先ほど自分の記事にブコメ書きましたが、自分の中ではネットの発言は一方通行の垂れ流しで、コミュニケーションとは思っていませんでした。(https://goldhead.hatenablog.com/entry/2025/09/20/223147)
黄金頭さんから「なにが悲しくて趣味でまで他人とかかわらなければいけないのか?」とお手紙いただいたので、「楽しそうに趣味で他人とかかわってらっしゃるじゃないですか」とお手紙を書きました。
クマ先生には好意を抱いていりと思っているのだけれども、人の行動原理は簡単なアルゴリズムである、と言うテーゼの元のそれに引っ掛かるように公開手紙は悪趣味かと。恐らく氏の人文主義の否定だと思う。
お互い言いたいことは分かるのだが、面倒くさくて大変だなー……と正直感じました。自分を客観視して話すことって娯楽にもなるけど、同時に精神的なコストもかかるから、量が増えるとストレスが増えそうだなぁ……
「リスナーが聴いていることを前提に言葉を選んで(それでも双方向コミュニケーションではなく一方的に)語る」ことを『コミュニケーション好きだろ?だって他人と関わっているし』というのは流石に違和感があるなぁ
けまらしい! やったぜ!
はてなにおけるコミュニケーションの在り方だ
タイトルに(ニチャア・・・)とかつけたくなる/楽しそうかは果たしてわからんけど、好きでやってるんじゃないの?とは思った(彼が主張するキャラ設定に矛盾してる気はする)
インターネットの人格って平野啓一郎先生の言うところの分人であって、別の自我として切り分けてるんじゃないですかね。性格も主義主張もリアルを引き継いでるんだけど感覚として地続きじゃないというか
スタンドアローンが前提で、そこから生じた相互理解は否定しないということだろ>「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ」
うわーめんどくせえ…。/他人の反応がなくても書き続けられる人も、他人の反応に対応するのが負担で止めちゃう人もいるよね(イラストレーターとかでも)。黄金頭さんには、負担のない範囲でブログ続けてほしい。
クマが町に降りてきた感じかな
ヘビとかゴキブリみたいな、寄ってくるなっておもってるのにしつっこくそこにあるものみたいな陰湿さを感じた
『コミュニケーション』 の定義 / 報酬って言ってしまうと身も蓋もなく感じる。理論としてはそうなのかもしれないけど。
他人に興味がないと言ってる人がTwitterで他人の話を楽しんでる矛盾は常々感じている
まぁ、本当にコミュニケーション嫌いならSNSで発信なんかせんわな
ネットって引用したつもりがそれに返信したことになったり、エゴサ関係の文化故かその境目が結構曖昧だよね
ブコメにこれまでに累計75万を超えるスターをいただいてきましたが、そのうち誰一人ともリアルで会話したことがありません。仮初めの人格が、無償で頂戴できるスター。これはコミュニケーションなのだろうか。
そうか、こういう方なのか。。。。。。
いいですね。はてなブックマークしてますね!
IDコールが有る頃、それで呼ばれてぶっ叩かれると俄然コミュニケーションな感じしたけどね。
なんだっけ、こういうの「くねくね」って表現されてたんだっけ、はてな村界隈では。都市伝説の妖怪の呼称の方じゃなくて
件の方の文章に通底する「自分こそは持たざる者であり不幸な弱者である」筆致が鼻につくってのは正直ある。比べても仕方ないけどじゃあ自分はどんだけ惨めな人間なんだと思ってしまうな
これは私信だから読まなくていいか。/実は去年、はてなブログで趣味アカウント作ってブログ書いてたけど、特に何か他人に伝えたいこととかないし、ただの日記なら公開する必要もないので更新止めたな。
「あなたたちは救われたじゃないですか」
こういうのされるとか想像してしまうとblogとかはしたくないなぁ、はてブで済ませようって思っちゃう。双方で、スルー力(りょく)を試されるんだろうな。記事で指摘し合う系で絡み合ってた人ってはてな離れて行った印象
自分もネットの「コミュニケーション」は瓶の中の手紙程度のものだと思っている。/何だかダムの底に沈んだはてな村がお彼岸に浮上したのを見てるような気分。
本当はコミュニケーション能力もあるし友達もたくさんいるのに人嫌いのスタンスをとる人やめてほしい。「来週ここへ来てください。本物の人嫌いを見せてあげますよ」って言うぞ。人前でしゃべっといて人嫌いとか…
これは申し訳ないけどダルいな。なぜあの文章を読んでこの行動ができるのか理解できない。ただただダルい。
一方向のコミュニケーションと双方向のコミュニケーションは全然違う。
前回のは「ワイン好きの四象限図」とみると割と納得感あるんだよね。一方で、創作物周り(映画やアニメを見る、本を読む、あるいは小説を書く、漫画を描く)はあの図がもっともあてはまらないエリアのひとつだと思う
否定的な意見が多いけど、自分ははてブのコメントやspaceでの発信は明確にコミュニケーションだと思う派だな。自分の意見にスターをつけてもらう、自分の話を聞いてもらえる、のは他者との関わり合いだと思う。
注1を読んだうえで、シロクマ先生って自分のものさしでしか他人を測れないんだなと思った。すべての人間は自分と同じだと思ってそうという感じがする。
楽しそうに趣味で他人とかかわってらっしゃるじゃないですか - シロクマの屑籠
先ほど自分の記事にブコメ書きましたが、自分の中ではネットの発言は一方通行の垂れ流しで、コミュニケーションとは思っていませんでした。(https://goldhead.hatenablog.com/entry/2025/09/20/223147)
黄金頭さんから「なにが悲しくて趣味でまで他人とかかわらなければいけないのか?」とお手紙いただいたので、「楽しそうに趣味で他人とかかわってらっしゃるじゃないですか」とお手紙を書きました。
クマ先生には好意を抱いていりと思っているのだけれども、人の行動原理は簡単なアルゴリズムである、と言うテーゼの元のそれに引っ掛かるように公開手紙は悪趣味かと。恐らく氏の人文主義の否定だと思う。
お互い言いたいことは分かるのだが、面倒くさくて大変だなー……と正直感じました。自分を客観視して話すことって娯楽にもなるけど、同時に精神的なコストもかかるから、量が増えるとストレスが増えそうだなぁ……
「リスナーが聴いていることを前提に言葉を選んで(それでも双方向コミュニケーションではなく一方的に)語る」ことを『コミュニケーション好きだろ?だって他人と関わっているし』というのは流石に違和感があるなぁ
けまらしい! やったぜ!
はてなにおけるコミュニケーションの在り方だ
タイトルに(ニチャア・・・)とかつけたくなる/楽しそうかは果たしてわからんけど、好きでやってるんじゃないの?とは思った(彼が主張するキャラ設定に矛盾してる気はする)
インターネットの人格って平野啓一郎先生の言うところの分人であって、別の自我として切り分けてるんじゃないですかね。性格も主義主張もリアルを引き継いでるんだけど感覚として地続きじゃないというか
スタンドアローンが前提で、そこから生じた相互理解は否定しないということだろ>「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ」
うわーめんどくせえ…。/他人の反応がなくても書き続けられる人も、他人の反応に対応するのが負担で止めちゃう人もいるよね(イラストレーターとかでも)。黄金頭さんには、負担のない範囲でブログ続けてほしい。
クマが町に降りてきた感じかな
ヘビとかゴキブリみたいな、寄ってくるなっておもってるのにしつっこくそこにあるものみたいな陰湿さを感じた
『コミュニケーション』 の定義 / 報酬って言ってしまうと身も蓋もなく感じる。理論としてはそうなのかもしれないけど。
他人に興味がないと言ってる人がTwitterで他人の話を楽しんでる矛盾は常々感じている
まぁ、本当にコミュニケーション嫌いならSNSで発信なんかせんわな
ネットって引用したつもりがそれに返信したことになったり、エゴサ関係の文化故かその境目が結構曖昧だよね
ブコメにこれまでに累計75万を超えるスターをいただいてきましたが、そのうち誰一人ともリアルで会話したことがありません。仮初めの人格が、無償で頂戴できるスター。これはコミュニケーションなのだろうか。
そうか、こういう方なのか。。。。。。
いいですね。はてなブックマークしてますね!
IDコールが有る頃、それで呼ばれてぶっ叩かれると俄然コミュニケーションな感じしたけどね。
なんだっけ、こういうの「くねくね」って表現されてたんだっけ、はてな村界隈では。都市伝説の妖怪の呼称の方じゃなくて
件の方の文章に通底する「自分こそは持たざる者であり不幸な弱者である」筆致が鼻につくってのは正直ある。比べても仕方ないけどじゃあ自分はどんだけ惨めな人間なんだと思ってしまうな
これは私信だから読まなくていいか。/実は去年、はてなブログで趣味アカウント作ってブログ書いてたけど、特に何か他人に伝えたいこととかないし、ただの日記なら公開する必要もないので更新止めたな。
「あなたたちは救われたじゃないですか」
こういうのされるとか想像してしまうとblogとかはしたくないなぁ、はてブで済ませようって思っちゃう。双方で、スルー力(りょく)を試されるんだろうな。記事で指摘し合う系で絡み合ってた人ってはてな離れて行った印象
自分もネットの「コミュニケーション」は瓶の中の手紙程度のものだと思っている。/何だかダムの底に沈んだはてな村がお彼岸に浮上したのを見てるような気分。
本当はコミュニケーション能力もあるし友達もたくさんいるのに人嫌いのスタンスをとる人やめてほしい。「来週ここへ来てください。本物の人嫌いを見せてあげますよ」って言うぞ。人前でしゃべっといて人嫌いとか…
これは申し訳ないけどダルいな。なぜあの文章を読んでこの行動ができるのか理解できない。ただただダルい。
一方向のコミュニケーションと双方向のコミュニケーションは全然違う。
前回のは「ワイン好きの四象限図」とみると割と納得感あるんだよね。一方で、創作物周り(映画やアニメを見る、本を読む、あるいは小説を書く、漫画を描く)はあの図がもっともあてはまらないエリアのひとつだと思う
否定的な意見が多いけど、自分ははてブのコメントやspaceでの発信は明確にコミュニケーションだと思う派だな。自分の意見にスターをつけてもらう、自分の話を聞いてもらえる、のは他者との関わり合いだと思う。
注1を読んだうえで、シロクマ先生って自分のものさしでしか他人を測れないんだなと思った。すべての人間は自分と同じだと思ってそうという感じがする。