昔、岡山の真庭郡に行ったら、タクシーの運転手さんが「最近コンビニができて若いのが深夜に集まってんですよ」と苦々しい感じで言ってたんですが、別にコンビニで夜中に駄弁るくらいええやんと思った思い出
イオンモールがあるなら、相当居場所がある方だと思う。イオンモールが無いと映画館もヴィレヴァンにも触れられない地方はいくらでもある。
結局老いも若きも田舎も都市部も商業施設がいいのね。文化とは。
今の世代はSNSで日夜“キラキラ”がいっぱい目に入ってくるから余計にそう思うのかもな、(自分が興味ある)場所が地元にないて
自分が満足だからねぇ。イベントが地方スルーされるともうそれでアウトな人いるよね。
もし田舎で表現するならば中高生がで持ってないのは場所より、どちらかといえば「移動手段」だと思う。車前提な感じだと物理的に遠くに行けない…。行動限界がチャリで行ける範囲になりがち。
カネもないしマイカーもない子供の閉塞感。まあ自転車あれば20kmくらいまでなら遠出できる範囲か
地方都市だと巨大ショッピングモールのイートインに学生がたむろしてたり、勉強してたり。
今だとゲーセンもクレーンゲームとプリクラだけで座れないし、無きに等しいもんな。今ならGeoなんかのデュエルスペースとかが居場所になるのかもね。
居場所がないというか、学校という軛から放たれた後に自分達と同じ世代、価値観だけで作る空間が見えない、作れないからだろう。
それはロジックがおかしい
“あの頃の自分にとっての居場所は塾かイオンモールか駅ビルだけだった” それは都会でも同じなのでは?
ときめくものが無いが正しいのでは?承認欲求を満たせるイベントやスポットが日替わりであるような。まぁ無いものねだりでしかないんだが。
中高生くらいの時期の居場所ってどこだっけと思い返したけど、友人の家とカラオケくらいだったな
中高生とワークショップで何が足りないか考えると、ラウンドワン、スタバ、流行りのスイーツって結論で終わるやつ。やりたい事が見つかってない10代の愚痴。自分の不満を街になすりつける他責思考の一種だと思ってる
やめて差し上げろ 「この手の話、「友達の家にいりびたる」みたいな話がまるで出てこずに「店がない(イオンしかない)」的な話ばかりだから「友達がいない」が本質的な問題なんじゃないか?って気がする。」
「地方の医学部に進学したら帰りにふらっと新宿クラスのデパート寄って帰るみたいなのが出来なくて何もなさすぎる」みたいな増田あったよね
イオンや駅ビルがある時点で、“イオンや駅ビルがあるレベルの田舎”だよなあ。ホントの田舎には“なんもない”ぞ。
40年前の自分の頃はド田舎でも入り浸れる友人の家があったから居場所には困らなかったな。今だったら友人宅は親の許可なく入れないだろうから確かに居場所が無いかもしれないな
中年も高齢者も「地元には何もない」って言うけどね。病院と薬局と高齢者施設はあるのに。
友達同士で遊びに行ける場所がないという意味ではないんかな。テーマパーク、コンサート会場、映画館、アミューズメント、服屋、スウィーツ店、カフェ、雑貨店、などなど。イオンは親も来るところ。
イオンは立地的に車で来ることを想定しているので、よほど近くないかぎり学生がイオンに入り浸るのはむずかしくないか。
「地元には何もない」という言葉の意味するところは、日常の「居場所が」というよりも、非日常の憧れるものが東京などの都会にいかないと無いということじゃないかな。
「フードコートで」「また明日!」
高校時代の居場所は本屋だった。大学時代の居場所はゲーセンと本屋。
ゲーセンみたいな誰かがいる居場所と本屋みたいな自分だけの居場所は分けたほうが良いよ。別のものだけど両方必要だ。大人になって何をするかのロードマップも別かもしれない。この話は解像度が低すぎる。
地元だと道の駅がそれになっているみたい。バスの発着場になってて、エアコンがかかってて冬は暖房もある溜まれる場所がある。 買い物する場所とかそういうのはないです。道の駅併設のファミマがあるくらい。
やっすい原付とか軽自動車が使えるようになると田舎ってのは輝き出すんだよな。徒歩も電車も無理だし自転車の一部の変態になるくらいしかないが普通は無理w
テレビもねえ!ラジオもねえ!
通学経路(せめて自転車で気軽に行ける距離)に服屋や楽器屋や雑貨屋、ゲーセン、本屋、映画館。たまには電車で都市部へ。これくらいは欲しいよな。図書館やモールまで親の車必須とかはキツいよ。
高校になってから、"街"の近くを通るバスの定期を手に入れたからアクセスしやすくなったけど、それでも街までは歩く必要があってな、
学習参考書を売っている本屋がないところに生まれた受験生はとても大変だと思う
突発的な豪雪で電車が運休になり、雪で覆われて真っ白な地面を電線から道を予想して3時間歩いた帰路で「本当になにもないんだな」ってなった。駅の暖房は運休時点で止まってたから待つこともできなかった。
私は東京都心の高校に通っていたが、都心は座るのにもお金が必要で、いつも駅のベンチや道路で時間を潰していた。どこに住んでいても中高生の居場所なんて学校と家ぐらいしかない。学校や家に居づらい中高生は…
地元の宝、見つけるのは心のレンズ次第ですわね。冒険は身近にありますのよ。
塾とイオンモールと駅ビルを兼ね備えた立地で中学生でも行ける距離にあって、それを田舎に括っては都会がなくなりそう。//駅まで一人でアクセスできるなら、あとは金の方の問題になりそうだけど。
高校生で原付通学になれば、ガソリン150円で50km移動できる広い世界になるんで、都市部住みより自由度上がる。あとは、田舎でもマクドナルドくらいはある。
大人にとっても、寄り道できる場所は重要。自分にとっては古びた食堂や本屋、CDショップ、喫茶店、飲めるなら居酒屋みたいなものだったはずだけど、もはや郊外にはないな。
イオンモールのないド田舎なら自然と遊ぶという手もあったが、当の自然が熱中症とかの危険な状態になってしまったのがな……図書室かお家でゲームくらいか?
みなさん帰宅部なのかしら 中高生といえば部活が居場所 自分は吹奏楽部だった 部室と音楽室が居場所だった 運動部も同じだと思う
この主張の対偶は「居場所があれば何かある」だけど、部室やコンビニに屯してるど田舎中高生でも「地元なんもない」と言えるよね。単に(映える)遊びの選択肢の大小では
本当に何もない場合もある。郊外ベッドタウンとか30年は経たないと/「巣食う」場じゃなく、冒険しに行ける場なんじゃ?それの有無は、東京とそれ以外の大きな差と思うことはある。私は渋谷や新宿を徘徊していた
そうは言っても、東京も金払わないと居られるとこないからなあ。まあ、金払えば行けるとこは凄くたくさんあるけど
「文化的な活動」が何を指すのか知らんけど、自分は高校で歴史オタクになったから家からチャリで行けるネタは50km圏内になんぼでもあったし、図書館で調べ物するのも楽しかったよ。当然、ほぼ単独行やけどなwww
これは居場所がないというよりも地元に魅力を見い出せない、自慢できないという見栄の意識の方が大きいような気がする
「地元に何も無い」というとき飲食店を含まないのは自明では
自宅に同類を集めてTRPGのキャンペーンを開いてくれた師匠ともいうべき同級生に、どれほど救われていたのかを、ずいぶん後になってから思い知った
俺は当時の夏休みなんかは町の施設(多目的ホールとか)で過ごしてた。当然イオンとかは無い。でも考えてみたら俺もしくは俺らしか居なかったんだ。他の奴らはどこで何してたんだ…?
これ地方に関係なく都内でも同じ。『中高生のたまり場』はお店側から常に駆除されがち。行政が率先して作るべき⇒『①お菓子を食べながら勉強でき②できれば本や雑誌も読め③多少ザワザワしても怒られないスペース』
たまり場と憧れ・ハレの場(ものの数になる場)、安全な場を一緒くたにしてないか……?
都市ほど場所に金かかるけどな
中高生の時は友達がいればそれでいいって感じだったので、映画館も美術館もさして興味なく、普段はマックと図書館で事足りてた。まあ今はマックも中高生には高すぎる気がする。
「フードコートで、また明日」がまさにこれの真逆で、学校に居場所のないふたりがイオンのフードコートでひたすらダベる話。なんなら今期アニメで一番好き。一話終盤辺りからどんどんギア入って面白くなる。
首都圏でもない限り「自転車か徒歩で気軽に行けて、数百円以内で中高生が居座れる場所」なんてそうそうないよね。イオンフードコートかゲーセン(絶滅危惧種)くらいじゃんか…満喫もカラオケも予算オーバー
東京で中高生やってたが、居場所なんて家と学校と友達の家くらいで、イオンすらなかったが?古本屋は良く行ったが居場所ではないし、割と長く居たゲーセンは都内ではほぼ絶滅した
「まあ地元に飲食店がいくらあっても、中学生や高校生には、関係が無いよなぁ…」半年ほど前に小学生時代に住んでたマンションまわりを散策してみたら、自宅の真ん前の建物が老舗定食屋だった事を40年越しに知った。
SNSでよく見るものがない、だと思う。
東京都心の高校出身だが、確かに東京だとヴィレバンやCDショップや本屋で物色だけしたりしながらダラダラ街を巡れるので、無料でやれることはたくさんあったなと思う(迷惑客だが
こういう話でいつも思うんだけど、イオンモールのなにがダメなん?なにがあればいいの?
エブリデイ・ヤングライフ!ジュネス!
海辺に住んでたけど、近くの島まで泳いだり、防風林を散策したり、砂浜で遊んだりして退屈とは無縁だったので、自然で遊べるのなんてガキの頃だけなんだから無料で提供されてる海・林・砂で遊ばないの勿体ない
大阪のど真ん中だったが、居場所という意味では家しかなかったが。世間の人はそんなに多数の場所で長い時間過ごすものなの?友達と遊ぶのは友達の家でゲームか、公園で野球かサッカーだったけど
都会に住んでる大人も似たようなこと言ってない?
「品揃えが少ない」とかもその客が欲しい商品がないだけだし、ゲームの「自由度がない」とかもだいたいこれ
水戸と人口がそう変わらない街に育ったけど、当時部活帰りに行ってた住宅街外れのお好み焼き屋や、国道沿いの中規模書店等は見事に無くなってしまった。まあ当時からチャリで市内を3駅分ほど行き来してた訳だが。
単純に「自分の関心があるものがない」ってだけだよ。視野の狭さ故の感想に過ぎない。俺なんか年金貰うようになったら、地元の歴史研究でもしたろうかと考えとるで。
自分が子供の頃と違うのは条件に"冷房が効いている場所"が追加される事で無料でいられる場所の候補がだいぶ減ってる事
それは「デートする場所がない」という意味です>地元にはなにもない 松山ケンイチですらマエダ百貨店でデートですよ(震え声
温泉ある観光地で育ったけど、中高生にとってはファミレスとマクドナルドくらいしかなく、本屋もショッピングモールもなくて「まじで何もない」だった
ないものねだりになるけど若い子の発想で友達恋人と行って楽しそうと思えるのは大抵自分の街にあったら日常施設になるから無いのと同じなんだよなあ
苫小牧民だけど遊び場溜まり場はスガイボウル(ボーリングとゲーム)が多かった。高校や自宅からも近かったし。現在のイオンモールに移転する直前の頃
矢張都市雇用圏人口50万人以上の中心都市は都内. "都内"のhurdleが低すぎる. /そして, その乏しい文化資本のせいで東京(本物)だけが"都内"と誤認し,(本来中心目的地徒歩4分になれた所が)共働き片道45分,片働き67分へ.
そういう観点で、大阪駅に隣接する場所に公園を作ったのは偉業だなと思った。
コイン精米や自販機の前で缶ジュース片手にタバコ吸いながら喋る。てか映えやイベント、賑やかな所と居場所は違うんじゃない?小遣いも知れているし。放課後の教室や校舎裏、駄菓子屋の前等が定番じゃ?
東京育ちだけど中高の主な居場所は 部室、マック、ゲーセンの3択だったな。金もなく遠出もできない中高生が溜まり場にできる場所は限られる。文化的って逆にどんな・・・?皆そんなおしゃれな学生生活してたの?
元々中高生の居場所ってなかったでしょ。家ぐらいしか。イオンモールなら昔も今もあるし。
自分は中高生の頃は本屋タワレコがあったから一人でもギリギリなんとかなった気がする。一人でも安心できる場所、友達と楽しかったと言える場所。大人目線では絶対わかんないと思うよ。
俺が中高校生だった80年代、行く場所は書店・家電量販店・レコード店くらいだったな、たまに服屋に行く程度。友人はあと楽器店に行くと言ってた。大規模SCなんて影も形も無かった時代。何も無いとは思ってなかった。
けっこうしっくりくる意見だ。ドトールなどの分煙された安価なカフェチェーンとかファミレスとかが該当するのかな。接客とかコミュニティ形成じゃなくてもっとフリーな場所。田舎には中高生の行動圏内には少ない。
フリースクールとか通信制高校とかそういうのじゃなかった…(田舎で通えないかなかった…)図書館と本屋と絵を描いてたから画材屋あたりで特に暇した事ないが画材屋も都会にしかないな
お店にしろ、屋外空間にしろ、子供(というか人)が沢山、長時間たまってるのも他の利用者や通行者からすれば迷惑だからな。
中高生が美味しい飲食店に入り浸って店主と仲良くなる?というシチュエーションが想像できないし、居場所になるって750ライダーみたいな感じ?
人間到る処青山あり
ゲーセンに行こう
せやな、で、歳とったら以外にたくさんあるやん、って思うようになることもあるみたいな
自分は田舎育ちだけれども「地元には何もない」という発想は無かったなあ。そもそも“どこと比べて?”という比較対象さえ知り得なかったので。SNSやネットの普及で色々見えてしまった結果でもあるのかも。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
中高生の「何もない」は「(大人になった自分にふさわしい場所が)ない」なんじゃない?中高生の居場所の有無とは別問題じゃないかなあ。
中高なら部活に入っているなら部室があるじゃん。高校の時バドミントン部だったけど部室で麻雀やってたな。
入り浸ってダラダラできる(寛げる)場所が無いというのは実際そうだと思う/イケてる店やスポットは遠征イベント枠でいいけど、日々の生活が学校→塾→自宅のループの単調さに気が狂いそうになるのはわかる
高校生のころ学校の近くのお好み焼き屋にしょっちゅう行って三~四人で一枚のお好み焼き分けて食べてた。 お店のおばちゃんが優しくて居心地よかったけど売上貢献しなくてごめんね。
部室でだらだらしてるものでは
具体的な理由はなくそういう気分になって言ってるだけでは? 何かかっこいいとか何かやった気になるとか物申してやった気になるとか、気分だけでしゃべる人は大人になっても結構いる。
郊外ニュータウンだったのでガチで何もなかった。イオンすら
部活をやっていたので、居場所は体育館と部室だった。放課後も休日も練習があったので、そこが居場所だったかな。引退したら塾(予備校)と図書館が居場所に変わった。そういう人、少ないのかな。
実家に2週間ほど帰る必要が出た際に、駅から徒歩20分圏内で一人で飲みに行けそうな飲み屋を探したけれど、カラオケ居酒屋・スナック以外は存在せず、居場所がないと感じた。
マエダ百貨店って「マエダ本店」のことなのかな? >本店は4階建てくらいのおおきな店舗で、服屋とか雑貨屋とかレストランとかが入っているんですけど他のマエダはただのスーパーです
東京にはThird Placeがたくさんあるから地方民は東京に憧れるが、東京のFirst Place(自宅), Second Place(学校)の環境が地獄なのを地方民は知らない。
放課後、親がいる家に直帰したくない時は、通学自転車で大型書店、レコード屋、家電量販店のハシゴしかやることがなかった自分は、それらが自転車で行ける範囲にあった分まだ幸運な方だったのか(政令都市の隣の町)
都心の飲食店、2年持たないのが7割8割らしくて経営者は苦労する話をよく聞くけど、ずっと街が新陳代謝するのは学生にとっては嬉しいよねえ……
首都圏で遠くの高校に通ってたりするとそういう悩みは少ないが、代わりに地獄の電車通学が待っているので、一長一短というか、中高生だとやっぱ勉強と部活が本業なので、地方の環境のほうが総合的にはよさげ。
それでも都市部は小学生でも一人で行ける図書館があるだけマシなんだけどな
地方は車がないと何もアクセスでないし、東京は金がないと何もできない。バイトNGで学校が居づらいとまあ居場所無いだろうね
あっても外出るの?
田舎でも中核都市の中心部に住んでたから居場所に困ったことないけど、ニュータウンとか中高生のこと全く考えてない酷い場所多いよな
高田馬場と池袋と秋葉原巡ってただけなのでよくわからない
田舎出身の学生時代の話を聞くと気軽にイオンに行けるのはまだマシで、たむろするのが自販機の前だったりするんだよな…
学校と家との往復だったので何とも、、、。大人になった今でも自宅以外に別に無条件で居場所に出来るところってないし。。。むしろ自宅以外に要らないので田舎かどうかは全く関係ない。田舎に育ったからかもしれない
中学の時は商業施設なんてあったところで金がないんだから大した意味はないけどな。せめて山川海など自然があればいいが開発された田舎である田園地帯だとほんとになにもない。
逆に中高生がお金もないのに集まれる場所なんて学校系か友達の家くらいしかないのでは。だからこそ東横みたいなのに憧れるのかもしれないけど。
図書館は市街化頂礼区域につくられることが多い。 居場所ないよねえ。
『フードコートで、また明日。』のアニメ、全六話で終わっちゃって残念。続編はよ。
資本主義が流す東京の情報を遮断すればよい。/東京で文化的生活をしてる(演じてる)のは「若い金持ちの若者」だけ。
大人だって「何もない」というのは一見で入れる商店がないという意味だから用法は一緒
そういう障害を若さと勢いで走り抜けるのが青春じゃん?
自分が学生だった頃はゲーセンが花盛りのころだったので放課後は昼飯代ケチって溜めた小銭でゲーセン巡りだった。
うちの高校生は都心型の学校に通ってて楽しそうにしてる。学校帰りに友達と話題のスイーツなんてキラキラ中のキラキラだが、ある種さらっとしてて、その凄さに関してはまだ無自覚に見える。
中高生が「地元には何もない」と言う場合、「中高生にとって居場所がない(少ない)」ということなんだよな。あの頃の居場所は塾かイオンか駅ビルだった→学校以外で無条件で居場所に出来る所が少ない…
昔、岡山の真庭郡に行ったら、タクシーの運転手さんが「最近コンビニができて若いのが深夜に集まってんですよ」と苦々しい感じで言ってたんですが、別にコンビニで夜中に駄弁るくらいええやんと思った思い出
イオンモールがあるなら、相当居場所がある方だと思う。イオンモールが無いと映画館もヴィレヴァンにも触れられない地方はいくらでもある。
結局老いも若きも田舎も都市部も商業施設がいいのね。文化とは。
今の世代はSNSで日夜“キラキラ”がいっぱい目に入ってくるから余計にそう思うのかもな、(自分が興味ある)場所が地元にないて
自分が満足だからねぇ。イベントが地方スルーされるともうそれでアウトな人いるよね。
もし田舎で表現するならば中高生がで持ってないのは場所より、どちらかといえば「移動手段」だと思う。車前提な感じだと物理的に遠くに行けない…。行動限界がチャリで行ける範囲になりがち。
カネもないしマイカーもない子供の閉塞感。まあ自転車あれば20kmくらいまでなら遠出できる範囲か
地方都市だと巨大ショッピングモールのイートインに学生がたむろしてたり、勉強してたり。
今だとゲーセンもクレーンゲームとプリクラだけで座れないし、無きに等しいもんな。今ならGeoなんかのデュエルスペースとかが居場所になるのかもね。
居場所がないというか、学校という軛から放たれた後に自分達と同じ世代、価値観だけで作る空間が見えない、作れないからだろう。
それはロジックがおかしい
“あの頃の自分にとっての居場所は塾かイオンモールか駅ビルだけだった” それは都会でも同じなのでは?
ときめくものが無いが正しいのでは?承認欲求を満たせるイベントやスポットが日替わりであるような。まぁ無いものねだりでしかないんだが。
中高生くらいの時期の居場所ってどこだっけと思い返したけど、友人の家とカラオケくらいだったな
中高生とワークショップで何が足りないか考えると、ラウンドワン、スタバ、流行りのスイーツって結論で終わるやつ。やりたい事が見つかってない10代の愚痴。自分の不満を街になすりつける他責思考の一種だと思ってる
やめて差し上げろ 「この手の話、「友達の家にいりびたる」みたいな話がまるで出てこずに「店がない(イオンしかない)」的な話ばかりだから「友達がいない」が本質的な問題なんじゃないか?って気がする。」
「地方の医学部に進学したら帰りにふらっと新宿クラスのデパート寄って帰るみたいなのが出来なくて何もなさすぎる」みたいな増田あったよね
イオンや駅ビルがある時点で、“イオンや駅ビルがあるレベルの田舎”だよなあ。ホントの田舎には“なんもない”ぞ。
40年前の自分の頃はド田舎でも入り浸れる友人の家があったから居場所には困らなかったな。今だったら友人宅は親の許可なく入れないだろうから確かに居場所が無いかもしれないな
中年も高齢者も「地元には何もない」って言うけどね。病院と薬局と高齢者施設はあるのに。
友達同士で遊びに行ける場所がないという意味ではないんかな。テーマパーク、コンサート会場、映画館、アミューズメント、服屋、スウィーツ店、カフェ、雑貨店、などなど。イオンは親も来るところ。
イオンは立地的に車で来ることを想定しているので、よほど近くないかぎり学生がイオンに入り浸るのはむずかしくないか。
「地元には何もない」という言葉の意味するところは、日常の「居場所が」というよりも、非日常の憧れるものが東京などの都会にいかないと無いということじゃないかな。
「フードコートで」「また明日!」
高校時代の居場所は本屋だった。大学時代の居場所はゲーセンと本屋。
ゲーセンみたいな誰かがいる居場所と本屋みたいな自分だけの居場所は分けたほうが良いよ。別のものだけど両方必要だ。大人になって何をするかのロードマップも別かもしれない。この話は解像度が低すぎる。
地元だと道の駅がそれになっているみたい。バスの発着場になってて、エアコンがかかってて冬は暖房もある溜まれる場所がある。 買い物する場所とかそういうのはないです。道の駅併設のファミマがあるくらい。
やっすい原付とか軽自動車が使えるようになると田舎ってのは輝き出すんだよな。徒歩も電車も無理だし自転車の一部の変態になるくらいしかないが普通は無理w
テレビもねえ!ラジオもねえ!
通学経路(せめて自転車で気軽に行ける距離)に服屋や楽器屋や雑貨屋、ゲーセン、本屋、映画館。たまには電車で都市部へ。これくらいは欲しいよな。図書館やモールまで親の車必須とかはキツいよ。
高校になってから、"街"の近くを通るバスの定期を手に入れたからアクセスしやすくなったけど、それでも街までは歩く必要があってな、
学習参考書を売っている本屋がないところに生まれた受験生はとても大変だと思う
突発的な豪雪で電車が運休になり、雪で覆われて真っ白な地面を電線から道を予想して3時間歩いた帰路で「本当になにもないんだな」ってなった。駅の暖房は運休時点で止まってたから待つこともできなかった。
私は東京都心の高校に通っていたが、都心は座るのにもお金が必要で、いつも駅のベンチや道路で時間を潰していた。どこに住んでいても中高生の居場所なんて学校と家ぐらいしかない。学校や家に居づらい中高生は…
地元の宝、見つけるのは心のレンズ次第ですわね。冒険は身近にありますのよ。
塾とイオンモールと駅ビルを兼ね備えた立地で中学生でも行ける距離にあって、それを田舎に括っては都会がなくなりそう。//駅まで一人でアクセスできるなら、あとは金の方の問題になりそうだけど。
高校生で原付通学になれば、ガソリン150円で50km移動できる広い世界になるんで、都市部住みより自由度上がる。あとは、田舎でもマクドナルドくらいはある。
大人にとっても、寄り道できる場所は重要。自分にとっては古びた食堂や本屋、CDショップ、喫茶店、飲めるなら居酒屋みたいなものだったはずだけど、もはや郊外にはないな。
イオンモールのないド田舎なら自然と遊ぶという手もあったが、当の自然が熱中症とかの危険な状態になってしまったのがな……図書室かお家でゲームくらいか?
みなさん帰宅部なのかしら 中高生といえば部活が居場所 自分は吹奏楽部だった 部室と音楽室が居場所だった 運動部も同じだと思う
この主張の対偶は「居場所があれば何かある」だけど、部室やコンビニに屯してるど田舎中高生でも「地元なんもない」と言えるよね。単に(映える)遊びの選択肢の大小では
本当に何もない場合もある。郊外ベッドタウンとか30年は経たないと/「巣食う」場じゃなく、冒険しに行ける場なんじゃ?それの有無は、東京とそれ以外の大きな差と思うことはある。私は渋谷や新宿を徘徊していた
そうは言っても、東京も金払わないと居られるとこないからなあ。まあ、金払えば行けるとこは凄くたくさんあるけど
「文化的な活動」が何を指すのか知らんけど、自分は高校で歴史オタクになったから家からチャリで行けるネタは50km圏内になんぼでもあったし、図書館で調べ物するのも楽しかったよ。当然、ほぼ単独行やけどなwww
これは居場所がないというよりも地元に魅力を見い出せない、自慢できないという見栄の意識の方が大きいような気がする
「地元に何も無い」というとき飲食店を含まないのは自明では
自宅に同類を集めてTRPGのキャンペーンを開いてくれた師匠ともいうべき同級生に、どれほど救われていたのかを、ずいぶん後になってから思い知った
俺は当時の夏休みなんかは町の施設(多目的ホールとか)で過ごしてた。当然イオンとかは無い。でも考えてみたら俺もしくは俺らしか居なかったんだ。他の奴らはどこで何してたんだ…?
これ地方に関係なく都内でも同じ。『中高生のたまり場』はお店側から常に駆除されがち。行政が率先して作るべき⇒『①お菓子を食べながら勉強でき②できれば本や雑誌も読め③多少ザワザワしても怒られないスペース』
たまり場と憧れ・ハレの場(ものの数になる場)、安全な場を一緒くたにしてないか……?
都市ほど場所に金かかるけどな
中高生の時は友達がいればそれでいいって感じだったので、映画館も美術館もさして興味なく、普段はマックと図書館で事足りてた。まあ今はマックも中高生には高すぎる気がする。
「フードコートで、また明日」がまさにこれの真逆で、学校に居場所のないふたりがイオンのフードコートでひたすらダベる話。なんなら今期アニメで一番好き。一話終盤辺りからどんどんギア入って面白くなる。
首都圏でもない限り「自転車か徒歩で気軽に行けて、数百円以内で中高生が居座れる場所」なんてそうそうないよね。イオンフードコートかゲーセン(絶滅危惧種)くらいじゃんか…満喫もカラオケも予算オーバー
東京で中高生やってたが、居場所なんて家と学校と友達の家くらいで、イオンすらなかったが?古本屋は良く行ったが居場所ではないし、割と長く居たゲーセンは都内ではほぼ絶滅した
「まあ地元に飲食店がいくらあっても、中学生や高校生には、関係が無いよなぁ…」半年ほど前に小学生時代に住んでたマンションまわりを散策してみたら、自宅の真ん前の建物が老舗定食屋だった事を40年越しに知った。
SNSでよく見るものがない、だと思う。
東京都心の高校出身だが、確かに東京だとヴィレバンやCDショップや本屋で物色だけしたりしながらダラダラ街を巡れるので、無料でやれることはたくさんあったなと思う(迷惑客だが
こういう話でいつも思うんだけど、イオンモールのなにがダメなん?なにがあればいいの?
エブリデイ・ヤングライフ!ジュネス!
海辺に住んでたけど、近くの島まで泳いだり、防風林を散策したり、砂浜で遊んだりして退屈とは無縁だったので、自然で遊べるのなんてガキの頃だけなんだから無料で提供されてる海・林・砂で遊ばないの勿体ない
大阪のど真ん中だったが、居場所という意味では家しかなかったが。世間の人はそんなに多数の場所で長い時間過ごすものなの?友達と遊ぶのは友達の家でゲームか、公園で野球かサッカーだったけど
都会に住んでる大人も似たようなこと言ってない?
「品揃えが少ない」とかもその客が欲しい商品がないだけだし、ゲームの「自由度がない」とかもだいたいこれ
水戸と人口がそう変わらない街に育ったけど、当時部活帰りに行ってた住宅街外れのお好み焼き屋や、国道沿いの中規模書店等は見事に無くなってしまった。まあ当時からチャリで市内を3駅分ほど行き来してた訳だが。
単純に「自分の関心があるものがない」ってだけだよ。視野の狭さ故の感想に過ぎない。俺なんか年金貰うようになったら、地元の歴史研究でもしたろうかと考えとるで。
自分が子供の頃と違うのは条件に"冷房が効いている場所"が追加される事で無料でいられる場所の候補がだいぶ減ってる事
それは「デートする場所がない」という意味です>地元にはなにもない 松山ケンイチですらマエダ百貨店でデートですよ(震え声
温泉ある観光地で育ったけど、中高生にとってはファミレスとマクドナルドくらいしかなく、本屋もショッピングモールもなくて「まじで何もない」だった
ないものねだりになるけど若い子の発想で友達恋人と行って楽しそうと思えるのは大抵自分の街にあったら日常施設になるから無いのと同じなんだよなあ
苫小牧民だけど遊び場溜まり場はスガイボウル(ボーリングとゲーム)が多かった。高校や自宅からも近かったし。現在のイオンモールに移転する直前の頃
矢張都市雇用圏人口50万人以上の中心都市は都内. "都内"のhurdleが低すぎる. /そして, その乏しい文化資本のせいで東京(本物)だけが"都内"と誤認し,(本来中心目的地徒歩4分になれた所が)共働き片道45分,片働き67分へ.
そういう観点で、大阪駅に隣接する場所に公園を作ったのは偉業だなと思った。
コイン精米や自販機の前で缶ジュース片手にタバコ吸いながら喋る。てか映えやイベント、賑やかな所と居場所は違うんじゃない?小遣いも知れているし。放課後の教室や校舎裏、駄菓子屋の前等が定番じゃ?
東京育ちだけど中高の主な居場所は 部室、マック、ゲーセンの3択だったな。金もなく遠出もできない中高生が溜まり場にできる場所は限られる。文化的って逆にどんな・・・?皆そんなおしゃれな学生生活してたの?
元々中高生の居場所ってなかったでしょ。家ぐらいしか。イオンモールなら昔も今もあるし。
自分は中高生の頃は本屋タワレコがあったから一人でもギリギリなんとかなった気がする。一人でも安心できる場所、友達と楽しかったと言える場所。大人目線では絶対わかんないと思うよ。
俺が中高校生だった80年代、行く場所は書店・家電量販店・レコード店くらいだったな、たまに服屋に行く程度。友人はあと楽器店に行くと言ってた。大規模SCなんて影も形も無かった時代。何も無いとは思ってなかった。
けっこうしっくりくる意見だ。ドトールなどの分煙された安価なカフェチェーンとかファミレスとかが該当するのかな。接客とかコミュニティ形成じゃなくてもっとフリーな場所。田舎には中高生の行動圏内には少ない。
フリースクールとか通信制高校とかそういうのじゃなかった…(田舎で通えないかなかった…)図書館と本屋と絵を描いてたから画材屋あたりで特に暇した事ないが画材屋も都会にしかないな
お店にしろ、屋外空間にしろ、子供(というか人)が沢山、長時間たまってるのも他の利用者や通行者からすれば迷惑だからな。
中高生が美味しい飲食店に入り浸って店主と仲良くなる?というシチュエーションが想像できないし、居場所になるって750ライダーみたいな感じ?
人間到る処青山あり
ゲーセンに行こう
せやな、で、歳とったら以外にたくさんあるやん、って思うようになることもあるみたいな
自分は田舎育ちだけれども「地元には何もない」という発想は無かったなあ。そもそも“どこと比べて?”という比較対象さえ知り得なかったので。SNSやネットの普及で色々見えてしまった結果でもあるのかも。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
中高生の「何もない」は「(大人になった自分にふさわしい場所が)ない」なんじゃない?中高生の居場所の有無とは別問題じゃないかなあ。
中高なら部活に入っているなら部室があるじゃん。高校の時バドミントン部だったけど部室で麻雀やってたな。
入り浸ってダラダラできる(寛げる)場所が無いというのは実際そうだと思う/イケてる店やスポットは遠征イベント枠でいいけど、日々の生活が学校→塾→自宅のループの単調さに気が狂いそうになるのはわかる
高校生のころ学校の近くのお好み焼き屋にしょっちゅう行って三~四人で一枚のお好み焼き分けて食べてた。 お店のおばちゃんが優しくて居心地よかったけど売上貢献しなくてごめんね。
部室でだらだらしてるものでは
具体的な理由はなくそういう気分になって言ってるだけでは? 何かかっこいいとか何かやった気になるとか物申してやった気になるとか、気分だけでしゃべる人は大人になっても結構いる。
郊外ニュータウンだったのでガチで何もなかった。イオンすら
部活をやっていたので、居場所は体育館と部室だった。放課後も休日も練習があったので、そこが居場所だったかな。引退したら塾(予備校)と図書館が居場所に変わった。そういう人、少ないのかな。
実家に2週間ほど帰る必要が出た際に、駅から徒歩20分圏内で一人で飲みに行けそうな飲み屋を探したけれど、カラオケ居酒屋・スナック以外は存在せず、居場所がないと感じた。
マエダ百貨店って「マエダ本店」のことなのかな? >本店は4階建てくらいのおおきな店舗で、服屋とか雑貨屋とかレストランとかが入っているんですけど他のマエダはただのスーパーです
東京にはThird Placeがたくさんあるから地方民は東京に憧れるが、東京のFirst Place(自宅), Second Place(学校)の環境が地獄なのを地方民は知らない。
放課後、親がいる家に直帰したくない時は、通学自転車で大型書店、レコード屋、家電量販店のハシゴしかやることがなかった自分は、それらが自転車で行ける範囲にあった分まだ幸運な方だったのか(政令都市の隣の町)
都心の飲食店、2年持たないのが7割8割らしくて経営者は苦労する話をよく聞くけど、ずっと街が新陳代謝するのは学生にとっては嬉しいよねえ……
首都圏で遠くの高校に通ってたりするとそういう悩みは少ないが、代わりに地獄の電車通学が待っているので、一長一短というか、中高生だとやっぱ勉強と部活が本業なので、地方の環境のほうが総合的にはよさげ。
それでも都市部は小学生でも一人で行ける図書館があるだけマシなんだけどな
地方は車がないと何もアクセスでないし、東京は金がないと何もできない。バイトNGで学校が居づらいとまあ居場所無いだろうね
あっても外出るの?
田舎でも中核都市の中心部に住んでたから居場所に困ったことないけど、ニュータウンとか中高生のこと全く考えてない酷い場所多いよな
高田馬場と池袋と秋葉原巡ってただけなのでよくわからない
田舎出身の学生時代の話を聞くと気軽にイオンに行けるのはまだマシで、たむろするのが自販機の前だったりするんだよな…
学校と家との往復だったので何とも、、、。大人になった今でも自宅以外に別に無条件で居場所に出来るところってないし。。。むしろ自宅以外に要らないので田舎かどうかは全く関係ない。田舎に育ったからかもしれない
中学の時は商業施設なんてあったところで金がないんだから大した意味はないけどな。せめて山川海など自然があればいいが開発された田舎である田園地帯だとほんとになにもない。
逆に中高生がお金もないのに集まれる場所なんて学校系か友達の家くらいしかないのでは。だからこそ東横みたいなのに憧れるのかもしれないけど。
図書館は市街化頂礼区域につくられることが多い。 居場所ないよねえ。
『フードコートで、また明日。』のアニメ、全六話で終わっちゃって残念。続編はよ。
資本主義が流す東京の情報を遮断すればよい。/東京で文化的生活をしてる(演じてる)のは「若い金持ちの若者」だけ。
大人だって「何もない」というのは一見で入れる商店がないという意味だから用法は一緒
そういう障害を若さと勢いで走り抜けるのが青春じゃん?
自分が学生だった頃はゲーセンが花盛りのころだったので放課後は昼飯代ケチって溜めた小銭でゲーセン巡りだった。
うちの高校生は都心型の学校に通ってて楽しそうにしてる。学校帰りに友達と話題のスイーツなんてキラキラ中のキラキラだが、ある種さらっとしてて、その凄さに関してはまだ無自覚に見える。