“マーロン・ブランドが、19歳のマリア・シュナイダーのズボンを脱がし、バターを手に取ってアナルセックスを強要するシーンだ。不意を突かれ、床に倒されたマリアは恐怖のあまり涙を流して抵抗する”
そりゃ実際に人殺しゃあ迫力ある殺人シーンが撮れるよなあ。
まあウッディ・アレンとかケヴィン・スペイシーよりポランスキーとかベルトルッチとかの方が擁護に値するほどマシという気はしない(主に映画界への貢献という意味で)
作品の出来・不出来と当事者間の加害・被害は別問題ゆえ交錯せぬよう。時間軸を遡って断罪する是非も論点を整理し、道徳や法を自明視せぬよう。社会秩序への影響、当事者と第三者の取るべき態度の検討/改
“50年前とはいえ、こんな撮影が許されるのか?”許したのは映画業界で評論家だとかジャーナリスト。つまりアンタたち。
若者を騙していいように扱うとか、大物過ぎて誰も何も言えないとか、ジャニーを彷彿とさせる悍ましさだな/ジャニーもこれも当時でも犯罪なので「当時の出来事を現代の正義で語るな」は違うと思う
“主演男優賞”けつあな確定された女優はスルーなの悲しいね。演技じゃなくて本当だったからってか
“一方的に検閲するのではなく“説明”によって見えてくるものもある” ベルトルッチとマーロン・ブランドは騙し討ちでこのシーン撮ったらしい。彼女は演技できないと思ったわけで、二重に踏み躙られてるんだよね…
バラエティのドッキリは許されるのかという話にも繋がる
フィクション作ってる人の中にはどこかで「真実」を撮りたい、自分たちは虚構じゃないと思いたい何かがあるんだろうか
台本になければ演技のしようもないし、共演者が狂ったと思うよなあ。石橋貴明のアドリブもこんな感じかな
蓮實重彦は試写でこの映画を観て涙が止まらなくなり、居合わせたベルトルッチに「泣きじゃくる教授」とあだ名された。蓮實はこの件を知っていただろうか。
"ベルトルッチ監督は、彼女が受けた屈辱感、本物の涙を映像に収めたくて、事前に知らせなかったのだ。"カメラの前でのレイプじゃん。"今から50年前にマリアはすでに声を上げていたのに、誰も耳を貸そうとしなかった。"
リドリー・スコットが、初代エイリアンでチェストバスターが胸を食い破って出てくるシーンの撮影時に、他の俳優達に誰にもそんなシーンになることを伝えずに撮影して恐怖の表情を引き出したのと一緒だよね(怖すぎ)
バターは無罪です (1995) https://youtu.be/v40FUVMb4kk
中島哲也の映画の問題は監督本人の証言信じるならヌードokの俳優をと確認してたのに何故かヌードNGの人が送られてきてって話だったな。
芸術だろうがカメラが回っていようがスタッフがいようが「犯される」との恐怖は女性の立場で変わらない。そこまでの信頼関係がない。説明が必要。リアルに想像すると絶対に間違ってると言い切れる
生の感情の発露は、誰もが興味を抱くところ。マイナスであれプラスであれ、それを演じるから俳優なのであって、ホントの感情を求めるのは俳優をもの扱いしてるのと同じかもね。それにしても誤字が目立つ。
エイリアンの演出とはまた違うと思うなあ。マリアシュナイダーは、自分の姿を晒され続けるんだから。
「またしても何も知らない大泉洋」も似たようなものかと
「その時点でも正義」判定の問題はいつも悩むところ。自分だけタイムマシンに乗って刀を振りかざしていい気なもんだと言われる覚悟を持つか、みんながそっちに倒れるのを待つか。特にそれで飯を食ってる人の場合は。
内容以前に、そもそも19歳と48歳という組み合わせ自体が受け入れられない。無理
コメントを見て。現代日本のAV撮影は事前に撮影内容を書面にして同意しなきゃとれないことになっているが。なんか一か月ぐらい前に出すんだっけ?割と最近の制度改変だった。
自分の思う「良い作品」の為なら何しても許されるという狂った認識。衆人環視でリアルに性暴力を受けているのに誰も助けてくれず、撮影されたフィルムが世界中で放映されゲイジュツとして高評価されるとか悪夢やろ。
まだギリギリ許されてるけど、水ダウで人気の「家に帰ったら知らない人がいる」とかも、本当に知らされていなければトラウマになる可能性は十分ある。いずれコンプラアウトになるんだろうな。
子役が傷付かないよう、ファミリー映画のテイで撮影した「シャイニング」制作時のキューブリックはえらい。
性暴行ってレイプかと思ったらアナルか。桁違いに暴力度が上がる。
“フランス人監督のジェシカ・パルー。『ラストタンゴ・イン・パリ』の例のシーンの撮影、マリア・シュナイダーの運命を再現した映画『タンゴの後で』を撮り上げた。”
日本でも大事件に発展したよね、バッキー事件。今でこそ紙や電子の契約書を交わして女優さんに最大限配慮するようになったけどその黎明期や一部事務所は本当に頭おかしかった。
インティマシーコーディネーターとか言う、審問官気取りのクソ文系ルンペン共の新たな食い扶持の宣伝ですね。契約違反があったら警察呼ぶか裁判すれば良いんですよ/リハと言って撮影したのを正式に使うテクとかある
万一こんなはめられ方した場合は監督の名前叫ぶしかないな。とっさには難しいだろうが。高嶋政伸さんのコラム(https://www.shinchosha.co.jp/nami/tachiyomi/20240327.html)みたいな慎重さが絶対に必要。
若い女性かどうかに関係なく「作品ですよ」と人を集めておいて本物の暴力行為を見せることのおぞましさよね。騙されて人の肉を食わされるようなものであって、そんなもので芸術性を語ってほしくない。
監督が反論してるこれもそうだしバラエティのドッキリも、ちゃんと事前に知らされてるよ。演技やぞ。純粋なやつが多いな。
この作品で果たして純粋にそれを再現して観客に納得させられる事が出来るのか、もしくは啓蒙?もう被害者は亡くなってるんだよね。犯罪者側も死んでるのね復讐に当たるのかそれとも。焼き直しみたいにならねばいいが
「50年前とはいえ、こんな撮影が許されるのか?」ならたくさんあったでしょう。性別関係なく。芸能なんて色物扱いで扱いは雑だった。
確かに、映画撮影で実際に人殺しをやったらそりゃゆるされないよな。強姦ならOKなんて、人をバカにしてるわ。
日本はいまだに1970年代の水準ということか。
そういえば水曜日のダウンタウン関連で監禁されてた芸人がブログで暴露してたな。
マーロン・ブランドを犯すシーン(勿論事前告知しない)を撮ればもっと迫力のあるシーンが撮れたと思う。やるならそれくらいやれよ/結局は、役者の演技力や自身の演出力の否定なんだよね。自信がないから過剰に走る
キューブリックはシャイニングで子供には配慮したけど主演女優の憔悴した顔を撮るために必要以上にしごきまくったまあまあのクソ野郎だよ。キングもそうだそうだと言っています(それは別の恨み)。
バターも使う……
読みました。
ラストエンペラーのベルトリッチ監督...
歴史資料としてはいいけど、今後市場で収益化されるのは禁止にしてほしいよねこういうの。
石立鉄男が、説明なかったから、濡れ場は本当にやるもんだと思って頑張ったら、演技を褒められたといってたな
5年ほど前に「国内最終上映!」とさかんに宣伝されてた気がする。もう映画館では流されないやつなのかな?
リアルタイムで観た人もまだけっこう生きてると思うが、当時はこれ宣伝に使われてた、こんなにすごいって、マリアシュナイダーもふかしてたという史実は語り継いでいかなければ
インテリぶって二次加害映画作って二毛作するんだから映画業界はグロい。過去を掘り返され社会的制裁で抹殺される映画監督をノンフィクションドキュメンタリー映画にして記録に残す方が意義があるんじゃない?
バターのくだりいる??
いいね。まだこの監督生きているならとことん追い詰めよう。/似たような事件は日本でも多いけど、「フィクション(演技)だから何でもあり」なんて通る訳がない。徹底的に追及しよう。
支援ブクマ
一昔前は良い作品を撮るためなら人が死んでもいいくらいに考えてた人はそれなりにいたと思う。時代だよね。
エスパー魔美でも似たようなエピソードあったね。それに対する魔美パパのアンサーが素晴らしかった。
“マリア・シュナイダーのズボンを脱がし、バターを手に取ってアナルセックスを強要するシーン""マリアは恐怖のあまり涙を流して抵抗""ベルトルッチ監督は、彼女が受けた屈辱感、本物の涙を映像に収めたく"
ベルトリッチは1987年『ラスト・エンペラー』のアカデミー賞監督。『ラスト・タンゴ』の当該シーンは当時から悪評(学生時代見てかなり強烈な嫌悪感)。でも撮影時の不同意演出が世間に知られたのは2007年になって。。
傑作が撮れればすべて肯定される
エイリアンと一緒というブクマがあるが決して一緒ではない。あなたは自分が皆の目前で力づくで男性にお尻を犯される恐怖や屈辱と、目の前の人形の仕掛けが同等と考えるのか
タンゴの後で、今週公開か。
エスパー魔美にそういうのがあったね
“マリア・シュナイダー”
本物を撮りたいという欲
外国人て男も女もなんでか矢鱈ア◯ル好きなイメージがある。P◯rnHubとか観てもイケメンからブサメンまでア◯ル大好きです、彼らの異様なア◯ル推しは一体どこから。あと痔主の割合も気になる → 米くれた人ありがとう
「バターも使う」をタイトルにまで入れる意味とは
フリじゃ無かったてこと?犯罪なのでは
こんなことが平気で行われていたなんてね、、、、おぞましい
おぞましい。読めない
《50年前とはいえこんな撮影が許されるのか?》という問いに答えられるのは、50年前に生きてた人か、その時期を研究した人間だけだ。今の価値観でダメである事と今の価値観で過去を裁く事を同一視するのは愚かな事だ
波瀾万丈の人生って感じ。野生の夜にも出てたのか。
同意を得ずに性暴行したのだから、性犯罪で起訴すべき案件。アカデミー賞を取った=業界人の多くが問題ないと考えていたことにも暗澹たる気分になる。
>50年前とはいえこんな撮影が許されるのか? そんな、戦国時代になぜか妙に近代的な道徳・倫理を振りかざすNHK大河ドラマのキャラクターじゃないんだから。
ワセリンだったら減刑されるとでも?
騙して暴行して映画にして「リアルでしょ〜」てやって賞まで取っちゃうって業界もキツい…/女優俳優何人潰しても儲かるならやっちゃえ、ってのが現代でもまだ居るのでは?
ベルトルッチの作品はよくリバイバル上映されてる印象だけど、もう氏の作品は上映すべきではないなと思う。(配信サービスも同様)
言うて80年前のハリウッドで黒人奴隷をADとして利用していたみたいな話もあるから…(当然当時の感覚なので死亡事故が有っても綿花畑よりマシって感じだろうし
ちなみに、主演の美少年演じたビョルン・アンドレセンが、監督のヴィスコンティから、撮影外でもめちゃめちゃ酷い性的扱い受けてた『ベニスに死す』が1971年公開。50年前はとんでもないことが許されてたのだろう。
作品内のセックスとかヌードは芸術的に必要なケースがどれだけあるか疑問で、単なるセンセーショナリズムが多くないかな
よく「昔は許された」っていうやつがいるけど、昔から不同意の性的暴行(と言っていい撮影)が許されてた時代はないよ。これはあらゆる差別も同じ。当時も傷ついてた人がいるから社会運動で変わっていったのだし
クズ
少し前にこの作品の試写があったらしくちょっと検索したら「『ラストタンゴインパリ』が見たくなりました!」って感想があって頭抱えたね。衝撃映像でも見る感覚なんだろうか
古代の剣闘士で盛り上がってた生き物なんで、残酷ショーみんな大好きなんだよ。少しずつ形を変えて今もネットリンチという形で残ってるでしょ。
50年前の事を許して良いのか決められるのは50年後の今を生きる人達だと思う。その上で、それに何らかの罰を与えたりすることが許されるか、当時の認識を考慮した上で検討されるべきだろう。
俳優という仕事を舐めてる。演技は実録に確実に劣るってことか。俳優のその後の人生に影響出てることも監督の評価に汚点を残すというか、今後の世情の変化によってはジャニー氏レベルの扱いを受けてもおかしくない。
おそろしい話
「シャイニング」(1980)でキューブリックがシェリー・デュヴァルにやった「虐待」はええんか? シャイニングは好きな映画だがあの顛末を知って以来、あまり「快適」に鑑賞できなくなった。引っかかってしまうんだ。
芸術無罪 監督もレイプされる側を経験しておくべきでは
川島雄三あたりもそんな噂あるよね
俳優に事前説明なしに知らされていないことをやらせるって手法はしばしば使われるよね。スピルバーグでさえやってる。それがいいか悪いかは線引きは難しいけど、性暴行は流石にあかん。マーロン・ブランドも断れや
シャイニングも酷かった(もう書かれてるけど)。ホラーとして好きだったけど、女優さんの受けた行いと、その後を知ると、見たくないなと思う。本物撮りたいなら監督がやられる役ででたらいいんじゃないですか。
キリスト教文化の文脈でアナルセックスは涜神として不道徳的価値を持つからです>id:kiyo_hiko 性交は生殖のためにのみ行うべきで、妊娠の可能性のない(快楽目的の)性行為は全て冒涜です。中絶反対もこれによります
普通に疑似性交だった。ブックマーカーは絶対簡単な裏撮りもしねえからな。この本番は本番のセックスとかけてるんだろうけど男ヘイトを煽る目的のいつもの邪悪記事。
見なきゃ分かりませんね
やっかいなのがこの記事見て、興味本位でレイプシーン目当てに作品みようとする奴がいるってことよね。リベンジポルノとなにが違うのか。
犬ではないのか
本題と関係ない疑問なのだが、バターも使うがよくわからなかった。バターを使うのって世界の常識なの?
グーニーズで宝船見つけたシーンとは話が違うわね
芸術(芸能)無罪の時代は終わった。
“『ラスト・イン・パリ』(1972)はアカデミー監督賞・主演男優賞にノミネート、芸術性が高く評価される一作。主演女優に予告ナシ性行為の撮影が許されるのか? 1970年代は性の解放が叫ばれた時代の空気も”
中島哲也の作品上映自粛は俳優を騙したことに対する報いなので、自粛解除が望ましいとは思わないかな。
俳優が演じられないところを生成AIで、といった時代はくるだろうか。許されないかなあ。真実の描き方の一方法ではあると思うのだけど
犯罪!!!!/id:kiyo_hiko キリスト教的な純潔主義+モンゴロイドよりも硬度が低めなので負担が少ないとか…?
そういや松江哲明はキャリアを完全に潰されたよなあ、もう8年くらい経つか。
レイプされたのが女優じゃなく男優だったら何か違ったのだろうか?
その一方でアダルトビデオの撮影で実際に性行為を行わないようにする規制には猛反対するのだから面倒な話である
『ラストタンゴ・イン・パリ』の例のシーンの撮影、マリア・シュナイダーの運命を再現した映画『タンゴの後で』
以前も話題になってて許しがたい事件だと思っていたが、映画のテーマ自体では性愛なのだな
ひどいな
ラスト・タンゴ・イン・パリは、鬱映画だけどなんか好きなのよ。マーロン・ブランドのおっさんの悲哀がなんか良くて。ラストも悪くない。
タイトルとブコメで読むのは断念した。辛い。周囲の状況や権力勾配による性加害が少しでも減っていきますように。ブコメにあるけど、疑似だったら許されるという訳ではない。
むかーし、見たけど、淡々とした感じで拍子抜けした。バターといふ小道具だけで、その行為と思はせてゐるやうに見えた。この記事から受ける印象とは違ふ
『ラストタンゴ・イン・パリ』を見たのは高校生の時だが、正直、状況がよく分からなかった…。今思えばなくてもよかった場面であり、ベルトルッチの《若さ故の過ち》でしょう。
水ダウ自宅不審者ドッキリで元尼神の誠子は腰を抜かし、事件当事者になったと恐慌したという。放送は5分程度だが実際は20分の長回し、恐怖に慄く女性の姿をカットの声が掛かるまでスタッフ全員が黙って見詰めていた。
バターも使う性暴行シーンを、19歳女優に知らせず本番撮影…で70年代の傑作に。深刻さを改めて訴える(斉藤博昭) - エキスパート - Yahoo!ニュース
“マーロン・ブランドが、19歳のマリア・シュナイダーのズボンを脱がし、バターを手に取ってアナルセックスを強要するシーンだ。不意を突かれ、床に倒されたマリアは恐怖のあまり涙を流して抵抗する”
そりゃ実際に人殺しゃあ迫力ある殺人シーンが撮れるよなあ。
まあウッディ・アレンとかケヴィン・スペイシーよりポランスキーとかベルトルッチとかの方が擁護に値するほどマシという気はしない(主に映画界への貢献という意味で)
作品の出来・不出来と当事者間の加害・被害は別問題ゆえ交錯せぬよう。時間軸を遡って断罪する是非も論点を整理し、道徳や法を自明視せぬよう。社会秩序への影響、当事者と第三者の取るべき態度の検討/改
“50年前とはいえ、こんな撮影が許されるのか?”許したのは映画業界で評論家だとかジャーナリスト。つまりアンタたち。
若者を騙していいように扱うとか、大物過ぎて誰も何も言えないとか、ジャニーを彷彿とさせる悍ましさだな/ジャニーもこれも当時でも犯罪なので「当時の出来事を現代の正義で語るな」は違うと思う
“主演男優賞”けつあな確定された女優はスルーなの悲しいね。演技じゃなくて本当だったからってか
“一方的に検閲するのではなく“説明”によって見えてくるものもある” ベルトルッチとマーロン・ブランドは騙し討ちでこのシーン撮ったらしい。彼女は演技できないと思ったわけで、二重に踏み躙られてるんだよね…
バラエティのドッキリは許されるのかという話にも繋がる
フィクション作ってる人の中にはどこかで「真実」を撮りたい、自分たちは虚構じゃないと思いたい何かがあるんだろうか
台本になければ演技のしようもないし、共演者が狂ったと思うよなあ。石橋貴明のアドリブもこんな感じかな
蓮實重彦は試写でこの映画を観て涙が止まらなくなり、居合わせたベルトルッチに「泣きじゃくる教授」とあだ名された。蓮實はこの件を知っていただろうか。
"ベルトルッチ監督は、彼女が受けた屈辱感、本物の涙を映像に収めたくて、事前に知らせなかったのだ。"カメラの前でのレイプじゃん。"今から50年前にマリアはすでに声を上げていたのに、誰も耳を貸そうとしなかった。"
リドリー・スコットが、初代エイリアンでチェストバスターが胸を食い破って出てくるシーンの撮影時に、他の俳優達に誰にもそんなシーンになることを伝えずに撮影して恐怖の表情を引き出したのと一緒だよね(怖すぎ)
バターは無罪です (1995) https://youtu.be/v40FUVMb4kk
中島哲也の映画の問題は監督本人の証言信じるならヌードokの俳優をと確認してたのに何故かヌードNGの人が送られてきてって話だったな。
芸術だろうがカメラが回っていようがスタッフがいようが「犯される」との恐怖は女性の立場で変わらない。そこまでの信頼関係がない。説明が必要。リアルに想像すると絶対に間違ってると言い切れる
生の感情の発露は、誰もが興味を抱くところ。マイナスであれプラスであれ、それを演じるから俳優なのであって、ホントの感情を求めるのは俳優をもの扱いしてるのと同じかもね。それにしても誤字が目立つ。
エイリアンの演出とはまた違うと思うなあ。マリアシュナイダーは、自分の姿を晒され続けるんだから。
「またしても何も知らない大泉洋」も似たようなものかと
「その時点でも正義」判定の問題はいつも悩むところ。自分だけタイムマシンに乗って刀を振りかざしていい気なもんだと言われる覚悟を持つか、みんながそっちに倒れるのを待つか。特にそれで飯を食ってる人の場合は。
内容以前に、そもそも19歳と48歳という組み合わせ自体が受け入れられない。無理
コメントを見て。現代日本のAV撮影は事前に撮影内容を書面にして同意しなきゃとれないことになっているが。なんか一か月ぐらい前に出すんだっけ?割と最近の制度改変だった。
自分の思う「良い作品」の為なら何しても許されるという狂った認識。衆人環視でリアルに性暴力を受けているのに誰も助けてくれず、撮影されたフィルムが世界中で放映されゲイジュツとして高評価されるとか悪夢やろ。
まだギリギリ許されてるけど、水ダウで人気の「家に帰ったら知らない人がいる」とかも、本当に知らされていなければトラウマになる可能性は十分ある。いずれコンプラアウトになるんだろうな。
子役が傷付かないよう、ファミリー映画のテイで撮影した「シャイニング」制作時のキューブリックはえらい。
性暴行ってレイプかと思ったらアナルか。桁違いに暴力度が上がる。
“フランス人監督のジェシカ・パルー。『ラストタンゴ・イン・パリ』の例のシーンの撮影、マリア・シュナイダーの運命を再現した映画『タンゴの後で』を撮り上げた。”
日本でも大事件に発展したよね、バッキー事件。今でこそ紙や電子の契約書を交わして女優さんに最大限配慮するようになったけどその黎明期や一部事務所は本当に頭おかしかった。
インティマシーコーディネーターとか言う、審問官気取りのクソ文系ルンペン共の新たな食い扶持の宣伝ですね。契約違反があったら警察呼ぶか裁判すれば良いんですよ/リハと言って撮影したのを正式に使うテクとかある
万一こんなはめられ方した場合は監督の名前叫ぶしかないな。とっさには難しいだろうが。高嶋政伸さんのコラム(https://www.shinchosha.co.jp/nami/tachiyomi/20240327.html)みたいな慎重さが絶対に必要。
若い女性かどうかに関係なく「作品ですよ」と人を集めておいて本物の暴力行為を見せることのおぞましさよね。騙されて人の肉を食わされるようなものであって、そんなもので芸術性を語ってほしくない。
監督が反論してるこれもそうだしバラエティのドッキリも、ちゃんと事前に知らされてるよ。演技やぞ。純粋なやつが多いな。
この作品で果たして純粋にそれを再現して観客に納得させられる事が出来るのか、もしくは啓蒙?もう被害者は亡くなってるんだよね。犯罪者側も死んでるのね復讐に当たるのかそれとも。焼き直しみたいにならねばいいが
「50年前とはいえ、こんな撮影が許されるのか?」ならたくさんあったでしょう。性別関係なく。芸能なんて色物扱いで扱いは雑だった。
確かに、映画撮影で実際に人殺しをやったらそりゃゆるされないよな。強姦ならOKなんて、人をバカにしてるわ。
日本はいまだに1970年代の水準ということか。
そういえば水曜日のダウンタウン関連で監禁されてた芸人がブログで暴露してたな。
マーロン・ブランドを犯すシーン(勿論事前告知しない)を撮ればもっと迫力のあるシーンが撮れたと思う。やるならそれくらいやれよ/結局は、役者の演技力や自身の演出力の否定なんだよね。自信がないから過剰に走る
キューブリックはシャイニングで子供には配慮したけど主演女優の憔悴した顔を撮るために必要以上にしごきまくったまあまあのクソ野郎だよ。キングもそうだそうだと言っています(それは別の恨み)。
バターも使う……
読みました。
ラストエンペラーのベルトリッチ監督...
歴史資料としてはいいけど、今後市場で収益化されるのは禁止にしてほしいよねこういうの。
石立鉄男が、説明なかったから、濡れ場は本当にやるもんだと思って頑張ったら、演技を褒められたといってたな
5年ほど前に「国内最終上映!」とさかんに宣伝されてた気がする。もう映画館では流されないやつなのかな?
リアルタイムで観た人もまだけっこう生きてると思うが、当時はこれ宣伝に使われてた、こんなにすごいって、マリアシュナイダーもふかしてたという史実は語り継いでいかなければ
インテリぶって二次加害映画作って二毛作するんだから映画業界はグロい。過去を掘り返され社会的制裁で抹殺される映画監督をノンフィクションドキュメンタリー映画にして記録に残す方が意義があるんじゃない?
バターのくだりいる??
いいね。まだこの監督生きているならとことん追い詰めよう。/似たような事件は日本でも多いけど、「フィクション(演技)だから何でもあり」なんて通る訳がない。徹底的に追及しよう。
支援ブクマ
一昔前は良い作品を撮るためなら人が死んでもいいくらいに考えてた人はそれなりにいたと思う。時代だよね。
エスパー魔美でも似たようなエピソードあったね。それに対する魔美パパのアンサーが素晴らしかった。
“マリア・シュナイダーのズボンを脱がし、バターを手に取ってアナルセックスを強要するシーン""マリアは恐怖のあまり涙を流して抵抗""ベルトルッチ監督は、彼女が受けた屈辱感、本物の涙を映像に収めたく"
ベルトリッチは1987年『ラスト・エンペラー』のアカデミー賞監督。『ラスト・タンゴ』の当該シーンは当時から悪評(学生時代見てかなり強烈な嫌悪感)。でも撮影時の不同意演出が世間に知られたのは2007年になって。。
傑作が撮れればすべて肯定される
エイリアンと一緒というブクマがあるが決して一緒ではない。あなたは自分が皆の目前で力づくで男性にお尻を犯される恐怖や屈辱と、目の前の人形の仕掛けが同等と考えるのか
タンゴの後で、今週公開か。
エスパー魔美にそういうのがあったね
“マリア・シュナイダー”
本物を撮りたいという欲
外国人て男も女もなんでか矢鱈ア◯ル好きなイメージがある。P◯rnHubとか観てもイケメンからブサメンまでア◯ル大好きです、彼らの異様なア◯ル推しは一体どこから。あと痔主の割合も気になる → 米くれた人ありがとう
「バターも使う」をタイトルにまで入れる意味とは
フリじゃ無かったてこと?犯罪なのでは
こんなことが平気で行われていたなんてね、、、、おぞましい
おぞましい。読めない
《50年前とはいえこんな撮影が許されるのか?》という問いに答えられるのは、50年前に生きてた人か、その時期を研究した人間だけだ。今の価値観でダメである事と今の価値観で過去を裁く事を同一視するのは愚かな事だ
波瀾万丈の人生って感じ。野生の夜にも出てたのか。
同意を得ずに性暴行したのだから、性犯罪で起訴すべき案件。アカデミー賞を取った=業界人の多くが問題ないと考えていたことにも暗澹たる気分になる。
>50年前とはいえこんな撮影が許されるのか? そんな、戦国時代になぜか妙に近代的な道徳・倫理を振りかざすNHK大河ドラマのキャラクターじゃないんだから。
ワセリンだったら減刑されるとでも?
騙して暴行して映画にして「リアルでしょ〜」てやって賞まで取っちゃうって業界もキツい…/女優俳優何人潰しても儲かるならやっちゃえ、ってのが現代でもまだ居るのでは?
ベルトルッチの作品はよくリバイバル上映されてる印象だけど、もう氏の作品は上映すべきではないなと思う。(配信サービスも同様)
言うて80年前のハリウッドで黒人奴隷をADとして利用していたみたいな話もあるから…(当然当時の感覚なので死亡事故が有っても綿花畑よりマシって感じだろうし
ちなみに、主演の美少年演じたビョルン・アンドレセンが、監督のヴィスコンティから、撮影外でもめちゃめちゃ酷い性的扱い受けてた『ベニスに死す』が1971年公開。50年前はとんでもないことが許されてたのだろう。
作品内のセックスとかヌードは芸術的に必要なケースがどれだけあるか疑問で、単なるセンセーショナリズムが多くないかな
よく「昔は許された」っていうやつがいるけど、昔から不同意の性的暴行(と言っていい撮影)が許されてた時代はないよ。これはあらゆる差別も同じ。当時も傷ついてた人がいるから社会運動で変わっていったのだし
クズ
少し前にこの作品の試写があったらしくちょっと検索したら「『ラストタンゴインパリ』が見たくなりました!」って感想があって頭抱えたね。衝撃映像でも見る感覚なんだろうか
古代の剣闘士で盛り上がってた生き物なんで、残酷ショーみんな大好きなんだよ。少しずつ形を変えて今もネットリンチという形で残ってるでしょ。
50年前の事を許して良いのか決められるのは50年後の今を生きる人達だと思う。その上で、それに何らかの罰を与えたりすることが許されるか、当時の認識を考慮した上で検討されるべきだろう。
俳優という仕事を舐めてる。演技は実録に確実に劣るってことか。俳優のその後の人生に影響出てることも監督の評価に汚点を残すというか、今後の世情の変化によってはジャニー氏レベルの扱いを受けてもおかしくない。
おそろしい話
「シャイニング」(1980)でキューブリックがシェリー・デュヴァルにやった「虐待」はええんか? シャイニングは好きな映画だがあの顛末を知って以来、あまり「快適」に鑑賞できなくなった。引っかかってしまうんだ。
芸術無罪 監督もレイプされる側を経験しておくべきでは
川島雄三あたりもそんな噂あるよね
俳優に事前説明なしに知らされていないことをやらせるって手法はしばしば使われるよね。スピルバーグでさえやってる。それがいいか悪いかは線引きは難しいけど、性暴行は流石にあかん。マーロン・ブランドも断れや
シャイニングも酷かった(もう書かれてるけど)。ホラーとして好きだったけど、女優さんの受けた行いと、その後を知ると、見たくないなと思う。本物撮りたいなら監督がやられる役ででたらいいんじゃないですか。
キリスト教文化の文脈でアナルセックスは涜神として不道徳的価値を持つからです>id:kiyo_hiko 性交は生殖のためにのみ行うべきで、妊娠の可能性のない(快楽目的の)性行為は全て冒涜です。中絶反対もこれによります
普通に疑似性交だった。ブックマーカーは絶対簡単な裏撮りもしねえからな。この本番は本番のセックスとかけてるんだろうけど男ヘイトを煽る目的のいつもの邪悪記事。
見なきゃ分かりませんね
やっかいなのがこの記事見て、興味本位でレイプシーン目当てに作品みようとする奴がいるってことよね。リベンジポルノとなにが違うのか。
犬ではないのか
本題と関係ない疑問なのだが、バターも使うがよくわからなかった。バターを使うのって世界の常識なの?
グーニーズで宝船見つけたシーンとは話が違うわね
芸術(芸能)無罪の時代は終わった。
“『ラスト・イン・パリ』(1972)はアカデミー監督賞・主演男優賞にノミネート、芸術性が高く評価される一作。主演女優に予告ナシ性行為の撮影が許されるのか? 1970年代は性の解放が叫ばれた時代の空気も”
中島哲也の作品上映自粛は俳優を騙したことに対する報いなので、自粛解除が望ましいとは思わないかな。
俳優が演じられないところを生成AIで、といった時代はくるだろうか。許されないかなあ。真実の描き方の一方法ではあると思うのだけど
犯罪!!!!/id:kiyo_hiko キリスト教的な純潔主義+モンゴロイドよりも硬度が低めなので負担が少ないとか…?
そういや松江哲明はキャリアを完全に潰されたよなあ、もう8年くらい経つか。
レイプされたのが女優じゃなく男優だったら何か違ったのだろうか?
その一方でアダルトビデオの撮影で実際に性行為を行わないようにする規制には猛反対するのだから面倒な話である
『ラストタンゴ・イン・パリ』の例のシーンの撮影、マリア・シュナイダーの運命を再現した映画『タンゴの後で』
以前も話題になってて許しがたい事件だと思っていたが、映画のテーマ自体では性愛なのだな
ひどいな
ラスト・タンゴ・イン・パリは、鬱映画だけどなんか好きなのよ。マーロン・ブランドのおっさんの悲哀がなんか良くて。ラストも悪くない。
タイトルとブコメで読むのは断念した。辛い。周囲の状況や権力勾配による性加害が少しでも減っていきますように。ブコメにあるけど、疑似だったら許されるという訳ではない。
むかーし、見たけど、淡々とした感じで拍子抜けした。バターといふ小道具だけで、その行為と思はせてゐるやうに見えた。この記事から受ける印象とは違ふ
『ラストタンゴ・イン・パリ』を見たのは高校生の時だが、正直、状況がよく分からなかった…。今思えばなくてもよかった場面であり、ベルトルッチの《若さ故の過ち》でしょう。
水ダウ自宅不審者ドッキリで元尼神の誠子は腰を抜かし、事件当事者になったと恐慌したという。放送は5分程度だが実際は20分の長回し、恐怖に慄く女性の姿をカットの声が掛かるまでスタッフ全員が黙って見詰めていた。