昨日、Xでつぶやいた内容をまとめました。高度経済成長期に浮かれていた頃は、商品選択や消費活動にアイデンティティを委ねるのが好ましいように思えたけど、お金がなくなったどうするの?ナショナリズム?って話。
1999より日産セレナのCMで「モノより思い出」というコピーが流れたが、"モノ"でトヨタに敗北した日産がミニバンやSUVという企画力で立ち向かおうとしたコピーかもしれない。 https://faq2.nissan.co.jp/faq/show/11915
少子化→生産年齢人口の減少→低成長によるパイの奪い合い→格差拡大の加速→政治のポピュリズム化、という流れは程度の差こそあれ日本に限らず先進国共通の病巣に思える。解決できた国は今のところ見当たらない。
核家族化や個人主義は自由度が増えたけど、それに伴って共同体から得ていた利益が減って、トータルの自由度のプラマイ度合いは(個別なので幅があるが)むしろ下がったのでは?と思うことはある。
ようわからんのやけど、「アイデンティティの購入」を拒否し続けることで自分はアイデンティティを保ってきたんやろなあと、なんとなく思った。だから一般社会から疎外されてるわけなのかな。やっぱりようわからん
特に排外主義は「よそ者、出てけ!」って叫ぶだけだから思想学習も要らなくてコスパが良い。金が無くても出来る推し活。〉「政治、あるいはナショナリズムをとおしてアイデンティティを獲得」
"金回りがいいうちはそれこそが正解で、その弊害も少なかったのかもしれないが、金回りが悪くなればそうもいかない。" そういうのあるな。家族への回帰の方向性、は無いかな、無いか
自分をどういう物語に置くかという話。物語なくしては人は生きてはいけない。これまでは消費に立脚していたが、今はコスパのよい大きな物語がすぐ隣に用意されてるって感じか
だったら消費より生産への回帰ですよ。昭和中期までイエ共同体が機能してたのは農業や個人商店とか家業が基本だったから(家族は店員、農地や店舗を継承のため結婚)。とはいえ個人レベルの創造はAIに勝てなそう
経済合理性で万物が集中から分散で向かった平和が終わりに近づき、国家が集中管理可能な範囲に限定して国内を統治する電信と、敵国の攻撃への抗堪性という点で高コストでも分散すべき電力の推移で、差が拡大しそう。
東京の、高いものを買ったことを自慢する文化圏だと世の中がそう見えるんかな。
政治参加している(気分になれる)自分(アイデンティティのようなもの)が月千円で買えるのは、それはコスパが良い「商品」なのであろうなと。
X(旧Twitter)はアイデンティティの構築に役立っている側面はあると思う。幸い金もかからないし。各人が人生で何を目指すべきかなんて、余計な御世話だよ
カネに加えて時間や精神でアイデンティティを購入しているのが今の推し活の実態ではないかと思う。タイパやコスパに対して真逆に突き進むのは「効率を度外視するほど好き」を示すのに丁度いい。
『大衆の反逆』がまだ読めてない。都市労働が生まれて地域でのロールやアイデンティティを失った市民が全員同じ帽子を買う的な…誰か読んでる人いるだろうからパス🙅
「お医者様」にそう言われても(今の医療費削減の問題は理解しているつもりです)(医者はアイデンティティを購入しなくても良い立場ですよ)
現代のアイデンティティ、変わるカメレオンのようですわね。
俺は俺が飯食ってうんこしているだけでめちゃめちゃ尊いし俺以上に優先すべきものはこの世に存在しないとまで思っているけど、それは食うに困っていないから言えることなんだろう。まぁ今日と明日が楽しければいいか
金がない人間が増えると不安に付け込まれた狂信者も増えるという文章
アイデンティティ購入の報告ツール「Instagram」
お金で買えない価値がある。買えない人は動員で。
莫大なエネルギーと資源を消費する先進国の人口増加が起こす環境負荷を考えれば、少子化こそ生物的に正しい流れ。地球のリソースが有限である以上、無限に増える富という概念は必ず破綻する。資本主義の限界
モノ消費からコト消費、そんでトキ消費とか言われてるけどそれ言いたいのかな。マーケ視点からだと今更感。筋トレとかヘアケアとか自分自身の肉体を健康に保つほうへ向いてるのは完全かと。あと宛先でなく矛先な
戦前でいう「非国民」枠に放り込まれたくないから周りと同じように飾る国民総キョロ充時代に入ったんだと自分は思っている。これはもう一回焦土にならない限り治ることはない。
少しずついろいろなものに帰属していくしかないのだが、耐えられない人はSNSで先鋭化することで一時的な居場所を得る。
"なんとなく、クリスタル" 田中康夫なのか、柴田恭兵なのか、大槻ケンヂなのかによって地獄度合いが全く違う。もちろん元祖クリスタル族ではなく後者になればなるほど地獄度合いが爆上げになる
アイデンティティが幻想だということに何故気づけないのか。
月曜から夜更かし見ると、金無い奴でも強烈なアイデンティティ持ってる。モノと個性を繋げるのは、文化人のやること。
自己確立は肯定と否定の2面。消費の時代には消費し自己に取り込む肯定が、停滞縮小の時代にはミニマリズムのように自己から排除する否定が合う。ただSNSと否定は相性が悪く、肯定するクラスタに帰属して自己を確立。
Mastercard「プライスレス」のcm も、クレカが言う事ちゃうやろwと感じてたけど、課金しか勝たんってことか…
“「モノより心」というキャッチコピーの正体は、飽食の果てに消費個人主義に倦んだ人々が、次の消費の対象を、ひいては次のアイデンティティの宛先を求めて貪欲に食指を動かす”
工学にアイデンティティはない。俺の作った製品はお前んとこでも同じように動いてくれないと困るんだよ!例えば俺にしか使えない聖エアコンがあっても粗大ゴミなんだよ!エアコンで救われる命の話をしてくれよ頼むよ
25年後、兄弟含め親族は全て鬼籍か老人、子ども居らず姪甥は余裕なし。推し(政)活で資産も無く、推した政党も社保制度破壊。百年経たずにあっという間に共助か地獄。完全に予測可能やん(笑)
既存の宗教とか共同体主義が金を使うよりも、金が無くても助け合おうを重視して来たのに、何故か消費活動で救われようってなるの、割と人として混乱してるよね
まさにゼロ年代〜テン年代の消費的アイデンティティに依っていた無産オタク/サブカルの一人として、本当に経済的にも社会的にもジリ貧になっていく感じがわかるのでキツい
非課金や節約勢もカウンターでしかないしなぁ、昔から。推し活でもちょっと工夫すればクリエイティブな方向見つけられるのだが、なかなかそこに至れない。SNSとかも底辺で全然いいちゅーか、上位と比べなくても
災害に合って、町内で助け合う大切さを感じたが、10年も経てば皆忘れてしまった。個人主義は平和な証。また、経済が大きくなり過ぎて町内の人が集まった程度では解決できない問題が多く助け合いの気持ちも育まれない
消費やメディアによって自分をアイデンティティする時代はまだまだ続ている気がするが、いつかこれも終わってしまう時代が来るという自覚をうながされたな。自分のアイデンティティもまた幻想にすぎなかったなら。
「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、経済大国が極東の一角に残るであろう」と三島由紀夫が評したが、消費能力を失った彼らは最前線で敵の弾を消費するだけである。愛の不在。
「アイデンティティを購入」これがアホらしくて最近は「ただの人」を目指してる感ある。恥も外聞もないただのオッサンになりつつあるともいえる
所謂ネトフェミもこの類かな、と思った。承認欲求と先鋭化。アンフェ、表現の自由「戦士」etc. も。
それは欲しいものを全て手にしてお金を持て余す精神科医が最終的に考えることなの。お金がなくて何も買えない貧乏人はそんなこと考えないの。
自分はオタク気質だけど、消費オタク達と馴染めなかったのは、物心ついた時から自ら創造するクリエイティブな活動でしかアイデンティティを得られないタイプだったからだろうな。
わかりやすいブランドを嫌い、自分がいいと思ったものを選んでいるんだ、という自負が若い頃にはあった。今はユニクロで充分。思想的なものに移行したのかなあ。
アイデンティティを消費に託す時代は終わってて、今は緩やかで選択可能な地域コミュニティやオンラインコミュニティに依っている。オンラインも多くの人はおかしな使い方はしないので、健全な方向に向かっている
その隙間をAIが埋めてくれるようになり、AIに優しく保護されて閉じた世界に引き篭もる人達と、外の世界に出てポピュリズムに絡め取られる人達とで二極化しそう。
金が無いなら無いなりの趣味を楽しんでいけばいいのでは無いだろうか。月1万円で楽しめる趣味は結構あるし、趣味の腕というものは金をかければいいというものでも無い
だからこそ帰属できるイエを再び持てるように、若者の婚姻や出産に公費を投下するのは、社会の安定のためにも必要だと思った。現に今の自分が家庭でアイデンティティを形成してるから、余計にそう思ってしまうな…
商品でなく、体験を買うのにシフトしつつあるのでは。
はてブの好きな(だった) 内田樹さえ 極左フェミニズム陰謀論にオルグされてしまったのが観測された週末 / 前よりは高度経済成長期とそれ以降を理解・区別して書こうという意識が出てきていいすね
貧しくなった大衆は政治やナショナリズムに絡め取られやすくなったって事かね。結局昔から言われてる言説に戻ってる気が。経済的だけでなく文化的な貧しさも行き着く先が同じなのかもな
カタカナの「イエ」がどういう意味かはまだ分からないけれど、最近は地元コミュニティや家族を大切にしたくなることが多くなってきた。主語を大きく言えば日本を守りたいという思いもどこかにあるかもしれない。
アイデンティティを渇望してイデオロギーと結びつく面があるのか、なるほど。人はアイデンティティが脅かされると豹変する事が多いから、正しさを主張して過激化していくのも頷ける。
本来土地や不動産等生産に直接つながらない大学で学べる「知」は資産でないのに資産と勘違いし幻で無理のある「中流」に浸った結果なのかねぇhttps://note.com/brothert/n/naaa44e2b95c4 http://blog.livedoor.jp/brothertom/archives/89475948.html
なるほど商品なんだ…自分にはあんまりピンときてなかったので面白い
人に見せびらかすアイデンティティってなんだよと思ったけど、サブカル者のしてることを思い出せば、ああ、アレだなと思う。奴らと相容れないトコなんだけどそこが。
消費消費って言うけど「生産」を趣味にする人たちがマニア・オタクの界隈にいっぱいいるのに、なんでそこ無視して一足飛びに推し活とか出てくるかな… 儲からないなら何作っても消費ってこと?
著者も読者も都会の人だから地域共同体やイエについての解像度が前世紀のままなのは仕方ないけど、すごい勢いで個人主義やプライバシーに対応した形に変容していて、これからの時代の一つの解になると思ってますよ。
地方に移住している人は、この二項対立に当てはまらないアイデンティティ持ってるかな。 地域の中の役割はきっちりあるし、因習は残ってない場所になってるよ。都会でDJは米粒だけど、村のDJは引っ張りだこ的な感じ。
同年代で可処分所得が比較的多い層は、今もそんなに変わってない気がする。ガジェット、食べ歩き、珍しい酒。バーキン信仰も健在。若い世代は、消費より「気の合う仲間とのライブ体験」を重視してるように思える。
購入できるお金があったとしても、買ったものを消費するだけで満たされるアイデンティティってのがまやかしだと気付いた後にどう行動するかってなると、やっぱり似たような結果になる気がする。
いいねやはてなスターは(基本的に)金じゃ買えないから貴いんだよね(スターくださいの意
アイデンティティ、セール終わっちゃったのかにゃ?ボクの可愛さはいつでも定価なのににゃ!
価値観を研ぐ方向に進めばいいんじゃないかなあ。その結果として何かを推したり何か作ったり論述するのは健全。
これ結局アイデンティティを強烈に求める層がどの時代にもいて、その層の話をしている事忘れないでいたい。アイデンティティを適度に制御し振り回されない層の方が大きいし、その生き方を見習うべき。
世の99%の人間はアイディンティティを取り取り繕っても社会にとって替えの効く歯車でしか無いが、其々の人生が無価値という事ではない。社会にとって何者でなくとも、其々の人生においては皆が何者かになっている。
10年前なら在特会、今なら参政党がアイデンティティを託しやすい象徴のようなものか。可処分所得が減ると行動が制約されて鬱屈したものが澱のように溜まっていくなかで相性がいいのかもしれない。
人間は、個人主義な面と社会的な面を両方あわせもっていると思います。今、資本主義の力によって、人間の社会性はとても弱くなっていると思います。揺り戻しはくると思います。みんなでワイワイしてる動画面白いし。
20代あたりはアイデンティティに迷いそうだけどアラフォーあたりになっても見つからないことってあんまり無いような気がする現代。(アイデンティティの確立が遅くなってる感はある
“1980年代以降、「モノより心」というキャッチコピーが流行していた。心理学ブームでフロイトやユングなど精神分析家の言葉がメディアに踊ったが、結局、消費個人主義の趨勢に沿った「流行の商品」でしかなかった”
久しぶりに刺さるシロクマ理論。若干使い古された言葉だが、アイデンティティクライシスなのかも。何ものにもなれなかった私と、SNSの向こう側でテレビの再生産をし続けるYouTuberという画が思い浮かんだ
“アイデンティティに飢えきっている人が特定の政党や政治活動に入れ込むだけでなく、商品選択や消費活動と同じノリでごくカジュアルに特定の政党や政治活動に参加する、または特定の勢力を「推し活する」”
アイデンティティを購入しづらくなった後の世界 - シロクマの屑籠
昨日、Xでつぶやいた内容をまとめました。高度経済成長期に浮かれていた頃は、商品選択や消費活動にアイデンティティを委ねるのが好ましいように思えたけど、お金がなくなったどうするの?ナショナリズム?って話。
1999より日産セレナのCMで「モノより思い出」というコピーが流れたが、"モノ"でトヨタに敗北した日産がミニバンやSUVという企画力で立ち向かおうとしたコピーかもしれない。 https://faq2.nissan.co.jp/faq/show/11915
少子化→生産年齢人口の減少→低成長によるパイの奪い合い→格差拡大の加速→政治のポピュリズム化、という流れは程度の差こそあれ日本に限らず先進国共通の病巣に思える。解決できた国は今のところ見当たらない。
核家族化や個人主義は自由度が増えたけど、それに伴って共同体から得ていた利益が減って、トータルの自由度のプラマイ度合いは(個別なので幅があるが)むしろ下がったのでは?と思うことはある。
ようわからんのやけど、「アイデンティティの購入」を拒否し続けることで自分はアイデンティティを保ってきたんやろなあと、なんとなく思った。だから一般社会から疎外されてるわけなのかな。やっぱりようわからん
特に排外主義は「よそ者、出てけ!」って叫ぶだけだから思想学習も要らなくてコスパが良い。金が無くても出来る推し活。〉「政治、あるいはナショナリズムをとおしてアイデンティティを獲得」
"金回りがいいうちはそれこそが正解で、その弊害も少なかったのかもしれないが、金回りが悪くなればそうもいかない。" そういうのあるな。家族への回帰の方向性、は無いかな、無いか
自分をどういう物語に置くかという話。物語なくしては人は生きてはいけない。これまでは消費に立脚していたが、今はコスパのよい大きな物語がすぐ隣に用意されてるって感じか
だったら消費より生産への回帰ですよ。昭和中期までイエ共同体が機能してたのは農業や個人商店とか家業が基本だったから(家族は店員、農地や店舗を継承のため結婚)。とはいえ個人レベルの創造はAIに勝てなそう
経済合理性で万物が集中から分散で向かった平和が終わりに近づき、国家が集中管理可能な範囲に限定して国内を統治する電信と、敵国の攻撃への抗堪性という点で高コストでも分散すべき電力の推移で、差が拡大しそう。
東京の、高いものを買ったことを自慢する文化圏だと世の中がそう見えるんかな。
政治参加している(気分になれる)自分(アイデンティティのようなもの)が月千円で買えるのは、それはコスパが良い「商品」なのであろうなと。
X(旧Twitter)はアイデンティティの構築に役立っている側面はあると思う。幸い金もかからないし。各人が人生で何を目指すべきかなんて、余計な御世話だよ
カネに加えて時間や精神でアイデンティティを購入しているのが今の推し活の実態ではないかと思う。タイパやコスパに対して真逆に突き進むのは「効率を度外視するほど好き」を示すのに丁度いい。
『大衆の反逆』がまだ読めてない。都市労働が生まれて地域でのロールやアイデンティティを失った市民が全員同じ帽子を買う的な…誰か読んでる人いるだろうからパス🙅
「お医者様」にそう言われても(今の医療費削減の問題は理解しているつもりです)(医者はアイデンティティを購入しなくても良い立場ですよ)
現代のアイデンティティ、変わるカメレオンのようですわね。
俺は俺が飯食ってうんこしているだけでめちゃめちゃ尊いし俺以上に優先すべきものはこの世に存在しないとまで思っているけど、それは食うに困っていないから言えることなんだろう。まぁ今日と明日が楽しければいいか
金がない人間が増えると不安に付け込まれた狂信者も増えるという文章
アイデンティティ購入の報告ツール「Instagram」
お金で買えない価値がある。買えない人は動員で。
莫大なエネルギーと資源を消費する先進国の人口増加が起こす環境負荷を考えれば、少子化こそ生物的に正しい流れ。地球のリソースが有限である以上、無限に増える富という概念は必ず破綻する。資本主義の限界
モノ消費からコト消費、そんでトキ消費とか言われてるけどそれ言いたいのかな。マーケ視点からだと今更感。筋トレとかヘアケアとか自分自身の肉体を健康に保つほうへ向いてるのは完全かと。あと宛先でなく矛先な
戦前でいう「非国民」枠に放り込まれたくないから周りと同じように飾る国民総キョロ充時代に入ったんだと自分は思っている。これはもう一回焦土にならない限り治ることはない。
少しずついろいろなものに帰属していくしかないのだが、耐えられない人はSNSで先鋭化することで一時的な居場所を得る。
"なんとなく、クリスタル" 田中康夫なのか、柴田恭兵なのか、大槻ケンヂなのかによって地獄度合いが全く違う。もちろん元祖クリスタル族ではなく後者になればなるほど地獄度合いが爆上げになる
アイデンティティが幻想だということに何故気づけないのか。
月曜から夜更かし見ると、金無い奴でも強烈なアイデンティティ持ってる。モノと個性を繋げるのは、文化人のやること。
自己確立は肯定と否定の2面。消費の時代には消費し自己に取り込む肯定が、停滞縮小の時代にはミニマリズムのように自己から排除する否定が合う。ただSNSと否定は相性が悪く、肯定するクラスタに帰属して自己を確立。
Mastercard「プライスレス」のcm も、クレカが言う事ちゃうやろwと感じてたけど、課金しか勝たんってことか…
“「モノより心」というキャッチコピーの正体は、飽食の果てに消費個人主義に倦んだ人々が、次の消費の対象を、ひいては次のアイデンティティの宛先を求めて貪欲に食指を動かす”
工学にアイデンティティはない。俺の作った製品はお前んとこでも同じように動いてくれないと困るんだよ!例えば俺にしか使えない聖エアコンがあっても粗大ゴミなんだよ!エアコンで救われる命の話をしてくれよ頼むよ
25年後、兄弟含め親族は全て鬼籍か老人、子ども居らず姪甥は余裕なし。推し(政)活で資産も無く、推した政党も社保制度破壊。百年経たずにあっという間に共助か地獄。完全に予測可能やん(笑)
既存の宗教とか共同体主義が金を使うよりも、金が無くても助け合おうを重視して来たのに、何故か消費活動で救われようってなるの、割と人として混乱してるよね
まさにゼロ年代〜テン年代の消費的アイデンティティに依っていた無産オタク/サブカルの一人として、本当に経済的にも社会的にもジリ貧になっていく感じがわかるのでキツい
非課金や節約勢もカウンターでしかないしなぁ、昔から。推し活でもちょっと工夫すればクリエイティブな方向見つけられるのだが、なかなかそこに至れない。SNSとかも底辺で全然いいちゅーか、上位と比べなくても
災害に合って、町内で助け合う大切さを感じたが、10年も経てば皆忘れてしまった。個人主義は平和な証。また、経済が大きくなり過ぎて町内の人が集まった程度では解決できない問題が多く助け合いの気持ちも育まれない
消費やメディアによって自分をアイデンティティする時代はまだまだ続ている気がするが、いつかこれも終わってしまう時代が来るという自覚をうながされたな。自分のアイデンティティもまた幻想にすぎなかったなら。
「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、経済大国が極東の一角に残るであろう」と三島由紀夫が評したが、消費能力を失った彼らは最前線で敵の弾を消費するだけである。愛の不在。
「アイデンティティを購入」これがアホらしくて最近は「ただの人」を目指してる感ある。恥も外聞もないただのオッサンになりつつあるともいえる
所謂ネトフェミもこの類かな、と思った。承認欲求と先鋭化。アンフェ、表現の自由「戦士」etc. も。
それは欲しいものを全て手にしてお金を持て余す精神科医が最終的に考えることなの。お金がなくて何も買えない貧乏人はそんなこと考えないの。
自分はオタク気質だけど、消費オタク達と馴染めなかったのは、物心ついた時から自ら創造するクリエイティブな活動でしかアイデンティティを得られないタイプだったからだろうな。
わかりやすいブランドを嫌い、自分がいいと思ったものを選んでいるんだ、という自負が若い頃にはあった。今はユニクロで充分。思想的なものに移行したのかなあ。
アイデンティティを消費に託す時代は終わってて、今は緩やかで選択可能な地域コミュニティやオンラインコミュニティに依っている。オンラインも多くの人はおかしな使い方はしないので、健全な方向に向かっている
その隙間をAIが埋めてくれるようになり、AIに優しく保護されて閉じた世界に引き篭もる人達と、外の世界に出てポピュリズムに絡め取られる人達とで二極化しそう。
金が無いなら無いなりの趣味を楽しんでいけばいいのでは無いだろうか。月1万円で楽しめる趣味は結構あるし、趣味の腕というものは金をかければいいというものでも無い
だからこそ帰属できるイエを再び持てるように、若者の婚姻や出産に公費を投下するのは、社会の安定のためにも必要だと思った。現に今の自分が家庭でアイデンティティを形成してるから、余計にそう思ってしまうな…
商品でなく、体験を買うのにシフトしつつあるのでは。
はてブの好きな(だった) 内田樹さえ 極左フェミニズム陰謀論にオルグされてしまったのが観測された週末 / 前よりは高度経済成長期とそれ以降を理解・区別して書こうという意識が出てきていいすね
貧しくなった大衆は政治やナショナリズムに絡め取られやすくなったって事かね。結局昔から言われてる言説に戻ってる気が。経済的だけでなく文化的な貧しさも行き着く先が同じなのかもな
カタカナの「イエ」がどういう意味かはまだ分からないけれど、最近は地元コミュニティや家族を大切にしたくなることが多くなってきた。主語を大きく言えば日本を守りたいという思いもどこかにあるかもしれない。
アイデンティティを渇望してイデオロギーと結びつく面があるのか、なるほど。人はアイデンティティが脅かされると豹変する事が多いから、正しさを主張して過激化していくのも頷ける。
本来土地や不動産等生産に直接つながらない大学で学べる「知」は資産でないのに資産と勘違いし幻で無理のある「中流」に浸った結果なのかねぇhttps://note.com/brothert/n/naaa44e2b95c4 http://blog.livedoor.jp/brothertom/archives/89475948.html
なるほど商品なんだ…自分にはあんまりピンときてなかったので面白い
人に見せびらかすアイデンティティってなんだよと思ったけど、サブカル者のしてることを思い出せば、ああ、アレだなと思う。奴らと相容れないトコなんだけどそこが。
消費消費って言うけど「生産」を趣味にする人たちがマニア・オタクの界隈にいっぱいいるのに、なんでそこ無視して一足飛びに推し活とか出てくるかな… 儲からないなら何作っても消費ってこと?
著者も読者も都会の人だから地域共同体やイエについての解像度が前世紀のままなのは仕方ないけど、すごい勢いで個人主義やプライバシーに対応した形に変容していて、これからの時代の一つの解になると思ってますよ。
地方に移住している人は、この二項対立に当てはまらないアイデンティティ持ってるかな。 地域の中の役割はきっちりあるし、因習は残ってない場所になってるよ。都会でDJは米粒だけど、村のDJは引っ張りだこ的な感じ。
同年代で可処分所得が比較的多い層は、今もそんなに変わってない気がする。ガジェット、食べ歩き、珍しい酒。バーキン信仰も健在。若い世代は、消費より「気の合う仲間とのライブ体験」を重視してるように思える。
購入できるお金があったとしても、買ったものを消費するだけで満たされるアイデンティティってのがまやかしだと気付いた後にどう行動するかってなると、やっぱり似たような結果になる気がする。
いいねやはてなスターは(基本的に)金じゃ買えないから貴いんだよね(スターくださいの意
アイデンティティ、セール終わっちゃったのかにゃ?ボクの可愛さはいつでも定価なのににゃ!
価値観を研ぐ方向に進めばいいんじゃないかなあ。その結果として何かを推したり何か作ったり論述するのは健全。
これ結局アイデンティティを強烈に求める層がどの時代にもいて、その層の話をしている事忘れないでいたい。アイデンティティを適度に制御し振り回されない層の方が大きいし、その生き方を見習うべき。
世の99%の人間はアイディンティティを取り取り繕っても社会にとって替えの効く歯車でしか無いが、其々の人生が無価値という事ではない。社会にとって何者でなくとも、其々の人生においては皆が何者かになっている。
10年前なら在特会、今なら参政党がアイデンティティを託しやすい象徴のようなものか。可処分所得が減ると行動が制約されて鬱屈したものが澱のように溜まっていくなかで相性がいいのかもしれない。
人間は、個人主義な面と社会的な面を両方あわせもっていると思います。今、資本主義の力によって、人間の社会性はとても弱くなっていると思います。揺り戻しはくると思います。みんなでワイワイしてる動画面白いし。
20代あたりはアイデンティティに迷いそうだけどアラフォーあたりになっても見つからないことってあんまり無いような気がする現代。(アイデンティティの確立が遅くなってる感はある
“1980年代以降、「モノより心」というキャッチコピーが流行していた。心理学ブームでフロイトやユングなど精神分析家の言葉がメディアに踊ったが、結局、消費個人主義の趨勢に沿った「流行の商品」でしかなかった”
久しぶりに刺さるシロクマ理論。若干使い古された言葉だが、アイデンティティクライシスなのかも。何ものにもなれなかった私と、SNSの向こう側でテレビの再生産をし続けるYouTuberという画が思い浮かんだ
“アイデンティティに飢えきっている人が特定の政党や政治活動に入れ込むだけでなく、商品選択や消費活動と同じノリでごくカジュアルに特定の政党や政治活動に参加する、または特定の勢力を「推し活する」”