それはそう。国語ができてないと他の主要科目は全滅する。/ただ一方で物語では書いてないことをあれこれ要求された気がするんだがなあ
読み取ったうえで、別に補完することこそが優秀でもあるんだけどな。
「読み取り」に必要なのは多分文字が読めるとか語彙があるとかだけじゃなくて、「他の人は自分と違う考えである」という根本的な理解も必要。自他境界が曖昧だと自分の考えの範疇でしか読み取らないんだろうなと
お子さんのピアノ上手になりはりましたねーと言われたら、想像で補間せず褒められたお礼をしないとダメだぞ
学校の勉強やテストだと必要なことは書いてあるからいいけど、書いてないことを上手に補完できたら便利なことも多いからな。まあそれはエスパーみたいなもんで国語力とはちょっと別か。
ちゃんと訓練された人でも、大人になるとイデオロギーや思い込みが邪魔をする。
そんな簡単なことじゃないんだよね。文をどう読むかという研究のために文学部があるくらいだし
書いていない余計なことをされるのも困るが、書いてあること以外は絶対にやらないのも困るのである
ちゃんと読むにはどうすればってなると音読に勝るものないんよな
書いてあることしか読み取れないような知能レベルの人を刺激しないよう、書いていないところに真のメッセージを忍ばせるといったことが人文系のジェダイたちの間では日常的に行われています
「リンゴが3個あります、2個買ったらいくつになるでしょう?」「最初の3つはどこで買ったん?」←大正解💯
ネット民なんて書いてないこと勝手に読み取って噛み付いてくる奴ばっかだからこの子と一緒に国語の勉強し直した方がいい。この子に偉そうに講釈出来る奴が実際何人いるか。なんなら俺も言えん。
国語で問いがあるととんでもない読み方をしてることがわかるけど、つまり黙読してる風の読書とか大変なことになってるわけだな。
なんか、、、「書いてない文章を勝手に作って読んじゃうのが問題」て話だったのに「書いてないことが読めないのが問題」て話だと解釈してる人がいて怖い。まさに「単語だけ拾って作った文を勝手に読む人」じゃんね
行間を読むのも重要だと思うけどな……。
古文も主語の省略について自覚的になるには結構いい訓練だと思う。同じ文の中で主語が切り替わる難しい文章だと自分で主語を補い続けないと意味がわからなくなる仕組みだから
算数、数学でも同じことがある。拾える数字だけ拾って自分のなんとか出来る形に展開するから矯正がたいへん
国語、ものすごくだいじやけど、「国語の問題」を解くことが国語だと思ってる人が多いことに絶望してる
っつってもごんは死んでるんだけどね
国語教育から小説が減り,論理的な文章の教育が強化された。「行間を読む」ことより,論理的に過不足ない情報を読み取れる,書けるような能力が重視される時代なのだろうな。
「すみません」「えっ、済まないの?」「レジ袋は大丈夫です」「袋、要るの、要らないの?」 そう、書いてないことを補完できたのが最近のAIの強み。国語教育理論は、要は、お受験引っ掛け問題対策テク
これと別に一般論として、例えば文献研究とかで、些細な記述を手掛かりに集めて紡いで仮説構築して検証の過程が重要なのだが、「書いてないのでわかりません!」で済ます層が上の大学の席を埋めると研究の質が下がる
逆に書いてあることだけしか読まないから個人的にはかなり生きづらく感じてきたのだが
国語の問題を解くのが上手くなると契約書を読み込むのが上手くなると思うよ。国語大事だね。
(日記はここで終わっている)
算数の文章題で目に付いた数字を適当に加減乗除してしまうのに通じる
一方ブクマカはタイトルしか読まないし、タイトルに書いてないことを読み取る
話ズレそうだが「的外れな考察」が非常に良くない時あるよなと思う。作者が意図してないことでエモいエモいと盛り上がるその裏にあるのは、作者の意図してないことで怒り出すのと表裏一体というか。
ロボ太 @kaityo256「子供の勉強みてて思うけど、本当に国語って大事なんだなぁ。」https://youtu.be/rDj5Xup95rg?t=939
文章問題なら頭悪いで笑えるけど面と向かっての会話でやられると結構だるい
日本語の特性、特徴として、そういう言語だから、しょうがない。国語力(定義、計測難しい)、個人の能力に依存する言語。行間を正しく読む必要あるが、その正しさは、誰が判断するのか問題。
行間を読むのを全否定?
作者の考えを勝手に妄想している出題者が、いるって話か
正確にいうと活字として存在する手掛かりから論理的に「行間を読む」ことは必要
「透けて見える」って言葉見るたびに思ってる。行間読んでもいいけど事実と妄想は区別する能力はつけて。言ってないことは言ってない。
「行間を読め」「書いてない事を勝手に汲み取るな」、どっちかが難しいという話ではなく、このダブルバインドのどっちを採用するかの文脈判断が難しいのだと思っている。国語のペーパーテストですら明確でない。
答えは文中にあるとわかった途端に得意教科になったな
書いてないことを読み取るなとか、人の気持ちになって考えようとか、色々大変ですね
文に書かれていることと、推察したことを分けて考えるのが大事ってことかな。
LDの息子を育ててると、読解力って、書いてないことや自分の知らないことを、ひょっとしてこうかなと想像する力もとても大切だと思ってる。ただしそれは想像である自覚と、柔軟に訂正できる力も同じくらい必要
「書いてあることを正しく読み取る力」と「書いていないこと(行間)を読み取る力」は別、かつどちらも必要で、使い分けにはスキルが要るという話。
とはいえ、実際の現国の試験問題は「書いてないけど常識的にこうなるだろ」という暗黙知を無意識に要求してるものも多く、「出題者の意図を推測するクイズ」の側面が強い。「プール楽しかった」も別に間違いではない
訓練をつめば、書いてないことを勝手に補完しても大きく間違えないようには書けるのに、なぜその悪文を読ませるのかが国語の謎。
文章を読む事も難しいけど書く事も難しいのよ。世の中の文章の多数は筆者の言いたい事をきちんと表現できてないので、書かれてない事の補完が要求されることもある
理解できない言葉や表現を、自分の手持ちの知識だけで補完して理解した気になることと、文脈や背景から、書き手の意図を汲み取ろうとすることは、想像するという行為は同じでも方向は真逆だよね。
国語が大切だからこそ、ある程度(子供が小学校高学年になるまで)は母語だけで生活させるべきだと思っている。英語の幼稚園なんて、日本語圏で通わせて、将来的に大丈夫か心配になるよ。
必要なのは想像や推測で補った部分を正しく取り扱う作法なんだよ。
人は訓練しなければ「書いてあることだけを読む」「行間を読む」のどちらもできないし、訓練しても「どちらの読み方で得た情報かを区別して取り扱う」ができないままダメな大人になっちゃう例もよくある
あなたはこどもをうまいことそだててください。まあそんな訓練しなくとも日本人の半分くらいは書いてあることを読むことすらおぼつかないので大丈夫ちゃ大丈夫
元気があってよろしおすなあをそのまま受けとるのはコミュ力の低い人なので、推測は必要。1から10まで全部説明必要か?って言われるぞ
「書いてないことを想像で補完しない」ことを一言一句変えないことと認識する人間おるからね。言い換え、要約、抽象化、論理による導出は必要な言語能力。
日本は死ぬほどコンテクスト文化じゃないか。”Can I have a…“まで言わないといけない文化と「ファミチキ一つ」で済む文化。そりゃ切りとりゃ勝手に想像するなだろうが、どんだけ普段説明してないか意識してないよね。
そういうことこそ大事、と考えるのなら公文式の国語やってればいい。文章に書かれた言葉のみ、ただ論理的に読み取る訓練を延々と繰り返す。
あんまり最初の問題提議も理解できなかったんだけど、大人でも文字起こしをやると、3秒前に聞いた文章を正確に書き起こせないから、普段単語ではなく意味だけ記憶していってるのがむしろ普通だと思う。
子どもはそれでいいが、大人は書いてないこと(行間)も読み取れ。
「書いてない事を読まないのが大事」という話題を読んで、それはそうだけど「書いてないことを想像する力」ってのもあるよな〜と思いました。←これは書いてないことを読んじゃってる判定?(←私の独自感想です)
じゃあなんで作者の心情を答えよ(後で作者に聞くと全然違う)とか問題出すんですかぁ!
「ごんぎつね」は物語をまだ読み解けない子どもたち向けのワークなので、初見で読み解けないことにあれこれ言うのはおかしいんじゃないか?
"いま、うわぁ...ってなってる。" そういうとこ
高校英語教師だった知人は「小学校から英語教育?バカ言うな、国語がわからんヤツに英語がわかるか、国語が得意な子は英語もできる」と言ってたし数学者の藤原正彦も「国語が駄目なヤツは数学もできん」と書いてた。
生成AIに言ってやってほしいw
基礎的な読解としてはそうだけど、想像での補完もわりとあるような。
"『今日僕はプールに行きました。疲れました。』男の子はどんな気持ちになりましたか? 子ども「楽しかった(自分はプールに行ったら楽しいから)」 とかあるある ”、質問が悪いように思いますが。
ここまで全員「俺は読解力ある」と思っている人間、俺含めて。
基礎能力としてそうなんだけど「この雨は主人公の悲しみを表現しています」みたいなのもあるのでなー。
原作で書かれてない(言ってない)だけ
その点、自動車教習所の学科はマジでクソ
根本的に、書いてあること>自分の想像、という態度が必要。ヘンな主張をする人は、大体これが逆になっている。
「書いてあることだけを読み取り、書いてないことを想像で補完しない」 ← これができる小学生の先生、ほとんどいないよね。お気持ちで補完しまくってる(´・ω・`)
撮影はご遠慮ください、で撮影してて注意したら禁止されてないとクレーム入れられたことある
“行間を読み取る”ためには、なによりもまず“行”をきちんと読み取れてなきゃいけないのよ。好き勝手に行間を埋めてはいけない。
なるほど、それはそれで訓練のいることなんですね。人間の思考って連想ですからねぇ…
作者の気持ち問題(あの設問は何だったのか)
文章読めてない人を見ると「この時の作者の気持ちを文中の言葉を使って書きなさい」みたいな問題って重要だったと気付くね。(子供の頃はあの手の問題を馬鹿にしてました)
未就学児の場合、子どもにねるねるねるねなどの説明書を与えて、手順通りに作れるかを観察するのも良いよ。
それは「間違い」なんか? 宝くじはどれが当たりかドラマは内容が不快かどうか無理やり口に入れられた料理以外旨いかどうか書いてないから正解するためには経験させられた事だけ繰り返して生きてるんか?
各自がそれぞれ得た知識を使って回答すると全員違う答えになるはずなのに、指定した特定の範囲内だけに絞って回答すべきというのは「何年生だからその漢字はまだ習ってないので不正解」に近い感じがする。
書いてることから行間を【論理的に】読み取る力は時に必要だけど、それをするにはまず書いてあることを正確に読み取らないといけない/余談だけど、chatGPTと話してて楽なのは、書いてあることを尊重するところ。
「問題が聞いてることの答えは文章の中に絶対に書いてある」これを知ったor気づいたのは中学か高校の頃だった。(塾で教わったのではないことだけは確かだ。塾に行ったことはないから。)
小説を読むのと、契約文章を読むのとの違いか。日本語の便利なところでもあり、不便でもあり。単純に長めの文章に接する時間が減ってるというのはあるね。
情報取得、解釈、補完、全部全く違うフェーズなんだよね その区別と選択ができてないんだろうね
“ツイッターにうじゃうじゃいる” ここにもボチボチおるよ。大概シカトしてるけど。
これが更に論理文章読解力が必要とされるマニュアルや契約書とかになると、関連事項の全体を意識した上で、そのうちどこに言及しどこを言及していないのか明確に意識する必要があるので、本当に国語力大事ですよね
あーしらくらいのネット民になると、書いてないどころか、存在しない人間を作り出して批判してますからねぇ!
それって「してはいけない事」を想像で勝手に補完してません?ちゃんと禁則事項に書かれていますか?想像で勝手に「勝手だ」としてません?
問:この時に男が思っていたことは何ですか? 答:ここには書いてません/別の表現で文章内に書いてあっても、「ここに書いてません」と答えられる可能性もある/仕様書も「何が書いてないか」を読み解く能力が必要
これ、言うほど簡単な話じゃなくて、文章ってのはコンテキストがあって初めて意味をなすものだから、行間を読まなきゃならない時もある。寧ろ全く行間を読まない読解はあり得ない。「1+1=2」だって実はそうよ。
小学生の子供の宿題をみていたとき、算数は国語の訓練だなぁと感じたことはある
読解力とかいう以前に、自分の考え・感情と他者の意見を切り分けることができず、自分の感情すら自覚できず、自分は正しいと思うから正しい!としか考えてない人もいるよね。それも言葉が未発達だからかな。
子供の勉強をみてて、本当に国語って大事なんだと思った… 「書いてあることだけを読み取り、書いてないことを想像で補完しない」って、訓練しないとできない
それはそう。国語ができてないと他の主要科目は全滅する。/ただ一方で物語では書いてないことをあれこれ要求された気がするんだがなあ
読み取ったうえで、別に補完することこそが優秀でもあるんだけどな。
「読み取り」に必要なのは多分文字が読めるとか語彙があるとかだけじゃなくて、「他の人は自分と違う考えである」という根本的な理解も必要。自他境界が曖昧だと自分の考えの範疇でしか読み取らないんだろうなと
お子さんのピアノ上手になりはりましたねーと言われたら、想像で補間せず褒められたお礼をしないとダメだぞ
学校の勉強やテストだと必要なことは書いてあるからいいけど、書いてないことを上手に補完できたら便利なことも多いからな。まあそれはエスパーみたいなもんで国語力とはちょっと別か。
ちゃんと訓練された人でも、大人になるとイデオロギーや思い込みが邪魔をする。
そんな簡単なことじゃないんだよね。文をどう読むかという研究のために文学部があるくらいだし
書いていない余計なことをされるのも困るが、書いてあること以外は絶対にやらないのも困るのである
ちゃんと読むにはどうすればってなると音読に勝るものないんよな
書いてあることしか読み取れないような知能レベルの人を刺激しないよう、書いていないところに真のメッセージを忍ばせるといったことが人文系のジェダイたちの間では日常的に行われています
「リンゴが3個あります、2個買ったらいくつになるでしょう?」「最初の3つはどこで買ったん?」←大正解💯
ネット民なんて書いてないこと勝手に読み取って噛み付いてくる奴ばっかだからこの子と一緒に国語の勉強し直した方がいい。この子に偉そうに講釈出来る奴が実際何人いるか。なんなら俺も言えん。
国語で問いがあるととんでもない読み方をしてることがわかるけど、つまり黙読してる風の読書とか大変なことになってるわけだな。
なんか、、、「書いてない文章を勝手に作って読んじゃうのが問題」て話だったのに「書いてないことが読めないのが問題」て話だと解釈してる人がいて怖い。まさに「単語だけ拾って作った文を勝手に読む人」じゃんね
行間を読むのも重要だと思うけどな……。
古文も主語の省略について自覚的になるには結構いい訓練だと思う。同じ文の中で主語が切り替わる難しい文章だと自分で主語を補い続けないと意味がわからなくなる仕組みだから
算数、数学でも同じことがある。拾える数字だけ拾って自分のなんとか出来る形に展開するから矯正がたいへん
国語、ものすごくだいじやけど、「国語の問題」を解くことが国語だと思ってる人が多いことに絶望してる
っつってもごんは死んでるんだけどね
国語教育から小説が減り,論理的な文章の教育が強化された。「行間を読む」ことより,論理的に過不足ない情報を読み取れる,書けるような能力が重視される時代なのだろうな。
「すみません」「えっ、済まないの?」「レジ袋は大丈夫です」「袋、要るの、要らないの?」 そう、書いてないことを補完できたのが最近のAIの強み。国語教育理論は、要は、お受験引っ掛け問題対策テク
これと別に一般論として、例えば文献研究とかで、些細な記述を手掛かりに集めて紡いで仮説構築して検証の過程が重要なのだが、「書いてないのでわかりません!」で済ます層が上の大学の席を埋めると研究の質が下がる
逆に書いてあることだけしか読まないから個人的にはかなり生きづらく感じてきたのだが
国語の問題を解くのが上手くなると契約書を読み込むのが上手くなると思うよ。国語大事だね。
(日記はここで終わっている)
算数の文章題で目に付いた数字を適当に加減乗除してしまうのに通じる
一方ブクマカはタイトルしか読まないし、タイトルに書いてないことを読み取る
話ズレそうだが「的外れな考察」が非常に良くない時あるよなと思う。作者が意図してないことでエモいエモいと盛り上がるその裏にあるのは、作者の意図してないことで怒り出すのと表裏一体というか。
ロボ太 @kaityo256「子供の勉強みてて思うけど、本当に国語って大事なんだなぁ。」https://youtu.be/rDj5Xup95rg?t=939
文章問題なら頭悪いで笑えるけど面と向かっての会話でやられると結構だるい
日本語の特性、特徴として、そういう言語だから、しょうがない。国語力(定義、計測難しい)、個人の能力に依存する言語。行間を正しく読む必要あるが、その正しさは、誰が判断するのか問題。
行間を読むのを全否定?
作者の考えを勝手に妄想している出題者が、いるって話か
正確にいうと活字として存在する手掛かりから論理的に「行間を読む」ことは必要
「透けて見える」って言葉見るたびに思ってる。行間読んでもいいけど事実と妄想は区別する能力はつけて。言ってないことは言ってない。
「行間を読め」「書いてない事を勝手に汲み取るな」、どっちかが難しいという話ではなく、このダブルバインドのどっちを採用するかの文脈判断が難しいのだと思っている。国語のペーパーテストですら明確でない。
答えは文中にあるとわかった途端に得意教科になったな
書いてないことを読み取るなとか、人の気持ちになって考えようとか、色々大変ですね
文に書かれていることと、推察したことを分けて考えるのが大事ってことかな。
LDの息子を育ててると、読解力って、書いてないことや自分の知らないことを、ひょっとしてこうかなと想像する力もとても大切だと思ってる。ただしそれは想像である自覚と、柔軟に訂正できる力も同じくらい必要
「書いてあることを正しく読み取る力」と「書いていないこと(行間)を読み取る力」は別、かつどちらも必要で、使い分けにはスキルが要るという話。
とはいえ、実際の現国の試験問題は「書いてないけど常識的にこうなるだろ」という暗黙知を無意識に要求してるものも多く、「出題者の意図を推測するクイズ」の側面が強い。「プール楽しかった」も別に間違いではない
訓練をつめば、書いてないことを勝手に補完しても大きく間違えないようには書けるのに、なぜその悪文を読ませるのかが国語の謎。
文章を読む事も難しいけど書く事も難しいのよ。世の中の文章の多数は筆者の言いたい事をきちんと表現できてないので、書かれてない事の補完が要求されることもある
理解できない言葉や表現を、自分の手持ちの知識だけで補完して理解した気になることと、文脈や背景から、書き手の意図を汲み取ろうとすることは、想像するという行為は同じでも方向は真逆だよね。
国語が大切だからこそ、ある程度(子供が小学校高学年になるまで)は母語だけで生活させるべきだと思っている。英語の幼稚園なんて、日本語圏で通わせて、将来的に大丈夫か心配になるよ。
必要なのは想像や推測で補った部分を正しく取り扱う作法なんだよ。
人は訓練しなければ「書いてあることだけを読む」「行間を読む」のどちらもできないし、訓練しても「どちらの読み方で得た情報かを区別して取り扱う」ができないままダメな大人になっちゃう例もよくある
あなたはこどもをうまいことそだててください。まあそんな訓練しなくとも日本人の半分くらいは書いてあることを読むことすらおぼつかないので大丈夫ちゃ大丈夫
元気があってよろしおすなあをそのまま受けとるのはコミュ力の低い人なので、推測は必要。1から10まで全部説明必要か?って言われるぞ
「書いてないことを想像で補完しない」ことを一言一句変えないことと認識する人間おるからね。言い換え、要約、抽象化、論理による導出は必要な言語能力。
日本は死ぬほどコンテクスト文化じゃないか。”Can I have a…“まで言わないといけない文化と「ファミチキ一つ」で済む文化。そりゃ切りとりゃ勝手に想像するなだろうが、どんだけ普段説明してないか意識してないよね。
そういうことこそ大事、と考えるのなら公文式の国語やってればいい。文章に書かれた言葉のみ、ただ論理的に読み取る訓練を延々と繰り返す。
あんまり最初の問題提議も理解できなかったんだけど、大人でも文字起こしをやると、3秒前に聞いた文章を正確に書き起こせないから、普段単語ではなく意味だけ記憶していってるのがむしろ普通だと思う。
子どもはそれでいいが、大人は書いてないこと(行間)も読み取れ。
「書いてない事を読まないのが大事」という話題を読んで、それはそうだけど「書いてないことを想像する力」ってのもあるよな〜と思いました。←これは書いてないことを読んじゃってる判定?(←私の独自感想です)
じゃあなんで作者の心情を答えよ(後で作者に聞くと全然違う)とか問題出すんですかぁ!
「ごんぎつね」は物語をまだ読み解けない子どもたち向けのワークなので、初見で読み解けないことにあれこれ言うのはおかしいんじゃないか?
"いま、うわぁ...ってなってる。" そういうとこ
高校英語教師だった知人は「小学校から英語教育?バカ言うな、国語がわからんヤツに英語がわかるか、国語が得意な子は英語もできる」と言ってたし数学者の藤原正彦も「国語が駄目なヤツは数学もできん」と書いてた。
生成AIに言ってやってほしいw
基礎的な読解としてはそうだけど、想像での補完もわりとあるような。
"『今日僕はプールに行きました。疲れました。』男の子はどんな気持ちになりましたか? 子ども「楽しかった(自分はプールに行ったら楽しいから)」 とかあるある ”、質問が悪いように思いますが。
ここまで全員「俺は読解力ある」と思っている人間、俺含めて。
基礎能力としてそうなんだけど「この雨は主人公の悲しみを表現しています」みたいなのもあるのでなー。
原作で書かれてない(言ってない)だけ
その点、自動車教習所の学科はマジでクソ
根本的に、書いてあること>自分の想像、という態度が必要。ヘンな主張をする人は、大体これが逆になっている。
「書いてあることだけを読み取り、書いてないことを想像で補完しない」 ← これができる小学生の先生、ほとんどいないよね。お気持ちで補完しまくってる(´・ω・`)
撮影はご遠慮ください、で撮影してて注意したら禁止されてないとクレーム入れられたことある
“行間を読み取る”ためには、なによりもまず“行”をきちんと読み取れてなきゃいけないのよ。好き勝手に行間を埋めてはいけない。
なるほど、それはそれで訓練のいることなんですね。人間の思考って連想ですからねぇ…
作者の気持ち問題(あの設問は何だったのか)
文章読めてない人を見ると「この時の作者の気持ちを文中の言葉を使って書きなさい」みたいな問題って重要だったと気付くね。(子供の頃はあの手の問題を馬鹿にしてました)
未就学児の場合、子どもにねるねるねるねなどの説明書を与えて、手順通りに作れるかを観察するのも良いよ。
それは「間違い」なんか? 宝くじはどれが当たりかドラマは内容が不快かどうか無理やり口に入れられた料理以外旨いかどうか書いてないから正解するためには経験させられた事だけ繰り返して生きてるんか?
各自がそれぞれ得た知識を使って回答すると全員違う答えになるはずなのに、指定した特定の範囲内だけに絞って回答すべきというのは「何年生だからその漢字はまだ習ってないので不正解」に近い感じがする。
書いてることから行間を【論理的に】読み取る力は時に必要だけど、それをするにはまず書いてあることを正確に読み取らないといけない/余談だけど、chatGPTと話してて楽なのは、書いてあることを尊重するところ。
「問題が聞いてることの答えは文章の中に絶対に書いてある」これを知ったor気づいたのは中学か高校の頃だった。(塾で教わったのではないことだけは確かだ。塾に行ったことはないから。)
小説を読むのと、契約文章を読むのとの違いか。日本語の便利なところでもあり、不便でもあり。単純に長めの文章に接する時間が減ってるというのはあるね。
情報取得、解釈、補完、全部全く違うフェーズなんだよね その区別と選択ができてないんだろうね
“ツイッターにうじゃうじゃいる” ここにもボチボチおるよ。大概シカトしてるけど。
これが更に論理文章読解力が必要とされるマニュアルや契約書とかになると、関連事項の全体を意識した上で、そのうちどこに言及しどこを言及していないのか明確に意識する必要があるので、本当に国語力大事ですよね
あーしらくらいのネット民になると、書いてないどころか、存在しない人間を作り出して批判してますからねぇ!
それって「してはいけない事」を想像で勝手に補完してません?ちゃんと禁則事項に書かれていますか?想像で勝手に「勝手だ」としてません?
問:この時に男が思っていたことは何ですか? 答:ここには書いてません/別の表現で文章内に書いてあっても、「ここに書いてません」と答えられる可能性もある/仕様書も「何が書いてないか」を読み解く能力が必要
これ、言うほど簡単な話じゃなくて、文章ってのはコンテキストがあって初めて意味をなすものだから、行間を読まなきゃならない時もある。寧ろ全く行間を読まない読解はあり得ない。「1+1=2」だって実はそうよ。
小学生の子供の宿題をみていたとき、算数は国語の訓練だなぁと感じたことはある
読解力とかいう以前に、自分の考え・感情と他者の意見を切り分けることができず、自分の感情すら自覚できず、自分は正しいと思うから正しい!としか考えてない人もいるよね。それも言葉が未発達だからかな。