言わなければ忘れるっていうけど、忘れたら同じこと繰り返すから勉強自体は必要なんよな。
根本的な問題は本邦に「差別禁止法」が無いこと(「部落差別解消推進法」は制定されたが、差別の禁止が趣旨ではない)。罰則を欠いたまま教育だけ先行させても効果が乏しいのは当然であり、早急に法制化すべき。
田舎に転校したら知らなかったそういう教育あるわ差別なくそうとか看板あるわで戸惑ったし、どこぞの親がベンツで学校に乗り込んでは「うちが部落だからか!?」とたびたび職員室で暴れてたの衝撃的だった。
蝦夷地相手にあんだけ差別しながら東北は部落差別がないとか言い出してんの相当やばい(´・_・`)そもそもが東北は排除か同化の2択しか無かっただけでは/参政党信者の転生者が必死だな、加えて遡及法支持者かよ
松本龍を忘れない/あの打たれ弱さはある意味伝説
id:Arturo_Ui 差別禁止法ができたら、リベラルは率先して「自衛官を差別した」と自首すべき。戦争当時、生まれてない世代に「戦争を反省」と言うなら「私はやってない」は通用しない。 https://note.com/nathankirinoha/n/nb964d55aa8f0
>「部落」は村、集落の意味で用いられている 自分の生まれ育ったとこだと普通に集落の意味で「○○部落」と言うし、「○○部落」という案内板とか建ってるもんな。その意味合いは全くというほどない。
差別されれば金が引っ張れるなら、差別を無くそうとはせずむしろ作ろうとするよね。LGBTとか困難女性とかも同じで差別されて儲かるなら差別は無くならない
教育必要って、教育したら部落という言葉は当たり前に使えなくなるだろうが。人の思想に侵略してくんなよ。
東日本や北日本では部落は集落という意味合い以上のものはないかな。にしても現在は被害者意識が自ら他者と線を引く結果になっているのでは。
悪意のない人にまで過剰に当たりにいく仕草がほんとによくない
梨園などは差別の歴史を勉強しなくても事実上差別がなくなっている。むしろ特権的文化資本として賞賛されるケースが多い。医師や金融業も差別されていた時期があるが、差別が解消したのは歴史を学んだ結果ではない。
よく使う言葉を短縮し略しがちだよなー 女子高生をJKて性犯罪用語を使うの報道 は止めてほしい 部落差別は小中学校で習って以後は報道で見るだけだし 本来の意味で使えないのは困る 他に無さそうな「同和」で頼みたい
こういうのも、いつか遠く昔の歴史として扱われるのかな。
具体的な内容ではなく「部落」とか「差別」とういう言葉だけでやってるのが問題のような。たとえば差別といってもネットで悪口いわれるのと警察官に首絞められて殺されるのはだいぶ違う。
あの発言はエターナルフォースブリザードのつもりだったのか
「ビデオ」に性的な意味合いが付与されてるのなんて知らなかった。ホントに⋯?
部落解放同盟で検索するとそこの会長は何故か超大金持ちなんよね。つまり同和利権とかいう奴。在日特権、外国人特権と同じでそこに既得権益が存在してる。大阪では何故かタブー視されてるけどハシゲが出身って話。
関東の人で部落差別を普通にする人がいるので見ているとヒヤヒヤする。自分のしていることが差別だと認識できていないのだと思う。
id:togetter とりあえず、差別者である「鳥取ループ」(検索してください)本名は宮部龍彦のツイートを何の説明もなく収録しているのはどうなんですか。
私が住む集落も、近隣のことを部落と呼ぶので、対外的に説明するのがめんどくさいなぁ……と常常思っている
むしろ大阪民は部落差別するような劣った民族とかまで言われがちやん
ことばの定義、差別の認識と実態、人権ゴロ。(+特定の差別の歴史的観点)。散らかってる。/AVドレスの派生か、しかし元ツイのスタンスは?小芝居?飛翔体?本日の多様性?これを元に議論を続けるのは?
実家学区内に旧名「穢多町」なる部落があり、仙台における穢多非人差別について調べたことがある。どうやら「宗教が違う隣人」くらいの扱いで明確な差別は無かった。明治4年の解放令までは。今はもう何も無い。
東京でも戦前、戦中生まれだと川向こう=部落的な何かを指してたし、昭和後期でも結婚時の身上調査で部落出身者じゃないか調査される程度には差別があったぞ。人が入れ替わり風化して忘れられるのは良いことだと思う
忘れたら同じことを繰り返すって意味で勉強が必要ならサントリーの東北熊襲発言の問題も全国の学校で教えるべきだな
五代目団十郎の作と伝わる“錦着て畳の上の乞食かな”って句があるけど、役者(梨園)とかへの差別の実情ってどうだったんだろ?昔、“士農工商の枠外におかれた”とか習ったけど今は“士農工商”使わないしなぁ。
関西の人に部落の話しようとしたら、単語言った瞬間過剰反応されてびっくりした。差別してんのお前やん
差別の歴史を学んでも「へー、昔の人は無知蒙昧で邪悪なカスだったからそういう差別をしてたんだ。でも今は違う。我々はちゃんと考えて合理的に区別してる!!」とかなるだけで、差別解消の効果は無いんじゃない?
部落差別なんか教えずに知らないままのほうがいいという意見が東日本人に多く目を疑った。それなら大阪にほとんどおらず差別も耳にしないアイヌ人の存在も知らないままでいいのか。日本人としてそれでよいのか
和歌山で同和問題に絡んだ公益通報した後自殺してしまった職員を思い出すな……
1個目ツイート、同和問題そのものについてではなく、部落差別を勉強したはずの奴らが普通に賎業(タイミング的にAV女優?)を意識的に差別し、またそれを必死で正当化してる事への指摘だと思う。
他の差別用語もそうですが、元々、部落に差別の意味はありません。関西だけ差別の文脈で部落が使われていました。他の地域ではそういうことがなかったのです。言葉に罪はないんですけどね。
何があっても松本龍元大臣のことは忘れてはいけない
中部の県庁所在地周辺田園地帯、昭和から平成、親や祖父母世代が単なる集落と被差別部落のどちらの意味でも使うものだから、文脈等で判断していた。差別は昔の事というけど、なくなってないんだよ的な事言われたなー
『人種差別』の『人種』と同じ意味よね。『経済力の低い人たちが集まるエリアに住んでる人に対する差別』という意味では『団地の子とは仲良くするな』みたいな形で今もなお続いてると思うんだよね
初めてこういうの知ったのは「ガキ帝国」って映画だったなあ。あとになって「あれってそういうことか」ってことはいろいろあったけど、それでも西側のひととは比べものにならんくらいノホホンとは育ってるなあと。
関西でも集落のことを部落と言うしそのすぐ川向うに被差別部落がある。城や寺社のある所なら被差別部落は存在したが「消えた」だけで「知らない」、「うちには無い」は単に無知。東京の空襲や震災、人の流出入が典型
なんで宮部のツイートが混じってんの
差別があった事実だけでなく、それが生まれた背景もセットで学ばないとね。臭いものに蓋をするだけでは、差別が再発明されるだけだよ。
皆「JOBK100年 誇りうるもの~部落問題の100年」見よう(NHK再放送して)。終戦直後の大阪京都の“部落”の映像、長野五郎兵衛新田と古文書、2025年の阿波木偶箱まわし、外国人も参加する現在の識字学校、太鼓革、油かす…
東北じゃ普通に部落っていうから悪いインターネットでタブー視されてんの不思議だった
「しらこい」とか言ってるから関西の方なんだと思うんですが、「ウチんとこのローカル差別知らんとかいう奴は差別をきちんと学んでない」とか言われましてもという気持ち。
差別がいけないなら、教育をせずとも行為を法で規制すればすむだけ。
なんか元ツイと違う流れになってる。東北地方に部落差別少なかったから知らないと言ってる人を「小芝居」「トンチキな理解」「飛翔体」だの見下すような発言してたからだと思ったのだけど。学のある人は違うな
半世紀前の小学生の頃、授業で聞きながら「そんな話するからいつまでも差別が続いてんちゃうんか?」と思った純なあの頃w。ちゃんと現代では反社の差別利権のひとつやぞって事を教えんとやで。
関西ローカル差別用語
福岡の同和教育盛んな地域出身だが「部落の子とは遊ぶな」と言ってくる人とか、被差別部落出身者との結婚を押し切って親から勘当された人とかを実際に見たので、周りになくても知っていて欲しいとは思う/ちな30代です
昭和の大阪出身で小中高大すべて大阪ですが、部落は集落という感じの意味で使ってるし、差別問題を扱うときは被差別部落と言うのが普通ですよ。ただ省略して部落と言うときはある(すべての省略語と同じく)。
畿内の歴史的特性を全国で同じだと思うな、畿内の連中は部落差別する差別者、畿外や東北の連中は中央の威光届かぬ野蛮人、東北でも部落差別は今でもある、部落差別の話はしていない、賤職が主たる議事、など
東北の北の方の出身だが、「部落」は集落という意味で使っていた。近所に「いわゆる被差別民」的な家があったらしいが、その家の子とはみんなフツーに遊んでた。まあ、関西からは今も東北が差別の対象なんだろうな。
小学校で同和教育の時間てなかった?
差別が無くなったら甘い汁吸えなくなって困る奴らのことだろ
読んでないブコメも多かろうが後半の被差別民の起源のツイートが勉強になった。差別を学ぶが差別の解消ではなく松本龍氏のように逆差別の推進と再差別の生産になってしまった時代があったのは反省すべきだろう。
言葉の定義の話だけなら、"USB"とか"Wiki"と同様に「省略するな」と啓蒙していくしか。"ケータイ"にいちいち「何を携帯するの?」って言う人みたいになっちゃうかも知れんが。
知らないって言うけどさ、学校でいくらでも知る機会与えられてるし、履歴書に本籍を書く必要はないのは何故とかあるじゃん。知らないとか言うの鈍感なだけ。
「部落差別について知れ、忘れるな」というブ米は「ちゃんとセットでその後の解同の糾弾やら西日本ではその所業でマフィアの如く恐れられてる実態も知れ」ということだな? 共産党が解同と死闘を繰り広げてるとか。
北海道でも集落って意味で普通に「部落」って言うわ。穢多非人って全国にあったのになんで関西だけ未だにこうなん?
法務省人権擁護局調査では、同和問題を教育しなければ自然解決する論の同意者は社会の20%ぐらいしかいない。でもこの棘やネットでは完全な多数派のようにふるまえてる。サイバーカスケード以外の何物なんだって話
部落差別は将来的には今よりも激減します(戸籍法改正で本籍偽装OKになったので、尾行以外の出自調査が難しくなるため)→https://www.fnn.jp/articles/-/850354?display=full
関西の人、地元を出てから方言使うのはいいんだけど方言の押し付け早めてほしいよ。こっちでは集落の意味で部落って言うの。
ある地域でAV女優のことを「女優」と呼ぶせいで『いいかお前ら女優てのは差別語だからな!TVドラマや映画の主演女優を女優とは絶対に呼ぶなよ!』と説教されて???となってしまうこの感じ
初めて知ったのは小林よしのりの漫画だったな
未だに「◯◯のあたりはそうだから近づくな」という話は聞く。差別は無くなってない。
大河ドラマなどで歌舞伎役者が天皇を演るのを見るたび「パンチが効いたキャスティングだな」と思ったりするんだが、そういう感覚もなかなか共有できないんだな
関西の部落は「被差別部落」の略称だから、東北あたりの人が知らないのは当たり前なんだよなあ。/地域格差による差別の場合、自分達も「(上位の)部落」だから、「部落」という名前に差別的意味が含まれるはずがない
我々が一品名詞として使っている語を指して「差別用語を使ったな、この差別主義者め!」とかほざかれても「何言ってんだこの活動家が」以外の反応なんて返るわけないでしょ。近畿の野蛮人同士で勝手にやり合ってろ
前に「池沼」「イケヌマ」という言葉は既に知的障害者を表す差別語だという話で喧嘩したの思い出した。差別かどうかは文脈でともかく、「池沼」そのものに罪はないと思う。「チー牛」もそう。
広島で中高育った身としては当時の広島県の部落教育が相当熱が入っていたというか、教員にも生徒にも結構な割合で部落出身と自覚している人が多くて、他人事じゃない当事者感からの教育カリキュラムだったのかもと
学校で習ったし他所の土地で簡単に使うなと言われた覚えもある/橋龍はあれ部落バリアーが通用しないメディアには心底ビビったろうな
関東〜東北では部落には単なる村・集落以上の意味は無い
部落は差別用語ではなく集落の意味しかない、その証拠に東北では集落としての意味でしか使われていないと指摘されると、活動家が「東北全体が被差別部落だから(ニッコリ)」と差別意識全開で反論することは知ってる
感情的な話だが 「どこそこ出身の人間とは友達になるな」・・・自分が生まれ育った所がそう言われた際は悲しかったな。差別が是正されたのにまだ言われるのかと。
同和事業はカネになるからね。風化したらそれでご飯食べてる人たちが困っちゃう
初手冷笑、予後が悪すぎるな。冷笑はしない方がいいよ、別にする側にもなんの利点もないだろ
この手の関西の文化の押し付けみたいなのマジで迷惑だから消えて欲しいんだよね。部落という関西限定の差別的言葉の使い方を、関係の無い他の地域に押し付けて来るふざけた態度の話ね
そもそも部落差別を学校で学ぶのか?
歴史教育として被差別部落の話はあってよいと思う
橙とかいう人のいってることを見ると関西は差別ばっかしてるんだろうけど、他では住む場所でどうとかあんまないよ
差別を保存しようとしてるようにしか思えない。なぜ差別意識のない人に差別を刷り込むのだろう。/ アイヌはアイヌのアイデンティティがあるけど部落の人は部落ってアイデンティティがあるの?それなら話しは違うか…
https://vocal.media/authors/12-questions-answered-about-is-fidelity-a-good-investment-service
東京人もちゃんと足立区民を下に見てるから安心しろって
香川県ですが、小学校のころ運動会で部落対抗リレーというのやってましたが、やがて自分が高学年になるころ地区対抗リレーと呼称が変わりました。西日本でも地域によって部落という言葉の使い方に差はあったんだね。
忘れることは仕方ないけど、これだけ情報が発達した世界で忘れるという行為は故意でなければ成立しない
数年前、ある関西ローカル劇団の現代劇を東京で観たが、本筋と関係ないところで普通に「川向こうの人」とかいうセリフが出てきて、ああまだあるんだなと/東京でも官公庁寄りの企業は今もコンプラ研修の一環で扱う
サムネの人よく覚えてるよ。何だこいついつの時代からタイムスリップしたんだ?って当時本気で思った。
子供の頃に“部落”が差別用語というのが分からなかったクチ。松本龍の背景は知らなかった。
学校で知る機会とか言ってるけど、そんなの関東以北はないんだけど、関西って何でそんな差別を生きながらえさせたいんだろ
別の記事で職業差別するな!!って騒いでる一方で関西差別するはては民の情緒どうなってんだよ
そもそも関西だって、「被差別部落」を雑に省略したからで「部落」は普通に集落の意味だった、少なくとも自分が高校卒業して淡路島を離れるまでは。
本当にみんな知らんのに「知ってるくせに白々しい!」ってキレてるのおもろいよな。自分らが受けてきた仕打ちが他地域には一切ないみたいなの、逆の方向で理不尽すぎるもんな
「山形県や東北の特徴は、差別を自覚的に問題にしていないこと、つまり差別的なことがためらいなくいえるところ」 https://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_yamagata28/jichiken_bunkakai/kihonteki/buraku/buraku_3.htm
部落の呼称はさておき、昔の話で今も引きずるなというのはちょっと違う。育った地域や職業で見下す文化は油断するとすぐ生まれるし、今も無自覚にそう話している人は、特に23区界隈は顕著。
何故、古くから狩猟の伝統があり「部落」を集落、村落の意味で使い続けて来た東北人が他所が作った差別の悪習と罪悪感擦られなきゃいけないのか
社会の先生からこの言葉は関西では使わない方がいい、くらいには習ったがその背景はよくわからん そんな積極的に守りたい言葉でもないし、それで関西の一部が満足なら使わなくなるだけだよ
わたしも東日本住みなので『橋のない川』読むまで知らなかった。あと母方は東北なので部落というか集落って使っていたけど、ホントそれが以下略。 どちらかというと朝鮮差別の方が、、(横浜)それも意味がよくわか
東北でも被差別部落の事は学んだが勝手にその被差別部分を略し差別用語としてんのは西の人達だろと。こちとら態々その話題触れるような事しないんでそちらも押し付けんなと。アイヌと混同してんのは言語道断だろ。
東北全体が長い歴史でずっと被差別地域みたいなもんだったからそりゃね。ただ大阪だとあの子は部落だから保育園出てるし親が共働きみたいなの普通にあるのよね
小中学校で同和教育があった地域は「部落=被差別地区(被差別部落)」だと思うし、そうでないところは「部落=集落」じゃないかと。私は鳥取県出身なので小中学校で同和教育を受けたし、学区内に被差別部落があった。
どこぞの第三帝国が卍を呪われたシンボルに変えてその価値観をアジア圏に押し付ける様な話な
忘れ去ってほしいはさすがにアホすぎる。今は差別がなくて今後も差別が生まれないとでも思ってる?
北海道ですが小学校で部落差別についてかなり詳しく教えられた。市内にアイヌ部落と呼ばれる地域があったことも。それでも大学で関西に来たら、見るもの聞くもの全てにおいて格が違って震えた。
中部民だけど部落は集落みたいな意味で使ってるなあ。旅行の時に部落解放同盟を見かけて何ぞやと思った記憶。
https://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/getitback-coinbase.pdfhttps://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/getitback-coinbase.pdfhttps://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/getitback-coinbase.pdf
福岡出身の知人が、「子供の頃学童に通っていたが、部落の子だけお菓子が違うの。明らかにショボいの」と言っていて、こういうかたちでじわじわ残るのがもう陰湿で…
世代間の違いもあって、若い人ほど知らないんだろう。八鹿高校事件とか。タブー的に扱われてきた問題だからかも。根深いというより込み入ってるって感じ。関わりたくないって奴。だから関西では逆に認知度が高い。
部落なんて聞いたこともない小学生に学校の授業で部落部落と教えて、「この辺の部落ってどこにあったのー?」って大人に質問させてしまう流れほんとクソ。答える大人もほんとクソ
※ここは老人しかおらんから偏っていることに留意が必要です
出身や職業身分による差別には断固反対だし、二度とするべきではないと考えているが、それと同時に被差別を盾に過剰な要求をする団体や活動家の存在も許すべきではないと考えている。そもそも第三者だったりするし
部落の言葉の意味自体は何も変わってないんだよ。ただ被差別部落が残ってる地域が多いほど略称で使ってるだけなんじゃないかな。今や完全に利権と化してるがね。上澄みの知識だけで語れるもんじゃない
差別は駄目って言う本来の文脈と、差別で商売してる団体の両方があってね。
https://www.asahi.com/articles/ASSD60H68SD6UTIL009M.html 差別煽動の動きあり、裁判に訴える部落解放同盟と出身者がおり。現在進行形。
携帯電話の電話、スーパーマーケットのマーケットを省略するのと、被差別部落の被差別を省略しちゃうのは近い文化だなと思う。なんでそっちを残したし。
実態として差別がある以上、教育で情報を与えることは必要。ただ、教える側に十分な教養が無いと難しい題材でもあるよね。
問題の根幹であるデータに基づかない偏見による田舎差別は今もなくなっていない。https://anond.hatelabo.jp/20230511153747 https://anond.hatelabo.jp/20230808222237
そんなもん義務教育で習って知ってるのに「部落」という言葉を使うなとか上から講釈垂れてくる関西民が何人もいて反吐が出てるんだわ。爺ちゃんの岩手の部落の話でなんでお前の顔色見なきゃいけないんだ。部落部落。
被差別民も含めて関西人全体で東北人を差別していた歴史をきれいさっぱり忘れてるくせに、自分たちが受けている差別は永久に忘れるな、とか言ってる人間のクズ共はとっとと全員餓死しろとしか思わん。
関西以西の人から「あそこは部落だから」と言われて初めて、社会科で学んだ同和が現代にもまだ続いていることを知った。正直ショックだった。だいぶ溶け込んでいるとは思うけど、大規模開発でもしないと難しそう。
部落>東北>北海道だから、東北や北海道民が部落差別を感じないのは当たり前だよ。上のランクの人達を差別できるわけないだろ。
↓こういう無意識ナチュラル序列差別が滲み出たのが関西しぐさなのかねぇ?
どうして関西人は、部落差別に共感してほしいんだろうか。部落差別(利権)側と反部落差別側が「部落」概念を喧伝してるらしく、混乱する/日本社会はアイデンティティ政治じゃなくて同化政策よな。
大分県USA市では小学校の運動会で部落対抗リレーが行われてた。
関西人で同和教育は受けたが、歴史的事実を教えてる訳じゃなく君ら今もやってるけど駄目だぞという教育で、どこの地域が被差別部落なのかすら誰も知らないのに、なぜ特別熱心に教えられてるのかわからんかったな。
でも、ないもんを全国にあるはずだって言い張る関西人もなんか不健康だよな。と思う北東北出身/松本龍とかいう人は本当に同和問題が東北では通用しないと知らなかった可哀想な人だよね
”しらこい”ほんまな、どの口でや/着てる服から始まってほっといたら住んでるところくらいすぐやり始めるわ。ないんじゃなくて勉強たらん、知らんだけやんけ
関東にも被差別部落があって、今も差別があるのですが、しっかりと教育で向き合わないと「関西ローカル」とか言い出してしまう人が出てしまうわけですね。人権教育の必要性を、証明するブコメ欄になっています。
茨城出身だけど東北と同じく部落という言葉には集落以上の意味はない。
京都に住んでた頃散々教えてもらったりしたけど全くわからなかったしくだらないと思ってしまった。いや、大事なことだとは思うんだけど本当に全然理解できなかったんだ…
とはいえ本場の京都でも再開発が進んで姿を消しつつある地域もあるしそのあたりは開発で忘れ去ると良いですな
自分達の後ろめたさを希釈するために人権意識高い体で他地域に罪を擦りつけようとするの、歪んだ郷土愛でとても醜悪だからやめた方がいいっすよ。
小学校低学年のときは地区単位での児童会の名称が「部落児童会」だったが高学年のいつからか忘れたが「地区児童会」に名称変更された記憶があるが、あれは「部落」という言葉に後ろめたさがあったからなんかなー
部落って言葉、地域で違う意味なのね!ボクのお家はみんな仲良しだから、ケンカは嫌いにゃ。言葉は優しく使って、みんなで仲良くしたいにゃ。もし悪い人がいたら…猫パンチしちゃうぞ!にゃ!
これ関西以外の地域は風化させて問題そのものを無かったことにしてて関西人からすると非常にモヤる。実際関西では未だ根強く差別と被差別者の利権のゴリ押しがあるわけで全く知らないよりは知識として持った方が良い
東日本出身だが、この問題は地域差が激しすぎて一緒くたに出来なさすぎる。故に地域の事情や応対力で結果に差が出る。その隙を反社に突かれた過去
アフリカや南米ではJapには単にJapanの略称という中立的な意味しか無かったのに、WWⅡで敵対した英米では差別的に使ってるから差別語だと言い出して相手の意図に関わらず抗議してJpnにさせるようになったみたいな話
後半というか朝田理論出だした辺りから輩のシノギの印象。あの辺の人等って極道ではなく活動家なのかね?右左でもなく未だにようわからん界隈。/えせ同和界隈というらしい。
実家富山だったが普通に集落の意味で使ってたわ そういう差別があった事自体の認識と、その隠語をどの地域でも使ってたかどうかの話は別だろう
私が北海道で住んでた教員住宅は「○○部落」の名で地図に載ってた。同和問題については全国民がきちんと理解しておくべきだと思うが、「被差別部落」と命名し、それを略して「部落」と呼ぶのは戦後の話に過ぎない。
母が福島出身で、ご近所の一帯のことを部落と言っていたので、そのような集落的な意味でしか知らなかったので社会の授業かなんかで習って知らんかったな〜とか思ってたわかいころ。
北海道もちゃんとアイヌ差別学んでるぞ。関西の差別なんて北海道民が深く知る必要なんてないわ
呼称が不自然に変わるときは大抵権力闘争が関わってる。同和と部落という2つの似て非なる単語が使われるのも社会党とつながりの深い解放同盟と自民党とつながりの深い全日本同和会の対立によるもの。
東北だと部落って集落って意味だわねえ。まぁ、ばあちゃん死ぬまでバカチョンカメラって言ってたけど
問題意識と歴史認識の継承は必要だが、被害者性の継承や被害の神話化・聖域化はしないほうがいいなあとイスラエル問題を見て思っている。でもかんたんに切り離せるものでないから難しい。
ローカル地域の差別を知らないから勉強してくださいという理屈から差別利権とか団体が生まれてくるの、その地方ならよく分かるだろうに何故そうなってしまうんだ。
いやいや、何言ってんの。中国地方だって九州だって部落問題は今だにあるんだよ。ただ差別があるってだけの話じゃない。むしろ逆で、解消しつつあることで困る集団がいるってことよ。解放同盟だけど。利権化なのよ。
差別は駄目だと教えてるなら部落差別を教えなくても問題ないだろ。それで他の差別は起きないけど部落差別だけは繰り返されるってどういう理屈?>トップコメ/他の差別も起きるなら部落差別を教える教えない以前の問
中学のとき、部落について学ぶ授業が始まった日から、気に入らないヤツに「○○は部落」って悪口を使いだす子が出てきて、なんのための教育か疑問に思った事がある
言葉狩りじゃなくて差別の方を解決しないとどっちにしろ終わる話ではない。
正しくは専業化(都市化)と差別の発生は同時(そもそも彼らはそういった業務を自由選択したという認識が喩え誤認であっても生まれなければ差別感情も生じない。封建制の崩壊(職業選択の完全自由化)でこの流れが定着した
中2の頃に長野県へ引っ越したんだけど、それまで部落のことは全く知らなかったし、齢45を迎えるまで小林よしのりの漫画でしか見ることがなかった。知ってる人間が絶滅すればなかったことになりそうだけど。
×「関西で部落差別が多かった」○「関西の部落解放同盟がプロバガンダを頑張った」。学校で部落とか教えなかった世界線が東北というだけ。部落は方言ではなく法務省も使ってますよ。知らないのは教養がないだけ
実際に結婚とかで差別を経験している人達からすると、忘れられてなくなったことにされた一方で実際の差別が残るのが怖いのでは。/どの差別でも利権を貪るのは極一部の人間で、その裏で泣いてる当事者はたくさんいる
「『小京都』と呼ばれる場所があればそこは部落差別が重め」「社会の分業化が進むと職業と居住地と身分が一体化して差別が生まれる」東北、分業できるほど人口がなかったので何でもみんなそれぞれやってた説。
カーネル・サンダースにスイカ事件みたい。指摘側が差別を作り出している。
https://posfie.com/@kvasskvass/p/nwxuils ちゃんと知っておかないと「関西の闇」みたいな話に引っかかるんだよなあ
関西の部落の奴らがタチ悪すぎて代名詞になってしまったというだけのこと
関西出身で、部落と言う言葉は暗に被差別部落を指しているのだとある程度成長すると理解した。ただ、私が被差別部落と言うものを具体的に知った狭山事件は埼玉県の事件で、関西限定には疑問。
?東京にも東北にも部落差別ありますし、北海道もありますよね。部落というか、北海道はアイヌ差別てすが。マタギとかねえ。水呑み百姓とか聞いた事ないです?昔は米作れる田んぼ今より全然少ないんですよ。
これもとはそもそも「賎業」とされたもんはどこにでもあったろって話だったぽいのだが、そう言われると「部落差別」って言葉からはその賎業概念が見えにくくなってるよなあ
ごめん。中学の教科書にも載ってるんだけど。全国的に。
田舎の古い世代の人だと、部落を非差別部落の事を指すのでなく集落や地区の意味で使ったりするからなあ。関連?:続・被差別部落のルーツ なぜ東北にはないのか(https://news-hunter.org/?p=10695)
あの人に関しては、長生きしなくてよかったと思う。以後、福岡の有権者は選ばなかった。惜敗率も非常に低かった。うちも九州だけど、集落の意味で普通に部落って言う。
部落→在日→嫌韓と移ってるだけで差別はなくなってない。(今はクルド)。/松本龍氏の発言を部落の話につなげるのも偏見ではないか?
関西出身だけど、小学生の一定の年齢までは普通に集落という意味で捉えてたけど、同和教育が始まって“迂闊に使っちゃいけない言葉”と知った。同時に、学区のどこが「部落」なのかをそれきっかけで知るという。
東日本の出身だけど同和教育はあった。集落のことも部落と呼んでいたので少し混乱はしたし、子供心に教えなければ知らないのにと思ったものだけど、大人でもまだ同じような浅い考えの人がいることに吃驚。
「しらこい」って何?と思ったら白々しいの意味なんだ。知らなかった。部落は小学生のころ学習ビデオで見せられたなあ。それ以外で見聞きした事はないので知らなくても仕方ないと思うが
「被差別部落って何!?」部落という単語の使われ方に関西における同和問題の根深さと忘れ去ってほしいという声
言わなければ忘れるっていうけど、忘れたら同じこと繰り返すから勉強自体は必要なんよな。
根本的な問題は本邦に「差別禁止法」が無いこと(「部落差別解消推進法」は制定されたが、差別の禁止が趣旨ではない)。罰則を欠いたまま教育だけ先行させても効果が乏しいのは当然であり、早急に法制化すべき。
田舎に転校したら知らなかったそういう教育あるわ差別なくそうとか看板あるわで戸惑ったし、どこぞの親がベンツで学校に乗り込んでは「うちが部落だからか!?」とたびたび職員室で暴れてたの衝撃的だった。
蝦夷地相手にあんだけ差別しながら東北は部落差別がないとか言い出してんの相当やばい(´・_・`)そもそもが東北は排除か同化の2択しか無かっただけでは/参政党信者の転生者が必死だな、加えて遡及法支持者かよ
松本龍を忘れない/あの打たれ弱さはある意味伝説
id:Arturo_Ui 差別禁止法ができたら、リベラルは率先して「自衛官を差別した」と自首すべき。戦争当時、生まれてない世代に「戦争を反省」と言うなら「私はやってない」は通用しない。 https://note.com/nathankirinoha/n/nb964d55aa8f0
>「部落」は村、集落の意味で用いられている 自分の生まれ育ったとこだと普通に集落の意味で「○○部落」と言うし、「○○部落」という案内板とか建ってるもんな。その意味合いは全くというほどない。
差別されれば金が引っ張れるなら、差別を無くそうとはせずむしろ作ろうとするよね。LGBTとか困難女性とかも同じで差別されて儲かるなら差別は無くならない
教育必要って、教育したら部落という言葉は当たり前に使えなくなるだろうが。人の思想に侵略してくんなよ。
東日本や北日本では部落は集落という意味合い以上のものはないかな。にしても現在は被害者意識が自ら他者と線を引く結果になっているのでは。
悪意のない人にまで過剰に当たりにいく仕草がほんとによくない
梨園などは差別の歴史を勉強しなくても事実上差別がなくなっている。むしろ特権的文化資本として賞賛されるケースが多い。医師や金融業も差別されていた時期があるが、差別が解消したのは歴史を学んだ結果ではない。
よく使う言葉を短縮し略しがちだよなー 女子高生をJKて性犯罪用語を使うの報道 は止めてほしい 部落差別は小中学校で習って以後は報道で見るだけだし 本来の意味で使えないのは困る 他に無さそうな「同和」で頼みたい
こういうのも、いつか遠く昔の歴史として扱われるのかな。
具体的な内容ではなく「部落」とか「差別」とういう言葉だけでやってるのが問題のような。たとえば差別といってもネットで悪口いわれるのと警察官に首絞められて殺されるのはだいぶ違う。
あの発言はエターナルフォースブリザードのつもりだったのか
「ビデオ」に性的な意味合いが付与されてるのなんて知らなかった。ホントに⋯?
部落解放同盟で検索するとそこの会長は何故か超大金持ちなんよね。つまり同和利権とかいう奴。在日特権、外国人特権と同じでそこに既得権益が存在してる。大阪では何故かタブー視されてるけどハシゲが出身って話。
関東の人で部落差別を普通にする人がいるので見ているとヒヤヒヤする。自分のしていることが差別だと認識できていないのだと思う。
id:togetter とりあえず、差別者である「鳥取ループ」(検索してください)本名は宮部龍彦のツイートを何の説明もなく収録しているのはどうなんですか。
私が住む集落も、近隣のことを部落と呼ぶので、対外的に説明するのがめんどくさいなぁ……と常常思っている
むしろ大阪民は部落差別するような劣った民族とかまで言われがちやん
ことばの定義、差別の認識と実態、人権ゴロ。(+特定の差別の歴史的観点)。散らかってる。/AVドレスの派生か、しかし元ツイのスタンスは?小芝居?飛翔体?本日の多様性?これを元に議論を続けるのは?
実家学区内に旧名「穢多町」なる部落があり、仙台における穢多非人差別について調べたことがある。どうやら「宗教が違う隣人」くらいの扱いで明確な差別は無かった。明治4年の解放令までは。今はもう何も無い。
東京でも戦前、戦中生まれだと川向こう=部落的な何かを指してたし、昭和後期でも結婚時の身上調査で部落出身者じゃないか調査される程度には差別があったぞ。人が入れ替わり風化して忘れられるのは良いことだと思う
忘れたら同じことを繰り返すって意味で勉強が必要ならサントリーの東北熊襲発言の問題も全国の学校で教えるべきだな
五代目団十郎の作と伝わる“錦着て畳の上の乞食かな”って句があるけど、役者(梨園)とかへの差別の実情ってどうだったんだろ?昔、“士農工商の枠外におかれた”とか習ったけど今は“士農工商”使わないしなぁ。
関西の人に部落の話しようとしたら、単語言った瞬間過剰反応されてびっくりした。差別してんのお前やん
差別の歴史を学んでも「へー、昔の人は無知蒙昧で邪悪なカスだったからそういう差別をしてたんだ。でも今は違う。我々はちゃんと考えて合理的に区別してる!!」とかなるだけで、差別解消の効果は無いんじゃない?
部落差別なんか教えずに知らないままのほうがいいという意見が東日本人に多く目を疑った。それなら大阪にほとんどおらず差別も耳にしないアイヌ人の存在も知らないままでいいのか。日本人としてそれでよいのか
和歌山で同和問題に絡んだ公益通報した後自殺してしまった職員を思い出すな……
1個目ツイート、同和問題そのものについてではなく、部落差別を勉強したはずの奴らが普通に賎業(タイミング的にAV女優?)を意識的に差別し、またそれを必死で正当化してる事への指摘だと思う。
他の差別用語もそうですが、元々、部落に差別の意味はありません。関西だけ差別の文脈で部落が使われていました。他の地域ではそういうことがなかったのです。言葉に罪はないんですけどね。
何があっても松本龍元大臣のことは忘れてはいけない
中部の県庁所在地周辺田園地帯、昭和から平成、親や祖父母世代が単なる集落と被差別部落のどちらの意味でも使うものだから、文脈等で判断していた。差別は昔の事というけど、なくなってないんだよ的な事言われたなー
『人種差別』の『人種』と同じ意味よね。『経済力の低い人たちが集まるエリアに住んでる人に対する差別』という意味では『団地の子とは仲良くするな』みたいな形で今もなお続いてると思うんだよね
初めてこういうの知ったのは「ガキ帝国」って映画だったなあ。あとになって「あれってそういうことか」ってことはいろいろあったけど、それでも西側のひととは比べものにならんくらいノホホンとは育ってるなあと。
関西でも集落のことを部落と言うしそのすぐ川向うに被差別部落がある。城や寺社のある所なら被差別部落は存在したが「消えた」だけで「知らない」、「うちには無い」は単に無知。東京の空襲や震災、人の流出入が典型
なんで宮部のツイートが混じってんの
差別があった事実だけでなく、それが生まれた背景もセットで学ばないとね。臭いものに蓋をするだけでは、差別が再発明されるだけだよ。
皆「JOBK100年 誇りうるもの~部落問題の100年」見よう(NHK再放送して)。終戦直後の大阪京都の“部落”の映像、長野五郎兵衛新田と古文書、2025年の阿波木偶箱まわし、外国人も参加する現在の識字学校、太鼓革、油かす…
東北じゃ普通に部落っていうから悪いインターネットでタブー視されてんの不思議だった
「しらこい」とか言ってるから関西の方なんだと思うんですが、「ウチんとこのローカル差別知らんとかいう奴は差別をきちんと学んでない」とか言われましてもという気持ち。
差別がいけないなら、教育をせずとも行為を法で規制すればすむだけ。
なんか元ツイと違う流れになってる。東北地方に部落差別少なかったから知らないと言ってる人を「小芝居」「トンチキな理解」「飛翔体」だの見下すような発言してたからだと思ったのだけど。学のある人は違うな
半世紀前の小学生の頃、授業で聞きながら「そんな話するからいつまでも差別が続いてんちゃうんか?」と思った純なあの頃w。ちゃんと現代では反社の差別利権のひとつやぞって事を教えんとやで。
関西ローカル差別用語
福岡の同和教育盛んな地域出身だが「部落の子とは遊ぶな」と言ってくる人とか、被差別部落出身者との結婚を押し切って親から勘当された人とかを実際に見たので、周りになくても知っていて欲しいとは思う/ちな30代です
昭和の大阪出身で小中高大すべて大阪ですが、部落は集落という感じの意味で使ってるし、差別問題を扱うときは被差別部落と言うのが普通ですよ。ただ省略して部落と言うときはある(すべての省略語と同じく)。
畿内の歴史的特性を全国で同じだと思うな、畿内の連中は部落差別する差別者、畿外や東北の連中は中央の威光届かぬ野蛮人、東北でも部落差別は今でもある、部落差別の話はしていない、賤職が主たる議事、など
東北の北の方の出身だが、「部落」は集落という意味で使っていた。近所に「いわゆる被差別民」的な家があったらしいが、その家の子とはみんなフツーに遊んでた。まあ、関西からは今も東北が差別の対象なんだろうな。
小学校で同和教育の時間てなかった?
差別が無くなったら甘い汁吸えなくなって困る奴らのことだろ
読んでないブコメも多かろうが後半の被差別民の起源のツイートが勉強になった。差別を学ぶが差別の解消ではなく松本龍氏のように逆差別の推進と再差別の生産になってしまった時代があったのは反省すべきだろう。
言葉の定義の話だけなら、"USB"とか"Wiki"と同様に「省略するな」と啓蒙していくしか。"ケータイ"にいちいち「何を携帯するの?」って言う人みたいになっちゃうかも知れんが。
知らないって言うけどさ、学校でいくらでも知る機会与えられてるし、履歴書に本籍を書く必要はないのは何故とかあるじゃん。知らないとか言うの鈍感なだけ。
「部落差別について知れ、忘れるな」というブ米は「ちゃんとセットでその後の解同の糾弾やら西日本ではその所業でマフィアの如く恐れられてる実態も知れ」ということだな? 共産党が解同と死闘を繰り広げてるとか。
北海道でも集落って意味で普通に「部落」って言うわ。穢多非人って全国にあったのになんで関西だけ未だにこうなん?
法務省人権擁護局調査では、同和問題を教育しなければ自然解決する論の同意者は社会の20%ぐらいしかいない。でもこの棘やネットでは完全な多数派のようにふるまえてる。サイバーカスケード以外の何物なんだって話
部落差別は将来的には今よりも激減します(戸籍法改正で本籍偽装OKになったので、尾行以外の出自調査が難しくなるため)→https://www.fnn.jp/articles/-/850354?display=full
関西の人、地元を出てから方言使うのはいいんだけど方言の押し付け早めてほしいよ。こっちでは集落の意味で部落って言うの。
ある地域でAV女優のことを「女優」と呼ぶせいで『いいかお前ら女優てのは差別語だからな!TVドラマや映画の主演女優を女優とは絶対に呼ぶなよ!』と説教されて???となってしまうこの感じ
初めて知ったのは小林よしのりの漫画だったな
未だに「◯◯のあたりはそうだから近づくな」という話は聞く。差別は無くなってない。
大河ドラマなどで歌舞伎役者が天皇を演るのを見るたび「パンチが効いたキャスティングだな」と思ったりするんだが、そういう感覚もなかなか共有できないんだな
関西の部落は「被差別部落」の略称だから、東北あたりの人が知らないのは当たり前なんだよなあ。/地域格差による差別の場合、自分達も「(上位の)部落」だから、「部落」という名前に差別的意味が含まれるはずがない
我々が一品名詞として使っている語を指して「差別用語を使ったな、この差別主義者め!」とかほざかれても「何言ってんだこの活動家が」以外の反応なんて返るわけないでしょ。近畿の野蛮人同士で勝手にやり合ってろ
前に「池沼」「イケヌマ」という言葉は既に知的障害者を表す差別語だという話で喧嘩したの思い出した。差別かどうかは文脈でともかく、「池沼」そのものに罪はないと思う。「チー牛」もそう。
広島で中高育った身としては当時の広島県の部落教育が相当熱が入っていたというか、教員にも生徒にも結構な割合で部落出身と自覚している人が多くて、他人事じゃない当事者感からの教育カリキュラムだったのかもと
学校で習ったし他所の土地で簡単に使うなと言われた覚えもある/橋龍はあれ部落バリアーが通用しないメディアには心底ビビったろうな
関東〜東北では部落には単なる村・集落以上の意味は無い
部落は差別用語ではなく集落の意味しかない、その証拠に東北では集落としての意味でしか使われていないと指摘されると、活動家が「東北全体が被差別部落だから(ニッコリ)」と差別意識全開で反論することは知ってる
感情的な話だが 「どこそこ出身の人間とは友達になるな」・・・自分が生まれ育った所がそう言われた際は悲しかったな。差別が是正されたのにまだ言われるのかと。
同和事業はカネになるからね。風化したらそれでご飯食べてる人たちが困っちゃう
初手冷笑、予後が悪すぎるな。冷笑はしない方がいいよ、別にする側にもなんの利点もないだろ
この手の関西の文化の押し付けみたいなのマジで迷惑だから消えて欲しいんだよね。部落という関西限定の差別的言葉の使い方を、関係の無い他の地域に押し付けて来るふざけた態度の話ね
そもそも部落差別を学校で学ぶのか?
歴史教育として被差別部落の話はあってよいと思う
橙とかいう人のいってることを見ると関西は差別ばっかしてるんだろうけど、他では住む場所でどうとかあんまないよ
差別を保存しようとしてるようにしか思えない。なぜ差別意識のない人に差別を刷り込むのだろう。/ アイヌはアイヌのアイデンティティがあるけど部落の人は部落ってアイデンティティがあるの?それなら話しは違うか…
https://vocal.media/authors/12-questions-answered-about-is-fidelity-a-good-investment-service
https://vocal.media/authors/12-questions-answered-about-is-fidelity-a-good-investment-service
東京人もちゃんと足立区民を下に見てるから安心しろって
香川県ですが、小学校のころ運動会で部落対抗リレーというのやってましたが、やがて自分が高学年になるころ地区対抗リレーと呼称が変わりました。西日本でも地域によって部落という言葉の使い方に差はあったんだね。
https://vocal.media/authors/12-questions-answered-about-is-fidelity-a-good-investment-service
忘れることは仕方ないけど、これだけ情報が発達した世界で忘れるという行為は故意でなければ成立しない
数年前、ある関西ローカル劇団の現代劇を東京で観たが、本筋と関係ないところで普通に「川向こうの人」とかいうセリフが出てきて、ああまだあるんだなと/東京でも官公庁寄りの企業は今もコンプラ研修の一環で扱う
サムネの人よく覚えてるよ。何だこいついつの時代からタイムスリップしたんだ?って当時本気で思った。
子供の頃に“部落”が差別用語というのが分からなかったクチ。松本龍の背景は知らなかった。
学校で知る機会とか言ってるけど、そんなの関東以北はないんだけど、関西って何でそんな差別を生きながらえさせたいんだろ
別の記事で職業差別するな!!って騒いでる一方で関西差別するはては民の情緒どうなってんだよ
そもそも関西だって、「被差別部落」を雑に省略したからで「部落」は普通に集落の意味だった、少なくとも自分が高校卒業して淡路島を離れるまでは。
本当にみんな知らんのに「知ってるくせに白々しい!」ってキレてるのおもろいよな。自分らが受けてきた仕打ちが他地域には一切ないみたいなの、逆の方向で理不尽すぎるもんな
「山形県や東北の特徴は、差別を自覚的に問題にしていないこと、つまり差別的なことがためらいなくいえるところ」 https://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_yamagata28/jichiken_bunkakai/kihonteki/buraku/buraku_3.htm
部落の呼称はさておき、昔の話で今も引きずるなというのはちょっと違う。育った地域や職業で見下す文化は油断するとすぐ生まれるし、今も無自覚にそう話している人は、特に23区界隈は顕著。
何故、古くから狩猟の伝統があり「部落」を集落、村落の意味で使い続けて来た東北人が他所が作った差別の悪習と罪悪感擦られなきゃいけないのか
社会の先生からこの言葉は関西では使わない方がいい、くらいには習ったがその背景はよくわからん そんな積極的に守りたい言葉でもないし、それで関西の一部が満足なら使わなくなるだけだよ
わたしも東日本住みなので『橋のない川』読むまで知らなかった。あと母方は東北なので部落というか集落って使っていたけど、ホントそれが以下略。 どちらかというと朝鮮差別の方が、、(横浜)それも意味がよくわか
東北でも被差別部落の事は学んだが勝手にその被差別部分を略し差別用語としてんのは西の人達だろと。こちとら態々その話題触れるような事しないんでそちらも押し付けんなと。アイヌと混同してんのは言語道断だろ。
東北全体が長い歴史でずっと被差別地域みたいなもんだったからそりゃね。ただ大阪だとあの子は部落だから保育園出てるし親が共働きみたいなの普通にあるのよね
小中学校で同和教育があった地域は「部落=被差別地区(被差別部落)」だと思うし、そうでないところは「部落=集落」じゃないかと。私は鳥取県出身なので小中学校で同和教育を受けたし、学区内に被差別部落があった。
どこぞの第三帝国が卍を呪われたシンボルに変えてその価値観をアジア圏に押し付ける様な話な
忘れ去ってほしいはさすがにアホすぎる。今は差別がなくて今後も差別が生まれないとでも思ってる?
北海道ですが小学校で部落差別についてかなり詳しく教えられた。市内にアイヌ部落と呼ばれる地域があったことも。それでも大学で関西に来たら、見るもの聞くもの全てにおいて格が違って震えた。
中部民だけど部落は集落みたいな意味で使ってるなあ。旅行の時に部落解放同盟を見かけて何ぞやと思った記憶。
https://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/getitback-coinbase.pdfhttps://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/getitback-coinbase.pdfhttps://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/getitback-coinbase.pdf
福岡出身の知人が、「子供の頃学童に通っていたが、部落の子だけお菓子が違うの。明らかにショボいの」と言っていて、こういうかたちでじわじわ残るのがもう陰湿で…
世代間の違いもあって、若い人ほど知らないんだろう。八鹿高校事件とか。タブー的に扱われてきた問題だからかも。根深いというより込み入ってるって感じ。関わりたくないって奴。だから関西では逆に認知度が高い。
部落なんて聞いたこともない小学生に学校の授業で部落部落と教えて、「この辺の部落ってどこにあったのー?」って大人に質問させてしまう流れほんとクソ。答える大人もほんとクソ
※ここは老人しかおらんから偏っていることに留意が必要です
出身や職業身分による差別には断固反対だし、二度とするべきではないと考えているが、それと同時に被差別を盾に過剰な要求をする団体や活動家の存在も許すべきではないと考えている。そもそも第三者だったりするし
部落の言葉の意味自体は何も変わってないんだよ。ただ被差別部落が残ってる地域が多いほど略称で使ってるだけなんじゃないかな。今や完全に利権と化してるがね。上澄みの知識だけで語れるもんじゃない
差別は駄目って言う本来の文脈と、差別で商売してる団体の両方があってね。
https://www.asahi.com/articles/ASSD60H68SD6UTIL009M.html 差別煽動の動きあり、裁判に訴える部落解放同盟と出身者がおり。現在進行形。
携帯電話の電話、スーパーマーケットのマーケットを省略するのと、被差別部落の被差別を省略しちゃうのは近い文化だなと思う。なんでそっちを残したし。
実態として差別がある以上、教育で情報を与えることは必要。ただ、教える側に十分な教養が無いと難しい題材でもあるよね。
問題の根幹であるデータに基づかない偏見による田舎差別は今もなくなっていない。https://anond.hatelabo.jp/20230511153747 https://anond.hatelabo.jp/20230808222237
そんなもん義務教育で習って知ってるのに「部落」という言葉を使うなとか上から講釈垂れてくる関西民が何人もいて反吐が出てるんだわ。爺ちゃんの岩手の部落の話でなんでお前の顔色見なきゃいけないんだ。部落部落。
被差別民も含めて関西人全体で東北人を差別していた歴史をきれいさっぱり忘れてるくせに、自分たちが受けている差別は永久に忘れるな、とか言ってる人間のクズ共はとっとと全員餓死しろとしか思わん。
関西以西の人から「あそこは部落だから」と言われて初めて、社会科で学んだ同和が現代にもまだ続いていることを知った。正直ショックだった。だいぶ溶け込んでいるとは思うけど、大規模開発でもしないと難しそう。
部落>東北>北海道だから、東北や北海道民が部落差別を感じないのは当たり前だよ。上のランクの人達を差別できるわけないだろ。
↓こういう無意識ナチュラル序列差別が滲み出たのが関西しぐさなのかねぇ?
どうして関西人は、部落差別に共感してほしいんだろうか。部落差別(利権)側と反部落差別側が「部落」概念を喧伝してるらしく、混乱する/日本社会はアイデンティティ政治じゃなくて同化政策よな。
大分県USA市では小学校の運動会で部落対抗リレーが行われてた。
関西人で同和教育は受けたが、歴史的事実を教えてる訳じゃなく君ら今もやってるけど駄目だぞという教育で、どこの地域が被差別部落なのかすら誰も知らないのに、なぜ特別熱心に教えられてるのかわからんかったな。
でも、ないもんを全国にあるはずだって言い張る関西人もなんか不健康だよな。と思う北東北出身/松本龍とかいう人は本当に同和問題が東北では通用しないと知らなかった可哀想な人だよね
”しらこい”ほんまな、どの口でや/着てる服から始まってほっといたら住んでるところくらいすぐやり始めるわ。ないんじゃなくて勉強たらん、知らんだけやんけ
関東にも被差別部落があって、今も差別があるのですが、しっかりと教育で向き合わないと「関西ローカル」とか言い出してしまう人が出てしまうわけですね。人権教育の必要性を、証明するブコメ欄になっています。
茨城出身だけど東北と同じく部落という言葉には集落以上の意味はない。
京都に住んでた頃散々教えてもらったりしたけど全くわからなかったしくだらないと思ってしまった。いや、大事なことだとは思うんだけど本当に全然理解できなかったんだ…
とはいえ本場の京都でも再開発が進んで姿を消しつつある地域もあるしそのあたりは開発で忘れ去ると良いですな
自分達の後ろめたさを希釈するために人権意識高い体で他地域に罪を擦りつけようとするの、歪んだ郷土愛でとても醜悪だからやめた方がいいっすよ。
小学校低学年のときは地区単位での児童会の名称が「部落児童会」だったが高学年のいつからか忘れたが「地区児童会」に名称変更された記憶があるが、あれは「部落」という言葉に後ろめたさがあったからなんかなー
部落って言葉、地域で違う意味なのね!ボクのお家はみんな仲良しだから、ケンカは嫌いにゃ。言葉は優しく使って、みんなで仲良くしたいにゃ。もし悪い人がいたら…猫パンチしちゃうぞ!にゃ!
これ関西以外の地域は風化させて問題そのものを無かったことにしてて関西人からすると非常にモヤる。実際関西では未だ根強く差別と被差別者の利権のゴリ押しがあるわけで全く知らないよりは知識として持った方が良い
東日本出身だが、この問題は地域差が激しすぎて一緒くたに出来なさすぎる。故に地域の事情や応対力で結果に差が出る。その隙を反社に突かれた過去
アフリカや南米ではJapには単にJapanの略称という中立的な意味しか無かったのに、WWⅡで敵対した英米では差別的に使ってるから差別語だと言い出して相手の意図に関わらず抗議してJpnにさせるようになったみたいな話
後半というか朝田理論出だした辺りから輩のシノギの印象。あの辺の人等って極道ではなく活動家なのかね?右左でもなく未だにようわからん界隈。/えせ同和界隈というらしい。
実家富山だったが普通に集落の意味で使ってたわ そういう差別があった事自体の認識と、その隠語をどの地域でも使ってたかどうかの話は別だろう
私が北海道で住んでた教員住宅は「○○部落」の名で地図に載ってた。同和問題については全国民がきちんと理解しておくべきだと思うが、「被差別部落」と命名し、それを略して「部落」と呼ぶのは戦後の話に過ぎない。
母が福島出身で、ご近所の一帯のことを部落と言っていたので、そのような集落的な意味でしか知らなかったので社会の授業かなんかで習って知らんかったな〜とか思ってたわかいころ。
北海道もちゃんとアイヌ差別学んでるぞ。関西の差別なんて北海道民が深く知る必要なんてないわ
呼称が不自然に変わるときは大抵権力闘争が関わってる。同和と部落という2つの似て非なる単語が使われるのも社会党とつながりの深い解放同盟と自民党とつながりの深い全日本同和会の対立によるもの。
東北だと部落って集落って意味だわねえ。まぁ、ばあちゃん死ぬまでバカチョンカメラって言ってたけど
問題意識と歴史認識の継承は必要だが、被害者性の継承や被害の神話化・聖域化はしないほうがいいなあとイスラエル問題を見て思っている。でもかんたんに切り離せるものでないから難しい。
ローカル地域の差別を知らないから勉強してくださいという理屈から差別利権とか団体が生まれてくるの、その地方ならよく分かるだろうに何故そうなってしまうんだ。
いやいや、何言ってんの。中国地方だって九州だって部落問題は今だにあるんだよ。ただ差別があるってだけの話じゃない。むしろ逆で、解消しつつあることで困る集団がいるってことよ。解放同盟だけど。利権化なのよ。
差別は駄目だと教えてるなら部落差別を教えなくても問題ないだろ。それで他の差別は起きないけど部落差別だけは繰り返されるってどういう理屈?>トップコメ/他の差別も起きるなら部落差別を教える教えない以前の問
中学のとき、部落について学ぶ授業が始まった日から、気に入らないヤツに「○○は部落」って悪口を使いだす子が出てきて、なんのための教育か疑問に思った事がある
言葉狩りじゃなくて差別の方を解決しないとどっちにしろ終わる話ではない。
正しくは専業化(都市化)と差別の発生は同時(そもそも彼らはそういった業務を自由選択したという認識が喩え誤認であっても生まれなければ差別感情も生じない。封建制の崩壊(職業選択の完全自由化)でこの流れが定着した
中2の頃に長野県へ引っ越したんだけど、それまで部落のことは全く知らなかったし、齢45を迎えるまで小林よしのりの漫画でしか見ることがなかった。知ってる人間が絶滅すればなかったことになりそうだけど。
×「関西で部落差別が多かった」○「関西の部落解放同盟がプロバガンダを頑張った」。学校で部落とか教えなかった世界線が東北というだけ。部落は方言ではなく法務省も使ってますよ。知らないのは教養がないだけ
実際に結婚とかで差別を経験している人達からすると、忘れられてなくなったことにされた一方で実際の差別が残るのが怖いのでは。/どの差別でも利権を貪るのは極一部の人間で、その裏で泣いてる当事者はたくさんいる
「『小京都』と呼ばれる場所があればそこは部落差別が重め」「社会の分業化が進むと職業と居住地と身分が一体化して差別が生まれる」東北、分業できるほど人口がなかったので何でもみんなそれぞれやってた説。
カーネル・サンダースにスイカ事件みたい。指摘側が差別を作り出している。
https://posfie.com/@kvasskvass/p/nwxuils ちゃんと知っておかないと「関西の闇」みたいな話に引っかかるんだよなあ
関西の部落の奴らがタチ悪すぎて代名詞になってしまったというだけのこと
関西出身で、部落と言う言葉は暗に被差別部落を指しているのだとある程度成長すると理解した。ただ、私が被差別部落と言うものを具体的に知った狭山事件は埼玉県の事件で、関西限定には疑問。
?東京にも東北にも部落差別ありますし、北海道もありますよね。部落というか、北海道はアイヌ差別てすが。マタギとかねえ。水呑み百姓とか聞いた事ないです?昔は米作れる田んぼ今より全然少ないんですよ。
これもとはそもそも「賎業」とされたもんはどこにでもあったろって話だったぽいのだが、そう言われると「部落差別」って言葉からはその賎業概念が見えにくくなってるよなあ
ごめん。中学の教科書にも載ってるんだけど。全国的に。
田舎の古い世代の人だと、部落を非差別部落の事を指すのでなく集落や地区の意味で使ったりするからなあ。関連?:続・被差別部落のルーツ なぜ東北にはないのか(https://news-hunter.org/?p=10695)
あの人に関しては、長生きしなくてよかったと思う。以後、福岡の有権者は選ばなかった。惜敗率も非常に低かった。うちも九州だけど、集落の意味で普通に部落って言う。
部落→在日→嫌韓と移ってるだけで差別はなくなってない。(今はクルド)。/松本龍氏の発言を部落の話につなげるのも偏見ではないか?
関西出身だけど、小学生の一定の年齢までは普通に集落という意味で捉えてたけど、同和教育が始まって“迂闊に使っちゃいけない言葉”と知った。同時に、学区のどこが「部落」なのかをそれきっかけで知るという。
東日本の出身だけど同和教育はあった。集落のことも部落と呼んでいたので少し混乱はしたし、子供心に教えなければ知らないのにと思ったものだけど、大人でもまだ同じような浅い考えの人がいることに吃驚。
「しらこい」って何?と思ったら白々しいの意味なんだ。知らなかった。部落は小学生のころ学習ビデオで見せられたなあ。それ以外で見聞きした事はないので知らなくても仕方ないと思うが