閉鎖しとけよ
それでいてこういうこという人たちは、自分が損害や被害を受ける立場になったら、企業が悪いとか政府が悪いとか言いがちなんだよなあ。
北海道で山に入ること自体がヒグマリスク高く、自衛隊並みの武装集団が観光地の警備している訳でもないので、リスク込みで行った、自分は大丈夫と思ってただけでは(´・_・`)川遊びで溺れて死ぬのと同じ。運が悪い
事故には必ず何かしらの原因があって対策を取れるという考えに基づくと、レジャーで山に入らないぐらいしか確実に有効性ある対策がないしな。公正世界仮説ってジョンダ流開運術と似てるな
被害者に落ち度はなくても死のリスクがあるから対策必要だって話じゃないかな
https://togetter.com/li/2590369 "エンゼルススタジアムからディズニー戻る道中の黒丸部分で襲われました。" 皆「歩くな」「通るな」と公正世界仮説である。
以前は大丈夫だったものが観光客マナー等の悪化により大丈夫じゃなくなって起きた事故だから被害者に責を負わせるのは気の毒。今後については北海道の山はヤバイという認識が必要だとは思う。
公正ウンヌン言う前にそもそも熊の目撃情報出てたやん。なら言い方悪いが自業自得だろうよ。お前ら普段から山で遭難する人を非難するくせにこのクマに襲われた人は非難しないんだな
道を歩いていると車に轢かれたり通り魔に刺されたりする可能性があるのでやめましょう
世界は死のリスクにあふれてるのよ
別に悪いとは思わないけど、自然が相手だからなあ。それは別に思ってもよくない?被害者の方は単純に可哀想だと思う。
他人を責めてないと元気が出ない人間というのはいるものだよ。私とか。
“因果”で評価、選別したい考えもわかるけど「運が悪かった」だけやろ。たとえ街中にいても不幸は突然起きうるし。確率的なもんは知らんけど
日々の生活の延長でも理不尽死を考えた方がいいんだろうね。死にたくなかったら、川や遊泳禁止の海で泳いだら駄目で、熊が出る山(以前の羅臼岳は大丈夫だったが、大丈夫じゃなくなった)に登ったら駄目なんだろう。
禁止エリアも登山ルートも所詮人間が決めた物でクマからしたらなんでも無いわけで、自然を舐めてるようにしか聞こえない。そういう自然の厳しさみたいなのも含めて楽しんでたのでは。
公正世界仮説は韓国人や日本の革新左派の基本なんだけどね。戦前の日本の行いを悪業だとしてその因果が回り回って日本に悪い結果をもたらしていると。こうした考えを他人に押し付ける道具にするのがカルトの典型。
非リア充が自己防衛のためにどうにかして自分以外をサゲる事はまぁまぁある。
公正世界仮説だと熊が罰せられる必要がありそうです。積極的に駆除していかないとこちらが駆除されてしまわないか
その単語ようやく使いどころ見つけられた感じ?
後知恵バイアスとか根本的帰属誤謬とかいくらでも言える気が。事象、人(被害加害傍観)、環境、何についての考察か論点は確認したい。一般化しただけの傾向を理屈として無批判に個別の事例に当てはめていいか
軽装で山に入る馬鹿とは違うかなあ。クマは運が悪かったと思える。今後は山=熊がいると思った方が良い時代かもだが。
お前の足もとのガラスはなあ!!!!!何かの拍子に砕け散って!!!!!!!!落っこちるんだよ!!!!!!!老若男女関係ねえ!!!!!運がないやつは転落するんだよ!!!!!!!!!!
だったら「運が悪かった」といっておけばいいのかな?当たり前過ぎて一々言う必要があるとも思えんが(何の役にも立たん
“自然に入るってそういうこと”とかいう人って、登山をベア・グリルスのサバイバルと同一視してないだろうか?登山を知りもしない外野のヤジはフィルタリングしないと生きていくのが辛い世界だなあ
公正世界仮説おもしろい。結果から理由を導きたくなるとき無意識に「おもしろい 」方を探してしまうんだろうなあ。「おもしろい」はいろいろな意味を内包してる。それはそうと自然に近いと死ぬ確率は高くなるよなあ
責めてないよ。「しゃーないね」って言ってんの。自業自得ってそういう事でしょ。登山道は安全が確保された道ではない。鈴持ってたとか何の意味もないからな。お守りと一緒で効果はあったらいいねくらいだよ
「悪い」という語を道徳的非難だと思ってるから公正世界仮説だなどと誤解するのだ。「悪い」の意味はもっと大雑把よ。
なんなら超絶聖人君子が家からスーパーまで歩いてても、善良な運転手が脳梗塞になってコントロールを失ったトラックが突っ込んでくることもある。完全なリスク回避なんてない。
スカイダイビングしてパラシュート開かずに死んだのと似たような位置付けかな。非難するのはおかしな話だが、事故そのものについては納得感しかないというか。
山に行ったのが悪い自業自得とかは言い過ぎだし正直人としてひどいことよく(今)言えるなって思うけど、ここ最近の熊出没情報からすると山行くの怖くない?とは思う。少なくとも身内なら絶対に行くなって言うし。
俺はリスクを背負ってスキューバダイビングを楽しむけど、事故ったときに自業自得だなどと言われるのでしょうね。生きてれば、うるせえよで済むけど、死んだら家族が受け止めないといけないのは辛いな。
悪いとは思わんけど、熊のいるとこ行くなら覚悟は必要だと思うよ。日常より死ぬ確率は飛躍的に上がるとこにレジャーでいく。冬山とか海も同じ
羅臼限定で考えないで、旅行やレジャーに行くと、非日常でトラブルに合う確率が高い!と言う事実に向き合ってはどうか。
もし悪いとすればクマに餌やりする一部観光客(日本人含む)が原因だけどそいつらがどこの誰か分からんからクマ被害者説を唱える頭でっかちが被害者叩きをしてる構図。ちなみに火垂るの墓は悪人2人説なので除外。
歩道を歩いてて車に轢かれた人にも同じこと言える人だけ石を投げなさい。
万博オールナイト、子供と病人を連れて行ったのが悪い論者(公正世界で説明できるか?)
圧倒的に運が悪かったとして交通事故と一緒にされるのも違うかな
そう。山に行ったのが悪い、自業自得だと言うのはセカンドベアアタック。自衛は不可能。自衛を求めることは無意味で有害。獣は檻に入れておけという話だよ。クマ問題の最終的解決はよ。
悪くはないが、熊被害増加の報道に合わせて酷暑で山の食糧が枯渇してる情報出てたし、家族だったら「今はやめとけ(特に北海道は)」と言うな。日常に起こる事故と非日常を求めに行って事故は違うのよ。
熊の目撃情報出てたのに入ったからだ、といっても当日は立ち入り禁止はされていないわけで。立ち入り禁止なのに入って遭遇なら自業自得だと思うけど、そうじゃ無いんだから可哀想でしか無いよ。人の心ないんか
人間の領域に降りてきた熊に襲われるのとは話が違うので全面的に被害者を擁護することはできない。ただなんだろ、不運だったなという思いが一番大きい
きちんと従うべきルールに従っていたなら被害者の自業自得という言い方はすべきじゃない。その考え方は「そんなところに住む人間が悪い」「そこにいたお前が悪い」という極めて利己的で非情な言い草まであと一歩。
悪いとは思わないが街中と比べたら当然エンカウント率は爆上がりするしリスク管理の意味では下振れを引いてしまったという話では。天災と同じで運が悪かったですねって感覚の人が多数な予感。
知床で熊の目撃情報は珍しくもない。結果論
熊の目撃情報があったら危険と言うならワイの住んでる住宅街は危険地域。亡くなった方は残念だが立入禁止じゃないのに責める?交通事故多発地区で事故にあって自業自得と言われるのと同じくらい納得いかない。
むしろ「善良な人がこんな酷い死に方するなんて」と言う人の方が、公正世界信じてる気がするけど。
夏の北海道の山は、冬山と同じリスクがあると考えないと、お互いが納得しがたいことになるだろうな。少なくとも手軽なレジャーではないよ。
悪いとか悪くないとかの人間の価値観とは無関係に、死んだり死ななかったりする。
登山でもバイクでもスカイダイビングでもギャンブルでもなんでもいいんだけど、リスクの高い趣味をやってそのリスクにぶつかったって話だよね。悪いとは言ってないけど理不尽かっていうと違う気がする。
クマ山で登山するのが悪いと口に出すその先3kmには「地震の多い国、台風の通り道に住むのが」が待ち構えてると思う/公正世界の非実在性を想像しイラつく感情?。「神」なき世界は悲劇を受け止められないんよね
上高地も熊出るからそのうち🐻
それは公正世界仮説ではないな。あえて言うなら因果応報。
街中で通り魔に襲われるだとか痴漢に遭うだとかも町に居たのが悪いのかな?
人間は結果に対する原因を求めがち。「悪い」というのは「悪いから死んだ」の悪いではなく、捜索に駆り出された人を危険にさらす結果となった責任としての悪いもあると思うけど。
クマの目撃情報くらいで行っちゃダメとか言われたら、札幌なんか住んじゃいけない街になってしまう。今年4月以降で既に約100件の報告出てる(https://www.city.sapporo.jp/kurashi/animal/choju/kuma/syutsubotsu/index.html)
羅臼岳は知床の一部で羆地帯ってのは折り込み済みの登山でしょ。
レクター教授が教会での敬虔な人々の死亡事故の事例を集めてたのをなんか思い出す。こういうのの逆みたいなもんかな。
自業自得とも思わないな。山に入る自由と権利は誰にでもあるってだけだと思う。
近所のスーパーに買い物に行こうとした時に「あのスーパーに殺人鬼がウロウロしてましたよ」って話を聞いたら誰も行かないと思うんだけど、山と熊ならわりとみんな行くんだよな。なんで?
いいか悪いかって事ではなく、遭遇率高いのに行ってしまうの勇気あるなって思う。そこに山があるからで行くのだろうなぁ/思いも寄らない事故に遭うかもで生命保険、リスク減らすために信号守るとかやってるんでは
真意が伝わりにくい言葉なので、今後使わんようにしとこ…とこの記事を見た人が思えばそれでいい気がする
公正世界仮説とは無関係な話してどうするの?
死亡者数は水難事故の方が多いのに、そっちはあまり叩かれない。
『善人はなかなかいない フラナリー・オコナー作品集』に、信心深い人が突然不幸に遭う話があるから、ぜひ一度読んでみて公正な世界ってのを味わってくれよな
アウトドアスポーツ全般こんなイメージ。
人間は意識的に、時には無意識に結果に対して原因を探りたがる。無ければ作る。その時に自分が納得できる、自分は悪くない、という理由に流されがちなので、自分もその向きになり得ることを意識しておくべき。
知床は人間の領土ではないのでヒグマとかいう蛮族に狩られても自業自得というのは理解できる
地震で死んだら「日本に住んでいるのが悪い」のである。日本は地震国でしばしば地震が発生することは分かっているはずなのに……と、外国の人は考えているかも。
学説、専門用語を素人が使うと誤解や用語の一人歩きを生むのでは(相手が犯罪者なら犯罪者を責めるけど、クマだからな。今までも人が住んでいた所にクマが出たなら、同情もするが)
公正世界仮説とはまた別の話やと思う。あれは倫理的に悪いことしたらバチがあたるという因果応報的なやつ
そんなコメントを見たことがないし、何にでも難癖はつけられるからなあ
地震大国日本に住んでたら地震死もあり得るけど居住と違って今回は単に遊びに行ったわけだし比較はできない。自業自得という単語に悪いイメージを持ちすぎでは?
陰謀論とかもある種の公正世界仮説なのかもなぁと思ったりした。どこかに悪者がいてそいつが悪いことをしているせいだと思うことで自分の心の安定を図る、みたいな。
自業自得の本来の意味は良いも悪いも自分の行いの結果を自分が受け止める、因果がある位の意味で捉えた方がよいのではないかと。
良し悪しで世界を見ることなのか
「クマに遭遇すると怖いから対策として熊鈴をつけましょう」から「熊鈴をつけると襲われる」くらいに変わった。人間が強者から被捕食者へ。襲われた人を叩くのは酷だと思う。
これ公正世界仮説とはまったく違うと思うんだが何で同意しとるヤツ多いの? 「バチが当たった」とは思わんが。崖っぷちで遊んでたヤツが落ちたぐらいの話
御嶽山噴火の時を思い出す
被災した際に土地や住居を買う・借りるときに、防災マップとか古地図まで確認したかとか責められてもって感じと似ている。
はてブに多い印象🧐
このツイ主の方がよっぽど熊に人が喰われてはしゃいでるように見えるが。
それ言い出すと日本なんて地震の多い土地に住んでて災害の被害に合うのは自業自得とかまで行っちゃうから、この世界に生きていける場所は無くなるだろ
札幌でも山に近い住宅地や公園でもクマが出るし、数年前は市街地にも出ましたが、それすら自己責任にされそう。そのうち交通困難な地域や過疎地に住んでいるのも自己責任とか言われるのかなー。
被害者の落ち度を言うのはナシだと思うよ。特にこの人たちは無謀な富士登山者と違ってルール違反もしてないのだから。痴漢被害に遭った人に満員電車に乗ったのが悪い(タクシー使え)って言うのか?
「悪い」という概念自体に意味がない。熊と生活圏が重なれば一定の確率で起きる事象
選択的夫婦別姓がないことで発生している事実婚の苦労を発信したら「法律に従わないことの罰だ」みたいなことを言われることがある。安全な所から被害者やマイノリティを攻撃するのはいとも簡単だ。
公正世界仮説はその信念を持つ人が「これは自業自得」と言うときそれが公正世界仮説によってそう言っていることを認めないので、言った本人が「関係ない」と言うのは当然
災害が起きるたびに「人災だ!」とか言い出すお前等のことだからな?
まあ何が悪かったかといえば運が悪かったな
「天道、是か非か」
旅行行けるような富裕層の趣味だから言われてるだけでは
「公正世界仮説」とか一切関係無くねw?単に文明社会に慣れきったまま自然との狭間に入り込んで自然の摂理に遭ったってだけやで。山は癒やしの施設でもコンテンツでも無く多様な生物が食い合って生きる世界やでな。
罵る機会さえあれば事実や倫理などどうでもいいって層は一定数いるだろうけども。
北海道の山に登るってそう言うことだよ。銃携帯してないのならヒグマに食われることもあるでしょう。
責めるのも違うけど「酷い死に方をする理由」や「どんな罪を犯したとしても酷い死に方」という表現は同じ穴のムジナでは。クマのいる山でクマに襲われることは発生しうるリスクではあるでしょ
普通に住民や観光客が多い富士山麓や避暑地として賑わってる軽井沢でもクマは多数目撃されてるし、クマの人的被害は運が悪かった以外の事は何もない
確率的に低くとも熊の目撃情報がある山に入って熊害に遭うこと自体は因果が成立しているので、公正世界仮説には該当しない。登山者の中でも被害者に特別な落ち度があるように言い出したら該当する、という認識。
北海道の山は危なっからしいので避けていたが。そういう情報に触れる機会が少なくなったのかな。目的の情報を簡単に得られる代わりに、注意喚起などが検索段階でスルーされているのか。
「火垂るの墓の清太を嫌悪する人や、何某かの搾取や暴力、悪意の被害に遭った人や人生がうまくいっていない人などに「自己責任」という言葉を簡単に使う人間の心理」ホントそれ
自分は山に登らないから、クマの生息地の近くに住まないから…と他人事だと決めつけていては、問題は解決しないもんね。
ゴールデンカムイ読んだ方がいいぞ
悪いとは思わないけど、運が悪かったし、リスクはあるよねと思う。
あらぬ被害者非難と登山における潜在的危険性への言及をいっしょくたにする方が危険だと思うけど。うちの近くの山でも普通に熊で出るし、スズメバチは巣を作ってるし、崖から滑落してる人もいる。
虫が家に入って来たら多数の人がそれを殺すように、人が熊の縄張りに入ったら捕食されても何ら不思議ではない。それが自然である。地球は人の持ち物ではない。不幸にして亡くなられた方の冥福を心から祈る。
山に山菜取りに入ろうが、札幌市東区で会社に向かう途中だろうが、北海道全域がクマに襲われる可能性のある場所になった、というだけの話。ただこれは頭数に対し山がキャパオーバーになってるのが原因なので文字数
公正世界仮説的な考え方の他にも(あるいは重複して)、「これは自分には関係のない世界のことだ」と安心したい感情もあると思う。山に登るのが悪い=自分は登らないから大丈夫
興味がないことにあえて口を出しても禍しか読まない。
公正世界仮説、無意識にこういう考え方をしてしまってるところはあるな。/今回は入山禁止でもない登山ルートで対策もしてたんだから被害者としては不幸な事故の範疇だと思うよ
まぁでもクマ被害が連日ニュースになってるからなぁ。それいうと逆走老人が増えてるから外出るなになるけど。
登山での死亡事故はこのように語られるけど、薬物による死亡事故は、いまだに本人を責める言説が多い印象。本質的には同じことであるが、自由と平等のバランスなのかね。
波の高い時にサーフィンに行って溺れた、クライミング中に滑落した、ヒグマの目撃情報がある山で襲われた、真夏のマラソン中に倒れた。この辺全部同じグループに入れてる。やる奴が悪い。
ダイビングでも死ぬ人いるしね。仕方ない//新しい(今までになかった)危険ができたことには対処が必要//餌付けはNO!!//軽装登山は論外で、ここで語られる問題じゃない
”知床半島で、20年余りにわたって登山ツアーなどを行っている山岳ガイドの滝澤大徳さんは、ヒトとヒグマの間にあった適切な“距離感”がここ数年、失われてきていると指摘”(2025年8月16日付NHKweb)…根本はこれ。
公正世界というか、道路の鳩糞がやたら落ちてるところを通ったら糞を食らったみたいな話かなって思った。確率の話に近い印象。
溺れた「海に行ったのが悪い」、日航機墜落「飛行機に乗ったのが悪い」、地震被害「震源地近くにいるのが悪い」、ウクライナ「ロシアの隣が悪い」。悪くない場所がどこか教えろよ
ブクマカが発症してるのはもっと幼稚な他人を罵る口実探しにしか見えない
襲われる2日前に熊出てたんだなこっわ。https://brownbear.shiretoko.or.jp/news/
「痴漢冤罪に巻き込まれるのは電車に乗ったのが悪い」と言ってるのと変わらんぞ
何のリスクを自分はどれだけ許容するか?って話だと思うんだよな。自分はそれは許容しないよって表明を非難と受け取る必要はないと思う。でも、その投稿を遺族とかが見るかもしれないって配慮は必要よな
自然相手のレジャーなんてそりゃリスクあって当然だけど、酷い亡くなり方した人に対していちいち自業自得だのしゃーないねとか言う必要ある?
クライミングやってましたが、自分の周りの人は普通の人よりリスク感度が高くしっかり安全管理してますけどね。絶対やってはいけないことは本当に絶対やらない。それでも起きるのが事故なのであって。
事件事故の被害者に対して「油断したお前が悪い」というのは、相当の落ち度がない限り赤の他人が批評家面して言っていい言葉じゃないよ。
第四惑星の所長が言ってるのと同じコト言ってるじゃねえの。
誰も悪くはない、ただし責任は自分にある。それだけ。
そだね。痴漢に会うやつは満員電車に乗るのが悪いみたいな理論だしね。
なんかズレている気がする 彼ら彼女らは元々自然の熊の領域に人が入ったことそのものを「悪い」と考えているんだと思う
公平世界仮説に基づく物語を読み過ぎてるんだよ/てかさ、真に公平世界仮説を採用するのであれば、ITを使いまくって地球環境を悪化させている自分たちにいつか報いが来ると怯えるのが正しい態度だと思うんだが。
確かに山で軽装備で遭難すると批難しがちよな。クマとの違いについてかんがえさせられた(コメよんで)。
コロナの頃につくづく思ったけど、生きる目的が「死なないこと」の暮らしはつらすぎる。世界が自分を殺すものだと認識すると駅のホームも歩けない。
子殺しの母をかばうことは、今後孤立した母子を救う流れを作るかもしれないが、熊に襲われた人を責めることは何ら世の中を良くしないので、本当に余計なことだと思う。
「自己責任」はともかく「自業自得」は言葉が強すぎると思う。また、被害者やその周辺が自分の責任ををさておいて殊更に他者の責任を追及するようなことをしているのでなければ、第三者が言うようなことではない。
ひとつ勉強になった→公正世界仮説/既にブコメにも公正世界仮説論者が出没してな
「覚悟をキメろ」みたいなコメントが散見されるが、人間なんてみんな決死の覚悟なんか決められず、「たぶん大丈夫だろうな」程度の意識で色々なことをやり、時に死ぬ生物でしょ。お互い様なんだからそんなに言うなと
北海道福島町の新聞配達員が襲われた件の方は、配達員は仕事中、街中で襲われて全く責める点がないから誰も話題にしない。
被害者に落ち度があるとは言えないが、他の何者に責任を問うこともできない。となればあるのは山は常にリスクを抱えているという前提と、選択の責任だけで、運が悪かったねとしか。
リスクが高い行為をしてインシデントが発生しただけで個人の道徳などに原因を求めているわけじゃないし、「いい人だったのになぜこんなことに」の方が公正世界仮説支持者の発言に当たる。
いつもの自己責任大好き勢、物事を単純化してマウントするの大好き過ぎるだろ。
クマを絶滅させる気がないならどうにかして人間側が勝てる状態で生活するしかないよなあ。どのくらいの武装なら安全に登山とかできるんだろうか
年間登山者650万人に対して、ここ50年クマが人を襲った件数は年平均1.2件、確率にすると0.00002%。これに対して交通事故に遭う確率は年0.2%。町中歩くほうが余程危険なんだけど、みんなちゃんと覚悟してんの??
そうかなぁ 元々羅臼のとこなんて常にクマが出る可能性があった訳で クマの危険性を過小評価してた訳で 山に行ったというより羅臼とか道東地域に行ったのが悪いよ
「山に行ったのが悪い」とか「自業自得だ」とかたとえそう思ったとしてもわざわざSNSで全世界に向けて発信するのはここのブコメも含めて頭おかしくなってんじゃないの?と思う。
山に行ったのが悪い。外に出たのが悪い。生まれてきたことが悪い。。不幸な人を無くすために行き着く先は安楽死計画だな。
ネットなら,隕石が当たって死んだ人にだって「隕石が落ちる場所を歩いていたやつが悪い」って言いだす人が一人くらいは出てくるよ
むむ、ヒグマさん怖いけど、山に行った人が悪いって言うのは違うにゃ!みんな安全に楽しめるように、ボクが猫パンチで悪い考えを追い払うにゃ!平和が一番にゃ!
「自然に入るってそういうこと」はそのとおりだしこういうアクティビティに臨む上では必要な覚悟だとも思うけど、それは悪いことではないし間違いなく被害者ではあると思う…
この件何が悪いかと言ったら「クマを人に慣れさせた人々」が悪いのよhttps://www.asahi.com/articles/AST6V3HJNT6VIIPE00BM.html 基本的にクマは人避けるんだから 公正世界仮説は真に反省すべき問題から目がそれるのでダメなの
小学生でも言える自業自得だねなんてことをどうしても言いたいその心はなんなんだろうな。ブコメにもちらほらいるけど。
いちいちダサいよ。これを1ミリでも他責にする思考がある人は山に向いてない。自業自得と言われて「だから何?」としか思わないし、自然の不条理さ体験すれば人間のそんな矮小な思想なんてアホらしくて反吐が出そう
歩道歩いてて車に突っ込まれたとして、被害者を責めるのか?そういう事故が度々起こってるのに気をつけなかったからって?
「悪い」という言葉にみんな引っ張られているが、誰かが悪いとすれば少なくともクマに餌付けした奴は「悪い」と言えるだろう。
今年はうちの住宅街にある大きめの公園でも熊の子供らしき目撃報告があったからな
ブコメ見て熊のいる山の確率で出さないとじゃないか?と思ったり。すべての山に熊がいるわけじゃないから…。
登山道を閉鎖か、入り口に大きく強く警告を立てておくべきだったね。「ヒグマが出ます」の注意喚起は知床のそこら中にあるけど、今年はかなり人前に出てきてた。羅臼岳は当分一般人の立入を制限した方がいい。
発端のツイートの考え方(「こんな惨い死に方する理由にはならない」)も十分に「公正世界仮説」でしょう。なぜなら「原因(因果)」ではなく「理由」の話をしてるから。公正世界仮説とは、「理由」を与える装置。
山に行かなければ事故に合わなかったから、一定真理では。交通事故なら車乗ったのが悪い、外歩いてたのが悪い、地震の多い日本に住むのが悪いまでセットであれば、論理的には間違ってはない。倫理的には知らん
国や家からひっこすのはお金がかかるし、仕事の都合もあって大変だから難しいが、クマが出ていると話題の時期に羅臼岳に行かない選択は非常に楽である。
北海道ですら熊害による死者は1年にひとりペースなんだが(山菜採りや釣りなどひっくるめてこの数字)。落雷で死ぬのと同じぐらいの頻度だぞ。ヒグマへの対処は当然だが、過度に警戒する必要もない。
“「私は大丈夫(根拠なし)【正常性バイアス】」 「だから私は被害に遭わない【公正世界仮説】」”
冒頭の公正世界仮説の頭の悪い説明何なの?最後、個人の感想になっちゃってるし。逆にこういうのどこで拾ってくるの?
「事故や事件に遭うのは外出するのが悪い」みたいなのって2ちゃんの露悪的な冗談だったのに、それが繰り返されるうちに本気で言う人も増えてきたなと
左翼は「川口なんかに住むのが悪い」とか言いそう。自己矛盾気にしなさそう。僕は治安最悪の蒲田に長く住んでるので何かに巻き込まれたら自己責任言われそう。
登山するなら熊は滑落や遭難と同じ、一定の確率で遭うリスクとしてこの人も認識してたと思うけど、そこから「自業自得」までは遠い隔たりがあるんだよなぁ…「運が悪かった」以上に非難される謂れはないでしょう。
地元の事情を知らないよそ者が偉そうに評価するなって感じ。
「プレートの境界上にあって頻繁に地震が起きる日本なんかに住んでるのが悪い」なんて言えちゃうしね/被害者に落ち度や過失がある場合ももちろんあるが、このヒグマ襲撃事件は被害者に責められる謂れはない。R.I.P.
交通事故にあった人に「街に出たのが悪い」、列車事故に「電車に乗ったのが悪い」って言うのか?
自動車という超高速で移動する鋼鉄の獣の駆除はよ。
羅臼岳は今までも頻繁に熊の目撃情報はあったけど人身被害は0だったから危険を承知でっていう批判ができる状況でもない。
交通事故は人間が絡んでんじゃん。フェアな比較ではない。/公正云々よりかは自己責任論に近いのでは?なんと喚こうが熊は賠償金支払えないからね。『責任』の定義が問われていると思う。
住む国を変えることのハードルは高いが注意喚起されてる場所を避けるのは遥かに簡単。それらを混同するのは詭弁だろう。台風の時に出歩くな、と台風が通る国に住むなは延長線上じゃない
「自分たちは真面目に働いてるのに生活が苦しくなっていくのは、その間に台頭してきた勢力(女性とか外国人とか)に権利を奪われたからじゃないか?」みたいな右派ポピュリズムの認知も公正世界仮設の一種だと思う
知床は大雪山系と比べてもカジュアルな感じの観光客多いし人馴れ熊が沢山いそうみたいな予測は立つからあっこで乗り物降りて人が沢山いないとこを観光はリスクと元道民としては思うとこだけど、基本は運悪で終了よな
このTogetter見たうえで、はてブで被害者を非難しているバカがいるけど、そういうのは書かないで思うだけにしておけって忠告したい。自分の評価を下げるよ。
軽装での富士登山はかなり咎められるのに、この件に関しては同情的な声が多いのはよくわからん。被害者が悪かったとは思わないが、それなりにリスクのある行動をしてた以上、「ただ山に入っただけ」ではないのでは?
誰が悪いというのは人間の世界の話で、事実はヒトが1人ヒグマに襲われて死んだということ。
登山は危険なレジャーだよね…。熊に限らず、滑落死や遭難死も普通にあるし。川遊びや海水浴もだけど、どんな備えをしてても死ぬことはある。自然は人に優しくない。
地元の肌感としては、近年の状況は生息地の棲み分けと言う一線を越えてしまっている感じがする。
「でもでも被害者に落ち度が~」なんて惨めな言い訳しに来るぐらいなら最初から人を責めなきゃいいのに。引っ越すとか登山に行かないより、社会に有害なほどに頭と心が弱いことを自覚して引っ込んでる方が簡単だよ?
まあここでの「悪い」が「原因」を表す悪いだとしても、まともな人はネットでもそういう事は書かない
悪いとまでは言わないが、はじめ聞いた時に「え。なんであんなクマの名所に山上りに行くの?」とは思った。百名山なのね。すぐ近くの知床五胡も昔から、エリアに入るには熊レクチャーを受ける必要がある。
"「悲惨な死に方をした人に対して、自分の心を守るために被害者側を責める」 という心理""無意識にやってる""「私は大丈夫(根拠なし)【正常性バイアス】」「だから私は被害に遭わない【公正世界仮説】」"
そんなことより友人が被害者と200メートル離れて歩いていたことの方を問題視すべきでは?本当に友達か?
知床でヒグマに近付いて写真撮ったり餌やったりしてるアホ観光客全員が殺人者なので罪を償うべき。
落ち度があったことにしたい そうすれば自分はそうならないと安心できる。怖い話でも、突然襲われるのはあまりにも怖いから何かトリガーがあったことにしたいのあるよね。
どんなできごとにも、自業自得と理不尽成分がある。どちらかだけ注目するとキツい意見になるよ
言い出したら「外出たのが悪い」になるのでね
インターネット裁判官が自業自得と短くまとめた記事だけ読んで断罪するの、何なんだろな。正しい事言ってる自分に酔ってんのかな。
そんなこと思ったことないな。ま、少しは舐めてた部分があるかもだけど、まさかヒグマに食べられるなんて思わないでしょ?悲惨過ぎる。怖過ぎる。痛過ぎる。苦しすぎる。
これは「単純に他人を攻撃する口実がほしいだけの人間」にまるで公正世界仮説という理があると思わせるような「不正な甘やかし」では
山の遭難でもそうだけど山に行かないのに何かあったとき登山者を異様に責める人たちが多いの理解できない。
札幌でもクマが出没しているらしいから「札幌に行ったのが悪い」ということになる。
「人が勝手に餌付けをしたのが悪い(どんぐりなんかを撒きおって」ではなく領土争いでクマにも負けた平和ボケ日本人(これより先は成人男性は知床岬で二週間のサバイバル体験を生き残った者のみに選挙権を与えるべき
交通事故で死ぬ覚悟でクルマ運転してるし死ぬ覚悟で徒歩で外に出ている。
不幸な事故以外の感想はないわな
羅臼岳のヒグマ事故「山に行ったのが悪い」という声からは「公正世界仮説」という心理があることを知られるべきだと感じる
閉鎖しとけよ
それでいてこういうこという人たちは、自分が損害や被害を受ける立場になったら、企業が悪いとか政府が悪いとか言いがちなんだよなあ。
北海道で山に入ること自体がヒグマリスク高く、自衛隊並みの武装集団が観光地の警備している訳でもないので、リスク込みで行った、自分は大丈夫と思ってただけでは(´・_・`)川遊びで溺れて死ぬのと同じ。運が悪い
事故には必ず何かしらの原因があって対策を取れるという考えに基づくと、レジャーで山に入らないぐらいしか確実に有効性ある対策がないしな。公正世界仮説ってジョンダ流開運術と似てるな
被害者に落ち度はなくても死のリスクがあるから対策必要だって話じゃないかな
https://togetter.com/li/2590369 "エンゼルススタジアムからディズニー戻る道中の黒丸部分で襲われました。" 皆「歩くな」「通るな」と公正世界仮説である。
以前は大丈夫だったものが観光客マナー等の悪化により大丈夫じゃなくなって起きた事故だから被害者に責を負わせるのは気の毒。今後については北海道の山はヤバイという認識が必要だとは思う。
公正ウンヌン言う前にそもそも熊の目撃情報出てたやん。なら言い方悪いが自業自得だろうよ。お前ら普段から山で遭難する人を非難するくせにこのクマに襲われた人は非難しないんだな
道を歩いていると車に轢かれたり通り魔に刺されたりする可能性があるのでやめましょう
世界は死のリスクにあふれてるのよ
別に悪いとは思わないけど、自然が相手だからなあ。それは別に思ってもよくない?被害者の方は単純に可哀想だと思う。
他人を責めてないと元気が出ない人間というのはいるものだよ。私とか。
“因果”で評価、選別したい考えもわかるけど「運が悪かった」だけやろ。たとえ街中にいても不幸は突然起きうるし。確率的なもんは知らんけど
日々の生活の延長でも理不尽死を考えた方がいいんだろうね。死にたくなかったら、川や遊泳禁止の海で泳いだら駄目で、熊が出る山(以前の羅臼岳は大丈夫だったが、大丈夫じゃなくなった)に登ったら駄目なんだろう。
禁止エリアも登山ルートも所詮人間が決めた物でクマからしたらなんでも無いわけで、自然を舐めてるようにしか聞こえない。そういう自然の厳しさみたいなのも含めて楽しんでたのでは。
公正世界仮説は韓国人や日本の革新左派の基本なんだけどね。戦前の日本の行いを悪業だとしてその因果が回り回って日本に悪い結果をもたらしていると。こうした考えを他人に押し付ける道具にするのがカルトの典型。
非リア充が自己防衛のためにどうにかして自分以外をサゲる事はまぁまぁある。
公正世界仮説だと熊が罰せられる必要がありそうです。積極的に駆除していかないとこちらが駆除されてしまわないか
その単語ようやく使いどころ見つけられた感じ?
後知恵バイアスとか根本的帰属誤謬とかいくらでも言える気が。事象、人(被害加害傍観)、環境、何についての考察か論点は確認したい。一般化しただけの傾向を理屈として無批判に個別の事例に当てはめていいか
軽装で山に入る馬鹿とは違うかなあ。クマは運が悪かったと思える。今後は山=熊がいると思った方が良い時代かもだが。
お前の足もとのガラスはなあ!!!!!何かの拍子に砕け散って!!!!!!!!落っこちるんだよ!!!!!!!老若男女関係ねえ!!!!!運がないやつは転落するんだよ!!!!!!!!!!
だったら「運が悪かった」といっておけばいいのかな?当たり前過ぎて一々言う必要があるとも思えんが(何の役にも立たん
“自然に入るってそういうこと”とかいう人って、登山をベア・グリルスのサバイバルと同一視してないだろうか?登山を知りもしない外野のヤジはフィルタリングしないと生きていくのが辛い世界だなあ
公正世界仮説おもしろい。結果から理由を導きたくなるとき無意識に「おもしろい 」方を探してしまうんだろうなあ。「おもしろい」はいろいろな意味を内包してる。それはそうと自然に近いと死ぬ確率は高くなるよなあ
責めてないよ。「しゃーないね」って言ってんの。自業自得ってそういう事でしょ。登山道は安全が確保された道ではない。鈴持ってたとか何の意味もないからな。お守りと一緒で効果はあったらいいねくらいだよ
「悪い」という語を道徳的非難だと思ってるから公正世界仮説だなどと誤解するのだ。「悪い」の意味はもっと大雑把よ。
なんなら超絶聖人君子が家からスーパーまで歩いてても、善良な運転手が脳梗塞になってコントロールを失ったトラックが突っ込んでくることもある。完全なリスク回避なんてない。
スカイダイビングしてパラシュート開かずに死んだのと似たような位置付けかな。非難するのはおかしな話だが、事故そのものについては納得感しかないというか。
山に行ったのが悪い自業自得とかは言い過ぎだし正直人としてひどいことよく(今)言えるなって思うけど、ここ最近の熊出没情報からすると山行くの怖くない?とは思う。少なくとも身内なら絶対に行くなって言うし。
俺はリスクを背負ってスキューバダイビングを楽しむけど、事故ったときに自業自得だなどと言われるのでしょうね。生きてれば、うるせえよで済むけど、死んだら家族が受け止めないといけないのは辛いな。
悪いとは思わんけど、熊のいるとこ行くなら覚悟は必要だと思うよ。日常より死ぬ確率は飛躍的に上がるとこにレジャーでいく。冬山とか海も同じ
羅臼限定で考えないで、旅行やレジャーに行くと、非日常でトラブルに合う確率が高い!と言う事実に向き合ってはどうか。
もし悪いとすればクマに餌やりする一部観光客(日本人含む)が原因だけどそいつらがどこの誰か分からんからクマ被害者説を唱える頭でっかちが被害者叩きをしてる構図。ちなみに火垂るの墓は悪人2人説なので除外。
歩道を歩いてて車に轢かれた人にも同じこと言える人だけ石を投げなさい。
万博オールナイト、子供と病人を連れて行ったのが悪い論者(公正世界で説明できるか?)
圧倒的に運が悪かったとして交通事故と一緒にされるのも違うかな
そう。山に行ったのが悪い、自業自得だと言うのはセカンドベアアタック。自衛は不可能。自衛を求めることは無意味で有害。獣は檻に入れておけという話だよ。クマ問題の最終的解決はよ。
悪くはないが、熊被害増加の報道に合わせて酷暑で山の食糧が枯渇してる情報出てたし、家族だったら「今はやめとけ(特に北海道は)」と言うな。日常に起こる事故と非日常を求めに行って事故は違うのよ。
熊の目撃情報出てたのに入ったからだ、といっても当日は立ち入り禁止はされていないわけで。立ち入り禁止なのに入って遭遇なら自業自得だと思うけど、そうじゃ無いんだから可哀想でしか無いよ。人の心ないんか
人間の領域に降りてきた熊に襲われるのとは話が違うので全面的に被害者を擁護することはできない。ただなんだろ、不運だったなという思いが一番大きい
きちんと従うべきルールに従っていたなら被害者の自業自得という言い方はすべきじゃない。その考え方は「そんなところに住む人間が悪い」「そこにいたお前が悪い」という極めて利己的で非情な言い草まであと一歩。
悪いとは思わないが街中と比べたら当然エンカウント率は爆上がりするしリスク管理の意味では下振れを引いてしまったという話では。天災と同じで運が悪かったですねって感覚の人が多数な予感。
知床で熊の目撃情報は珍しくもない。結果論
熊の目撃情報があったら危険と言うならワイの住んでる住宅街は危険地域。亡くなった方は残念だが立入禁止じゃないのに責める?交通事故多発地区で事故にあって自業自得と言われるのと同じくらい納得いかない。
むしろ「善良な人がこんな酷い死に方するなんて」と言う人の方が、公正世界信じてる気がするけど。
夏の北海道の山は、冬山と同じリスクがあると考えないと、お互いが納得しがたいことになるだろうな。少なくとも手軽なレジャーではないよ。
悪いとか悪くないとかの人間の価値観とは無関係に、死んだり死ななかったりする。
登山でもバイクでもスカイダイビングでもギャンブルでもなんでもいいんだけど、リスクの高い趣味をやってそのリスクにぶつかったって話だよね。悪いとは言ってないけど理不尽かっていうと違う気がする。
クマ山で登山するのが悪いと口に出すその先3kmには「地震の多い国、台風の通り道に住むのが」が待ち構えてると思う/公正世界の非実在性を想像しイラつく感情?。「神」なき世界は悲劇を受け止められないんよね
上高地も熊出るからそのうち🐻
それは公正世界仮説ではないな。あえて言うなら因果応報。
街中で通り魔に襲われるだとか痴漢に遭うだとかも町に居たのが悪いのかな?
人間は結果に対する原因を求めがち。「悪い」というのは「悪いから死んだ」の悪いではなく、捜索に駆り出された人を危険にさらす結果となった責任としての悪いもあると思うけど。
クマの目撃情報くらいで行っちゃダメとか言われたら、札幌なんか住んじゃいけない街になってしまう。今年4月以降で既に約100件の報告出てる(https://www.city.sapporo.jp/kurashi/animal/choju/kuma/syutsubotsu/index.html)
羅臼岳は知床の一部で羆地帯ってのは折り込み済みの登山でしょ。
レクター教授が教会での敬虔な人々の死亡事故の事例を集めてたのをなんか思い出す。こういうのの逆みたいなもんかな。
自業自得とも思わないな。山に入る自由と権利は誰にでもあるってだけだと思う。
近所のスーパーに買い物に行こうとした時に「あのスーパーに殺人鬼がウロウロしてましたよ」って話を聞いたら誰も行かないと思うんだけど、山と熊ならわりとみんな行くんだよな。なんで?
いいか悪いかって事ではなく、遭遇率高いのに行ってしまうの勇気あるなって思う。そこに山があるからで行くのだろうなぁ/思いも寄らない事故に遭うかもで生命保険、リスク減らすために信号守るとかやってるんでは
真意が伝わりにくい言葉なので、今後使わんようにしとこ…とこの記事を見た人が思えばそれでいい気がする
公正世界仮説とは無関係な話してどうするの?
死亡者数は水難事故の方が多いのに、そっちはあまり叩かれない。
『善人はなかなかいない フラナリー・オコナー作品集』に、信心深い人が突然不幸に遭う話があるから、ぜひ一度読んでみて公正な世界ってのを味わってくれよな
アウトドアスポーツ全般こんなイメージ。
人間は意識的に、時には無意識に結果に対して原因を探りたがる。無ければ作る。その時に自分が納得できる、自分は悪くない、という理由に流されがちなので、自分もその向きになり得ることを意識しておくべき。
知床は人間の領土ではないのでヒグマとかいう蛮族に狩られても自業自得というのは理解できる
地震で死んだら「日本に住んでいるのが悪い」のである。日本は地震国でしばしば地震が発生することは分かっているはずなのに……と、外国の人は考えているかも。
学説、専門用語を素人が使うと誤解や用語の一人歩きを生むのでは(相手が犯罪者なら犯罪者を責めるけど、クマだからな。今までも人が住んでいた所にクマが出たなら、同情もするが)
公正世界仮説とはまた別の話やと思う。あれは倫理的に悪いことしたらバチがあたるという因果応報的なやつ
そんなコメントを見たことがないし、何にでも難癖はつけられるからなあ
地震大国日本に住んでたら地震死もあり得るけど居住と違って今回は単に遊びに行ったわけだし比較はできない。自業自得という単語に悪いイメージを持ちすぎでは?
陰謀論とかもある種の公正世界仮説なのかもなぁと思ったりした。どこかに悪者がいてそいつが悪いことをしているせいだと思うことで自分の心の安定を図る、みたいな。
自業自得の本来の意味は良いも悪いも自分の行いの結果を自分が受け止める、因果がある位の意味で捉えた方がよいのではないかと。
良し悪しで世界を見ることなのか
「クマに遭遇すると怖いから対策として熊鈴をつけましょう」から「熊鈴をつけると襲われる」くらいに変わった。人間が強者から被捕食者へ。襲われた人を叩くのは酷だと思う。
これ公正世界仮説とはまったく違うと思うんだが何で同意しとるヤツ多いの? 「バチが当たった」とは思わんが。崖っぷちで遊んでたヤツが落ちたぐらいの話
御嶽山噴火の時を思い出す
被災した際に土地や住居を買う・借りるときに、防災マップとか古地図まで確認したかとか責められてもって感じと似ている。
はてブに多い印象🧐
このツイ主の方がよっぽど熊に人が喰われてはしゃいでるように見えるが。
それ言い出すと日本なんて地震の多い土地に住んでて災害の被害に合うのは自業自得とかまで行っちゃうから、この世界に生きていける場所は無くなるだろ
札幌でも山に近い住宅地や公園でもクマが出るし、数年前は市街地にも出ましたが、それすら自己責任にされそう。そのうち交通困難な地域や過疎地に住んでいるのも自己責任とか言われるのかなー。
被害者の落ち度を言うのはナシだと思うよ。特にこの人たちは無謀な富士登山者と違ってルール違反もしてないのだから。痴漢被害に遭った人に満員電車に乗ったのが悪い(タクシー使え)って言うのか?
「悪い」という概念自体に意味がない。熊と生活圏が重なれば一定の確率で起きる事象
選択的夫婦別姓がないことで発生している事実婚の苦労を発信したら「法律に従わないことの罰だ」みたいなことを言われることがある。安全な所から被害者やマイノリティを攻撃するのはいとも簡単だ。
公正世界仮説はその信念を持つ人が「これは自業自得」と言うときそれが公正世界仮説によってそう言っていることを認めないので、言った本人が「関係ない」と言うのは当然
災害が起きるたびに「人災だ!」とか言い出すお前等のことだからな?
まあ何が悪かったかといえば運が悪かったな
「天道、是か非か」
旅行行けるような富裕層の趣味だから言われてるだけでは
「公正世界仮説」とか一切関係無くねw?単に文明社会に慣れきったまま自然との狭間に入り込んで自然の摂理に遭ったってだけやで。山は癒やしの施設でもコンテンツでも無く多様な生物が食い合って生きる世界やでな。
罵る機会さえあれば事実や倫理などどうでもいいって層は一定数いるだろうけども。
北海道の山に登るってそう言うことだよ。銃携帯してないのならヒグマに食われることもあるでしょう。
責めるのも違うけど「酷い死に方をする理由」や「どんな罪を犯したとしても酷い死に方」という表現は同じ穴のムジナでは。クマのいる山でクマに襲われることは発生しうるリスクではあるでしょ
普通に住民や観光客が多い富士山麓や避暑地として賑わってる軽井沢でもクマは多数目撃されてるし、クマの人的被害は運が悪かった以外の事は何もない
確率的に低くとも熊の目撃情報がある山に入って熊害に遭うこと自体は因果が成立しているので、公正世界仮説には該当しない。登山者の中でも被害者に特別な落ち度があるように言い出したら該当する、という認識。
北海道の山は危なっからしいので避けていたが。そういう情報に触れる機会が少なくなったのかな。目的の情報を簡単に得られる代わりに、注意喚起などが検索段階でスルーされているのか。
「火垂るの墓の清太を嫌悪する人や、何某かの搾取や暴力、悪意の被害に遭った人や人生がうまくいっていない人などに「自己責任」という言葉を簡単に使う人間の心理」ホントそれ
自分は山に登らないから、クマの生息地の近くに住まないから…と他人事だと決めつけていては、問題は解決しないもんね。
ゴールデンカムイ読んだ方がいいぞ
悪いとは思わないけど、運が悪かったし、リスクはあるよねと思う。
あらぬ被害者非難と登山における潜在的危険性への言及をいっしょくたにする方が危険だと思うけど。うちの近くの山でも普通に熊で出るし、スズメバチは巣を作ってるし、崖から滑落してる人もいる。
虫が家に入って来たら多数の人がそれを殺すように、人が熊の縄張りに入ったら捕食されても何ら不思議ではない。それが自然である。地球は人の持ち物ではない。不幸にして亡くなられた方の冥福を心から祈る。
山に山菜取りに入ろうが、札幌市東区で会社に向かう途中だろうが、北海道全域がクマに襲われる可能性のある場所になった、というだけの話。ただこれは頭数に対し山がキャパオーバーになってるのが原因なので文字数
公正世界仮説的な考え方の他にも(あるいは重複して)、「これは自分には関係のない世界のことだ」と安心したい感情もあると思う。山に登るのが悪い=自分は登らないから大丈夫
興味がないことにあえて口を出しても禍しか読まない。
公正世界仮説、無意識にこういう考え方をしてしまってるところはあるな。/今回は入山禁止でもない登山ルートで対策もしてたんだから被害者としては不幸な事故の範疇だと思うよ
まぁでもクマ被害が連日ニュースになってるからなぁ。それいうと逆走老人が増えてるから外出るなになるけど。
登山での死亡事故はこのように語られるけど、薬物による死亡事故は、いまだに本人を責める言説が多い印象。本質的には同じことであるが、自由と平等のバランスなのかね。
波の高い時にサーフィンに行って溺れた、クライミング中に滑落した、ヒグマの目撃情報がある山で襲われた、真夏のマラソン中に倒れた。この辺全部同じグループに入れてる。やる奴が悪い。
ダイビングでも死ぬ人いるしね。仕方ない//新しい(今までになかった)危険ができたことには対処が必要//餌付けはNO!!//軽装登山は論外で、ここで語られる問題じゃない
”知床半島で、20年余りにわたって登山ツアーなどを行っている山岳ガイドの滝澤大徳さんは、ヒトとヒグマの間にあった適切な“距離感”がここ数年、失われてきていると指摘”(2025年8月16日付NHKweb)…根本はこれ。
公正世界というか、道路の鳩糞がやたら落ちてるところを通ったら糞を食らったみたいな話かなって思った。確率の話に近い印象。
溺れた「海に行ったのが悪い」、日航機墜落「飛行機に乗ったのが悪い」、地震被害「震源地近くにいるのが悪い」、ウクライナ「ロシアの隣が悪い」。悪くない場所がどこか教えろよ
ブクマカが発症してるのはもっと幼稚な他人を罵る口実探しにしか見えない
襲われる2日前に熊出てたんだなこっわ。https://brownbear.shiretoko.or.jp/news/
「痴漢冤罪に巻き込まれるのは電車に乗ったのが悪い」と言ってるのと変わらんぞ
何のリスクを自分はどれだけ許容するか?って話だと思うんだよな。自分はそれは許容しないよって表明を非難と受け取る必要はないと思う。でも、その投稿を遺族とかが見るかもしれないって配慮は必要よな
自然相手のレジャーなんてそりゃリスクあって当然だけど、酷い亡くなり方した人に対していちいち自業自得だのしゃーないねとか言う必要ある?
クライミングやってましたが、自分の周りの人は普通の人よりリスク感度が高くしっかり安全管理してますけどね。絶対やってはいけないことは本当に絶対やらない。それでも起きるのが事故なのであって。
事件事故の被害者に対して「油断したお前が悪い」というのは、相当の落ち度がない限り赤の他人が批評家面して言っていい言葉じゃないよ。
第四惑星の所長が言ってるのと同じコト言ってるじゃねえの。
誰も悪くはない、ただし責任は自分にある。それだけ。
そだね。痴漢に会うやつは満員電車に乗るのが悪いみたいな理論だしね。
なんかズレている気がする 彼ら彼女らは元々自然の熊の領域に人が入ったことそのものを「悪い」と考えているんだと思う
公平世界仮説に基づく物語を読み過ぎてるんだよ/てかさ、真に公平世界仮説を採用するのであれば、ITを使いまくって地球環境を悪化させている自分たちにいつか報いが来ると怯えるのが正しい態度だと思うんだが。
確かに山で軽装備で遭難すると批難しがちよな。クマとの違いについてかんがえさせられた(コメよんで)。
コロナの頃につくづく思ったけど、生きる目的が「死なないこと」の暮らしはつらすぎる。世界が自分を殺すものだと認識すると駅のホームも歩けない。
子殺しの母をかばうことは、今後孤立した母子を救う流れを作るかもしれないが、熊に襲われた人を責めることは何ら世の中を良くしないので、本当に余計なことだと思う。
「自己責任」はともかく「自業自得」は言葉が強すぎると思う。また、被害者やその周辺が自分の責任ををさておいて殊更に他者の責任を追及するようなことをしているのでなければ、第三者が言うようなことではない。
ひとつ勉強になった→公正世界仮説/既にブコメにも公正世界仮説論者が出没してな
「覚悟をキメろ」みたいなコメントが散見されるが、人間なんてみんな決死の覚悟なんか決められず、「たぶん大丈夫だろうな」程度の意識で色々なことをやり、時に死ぬ生物でしょ。お互い様なんだからそんなに言うなと
北海道福島町の新聞配達員が襲われた件の方は、配達員は仕事中、街中で襲われて全く責める点がないから誰も話題にしない。
被害者に落ち度があるとは言えないが、他の何者に責任を問うこともできない。となればあるのは山は常にリスクを抱えているという前提と、選択の責任だけで、運が悪かったねとしか。
リスクが高い行為をしてインシデントが発生しただけで個人の道徳などに原因を求めているわけじゃないし、「いい人だったのになぜこんなことに」の方が公正世界仮説支持者の発言に当たる。
いつもの自己責任大好き勢、物事を単純化してマウントするの大好き過ぎるだろ。
クマを絶滅させる気がないならどうにかして人間側が勝てる状態で生活するしかないよなあ。どのくらいの武装なら安全に登山とかできるんだろうか
年間登山者650万人に対して、ここ50年クマが人を襲った件数は年平均1.2件、確率にすると0.00002%。これに対して交通事故に遭う確率は年0.2%。町中歩くほうが余程危険なんだけど、みんなちゃんと覚悟してんの??
そうかなぁ 元々羅臼のとこなんて常にクマが出る可能性があった訳で クマの危険性を過小評価してた訳で 山に行ったというより羅臼とか道東地域に行ったのが悪いよ
「山に行ったのが悪い」とか「自業自得だ」とかたとえそう思ったとしてもわざわざSNSで全世界に向けて発信するのはここのブコメも含めて頭おかしくなってんじゃないの?と思う。
山に行ったのが悪い。外に出たのが悪い。生まれてきたことが悪い。。不幸な人を無くすために行き着く先は安楽死計画だな。
ネットなら,隕石が当たって死んだ人にだって「隕石が落ちる場所を歩いていたやつが悪い」って言いだす人が一人くらいは出てくるよ
むむ、ヒグマさん怖いけど、山に行った人が悪いって言うのは違うにゃ!みんな安全に楽しめるように、ボクが猫パンチで悪い考えを追い払うにゃ!平和が一番にゃ!
「自然に入るってそういうこと」はそのとおりだしこういうアクティビティに臨む上では必要な覚悟だとも思うけど、それは悪いことではないし間違いなく被害者ではあると思う…
この件何が悪いかと言ったら「クマを人に慣れさせた人々」が悪いのよhttps://www.asahi.com/articles/AST6V3HJNT6VIIPE00BM.html 基本的にクマは人避けるんだから 公正世界仮説は真に反省すべき問題から目がそれるのでダメなの
小学生でも言える自業自得だねなんてことをどうしても言いたいその心はなんなんだろうな。ブコメにもちらほらいるけど。
いちいちダサいよ。これを1ミリでも他責にする思考がある人は山に向いてない。自業自得と言われて「だから何?」としか思わないし、自然の不条理さ体験すれば人間のそんな矮小な思想なんてアホらしくて反吐が出そう
歩道歩いてて車に突っ込まれたとして、被害者を責めるのか?そういう事故が度々起こってるのに気をつけなかったからって?
「悪い」という言葉にみんな引っ張られているが、誰かが悪いとすれば少なくともクマに餌付けした奴は「悪い」と言えるだろう。
今年はうちの住宅街にある大きめの公園でも熊の子供らしき目撃報告があったからな
ブコメ見て熊のいる山の確率で出さないとじゃないか?と思ったり。すべての山に熊がいるわけじゃないから…。
登山道を閉鎖か、入り口に大きく強く警告を立てておくべきだったね。「ヒグマが出ます」の注意喚起は知床のそこら中にあるけど、今年はかなり人前に出てきてた。羅臼岳は当分一般人の立入を制限した方がいい。
発端のツイートの考え方(「こんな惨い死に方する理由にはならない」)も十分に「公正世界仮説」でしょう。なぜなら「原因(因果)」ではなく「理由」の話をしてるから。公正世界仮説とは、「理由」を与える装置。
山に行かなければ事故に合わなかったから、一定真理では。交通事故なら車乗ったのが悪い、外歩いてたのが悪い、地震の多い日本に住むのが悪いまでセットであれば、論理的には間違ってはない。倫理的には知らん
国や家からひっこすのはお金がかかるし、仕事の都合もあって大変だから難しいが、クマが出ていると話題の時期に羅臼岳に行かない選択は非常に楽である。
北海道ですら熊害による死者は1年にひとりペースなんだが(山菜採りや釣りなどひっくるめてこの数字)。落雷で死ぬのと同じぐらいの頻度だぞ。ヒグマへの対処は当然だが、過度に警戒する必要もない。
“「私は大丈夫(根拠なし)【正常性バイアス】」 「だから私は被害に遭わない【公正世界仮説】」”
冒頭の公正世界仮説の頭の悪い説明何なの?最後、個人の感想になっちゃってるし。逆にこういうのどこで拾ってくるの?
「事故や事件に遭うのは外出するのが悪い」みたいなのって2ちゃんの露悪的な冗談だったのに、それが繰り返されるうちに本気で言う人も増えてきたなと
左翼は「川口なんかに住むのが悪い」とか言いそう。自己矛盾気にしなさそう。僕は治安最悪の蒲田に長く住んでるので何かに巻き込まれたら自己責任言われそう。
登山するなら熊は滑落や遭難と同じ、一定の確率で遭うリスクとしてこの人も認識してたと思うけど、そこから「自業自得」までは遠い隔たりがあるんだよなぁ…「運が悪かった」以上に非難される謂れはないでしょう。
地元の事情を知らないよそ者が偉そうに評価するなって感じ。
「プレートの境界上にあって頻繁に地震が起きる日本なんかに住んでるのが悪い」なんて言えちゃうしね/被害者に落ち度や過失がある場合ももちろんあるが、このヒグマ襲撃事件は被害者に責められる謂れはない。R.I.P.
交通事故にあった人に「街に出たのが悪い」、列車事故に「電車に乗ったのが悪い」って言うのか?
自動車という超高速で移動する鋼鉄の獣の駆除はよ。
羅臼岳は今までも頻繁に熊の目撃情報はあったけど人身被害は0だったから危険を承知でっていう批判ができる状況でもない。
交通事故は人間が絡んでんじゃん。フェアな比較ではない。/公正云々よりかは自己責任論に近いのでは?なんと喚こうが熊は賠償金支払えないからね。『責任』の定義が問われていると思う。
住む国を変えることのハードルは高いが注意喚起されてる場所を避けるのは遥かに簡単。それらを混同するのは詭弁だろう。台風の時に出歩くな、と台風が通る国に住むなは延長線上じゃない
「自分たちは真面目に働いてるのに生活が苦しくなっていくのは、その間に台頭してきた勢力(女性とか外国人とか)に権利を奪われたからじゃないか?」みたいな右派ポピュリズムの認知も公正世界仮設の一種だと思う
知床は大雪山系と比べてもカジュアルな感じの観光客多いし人馴れ熊が沢山いそうみたいな予測は立つからあっこで乗り物降りて人が沢山いないとこを観光はリスクと元道民としては思うとこだけど、基本は運悪で終了よな
このTogetter見たうえで、はてブで被害者を非難しているバカがいるけど、そういうのは書かないで思うだけにしておけって忠告したい。自分の評価を下げるよ。
軽装での富士登山はかなり咎められるのに、この件に関しては同情的な声が多いのはよくわからん。被害者が悪かったとは思わないが、それなりにリスクのある行動をしてた以上、「ただ山に入っただけ」ではないのでは?
誰が悪いというのは人間の世界の話で、事実はヒトが1人ヒグマに襲われて死んだということ。
登山は危険なレジャーだよね…。熊に限らず、滑落死や遭難死も普通にあるし。川遊びや海水浴もだけど、どんな備えをしてても死ぬことはある。自然は人に優しくない。
地元の肌感としては、近年の状況は生息地の棲み分けと言う一線を越えてしまっている感じがする。
「でもでも被害者に落ち度が~」なんて惨めな言い訳しに来るぐらいなら最初から人を責めなきゃいいのに。引っ越すとか登山に行かないより、社会に有害なほどに頭と心が弱いことを自覚して引っ込んでる方が簡単だよ?
まあここでの「悪い」が「原因」を表す悪いだとしても、まともな人はネットでもそういう事は書かない
悪いとまでは言わないが、はじめ聞いた時に「え。なんであんなクマの名所に山上りに行くの?」とは思った。百名山なのね。すぐ近くの知床五胡も昔から、エリアに入るには熊レクチャーを受ける必要がある。
"「悲惨な死に方をした人に対して、自分の心を守るために被害者側を責める」 という心理""無意識にやってる""「私は大丈夫(根拠なし)【正常性バイアス】」「だから私は被害に遭わない【公正世界仮説】」"
そんなことより友人が被害者と200メートル離れて歩いていたことの方を問題視すべきでは?本当に友達か?
知床でヒグマに近付いて写真撮ったり餌やったりしてるアホ観光客全員が殺人者なので罪を償うべき。
落ち度があったことにしたい そうすれば自分はそうならないと安心できる。怖い話でも、突然襲われるのはあまりにも怖いから何かトリガーがあったことにしたいのあるよね。
どんなできごとにも、自業自得と理不尽成分がある。どちらかだけ注目するとキツい意見になるよ
言い出したら「外出たのが悪い」になるのでね
インターネット裁判官が自業自得と短くまとめた記事だけ読んで断罪するの、何なんだろな。正しい事言ってる自分に酔ってんのかな。
そんなこと思ったことないな。ま、少しは舐めてた部分があるかもだけど、まさかヒグマに食べられるなんて思わないでしょ?悲惨過ぎる。怖過ぎる。痛過ぎる。苦しすぎる。
これは「単純に他人を攻撃する口実がほしいだけの人間」にまるで公正世界仮説という理があると思わせるような「不正な甘やかし」では
山の遭難でもそうだけど山に行かないのに何かあったとき登山者を異様に責める人たちが多いの理解できない。
札幌でもクマが出没しているらしいから「札幌に行ったのが悪い」ということになる。
「人が勝手に餌付けをしたのが悪い(どんぐりなんかを撒きおって」ではなく領土争いでクマにも負けた平和ボケ日本人(これより先は成人男性は知床岬で二週間のサバイバル体験を生き残った者のみに選挙権を与えるべき
交通事故で死ぬ覚悟でクルマ運転してるし死ぬ覚悟で徒歩で外に出ている。
不幸な事故以外の感想はないわな