「区別」そのものを悪魔化する考え方はよくわからない。不合理な差別は問題だが、合理的な区別は必要では? タブー視するのではなく、国民が自由に議論できるようにすべき。
今やダウン症は出生前診断で100%に近い精度で回避できる状況。避けようと思えば避けられるゆえに自己責任感が一層強まっている。だからこそ当事者の危機感は強いという話だと思われる。
区別が過ぎれば差別、平等が過ぎれば均一化でどちらも悪い。
様々な人がいてその分多様な思考があり、そう言った混沌の中で正解を模索する以上、完全な正しさは無い。しかしその上で人命は大事であり、社会は割と多様である、己も多様さのひとつ、と言う事は大事にしたい
"ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安"障害ゆえに施設生活が多くなってしまうのでガイヘルの重要さを感じる.
「どんな障害や病気があっても「生きている」だけで価値を見いだせるようにならなければ、行き着く先は、誰にとっても生きにくい社会です。完璧な人間なんていないのだから、補い合って生きていきたいです」
自分の子どもが生まれる前に、支援してる人ならともかくそれまで透明化に加担してた側の人だったのでは(´・_・`)そこを取材できないの所謂新聞の記者はそっち側の立場だよね。「私取材する人」「あなた取材される人」
今後障害者施設が高齢者施設と合体運営される状況で、場合によっては手助けなしで育てる状況に追いやられそうなんだよなあ。https://fukushishimbun.com/jinzai/41022
避けられる障害はできる限り避ける。あなたには天使かもしれないが、他人には穀潰し。
これからはAIのせいで健常者でもどんどん社会参加が難しくなっていくんで、どう社会と関わっていくかは意外と普遍的な問題だとおもう。
“人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。誰かに「あなたはできないから社会に不必要」と言ったら、いずれは自分も言われます。分けている場合ではない。”
「障害という概念がない子どものうちに出会ったら、その人自身を見て付き合うんだと知りました。大人たちの世界も、混ざり合って生きていける環境であってほしい。」子供ができる事を頑なに拒否する大人が沢山いる。
補い合って生きていくもなにもダウン症の人が俺の何を補ってくれるんだよ。メンタリティの話じゃなくてさ
『「できる」「できない」に分けてはいけない』とリベラルは言うが、5分後には「〇〇は日本人にはできない」とか平気で言い出すんだよな(できたら今度は「日本人も捨てたものではない」と超絶上から目線)。
お母さんのことが大好きで、息子のことが大好きなんだろうなと思う。誰しもが、思い思いに、好きなことを好きなようにできる社会になればいいのになぁ。
これはネット民によるヘイトクライム=虐殺なんだ。"植松聖死刑囚の「障害者は生きている価値がない」という考え方を非難する声が圧倒的に多いだろうと思っていたら、SNSでは、植松の背中を押す声も少なくなかった。"
“障害のある人が外に出られて、街にいることを当たり前の風景にしないといけない”と、”行く道々は緑が豊かで、周辺の素晴らしい風景と…施設の中”は矛盾してるのわざとなのかな
「区別」を便利に使いたがる人は多い。平等が難しい場面があっても、憲法上の権利を制限してることは自覚すべき。
この方の話は特に異論はないけども、同じ立場でも違う考え方の人もいるのだろうなとも思う。難しい。/とりあえず言えるのはこの問題に関してくらいは党派性の色眼鏡を外したらいいのにということくらい。
人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。誰かに「あなたはできないから社会に不必要」と言ったら、いずれは自分も言われます > これですよ、これ。自分に返ってくる。
ダウンの人は若く見えがちな気がする
「日本は人口が減り財政的に厳しく巨額の赤字国債を抱え、この先滅んでいく国だから人々が社会保障に使える金は無く無駄を受け入れる余裕がない」とやら
ダウン症などは特に社会に害をもたらさない。ところがネット民は炎上を起こし、他人を中傷し、自殺に追い込む。「外国人の犯罪が増加」というデマを鵜呑みにして投票する。よほど社会に害をもたらしている。
> どんな障害や病気があっても「生きている」だけで価値を見いだせるようにならなければ、行き着く先は、誰にとっても生きにくい社会です。
綺麗事側だから叩くと悪者扱いされるが極論ではある。ならば培養液に浸った脳みそを生きていて尊いと言えるか。
こっちは区別されない環境で子どものころに追った傷が一生癒えないんですけど???
植松聖死刑囚「社会保障に多額のお金をかけてる現実をあなたはどう思うんですか?日本の借金だってこれ以上もう無理ですよ。そもそも借金で何かをするということ自体、考えられないですよ」https://youtu.be/ywI3KHuGP3U?t=653
民意の大半は「障害者なんてキモくて金かかるから死ね」なんで、議論したところで結果は社会の敵である障害者を殺せで終了。民主主義国家は国民の生の声が届きやすくなるほど、ジェノサイドと親和性が高くなる。
普通級ではなく支援級に入ったことを公表し〜しばらく仕事をお休み/普通か普通じゃないかを本人が一番こだわってるように見えてすげーモヤモヤする。支援級に入ってる人、支えてる人をどう思ってるんだろ。
ダウン症の障害者と重度の障害者を一緒くたには出来ないでしょう。社会や家族からも見放されて施設に押し込められてた現実と向き合わない限り理想論でしかない。
勇ましいこと言っている人はもし大きな怪我や重い病気になったりしたら即座に首を括ってくれるのだろうか。延長線上には単なる無職とか鬱なんかかも含まれるようになると思う
未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安です。永遠に「健常者」でいられる人はとても限られると思います。人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。
“街の中でダウン症の子どもは見かけても、ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安です。”
「植松的な」ものは、障害を持っている人だけの話じゃなくて、いつか必ず老いて生産性がなくなる私たち全員の敵でもあるよなぁと思う。「区別」され、自由意志の名の元に尊厳死を「選ばされる」可能性もある。
普通級に入ると周りが当たり前にできることができなくて自信無くすケースもあるし、ケースバイケースだよね。
なんとも。障害者側からの被害も区別せず罰せられるならいいが「仕方ない」に乗っている以上どこを落とし所にするかは難しいし、区別をなくしても負担が大きいなら自然と忌避されていくだけ。難しいよ。
"人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。誰かに「あなたはできないから社会に不必要」と言ったら、いずれは自分も言われます。分けている場合ではない"
「しっぺ返しが」は同感だが、自分が自己認識も意思疎通も出来ず糞尿を垂れ流すような状況になったら早く死なせて欲しいので、そういう応報なら寧ろ歓迎。程度問題の無い平等主義を徹底する覚悟は自分には無い。
都合の良い差別は「社会に受忍されてる差別」「差別ではない」で都合の悪い差別は「差別」「排外主義」って騒ぎ出すのを目の当たりにしてるからな。誰に都合が悪いんかねぇ。
若干専門的な話になってしまうが「わたし(もしくは誰それ)は障がい者です(もちろん発達障害も含む」という考え方そのものが「人間を効率化し画一化する(一般社会への復帰と参加を目指す」から始まってるので(自業自得
現役世代の手取りが毎年数万ずつ減っていくのが確定してる現状で、俺たちはいつまで善人面出来るかな。20年後とかには俺らも見捨てられるんだろうなぁと50代のおっさんとしては思ってしまう。
この記事を読んでなお「区別」を主張することが、どんな文脈になるか理解していますか。植松の事件後、人に対する無理解な区別が差別につながるとあれだけ警鐘があったのに。嘆息してしまいます。
何を補ってくれる?それ他の人(自分より民度高い、良い教育を受けた人達)にも言われますよって話ではないかなと思います。頂点の人は一体?となりますが、たぶん自己実現の場として補われるのかと。
本筋とは離れるけど、ダウン症と思われる人がスーツ姿で出勤する様子を何度か見たことがある。
小学生ならまだ同級のダウン症児と遊んでくれるかもしれんが、中学以降は無理だし普通学級では良くてお客様にしかならない。「介護役」を押しつけられる生徒がいると悲惨なことになるし、現場は奇麗事じゃない
後期高齢者の公費を切り捨てる社会なら障碍者をお荷物として冷視するのも当然。ALS患者殺害を契機に尊厳死法案を語り、法案を先導すべきれいわ舩後議員が抵抗していると批判する党が野党第一党を狙うほどだったのだ。
例えばIQとか高い人中位の人低い人がいて、山になるように、そういう風にテストを作ってるんやが、高い人が低い人に知的な部分で配慮をすれば良いんだとは思う。難しい言葉とか概念をわかると得やろ?人生とか社会で
我々一般人は何が差別で何が区別なのかなんて、時代に合わせて周りを見て合わせるしかない。正解なんてないのよ。バカが医者になったら困るし。
”街の中でダウン症の子どもは見かけても、ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。”
“街の中でダウン症の子どもは見かけても、ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安です”
“人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます”どこぞの党に言ってあげて。
今の「日本人ファースト」という主張は、容易に「健常者ファースト」「愛国者ファースト」になりえる社会を作る。為政者の都合でいくらでも優先順位を変えられる社会は地獄に一直線
やまゆり園事件から9年 奥山佳恵さん「分けている場合ではない」:朝日新聞
「区別」そのものを悪魔化する考え方はよくわからない。不合理な差別は問題だが、合理的な区別は必要では? タブー視するのではなく、国民が自由に議論できるようにすべき。
今やダウン症は出生前診断で100%に近い精度で回避できる状況。避けようと思えば避けられるゆえに自己責任感が一層強まっている。だからこそ当事者の危機感は強いという話だと思われる。
区別が過ぎれば差別、平等が過ぎれば均一化でどちらも悪い。
様々な人がいてその分多様な思考があり、そう言った混沌の中で正解を模索する以上、完全な正しさは無い。しかしその上で人命は大事であり、社会は割と多様である、己も多様さのひとつ、と言う事は大事にしたい
"ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安"障害ゆえに施設生活が多くなってしまうのでガイヘルの重要さを感じる.
「どんな障害や病気があっても「生きている」だけで価値を見いだせるようにならなければ、行き着く先は、誰にとっても生きにくい社会です。完璧な人間なんていないのだから、補い合って生きていきたいです」
自分の子どもが生まれる前に、支援してる人ならともかくそれまで透明化に加担してた側の人だったのでは(´・_・`)そこを取材できないの所謂新聞の記者はそっち側の立場だよね。「私取材する人」「あなた取材される人」
今後障害者施設が高齢者施設と合体運営される状況で、場合によっては手助けなしで育てる状況に追いやられそうなんだよなあ。https://fukushishimbun.com/jinzai/41022
避けられる障害はできる限り避ける。あなたには天使かもしれないが、他人には穀潰し。
これからはAIのせいで健常者でもどんどん社会参加が難しくなっていくんで、どう社会と関わっていくかは意外と普遍的な問題だとおもう。
“人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。誰かに「あなたはできないから社会に不必要」と言ったら、いずれは自分も言われます。分けている場合ではない。”
「障害という概念がない子どものうちに出会ったら、その人自身を見て付き合うんだと知りました。大人たちの世界も、混ざり合って生きていける環境であってほしい。」子供ができる事を頑なに拒否する大人が沢山いる。
補い合って生きていくもなにもダウン症の人が俺の何を補ってくれるんだよ。メンタリティの話じゃなくてさ
『「できる」「できない」に分けてはいけない』とリベラルは言うが、5分後には「〇〇は日本人にはできない」とか平気で言い出すんだよな(できたら今度は「日本人も捨てたものではない」と超絶上から目線)。
お母さんのことが大好きで、息子のことが大好きなんだろうなと思う。誰しもが、思い思いに、好きなことを好きなようにできる社会になればいいのになぁ。
これはネット民によるヘイトクライム=虐殺なんだ。"植松聖死刑囚の「障害者は生きている価値がない」という考え方を非難する声が圧倒的に多いだろうと思っていたら、SNSでは、植松の背中を押す声も少なくなかった。"
“障害のある人が外に出られて、街にいることを当たり前の風景にしないといけない”と、”行く道々は緑が豊かで、周辺の素晴らしい風景と…施設の中”は矛盾してるのわざとなのかな
「区別」を便利に使いたがる人は多い。平等が難しい場面があっても、憲法上の権利を制限してることは自覚すべき。
この方の話は特に異論はないけども、同じ立場でも違う考え方の人もいるのだろうなとも思う。難しい。/とりあえず言えるのはこの問題に関してくらいは党派性の色眼鏡を外したらいいのにということくらい。
人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。誰かに「あなたはできないから社会に不必要」と言ったら、いずれは自分も言われます > これですよ、これ。自分に返ってくる。
ダウンの人は若く見えがちな気がする
「日本は人口が減り財政的に厳しく巨額の赤字国債を抱え、この先滅んでいく国だから人々が社会保障に使える金は無く無駄を受け入れる余裕がない」とやら
ダウン症などは特に社会に害をもたらさない。ところがネット民は炎上を起こし、他人を中傷し、自殺に追い込む。「外国人の犯罪が増加」というデマを鵜呑みにして投票する。よほど社会に害をもたらしている。
> どんな障害や病気があっても「生きている」だけで価値を見いだせるようにならなければ、行き着く先は、誰にとっても生きにくい社会です。
綺麗事側だから叩くと悪者扱いされるが極論ではある。ならば培養液に浸った脳みそを生きていて尊いと言えるか。
こっちは区別されない環境で子どものころに追った傷が一生癒えないんですけど???
植松聖死刑囚「社会保障に多額のお金をかけてる現実をあなたはどう思うんですか?日本の借金だってこれ以上もう無理ですよ。そもそも借金で何かをするということ自体、考えられないですよ」https://youtu.be/ywI3KHuGP3U?t=653
民意の大半は「障害者なんてキモくて金かかるから死ね」なんで、議論したところで結果は社会の敵である障害者を殺せで終了。民主主義国家は国民の生の声が届きやすくなるほど、ジェノサイドと親和性が高くなる。
普通級ではなく支援級に入ったことを公表し〜しばらく仕事をお休み/普通か普通じゃないかを本人が一番こだわってるように見えてすげーモヤモヤする。支援級に入ってる人、支えてる人をどう思ってるんだろ。
ダウン症の障害者と重度の障害者を一緒くたには出来ないでしょう。社会や家族からも見放されて施設に押し込められてた現実と向き合わない限り理想論でしかない。
勇ましいこと言っている人はもし大きな怪我や重い病気になったりしたら即座に首を括ってくれるのだろうか。延長線上には単なる無職とか鬱なんかかも含まれるようになると思う
未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安です。永遠に「健常者」でいられる人はとても限られると思います。人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。
“街の中でダウン症の子どもは見かけても、ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安です。”
「植松的な」ものは、障害を持っている人だけの話じゃなくて、いつか必ず老いて生産性がなくなる私たち全員の敵でもあるよなぁと思う。「区別」され、自由意志の名の元に尊厳死を「選ばされる」可能性もある。
普通級に入ると周りが当たり前にできることができなくて自信無くすケースもあるし、ケースバイケースだよね。
なんとも。障害者側からの被害も区別せず罰せられるならいいが「仕方ない」に乗っている以上どこを落とし所にするかは難しいし、区別をなくしても負担が大きいなら自然と忌避されていくだけ。難しいよ。
"人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。誰かに「あなたはできないから社会に不必要」と言ったら、いずれは自分も言われます。分けている場合ではない"
「しっぺ返しが」は同感だが、自分が自己認識も意思疎通も出来ず糞尿を垂れ流すような状況になったら早く死なせて欲しいので、そういう応報なら寧ろ歓迎。程度問題の無い平等主義を徹底する覚悟は自分には無い。
都合の良い差別は「社会に受忍されてる差別」「差別ではない」で都合の悪い差別は「差別」「排外主義」って騒ぎ出すのを目の当たりにしてるからな。誰に都合が悪いんかねぇ。
若干専門的な話になってしまうが「わたし(もしくは誰それ)は障がい者です(もちろん発達障害も含む」という考え方そのものが「人間を効率化し画一化する(一般社会への復帰と参加を目指す」から始まってるので(自業自得
現役世代の手取りが毎年数万ずつ減っていくのが確定してる現状で、俺たちはいつまで善人面出来るかな。20年後とかには俺らも見捨てられるんだろうなぁと50代のおっさんとしては思ってしまう。
この記事を読んでなお「区別」を主張することが、どんな文脈になるか理解していますか。植松の事件後、人に対する無理解な区別が差別につながるとあれだけ警鐘があったのに。嘆息してしまいます。
何を補ってくれる?それ他の人(自分より民度高い、良い教育を受けた人達)にも言われますよって話ではないかなと思います。頂点の人は一体?となりますが、たぶん自己実現の場として補われるのかと。
本筋とは離れるけど、ダウン症と思われる人がスーツ姿で出勤する様子を何度か見たことがある。
小学生ならまだ同級のダウン症児と遊んでくれるかもしれんが、中学以降は無理だし普通学級では良くてお客様にしかならない。「介護役」を押しつけられる生徒がいると悲惨なことになるし、現場は奇麗事じゃない
後期高齢者の公費を切り捨てる社会なら障碍者をお荷物として冷視するのも当然。ALS患者殺害を契機に尊厳死法案を語り、法案を先導すべきれいわ舩後議員が抵抗していると批判する党が野党第一党を狙うほどだったのだ。
例えばIQとか高い人中位の人低い人がいて、山になるように、そういう風にテストを作ってるんやが、高い人が低い人に知的な部分で配慮をすれば良いんだとは思う。難しい言葉とか概念をわかると得やろ?人生とか社会で
我々一般人は何が差別で何が区別なのかなんて、時代に合わせて周りを見て合わせるしかない。正解なんてないのよ。バカが医者になったら困るし。
”街の中でダウン症の子どもは見かけても、ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。”
“街の中でダウン症の子どもは見かけても、ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安です”
“人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます”どこぞの党に言ってあげて。
今の「日本人ファースト」という主張は、容易に「健常者ファースト」「愛国者ファースト」になりえる社会を作る。為政者の都合でいくらでも優先順位を変えられる社会は地獄に一直線