それの最たる例が平安神宮ですよね
奈良なら! 奈良なら!
そもそも頻繁に燃えてるからなあ、京都の街。
(古い物だからと触れさせず朽ちるままにまかせているより、直していって身近になった方がいい、って感じることもある)
京都の都心部は戦や火事で何回も燃えてるので、ガチの平安時代の建物は宇治の平等院鳳凰堂とか醍醐寺の五重塔とか、ちょっと街外れに残っている
これは良記事
「たかが明治以降の伝統」とプチ流行したロジックって実は汎用性ある(別に明治じゃなくても使える)ので好き。これ系の話だと慶応年間の創業でも「江戸の伝統を守る老舗」的なロンダリング?もあるな。
昨日は国際会館、今日は名所あちこち。普段見ている景色に情報が上乗せされるとより楽しい
京都に焼夷弾ばらまかれなかったのは戦後統治を見据えて過剰な反感持たれないようにするため的な説本当なのかな。まあ日本はそれでなくとも火がよく出るけど
数日前に読んだ「新九郎、奔る」最新巻で、竜安寺の庭に「※イメージ重視のために現在見られる石庭を参考に作画しました」とあった!!/アニメ「一休さん」で、わざわざ「いまの金閣寺」としてたのも当時と違うから?
アサクリシャドウズ、伏見稲荷は無くて何かあったんかなぁとぼんやり。マップサイズ都合な気がするけど。
知人のばあちゃんとか、平安神宮のとこに昔の家があって、戦前のうちに立退になったんよとか言ってたことがある。あのへんはお寺さんと、お寺関係の人の家が集まってたはずたしか
おもしろい。京都は秀吉の影響めちゃくちゃ受けてるのを如実に感じるよね。
国家神道が生まれたからテコ入れされてそうな宗派の史跡はそりゃ明治以降に再開発されてる。中高生レベルの歴史の知識があればわかりそうだけど。
“余談だが、 筆者が京都市内の大学に通っていたころ、「仏の冷泉」と呼ばれている先生がいた。(中略)必ず単位をくれるという噂があったからなのだが……。 今調べたらこの先生は冷泉家の第25代当主だった……! ”
面白かった
おもしろい。廃仏毀釈が近代化のとっかかりみたいな把握は初めて見たかも/木造建築物は落雷・火災で焼失・再建を繰り返すのも珍しくないけど、先日行った岩木山神社は噴火で焼失もあってビビったなぁ。
古さにはロマンがあるね
まあ、浅草寺も増上寺も概ね戦後に再建した鉄筋コンクリートだし、小江戸川越は明治の大火のあとの再建だし、そんなんに比べりゃ京都はやっぱり古いもんが残ってるわな。
ここ200年、京都じゃ新参もいいトコなのは本当
やはり時代は古墳…
盆栽とか庭園の植木なんかの剪定も明治江戸戦国室町、全然違うからねえ、数百年の銘木でも全く違う形だったりする、「蛸づくり」の流行は明治末からで江戸時代の方が「自然な形」
その点土木工事はずっと残ります! 4世紀頃の仁徳天皇の難波堀江(今の大阪城の北側を掘って、当時は湖だった大阪平野の水を抜き人が住めるようにした)とか。関東の利根川東遷、大阪の大和川付替も半端ないですね。
京都のほんとは楽しいよ。みんなも梅林さんの本を読もう!https://amzn.asia/d/873RaRX https://amzn.asia/d/gea4a75
在原業平が彼女と桂川行った時も隣のカップルと等間隔で並んでたってエピは嘘だったの?
青もみじのリフレクションで有名になった瑠璃光院とかがこれに続くのかな。
『奈良にだって負けないぞ』 なぜそこでケンカをふっかけるかな…(笑)。
火事と戦が滅茶苦茶多いからね。料亭も東京が大空襲にあって移ってきた人の影響が結構あるとか。名前が出てるが、だからこそ管理を手放したり火事で屋敷が無くなったりした冷泉家の資料が残ってるのが凄いという話。
江戸時代中頃の大火事で有名寺院含めてほとんど燃え尽くしてるからな
日本文化なんて大体そう。
古いようでじつは大して古くないの代表格は明治時代にできた平安神宮。あと楠木正成関連の神社も大部分は明治期以降、幕末期に水戸学とか尊王攘夷の人たちが明治天皇を後醍醐天皇の再来に見立てて持ち上げたから
老舗という語句をみて創業〇〇周年とうたっているから、へぇ〜すごいんだなぁと思っても、よくよく計算してみると太平洋戦争後の設立だったりする。そういう時間認識の誤差ってのもあるよね? (俺が歳とったせい?)
池や庭なんかにある大きな石は、わざわざ運ぶのは大変だから作り替えてもずっと残っていたりする。おかげで年代が分かりにくくなる。
俺たちは雰囲気でやっている
古いものしか無ければそれは廃墟。千年の都だからこそ、古いものと新しいものが混在する
京都の名所、古そうな顔して意外と新しいんじゃないか? 千本鳥居の本格化は明治以降、祇園の花街の風景は戦時中に変わってる
それの最たる例が平安神宮ですよね
奈良なら! 奈良なら!
そもそも頻繁に燃えてるからなあ、京都の街。
(古い物だからと触れさせず朽ちるままにまかせているより、直していって身近になった方がいい、って感じることもある)
京都の都心部は戦や火事で何回も燃えてるので、ガチの平安時代の建物は宇治の平等院鳳凰堂とか醍醐寺の五重塔とか、ちょっと街外れに残っている
これは良記事
「たかが明治以降の伝統」とプチ流行したロジックって実は汎用性ある(別に明治じゃなくても使える)ので好き。これ系の話だと慶応年間の創業でも「江戸の伝統を守る老舗」的なロンダリング?もあるな。
昨日は国際会館、今日は名所あちこち。普段見ている景色に情報が上乗せされるとより楽しい
京都に焼夷弾ばらまかれなかったのは戦後統治を見据えて過剰な反感持たれないようにするため的な説本当なのかな。まあ日本はそれでなくとも火がよく出るけど
数日前に読んだ「新九郎、奔る」最新巻で、竜安寺の庭に「※イメージ重視のために現在見られる石庭を参考に作画しました」とあった!!/アニメ「一休さん」で、わざわざ「いまの金閣寺」としてたのも当時と違うから?
アサクリシャドウズ、伏見稲荷は無くて何かあったんかなぁとぼんやり。マップサイズ都合な気がするけど。
知人のばあちゃんとか、平安神宮のとこに昔の家があって、戦前のうちに立退になったんよとか言ってたことがある。あのへんはお寺さんと、お寺関係の人の家が集まってたはずたしか
おもしろい。京都は秀吉の影響めちゃくちゃ受けてるのを如実に感じるよね。
国家神道が生まれたからテコ入れされてそうな宗派の史跡はそりゃ明治以降に再開発されてる。中高生レベルの歴史の知識があればわかりそうだけど。
“余談だが、 筆者が京都市内の大学に通っていたころ、「仏の冷泉」と呼ばれている先生がいた。(中略)必ず単位をくれるという噂があったからなのだが……。 今調べたらこの先生は冷泉家の第25代当主だった……! ”
面白かった
おもしろい。廃仏毀釈が近代化のとっかかりみたいな把握は初めて見たかも/木造建築物は落雷・火災で焼失・再建を繰り返すのも珍しくないけど、先日行った岩木山神社は噴火で焼失もあってビビったなぁ。
古さにはロマンがあるね
まあ、浅草寺も増上寺も概ね戦後に再建した鉄筋コンクリートだし、小江戸川越は明治の大火のあとの再建だし、そんなんに比べりゃ京都はやっぱり古いもんが残ってるわな。
ここ200年、京都じゃ新参もいいトコなのは本当
やはり時代は古墳…
盆栽とか庭園の植木なんかの剪定も明治江戸戦国室町、全然違うからねえ、数百年の銘木でも全く違う形だったりする、「蛸づくり」の流行は明治末からで江戸時代の方が「自然な形」
その点土木工事はずっと残ります! 4世紀頃の仁徳天皇の難波堀江(今の大阪城の北側を掘って、当時は湖だった大阪平野の水を抜き人が住めるようにした)とか。関東の利根川東遷、大阪の大和川付替も半端ないですね。
京都のほんとは楽しいよ。みんなも梅林さんの本を読もう!https://amzn.asia/d/873RaRX https://amzn.asia/d/gea4a75
在原業平が彼女と桂川行った時も隣のカップルと等間隔で並んでたってエピは嘘だったの?
青もみじのリフレクションで有名になった瑠璃光院とかがこれに続くのかな。
『奈良にだって負けないぞ』 なぜそこでケンカをふっかけるかな…(笑)。
火事と戦が滅茶苦茶多いからね。料亭も東京が大空襲にあって移ってきた人の影響が結構あるとか。名前が出てるが、だからこそ管理を手放したり火事で屋敷が無くなったりした冷泉家の資料が残ってるのが凄いという話。
江戸時代中頃の大火事で有名寺院含めてほとんど燃え尽くしてるからな
日本文化なんて大体そう。
古いようでじつは大して古くないの代表格は明治時代にできた平安神宮。あと楠木正成関連の神社も大部分は明治期以降、幕末期に水戸学とか尊王攘夷の人たちが明治天皇を後醍醐天皇の再来に見立てて持ち上げたから
老舗という語句をみて創業〇〇周年とうたっているから、へぇ〜すごいんだなぁと思っても、よくよく計算してみると太平洋戦争後の設立だったりする。そういう時間認識の誤差ってのもあるよね? (俺が歳とったせい?)
池や庭なんかにある大きな石は、わざわざ運ぶのは大変だから作り替えてもずっと残っていたりする。おかげで年代が分かりにくくなる。
俺たちは雰囲気でやっている
古いものしか無ければそれは廃墟。千年の都だからこそ、古いものと新しいものが混在する