと言っていても自分の親が倒れたらどこの子供も親の延命を望むもの…。
はあ
最適解は介護を個の責任から公の責任にすること。スケールメリットで効率化になる。物理的にも精神的にもよい。だが自己責任論者や減税カルトのような、目先しか見えない連中が邪魔をする。
高福祉社会と思われてる北欧では寝たきり老人はいないデータもあるし、日本の医療がやりすぎな面はあると思う。消化できない人間に胃ろうとかしないそうだし。
介護士です。自分の事も子供の事も判らなくなって、食事も排泄もお風呂も他人の世話にならないといけなくなっても、そのステージまで込みで「その人の人生」という考え方もあると思います。現場からは以上です。
当事者じゃないから言える。自分の親が老いて介護が必要になったから捨てますなんて言える人がどれだけいるか。見捨てられない当事者の集合が今。
どこで線引きをするかは難しいけど、自分としては、高齢、意識がない、自発的に食事を摂れない、とかになった後の延命は自費か3割負担か年金天引きか、少なくとも収支がプラスにはならないようにしていいと思う。
介護が不要は言い過ぎだが、何にリソースを割くかの議論は必要。が、多数決で決まる今の選挙制度ではなかなか現実にはならない。高齢者でも次世代を育てたいと言う人は多いが、医療費1割負担がなくなることはない。
「昔」の解像度が低すぎる。
昔は家で介護してたのが核家族化が進んで地域や民間がやるようになっただけ。言ったからにはお前は絶対使うなよ。のたれ死ね。
増田の言うことはいちいち御尤もで、同じく昔は口減らしが平然と行われていたのだから、増田も今からでもどこかに売り飛ばされるか間引くかされるべきだよね……ってことになるけど良いのかな?
本来、増田って必要ないんじゃないかと思う。昔はぼっちは村八分、必要なければ追放して終了してたんだしってなるから、昔理論はやめた方がいいよ
昔は必要なかったで片付けると色んな物が必要なくなり便利。
介護で日本衰退とは思わないが健康寿命超えて生き続ける現状は疑問.ただ自己決定ができず認知症になるケースが多い.結局家族が決定者になり胃瘻造設などする.心情として無処置は難しい./ただし本人の延命希望は重要.
ちと極論が過ぎるとは思う。が、巷が親子の情を金蔓として見過ぎな気もしてる。緩やかに(消極的に)お別れに向かえる仕組みが個人的にはほしい。
余裕がある家庭だけ介護しているだけ。99%は捨て置かれて孤独死してるから。さすがに世間知らなさすぎでは?毎日毎日どれだけ都内の木造アパートで死んでると思ってるの?既に姥捨山は存在している。
他人事ならいくらでも冷酷なことをいえるが、その未来は自分自身の現在と地続きやねん
ミッドサマーの村から出てきた増田
深夜コンビニと同じやつ?君達は今自分が必要ないものを不要と言ってる自己中なんよ/
個人的には"昔は年寄りだって働けるうちは畑に出て、家事をして"が重要だと思っていて、この問題は職住分離とそれに伴って発生した「引退」を無くさなければいけない。平均寿命-健康寿命は大きく伸びていない。
全く同意しないが、日本は長寿や超難病ケアに超コストかけ過ぎ(「王の病室」)だ削れ、とは思ってる。ちなみに高等教育無償化の前に大学にもっと予算回せとも思ってる。ゼロか百かじゃなく、要はバランス
介護したくない気持ちは分かるけど、その正当化のために一般化を目指すのは止めて欲しい
私もそう思う
姥捨て山は古すぎだし、田舎すぎじゃねw 昔は55歳定年で、65歳くらいには死んだから、問題が起きなかったってだけじゃねw
「本来」っていうなら狩猟採集まで遡らなきゃ。「生産性」なんて概念が出てくるのは農耕社会になってから(余剰生産が傾斜配分されるようになってから)
人間が社会的動物である以上give&take,お陰様等多様な形での相互支援は前提/支援の範囲はその社会の価値観によるが増田の例は余裕がない状況の話/増田1人の感覚で必要ないと言い切ってしまう安直さに乗る気はない
社会保険料負担重いのはわかるんだけど、こういう切り捨てるような言い方する人間って、肉親の情を受けずに育ったのかな。
それ言ったら子供も体の弱い子は死んでたからそういう子に対する福祉も必要ないってことになるが つーか福祉の概念自体が放棄される それはアンタも俺らも対象になるやつな 薬も買えなくて死ぬぞ?
総論で言えばそうかもしれない。でも今まさに介護を考える時期な人からすると「単なる無責任」論に過ぎない。今は大した医療もせず、責任逃れしかしない医者がテキトーに見て、最低限の医療/介護してない現状がある
老人を排除した次のターゲット:障害者、長期療養者、平均以下の能力の労働者
遅かれ早かれ、社会保障は一人で複数人の高齢者を支えなければならなくなるが、そうなっても「文明の否定」みたいなことを庶民が言っていられるかは興味がある。
ネアンデルタール人や縄文人の遺骨には、負傷した老人が介護されていた形跡が認められるという。1万年単位で文明を後退させたいのなら、まずは増田が、完全自給自足生活を試みるべきでは?
本人はそれでよくても、あなたは世話になった両親がまだ生きていける可能性があるのに、余裕ないからゆるやかに死んでっていえるかどうかって話ですよ、普通は無理
姥捨て山があった時代と比較してもだな
それが嫌だっていう年寄りに全部任せた若い奴らが悪いってことよ。俺等が負けたんや
姥捨山って名前がついてるレベルには一般的ではなかった可能性もそれなりにあるし本気で姥を捨ててたのは稀だろ。医療の発達を否定するなら、個人の自由だが私は賛同しないね。若いやつもガンガン死ねって話かどうか
「縄文時代の遺骨から介護の跡が見つかっている」ってこの手の話でよー出てくるけど、社会全体が傾きかけるほどのリソースは注ぎ込んでなかったはずだし、このまま介護にリソースに注ぎ込むのヤバいんじゃない?
今は自分が介護する世代だからこういうのが流行るけど、20年後自分が介護される立場になったら絶対違うこと言ってるよ。氷河期世代が当時は自己責任自己責任言ってたけど今は被害者面してるのと同じ
今昔という比較だけでなく、日本と海外を比較してみても現代日本が異常であることがわかると思う。
医療費総3割負担が効果ある(そして自分にはダメージがない)と思ってる連中に笑っちゃうよね。効果あるのは全世代全額負担一択です
姥捨て山がどこまで本当なのか一般的だったのか疑問ではあるが
要介護の老人、高齢者、身体障がい者、発達障がい者など弱者を切り捨てくうちにいつか自分の首にも鎌をかけることになるんじゃないかな。貧するのは悲しい。
こんな風に素朴ぽく書けば無罪になるのか知らんけど、植松思想の萌芽でもあるわな。/ 医療も介護も経済的に付加価値を発生させてるビジネスであるはずだが、家庭内自助で疲弊するやつを想像してるのかね
昔にしても現実的に出来るだけのことをした結果だしそれ以上のことは出来なかった。現在は現実的な範囲で出来ることが増えてしまい要求レベルが高くなった。現在でも無理なく出来る範囲で良いのではないかと思う。
ナチスかな
我々人間は、個々の力は弱いですが高齢者や赤ちゃんの世話を群れで行うことで、その命脈を保ってきました。年老いても群れの中に居られる、ということが若いメンバーの安心に繋がっていたのでしょう。
批判的なブコメ多いけど、増田は昔のやり方に戻せと言ってるわけじゃなくて、高齢者>子どもとなるのがおかしいんじゃないか、優先順位を考える議論がもっとあったほうがいいってことを言いたいんじゃない?
まず「そういう話を聞いたことがある」を「昔はみんなそうだった」にすり替えるのをやめろ。話はそれからだ
介護はロボットにお願いしたいな。
小学生の妄想って感じの文章。文明を捨てて自然に回帰しても弱肉強食になっていくだけの話としか思えない。適度な発展なんてものは各個人が勝手に想像するだけで正解はない。
本来、増田って必要ないんじゃないかと思う。
ロボット介護はよ。あと、パワースーツも頼む。
イチかゼロかではなく程度の問題。家族が年金を貰うためだけに無理やり生かされてるような介護・医療までは必要ないだろう。
まだ共感されにくい話だと思う。人口ピラミッド https://dashboard.e-stat.go.jp/pyramidGraph?screenCode=00570®ionCode=00000&pyramidAreaType=2 で団塊が消え団塊Jrの孤独死が目立つようになったら議論が本格化しそう
『働けなくなったら「姥捨山」に置かれる。』姥捨山はマリー・アントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」みたいなものだから、史実として扱うのは危ういよ。https://youtu.be/ywI3KHuGP3U?t=653
移民いらないコンビニ減らせ増田の新作かな。
「ここはすべての夜明けまえ」の世界では安楽死が認められてて、人生に疲れて60歳で自ら死を選ぶシーンがあり、少しうらやましいなと思った
わかるんだけど社会に余裕があると面倒見れるんだよな。というか関心なくてもどこかで誰かがそうしてる。余裕がなくなるとこうなる。
言い方を過激にしたいだけの増田だ
確かに。昔は地球上に人間なんて存在してなかったから人間なんて滅びたほうが良いよね。昔は良かったよね。分かる〜
介護職としてお答えします/まず医療で寿命をは間違いです/出涸らしみたいな老人、これは高齢者に対する差別的意識ですね、優生思想です。高齢者とは一人の人間なのです/現役世代が介護に疲弊しも間違い
若い人なのか、自分の親を捨て置く覚悟がある人かどちらだろう。人ってそんなポックリ死ねないんですよ。膝が悪くて買い物に行けない年寄りはジワジワ餓死しろと?
「役目を終えたら自然に還る」とかいう話じゃなく、昔は食わせたくても食わせられんかったいう現実的な話でしょ。一方で口減らしは赤子にも向けられてたわけで。棄老は嬰児殺しとセットになってる。
実際には姥捨てされる前に病気か枯れて死ぬ人の方が多かったんじゃないかなー。介護の期間はそれほど長くなかっただろう
介護保険の公費投入やめるべきだろう。1割負担だけで介護に関連する商品を格安で老人が買えるのも異常だ
姥捨山が一般的だったとかいうトンチキで論を立てるなよ
介護は贅沢品だったのかもしれないが、雨漏りしない屋根も毎日三食風呂入れることも病気になったら薬もらったり療養したりすることも全部贅沢だったわけで
道長あたりは厚い介護で延命した。 平安時代の大貴族より現代日本人は格段にいい生活してるが、そんな生活は大多数の人には必要ないと言いたいの?
「老後は自分で何とかしてね」だと、金を貯め込みがちな日本人が老後に向けてさらに金を貯めがちになって経済に悪い。という反論はできるが、まあ介護の補助金は減らされるだろうね。
こういうひとはマイナカードに自分で身の回りのことができなくなったら姥捨山で捨ててくださいってすでに記載してほしい。そして動けない判定即連れて行ってほしい。そうしたら介護問題も少し軽減される。
増田さんが、おじいちゃんかおばあさんになってから、もしも同じこと言えるなら、ご自身でそっと処理されたらいいんちゃいますか?
みんな大好きスウェーデンは年寄の終末医療は自費だよね 自分で食べれなくなったら胃瘻で生かされるとかはありえない コロナの時も老人は放置された、もちろん訴えもあったが完全無視 スタンスがはっきりしてる
今の福祉制度の護持を主張する人たちが『30〜40年後の福祉制度』には特に言及せず言葉を濁すので、現役側の「俺たちの頃にはどうせ崩壊してて旨みが無い」という悲観的予測を補強して、かえって分断を広げよるんよな
ふと思ったが、姥捨山と言うくらいだから昔から女性の方が長生きだったんだろうね。
昔は、若くて元気のあるやつは、外国に送られて、若くして兵士として死んでいったんだよ。この増田も、徴兵して、前線に送ってやろう。/ 昔の年寄りは姥捨て山に送られたんじゃない。65歳で病死した。
身近に介護が必要な高齢者がいないんだろうか… 増田みたいな意見は極端な机上の空論だとわかりそうなものだけど。こういう「そもそも論」って社会をよくしないよね。社会性ない。
ちょっと待ってくれ。姥捨山は非常時の手段であって、通常時に用いるものではないぞ。何か大きな勘違いをしていないか。こういう認識の人がいるから安楽死の議論が炎上するんだよ。
高齢者以外でもあらゆる属性に対して「捨てる」理由は繕える。それは別に通例的弱者側の属性のみならず強者側の属性に対しても何らかのリソースを占めていること等を理由に繕える。貴方の属性が対象にもなりうるぞ
高福祉国家の北欧だと既にそういう考えになってますよ。高齢者にとっては日本の方が遥かに高福祉。
藤子・F・不二雄の漫画でこういうのあったね
むむ、難しいこと言ってるにゃ。でも、ボクにご飯くれる人が大変なのはイヤにゃ!みんなでゴロゴロ、平和に暮らしたいにゃ〜🐾
やまゆりの人か?昔にしたって全員が全員捨ててたわけじゃなかろうよ。知らんけど。
選挙権の年齢上限を設けよう(論理飛躍)
姥捨山は「働けなくなった年寄りには知恵がある」という民話で、要は「人生に無駄などない」って話なんだが、増田の人生はこの瞬間にも無駄の極みを体言してそうだな。
同意。現役世代からがっつり社会保険料強制徴収までしてやることではない。やりたい人、自分で備えた人の特権で良くて、一定年齢で延命はせず緩和ケアのみで自然のままにが良い。
古来から生類保護政策は山とあるし、介護保険法第一条にある「尊厳の保持」「国民の保健」への考慮を薦めるし、サブカル的にはそんな発想のディストピアなんて『世にも奇妙な物語』筆頭に積み上がってて今更なのよ。
介護って年寄りだけが受けるものではないし、医療費の多くは現役世代の抗がん剤などなんだけど。
姨捨山ってのは仏教といっしょに伝わってきたインドの民話で日本にそういう風習があったという事実はないんだけどな
とりあえず80歳以上への胃瘻は禁止すべきだと思います。
別に老人を現役が介護するパターンだけじゃないからね。育ちきったのにずっと子供部屋にいる子供とは言えない中年の身の回りの世話をし続けるのも介護の亜種では。
老後の隠居期間は10年までとか上限決めればいいと思う。長く働いて長生きすることもできるし早めに引退して死んでもいい。日本の一人あたりGDPはOECD20位くらいだから平均寿命もそのくらいまで下げたほうがいい。
コロナの時、老人にECMOを使用するのは当たり前みたいなのは日本ぐらいだったんかね?福祉先進国北欧とかのECMO利用状況はどうだったんかね。調べてみようかね。 https://share.google/f5UdsT2IUEtuoiI6J
姥捨山が実在したのかは諸説あるが、言いたいことはわかる。どう生きるかと同じだけどう死ぬか選ぶ権利もあるべきで、人間らしい生き方から降りる時に安楽死は必要だと思ってるよ。
姥捨山のくだりは一部の貧困な地方限定のもの。一般的には長男の嫁を迎えて10年ほどで舅・姑は寿命を迎えていた。なので介護問題はおろか嫁姑問題も深刻ではなかった。
老いて一人では動けなくなった人間を生きながらえさせるとか尊厳を無視した拷問。本当にやめてほしい。
「介護そのもの」と介護保険制度を分けて考えたらいいんじゃないかな。制度を作った当時の老人が金銭負担しなかった点が甘い制度設計につながり、世代間の負担受益の不平等さとしてあらわれている。
お前も歳を取る。どんな金持ちでも、貧乏でも最後は似たり寄ったりだ。その時にバタバタするなよ。
なぜ殺人が重い罪になるかと言えば、生きている人間をむざむざ死なすのは人間社会全体の治安がごっつう悪くなって治安が悪くなると少子化(少産化)になって人類滅亡なのよ。
こういうマッチョなことを言う人は「あなたは社会のお荷物なので自殺してください」と言われて即死ぬ覚悟があるのかな。5秒後に車が突っ込んできて寝たきりになる可能性もあるんだけどね
労働をやめてからが長すぎる。で、結局70とかまで働く世の中になってしまったんだろ。そりゃ生産性落ちるって。長生きしたって楽しみなんてないよ。
君より弱くてむしり取っても安全なのが介護を受け体力もない人間で、それを正当化する言い訳に育児しか思いつかないってことだよ
昔の日本に「捨て子」「間引き」は実在したが「姥捨山」は存在しなかった。子供を捨てて年寄りが生き延びたのが史実。
中高生がロジック・理想論で考えるとこうなるのも仕方ない。でも、身内とか自分とかが当事者になって初めて理屈からこぼれてるものに気づく。難しいね
姥捨山が本当にあったみたいに言うけど、実際は口減らしで老人に限らず子供だって間引かれてたわけです。働けない人や無能は死ね、そういう世界をお望みで?
運命とか寿命というなら年齢関係無く”病気”や"怪我”を医療で治療する必要性も無くなるよ?若くても病気や怪我をした時点で運命で治療=延命だよね。なぜ年寄りだけターゲットにできると思うのだろう。
理想を目指すには不断の努力が必要なわけで、自己責任論にも言えるけど、不断の努力で築いてきた高度な文明社会を維持する事をやめるのは、理想を諦める怠惰的言動でもあるよねと思う
自分が捨てられる立場になったら、って考えたことある?それでも全く抵抗ないならいわゆる「使い捨てられる」人生だね。老後の楽しみまで取り上げられたら、なんのために生きてんだかわかんないや
自分が社会に必要な人間かというと自信ないな。
例えば「80歳で安楽死」って社会になったと想像すると、どちらかと言えばマイナスなことの方が多そうな気がする。まずは犯罪が増えそう。
漢書于定国伝に寡婦が姑に孝養を尽くすが、姑は他に娶ってもらうために「どうしてまだ若い嫁を患わせて良いものか」とて自殺した話がある。ここまでではないが、長寿や技術の進歩の先の得失も見なければならない。
一生懸命働いてきて、税金も年金も収めてきて、子供も二人育て上げて、その子どもたちに介護は面倒、と言われたら迷惑かけたくないから安楽死したいよ。
「おとっつぁん、おかゆができたわよ」がいつからあると思ってるんだろ。昔っから家族一人を犠牲にして介護はあったのよ。今は家族一人を犠牲にできなくなったので介護がある
姥捨山は老人を大切にし孝行を説く伝承。残酷物語じゃないのよ。
まったくの目論見違い。福祉は「社会」なるものが万全で自分も守られるから大丈夫だ!という幻想を保持するために絶対必要な演出装置なのよ。仮に姥捨山ができたとして、そんな社会で健全に働ける自信はあるかい?
ああ、でも金持ちとか権力者が臓器移植とかバンバンやって長生き目指すのは文句言わないんだよね?
本来とは
やはり安楽死は日本を救う。
日本の場合は医療による延命のしわ寄せが介護の疲弊に繋がっている側面があるので本来見直すのは医療の方だと思う
ここまでの極論は受け入れられないし文明の否定だと思うけど、年寄に優しくしすぎて国が莫大な借金を背負い現役世代に多大な負担を押し付けてまで社会保障費を湯水のごとく使うような今の制度は行き過ぎてると思う。
昔は〜ていうけど、今でも他国では年取って動けなくなった人はそこでオシマイて価値観は割とある。途上国とかはそうならざるを得ないし
歪みはないだろう。リソースの制約があるだけで。リソースの制約が存在することが「間違ってる」んだよ
禿同だけど年寄り集落のはてブでは刺さらないという悲劇
具体的な事は何一つ記されず、日記はここで途絶えている…
そう言っている君自身は、自分が歩けなくなったが会話とか食事を自分で取るのは問題無い、という状態になった時に姥捨山に捨てられる事を許容できるのか
老人Zの介護ベッドみたいなの作って人間の割り当てを減らそうならまだしも、死ねというのは国の制度として通すのは無理だと思うがね。
まあ、金か健康かどっちか無くなったらすっぱり死にたいなとは思ってる。とはいえ、それを他人に強制したいとは思わんなあ
残念ながらそれは君がその歳になってから主張せんと説得力がないのよね。たとえば君の祖父母、両親を説得するところから始めてみては
姥捨山なんていつの風習をいっているのやら。映画楢山節考(昭和58年)でさえ相当の寒村の奇習なイメージだった。姥捨山を当然のこととしてとらえてはいけないと思う。
単純に年寄りが多すぎてリソースが足りないが、本来必要かどうかでいうと、社会の安定化のために必要だと思う。不用になったら捨てられる社会では現役世代も安心して働けませんよ。
とりあえず、今話題はケアプランが有料になりそう…ってことかな🤔。いままでは全て無料でケアマネージャーが作る計画は、保険で賄ってきたけども難しくなってきたとかなんとか…
これには賛同しかねるけど、リソースの配分を決める選挙において18歳未満の人間に選挙権がない事に違和感がずっとある。そりゃ少子高齢化まっしぐらだわ。
「役立たずは殺せばいいだろ」を長たらしく言うとこうなる。
いやもうこれトロッコ問題なんだから理想論だけ言ってる場合じゃないよ、何かを犠牲にしないともう成り立たない
緩やかに変わればそれを強制されたものとは気づかないもので。
その発想は「役に立たないやつから殺せ」という形に容易に変じるので大反対しておく。老人を殺せになり障害者を殺せになりニートを殺せ、生産性が薄いやつは殺せと自分が吊るされるまでエスカレートする。
お前は将来姥捨山行きって言われて真面目に働く馬鹿がどこにいるんだよ、こんなの犯罪者だらけになる未来しかないだろ
出羽守が憧れる北欧は高齢者は淘汰されるべき方針らしいし日本も追随するべきだ。老人を減らしていこう。社会のリソースに限界があることはみんな念頭に置いてあるはず
長寿化に貢献したのは医療じゃなくて圧倒的に衛生環境の改善なんだわ。なので前提が間違い。
誤った事実を基礎に捏ね上げたロジックなど砂上の楼閣に過ぎない。そしてそんな粗雑な話に安易に賛同する人間の浅はかさ。自分の親を介護した後,自分で読み直すといい。いかに自分が愚かだったかわかるだろう。
21エモンに出てくる医療が発展しすぎて死ねなくなった星の人が人生に飽きたら0次元に入って消滅する話を思い出した
「本来」っていいだしたら、人間はクマに喰われ放題の生き物だったんだけどな。
トップコメが言いたいこと全て言っていた。そもそも昔は人権が文字通り無かった。江戸時代の乳幼児を除いた平均寿命は60程度で今なら定年前なんだよね
その発想の行き着く先がナチスだったと人類は学んだはずと思っていたが。その角度で社会を見てしまうと、障害者、言語が違う人々へと容易に対象は広がってしまう。だから困難だが福祉を否定せずに解を見つける道を。
寝たきりとか家族の事もわからない痴呆症とか植物状態とかの人を生かし続ける意味は正直わからない。回復の見込みがあるわけでもないんでしょ。個人の財産で勝手にやる分には自由だけど。
若いから……
弱者をゴミ箱に捨てるのが正しい社会ってか。いかにもいじめが国技の日本人らしい発想で反吐が出る
とりあえずこういう考えの人から、介護を受ける権利を剥奪することから始めるといいんじゃないかな。希望通り現役世代のリソースが少し節約できるし。
どこまでの介護をするかの線引きは家庭ごとにあると思うから、必ずしも命の軽視とは言い切れないというか。誰も彼もがMAXレベルのコッテリ延命治療+コッテリ介護を求められるわけでもないし。
ボケたけどピンピンしてる人とか、自分が若くして事故で要介護になったらどうするのか。増田の理論でいくと姥捨山とか安楽死とかないと無理なのではないか
寝たきりとで、点滴と胃瘻で命をつないでも、意識ははっきりしていて思考力も正常な人も多いんだよ。
介護に比べて育児は公的リソースに頼りにくいというのはあるかも。要介護になるとケアマネが個別のプランを立ててくれたりするけど、新生児なんて全員要介護状態だけどそこまで手厚くないもんな
昔は3世代同居が当たり前で介護や子育てを分担していた。『本来』というなら核家族をやめて、昔みたいな同居が当たり前に戻さないといけない。それができない社会状況だから比べる意味がない。
姥捨山が実在してたと思ってる奴は、「姥捨山」で1回ググった方がいいぞ
そこまで合理化が”進んだ”社会においては、発達障害も病者も赤子も障害者も、同じように人権を失うだろうね。他にも失業者とか独身とか人種とか出身地とか、いろんな分類で「社会のお荷物」を見つけていくだろう
そもそも主張の根拠にしている姥捨山自体が民間伝承の類いで公式にそんな制度が存在した記録はないんだけどな。そしてその物語の中ですら親を捨てるのは非道なこととして描写されているという。
姥捨て山の実在は不明だけど、姥捨て山伝承において姥捨て山は非人道的なものという扱い
姥捨て山を是とするならば、七つまでは神のうちも是とせねばなるまいて
50年前と比較して平均寿命が10年も伸びて少子化で人口構造が変わってるんだから、"介護職"が必要になるのは仕方ない。今は専業主婦も減っているし、社会全体で老人介護を効率化した結果として介護職ができている。
こういうことを言うヤツに限って、老いてはしぶとく周りに迷惑を掛けるのだと思う。
自分が年を取らないと思っているのかな。自分が障害をおわないと思っているんだな。思慮の浅さ、先見の明がない。全て元気でぽっくりいけるならこの理論は良いだろうが現実はそうではない。机上の空論
姥捨山は実在が怪しいとされている。儒教思想の強かった日本で、老人を打ち捨てることがあったとすれば相当な昔で、「本来」を探るのは事実上不可能だと思う(身障者を介護してた縄文時代の遺跡もあるわけで)
ヒント:平均寿命
元々稼ぐ力を失ったらお金の切れ目が命の切れ目な国なのでカナダのような超ゆるゆる自死幇助制度が自分が高齢者になる前に日本に実装してほしい。
自分が介護される側になっても同じことが言えるのか
姥捨や安楽死が実現しそうなのが多分氷河期世代が老人になる頃ってのは2,30年前からみんな予測してたw 日本が贅沢かつ貧しくなったのと人の命の値段が年齢できっちり仕分けられる様になった。ただし下層に限るけどな。
氷河期世代が近づくにつれてこの削られていくかんじ最高ですね。
姥捨山系は自然に還るとかそういうふわっとした理由ではなく、"口べらし"。伝承、民話に過ぎず、実在は不明。年配者を敬い親孝行を促す物語で、親殺し(見殺し)を肯定はしていない。当時も親殺しは大罪なので。
「生きるに値しない命」ですねわかります/で、こう言うと「留保の無い生の肯定をとでも言うんですか?」と混ぜっ返してくるんだろ。知ってんだわ
よくわかんないけど介護や高齢者の命をキャンセルすることで得られるリソースってのは本当にあるのかしら? 介護士失職するし、高齢者の消費も無くなる。一体何が浮くの?
真社会性生物かよ
概ね同意。ただ公的な介護を受けてるのはおよそ半分。医療と福祉を一割負担でしゃぶりつくす人がいる一方で、死ぬまで公的介護を受けない人が半分いる。その差があまりに大きい。
寝たきりも、元気になると思ってやってるからね。死までのシナリオが全部見えてるとわかりやすいんだけど。
姥捨ては別に一般的じゃないよ。飢饉のときの山間部ぐらいで。
「人権」のある社会だと介護制度みたいに老人ホーム見たいなところに一ヶ所で集めてプロが比較的少人数で介護する方が、その間老人の子は働いて社会保障費や税金納められる。果たしてどちらがコスト安かな。
老後は年金だけで暮らせないのわかってるしインフレはするし介護も安い報酬で外国人労働者がいつまで入ってくれるかわかんないからもう今お金を使うのが怖い。全自動介護ロボットとかさっさと発明されて欲しい。
宇宙開発が進んで片道切符で宇宙で屯田兵する政策でも起きないかとずっと待ってる。早く来てくれ宇宙世紀。若いやつはまだ地球にいな!つって旅立っていきたいんだ。
それじゃあAIより役に立たない奴は全員口減らしか?俺もお役御免だな
ケアの精神的経済的B/Sの債務残高と債権残高を見比べる。債権残高超過で回収モード。不出生による子の債務免除。出生後債務支払不適で回収が見込めないのなら手を引く。債権者が自ら債権放棄するのは殊勝な心がけ。
小林よしのりが20年前「わしズム」で同じようなこと描いてたな。
極論で議論することに意味はない。
先のない老人が票を持ってるから政治が機能しないというのは現民主主義の欠陥だね。若者の票の比重を増やす必要があるが、それよりはAI政治の方がまだ早そうか。
9割引の湿布は国是。まだ生まれていない未来世代を含めた全ての日本国民の生活と天秤にかけて、余裕で勝つ、世界に誇る9割引の湿布。
結局、就職氷河期世代は老後も自己責任論の介護氷河期時代を生きていかなきゃならない呪われた運命なのね。人口構成的に、受験も就職も介護もいつも大渋滞を同世代と競って生きて死んで逝く
単に余裕がなくなっているという感じ専業主婦も減ってるし
毎回思うけどこの手の愚にもつかない増田をわざわざファーストブクマしてる奴らは何なんだ TOPページを不快にさせるな 俺がデンジなら全員ぶっコロしてるぞ(ユーリンチー発言
とはいえ少しでもそれを認めてしまうとどんどんハードルが緩くなって必要な命を選別するようになってしまうんだよね、人間だから。
完全には同意しないが、高齢者の世話をして社会が発展せず少子化という雰囲気は避けたい。
https://toyokeizai.net/articles/-/835076
畑やってたんよ。日本は。ブータンなんかは子供が朝、年老いた両親を寺に送る。いわゆるデイサービスだよ。コミュニティとやること、役割を与えることが大事。子育てとか寺に預ければ一石二鳥だろ?
まだ自分の力が衰えてる実感がないとして30代くらいの増田かな? とりあえずあと40年後くらいたってからこの文章を大きな声で朗読してください
母の介護をしてた時、つらくて時間の無駄と感じて焦ってたけど、いまは大切な経験だったと思ってる 強い者は弱い者を助け弱い者は強くなって弱い者を助ける、それがこの世界の摂理だと炭治郎も言ってたよ
姥捨山は非人道的だから、安楽死で安らかに死なせるべきだと思う。私もそう死にたい。
せめて介護の仕事がそれで家族を養える様な収入の職であれば良かったのだが、現実では養うどころか結婚すら難しい低収入になっているのも問題。下らない男女共同参画にドブ金する前に職員の待遇改善に金出して欲しい
シンプルに老人介護に現役世代のリソースを「無限に」使用して良いか、と言う問題。介護だけじゃない、モンペ、カスハラも無限対応を平気で要求される。あなたのだけに無限に尽くすのは合理的でない。
労働原理主義だ / 小無しや出生率を下回る数の子どもしかいない専業主婦も社会全体の持続性を保つ上で不要ですね
とりあえず、映画「プラン75」を観たいところ。
こういう論立てで、特に女性は家に縛り付けられてきた。家や田舎でひっそり生きろと促しているわけよ。高市首相でこういう日本会議のダメな部分が露呈して欲しい。
姥捨山はそこまでポピュラーな手段ではねえよ
“「生きる権利があるのは当然」って話と、「どこまで社会のリソースを割くのか」って話は、分けて議論されるべきだ。” 分けて話せるのかな? リソースが割けないとなった時、生きる権利は守られるのかね、坊や。
医療環境と技術が伸びて老人が死ににくくなっただけだろう(平均寿命とか考えてみて)
さいあく、年寄りがが死ねば介護は必要ないと思っている。そんなんじゃ、合理性どころか人間性を疑われるよ。「介護が必要ない」と「介護をしない」は…全然違うよ。
昔は子供が投資対象かつ介護要因だったのでヤングケアラーが何とかしてた。今も若者の年金保険料を使って高齢者の老後の面倒を金で見ているともいえなくもないが。
まず、姥捨山伝説(組織的な棄老)は歴史、考古学的に確認されておらず、おそらく仏教説話をルーツに持つ言い伝えと考えられている。逆に、敬老や親子の情愛の大切さがテーマ
実際に聞いた話だと急変しても救急車呼べない入院できない 金がないからって家族が拒否したって話はある。
有限なリソースの中で、人間の尊厳をどう扱うか
要不要の話以前に「自分を犠牲にしてまで世話をする必要があるか」はもっと議論した方がいい
人権や福祉は文明に余裕があるから実現出来る、ってのは事実。激ヤバ宇宙人が攻めてきて人類存亡の危機!とかなら人権などと言っていられないが、まだまだ人類も日本も余裕があるので、人権を大事にしていこうな。
多分多数派が老人になる前に政治家と有権者が制度をどうにかしなければいけなかった。でもできなかった。終了。
単に余裕があって出来てる。余裕のある生活を捨てたいなら個人的な範囲で好きにどうぞ。そもそも何が本来か。いつまで溯れば、本来なん?アウストラロピテクスか?
その通りだと思う。だがあの優しく威厳があり誰からも何事においても頼られていた笑顔の父が、かろうじて自分の名前を言える程度になってしまったからと、棄てに行けるはずがなかった。安らかな老後を贈りたいのだ。
親の面倒を見る生き物って人間だけらしいしな
自殺には賛成だが安楽死には反対
そう言う老人の介護に現役世代が忙殺されないように制度があるんだわ。まぁ、ただ、限界集落みたいなところにデイサービスの送り迎えしてんのとかはもうやめていいと思う。
自分は痴呆になるぐらいなら安楽死選ぶけど、それが許されると社会に不要な人は死ねという空気は絶対にできるからそれは嫌だなというジレンマがある
介護離職等が日本の生産性を下げているのは事実と思うが、であれば公的介護で全体を効率化すべきところ、政府が「家族の自助でなんとかしろ」って言ってるのが問題。目先の予算惜しさに労働力の浪費を放置してる。
働けないやつは死ねって話は、年寄に限定したはなしじゃねぇのよ
別年齢だけが介護される理由にはならない、なら介護を受けるものは昔からいたはず
人が人であるうちは人を助けるのは無くならない
「介護のためとは初めて聞いた」系の人は税金とか保険料とか払ってないのかな?
この手合いのコメントまじで4年毎に必ず出るな。たいてい自分は優秀だと思ってる増田が書いてるんだよな。この増田が明日交通事故にあって半身不随になったらぜひとも第一号になってもらおう
なんで姥捨てマウンテンが現役だった頃を基準にせにゃならんのじゃ。
日本の平均寿命が長いのは、過剰な延命措置で死期を引き延ばしているからに過ぎない。寝たきりで意識もなく横たわっている状態は、尊厳のある生き方と言えるのか?