“自分もそれを体現していなければならない” ← まぁ、結局はココだよな。
そもそも叱るとか言う上から目線が自分には合っていないと感じたので「破った約束について次回から守ってもらうようお願いする」「隣に相手のご両親を座らせても気持ちが辛くならないように話す」ことを意識してる。
( 政治や行政の周辺で、パワハラ被害を武器にしてるの見すぎて… )
道徳を説くのと同じで、説いてる人が体現してないとね。 そういえば道徳教育に熱心な政治家といえば下村博文氏ですね。
AIの研究が進めば、叱られないと仕事のできない人間<AIという状況にいずれなるだろうから楽しみですね
自分のストレスのはけ口にしたり人格否定したり上の立場だということを利用して無理難題言ったり、まぁ人としての一線を越えないという至極単純なことなのだがな。それ社長に同じ事言えんのか?っていう
人格を否定しない、その人以外の要因(お里が知れるとか育ちが悪いとか)で否定しない、あたりを守ればパワハラにはならないと思う。
この理屈だと、 出来る人間が出来ない人間をどう詰めてもパワハラ認定されないような気も。 悪いけど、この理論と能力の高さ兼ね備える人には関わりたくないかな…
ハラスメント研修を受けたことがなさそう。
叱らなければ済む話。頭使ってね。
相手が子供でもない限り「叱る」ことに意味はない。具体的な行動に対して「こうすべき」と指摘し、折り合えなければ議論すればいい。これは中国で仕事して学んだこと。
愛情を持って叱るのは、星の導きを受けて育つようなものですわね。
体現!!?? 同じ目標を目指す仲間とかではダメな感じでしょうかね… (つ﹏⊂) (話は違うけど、最新話の『そういう家の子の話(16話? 赤石先生)』は巧すぎましたね…。)
人を人として扱うことに慣れてない
叱る相手を下に見ない、相手の人格や人生、価値観を否定しない、差別をしない、感情的にならない、そんなとこかな
タイトルについては社会があえて線を引いて処罰の対象とするか決めてるだけであって、本質的には同一のものだよ。時代や文化によってその線は当然違うし、数年後どこに線が引かれているかも私たちには分からない。
「叱る」という言葉が権力関係を前提にしていることに気づいてからは、そういうのは全部パワハラの類型だと思うようになった。少なくとも威圧的な言動を伴うものはすべて信じてはいけない
上司にも部下にも同じ感じで接してる。同じ感じでブチギレてる。進捗の偽装とかテスト結果偽装とかライン超えなきゃキレないけど
“代ゼミの講師が、授業に遅刻してきた生徒に対して、皆の前でガチ説教をかます動画だ。正論だから心に残る。最近は生徒にこう叱る先生は少ない。現在は、言って無駄なら、黙って見限る時代”
ここに居る人、叱るよりは叱られてる人のが多そう
>イチローが言うところの、「指導する側が厳しくできないから、自分で自分に厳しくしないといけない」そういう世界となった。
たとえば「遅刻をよくする社員」に関しては注意、警告(これ以上続くと査定に影響するよ)、面談での事情聴取(や無負えない理由があるか)、改善が見込めないようであれば勤務時間の変更、あるいは解雇などの処置
教師と生徒ならまだしも、たかがマネージャーとメンバー程度の関係性で「叱る」とかおこがましいとは思わんかね?
そもそも「叱る」時点でどうなの、と思ってしまう。
法規やガイドラインに示されているパワハラの定義に抵触しないように己の言動を律しなさいってだけの話に真剣さだの愛情だの独自の基準を持ち込んで「差はどこに」って、頭だいじょうぶか?
いマジ黙って見限るだけなんだよなぁ。飲み屋で変なヤツ見た時と一緒。
109対0...
叱る内容についてはその通りだが、叱り方について言及されていないので片手落ち。例えば遅刻するな、という内容は道理にかなうが、「遅刻するなって言ってんだろボケ!」みたいな言い方をすればパワハラになる。
安達にこれを語る資格があるのか?
はてブがまさに記事中の「自分に都合の悪い話をする上司は、全部パワハラ」の人たちやな いい年こいていつまで下っ端気取りなのも含めて / はてなリベラルのアカウントはだいたいそっち側でやっぱりなって感じ
結果で判断すべきでは。改善したら成功、変わらなければ失敗で、辞めたら大失敗。手段としての正当性ではなく、出た結果によって測るべき。正しく真剣に叱ったが全て悪化したのなら、それはやるべきではなかった。
パワハラする人が個人の感情から叱っているなんて自覚できるとは思えない、本人は相手のためになると本気で信じて叱ってるんだろ、斉藤知事とかみればわかるじゃん
今更パワハラか否かという議論は遅れすぎている。何故なら今はパワハラ防止法という法律があるから。パワハラの定義、パワハラの三要件、パワハラの6類型とか説明してるから、黙ってそれを見に行け。ポエムはいらん
真っ当な内容ではあるけれども、引き合いに出されてるパワハラは要件が比較的きまってるからなぁ、「業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの」かどうかが争点になrunokana
教育と職場での決定的な違いだよな。
愛情は無関係だと思う。親だってストレス解消とか子どもを下げて自分を上げるために怒るよね。
叱るって行為が精神への打撃的なものを含んでいる以上これからの世界で必要ないと思うよ
「叱る」は、明確な目標設定の上で目的達成に向かった言動により、相手の成長の機会とすることができる行為。「パワハラ」は、目的に向かっていない言動で相手に苦痛を与え、結果的に就業環境を悪化させる行為。
とりあえず1対1じゃなく、いろんな人もいる場で叱ったらマズイと思う、
ブコメのパワハラが激しいなしらんけど
真剣に叱るまで向き合うの面倒。話し合いでわからないなら一緒に仕事したくないし、そういう人が少ない職場に自分から移動すればパワハラにもならんやろと自分が自由に動く方
“真の意味での「パワハラ」と「真剣に叱る」の差は、いったいどこにあるのだろうか。 私が知る上司は、「愛情があるか、ないか」だと言った。結局、言葉が荒くても、愛情があればそれは相手に伝わる、というのだ。
叱った人が後で同じミスをした場合、叱られた人がそれを同じように叱り返せなかったらパワハラだと思います
みんな頭では大体そんなことわかってて、さらにそこまでの人格者でもないこともわかってるから何も言わなくなったんでは
セクハラと同じく「ハラスメント」は受けた側の主観に依るから、受けた方が「パワハラ」と思ったらパワハラなんだよな。不可避。だから管理職なんて誰もやりたくない。
もう"叱る"ということをアウトソースできない貧弱な社会に成り下がった。全て家族の責任、本人の責任。社会規範から逸脱したのならすぐに落第、クビ。少子化の原因でもあり、格差社会の原因でもある。
叱るじゃなくて改善してほしい行為の何がダメでどうしてほしいのか理屈で説明するもんじゃないのと思っていたがそれで泣かせたこともあるしそもそも通じないこともあるからほぇぇとなっている。私は人の心が分からぬ
アドラー心理学とかを学んだ方がいいんじゃないのかな。叱る必要なんてなくて要望だけすればいい。やってくれないなら放置すればいいだけ。
人として〜って、ダメ人間も人なのよね
パワハラかどうかは行為者と被行為者ではなく第三者が見てどう思うかが重要のはず。後々公にして誰の目に晒しても問題ないかでは/その基準に照らすと大半の「パワハラじゃねえよ!」の声はまず信用できんわ
まだこんなこと言ってんのか。気持ちの問題にしてると揉めるので、パワハラを客観的に定義付けして通報制度など第三者を絡ませた仕組みを作って淡々と管理していくのみでしょ
1カ月連続で遅刻してる部下になんて言えば良い?
うわ。典型的なパワハラ野郎のロジック。「愛情」があれば何しても良いんですね~。て言うか、講師の叱責も完全に私情で言うとるやん。これに良い人ってコメントつくのって一種の洗脳だよな
被指導者に正論をとく上で、相手を痛めつけなくとも意図や要望は伝えられる。しかし、ついでに痛めつけておいた方が、こちらの要求が履行されやすい(不履行時の直罰を想起させられる)…というだけでは。
直行してないので、重なりがあるんじゃない?
社会人が社会人を「叱る」って何様だよと思う それはそれとしてお給料に見合わない働きをする人にはもちろん思うところがあるので常時ゴミを見るような目で見てはいる 口では普通に話す
叱る必要ない。そういうサボる人間がいるから我々のような発達障害でも戦える。健常者がガチって来たら発達民は勝ち目なくなる。
次からこうしてほしいって言うだけ、改善が見られないなら合法に辞めてもらうかな
代ゼミ講師の件、荻野さんやないか。この人はインターネット黎明期に話題になって動画も当時のもので、賞賛のコメントも老人会が書いてるだけで今ならアウトだと思う。普通にお前嫌いとか反吐が出るとか言ってるし
子供に幾度となく同じような説教をして気づいたのが、こちら側の思いや都合ではなく、子供自身が本心から変わろうと思えないと何をどう言っても響かない。相手の考え方を変えるという非常に難しい行為なのだ。
俺は私情抜きで純粋に教育目的に叱責していると思ってる人の方が嫌だな。そういう人の方が容赦ないんだよ、間違った事でないと確信してるから。
パワハラ野郎の言い訳ぽいな
この記事に批判的なコメントが多くて驚いている。あえて反動的な事を言うが「自分のことをきつく叱ってくれる人が誰もいない」という状態は、理不尽なパワハラと同じくらい不幸な状態なのに。
世の中には正論で人を殺す、という格言がある。それが正しいこと、かつ叱られる側に瑕疵があったとしても、いくらでも殴っていいわけはない。パワハラは受け取る側がどう取るかで決まる、という教育を受けてない?
いまは目的の違い(愛情とか成長とか)だけでは不十分で、目的の明示、内容の具体性、人格否定なし、プライベートなし、事前の信頼関係、が必要なんだと思う。どれかが欠けると第三者による検証に耐えられない
本人に改善する意欲があるかどうかも大事な要素。自分と相手の目標が一致しているかをまず確認しよう。建設的に
「叱る」こと自体が「権力勾配がある」かつ「強い口調である」ことが前提だから、どうしたってパワハラの下地があるよね。行動の変容を促すなら「指摘する」「注意する」「依頼する」とか他にもできることはあるのに
「叱る」という前時代的な行為を「いいこと・必要なこと」だと思ってる時点で話にならなすぎるパワハラ思想。「無能のための緊急的な代替手段」としてすら下策で必要悪の如く扱う価値さえないのに
身内が自殺とか犯罪とかしようとしてたら真剣に怒るかもしれない
”『完ぺきではない、だができるように目指している』という回答を自信を持って言えるようであれば、「本気で叱る」ことは、相手にも伝わるだろう“ 結局、冒頭の何でもパワハラの人には通じないのでは。
叱ると教え諭すの差は何だろう。先日の「怒らないと話をきいてくれない」はどんなブコメついてたっけ→叱る立場の人が怒る必要なくないか /愛があればいいは欺瞞。虐待親の中には「愛だ」て言う人結構いる
叱る必要はなくて、ただ指摘をすればいいんだけど、それすらも最近は気を使う世の中になっちゃったな。
叱られることがハラスメントだなんて、信頼関係が無いのだろうとしか。
荻野や松下のような前時代の人間を参照して「自分の頭で考える」をやった記事に価値観のアップデートが反映されているとは到底思えない。
差はない。「叱る」時点でパワハラ。これを常識としてください。
大人同士で叱るって意味ないよなー。淡々と言い聞かせて無理だったら諦めるしかない。もっとドライでいい。
怒ると叱るの違い的な奴では。怒鳴ったり威圧したり追い込んだりせず、何が間違っていてどうしたらいいのかを冷静に説明する、で良くない?
> きわめて真っ当 まずここから分かり合えない人間なんだなって思って読むのをやめた。昨今の多様性とかいうやつにも文句言ってそう。
「愛情の有無」はよく指摘されるけど、その愛情すら一方的で不確実だから難しい。
痺れる内容でした。
まだ読んでないけど、毎回香ばしい
http://linode.mono.ca.gov/how-can-i-regain-access-my-chime-account-account-recovery-0 http://linode.mono.ca.gov/how-can-i-regain-access-my-chime-account-account-recovery-0 http://linode.mono.ca.gov/how-can-i-regain-access-my-chime-account-account-recovery-0
受け手の感情以外に無い
いい話だった。
ブラック労働でないことが大前提で、そもそもサビ残とかで人権踏み躙られてる時点で何言われてもパワハラとしかならんよなーと思う。
めんどくさすぎるのでもう俺にちかづかないでください20代の皆さん 勝手に一人でせいぜいがんばってくださいボケ
本人が勝手に決めた定義の差
子の担任との面談事、理不尽な抗議はしませんので悪い時は叱ってやって下さいとお願いしたところ、先生からは、理不尽な教員もおりますのでそれは伝えない方が良いというアドバイスを頂きました。世知辛いです。
「真剣に叱る」が声を荒げることなく冷静に相手の人格ではなく事象に対してあるべきと思うことを伝える、という話なら問題ないけどそれはきっと「叱る」ではなく「指摘する」くらいだろうなぁ
他拠点からたらい回しにされてきた問題児に真剣に向き合おうとした結果、パワハラ通報された。人事部には労われた。弱者は弱者の形をしていないってやつよね。アホらしくなって会社辞めた。
イチローのあの言葉を思い出すなぁと思ったら書いてあって草
言葉遊びかもしれないけど、「真剣に叱りたい」時点で、今はアウトかなあ
ちゃんと全部読んだ上で上のブコメ見るとなんな違うなあと。
ブコメ見る限り”ちょっと言って無駄なら、黙って見限る”で正解のようだね
道理。筋や良識と言い換えてもいいが。
「真剣に叱る」と相手に伝わるというのはただの美しいフィクションだし、効果が薄いからやらない方がいい。やる気がない人には叱るよりインセンティブ、能力不足の人は叱るよりも適切な指導の方がいい。
相手の良くない点の指摘が相手を辱めるハラスメントになるか当人の為に改めてほしいという願いの形の一つとしての叱りになるかって捉えると元々どちらにもなり得るものだから結局信頼関係が築けてるかどうかでは
無理。今の時代ではもう何を言ってもパワハラ。特に女。女というヨシヨシチヤホヤ他責至上主義のモンスターが蔓延る社会ではどんなに正当性があろうがやったら負ける。全ては受け取り側の匙加減。見捨てるしかない
受け取る側が「パワハラ」だと思うのなら「パワハラ」だ、という話を途中でしちゃったら、もう「真剣に叱る」を考察しても仕方ないと思わない?今や「叱る」だけでなく「指導」したつもりでも「パワハラ」と文字数
まあパワハラする人は、愛情込めて叱ったんだ、愛情込めた教育的指導だ、って言い張るし、本気でそう思い込んでますよね。
教育という単語の中にすら権力勾配とパワハラが存在する。とはいえ、自発的学習だけでは効率的学習は叶わない。このトレードオフの間で、日々規制基準が移り変わっていて、アップデートし損ねると社会的にしぬ。
"現在は 『ちょっと言って無駄なら、黙って見限る』がデフォルトとなった" 1990年くらいにはそんな世間になった感があったなー 「愛があるか」なんてTVドラマか漫画だけ
仕事とか会社とかに「人生」をコミットし過ぎ。業務上の期待値を明確に定義して、成果を出せないときに合理的なアドバイスをしてるうちは絶対にパワハラにならない。アドバイスして成果出ないならクビで良いのでは?
愛情や道徳で「叱れる」のは家庭か学校・習い事くらいで、子供の教育の場だからだよね。職場も全人的教育の場であるべきって主張には賛同しづらいな。「人としてあるべき姿(道徳)」がはっきりしてる時代でもないしね
タイのCMが真っ当→わかる。代ゼミのパワハラも言ってることは真っ当→???
だいたいが注意する・諭すの範囲であって、叱るのが適しているのは生命が関わるとか取り返しのつかない余程のことだけな気がする。しょっちゅう叱ってたら響かないだろうし。
“パワハラ”と”真剣に叱る”の差は、「受け手に刺さるかどうか」しかないと思う。この記事は叱る側の心構えや気持ちやらをずっと考えているが、そこに答えはない。どう足掻いてもリスクのある行為だよ。
結局人って圧かけないと育たないんだよな。極限のストレス下でしか成長しない。叱れないんだったらできない人は見捨てるしか方法が無くなる
過程がどうあれ最終的に和解して遺恨が残らなければそれは「真剣に叱ってくれた」とある意味同じ。その逆も然り。結果論的な部分が大きい。「被害者」を出さなければパワハラじゃない認定だけど、明確な尺度はない
大抵のまっとうな会社は、ハラスメント教育を行い、何がパワハラになるか教えてくれます。そちらを参考にしましょう
『アルテ』の歴代師弟関係のように、打てば響く見込みのある徒弟だけ叱るとかねw/叱る対象に感じた自分の怒りの感情を発散させる叱りは駄目な叱り〉「私情、つまり個人的な感情で叱るのは、ダメだということだ。」
受け手次第なので議論しても
真剣であれば、愛があれば、許されると思っていたら、その時点でパワハラや
違う。人それぞれで受け止め方も違う。荻野先生も場合によってパワハラになる。今の時代は愛情というなら、相手に対しての解像度の高さだ
大体全部パワハラになるんだと思う。法律に適した判例みたいなのを確認する必要がある
若い人は「真剣に叱ることはパワハラにならない」などと思っていない。愛情をもって人の道理を説いたとしても威圧を感じればパワハラである。逆にパワハラと感じても素直に態度を改めることもある。評価は相対的だ。
わからないかな。愛情をもって叱る→自分の感情が基準、パワハラ→相手の感情が基準、だよ。
色々書いてあるけど次の一文さえ押さえておけばいい。→個人の感情からではなく、普遍的に「人としてなすべきこと」をやっていないときに、叱る
パワハラに少しでも理由があるかのような書き方だが、日本でそんなに何でも叱られたことをパワハラとみなす人が多いとは思えない。もしそうだとしたら状況が悪すぎる。少なくともそれは標準ではない。
講師が予備校生を、ならともかく、上司が部下を、であっても大人を叱る必要なくないか? と思う。できないならそれに応じた評価がつくということで十分では。人を評価する立場になったことないけど。
筆者が後ろから刺されたり駅のホームで電車が来た瞬間に突き飛ばされない事を祈念する、としか言えないかな
遅延に対して「締切は守らなきゃダメ、無理なら事前に相談して」程度の指摘でも相手が不快と感じたらパワハラ扱いで評価下げられるんだから、もう何も指摘しない。指摘する側が一方的に損するだけだし。
「愛情」。DVやる人間も良くいいますね。
“最も不寛容な人(最も騒ぎ立てる人)に合わせて、マネジメントが行われる。心当たりがあるなー。 話の結論がちょっと残念。コメント見ると叱るという概念を持ち込む事がもう時代としてダメなんだろうな
斎藤一人さんの論でいけば、人間みんな違うから何に困るかは人それぞれ。困ってる時が学んでる時。人はいつでも成長できるんだから、成長待てばいいんだよ。
そこでAI君の出番ですよ /人類は精神的にも肉体的にも、どんどん弱くなるね。さすがは自称ホモ・サピエンス。
なるほど
トップブコメの相手の御両親を隣に座らせても気持ちが辛くならないように…は、わかりやすい。
はっきりしてるのは個人の利益が入っている場合がない?アカハラと熱心な指導も紙一重だけど、アカハラの場合は指導者のスキルがデタラメないときかな?
このタイトルでしんざき記事なら読みたかったけど安達記事だったのでパスで。記事タイトルに著者名入れてください
躾のつもりでやった。子殺しの親の常套句
本当なら叱ることすらしなくてよいが、学校が崩壊したのは基準に沿って淡々と処理(規律違反は退学までの懲戒、基準に達しなければ原級留置)できず、トコロテン方式で進級とのセットだった体罰や叱責が否定されたから
まず、正論であることは大前提として。 相手のメンツを潰さないように、本人ではなく事象にフォーカスして話すようにはしている。
叱るのはOKと考えてる時点でアウト
タイトルから『真剣(という自認)なら、パワハラの違法性が阻却される』という思想がうっすら流れて
昔は大人が子供叱るのは本人のためで大人になったら叱ってくれる人がいなくなるからみたいな感じだったけど、大人になると叱るがパワハラに変わるんだよね。
?部下を叱ろうと思ったことはほとんどないな。注意や指示はするが、他人の大人相手に叱るって発想が変な/注意する→次やらかさないならOK、何度もやらかしたら指示を厳格に、これでもダメなら考査を下げる
安達 裕哉
愛情があろうがなかろうが、言ってる内容がおかしかったらパワハラであって、愛情の有無は全く関係ないと思う / 一般論として叱るには技術が必要で、仮に伝えたい内容が正しくても伝え方がおかしかったら変えられない
そもそも荻野は「授業料払ってる他人を邪魔してるわけでもない人」を勝手な判断で追い出してる時点で論外(あと単科テキストに引用元提示せずに7つの習慣を引き写してるのも嫌い)
『パワハラ』と『真剣に叱る』の差はどこにあるか
“自分もそれを体現していなければならない” ← まぁ、結局はココだよな。
そもそも叱るとか言う上から目線が自分には合っていないと感じたので「破った約束について次回から守ってもらうようお願いする」「隣に相手のご両親を座らせても気持ちが辛くならないように話す」ことを意識してる。
( 政治や行政の周辺で、パワハラ被害を武器にしてるの見すぎて… )
道徳を説くのと同じで、説いてる人が体現してないとね。 そういえば道徳教育に熱心な政治家といえば下村博文氏ですね。
AIの研究が進めば、叱られないと仕事のできない人間<AIという状況にいずれなるだろうから楽しみですね
自分のストレスのはけ口にしたり人格否定したり上の立場だということを利用して無理難題言ったり、まぁ人としての一線を越えないという至極単純なことなのだがな。それ社長に同じ事言えんのか?っていう
人格を否定しない、その人以外の要因(お里が知れるとか育ちが悪いとか)で否定しない、あたりを守ればパワハラにはならないと思う。
この理屈だと、 出来る人間が出来ない人間をどう詰めてもパワハラ認定されないような気も。 悪いけど、この理論と能力の高さ兼ね備える人には関わりたくないかな…
ハラスメント研修を受けたことがなさそう。
叱らなければ済む話。頭使ってね。
相手が子供でもない限り「叱る」ことに意味はない。具体的な行動に対して「こうすべき」と指摘し、折り合えなければ議論すればいい。これは中国で仕事して学んだこと。
愛情を持って叱るのは、星の導きを受けて育つようなものですわね。
体現!!?? 同じ目標を目指す仲間とかではダメな感じでしょうかね… (つ﹏⊂) (話は違うけど、最新話の『そういう家の子の話(16話? 赤石先生)』は巧すぎましたね…。)
人を人として扱うことに慣れてない
叱る相手を下に見ない、相手の人格や人生、価値観を否定しない、差別をしない、感情的にならない、そんなとこかな
タイトルについては社会があえて線を引いて処罰の対象とするか決めてるだけであって、本質的には同一のものだよ。時代や文化によってその線は当然違うし、数年後どこに線が引かれているかも私たちには分からない。
「叱る」という言葉が権力関係を前提にしていることに気づいてからは、そういうのは全部パワハラの類型だと思うようになった。少なくとも威圧的な言動を伴うものはすべて信じてはいけない
上司にも部下にも同じ感じで接してる。同じ感じでブチギレてる。進捗の偽装とかテスト結果偽装とかライン超えなきゃキレないけど
“代ゼミの講師が、授業に遅刻してきた生徒に対して、皆の前でガチ説教をかます動画だ。正論だから心に残る。最近は生徒にこう叱る先生は少ない。現在は、言って無駄なら、黙って見限る時代”
ここに居る人、叱るよりは叱られてる人のが多そう
>イチローが言うところの、「指導する側が厳しくできないから、自分で自分に厳しくしないといけない」そういう世界となった。
たとえば「遅刻をよくする社員」に関しては注意、警告(これ以上続くと査定に影響するよ)、面談での事情聴取(や無負えない理由があるか)、改善が見込めないようであれば勤務時間の変更、あるいは解雇などの処置
教師と生徒ならまだしも、たかがマネージャーとメンバー程度の関係性で「叱る」とかおこがましいとは思わんかね?
そもそも「叱る」時点でどうなの、と思ってしまう。
法規やガイドラインに示されているパワハラの定義に抵触しないように己の言動を律しなさいってだけの話に真剣さだの愛情だの独自の基準を持ち込んで「差はどこに」って、頭だいじょうぶか?
いマジ黙って見限るだけなんだよなぁ。飲み屋で変なヤツ見た時と一緒。
109対0...
叱る内容についてはその通りだが、叱り方について言及されていないので片手落ち。例えば遅刻するな、という内容は道理にかなうが、「遅刻するなって言ってんだろボケ!」みたいな言い方をすればパワハラになる。
安達にこれを語る資格があるのか?
はてブがまさに記事中の「自分に都合の悪い話をする上司は、全部パワハラ」の人たちやな いい年こいていつまで下っ端気取りなのも含めて / はてなリベラルのアカウントはだいたいそっち側でやっぱりなって感じ
結果で判断すべきでは。改善したら成功、変わらなければ失敗で、辞めたら大失敗。手段としての正当性ではなく、出た結果によって測るべき。正しく真剣に叱ったが全て悪化したのなら、それはやるべきではなかった。
パワハラする人が個人の感情から叱っているなんて自覚できるとは思えない、本人は相手のためになると本気で信じて叱ってるんだろ、斉藤知事とかみればわかるじゃん
今更パワハラか否かという議論は遅れすぎている。何故なら今はパワハラ防止法という法律があるから。パワハラの定義、パワハラの三要件、パワハラの6類型とか説明してるから、黙ってそれを見に行け。ポエムはいらん
真っ当な内容ではあるけれども、引き合いに出されてるパワハラは要件が比較的きまってるからなぁ、「業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの」かどうかが争点になrunokana
教育と職場での決定的な違いだよな。
愛情は無関係だと思う。親だってストレス解消とか子どもを下げて自分を上げるために怒るよね。
叱るって行為が精神への打撃的なものを含んでいる以上これからの世界で必要ないと思うよ
「叱る」は、明確な目標設定の上で目的達成に向かった言動により、相手の成長の機会とすることができる行為。「パワハラ」は、目的に向かっていない言動で相手に苦痛を与え、結果的に就業環境を悪化させる行為。
とりあえず1対1じゃなく、いろんな人もいる場で叱ったらマズイと思う、
ブコメのパワハラが激しいなしらんけど
真剣に叱るまで向き合うの面倒。話し合いでわからないなら一緒に仕事したくないし、そういう人が少ない職場に自分から移動すればパワハラにもならんやろと自分が自由に動く方
“真の意味での「パワハラ」と「真剣に叱る」の差は、いったいどこにあるのだろうか。 私が知る上司は、「愛情があるか、ないか」だと言った。結局、言葉が荒くても、愛情があればそれは相手に伝わる、というのだ。
叱った人が後で同じミスをした場合、叱られた人がそれを同じように叱り返せなかったらパワハラだと思います
みんな頭では大体そんなことわかってて、さらにそこまでの人格者でもないこともわかってるから何も言わなくなったんでは
セクハラと同じく「ハラスメント」は受けた側の主観に依るから、受けた方が「パワハラ」と思ったらパワハラなんだよな。不可避。だから管理職なんて誰もやりたくない。
もう"叱る"ということをアウトソースできない貧弱な社会に成り下がった。全て家族の責任、本人の責任。社会規範から逸脱したのならすぐに落第、クビ。少子化の原因でもあり、格差社会の原因でもある。
叱るじゃなくて改善してほしい行為の何がダメでどうしてほしいのか理屈で説明するもんじゃないのと思っていたがそれで泣かせたこともあるしそもそも通じないこともあるからほぇぇとなっている。私は人の心が分からぬ
アドラー心理学とかを学んだ方がいいんじゃないのかな。叱る必要なんてなくて要望だけすればいい。やってくれないなら放置すればいいだけ。
人として〜って、ダメ人間も人なのよね
パワハラかどうかは行為者と被行為者ではなく第三者が見てどう思うかが重要のはず。後々公にして誰の目に晒しても問題ないかでは/その基準に照らすと大半の「パワハラじゃねえよ!」の声はまず信用できんわ
まだこんなこと言ってんのか。気持ちの問題にしてると揉めるので、パワハラを客観的に定義付けして通報制度など第三者を絡ませた仕組みを作って淡々と管理していくのみでしょ
1カ月連続で遅刻してる部下になんて言えば良い?
うわ。典型的なパワハラ野郎のロジック。「愛情」があれば何しても良いんですね~。て言うか、講師の叱責も完全に私情で言うとるやん。これに良い人ってコメントつくのって一種の洗脳だよな
被指導者に正論をとく上で、相手を痛めつけなくとも意図や要望は伝えられる。しかし、ついでに痛めつけておいた方が、こちらの要求が履行されやすい(不履行時の直罰を想起させられる)…というだけでは。
直行してないので、重なりがあるんじゃない?
社会人が社会人を「叱る」って何様だよと思う それはそれとしてお給料に見合わない働きをする人にはもちろん思うところがあるので常時ゴミを見るような目で見てはいる 口では普通に話す
叱る必要ない。そういうサボる人間がいるから我々のような発達障害でも戦える。健常者がガチって来たら発達民は勝ち目なくなる。
次からこうしてほしいって言うだけ、改善が見られないなら合法に辞めてもらうかな
代ゼミ講師の件、荻野さんやないか。この人はインターネット黎明期に話題になって動画も当時のもので、賞賛のコメントも老人会が書いてるだけで今ならアウトだと思う。普通にお前嫌いとか反吐が出るとか言ってるし
子供に幾度となく同じような説教をして気づいたのが、こちら側の思いや都合ではなく、子供自身が本心から変わろうと思えないと何をどう言っても響かない。相手の考え方を変えるという非常に難しい行為なのだ。
俺は私情抜きで純粋に教育目的に叱責していると思ってる人の方が嫌だな。そういう人の方が容赦ないんだよ、間違った事でないと確信してるから。
パワハラ野郎の言い訳ぽいな
この記事に批判的なコメントが多くて驚いている。あえて反動的な事を言うが「自分のことをきつく叱ってくれる人が誰もいない」という状態は、理不尽なパワハラと同じくらい不幸な状態なのに。
世の中には正論で人を殺す、という格言がある。それが正しいこと、かつ叱られる側に瑕疵があったとしても、いくらでも殴っていいわけはない。パワハラは受け取る側がどう取るかで決まる、という教育を受けてない?
いまは目的の違い(愛情とか成長とか)だけでは不十分で、目的の明示、内容の具体性、人格否定なし、プライベートなし、事前の信頼関係、が必要なんだと思う。どれかが欠けると第三者による検証に耐えられない
本人に改善する意欲があるかどうかも大事な要素。自分と相手の目標が一致しているかをまず確認しよう。建設的に
「叱る」こと自体が「権力勾配がある」かつ「強い口調である」ことが前提だから、どうしたってパワハラの下地があるよね。行動の変容を促すなら「指摘する」「注意する」「依頼する」とか他にもできることはあるのに
「叱る」という前時代的な行為を「いいこと・必要なこと」だと思ってる時点で話にならなすぎるパワハラ思想。「無能のための緊急的な代替手段」としてすら下策で必要悪の如く扱う価値さえないのに
身内が自殺とか犯罪とかしようとしてたら真剣に怒るかもしれない
”『完ぺきではない、だができるように目指している』という回答を自信を持って言えるようであれば、「本気で叱る」ことは、相手にも伝わるだろう“ 結局、冒頭の何でもパワハラの人には通じないのでは。
叱ると教え諭すの差は何だろう。先日の「怒らないと話をきいてくれない」はどんなブコメついてたっけ→叱る立場の人が怒る必要なくないか /愛があればいいは欺瞞。虐待親の中には「愛だ」て言う人結構いる
叱る必要はなくて、ただ指摘をすればいいんだけど、それすらも最近は気を使う世の中になっちゃったな。
叱られることがハラスメントだなんて、信頼関係が無いのだろうとしか。
荻野や松下のような前時代の人間を参照して「自分の頭で考える」をやった記事に価値観のアップデートが反映されているとは到底思えない。
差はない。「叱る」時点でパワハラ。これを常識としてください。
大人同士で叱るって意味ないよなー。淡々と言い聞かせて無理だったら諦めるしかない。もっとドライでいい。
怒ると叱るの違い的な奴では。怒鳴ったり威圧したり追い込んだりせず、何が間違っていてどうしたらいいのかを冷静に説明する、で良くない?
> きわめて真っ当 まずここから分かり合えない人間なんだなって思って読むのをやめた。昨今の多様性とかいうやつにも文句言ってそう。
「愛情の有無」はよく指摘されるけど、その愛情すら一方的で不確実だから難しい。
痺れる内容でした。
まだ読んでないけど、毎回香ばしい
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受け手の感情以外に無い
いい話だった。
ブラック労働でないことが大前提で、そもそもサビ残とかで人権踏み躙られてる時点で何言われてもパワハラとしかならんよなーと思う。
めんどくさすぎるのでもう俺にちかづかないでください20代の皆さん 勝手に一人でせいぜいがんばってくださいボケ
本人が勝手に決めた定義の差
子の担任との面談事、理不尽な抗議はしませんので悪い時は叱ってやって下さいとお願いしたところ、先生からは、理不尽な教員もおりますのでそれは伝えない方が良いというアドバイスを頂きました。世知辛いです。
「真剣に叱る」が声を荒げることなく冷静に相手の人格ではなく事象に対してあるべきと思うことを伝える、という話なら問題ないけどそれはきっと「叱る」ではなく「指摘する」くらいだろうなぁ
他拠点からたらい回しにされてきた問題児に真剣に向き合おうとした結果、パワハラ通報された。人事部には労われた。弱者は弱者の形をしていないってやつよね。アホらしくなって会社辞めた。
イチローのあの言葉を思い出すなぁと思ったら書いてあって草
言葉遊びかもしれないけど、「真剣に叱りたい」時点で、今はアウトかなあ
ちゃんと全部読んだ上で上のブコメ見るとなんな違うなあと。
ブコメ見る限り”ちょっと言って無駄なら、黙って見限る”で正解のようだね
道理。筋や良識と言い換えてもいいが。
「真剣に叱る」と相手に伝わるというのはただの美しいフィクションだし、効果が薄いからやらない方がいい。やる気がない人には叱るよりインセンティブ、能力不足の人は叱るよりも適切な指導の方がいい。
相手の良くない点の指摘が相手を辱めるハラスメントになるか当人の為に改めてほしいという願いの形の一つとしての叱りになるかって捉えると元々どちらにもなり得るものだから結局信頼関係が築けてるかどうかでは
無理。今の時代ではもう何を言ってもパワハラ。特に女。女というヨシヨシチヤホヤ他責至上主義のモンスターが蔓延る社会ではどんなに正当性があろうがやったら負ける。全ては受け取り側の匙加減。見捨てるしかない
受け取る側が「パワハラ」だと思うのなら「パワハラ」だ、という話を途中でしちゃったら、もう「真剣に叱る」を考察しても仕方ないと思わない?今や「叱る」だけでなく「指導」したつもりでも「パワハラ」と文字数
まあパワハラする人は、愛情込めて叱ったんだ、愛情込めた教育的指導だ、って言い張るし、本気でそう思い込んでますよね。
教育という単語の中にすら権力勾配とパワハラが存在する。とはいえ、自発的学習だけでは効率的学習は叶わない。このトレードオフの間で、日々規制基準が移り変わっていて、アップデートし損ねると社会的にしぬ。
"現在は 『ちょっと言って無駄なら、黙って見限る』がデフォルトとなった" 1990年くらいにはそんな世間になった感があったなー 「愛があるか」なんてTVドラマか漫画だけ
仕事とか会社とかに「人生」をコミットし過ぎ。業務上の期待値を明確に定義して、成果を出せないときに合理的なアドバイスをしてるうちは絶対にパワハラにならない。アドバイスして成果出ないならクビで良いのでは?
愛情や道徳で「叱れる」のは家庭か学校・習い事くらいで、子供の教育の場だからだよね。職場も全人的教育の場であるべきって主張には賛同しづらいな。「人としてあるべき姿(道徳)」がはっきりしてる時代でもないしね
タイのCMが真っ当→わかる。代ゼミのパワハラも言ってることは真っ当→???
だいたいが注意する・諭すの範囲であって、叱るのが適しているのは生命が関わるとか取り返しのつかない余程のことだけな気がする。しょっちゅう叱ってたら響かないだろうし。
“パワハラ”と”真剣に叱る”の差は、「受け手に刺さるかどうか」しかないと思う。この記事は叱る側の心構えや気持ちやらをずっと考えているが、そこに答えはない。どう足掻いてもリスクのある行為だよ。
結局人って圧かけないと育たないんだよな。極限のストレス下でしか成長しない。叱れないんだったらできない人は見捨てるしか方法が無くなる
過程がどうあれ最終的に和解して遺恨が残らなければそれは「真剣に叱ってくれた」とある意味同じ。その逆も然り。結果論的な部分が大きい。「被害者」を出さなければパワハラじゃない認定だけど、明確な尺度はない
大抵のまっとうな会社は、ハラスメント教育を行い、何がパワハラになるか教えてくれます。そちらを参考にしましょう
『アルテ』の歴代師弟関係のように、打てば響く見込みのある徒弟だけ叱るとかねw/叱る対象に感じた自分の怒りの感情を発散させる叱りは駄目な叱り〉「私情、つまり個人的な感情で叱るのは、ダメだということだ。」
受け手次第なので議論しても
真剣であれば、愛があれば、許されると思っていたら、その時点でパワハラや
違う。人それぞれで受け止め方も違う。荻野先生も場合によってパワハラになる。今の時代は愛情というなら、相手に対しての解像度の高さだ
大体全部パワハラになるんだと思う。法律に適した判例みたいなのを確認する必要がある
若い人は「真剣に叱ることはパワハラにならない」などと思っていない。愛情をもって人の道理を説いたとしても威圧を感じればパワハラである。逆にパワハラと感じても素直に態度を改めることもある。評価は相対的だ。
わからないかな。愛情をもって叱る→自分の感情が基準、パワハラ→相手の感情が基準、だよ。
色々書いてあるけど次の一文さえ押さえておけばいい。→個人の感情からではなく、普遍的に「人としてなすべきこと」をやっていないときに、叱る
パワハラに少しでも理由があるかのような書き方だが、日本でそんなに何でも叱られたことをパワハラとみなす人が多いとは思えない。もしそうだとしたら状況が悪すぎる。少なくともそれは標準ではない。
講師が予備校生を、ならともかく、上司が部下を、であっても大人を叱る必要なくないか? と思う。できないならそれに応じた評価がつくということで十分では。人を評価する立場になったことないけど。
筆者が後ろから刺されたり駅のホームで電車が来た瞬間に突き飛ばされない事を祈念する、としか言えないかな
遅延に対して「締切は守らなきゃダメ、無理なら事前に相談して」程度の指摘でも相手が不快と感じたらパワハラ扱いで評価下げられるんだから、もう何も指摘しない。指摘する側が一方的に損するだけだし。
「愛情」。DVやる人間も良くいいますね。
“最も不寛容な人(最も騒ぎ立てる人)に合わせて、マネジメントが行われる。心当たりがあるなー。 話の結論がちょっと残念。コメント見ると叱るという概念を持ち込む事がもう時代としてダメなんだろうな
斎藤一人さんの論でいけば、人間みんな違うから何に困るかは人それぞれ。困ってる時が学んでる時。人はいつでも成長できるんだから、成長待てばいいんだよ。
そこでAI君の出番ですよ /人類は精神的にも肉体的にも、どんどん弱くなるね。さすがは自称ホモ・サピエンス。
なるほど
トップブコメの相手の御両親を隣に座らせても気持ちが辛くならないように…は、わかりやすい。
はっきりしてるのは個人の利益が入っている場合がない?アカハラと熱心な指導も紙一重だけど、アカハラの場合は指導者のスキルがデタラメないときかな?
このタイトルでしんざき記事なら読みたかったけど安達記事だったのでパスで。記事タイトルに著者名入れてください
躾のつもりでやった。子殺しの親の常套句
本当なら叱ることすらしなくてよいが、学校が崩壊したのは基準に沿って淡々と処理(規律違反は退学までの懲戒、基準に達しなければ原級留置)できず、トコロテン方式で進級とのセットだった体罰や叱責が否定されたから
まず、正論であることは大前提として。 相手のメンツを潰さないように、本人ではなく事象にフォーカスして話すようにはしている。
叱るのはOKと考えてる時点でアウト
タイトルから『真剣(という自認)なら、パワハラの違法性が阻却される』という思想がうっすら流れて
昔は大人が子供叱るのは本人のためで大人になったら叱ってくれる人がいなくなるからみたいな感じだったけど、大人になると叱るがパワハラに変わるんだよね。
?部下を叱ろうと思ったことはほとんどないな。注意や指示はするが、他人の大人相手に叱るって発想が変な/注意する→次やらかさないならOK、何度もやらかしたら指示を厳格に、これでもダメなら考査を下げる
安達 裕哉
愛情があろうがなかろうが、言ってる内容がおかしかったらパワハラであって、愛情の有無は全く関係ないと思う / 一般論として叱るには技術が必要で、仮に伝えたい内容が正しくても伝え方がおかしかったら変えられない
そもそも荻野は「授業料払ってる他人を邪魔してるわけでもない人」を勝手な判断で追い出してる時点で論外(あと単科テキストに引用元提示せずに7つの習慣を引き写してるのも嫌い)