「各国の歴史認識には隔たりがあり」
ああいうのは勝った国が勝利を誇って作るもんだよ ( ˘ω˘ )
無料しか読んでないけど、護憲レフトが滅びない限り無理な話だ。
はてブサヨが想像しているのとは違う理由でむりなんだよ。欧米含めた各国の戦争博物館は基本的に自国の正当化な代物で、自国に批判的な場合も両論併記。日本ではそれさえも左派の反対に遭うだろう。無料
遊就館みたいなキモい施設か、特攻隊の遺書を展示する平和祈念館か。"「戦争に対する評価が定まらない」侵略だったのか、自衛だったのか、両方の要素があったのか。国のありようにも関わる重要な論点だけに"
東京裁判で認定済(即ち<米国の意思>)の事象にすら,何年も執拗に史料無視の難癖を付けるのが,権力を握る政権与党とその支持層に大勢居る国だ(云々の自由も嫌いw)。先ずそこらで齟齬が。コレは明治維新から続く矛盾。
「戦争博物館」は、イギリスなどでは自国の戦闘機を誇らしげに並べて勝利を誇るためのものであるような。少なくとも多数の国のすり合わせをしてる例なんてあるのだろうか? https://lifebythethames.com/imperialwarmuseum/
そもそも戦争に負けて国立戦争(敗戦?平和?)博物館を新設した前例が古今東西にあるなら、知りたい。/ドイツ連邦軍事史博物館とか?(WW1前から続くから、また別事例か)
太平洋戦争が日本の自衛だったってことになると、ロシアのウクライナ侵攻も自衛ってことになっちゃうから。
つい先日、知覧の特攻平和会館に行ったが想像してたのとは180度違う内容で驚いた。あれは特攻兵を讃えるものじゃなくて、多くの若い命を無駄死にさせた戦争を糾弾するものなんだね。行ってすごくよかった
米国が戦後直後に強いた責任論、その上に乗っかった左派の自虐史論、戦中からいるが、自虐史観にうんざりした層にウケた愛国右翼の東亜解放論がごちゃ混ぜで、何を言ってもどこからかは矢が飛んでくる。
東京大空襲・戦災資料センター館←民間施設、早乙女勝元らが建てた。東京大空襲を伝える公的記念館は存在しない。計画はあったのだが、歴史認識とかで頓挫した。国立戦争博物館なんて絶対無理や
歴史「観」ってのは政治で、学術的な史学とは関係ないし非論理的かつナラティブなんですよ。一般の人が歴史に求めるのはナラティブのほうなんで……
逆に疑問なんだが、なぜ日本のサヨクは、戦争を肯定しないんだ? 自衛隊の装備の更新も、訓練も反対するのは「訓練不足のまま、貧弱な装備で戦え」と言ってるも同然で、つまり「特攻を肯定してる」事になるのだが。
東京都復興記念館は関東大震災と東京大空襲とそれらからの復興がテーマの記念館。 https://tokyoireikyoukai.or.jp/museum/history.html
自衛のために中国はじめアジア各地を軍事占領しました、ってそれ今のロシアと同類の屁理屈だからな
中国の戦争博物館行ったけど、懲罰だーってベトナム侵略して返り討ちに遭った中越戦争なんてどこにもなかったぞ。偉大な解放軍を称える展示しかない。
日本は鬼畜米英からアジアを守るための崇高で立派な聖なる戦いをした。私たちは日本兵の英雄たちを心から賛美し、誇るべきだ。実際、アジアの人々は日本に感謝を述べている国も多数ある。朝鮮や支那でもそうだ。
英国の戦争博物館は素晴らしかった。特に第一次世界大戦の詳細を知れば知るほど、人間の愚かさを学ぶことになる。日本にもあればいいな、と思うけど難しいのか。
負けたからでしょう。例えば核兵器(原爆)の使用という点で言えば日本は間違いなく「被害者」の立場なのに、それは言えないどころか「過ち」として加害者かのように扱われる。これもやはり負けたからなんですよね。
必要な気はするけど、まだ過去になってない(むしろ敗戦ゆえのその後の冷戦構造の影響下がつよい)よね。また侵略国ではあったけど、欧州列強の植民地主義を真似したというのはあったよね。
先日河口湖自動車博物館の飛行館に行って思ったが、戦争の遺物について個人の努力で収集展示するのには限界があるよねと思った
自衛というより、植民地主義に基づいた侵略、領土確保。領土確保のためということであれば、自衛要素もあるだろう。現在の価値観で過去を裁くとほぼ侵略だが、当時の論理では自衛という要素もあった。
日本の平和記念館的な施設は各地にあって、地元の空襲被害や困窮した日常、大政翼賛なポスターが展示されているのがおおよそという印象。竹橋MOMATの企画展では戦後の日本国の位置付けも示唆する大胆な展示だった。
多数の命を残虐に奪った戦争犯罪者たちを許して巣鴨から出してしまい、逆に公職復帰させてしまったことが全ての淵源になっている。ドイツではナチは裁かれた。日本では総理になった者もいる。
まぁ、あと二十年ぐらいしたら先の大戦もちょっと昔の出来事から歴史上の出来事になって重要度が下がるのでは?良いか悪いかは別にして。
つ ポーランド・グダニスクの「第二次世界大戦博物館」/敗戦した国の博物館かというと微妙だが、少なくとも戦勝を称揚する博物館ではない。
ああいうのは事実上「戦勝記念館」なので日本じゃ無理というのが本当。/中国や朝鮮が(あるいは米英が)攻めてきたわけでもないのに自衛も何もないもんだ、という当たり前の理屈が通らない人が多いしね。
当時の日本は現代の中国と同じ、帝国主義の遅れてきた信奉者だったと思う。他国の主権よりも自国の権益。それ以前の欧米列強が敷いた道でもある。日本は後発走者ゆえの強引さが嫌われ世界の潮流を見誤った
中国が日本と共通の歴史感を持つ動機が全くない。それは歴史という中国の外交カードを永遠に失わせることに繋がるからだ。戦争とは政治の延長だ。現在の国際政治の難しさを理解せず動いても絵に描いた餅でしかない。
外交的にはそれを日本の公費で作れば、「日本は東アジアの盟主」を宣言したことになるのでは?東アジアでは「正史」を語るのは政権の正統性を意味する
遊就館は明治政府による国立の戦争博物館だろう.当事者の側の戦争とはどうなんだというのは一度は見ておくべきだろう.今のリベラルな歴史認識による戦争展示を無理してやっても歪んだだけになる気がする.
「日本で国立戦争博物館は無理」 一橋大名誉教授が悲観する事情 | 毎日新聞
「各国の歴史認識には隔たりがあり」
ああいうのは勝った国が勝利を誇って作るもんだよ ( ˘ω˘ )
無料しか読んでないけど、護憲レフトが滅びない限り無理な話だ。
はてブサヨが想像しているのとは違う理由でむりなんだよ。欧米含めた各国の戦争博物館は基本的に自国の正当化な代物で、自国に批判的な場合も両論併記。日本ではそれさえも左派の反対に遭うだろう。無料
遊就館みたいなキモい施設か、特攻隊の遺書を展示する平和祈念館か。"「戦争に対する評価が定まらない」侵略だったのか、自衛だったのか、両方の要素があったのか。国のありようにも関わる重要な論点だけに"
東京裁判で認定済(即ち<米国の意思>)の事象にすら,何年も執拗に史料無視の難癖を付けるのが,権力を握る政権与党とその支持層に大勢居る国だ(云々の自由も嫌いw)。先ずそこらで齟齬が。コレは明治維新から続く矛盾。
「戦争博物館」は、イギリスなどでは自国の戦闘機を誇らしげに並べて勝利を誇るためのものであるような。少なくとも多数の国のすり合わせをしてる例なんてあるのだろうか? https://lifebythethames.com/imperialwarmuseum/
そもそも戦争に負けて国立戦争(敗戦?平和?)博物館を新設した前例が古今東西にあるなら、知りたい。/ドイツ連邦軍事史博物館とか?(WW1前から続くから、また別事例か)
太平洋戦争が日本の自衛だったってことになると、ロシアのウクライナ侵攻も自衛ってことになっちゃうから。
つい先日、知覧の特攻平和会館に行ったが想像してたのとは180度違う内容で驚いた。あれは特攻兵を讃えるものじゃなくて、多くの若い命を無駄死にさせた戦争を糾弾するものなんだね。行ってすごくよかった
米国が戦後直後に強いた責任論、その上に乗っかった左派の自虐史論、戦中からいるが、自虐史観にうんざりした層にウケた愛国右翼の東亜解放論がごちゃ混ぜで、何を言ってもどこからかは矢が飛んでくる。
東京大空襲・戦災資料センター館←民間施設、早乙女勝元らが建てた。東京大空襲を伝える公的記念館は存在しない。計画はあったのだが、歴史認識とかで頓挫した。国立戦争博物館なんて絶対無理や
歴史「観」ってのは政治で、学術的な史学とは関係ないし非論理的かつナラティブなんですよ。一般の人が歴史に求めるのはナラティブのほうなんで……
逆に疑問なんだが、なぜ日本のサヨクは、戦争を肯定しないんだ? 自衛隊の装備の更新も、訓練も反対するのは「訓練不足のまま、貧弱な装備で戦え」と言ってるも同然で、つまり「特攻を肯定してる」事になるのだが。
東京都復興記念館は関東大震災と東京大空襲とそれらからの復興がテーマの記念館。 https://tokyoireikyoukai.or.jp/museum/history.html
自衛のために中国はじめアジア各地を軍事占領しました、ってそれ今のロシアと同類の屁理屈だからな
中国の戦争博物館行ったけど、懲罰だーってベトナム侵略して返り討ちに遭った中越戦争なんてどこにもなかったぞ。偉大な解放軍を称える展示しかない。
日本は鬼畜米英からアジアを守るための崇高で立派な聖なる戦いをした。私たちは日本兵の英雄たちを心から賛美し、誇るべきだ。実際、アジアの人々は日本に感謝を述べている国も多数ある。朝鮮や支那でもそうだ。
英国の戦争博物館は素晴らしかった。特に第一次世界大戦の詳細を知れば知るほど、人間の愚かさを学ぶことになる。日本にもあればいいな、と思うけど難しいのか。
負けたからでしょう。例えば核兵器(原爆)の使用という点で言えば日本は間違いなく「被害者」の立場なのに、それは言えないどころか「過ち」として加害者かのように扱われる。これもやはり負けたからなんですよね。
必要な気はするけど、まだ過去になってない(むしろ敗戦ゆえのその後の冷戦構造の影響下がつよい)よね。また侵略国ではあったけど、欧州列強の植民地主義を真似したというのはあったよね。
先日河口湖自動車博物館の飛行館に行って思ったが、戦争の遺物について個人の努力で収集展示するのには限界があるよねと思った
自衛というより、植民地主義に基づいた侵略、領土確保。領土確保のためということであれば、自衛要素もあるだろう。現在の価値観で過去を裁くとほぼ侵略だが、当時の論理では自衛という要素もあった。
日本の平和記念館的な施設は各地にあって、地元の空襲被害や困窮した日常、大政翼賛なポスターが展示されているのがおおよそという印象。竹橋MOMATの企画展では戦後の日本国の位置付けも示唆する大胆な展示だった。
多数の命を残虐に奪った戦争犯罪者たちを許して巣鴨から出してしまい、逆に公職復帰させてしまったことが全ての淵源になっている。ドイツではナチは裁かれた。日本では総理になった者もいる。
まぁ、あと二十年ぐらいしたら先の大戦もちょっと昔の出来事から歴史上の出来事になって重要度が下がるのでは?良いか悪いかは別にして。
つ ポーランド・グダニスクの「第二次世界大戦博物館」/敗戦した国の博物館かというと微妙だが、少なくとも戦勝を称揚する博物館ではない。
ああいうのは事実上「戦勝記念館」なので日本じゃ無理というのが本当。/中国や朝鮮が(あるいは米英が)攻めてきたわけでもないのに自衛も何もないもんだ、という当たり前の理屈が通らない人が多いしね。
当時の日本は現代の中国と同じ、帝国主義の遅れてきた信奉者だったと思う。他国の主権よりも自国の権益。それ以前の欧米列強が敷いた道でもある。日本は後発走者ゆえの強引さが嫌われ世界の潮流を見誤った
中国が日本と共通の歴史感を持つ動機が全くない。それは歴史という中国の外交カードを永遠に失わせることに繋がるからだ。戦争とは政治の延長だ。現在の国際政治の難しさを理解せず動いても絵に描いた餅でしかない。
外交的にはそれを日本の公費で作れば、「日本は東アジアの盟主」を宣言したことになるのでは?東アジアでは「正史」を語るのは政権の正統性を意味する
遊就館は明治政府による国立の戦争博物館だろう.当事者の側の戦争とはどうなんだというのは一度は見ておくべきだろう.今のリベラルな歴史認識による戦争展示を無理してやっても歪んだだけになる気がする.