『少数の児童の論理的正当性よりも多数の児童の感情を守った方が学級秩序を維持出来るから』『教師は多数の児童の感情を逆撫でしたとき怒りの矛先が己に向くのが恐いのだ』
反知性主義を醸成するのが学校と企業というのが笑えるよね(´・_・`)日本だけでなく世界共通。しかも科学教育が進んでいる国だからと言って、それが否定される訳ではない
こういう話よく挙がるけど、アホ教師が別に世の中のスタンダードではないんよな。そういう経験してない人の方が多いのでは
まあ、POST主の話を支持するんだけど『ファミコンは一日一時間まで!』『僕はSEGA MARK IIIです』『このクラスでは、SEGAもPCエンジンもファミコンと呼びます!』って話の可能性は微粒子レベルで存在。
多数決ではないが「ふんいき」(自分一人)と「ふいんき」(他多数)で小3のときディベートさせられた/それでも気をつけなければいけないのは少数派は選民思想に陥ってはいけないということだったり
言いたいことはわかるけど例示されてるケースだとその正しさをうまく説明できないのも原因ではある。
昔の話だからしゃーない。発達障がいだって今でこそ国民病、社会問題化で皆して取り組んでるけど20年位前までは全然やで。養護学級とかに隔離されてたからな。キチガイ扱いで。あれは酷かったな。
自分も小4の時の教師に似たようなことをやられたけど、「教師もただの完璧ではない人間に過ぎない」と早い時点で知ることができたのは良かった。
こういうの含めて学校は社会の縮図なんかな。嫌な社会やなぁ。
『少数の児童の論理的正当性よりも多数の児童の感情を守った方が学級秩序を維持出来るから』→ヘイトスピーチもそう。理屈は共産党が言う「ヘイトスピーチ、ダメ絶対」が正しいが、参政党は多数の有権者感情を優先
自分で上手く説明できないなら図鑑や本を見せて「ここに書かれてる」と言えば権威に弱い小学生は折れる。きちんと説明できてるのに多数が納得してくれないなら、周囲に嫌われてる可能性がある。
最悪の体験。どうすると良いだろうか?対立が問題なら、自分で調べてねかなあ?正解を決めることが問題なのでは?
当該の人のプロフ見るとちょっと危うい感じはなきにしもあらず/知識を使うためには、嫌な言い方だが世間の正常範囲内に収まるコミュニケーションスキルも実は割と大事ではあり。先生もそれ教えないとなぁ
『それでも気をつけなければ行けないのは少数派は選民思想に陥ってはいけない』既に民主主義は死んだ。少数の優れた指導者が蒙昧な連中を善導することが国にとっても社会にとっても望ましいのは明らか。
小学校の多数決民主主義怖いよな
今だとアメザリは特定外来生物なので問題になるな
実際にこれと似たようなことは大人になってからも起きるしね。愚痴とかに正論で反論すると角が立つ、といった理屈に合わないシチュエーションもしばしば。空気を読む、とかも子供の時は理不尽に感じてたものだ
あるある。子供の頃、信用できる大人ばかりじゃないと早々に学んだ。大人になってみたら信用できない大人ばかりだったよ。自分を信じて学ぶしかない。
正論が必ずしも通用するとは限らないということが学べた良い経験だったのでは
多数決の罠、科学という名の正義が時に敗北することもあるのですわね。
「少数派は選民思想に陥ってはいけない」→「あいつらは選民思想に陥って俺たちを見捨てた」がリベラル攻撃の手段として利用され誕生したのがトランプアメリカの惨状である事は留意したい。
議論に置いて多数決は勝ち負けではない
「みんなのお気持ち」よりも科学的根拠を
合理的な議論を経ず、少数意見への配慮も欠いた投票は、「多数決」ではなくてただの「数の暴力」。数に物を言わせて無理を押し通すことを「民主主義」だと誤解している人は本当に多い。
多数を納得(説得)するより、1人(少数)の意見を消す方が早いからな。教師が説明しても多数が「不満」を抱くより「好かれたい」なんて気持ち何だろうな。
勝ち負けと真偽は関係ないってことを教えてもらった
大人になっても「お気持ちで何が悪い」とか言うやついるしな
それが今のアメリカ
算数の授業中に先生が解説した論理問題を、もっと最適化した方法ありますよと説明したところ、みんなの前で「こいつ凄いぞ」的に立ててくれた。あの先生のおかげで今の自分がいるのかもしれない。
多数決は多数意見を決めるものであって、事実を変えるものではないよな。/その多数決で生まれたのがトランプ大統領だが。/ウサギの数え方で「昔の人かよ」ってのは歴史を分かった上で言ってると思うぞ。
みんなは信頼できる大人になれたかな???
小学校教師とか大概がズブの素人だもんなしょうがねえよ
これ、教員や学校にとっては円滑な学級、学校運営が一番大事で、誰かがいじめられててもそれで学級が表面上円滑に運営されるなら無視するのと一緒なのよね。一人一人の児童はそれほど大事に思ってないのよ。
「負け」であって「間違い」ではないんでないの? つまり「正しかろうがなんだろうが、いったんその主張をするのを差し控えろ」ということ。あとは「仮に多数決で勝ってたらあんた納得してたの?」という話でもある
(アレげな担任でも学級崩壊するとヒエラルキー最下位が泣きをみる。)▲この件はマイノリティorマジョリティという問題でなく、科学的根拠あるかないかと問題デハ
マイノリティの尊重を教えない教師は退職しろよ「明らかに間違ってることを多数決で決められその後, 全員参加で不服ながら嫌々やらされ」「多数決だからと明らかに間違ってることを通そうとする人」
観測できる事実と科学的根拠の間にも乖離がある。多数決の多数派が必ずしも正しいか?という問いと科学的根拠の絶対性は分けて考えた方がいい。科学的根拠も観測事実を現時点で適切に説明できるロジックでしかない
高校生の半数は科学(理科)をわかってないしアメリカの若者の15%は地動説に確信ないしブラジルの7%はフラットアーサー
サイエンスコミュニケーターが必要な理由でもある
先生は言い合いじゃなくて味方を増やすコミュニケーション手法を身につけるよう提言してくれたのかもしれない。知識を披露じゃなく一緒に観察するとか
それが多数決だからなぁ。正しいかどうかじゃなくて大多数が納得できるかどうか。
教師にとって大事なのは科学的な正しさじゃなくて自分の評価だからな。
学校ヒエラルキー低いと事実としても倫理的にも道徳的にも正しい(約束は守ろうレベル)ことを主張してるのに覆されることよくある。民主主義は欠陥なので早く別の統治方法を発明してほしい(AI統治とか)
コロナの頃に「先生は科学をやっておられますが、我々は政治をしているのです」と霞ヶ関で言われたとかが記事になってたので、多分今でも科学よりも政治だし、日本人もマスクしてる人なんて今では少数派だろ?
道徳の教科書にZ項の話とかあったのに。
小学生の頃の事いつまで根に持ってんだよ…その教師は大人としてどうかとは思うけどお前らも大人気ないよ…
そりゃ科学は社会では役に立たないと答える子が増えるわけだよ。
今どき大人の社会もそんな感じ。
小学生には難しいが、大人になったいま、一歩踏み込んで「どうしたら彼らに伝わっただろうか」と考えてみたい。平均層を腐すばかりでは「彼らに伝えるのがうまい」非科学的論者の台頭を許してしまう
プロフ見て、何かと理不尽な目に遭う方だなあという印象。
根拠がある事をちゃんと伝えられていたかによるが「にも関わらず多数決で負けにする」のは教師側に事の正否より日頃の言動など周囲への接し方の問題で灸をすえる目的があるのかも。嫌悪感あるやり口だが
こういう正解が決まってる言い合いで、正しい側が折れて負けるシステムが意味不明すぎる
基本的に現代の裁判も同じ。判決的には「科学的には正しいかもしれないけど、あなたのやったことや言い方が悪い」みたいな判決になる。結局あそこは人の争いを止めるところであって科学とかどうでもいい
ソ連と現代日本は同じだ。ルイセンコか。国が発展しない訳だ。私は民主主義も社会主義もその他これまでの主義は全てゴミなので反対だ。現代の民主主義も崩壊しつつある。AIによる政治への移行が必要となる
この手の理不尽経験ツイートを見たらツイ主のプロフを見る癖がついてしまった…理不尽な目に遭う人のたぶん半分くらいは遭うべくして遭ってる
先生の学力が自分より下であることを認識した上でつかず離れずの距離で付き合う頭いい子とそれができない頭いい子がいるのよね。先生側の自分よりできる子の扱いも然り。「義務教育教師は文系出、詰めてはいけない」
どっちが陰謀論者に取り込まれやすいかと考えると、どっちもだろうな。こんな経験を子供にさせてはいけない/チ。が出てくるのはどんな文脈ですかねー
科学的事実に対して多数決を適用するアホはともかくとして、担任の裁定という権威主義的解決を期待していたようにも見えるのは微妙
自分も経験がある。でも、面倒なのと、自分の知識が違う可能性も考えて意見を引っ込めた。/思ったけど公衆衛生の他に理科の分野の事も多いね。高校生の5割弱が「社会に出たら理科は不要」とか言ってるくらいだし。
俺はディスカッションの授業で似たようなことになったけど、最後に担任が正しいのは俺の方だと説明したのでまだマシだった。ただし、「説得できないお前の未熟さが悪い」みたいなことは言われた。小学生に無茶言うな
ファクトを突き付けても認知的不協和を起こすから、相手が振り上げた拳の落としどころを見つけてあげるのもセットで考えられると良かったんだけどね。(小学生だししゃーない)
正しくても受け入れられない事もある当時のインフラや情勢を無視し法治を入れてすぐ滅んだ始皇帝みたく、学校では最後に先生が結論だすから議論が茶番になりやすい。感染症対策みたく科学と人権がぶつかる時もあるし
先生を好意的に解釈すれば、「間違い」ではなく「負け」と言ってるなら、科学の歴史の悲哀を言いたかったのかも。
自分のスペシャルな分野が多数決的に否定されることなんて生きてれば山ほどあるけど子供時代のは後々まで残るからなあ。ただ「科学は別格ってホントに思ってる?」も「それも科学に入れちゃう?」もあるんだけどな。
環境調査の仕事で、そこにいないはずの絶滅危惧種がそこにいることがわかってお上の意向でひっそりと握りつぶしたことならある。
小学生くらいだと普段から頭いい風になってれば誰々が言ってるから間違いないになりそうな気がするので、生物以外の分野でかなり頓珍漢な応答が多かった可能性があるな。
本多平直元議員を辞職に追い込んだ立憲民主党みたいな話ですね。https://bunshun.jp/articles/-/54027 ちなみに中間報告案には捏造まで含まれていた模様。しかも"あの"島岡まなが絡んでいた、と。
正しいことを言えばみんな認めてくれるはずとか、良いものを作れば売れるはずというのは独りよがりな考えで、認められず売れないのは他の何かが足りていないから。相手を変えられないなら自分が変わるしか無い。
それ「科学的根拠」じゃなくて「今それを指摘してなんの意味があるの?」って言われてるだけだよ。瑣末なことを延々と話し続けててうんざりされたのでは?
世の中には正しさより価値があることがたくさんある。とは言えこの場合は「みんなで図鑑で調べてみよう」で学習の機会にすることもできたはずなので、教師が無能すぎる。
多数決の理不尽を学ぶ場だから…今でもそれに気付ていないならやばい
幼稚園のとき木の杭から生えていた赤いサルノコシカケを「キノコだ」と言ったら、周りの園児全員から「キノコはこんな形してないし、どう見ても火が凍ったモノじゃん!」とバカにされまくったの今でも覚えてる。
ネトウヨも善悪・良悪でなく、多数だから正しいと言い張る。善悪・良悪を判断する知性・理性・良心がないだけかもしれないが。判断しつつ悪を楽しむ屑も多い。
小学校は動物園。
あまり関係ないけど、晴れた時に雨は降らないという問題で天気雨のことを聞いたら、そんな事は考えてはいけませんと怒られたことならある。
ガリレオと仲良くなれそう
これは後で個人的にフォローすればよく、その場をいったん落ち着かせるための発言としては問題ないと思う。フォローしなかったからこうやって恨まれてるわけだけど
こういう闇落ちさかなクンさんみたいな人はてなにもいっぱいいそう
例え自分が正しいとしても、周りと揉めるくらいなら内心に止めておけば良いという集団生活を円滑にするための学びのひとつなんだけど、子供からすればこの先生の態度は悲しいよな…
大人になっても普通にある。例えば広告デザインなんかで肝心な内容が伝わりづらいのに見た目の良さだけで多数決が取られる瞬間とか。なのでそういうものが会議に上がる前に専門チームが候補から外しておくことが必要
令和の小学生「AIに判定してもらおうぜ」
フラットアーサー?笑
最近、人権に関する裁判所判決を「多数の国民が支持している政策を裁判所の判事が否定するのはおかしい」と主張するのを見ることが増えた。ただ、やっぱり対話は大事。それが当然だと分かってもらう努力は必要
みんな、多い方に流れるだけで真剣に考えてなんかいない(国語だったが、似た経験ある)
さすがに先生がやっちゃダメだろ
「カモノハシは哺乳類だが卵生」の主張に級友とともに疑問符を浮かべつつ保留にして、調べてから級友の前で「正しかった」と言ってくれた先生の科学的に正しい態度を尊敬している。
バイトテロなんかより、よっぽど悪質なので、もしこのやり取りの動画がSNSにアップされたらめちゃくちゃ叩かれるだろうなこの教師。/結局悪いことしてるかどうかではなく、可視化されるかどうかで罪が決まる。
そもそも”多数決で負け”っていう言い方がちょっと微妙な感じするかも。
小学生の頃、似たような事や、あと授業で間違い(北極星は1等星)を教えてて、テストに教科書通り書いたら不正解にされたこともありましたね… 幼いうちに大人は全知全能ではないとはっきり理解出来て良かったです
変人極まる逆張り人生なので、この手のことはたくさんあった気がするんだが、忘れてしまった。こまケェことは気にせず、先に行こうよ
小学校の先生で理数系に強い人というのは少なかった記憶がある。小学校の先生一人に負わせるものが多すぎるということもあるので。/ツイ主のプロフやらを見て、この体験が今に至るトリガーならば悲しいことだ
民主主義とは多数決ではない、という話よな。
「中村は生き物詳しいけど大衆は愚鈍なのよ。だから反日自民党を支持している訳。お前の住んでいるこの日本の国民はバカで、もうすぐ滅ぶよ。早く中村は日本脱出した方がいいけど、それまでは愚鈍な大衆に合わせな」
戦争のデメリットを学ぶ授業で「動物がたくさん死ぬ」と発言したら「まずは人間でしょ」みたいに言われて間違いにされたわね。あの先生はそういうの多かった…まあ大人は信用できないという学び
科学の敗北...
会社でも同じだよ。どれだけ良いことを言っていても社内ヒエラルキーが低いと採用されない
小中学生の勉強できる子には、人格が備わっていなくて、正しくてもムカつく言い方しかできないタイプも少なくないので、それが許容されにくいということもある
子供の頃、あばれはっちゃくの主題歌を同級生たちは「あばれはっちゃく鼻づまり」と歌唱。「鼻つまみでは」と指摘したら「あばれはっちゃくはいい奴なのに鼻つまみはおかしい」と皆に糾弾されて膝を屈した思い出が
馬鹿の語源
ほんと、担任制の弊害だと思うわ。あんな大人数の生徒一人ひとりに親身に寄り添うなんて無理。人間関係のトラブルも多くなるし、担任制なんて廃止してほしい。
図書室で調べてみようとか、(今なら)検索してみるとか、何ならクラスで飼育してみるとか、いくらでも証拠が出せそうに思うのだが…
日本の民主主義もこれなので、簡単に参政党が勢力伸ばせる
たかが一サラリーマンに過ぎない教師に過大な期待をしない方がいいよ。不満なら自分が理想の教師をやるか、親が大金を払えばいい。
人間の社会心理の考察に至る事なく今でもトラウマのままか。この人もこの人で論理的思考より「俺はあの時認められたかった」という感情を優先してる
「それでも地球は回っている」案件。/部活内での喧嘩に「民主主義だからやめろ!」と割って入った先輩をふと思い出した。「民主主義だから」は意味わからなかったけど、喧嘩止めててかっこよかったよ。
私も小学3年の時「タランチュラの毒は人間を殺すほどではない」って言って同級生と言い争いになった(学研のひみつシリーズで知った)が、担任に「死ぬんじゃない?」って言われたな。教師も全知ではないと知った。
科学的な根拠や普遍的な事象の話してんのに日本語の単語の読み方や意味の話にすり替えて解釈してるポスト達に辟易…言葉は時代の変遷で多数派により読みや意味は変化していくのが常なので…
長いものに巻かれろ教育っていまもあるのね。イヤだね。
日本国においては科学的であることより”場の空気”が絶対神なのだ(旧陸海軍が愚策を続行したのも現代の集団いじめもこれが原因)。だから『チ。』のように科学的であることが神の摂理に合致という発想は出てこない
こうやって理不尽に圧し潰される経験を経てそれでも折れず、犀の角のように独り歩む事を学んでゆく強さを身に着けてゆくしかないんだよ。煩悩具足の凡夫火宅無常の腐った世界の中を歪まずに生きてゆくには。
授業や日常の学校生活の態度で教師の見方は変わる。中学時代、理科の教師が途中変わり2段階成績ぐ上がった(テスト等はほぼ同じ点数)。所詮印象とコミュ力、教室内ヒエラルキーが全て。つまらん。
遊戯王のサイクロン最強説が納得いかず問い合わせまでして間違ってることを主張したのに「なにいってんの?意味わかんね、キモ」と否定されたから俺は神を信じないことに決めた
プロフの様子がちょっとおかしいくらいで自業自得みたいな扱いする人が結構いて、話に出てくる担任みたいだ。言ってることは正直よくわからんが青バッジつけて極端な話で憎悪を増幅してるやつよりもまともに見えるよ
これは政治に近いよな。が正しくても民衆を説得させなければ支持を得られないという話。教師は判定つける舞台装置みたいなもんだからあまり責めてもしょうがない
因果関係逆ちやうの
似たようなエピソードがたくさん流れてくるのを見ていたら、おとな向け動画の「飯盒炊爨」の話を思い出して切なくなってきた。
https://investment.emory.edu/wp-content/uploads/wp_dndcf7_uploads/wpcf7-files/Does-Robinhood-have-24-hour-suppOrt-Chating-USA.pdf
「中村は生き物詳しいけど今回は多数決で負けね」小学生の頃、科学的な根拠があることでも多数決で間違いとされたことが今でもトラウマという話
『少数の児童の論理的正当性よりも多数の児童の感情を守った方が学級秩序を維持出来るから』『教師は多数の児童の感情を逆撫でしたとき怒りの矛先が己に向くのが恐いのだ』
反知性主義を醸成するのが学校と企業というのが笑えるよね(´・_・`)日本だけでなく世界共通。しかも科学教育が進んでいる国だからと言って、それが否定される訳ではない
こういう話よく挙がるけど、アホ教師が別に世の中のスタンダードではないんよな。そういう経験してない人の方が多いのでは
まあ、POST主の話を支持するんだけど『ファミコンは一日一時間まで!』『僕はSEGA MARK IIIです』『このクラスでは、SEGAもPCエンジンもファミコンと呼びます!』って話の可能性は微粒子レベルで存在。
多数決ではないが「ふんいき」(自分一人)と「ふいんき」(他多数)で小3のときディベートさせられた/それでも気をつけなければいけないのは少数派は選民思想に陥ってはいけないということだったり
言いたいことはわかるけど例示されてるケースだとその正しさをうまく説明できないのも原因ではある。
昔の話だからしゃーない。発達障がいだって今でこそ国民病、社会問題化で皆して取り組んでるけど20年位前までは全然やで。養護学級とかに隔離されてたからな。キチガイ扱いで。あれは酷かったな。
自分も小4の時の教師に似たようなことをやられたけど、「教師もただの完璧ではない人間に過ぎない」と早い時点で知ることができたのは良かった。
こういうの含めて学校は社会の縮図なんかな。嫌な社会やなぁ。
『少数の児童の論理的正当性よりも多数の児童の感情を守った方が学級秩序を維持出来るから』→ヘイトスピーチもそう。理屈は共産党が言う「ヘイトスピーチ、ダメ絶対」が正しいが、参政党は多数の有権者感情を優先
自分で上手く説明できないなら図鑑や本を見せて「ここに書かれてる」と言えば権威に弱い小学生は折れる。きちんと説明できてるのに多数が納得してくれないなら、周囲に嫌われてる可能性がある。
最悪の体験。どうすると良いだろうか?対立が問題なら、自分で調べてねかなあ?正解を決めることが問題なのでは?
当該の人のプロフ見るとちょっと危うい感じはなきにしもあらず/知識を使うためには、嫌な言い方だが世間の正常範囲内に収まるコミュニケーションスキルも実は割と大事ではあり。先生もそれ教えないとなぁ
『それでも気をつけなければ行けないのは少数派は選民思想に陥ってはいけない』既に民主主義は死んだ。少数の優れた指導者が蒙昧な連中を善導することが国にとっても社会にとっても望ましいのは明らか。
小学校の多数決民主主義怖いよな
今だとアメザリは特定外来生物なので問題になるな
実際にこれと似たようなことは大人になってからも起きるしね。愚痴とかに正論で反論すると角が立つ、といった理屈に合わないシチュエーションもしばしば。空気を読む、とかも子供の時は理不尽に感じてたものだ
あるある。子供の頃、信用できる大人ばかりじゃないと早々に学んだ。大人になってみたら信用できない大人ばかりだったよ。自分を信じて学ぶしかない。
正論が必ずしも通用するとは限らないということが学べた良い経験だったのでは
多数決の罠、科学という名の正義が時に敗北することもあるのですわね。
「少数派は選民思想に陥ってはいけない」→「あいつらは選民思想に陥って俺たちを見捨てた」がリベラル攻撃の手段として利用され誕生したのがトランプアメリカの惨状である事は留意したい。
議論に置いて多数決は勝ち負けではない
「みんなのお気持ち」よりも科学的根拠を
合理的な議論を経ず、少数意見への配慮も欠いた投票は、「多数決」ではなくてただの「数の暴力」。数に物を言わせて無理を押し通すことを「民主主義」だと誤解している人は本当に多い。
多数を納得(説得)するより、1人(少数)の意見を消す方が早いからな。教師が説明しても多数が「不満」を抱くより「好かれたい」なんて気持ち何だろうな。
勝ち負けと真偽は関係ないってことを教えてもらった
大人になっても「お気持ちで何が悪い」とか言うやついるしな
それが今のアメリカ
算数の授業中に先生が解説した論理問題を、もっと最適化した方法ありますよと説明したところ、みんなの前で「こいつ凄いぞ」的に立ててくれた。あの先生のおかげで今の自分がいるのかもしれない。
多数決は多数意見を決めるものであって、事実を変えるものではないよな。/その多数決で生まれたのがトランプ大統領だが。/ウサギの数え方で「昔の人かよ」ってのは歴史を分かった上で言ってると思うぞ。
みんなは信頼できる大人になれたかな???
小学校教師とか大概がズブの素人だもんなしょうがねえよ
これ、教員や学校にとっては円滑な学級、学校運営が一番大事で、誰かがいじめられててもそれで学級が表面上円滑に運営されるなら無視するのと一緒なのよね。一人一人の児童はそれほど大事に思ってないのよ。
「負け」であって「間違い」ではないんでないの? つまり「正しかろうがなんだろうが、いったんその主張をするのを差し控えろ」ということ。あとは「仮に多数決で勝ってたらあんた納得してたの?」という話でもある
(アレげな担任でも学級崩壊するとヒエラルキー最下位が泣きをみる。)▲この件はマイノリティorマジョリティという問題でなく、科学的根拠あるかないかと問題デハ
マイノリティの尊重を教えない教師は退職しろよ「明らかに間違ってることを多数決で決められその後, 全員参加で不服ながら嫌々やらされ」「多数決だからと明らかに間違ってることを通そうとする人」
観測できる事実と科学的根拠の間にも乖離がある。多数決の多数派が必ずしも正しいか?という問いと科学的根拠の絶対性は分けて考えた方がいい。科学的根拠も観測事実を現時点で適切に説明できるロジックでしかない
高校生の半数は科学(理科)をわかってないしアメリカの若者の15%は地動説に確信ないしブラジルの7%はフラットアーサー
サイエンスコミュニケーターが必要な理由でもある
先生は言い合いじゃなくて味方を増やすコミュニケーション手法を身につけるよう提言してくれたのかもしれない。知識を披露じゃなく一緒に観察するとか
それが多数決だからなぁ。正しいかどうかじゃなくて大多数が納得できるかどうか。
教師にとって大事なのは科学的な正しさじゃなくて自分の評価だからな。
学校ヒエラルキー低いと事実としても倫理的にも道徳的にも正しい(約束は守ろうレベル)ことを主張してるのに覆されることよくある。民主主義は欠陥なので早く別の統治方法を発明してほしい(AI統治とか)
コロナの頃に「先生は科学をやっておられますが、我々は政治をしているのです」と霞ヶ関で言われたとかが記事になってたので、多分今でも科学よりも政治だし、日本人もマスクしてる人なんて今では少数派だろ?
道徳の教科書にZ項の話とかあったのに。
小学生の頃の事いつまで根に持ってんだよ…その教師は大人としてどうかとは思うけどお前らも大人気ないよ…
そりゃ科学は社会では役に立たないと答える子が増えるわけだよ。
今どき大人の社会もそんな感じ。
小学生には難しいが、大人になったいま、一歩踏み込んで「どうしたら彼らに伝わっただろうか」と考えてみたい。平均層を腐すばかりでは「彼らに伝えるのがうまい」非科学的論者の台頭を許してしまう
プロフ見て、何かと理不尽な目に遭う方だなあという印象。
根拠がある事をちゃんと伝えられていたかによるが「にも関わらず多数決で負けにする」のは教師側に事の正否より日頃の言動など周囲への接し方の問題で灸をすえる目的があるのかも。嫌悪感あるやり口だが
こういう正解が決まってる言い合いで、正しい側が折れて負けるシステムが意味不明すぎる
基本的に現代の裁判も同じ。判決的には「科学的には正しいかもしれないけど、あなたのやったことや言い方が悪い」みたいな判決になる。結局あそこは人の争いを止めるところであって科学とかどうでもいい
ソ連と現代日本は同じだ。ルイセンコか。国が発展しない訳だ。私は民主主義も社会主義もその他これまでの主義は全てゴミなので反対だ。現代の民主主義も崩壊しつつある。AIによる政治への移行が必要となる
この手の理不尽経験ツイートを見たらツイ主のプロフを見る癖がついてしまった…理不尽な目に遭う人のたぶん半分くらいは遭うべくして遭ってる
先生の学力が自分より下であることを認識した上でつかず離れずの距離で付き合う頭いい子とそれができない頭いい子がいるのよね。先生側の自分よりできる子の扱いも然り。「義務教育教師は文系出、詰めてはいけない」
どっちが陰謀論者に取り込まれやすいかと考えると、どっちもだろうな。こんな経験を子供にさせてはいけない/チ。が出てくるのはどんな文脈ですかねー
科学的事実に対して多数決を適用するアホはともかくとして、担任の裁定という権威主義的解決を期待していたようにも見えるのは微妙
自分も経験がある。でも、面倒なのと、自分の知識が違う可能性も考えて意見を引っ込めた。/思ったけど公衆衛生の他に理科の分野の事も多いね。高校生の5割弱が「社会に出たら理科は不要」とか言ってるくらいだし。
俺はディスカッションの授業で似たようなことになったけど、最後に担任が正しいのは俺の方だと説明したのでまだマシだった。ただし、「説得できないお前の未熟さが悪い」みたいなことは言われた。小学生に無茶言うな
ファクトを突き付けても認知的不協和を起こすから、相手が振り上げた拳の落としどころを見つけてあげるのもセットで考えられると良かったんだけどね。(小学生だししゃーない)
正しくても受け入れられない事もある当時のインフラや情勢を無視し法治を入れてすぐ滅んだ始皇帝みたく、学校では最後に先生が結論だすから議論が茶番になりやすい。感染症対策みたく科学と人権がぶつかる時もあるし
先生を好意的に解釈すれば、「間違い」ではなく「負け」と言ってるなら、科学の歴史の悲哀を言いたかったのかも。
自分のスペシャルな分野が多数決的に否定されることなんて生きてれば山ほどあるけど子供時代のは後々まで残るからなあ。ただ「科学は別格ってホントに思ってる?」も「それも科学に入れちゃう?」もあるんだけどな。
環境調査の仕事で、そこにいないはずの絶滅危惧種がそこにいることがわかってお上の意向でひっそりと握りつぶしたことならある。
小学生くらいだと普段から頭いい風になってれば誰々が言ってるから間違いないになりそうな気がするので、生物以外の分野でかなり頓珍漢な応答が多かった可能性があるな。
本多平直元議員を辞職に追い込んだ立憲民主党みたいな話ですね。https://bunshun.jp/articles/-/54027 ちなみに中間報告案には捏造まで含まれていた模様。しかも"あの"島岡まなが絡んでいた、と。
正しいことを言えばみんな認めてくれるはずとか、良いものを作れば売れるはずというのは独りよがりな考えで、認められず売れないのは他の何かが足りていないから。相手を変えられないなら自分が変わるしか無い。
それ「科学的根拠」じゃなくて「今それを指摘してなんの意味があるの?」って言われてるだけだよ。瑣末なことを延々と話し続けててうんざりされたのでは?
世の中には正しさより価値があることがたくさんある。とは言えこの場合は「みんなで図鑑で調べてみよう」で学習の機会にすることもできたはずなので、教師が無能すぎる。
多数決の理不尽を学ぶ場だから…今でもそれに気付ていないならやばい
幼稚園のとき木の杭から生えていた赤いサルノコシカケを「キノコだ」と言ったら、周りの園児全員から「キノコはこんな形してないし、どう見ても火が凍ったモノじゃん!」とバカにされまくったの今でも覚えてる。
ネトウヨも善悪・良悪でなく、多数だから正しいと言い張る。善悪・良悪を判断する知性・理性・良心がないだけかもしれないが。判断しつつ悪を楽しむ屑も多い。
小学校は動物園。
あまり関係ないけど、晴れた時に雨は降らないという問題で天気雨のことを聞いたら、そんな事は考えてはいけませんと怒られたことならある。
ガリレオと仲良くなれそう
これは後で個人的にフォローすればよく、その場をいったん落ち着かせるための発言としては問題ないと思う。フォローしなかったからこうやって恨まれてるわけだけど
こういう闇落ちさかなクンさんみたいな人はてなにもいっぱいいそう
例え自分が正しいとしても、周りと揉めるくらいなら内心に止めておけば良いという集団生活を円滑にするための学びのひとつなんだけど、子供からすればこの先生の態度は悲しいよな…
大人になっても普通にある。例えば広告デザインなんかで肝心な内容が伝わりづらいのに見た目の良さだけで多数決が取られる瞬間とか。なのでそういうものが会議に上がる前に専門チームが候補から外しておくことが必要
令和の小学生「AIに判定してもらおうぜ」
フラットアーサー?笑
最近、人権に関する裁判所判決を「多数の国民が支持している政策を裁判所の判事が否定するのはおかしい」と主張するのを見ることが増えた。ただ、やっぱり対話は大事。それが当然だと分かってもらう努力は必要
みんな、多い方に流れるだけで真剣に考えてなんかいない(国語だったが、似た経験ある)
さすがに先生がやっちゃダメだろ
「カモノハシは哺乳類だが卵生」の主張に級友とともに疑問符を浮かべつつ保留にして、調べてから級友の前で「正しかった」と言ってくれた先生の科学的に正しい態度を尊敬している。
バイトテロなんかより、よっぽど悪質なので、もしこのやり取りの動画がSNSにアップされたらめちゃくちゃ叩かれるだろうなこの教師。/結局悪いことしてるかどうかではなく、可視化されるかどうかで罪が決まる。
そもそも”多数決で負け”っていう言い方がちょっと微妙な感じするかも。
小学生の頃、似たような事や、あと授業で間違い(北極星は1等星)を教えてて、テストに教科書通り書いたら不正解にされたこともありましたね… 幼いうちに大人は全知全能ではないとはっきり理解出来て良かったです
変人極まる逆張り人生なので、この手のことはたくさんあった気がするんだが、忘れてしまった。こまケェことは気にせず、先に行こうよ
小学校の先生で理数系に強い人というのは少なかった記憶がある。小学校の先生一人に負わせるものが多すぎるということもあるので。/ツイ主のプロフやらを見て、この体験が今に至るトリガーならば悲しいことだ
民主主義とは多数決ではない、という話よな。
「中村は生き物詳しいけど大衆は愚鈍なのよ。だから反日自民党を支持している訳。お前の住んでいるこの日本の国民はバカで、もうすぐ滅ぶよ。早く中村は日本脱出した方がいいけど、それまでは愚鈍な大衆に合わせな」
戦争のデメリットを学ぶ授業で「動物がたくさん死ぬ」と発言したら「まずは人間でしょ」みたいに言われて間違いにされたわね。あの先生はそういうの多かった…まあ大人は信用できないという学び
科学の敗北...
会社でも同じだよ。どれだけ良いことを言っていても社内ヒエラルキーが低いと採用されない
小中学生の勉強できる子には、人格が備わっていなくて、正しくてもムカつく言い方しかできないタイプも少なくないので、それが許容されにくいということもある
子供の頃、あばれはっちゃくの主題歌を同級生たちは「あばれはっちゃく鼻づまり」と歌唱。「鼻つまみでは」と指摘したら「あばれはっちゃくはいい奴なのに鼻つまみはおかしい」と皆に糾弾されて膝を屈した思い出が
馬鹿の語源
ほんと、担任制の弊害だと思うわ。あんな大人数の生徒一人ひとりに親身に寄り添うなんて無理。人間関係のトラブルも多くなるし、担任制なんて廃止してほしい。
図書室で調べてみようとか、(今なら)検索してみるとか、何ならクラスで飼育してみるとか、いくらでも証拠が出せそうに思うのだが…
日本の民主主義もこれなので、簡単に参政党が勢力伸ばせる
たかが一サラリーマンに過ぎない教師に過大な期待をしない方がいいよ。不満なら自分が理想の教師をやるか、親が大金を払えばいい。
人間の社会心理の考察に至る事なく今でもトラウマのままか。この人もこの人で論理的思考より「俺はあの時認められたかった」という感情を優先してる
「それでも地球は回っている」案件。/部活内での喧嘩に「民主主義だからやめろ!」と割って入った先輩をふと思い出した。「民主主義だから」は意味わからなかったけど、喧嘩止めててかっこよかったよ。
私も小学3年の時「タランチュラの毒は人間を殺すほどではない」って言って同級生と言い争いになった(学研のひみつシリーズで知った)が、担任に「死ぬんじゃない?」って言われたな。教師も全知ではないと知った。
科学的な根拠や普遍的な事象の話してんのに日本語の単語の読み方や意味の話にすり替えて解釈してるポスト達に辟易…言葉は時代の変遷で多数派により読みや意味は変化していくのが常なので…
長いものに巻かれろ教育っていまもあるのね。イヤだね。
日本国においては科学的であることより”場の空気”が絶対神なのだ(旧陸海軍が愚策を続行したのも現代の集団いじめもこれが原因)。だから『チ。』のように科学的であることが神の摂理に合致という発想は出てこない
こうやって理不尽に圧し潰される経験を経てそれでも折れず、犀の角のように独り歩む事を学んでゆく強さを身に着けてゆくしかないんだよ。煩悩具足の凡夫火宅無常の腐った世界の中を歪まずに生きてゆくには。
授業や日常の学校生活の態度で教師の見方は変わる。中学時代、理科の教師が途中変わり2段階成績ぐ上がった(テスト等はほぼ同じ点数)。所詮印象とコミュ力、教室内ヒエラルキーが全て。つまらん。
遊戯王のサイクロン最強説が納得いかず問い合わせまでして間違ってることを主張したのに「なにいってんの?意味わかんね、キモ」と否定されたから俺は神を信じないことに決めた
プロフの様子がちょっとおかしいくらいで自業自得みたいな扱いする人が結構いて、話に出てくる担任みたいだ。言ってることは正直よくわからんが青バッジつけて極端な話で憎悪を増幅してるやつよりもまともに見えるよ
これは政治に近いよな。が正しくても民衆を説得させなければ支持を得られないという話。教師は判定つける舞台装置みたいなもんだからあまり責めてもしょうがない
因果関係逆ちやうの
似たようなエピソードがたくさん流れてくるのを見ていたら、おとな向け動画の「飯盒炊爨」の話を思い出して切なくなってきた。
https://investment.emory.edu/wp-content/uploads/wp_dndcf7_uploads/wpcf7-files/Does-Robinhood-have-24-hour-suppOrt-Chating-USA.pdf